☆臨済宗・僧侶の暗部☆

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1名無しさん@京都板じゃないよ
臨済宗の僧侶って、仲間の坊さんの足をひっぱるのやいじめるが好きな人おおいね。君たちが臨済僧侶にされた、嫌な事かたろう!
2名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 06:57:02
本人の居ないところで、有りもしない、または悪意をもって誇張された悪い噂をひろめる法類。法類の悪口を言ってるとき、不気味に顔をいがめて、本当に楽しそうにもりあがる、和尚。
3名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 07:01:28
嫉み、嫉妬により、目下の者をいじめる人おおい。いじめられなくてよかった。曹洞宗の寺に生まれて!よかったーーーーー!
4名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 07:32:21
臨済宗の腐敗の種は、教区、法類の間での、寺院の大小、収入などでの、嫉妬と僻み。でも臨済は、教区、法類は村、隣組であり、お互い助け合って、つきあわなければ、ならない。そこで嫉妬している、奴は影で足をひっぱるんだよ。
5名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 10:24:31
臨済宗の僧堂・教区いじめの特徴 
僧堂・教区でのいじめ・嫌がらせの大きな特徴は、仕事上の指導や
注意を装った形で行われるということです。
自分は間違っていないという自信を持っていても、何度も何度も仕事の内容や
ミスを批判され続けるとその自信を失ったり、仕事に対しての意欲を失ってし
まうでしょう。

しかし、問題は加害者にあることを忘れないで下さい。
完璧な人間など存在しないのですから、多少のミスや苦手な仕事があるのは当
たり前です。
僧堂・教区いじめはそれらを必要以上に強調し、周りの人たちの評判を落としたり被
害者に自身を喪失させることを狙って行われるものですから、言われたことを
必要以上に気にして自分を責めてしまわないようにしましょう

6名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 13:23:04
正木組は福井県敦賀市に本拠を置く山口組系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の2次団体。

歴史
1989年、五代目山口組舎弟・中谷利明(中谷組組長)が引退し、中谷組も解散した際、正木組組長の正木年男が五代目山口組直参に昇格した。六代目体制では2006年11月に若頭補佐に昇格した。

歴代組長
初代 - 正木年男

最高幹部
組長 - 正木年男(六代目山口組若頭補佐・中部ブロック長)
若頭 - 大城(正竜会会長)
他不明
7前スレ920:2008/06/17(火) 14:30:36
☆臨済宗・僧侶の陰部☆かとオモタ
8名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/17(火) 16:06:56
>>7

