【総本山】 高野山真言宗総合スレ拾参【金剛峯寺】

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136ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y
>>133
私は色即是空 空即是色についての空は、『空虚な、実体のない』という意味ではないように思います。

色即是空 空即是色
についての空は、素粒子のレベルでのエネルギーの変化が無い状態。

色即是空 空即是色
についての色は、素粒子のレベルでのエネルギーの変化が有る状態。

例えて云うなら、器に水が入っていて、風も吹かず器も静止している状態の水が空で、
風が吹いたり、器が振動していて、水面が平らな状態でない水を色という、
と思っています。
このように考えたなら、ビックバンの発生も理解できます。
素粒子の分野を考える時、霊界及び霊体をも視野に入れた考察ということになります。
目視で、水面に波が立たない状態なら、何も無いように見えますが、波が立った時水が
あることが分ります。
そういう事を、色即是空 空即是色 と説いていると私は考えます。
往々にして、一部を観て全体と思いがちですが、目隠しをして象を確認する為に触れたと
した時、ある人は象の鼻に触れて此れが象と思い、ある人は足に触れそれが象と思い、
またある人は牙に触れて象と思う。
それは間違いではないのだが、象の全てではないので、象といえるかどうか、、、、
137名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:17:44
もし霊が素粒子だったら、いずれ悪霊は物理的にやっつけられそうだ
138名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:20:30
>>136
そういうことをお聞きしているのではなくて
色即是空の『空』はサンスクリットの『sunya』の訳語だと思いますが、
その『sunya』は『空虚な、実体のない』という意味ではない、ということですか?
とお聞きしているのですが。
139ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:23:57
>>138
単語の意味は御自分でお調べ下さい。
140ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:33:27
>>137
そうですね、念もその分野でしょう。
霊体が素粒子で構成されているならば、多少でも質量があるわけですから、
微小なエネルギーも持っていることになりますね。
その霊体のエネルギーが生きている人間の脳によからぬ影響を与えたなら
霊障という現象になると考えます。
これからの、スーパーカミオカンデ実験の将来に期待したいところです。
141名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:35:58
>>139
ですから、私の調べたところでは
色即是空の『空』はサンスクリットの『sunya』の訳語であり、
その『sunya』は『空虚な、実体のない』という意味である。
ということなのですが
あなたは『空』は『空虚のことではありません』ということなので
それならば
・色即是空の『空』はサンスクリットの『sunya』の訳語ではない。
あるいは
・『sunya』は『空虚な、実体のない』という意味ではない。
ということになるので、そこであなたに
・色即是空の『空』はなんという語を訳したものか?
それが『sunya』ならば、それははどのような意味なのか

とお聞きしているのです。
(もともとのお経が漢字で書かれていたのではないということは
ご理解していただけますでしょうか)
142名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:38:59
答えられず逃げたか。
ちゃんと眞別所で勉強しなかったから、漢字の意味だけで教旨を学ばず解釈する擬似科学信奉者地味た話しか振れないんだ。
空の解釈、>>139のレスにてランボーが逃亡したので
今回はランボーの敗北。
143名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:43:30
>>136
で般若心経が素粒子の状態を説いているとして、それが何なの?
144ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:44:40
>>141
私は学者ではありませんので、誰がどう訳そうと自分には興味がありませんし、答えようがありません。
自分の考え方の方向性を下記に記しましょう。

空海師と最澄師の経の解釈の仕方の違い
空海師の一切経開題という文章を見ると、経典に対して空海師が一切の想念は本心より生じ、本心は主であり、想念は客である。
心を本心と想念とにわけ、本心が主なるものであるにも拘らず、想念が主であると勘違いして想念が自分の心だと思ってるが、本心が自分の本当の心なのだと云われている。
そして本心を仏心と云っているのです。
仏心とは悟りのことで、その心の本心を知る事が悟りであるとの認識していたことが分る。
つまり空海師は経典を読みはするが、叙述はたどってはいないように見える。
空海師は般若心経から何の教義も引き出していないようにみえるからだ。
然るに思想は経文の中になく、むしろ空海師の側にあると考えるのが妥当ではないか。
経典の 内容は解釈によって定まり、解釈はその思想によって定まる。
従って般若心経の内容などというものは存在しないとさえとれる。
あるの は読んで得た理解だけであろう。それなのにどうして経典の注釈が書けたのか。
いや、書かなかったのではないか。般若心経秘鍵は注釈なのだろうか。
もしかしたら、当時の政治的配慮がなされてのことなのだろうか。
この般若心経を読んで判つたと思う人が居るのだろうか。
判ったという人が居るなら、それは少なくとも自然に生まれた解釈に賛同しただけではないのか。
悟りという言葉をよく使う人が居るが、どう定義して使っているか興味のあるところでもある。
注釈≠解釈
145名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:45:22
よくまあ、知らずに空の意味なんて書いたもんだ。
ランボーは恥ずかしくないのかね?
146ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:46:04
前項で覗えるように空海師は経を包括的に取り込み、その解釈により個々の句が表すものが異なってくると
云っているようで、人それぞれの身丈に合った解釈もありうると述べているように思われる。
超簡単に表現すると、例えば赤ちゃんの足と大人の足では使い方が異なる。
赤ちゃんは、這い這いする為に脛を床につけて這ってあるく。
大人は足の裏を床につけ赤ちゃんの何倍もの歩幅で歩く。
その時、手を考えた時、赤ちゃんの手は上体を支えるために使用し、大人の手は歩行時の重心のバランスを
とるために使われる。
目線もしかりで、異なる視界を認識している訳である。
その事は空海師の行動にも出ているようだ。
空海師が自分の大日経研究の正しさを確かめることのみの為に渡唐したのかもしれないのに、虚空蔵菩薩
求聞持法を修法していたが故に仏に惹かれ導かれ密教に遭遇し移行したのは偶然とは言えず必然であった
と考える。
それは霊界からの指図と本心(仏心)が共鳴して、没頭して言ったとみることができる。
我々は往々に自分の考えで行動しているように思っているようだが、本心が霊界の情報を無意識で感じ取り、
記憶の底にある前世の生き様のレガシーが今の自分の行動に大きく作用している事を認識する必要がある
ように思う。
147名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:48:09
>>125
しかも地蔵に阿弥陀の表白。
148名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:49:51
>>146
ランボー法師さん、グンダリ明王の御真言は、
オンアミリテイウンハッタ
でよろしいでしょうか?
149名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:52:05
>>140
考えてみると、念+素粒子とすると、可能性として素粒子は
意思を持っているかもしれないですね
150ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:53:00
>>143
御自分で考えなさい。

