叱られる幸せ 川澄祐勝 著
著者は、高幡不動尊として親しまれている真言宗智山派別格本山の高幡山金剛寺第三十三世貫主。
埼玉県秩父の農家の次男に生まれ、法政大学三年の時に寺の女性と結婚したのが縁で、卒業後、
住職になるため高幡不動尊に入った。以後、三十年にわたり秋山大僧正から受けた薫陶を基に、
叱しかる教育の大切さを語っている。
近年は「褒めて伸ばす」のがはやりだが、それが怠慢や無作法を見逃すことであってはならない。
新入社員研修でも、「叱って教える」方法が取り入れられているという。人間としての基本的な
振る舞いは、頭ではなく体で覚えるものだろう。
高幡不動尊には、著者が住職として修復した丈六不動三尊がある。密教の本尊、大日如来の化身とされる
不動明王、お不動さんは、左手に持つ縄で衆生を引き寄せ、右手に持つ剣で煩悩を断ち切る。それ故、
恐ろしい表情だが、衆生に寄り添い、共に喜び、悲しむ心を持つという。それが、叱る者の在り方だろう。
ちなみに、現世利益とは欲の塊ではなく、大慈大悲を本体とするお不動さんの恵みのこと。また、護摩を
焚くのは煩悩を焼き尽くすため。
著者は大学でマルクス経済学を学んだ。それを聞いた秋山大僧正は、カースト制度の撤廃を目指した釈迦の
教えに通じると励ましたという。しかし、親しく言葉を交わしたのは最初だけで、以後は厳しい師弟の道が
示された。しつけは上下関係でなされるものだからだ。親子が友達のようになったのでは、しつけはできない。
高幡不動尊は初夏のアジサイをはじめ、四季を彩る花の寺としても知られる。「掃除は、百の説法にまさる」
との教えから、僧侶や職員ら全員が朝、掃除をする。ごみがあると自然に体が動いて拾うようでないといけない
という。いずれも、参拝者がすがすがしい気持ちでお参りできるためだ。人間を育てる仏教の伝統が、もっと
社会に広まるのを期待したい。(多田則明)
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