1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
寺社から古代を語りませう
wiki 地蔵菩薩より転載
古代インド王の転生
過去久遠の昔、インドに大変慈悲深い2人の王がいた。一人は自らが仏となることで人を救おうと考え、
一切智威如来という仏になった。だが、もう一人の王は仏になる力を持ちながら、あえて仏となることを拒否し、
自らの意で人の身のまま地獄に落ち、すべての苦悩とさ迷い続ける魂を救おうとした。それが地蔵菩薩である。
地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、
苦悩する人々の身代わりになって救済するという説話が多い。
原初の地蔵を要約すれば「地に下り人々を救済する菩薩」、
なんだか地蔵菩薩を本地垂迹で権現させたらなら、
あの有名人しか考えられないね。
古いよね確かに。
通説の地蔵は矛盾だらけ
あれに納得出来るなんて幸せだよな
愛宕=地蔵=観音
愛宕観音は古いよね
ひろゆきって神だよね!
神社作りたいね
「支払能力の有無に関わらず払う気はない」
「(2ちゃんを取り締まるのは)日本の法律のほうが悪い」
「うそはうそであると見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」
ルール万歳!
ひろゆきの2ちゃんなのにここんとこ固い人多いよね
私の本分はこれ↓
京都 自称総本社 愛宕神社
http://www.kyoto-atago.jp/ これからも神社の為にがんばりましょう
地蔵を掘る石工の元祖は
九州を中心に作られた朝鮮式山城まで遡る
寺礎石や古墳はそれと同時期に始まった
石需要の衰退により盛んに地蔵を掘ることとなる
日本の石工ですが戦国時代までは長い間の中断が続きますね
その間の命脈を長らえた糧はやはり仏像以外考えにくいですね
現在の日本では救済仏は、阿弥陀如来が一般的ですから、
同様に救済仏である地蔵が、阿弥陀と並立で広がり、
信仰されたとするのは考え難い事です。
安置されている場所も極めて相対的で、
本堂の奥深くに丁重に置かれる阿弥陀と、主に外に置かれる地蔵では、
性格も普及した経緯も、違うものであったと考えるべきでしょう。
浄土浄土真宗の全国的な広がりは、室町や江戸期になりますから、
元からあった地蔵に、後から阿弥陀が広がったと考えるべきでしょう。
すると地蔵は鎌倉以前の広がりであると想定できるのです
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/09/22(月) 16:02:29
地蔵を含めた石仏類が神秘性を秘め地道な信仰が続いているにも係わらず
寺仏とは政府の待遇が全く違う事はご存じですか?
あの有名な臼井の石仏にして1995年にやっと国宝に指定された程で
現行仏教に比べて虐げられた石仏と見ることができる
臼井磨崖仏は修理すらままならず放置されていたそうですね 作られた時期すら解りませんし
国宝に指定されるような仏様なんですが
磨崖仏は三尊形式だから古いだろうよ
地蔵信仰や塞の神や岐の神や猿田彦神と習合した道祖神は、
「日本書紀」には分岐点の神である岐神(ふなどのかみ)として登場し、
「宇治拾遺物語」巻一に載せられた、五条道祖神と好色の僧道命に
まつわるエピソード等、古くから認識された神です。
やはり現代のように主流仏教よりも格下扱いですから、
その当時から虐げられた、旧宗教と考えてよさそうです。
これだけ長い間時間が経ても、未だ石仏として信仰されているのですから、
余程人気のあった宗教だとしないと、虐げられながらも信仰されて来た理由となりません。
島根県には極端に少ないそうですね道租神は
島根出雲の場合熊野大社と出雲大社と云う明神大社が古来より力があり、
周りを固める神社の多くもその2社となんらかの繋がりがあるようです。
現在道祖神は猿田彦と同神と扱われるのですが、
その猿田彦は出雲大社の摂社の一つとして扱われるように、
出雲とは非常に繋がりの深い神社です。
京都でも出雲路神社との名前で猿田彦が祀られています。
仮に猿田彦がスサノオや大国主の近親としたならどうでしょうか、
わざわざ猿田彦を幾つも祀る必要が無くなる訳です。
書記にも書かれる様に、大国主に幾つも別名がありますが、
