【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン24【御同行】
952 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:09:55
妙好人>>>(信仰の世界)>>龍大教授>>>谷大教授>>>真宗布教師>ニート真宗坊主>>><<<<<<<<カルト親鸞会
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:20:46
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:24:20
有でもなく無でもない
有でないということでもなく無でないということでもない
955 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:27:01
如来が存在するからこそ私が存在するのであり、
私が存在するからこそ如来が存在するのである。
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:30:37
如来と同一の私は存在せず、私と同一の如来は存在しない。
如来と離れた私は存在せず、私と離れた如来は存在しない。
957 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 00:32:53
如来が存在せずとも、自我は破壊と創造を繰り返すが
如来が存在しても、自我は破壊と創造を繰り返す。
958 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 08:24:17
>>951 零神教だな。科学的に存在が証明できない物は存在しないというのが本音。
阿弥陀仏は人の頭の中の思考にしか存在しない、架空の物だから。
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 10:51:37
ついに幸福実現党が結党!サヨ勢力は粉砕されることとなる。
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 17:33:15
子>丑>寅>卯>>>>ゾウリムシ>>アメーバー>>リケッチア>>ウイルス>>仏>釈迦>>>>>龍大教授>>>谷大教授>>>(以下略)
龍大教授>>>谷大教授
これは確定でいいのか?w
>>958 >>阿弥陀仏は人の頭の中の思考にしか存在しない、架空の物だから。
ここに来るくらいの興味があるならもっと仏教を学びなさい
仏はもちろん架空じゃないし 阿弥陀仏も架空ではない
目に頼ってしまう人間の為に人間の相で説明してるだけで、
色も形も匂いもないが現実に存在する。
965 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 22:41:50
>色も形も匂いもないが現実に存在する
非科学、迷信、オカルト確定しました
空気がオカルトか?
風が迷信か?
精神は?
現在科学的に説明できるものだけが真実、
そんな人間を智慧もない無明というんですよ
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 22:52:48
だから禿は無明(バカ)とか唯物論者とかいわれるんですよ。
精神
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
精神(せいしん)は、心、意識、気構え、気力、理念といった意味を持つ言葉。
日本語の「精神」は、中国語に既にあったものを漢語外来語として使用してきたが、
文明開化以来、ギリシア語: Pneuma、ラテン語: spiritus、英語: spirit、フランス語: esprit、ドイツ語: Geist等の訳語として使われていることも多い。
例えば日本語では「精神」と「理念」と「スピリット」などと別表記にして相互に関連が無いと思い込んでいても、
元のインド・ヨーロッパ語族の話し手は同一語を使っており、なんらかの語感を意識して込めている場合が多いので注意が必要である。
数千年前から伝統的に、宗教的な意味を込められて使われている。
、ギリシア語: Pneuma、ラテン語: spiritus、英語: spirit、フランス語: esprit、ドイツ語: Geist。
必ずしも翻訳されずに、音写でカタカナ表記で使われていることも多い。以下の項目も参照。
プネウマ
スピリトゥス
スピリット
エスプリ
ガイスト
また、日本語では文脈により同一語を「霊」などと訳し分けている場合もある。
キリスト教を待たず、既にギリシア哲学においても、人間の能力に卓越したものとして神を考える傾向があり、
この時、神は人間より高次の精神をもつものとされる。そこで両者の差異をいうため「人間精神」「神的精神」の区別が立てられる事も多い。
一般に精神は、魂ないし知性をもたない物質、あるいは魂を持つが知性を持たない生物(動物・植物)との対立に置かれる。
一方で唯物論においては一般に精神を独自の存在としてたてず、精神を人間等の体内での微小物質の運動として記述する事が古代より行われてきた。
どうやら阿弥陀仏とやらは「風」とか「空気」とか「脳内の電気信号(精神)」と同一の存在であるらしい。
すなわちそれは唯物論の範疇で語れる存在だ、ということだ。
wikiをコピペで優位に立ったと思えるのだから
あなたの人生が透けて見えます。
もう少し自分で考え、感じ、
生まれてきた意味を大事にしたらいい
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 23:01:58
>wikiをコピペで優位に立ったと思えるのだから
被害妄想乙
>あなたの人生が透けて見えます。
霊能者乙
>もう少し自分で考え、感じ、
>生まれてきた意味を大事にしたらいい
説教乙
もっと真宗の深い話しができるものと期待してたが
