日前神宮と書いて、「ひのくまじんぐう」と読むのはなぜか、分からない人が多いと思います。
「前」がどうして「熊」なのか、漢字だけ見ていると、想像がつかないでしょうね。
うちの一族の故老からの伝承を拾っていくと、神道は高句麗地域の道教から派生したことが分かるのですが、
高句麗から朝鮮半島にかけて、古い時代は神のことを熊と読み書きしていたのです。
ですから、「ひのくまじんぐう」は、現代の日本語で意味どおり表記すれば、「日の神神宮」となります。
ルーツとなった大陸系の言葉が名残を留めているのです。
物部氏の石神神社は、もともと物部氏の兵器庫だったと言われていて、
宗教と軍隊が一体化していた、神武天皇東征神話時代の、古い神道の姿がうかがえます。
穴師坐兵主神社も、兵主神という名から、
大和朝廷の一翼を担う有力豪族勢力の軍神を祭っていた可能性が見えてきます。
天日矛神は、日神の武器を意味する神名で、
兵主神はもともと山東半島に祭られていた八神の一柱、もちろん軍神です。
うちの一族の故老の伝承では、
八幡神社は、山東半島に祭られていた八神を表す、
八旗の軍旗を押し立てて進軍していたことに由来することになっています。
長江文明を担う人々は、人口爆発を起こして北上し、
山東半島と遼東半島を行き来するうちに、海人族となりました。
2世紀後半からはじまった地球規模の寒冷化によって、飢饉が発生して、南下政策を余儀なくされた、
高句麗の王族が率いるタムル軍の、先行する食料調達部隊と、海人族が出会っています。
彼等は協力して、穀物が豊かな地域と交易を繰り返すようになっていったようです。