> ☆臨済宗・僧侶の陰部☆かとオモタ


仲間w
9名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/18(水) 14:05:05
罰警(ばっけい)
あ〜思い出したので忘れないウチに書きますね。
でも背中は覚えている(^^)
禅堂では「罰警(ばっけい)」と言って、何かよくない事をした人には、警策(座禅の時、背中を叩く棒)で片肩30発、計60発背中をシバク罰があります。
叩く方も一苦労?。
テレビで見る座禅の風景や一般の人相手の座禅会では、大きい音の出る軽い警策を使います。
パ〜ンと2発ずつ背中を叩いているのを見ますね。
気持ちの良い大きな音がします。
叩かれている方は、音のわりに痛くないんですよ。
しかし禅堂では、思いっきり叩きますので、軽いのではすぐ折れる。
だから特注の「樫の木」で出来た重たい棒を使います。
考えただけで怖〜いですよね〜。
もっと怖いのは、折れると勿体無いという理由で、持つ手の方でシバク時がある。
持つ手は持ちやすい様に、太くなっている。
折れにくい・・遠心力で強く叩ける・・空気抵抗が少ない・・・さ〜すが先輩雲水さんはカシコイ。
憎い程カシコイ(^^)。
因みにガムテープで補強する禅堂もあるんですよ。
ある日、托鉢に行って帰った時です。
副司さんに呼ばれました。
副司さんの部屋に行きます。
「お願い致します。○ソ、只今参りました」
当時、私の名前は今と違う名前でした。
師匠が違ったんです。
今まで4人の師匠に付きました。
この師匠が変わった理由も面白いエピソードがありますので、その内ご披露しますね。
まるで「おしん」の世界でしたね〜。
そう、そして出家者は2文字の僧名があります。
これが戒名になるんですが、その下の字を呼び名にします。例えば准正なら「しょっさん」。そして自分を言う時、また下の字で「しょっ・そ」 「そ」、が付くんです。
ふすまが開きます。
副司さん、厳めしい顔です。
「低頭!!!」
10名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/18(水) 14:05:33
あちゃ、何??? 瞬時に板の間に土下座です。
それから延々5〜6時間土下座です。
雲水は着物の上に衣を着て、腹には太くて長い腰紐っぽいのを巻きます。
太さは4cmぐらいあるかな〜長さは輪になっていて、伸ばせば2m余りぐらいあるか。。。お腹の所で水引みたいな感じで結びます。
だからお腹が苦しい。
おまけに暑い夏でした。
顔はムクムし、汗ダラダラ。
板の間だから足が超痛い。
板の間に汗溜りが出来ます。
理由は托鉢の時、列を乱し前の人と話しながら歩いていた。
それを住職(老師)に見られてしまったんです。
雁行といって真っ直ぐ一列で歩かなくてはならない決まりがあります。
住職はタクシーに乗ってお出かけの途中に見ちゃったんですね〜。
わざわざタクシーから電話しなくても・・・(^^;。
5〜6時間経った時、副司さんが「頭をあげよ!」と声が掛かりました。
ふ〜やっと終わったか・・と思うのも束の間、顔を上げた時、暑さと苦しさと顔のムクミを見て、「おまえ寝てたのかっー!!!」って怒鳴られました。。
こんなんで寝れるはずないやんけ〜と思いながら無抵抗の私・・・「踏んだり蹴ったり」の意味がよく解りました(^^)
・・・無抵抗は最大の防御なり・・ねっ!神様!・・。
そして罰警。
これが当たり前ですが痛いんですよ〜〜。
叩く位置は背骨と肩甲骨の間。
考えてみれば警策の幅が広く、どう叩いても骨に当たる。。
叩かれる方も骨が出ないように背中を丸めます。
1発でさえ的に当てるのは難しいのに、30発も連続で叩くと外れまくり。
背骨・肩甲骨に何発も命中します。
歯を食いしばり、拳を握り締め耐えます。
その日から2週間程、背中が腫れて痛くて仰向けで寝れませんでした。。。
11名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/18(水) 16:17:30
暴行罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
この項目は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。
暴行罪

法律・条文 刑法208条
保護法益 他人の身体の安全
主体 人
客体 他人の身体
実行行為 人を傷害に至らしめない程度の暴行行為
主観 故意犯
結果 必要
既遂時期 暴行行為を行った時点
量刑 2年以下の懲役、50万円以下の罰金、拘留、科料
未遂・予備 なし

暴行罪(ぼうこうざい)は、刑法208条に規定されている罪。刑法第27章「傷害の罪」の中に規定が置かれ、広義の傷害罪の一種である。

暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときに暴行罪となる。法定刑は、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料。

特別法による加重類型として、暴力行為等処罰ニ関スル法律の集団的暴行罪(1条)・常習的暴行罪(1条の3)・集団的暴行請託罪(3条)、決闘罪ニ関スル件の決闘罪、火炎びんの使用等の処罰に関する法律の火炎びん使用罪などがあり、単なる暴行罪よりも重く処罰される。
12名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/25(水) 14:28:08
形骸化した“葬式仏教”

日本における仏教は、江戸時代の檀家制度によって寺院が民衆を統治・支配する権力機構に組み込まれたことにより、布教を忘れ、民衆救済という仏教本来の精神が薄れ、時代を経るにしたがい、形骸化し、権威化してしまいました。
葬式など儀礼中心の、いわゆる葬式仏教となってしまったのです。
臨済宗はその典型で、形骸化・権威化の旧悪の体質そのままです。
葬儀など、遺族の悲しみにつけいって多額の供養をせびるなど、供養金目当ての“商売”に狂奔する堕落し切った姿は、まさに“食法餓鬼”です。
ところで檀家制度とは、人々を強制的に、いずれかの寺院の檀家として所属させた制度です。
これにより当時の幕府は、人々の統治を容易にした訳です。寺院は檀家制度によって、檀家の葬儀や年忌法要などの儀礼で得られる供養を寺院経営の基盤とさせていったのです。
そうしたなかで、「塔婆」や「位牌」「戒名」などが、その意義や形を変えて寺院経営の手段として取り入れられていったのです。
また檀家制度のもとでは、僧侶が行うのは葬儀・法要などの儀礼が中心で、檀家の信仰心を深めようとする努力は、ほとんどなされなかったのです。
このような歴史のなかで形成されたのが、僧侶の権威を強調し、僧俗を差別する在り方です。
愚かにも臨済宗では“坊主が上で、在家は下”などという珍妙な僧俗差別論にしがみつき、まさに封建時代の遺物と化しています。
大聖人は「僧侶も、尼も、在家の男性・女性の信仰者も、法華経の一句でも人に語っていく人は仏の使いである」(御書1448ページ、趣意)と仰せになり、僧侶も、在家の信仰者も皆平等であることを強調されています。
“坊主”の権威を振りかざす臨済宗は、大聖人の仏法とはまったくかけ離れた邪義を説いているのです。
「大聖人直結」「御書根本」の創価学会こそ、日蓮大聖人、日興上人の教えと信仰を正しく受け継ぐ唯一の教団であり、大聖人の仏法を現代の言葉で語り、現代に生き生きと脈動させているのです。
13名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/01(火) 16:48:22
「立正佼成会の美しい罠」


