めんどくさいんで、別スレの記述をそのままコピペ。
仏教議論スレッド 07
419 25(9-3)/36 sage 2010/10/28(木) 23:05:23 ID:aBU6yKXv
> 「小乗」と「大乗」との根本的相違は何か。
まず、「小乗」「大乗」というのが、【便宜上の呼称である】ということを理解していますか?
《「大乗」とは自称であり、「小乗」とは相手に対する蔑称》である。これはいいですね?
《【「大乗」を自称する潮流】があり、【「小乗」と揶揄される潮流】があった》、このことは事実です。
だから現在でも、学者は
・《その研究領域によって【そのような潮流の別】を指し示さねばならない時》、
・《潮流の【別、差異がテーマとなる時】》
には、「大乗」「小乗」という呼称を用います。
或いは、
・《「それぞれの潮流」と【同じ要素を有する】ものに、それぞれ「大乗的」「小乗的」と冠する》こともあります。
或いは、
・《歴史的にそれぞれの潮流の【系譜に連なっている】ものには、それぞれの呼称を用いる》こともあります。
*(別に、「場面場面による語の使用」自体については、特段良し悪しはないのです。)
422 26(9-4)/36 sage 2010/10/29(金) 00:02:33 ID:3pweFwBx
さて、問題はこの後ですw
勿論、大乗経典群に於いて、それ以前の教えは全て小乗と括られています。
しかし、それは、「大乗」と自称する以上当然の帰結で、内容や歴史的推移は考慮されません。
自分達の内容以外は、全て小乗なのですから。
しかし、後代の私達は(或いは学者は)そうは見ません。
大乗仏教運動が起こっていた時点での、【当時の対論相手の一群のみを】「小乗仏教」と称するのです。
当然、「初期仏教・原始仏教・根本分裂以前の仏教」に対して「小乗」の語を用いることはありません。
*(これは龍樹に於いても同様でしょう。)
また、時代が下って分派後期のものに対しても、
(系譜に大きなズレがあれば、或いは時代が下り過ぎていれば)用いません。(たとえば現行上座部がそうです。)
また、歴史性を重視するならば、根本分裂直後についても、用いることはあまりありません。
*(だから、その辺のコンセンサスが取れていない場合、文脈上まだ明らかになっていない場合、
『「小乗仏教」という語で何を指しているのか』が不透明になるのです。)
以上は「大乗」「小乗」を対比させて語る際のTPOについてです。
その使用が適切な場合とはどういうものか、ということです。
貴方が、《「かつて大乗を自称し小乗と皮肉った潮流」の末席を自負し、その信念の下、
対論者に対して「小乗」とラベリングする》のであれば、そのこと自体を責めるつもりはありません。
往時の大乗仏教徒達も同様であったろうと思うからです。
しかしながら、もし、多少でも歴史的視座を導入する気があるなら、その使用には慎重であるべきです。
上で述べたように、但し書き(及び揶揄・侮蔑の意図)無きところに「小乗仏教」と出てきたら、
【通常は】、【《説一切有部》及び《その、時代的周縁の部派仏教》のこと】だと受け止めるのです。
(特に教理面に於いては・・・。)