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ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :
今夜の考察 酉酉は自らの意思で親を選んだ、、、、その件での同情は無い
誕生した自分の責任
> 「>みなしご」とか「>幼児期の心の有り様」とか言うのは、
> 今生の範囲で本人の責任に帰さないことである。
>
> 他にも例えば顔の良し悪しなども親の責任であって本人の責任ではない。
> だから顔のことをとやかく言って攻撃するのは不道徳なのである。
いかにも尤もらしい理由付けですが、根本のところが間違っています。
今の両親を選んだのは、その子供自身ということが理解できていないのですね、宗教を学んでいながら。
酉が幼児期に問題が無く成長できるような愛情を注いでもらえなかったのも、自分でその親を選び、
受胎の時に酉自身の意志でその魂として入り、受精卵になった。
霊視を出来る人なら直ぐに納得できるでしょうが、霊感も無いし智恵(想像力)も無い知識オンリーの考え
の人には理解が無理のようです。
人の顔は晩年になったら、その顔の相は自分の責任だ、といった人がいましたが、まさにその状態を
言い表して居ると思います。
両親が美形なら、自分もそうなると考えるのも誤りです。
自分の因縁と同じ影の長さを持った両親を選んだのも、自分なのだから。
知識オンリーの人に限って、証拠だのデータだの、PCの世界の方式の情報を求める。
動物と器械の違いは、器械には智恵が無い事なのです。
動物の中でも人間は智恵を多くもっており、その智恵で仏を察知し、仏の持つ智恵の壮大なことに感服し
帰依した姿が信仰なのです。
智恵にお向きを置き求める仏教=体得の仏教〜人の感覚で捉えたもの
知識にお向きを置き求める仏教=机上の仏教〜人の口から伝わったもの