「立正佼成会組織」とは、現在では 「破壊的立正佼成会」として認識されている。

(それは必ずしも 宗教組織という形態を採らないが)
神道や仏教やキリスト教などの 「伝統宗教」の権威を利用し、それを意図的に 湾曲させたものが立正佼成会教義である。
よってそれは従来の教えよりも 「魅力的」であり、同時に 「効果が大きい」と謳われる。
反面その副作用も指摘され、 依存症や強迫観念に悩む者が 多く発生している。

立正佼成会は マルチ商法や詐欺の手口を集積させて、結果 人の脳を破壊し、組織に貢献させる ロボットにしてしまう。
その手法を称して 「立正佼成会 ・マインドコントロール」という。
その活動は以下の 三つの実践に集約される。

A : 集金  B : 新たなメンバーの勧誘  C : グループの維持

そして 「それらを半端なく全うせねば、家庭・社会・国家・世界の平和境は建設できない」などと 脅す。
「立正佼成会 ・マインドコントロール」を仕掛けられたメンバーにとって、組織外で生命を維持することは ほとんど不可能に近い。


その醜悪さは、つまり 「聖なる神仏を装い、その実中身は詐欺の集積である」ところにある。
それに比べれば 一般の営利組織が持つ 詐欺性は、
「立正佼成会 ・マインドコントロール」よりもはるかに清らかだと言えるだろう。

立正佼成会は 一般社会や政界など あらゆるところにその菌糸を食い込ませ その病巣とし、
また 法律も熟知しているので 追い詰めることは 困難を極める。 その実態を晒し 啓蒙し続けることこそが 社会健全化の一歩と成り得るだろう。

「ご利益や利他や悟り」という 「立正佼成会の美しい罠」に気を付けよう。立正佼成会とは、我々自身の心の、闇と欲望が生んだ、
「汚物」なのである。
14名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/02(水) 16:38:25
暴力団と医師による裁判つぶし
「原発ブラブラ病」だと自ら語った村居国雄さんのケースでは原発社会のドス黒さが垣間見える。
彼は「敦賀原発定検中に約1時間、雑巾で放射能をふき取る作業をしただけで5ミリシーベルトを浴びた」という。
以後、倦怠感から、脱毛、歯がボロボロに欠け落ち働けなくなった。
「岩佐訴訟」と共闘しようと動き出すや、生活苦にあえいでいた奥さんを抱き込み600万円で裁判をつぶされた。
その裁判つぶしに一役買ったのが、阪大病院放射線科の重松教授であり、医師にあるまじきことに、わずか100万円の謝礼で魂を売り「異常なし」診断書を作成した。
後に思い悩み、自殺をしている。
村居さんの訴えは原発下請け会社のビル代行(現・(株)アトックス)と敦賀原発の悪行を社会の表面に引き出した。
前述した北九州市の親方の場合は裁判を起そうとするや暴力団のいやがらせ電話と九大病院放射線科の医師による「異常なし」診断書によってわずか106万円で裁判がつぶされている。
これらわずか数例でも暗く醜い原発社会の裏側が浮き彫りとなる。
最後に生きているうちに労災認定を勝ち取った大阪の長尾光明さんを紹介しよう。
現場監督として浜岡、ふげん、東電福島第一原発の定検工事にたずさわった。彼の「放射線管理手帳」に記載された総被曝量は70ミリシーベルト。
98年に兵庫医大病院で「多発性骨髄腫」と診断され、現在、東京電力を相手に被曝の因果関係を問う裁判を行っている。
15名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/04(金) 16:24:00
特定非営利活動法人一滴の里