既に別名で出雲に祀られているから、道祖神で改めて祀る必要が無いのではないか、
とも考えられるのです。
記紀の記載された神も多くは分身で別名を持っていますから、
それぞれの地方で分布がまばらになっても、別名で祀られていたりするんですよ。
もしかしたら大国主が猿田彦なんて事もありえる訳ですね。
記紀の捏造のせいで神々はかさ増しされて
人気の高い神は名を変えさせられた
どう考えても聖徳太子は各地で祭られるべきなのに
法隆寺で刀を突き刺されて封印されていた
地蔵が誰だなんて簡単だよね
そういえば太子も中国から菩薩扱いされてたな
海東の菩薩天子
太子を崇める民間伝承も数多い
これだけの有名人を庶民がほっとかないよな
あんな村外れの路傍に崇拝すべき地蔵菩薩を置くなんてどうしてなのか
立派なお堂の寺の外にこじんまりと地蔵菩薩を置くのもどうしてなのか
同じ仏教にも順序がついていて意図的であるって事
禁止とまではいかぬとも虐げられた神仏って事
地蔵は胎内とも訳せますから男仏と限らず、秘められた歴史を隠す隠語なんですね。
木製や鋳型の仏像のルーツは国内で辿れるが
石像だけは海外を辿らねばならず
国内の歴史の経緯は抹殺された疑いが強い
史料や構造物の多くを抹殺された九州王朝ですが、それでも考古学資料が大変豊富で、
各地に寺築造の礎石や礎石跡が沢山残っています。
朝鮮式山城や水城の石垣等々も、明らかに九州に偏って同様の傾向が見られます。
実は我が国石加工の元祖は九州にあったのです。
それに比べ奈良畿内の古代石加工は貧弱で、寺礎石や飛鳥の奇石も、
実は遠く九州から運ばれたもで、有名な古墳石棺と同様なのです。
その為時間と共に、奈良時代以降の石加工は継承活用が滞っていくのです。
隠された歴史を詳らかにしないと、理解できない事は大変多いものです。
地蔵菩薩は最も弱い人々を救済する仏
大野城の石は記紀じゃとても説明不可能
地蔵という仏が石でばかり作られる理由をちゃんと聞いたことがない
突っ込み放題の片手落ちの説はよく聞くけど
あーコイツと話しても埒開かないだろうなって思うよな
地蔵を本尊とする寺って殆ど無い
こんなに人気があるのに
奈良の都に全く無い石垣が何で九州の大野城あたりにだけあるのか
地蔵さんはどの辺から彫られ始めたのか
充分条件で推定出来るよね
九州時代の多くの石工達は、奈良遷都後にあの大規模古墳建設に動員されて、質より量の粗雑な技法ばかりになった。
開放されて地方に広がった人々が地蔵を作った訳ね
地蔵→山岳宗教→天狗
虐げられたもの繋がりは大変多い
続日本紀 聖武天皇 天平元年四月三日
内外の文官・武官と全国の人民のうち、異端のことを学び、幻術を身につけ、
種種のまじない・呪いによって、物の命を損ない傷付けるものがあれば、
主犯は暫刑に、従犯は流刑に処する。もし山林にかくれ住み、偽って仏法を
修行するといい、自ら教習して業お教え伝え、呪符書いて封印し、薬を調合
して毒をつくり、様々のあやしげなことをして、勅命の禁じることに違反す
る者についても、その罪は同罪である。その妖術・妖言の書物については、
この勅が出てから五十日以内に自首せよ。もし期限内に自首せず、後になっ
て告発さえた場合は、首班・従犯問わずすべて流罪にするであろう。その告
発した人には絹三十疋を賞として与えるだろう。その絹は罪人とされた家か
ら徴発する。
奈良時代には朝廷の意に背き、既にあった山岳宗教に加わる人々が沢山
居た訳です。これは山岳宗教の史料としての初出すが、その前の時代か
ら山岳宗教やそれを作った一派が存在した事を表します。
地蔵や愛宕も山ばかりにあり、虐げられて来たようです。
この時代未だ東密も台密も無く、それ以前の山岳宗教である事が味噌。
もともと山だった訳じゃないのに追い出されたね
スレタイがぜんぜん違うじゃん
小学生じゃあるまいしどこのどうゆう基準で重複なのか言えば
少し似てるだけなら幾らでもあるだろ
2ちゃん基地外でもなきゃスレが無くなって困る訳じゃないし
スレが無くなれば又それで作ればいい
ひろゆきが堅いルールを好んでいる訳無いだろうけど
いろんな奴がいるからなw
嫌がらせや陰口を叩き始めた奴は退化が始まった奴で
進化途中の人が羨ましくてしょうがないらしい
学校の成績でも伸び悩む子の比率が圧倒的に多いらしいよ
>>36 あほ?