>>145
私が理解しているのか、知っていないのかは住民がそれぞれ考える事。
アンチの私の意見に対しての書き込みが全て否定のみで、的確な理論が
無いのも、脱帽ものですね。

>>147
お参りに参列して、六感全てを使って感じ取れない者には、特に霊感の無い
酉頭には理解が無理と思われますよ。
まあ、私の次第も理解できないし、反論も出来ない人ですから。
151名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 20:53:00
>>144
誰もそんなこと聞いてないよ
152141:2008/10/21(火) 20:54:07
>>144
もともとのお経がどのようなものであるか、ということには興味がない
ということは理解いたしました。
人それぞれ、お経に対する考え方があるとは思います。

ちなみに私は、
『空(sunya)』は『空虚な、実体のない』という意味であるが、
文としての「(色)とは実体のない(空虚な)ものである」
とはどのような意味であるか、
それは各自の解釈の問題であろうかと思います。
153ランボー法師 ◆uIU6J7Th0Y :2008/10/21(火) 20:57:16
>>148
その通りです。


>>149
そうですね。
それにしても、意思とは不思議な感じがしますね。
霊体にも感情がある事を感じ取っていますので、ますます不思議に感じます。
154141:2008/10/21(火) 20:59:44
と言うか
『(色)とは実体のない(空虚な)ものである』
をどのように解釈するかと思索することが行なのだと思います。
155名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:02:09
>>148
>>153
軍茶利明王の真言は、

オンアミリティウンパッタ

じゃないのか?間違ってない?
156名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:18:38
>>154
そのようなまともな話はここでは無駄だから。
157名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:26:10
>>84
>きみは、ばかの二乗バカだから分かたないの。
「分 か た な い」って何?
158名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:26:14
>>128
> 赤本で調べて、難しそうな言葉を書けば、詳しい人と思われるとでも思って居るんかな?

じゃあちゃんと解説してみろよ。

(・∀・)ニヤニヤ
159名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:28:45
>>128
> > 流水灌頂を>>116の市街地のど真ん中でどうやってするんだろうねえ?
> 寺に来たら分る、ただし永代供養を申し込まねば入れないがね。

やっぱり流しそうめんの装置でするのか?
それとも観想?

( ´,_ゝ`)プッ

補足説明:
恥ランボーはマイナス16℃の凍った滝場で「観想」で滝行。アホか。
160名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:33:42
>>141
あんた、少しでも 空 を理解しようとしたら
空虚 などという意味には捉えないよ。(仏教の空の場合)
あまりにも勉強不足。
仏教での空は極めて積極的・肯定的な意味も持つ。
161名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/21(火) 21:40:51
>>136
> 色即是空 空即是色
> についての空は、素粒子のレベルでのエネルギーの変化が無い状態。
>
> 色即是空 空即是色
> についての色は、素粒子のレベルでのエネルギーの変化が有る状態。

おまえそしたら「受想行識亦復如是」はどうするんだよ?
空と色が状態のことを言ってるなら、
「>エネルギーの変化が無い状態。」に対する「受想行識」は?

おまえ、もしかして般若心経暗記してない?
般若心経を数多く唱えることの意味には、解説書を読むときに般若心経を
思い浮かべながらだと理解の助けになる。おまえのこの部分のレスに般若心経を
把握してないことが丸わかりと言うことが、判るが、

おまえ、もしかして般若心経暗記してない?

( ´,_ゝ`)プッ