団体名称 特定非営利活動法人一滴の里
所轄庁 福井県
法人認証年月日 2002年02月13日
都道府県 福井県
主たる事務所 大飯郡おおい町岡田33字小近谷2の1
従たる事務所
代表者名 森口精治
目的 この法人は、一滴文庫を拠点とし、地域住民と他の不特定多数の市民および団体に対し、行政及び他の文化施設との連携を深めながら、地域の文化・芸術の教育普及、調査研究、さらに情報化、交流促進、文庫支援事業を行い、よりよい風土の形成に寄与することを目的とする。
16名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/10(木) 16:26:28
私は以前、僧堂というところにいた。
そこでは、相撲部屋と同じような暴行事件が起きていた。
仏につかえる身でありながら、殴る蹴るは日常茶飯事。
血を吐くもの、警策(座禅で用いる棒)や木刀、あるいは鉄パイプで殴る。
私も傷跡を残している。
入門から五分の一に減る僧侶。
残る者は、凶悪犯のような顔となっている。
逃げ出す者は当然のこと居り、暴力によって身体障害者となった仲間も居た。
家族からの警察騒ぎになることもあったが、暫くすると何事も無かったかのようにことが収まっている。
長年の関係から、警察とも結託しているのだ。
これは修業世代の人間だけが起こすことではない。
いわゆる、位の高いとされる世代に渡って、堂内差別、脅迫、金銭の窃盗や資金の使い込みもが起きている。
僧侶の世界は、畜生、奴隷、人間、仏様の段階がある、という。
また、宗として決めている僧侶の“格”というものも、3等、2等、1等、権大…
というように、上下の差をつくっている。
身分の低い僧侶は、高い僧侶に対して顔を見ることも許されない。
仏門の世界に対して、一般世界を“シャバ”と呼ぶ。
その団体生活は、まるで極道の世界。
弱肉強食、全体責任、抑圧された世界だけに、弱いところにしわ寄せが行き、強い者は何ら痛むことはない。
僧堂歴の無い僧侶が中には居るのだが、その人のほうがより人間らしい。
また、僧堂のある場所によってもその閉鎖性は違う。
山間部にある僧堂は、市街地にある僧堂とは違い、相手を認めることができない。
井戸の中の蛙状態となるのである。
私は資格取得までの期間、その宗派で2番目の位とされる人の内弟子であった。
国内僧侶のVIPといわれる人たちに接したり、あらゆる宗派の人たちとも会った。
また、帰属してからも、様々な宗教とその人たちと接して、実状を垣間見た。
やはりその中で最も閉鎖的だったのは、仏教の禅宗系であると感じた。
私は一般社会の人たちのほうがよほど自然な信仰をしていると感じており、以来僧侶が信用できないでいるのである。
17名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/22(火) 14:21:10
僧侶の妻帯、世襲

前から疑問に思っていたことで、歴史のカテを見ていたら同じような疑問を持っている方もいましたので、宗教に詳しい方に解説いただければと思います。
ご承知のように明治までは出家した僧侶の妻帯は禁止されており、発覚すると遠島、さらし者などの刑罰もあり、もちろん宗派からは破門されました。
真宗などは自ら「在家教団」としていますから、出家はいないので、妻帯しても問題ないですけど。
明治5年に太政官布告が出て法律では許された訳ですが、

>僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム

この条文を見ても「随意」と書いてあるだけで、妻帯を強制している訳ではありません。
宗派の戒律で「妻帯禁止」であれば、政府はその戒律には介入しないわけですから、明治以降も宗派の決まりとして、妻帯した僧侶は破門しても問題なかったと思います。
何故この時点で多くの伝統仏教の宗派が教義を変えてしまったのでしょうか?

