仏教の定義とは?仏教系新宗教との違いは?

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1名無しさん@京都板じゃないよ
キリスト教には何がキリスト教かという定義があり、それを満たすものは例え新興教派(救世軍・ペンテコステ派など)でも受け入れるが、
仏教はそれがあいまいで新しくできた宗派は何もかも新興宗教扱いしていないだろうか?

例えば、
http://www.hontakiji.com/
など、戦後あたりにできた新宗派もある。

しかし○○宗などと、既成仏教風に名乗って新宗教扱いされているものもある。

また、全日本仏教会には一般的には新宗教といわれる、
孝道教団や念法眞教も加盟している。
http://www.jbf.ne.jp/f00/index.html

私が思いつくには、
三宝(仏法僧)を守ってるかということだが、
それによって僧侶がいない創価学会、真如苑などは外されるとして、
それ以外の基準はあるの?
2(´・ω・`)っ2:2010/06/26(土) 06:59:57
 (´・ω・`)っ2
3名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 13:24:15
>>1
基準や定義はない。
仏教を名乗っていれば取り敢えず仏教の一派。
頭のイカレた一派もあるけど、それは仏教ではないとか言うのは単なる
個人的な好き嫌いと主観の判断でしかない。
狂っていても仏教の一派。良い悪いは別次元の話。
4諸行無常・諸法無我・涅槃寂静(←法印):2010/06/26(土) 14:55:24
>>1はすぐ解決する一つの質問に一つのスレッドをたてる。
そして、「法印(ほういん)」も知らない者が正確ではない一つの“コタエ”を書いて終わりを告げようとする。
他者を裁判し弁護士も法廷への出席もさせずに欠席裁判で一方的に有罪にし
スレ荒らしの刑で処刑して、そんな“セーギの味方の自分はイエスの十字架で救われる”とキリスト教の“セーギ”に燃える。
他者のスレッドを気に入らないと荒らし続けて板を衰えさせて
過疎を招いた張本人が、相変わらず裁く側に陣取り好き勝手をしている。
罪のない多くの者たちを不当に“規制”していてだ。
スポンサーがこの不況の時代にいつまでも彼のような者に何もせずにいると楽観しているのだろうか。
彼が「チューオーイインカイ(横暴な独裁者)」の正体を摘発される日も近い。
5名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 16:34:32
正統性という意味では
師匠の師匠の師匠の・・・・ってたどっていくと
お釈迦さんになるのが伝統仏教
まあ、( `ハ´)<歴史を作る!の民族を挟んでいるので
歴史的事実としてはそうはいかないのかもしれないが
少なくとも日本においては比叡山や高野山のように
中国から伝わり、そこから分派発展してきた歴史があるのが
伝統仏教といっていいと思う。
浄土宗や日蓮宗も歴史的には比叡山から繋がってるわけだし
禅宗は中国から直輸入だから、建前上は師匠の師匠・・・は釈尊になる
歴史的には、この釈尊からの法灯を継がない仏教教団もある
日本達磨宗や修験宗、正統とされない浄土真宗がそれだけど
大体は正統性があるとされる教団に飲み込まれていくことになる
オウムや幸福が正統な仏教でないのは
釈尊の弟子の弟子にならなかったこと
創価は一応、その手続きを踏んだんだろうけど
今は弟子であることをやめたから正統性はないと思う
6名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 17:16:01
悪いけど、真言宗の祖は大日如来=毘廬遮那仏で、おシャカサンは系譜に入ってないんだ。

もう少し勉強してから長文は書こうね。
7名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 17:35:11
>>6
馬鹿ですか?www
8名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 17:43:08
つ 三宝印
9名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 18:29:16
正統性なんてアテにならん。
浄土真宗の親鸞は比叡山の出身だぞ?
でも浄土真宗の教義を見たら、コレは本当に仏教かと疑わざるを得ない
10名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 21:20:21
>>1は「法印」を知らない人物で、
仏教には、キリスト教の信仰告白に当たるようなものがない、それともあるのか?と
いうスレッドをたてた。
それなら>>1への答えは「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」という法印をあげるしかない。
それを、正統だとかなんとかスレ違いなことをくどくど書いている者がいるようだ。
スレ自体も本来は心と宗教にでもたてればいいような板違いなのに
更にスレ違いの文で汚し続けて、正論などを語る以前の前提がなってないことにそろそろ気付け。
それより、自分がしでかしたことの責任をとれ。自浄能力が皆無なのに
他者の何を正そうと言うのか?
11名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 21:22:26
>>7
反論もできないくせに、デカい口叩くな、バカ
12名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 21:40:45
だいたい>>1の下のほうに三宝のことが書いているが
>>1は「僧宝」の“僧”を出家の比丘と混同している。
三宝でいう「僧宝」の僧は和合衆と訳されるサンガの音写「僧伽」の略(あるいは訛りの音写)で
出家に比丘・比丘尼、在家に優婆塞・優婆夷などといった四衆や、
出家の見習い期間も分けた七衆などといった
仏教修行者の集団をさす。
現存の仏典で、学術的にみて成立の早さがもっとも初期とされるスッタニパータなどは
「仏」と「法」への讃辞に溢れはしているが、「僧伽」は仏・法と同列には見なされず、
むしろ、一人になって静かに修行しろといったような勧めが目立つ。
初期の仏教では、仏と法は不二の重宝と讃仰されたが
かならずしも集団に和合しての修行が不可欠とは考えられてはおらず
「僧宝」の概念が未熟であったことが伝わってくる。
13名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/26(土) 21:46:58
いや、龍樹菩薩は大乗の中心的人物だから
釈尊につながっているだろう。
14名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/27(日) 07:41:04
坊さんに成る時に「得度式」というのをやるんだけど
その時に、この得度式の作法は
釈尊の時代から変わらず続いているものだと言われた
他宗派(私は禅宗)の得度式が具体的にどういうものか分からないし
歴史的には多少の変遷はあるんだろうけど
師匠から弟子へ戒を授けるという形式は多分、続いていて
同じように得度式を私の師匠も若い頃にやり
その師匠も同じように得度式をやり
何代か前は中国でやり、さらに前はインドでやってたんだろうと思う
形だけでも、あるいは真摯にやるにせよ
釈尊から戒を授けられた弟子がその弟子に戒を授ける
その流れが今に伝わってるわけです
途中の人物に歴史学的に怪しいのがいても(大日如来を実在の人物とは思えない)
ともかく、誰かが戒を授けるのを伝えてきたはずだと
信じ得るのが伝統仏教なのです
15決議:2010/07/08(木) 18:40:23
諸行無常で諸法無我、
そして、無余涅槃を目指す仏教。

しかし、ここに有がある。

それは>>1の責任だ。
16名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/08(木) 19:19:19
曹洞宗の血脈と真言宗の血脈を見比べるといいよ。
三秒で違い決定的な違いがわかる。
17名無しさん@京都板じゃないよ
>>16
三秒で>>16の日本語力の決定的な違いがわかった・・・