少し似てるじゃなく、少し違うだけだろ。
スレの内容は同じ。
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/09/30(火) 20:03:03
↑キャップ貼って文句言うなら聞いてやるぞ!
後は荒らしと判断していいらしいぜ
荒らしじゃ無いなら大人しく訴えて黙って結果待てよwwwww
さて?似てるだけでどう取り締まるのやら?荒らしでも本物でもお手並み拝見といきます!どうぞ潰せるものなら潰してください
>>32 山岳宗教の人達と、平城京の人達では習俗も異なったわけだ。
中国の古代の寺って殆ど山にあるから
奈良仏教が平場にあるのはどうもね
奈良平安仏教が庶民へ広がらないあたりもイレギュラーに感じる
奈良の少し前、中国は南北に別れていて、仏教様式も違いますから、
元から入っていた仏教を南朝依りとすれば、この奈良時代の仏教対立を、容易に理解できますよ。
そうそうこの辺の時代は中国とリンクさせれば日本の流れもよく読める
愛宕が虐げられた神なのは、かなり遅くに移設されたと考えられる事からも説明ができる。
京都の総本宮と言われる愛宕神社は延喜式に無く、辻褄合わせでその前身とも言われる亀岡の愛宕神社は、
延喜式にはあるが権威低くく、どちらも名前に合うような宕=岩屋の形跡が全く無い。
たぶん畿内以外のある岩屋から山岳宗教の容認ともに移設され、移設元を隠したようだ。
言葉は正直ですからなかなか隠せません。
京都周辺に移設された神社の多くは
岩清水八幡宮初め結構遅い移設ですね
時間差に政治的立場が見え隠れします
すべての神社は北九州から移設されました
山背は山の後ろの国ですから神社の創始が此処ばかりなのは辻褄が合いません
山の表の倭の国も春日大社や大神神社等有力社の移設が確実ですから
残った貧弱なラインナップは数に入りません
神社の由緒には記紀とは違う歴史が書かれている事も稀じゃありません
賀茂神社が京都のあの方角のあの場所にあるのも、遷都の度に移動した紛れもない証拠。
ちなみに賀茂の神様はあの古代有名人の別名。
記紀が真実なら奈良に神々の原郷があるはずだけどそんな説すら聞いた事が無い
ほんとだよね
その話が出ないって事は
みんな記紀なんて信用してないって事だよね
岩屋も無いしとってつけた場所に移設してあるから辻褄合う訳無い
賀茂と上と神って同じなんだろうな
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/05(日) 16:14:11
賀茂と銅鐸の一致は祭司に使われてた証拠
銅鐸は通説程古い訳無い
荒神谷は新しいもんね
荒神谷の年代測定について何もコメントしない人は
時代設定に口出ししないで欲しいよね
夢想年代で議論すんの止めないとね
銅鐸は大きな朝鮮鐘の先行バージョンで九州王朝の頃はやったんだよ
いったい何処に神代に使われたなんて証拠があるのよ
神代に青銅器があったら
神社の道具もみんな青銅器と鉄器だよ
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/17(金) 19:52:02
神様もいいとこ紀元後
立派な神様なら外交位出来るだろうよ
日本の神は日本のフロンティア
タタラは熱測定できるのに殆どしてないな
都合の悪い調査はしないのさ
タタラの測定値は大概が5世紀以降だな
そうそう神代にタタラがあったという測定値は無いに等しいんだ。
科学もかなり躊躇しつつ結果が出てきているが、通説を補足するのはかなり難しいね。
結局妄想の先走りが強すぎるのかな。
通説が無理矢理なんだ
愛宕神は江戸期に再興したよね
なんだか江戸時代は、儒教とごちゃ混ぜになって、神社人気が高まったけど、捏造偏向が酷いよね
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/31(金) 08:17:50
垂加神道 山崎闇斎