ここからは私の考えですが、どうも現在のお寺の世襲は問題が多いように思います。
お寺が住職一家の私物となってしまい、一部寺院では住職が投資に走ってお寺が潰れたり、檀家が問題の多い住職の交代を要求しても居座り、本山もそれ以上は介入できず困る事例も多々あります。
明治までは住職は血縁に捉われず、弟子の中からふさわしいものを跡継ぎにしたので、現在よりはマシだったのではないかと想像します。
また、プロテスタントの牧師さんのように、定期的に移動するほうが馴れ合いが無くなり、すっきりすると思います。
何故明治になってほとんどの伝統仏教の宗派は教義を変えてしまったのでしょうか。
もし僧侶の方がこの質問を読まれたら、お寺の世襲に関してどう考えていますか?
現代は宗教に関心がある方も多く、在家でも出家してお寺を持ちたい方は少なくないと思いますが、他人(弟子)に譲ることは抵抗があるのでしょうか。
18名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/22(火) 14:56:02
諸宗教対話・協力

「仏教では、この世のすべての存在は網の目のようにつながり合っていて、それぞれがかけがえのないいのちの役割を担っていると見ます。
こうした仏教の見方に立てば、他の宗教を排斥するどころか、異なる宗教もそれぞれに人類の平和と幸福を願っているのですから、その共通の目標に向かって協力し合えるのです。
現在、宗教協力は世界的な潮流となっていますが、それは宗教の本来あるべき姿に帰り始めたあかしでもあると思います。
各宗教が本当に協力し合う時代が到来したと言えるでしょう。
私もまた、開祖さまの念願とされてきた宗教協力と世界平和への道を継承してまいりたいと願うものであります」。
庭野日鑛会長は、このように、庭野日敬開祖が半生をかけてその推進に尽力した宗教協力の今日的な重要性を述べています。
「世界の人々と手をつなぎあい、平和な世界をつくる(平和世界の建設)」という願いから、立正佼成会は、宗教協力を基盤とした平和活動を使命と考えています。
そのため、宗教間の壁を超えた交流を積極的に行っています。
その中心となるのがWCRP(世界宗教者平和会議)です。
1970年、京都で開かれた第1回WCRPでは主要宗教の指導者約300人が一堂に会し、歴史的な出会いを果たしました。
以来、WCRPは4年から5年に一度開かれ、諸宗教間の対話と協力を推進する世界最大規模の国際的宗教組織に発展しました。
また、ACRP(アジア宗教者平和会議)の設立、IARF(国際自由宗教連盟)への参加、「アッシジ平和祈願の集い」の精神を受け継いだ「比叡山宗教サミット」への協力など、立正佼成会は国際的な宗教協力の輪を精力的に広げてきました。
一方、国内においても、日宗連(日本宗教連盟)、新宗連(新日本宗教団体連合会)と連携し、アジア地域を中心とした植林や農業開発、国内の環境問題への取り組みなど草の根の運動を活発に行ってきています。
毎年10月に行われる「世界平和祈りの週間」には、立正佼成会の会員たちも参加し、世界の諸宗教者と時を同じくして世界平和を祈念しています。
世界の諸問題を自分自身の問題として受けとめ、問題解決に尽力していくことが、私たちにとってはもっとも大切なことなのです。
19名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/22(火) 17:14:54
一、「永遠不変の真理と一貫性があること」。教祖や教団のご都合主義ではいけない。
二、「宗教にも普遍妥当性はある」。だから世の中の良識に反するものは論外である。
三、「神は神殿をつくらない」。神殿などをつくることを目的とする宗教は堕落する。
四、「罰があたるなどと恐怖心に訴えない」。安らぎをあたえるのが宗教である。
五、「正しい宗教は世襲化しない」。世襲は教団の財産を子孫に譲ることで、真の宗教の道を踏み外すもとである。
六、「教祖を神格化しない」。教祖を神に仕立てることは、おごりと増上慢の結果である。
七、「言うこととやることが一致している」。欲を捨てることを説きながら、教祖や幹部が贅沢しているのはおかしい。
八、「現世利益だけ説く宗教は正しくない」。宗教が、お金儲けや商売繁盛、病気直しなどの欲に絡んだことばかり言うのはおかしい。そうした結果、欲にまみれた宗教ができあがる。
九、「正しい宗教は盲信を強要しない」。信仰に疑問は付き物で、そこからさらに信が深まる。疑問に答えられない宗教は本物ではない。
一〇、「正しい宗教は、金で救われるとは言わない」。人の弱みにつけ込んで大金を強要するのは、間違いなく危険な宗教である。
一一、「正しい宗教は、会員を増やせと強要しない」。信者獲得は強要するべきことではない。
一二、「領収書を出さない教団は危ない」。問題のある教団は、領収書を出すことを警戒している。
一三、「正しい宗教は批判を受け入れる」。批判を許さない教団は、極めて危険である。
20名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/23(水) 07:13:39
 葬儀屋と提携している臨済宗僧侶の葬儀流れの<一例>

