1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
かわいそう
やってるよ。 境内の裏手を耕して野菜作ってる。
3 :
(´・ω・`)3 :2010/06/17(木) 12:18:54
(´・ω・`)3
4 :
高野山真言宗僧侶:2010/06/17(木) 13:42:42
ウチもお茶は自家製だなぁ。お茶畑とシキミ畑と、あとは蜂蜜。
いろいろ実がなるものも試してみたんだけど、みんな鹿や猪に食べられてしまった。タケノコもみんな食べられてるし。
意外に大きな実がついて喜んだのは菩提樹。毎年採れた実で腕輪念珠作って、信者さんとかにあげてる。
>>4 実やタケノコは鹿や猪にあげて、
鹿や猪をあなたが食べればいいじゃない
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/18(金) 00:47:34
仏教の戒律に農業禁止があるらしいんですが、やってもいいんですか?
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/18(金) 01:22:07
>>6 本来はダメだけど別に自由で良いんじゃない?
>>6 禅宗なんかじゃ畑や田んぼはごく当たり前にやってるトコあるよ。
坊主だからって非生産活動だけに固執する必要もないかとオモ
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/18(金) 05:22:17
古い時代の唐土の禅宗ではむしろ
農作業は欠かすことのできない大切な修行。
参照
百丈懐海 - Wikipedia
一日不作、一日不食
インドは気候が過酷ではあるけど、どんなに貧しくても飢える事は無かったらしい
飢える心配がないのに畑を持つというのは、貪欲な事とされたそうです
そして共同して働く必要もないから一人で遍歴する托鉢僧でいられたらしい
実際、今でもインド人は超個人主義のお国柄だ
東アジアも気候はいいけど、インドに比べれば植物は育たないから
共同して働く必要が出てきた
法華経の序品を読んでいると、釈尊が東の国々で修行する人たちの姿を
浮かび上がらせる場面が描かれている
インドのように一人で生きていくのが無理な世界に仏教を広めるために
パラダイムの転換が必要だったんだろうなと解釈している