あるとき、日神に仕える巫女が、東にある祖先の地日国に向けて東進する旨の託宣を行ったのを受けて、
南東方向の太陽が豊かな土地を求めて、東進を開始した内容の神話が残っています。
神武天皇の東征神話の原型となった、より具体的な古い言い伝えがあるのです。
高句麗の多勿(タムル)軍イコール、勿が物の字に変化した物部氏の祖先で、
これに、長江文明ゆかりの、姫姓を持つ王を頂く海人族が加わって東進を開始して、
寒冷化によって倭国の大乱状態にあった、日国に到達したようです。
日国の「日」を吏読すると、イルです。
これと、面玄関という意味を持つ、面(も)の文字を組み合わせると、日面(イルモ)となり、
別の漢字で同じ言葉を音写すると、出雲(いずも)となります。
つまり、出雲は、託宣によって約束された、危険な船旅の目的地だったのです。
八咫烏(やたがらす 三本足の鳥)をトーテムとする多勿軍と、神武天皇の関係は誰が見ても明らかです。
丹生氏、物部氏、泰氏、など、幾つかの渡来系の氏族と、大和朝廷の関係が見えてくれば、
伊勢神宮と天照大神のルーツも、自然に明らかになってきますよね。
これらの渡来系氏族が来るはるか以前から、日本には、かなり発達した太陽信仰があったことは、
縄文時代のイワクラ遺跡の祭壇に、真東ではなく、
冬至の日の出の方角を向いたものがあることからも分かります。
衰えていた太陽が力を取り戻したことを祝う神事が、うちの一族に伝承されています。
天照大神は、各豪族が信仰する日神を習合する形で、新たに誕生した日本国の太陽神でしょう。
耀姫の託宣を信じて、弓月の君を先頭に、東に位置する日国に存在する約束の地を目指して東進した伝承が、
女神天照大神の天孫降臨神話などに姿を変えているように見えます。
したがって、皇大神宮に祭られている天照大神は、耀姫の巫女神の要素も内包しているのです。