と言いつつ朱子学の儒教だったりする
中国流権威付けが明治迄続くって事
中国と違うのは由緒のいい加減な権威が多い
あっちはどれもある程度の記録が残っている
そうだよね
何で権威かわかんないよな
天照と持統って似ててただ相続しただけなんだけどかなり偉いんだ
宗教にとって江戸時代の弊害は大きい
馬の骨家康の大義名分の為権現なんていう定義付けができた
これじゃ昔の宗教の形もはっきりしないわな
古代の神々迄家康様にならって権現として扱われた。
大国主も神功皇后も家康も同列って事
東照宮って何だろね
いえやすを日神と祭った場所
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/10(月) 17:37:30
結局寺も神社も中国南朝なんだよな
中国の前方後円墳も南朝周辺にたくさんあるよな
インド発南朝経由多いよね
あんまし南朝の資料ってないね
そうだよね
84 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/22(土) 12:54:42
いまや中国から仏教を輸入したなんて死語でしょ
当時とは違う人種の違う言葉を話す人達はもう日本と同じ仏教を保存すらしてないからな
よく中国や朝鮮が日本の先生なんて言うけど
大陸は古代から北方人種の流入が顕著で昔と同じ人種と言うのも無理がある
それに古代漢民族の風習は日本にばかり残ってるからどっちが本家なのか解んなくなるな
本家代わりした方がいいでしょw
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/27(木) 17:11:02
徳川ご推薦の神明神社は江戸以降新田開発した所に多い
又徳川色の強い地域である天領や譜代親藩の所領にも多い
当時の政治色がくっきり出ている
神明様は城下町にもおおいですよ
熊野も何故か徳川御推薦
それも紀州ばかりで出雲は除く
熊野川を遡った神武の辻褄あわせだな
徳川は記紀に異常に執着して国学の捏造は奨励したからな
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/12/11(木) 17:20:07
あの時代色んな学問や出版が弾圧される中、国学だけが無傷で面白い
復古神道とかいいつつ捏造記紀を真似たから
新たな神道を作った事になる
命名するなら徳川神道だな
記紀を真実と思わなければならないほど研究不足だったんだね
捏造史書だということは充分解っていた筈だ
一番捏造したのは明治政府だけどね
明治政府ってなんなのよいったい
家康は日光権現 伊勢は天照 日神で同じなんだな
まことしやかに伝わる寺社由緒の多くが江戸以降のコジツケだから良く吟味しないとね
江戸時代神官より人達が神道を擁護崇拝する理論を言うのは当たり前
それに載った人達とその意図が問題だよな
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/04(水) 22:12:02
現在の日本では救済仏は、阿弥陀如来が一般的ですから、
同様に救済仏である地蔵が、阿弥陀と並立で広がり、
信仰されたとするのは考え難い事です。
安置されている場所も極めて相対的で、
本堂の奥深くに丁重に置かれる阿弥陀と、主に外に置かれる地蔵では、
性格も普及した経緯も、違うものであったと考えるべきでしょう。
浄土浄土真宗の全国的な広がりは、室町や江戸期になりますから、
元からあった地蔵に、後から阿弥陀が広がったと考えるべきでしょう。
すると地蔵は鎌倉以前の広がりであると想定できるのです
阿弥陀の人気は室町以降だな
阿弥陀くじ
阿弥陀に騙されたのよ
アブダカダブラに似てる
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/28(土) 13:03:01
Abracadabra
今の仏教は変わり過ぎたよ