宗教以前の人間のたまり場だったみたいですね
批判をどんどんしなさい
それであなたの気が済んで人生が楽になるのなら
現在の浄土真宗の教義
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
・本当は死ねば終わりなのだが、それでは宗教法人として認められないので、方便(嘘)で浄土をたてている
・『浄土は本当にあるのか?』と返答を迫られた場合には、『あるとかないとかの二元論思考は間違いだ』とか、
『死んで帰ってきた者などいない、よって死んで見なければわからない』と答えることにしている
・仏様とは物理法則のことである
・迷信の根源が霊魂不滅の輪廻転生思想である
・宿敵はオカルト親鸞会である
・「霊魂は三世を通じて存在するものである」というような信仰を持つ仏教学者は、
「時代遅れなんだよもっと本を読め、ばか」と糾弾されるべきである
・浄土真宗アンチは、全員下品である
・浄土真宗アンチは、すべからく読解力を身につけるべきである
・空気がオカルトか?風が迷信か?精神は?現在科学的に説明できるものだけが真実、そんな人間を智慧もない無明というのである
(注意:ここで言う精神とは霊のことではありません)
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 23:13:57
>もっと真宗の深い話しができるものと期待してたが
妄想乙
>宗教以前の人間のたまり場だったみたいですね
レッテル貼り乙
>批判をどんどんしなさい
オウム並の自己啓発乙
>それであなたの気が済んで人生が楽になるのなら
嫌み乙
>>973 批判としか受け取れない所に真宗の底の浅さが透けて見える
977 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/12(火) 23:51:21
>>967 w
ん〜、君は西洋哲学をベースにしているんだね。
僕らはいわゆるインド哲学ベースだからね。
そのwikiとやらで「唯識」を検索してみてよ。
空・アビダルマも検索してみたら?
978 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 00:03:18
はいはいオカルトオカルト
唯識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
唯識(ゆいしき、skt:vijJapti=maatrataa)とは、
個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである。
ここで、八種類の識とは、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。
よって、これら八種の識は総体として、人の広範な認識作用、表象作用、思考を内含し、
それらと相互に影響を与えあう無意識の領域をも内含する。
心の外に「もの」はない [編集]
大乗仏教の考え方の基礎は、この世界のすべての物事は縁起、つまり関係性の上でかろうじて現象しているものと考える。
唯識説はその説を補完して、その現象を人が認識しているだけであり、心の外に事物的存在はないと考えるのである。
これを「唯識無境」(「境」は心の外の世界)または唯識所変の境(外界の物事は識によって変えられるものである)という。
また一人一人の人間は、それぞれの心の奥底の阿頼耶識の生み出した世界を認識している(人人唯識)。
他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは、
他人の阿頼耶識の中に自分と共通の種子(倶有の種子)が存在するからであると唯識では考える(これはユングの集合的無意識に似ていなくもない)。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 00:10:05
霊は無いとか関係ありませんよ。しかも仏は例外(笑)
空 (仏教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
関係性によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという「ユニークな実体」(=自性)はない事を明かしている
(最高の仏である如来は「自性輪身」(三輪身の一つ)と呼ばれ、自性であるとされている)。
これによって、縁起によって全ての存在は無自性であり、それによって空であると論証しているのである。
龍樹の空はこれから「無自性空」とも呼ばれる。しかし、これら関連性は現象面を人間がどのように認識するかとは無関係のものである。
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 00:13:07
だから何なの?馬鹿なの?
阿毘達磨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
対法と訳される。これは、原語を abhi-dharma と見て、「法(この場合、存在現象)に相対する」という意味になる。
後述のように主に存在現象の分析により、それに対する執着を捨てようとしたことから名づけられた。
論と訳される。これは、原語を「教法の究明」と解釈して、こう呼ぶ。
釈迦の没後、その教説は経や律に集成されたが、次第に整理され、
教説の解釈・注釈・理解などを通じていくつかの学説に発展したが、このような究明を阿毘達磨という。
その特色は教説をあらゆる角度から分析的に説明することにある。
部派仏教時代には、とりわけ分析的煩雑な論書の作成が多く行われ、
現在ではスリランカの南方上座部と文献がもっとも多く漢訳された説一切有部に属するものが多く伝わっている。
スリランカの上座部は、論蔵をもつが、それは『法集』などの7つの論書でできており、さらにこの論書の注釈書が作成された。
説一切有部では、『六足論』と『発智論』の7つの論書を論蔵として、多くの注釈書が作成された。
いずれも、分析的研究がすすみ過ぎてしばしば煩雑になりすぎ、釈迦の真意から離れることもあった。
・現在の浄土真宗の教義
・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
・本当は死ねば終わりなのだが、それでは宗教法人として認められないので、方便(嘘)で浄土をたてている
・『浄土は本当にあるのか?』と返答を迫られた場合には、『あるとかないとかの二元論思考は間違いだ』とか、
『死んで帰ってきた者などいない、よって死んで見なければわからない』と答えることにしている
・仏様とは物理法則のことである
・迷信の根源が霊魂不滅の輪廻転生思想である
・宿敵はオカルト親鸞会である
・「霊魂は三世を通じて存在するものである」というような信仰を持つ仏教学者は、
「時代遅れなんだよもっと本を読め、ばか」と糾弾されるべきである
・浄土真宗アンチは、全員下品である
・浄土真宗アンチは、すべからく読解力を身につけるべきである
・空気がオカルトか?風が迷信か?精神は?現在科学的に説明できるものだけが真実、そんな人間を智慧もない無明というのである
(注意:ここで言う精神とは霊のことではありません)
・Wikipediaとやらはインチキであり、信用に足るのは岩波仏教辞典のみである
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 00:29:31
現在の浄土真宗の教義
・人間死の縁は無量。永遠に変わらない我即ち霊魂は存在しない。縁としてある。
・今、この現在に永遠の過去と未来がある。今、今の連続である。
・阿弥陀如来は空、縁起の別名
・葬式は故人を偲び追慕の思いを新たにその業績をたたえるとともに、また仏縁に遇う縁となる。
・葬式は己の死を学ぶ場である
・無意味であるものは何もない。
・法事は、故人の威徳を偲ぶとともに生きている人間が仏縁にあう場でもある
・仏壇に手を合わし仏名を称える身になった事実に驚くばかりである。これが本尊であり本当に尊い事である。
・墓はあってもよし無くてもよし、散骨してもよし
・占い、迷信、オカルトなどを信じ鬼神につかえることなかれ。鬼神の正体は己の欲であることに気付け。
・夢は深層心理のあらわれである。
・名号の働きを念ぜよ。
・報恩講などのお布施は、有意義につかえ。第一は仏法相続のために使え。
・本当は娑婆の縁つきれば浄土に往生するのだが休む暇はない。迷いの世界にもどり縁ある有情を救う働きをする
・『浄土は本当にあるのか?』と返答を迫られた場合には、縁としてあり、縁として無いと
答えることにしている
・仏様とは真理に目覚めた者、自覚覚他
・迷信の根源が真理を知らない無明でありこれによって輪廻転生思想が生まれるのである。
・宿敵は無明、真理をしらないことである
・「永遠に変わらない霊魂は存在しない」、永遠に変わらない我、霊魂があるという無明の考えによって
輪廻がうまれる。
・浄土真宗は親鸞聖人によって体解され開顕されたところの仏教である
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 06:28:11
ここは単語をwikiで調べるスレッドなの?
そんな初歩的ことじゃなくてもっと真宗の根本の問題を意見しあえたら
いいんだけどな
親鸞聖人の真諦とそれ以降の子孫による真俗二諦の問題や
宿業の問題とかね
>>984 なら馬鹿にでも判るようにかみ砕いて教えろよ
真宗坊主しか判らないような言葉ならべて理屈こいても一般人は「???」なんだよ
>>985 ここは真宗がいかにカルトであるか話し合うスレッドだと思ってた
987 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 11:42:29
>>985 >真宗の根本の問題
布教師の能力がカルト親鸞会以下、ってところだなw
>親鸞聖人の真諦とそれ以降の子孫による真俗二諦の問題や
>宿業の問題とかね
どういう問題でしょうか?
詳しく教えてください。
989 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 14:29:36
>>986 一般人は「???」なんだよ×
俺が「???」なんだよ○
答え
俺が「バカ」なんだ
990 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 16:15:15
>>989 君は門徒のじいさん、ばあさんに
>>982を説明してきなさい
「はぁ〜?」
って反応で終わると思うw
>>989 これが真宗坊主の正体です
聖職者ぶってても所詮これです
992 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 19:51:04
>>986 とんでもない。誰でも判るように教義を語ったら、門徒がみんな逃げてしまうじゃないか。
>>990 それがさ〜じいさん、ばあさんは意外と本質わかってんだよな。
ここにいる「バカ」と違ってさ
994 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/13(水) 21:39:52
>>993 ああ、よくある若い真宗の坊さんの勘違いだね
坊さんが帰った後で「あれ、何いっとっただ?」「さあ?」
って話されてるぞw
アカ坊主など百害あって一利なし
>>994 あるあるww
爺さん、婆さん「毎度毎度説教してくけど何言ってるかわかんないねぇ」
息子「俺もわからんね」
孫「どうでもいい。というか法事うざい」
>>996 そういう○○のために親鸞会があるから大丈夫ですよ
門徒を馬鹿呼ばわりとか何様のつもりだ
八万の法蔵を知るというとも後世を知らずを愚者とす
たとい一文不知の尼入道なりというとも後世を知るを智者とすと言えり
1000ゲットなら真宗禿は皆改心
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。