 病院・看護師長
     ↓(死者の遺族に、寝台車の手配をする。「葬儀屋の紹介」)
    葬式屋・葬儀会館
     ↓(紹介料として闇金)
    病院・看護師長

    
    葬式屋・葬儀会館
     ↓(葬儀紹介)
    葬儀会館下請け坊主
 
    葬式屋・葬儀会館
     ↑(葬儀紹介お礼として葬儀布施約半額をキックバック)
    葬儀会館下請け坊主
病院は葬儀屋に寝台車の手配をすることによって、葬儀屋から紹介料をもらい、
布施半額キックバックしてもらう葬儀会館は、またキックバックしてくれる下請け坊主に葬儀を紹介する。
これらの金銭の流れは不明朗な場合が多く、「○税」でしかありません。
21名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/23(水) 07:15:11
↑どんどんコピペして、葬儀屋提携坊主の悪行を広めてくれ。
22名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/25(金) 17:03:28
五輪会新緑の 坐 禅 会 
 

かつて宮本武蔵は「五輪書」を著し、剣術の視点から人生の道理を禅に基づいて説きました。
 今、わたしたち「五輪会」は、その宮本武蔵の精神に学び、坐禅会を開催したいと考えています。坐禅を通じて自らの心の成長や、他者との出会い、そして心の交流を深め合うような会にしていきたいと思っています。
 幸いにも今は亡き水上勉先生が創設された「若州一滴文庫」には禅堂としても設計された「くるま椅子劇場」があります。この空間で竹林を背景として坐禅を体験することは、皆さんにとってかけがえのない経験となるでしょう。
 是非この機会に『禅』に触れてみてはいかがでしょうか。
  自宅で座る ←「臨済禅・黄檗禅公式サイト」をご覧ください。
 きりりと気持ちを引き締めてみましょう。
  日 時
  第40・41回目 8月23日(土) 24 日(日) 
        午前8時から約2時間
   会 場   若州一滴文庫     
    
   服 装  体を締めつけない服装が適しています。

 * 坐禅後にミニ講話を行っています。
 * 坐禅後は茶礼(サレイ・お茶を頂いて共にくつろぐこと)をします。
 * 経験、未経験は問いません。初めての方は基本からご指導します。ご安心下さい。
  
  主催 : 五輪会
  共催 : NPO一滴の里   潮音院
  協賛 : チャンネル0
23名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/28(月) 16:38:35
私は以前、僧堂というところにいた。
そこでは、相撲部屋と同じような暴行事件が起きていた。
仏につかえる身でありながら、殴る蹴るは日常茶飯事。
血を吐くもの、警策(坐禅で用いる棒)や木刀、あるいは鉄パイプで殴る。
私も傷跡を残している。
入門から五分の一に減る僧侶。
残る者は、凶悪犯のような顔となっている。
逃げ出す者は当然のこと居り、暴力によって身体障害者となった仲間も居た。
家族からの警察騒ぎになることもあったが、暫くすると何事も無かったかのようにことが収まっている。
長年の関係から、警察とも結託しているのだ。
これは修業世代の人間だけが起こすことではない。
いわゆる、位の高いとされる世代に渡って、堂内差別、脅迫、金銭の窃盗や資金の使い込みもが起きている。
僧侶の世界は、畜生、奴隷、人間、仏様の段階がある、という。
また、宗として決めている僧侶の“格”というものも、3等、2等、1等、権大…
というように、上下の差をつくっている。
身分の低い僧侶は、高い僧侶に対して顔を見ることも許されない。
仏門の世界に対して、一般世界を“シャバ”と呼ぶ。
その団体生活は、まるで極道の世界。
弱肉強食、全体責任、抑圧された世界だけに、弱いところにしわ寄せが行き、強い者は何ら痛むことはない。
僧堂歴の無い僧侶が中には居るのだが、その人のほうがより人間らしい。
また、僧堂のある場所によってもその閉鎖性は違う。
山間部にある僧堂は、市街地にある僧堂とは違い、相手を認めることができない。
井戸の中の蛙状態となるのである。
私は資格取得までの期間、その宗派で2番目の位とされる人の内弟子であった。
国内僧侶のVIPといわれる人たちに接したり、あらゆる宗派の人たちとも会った。
また、帰属してからも、様々な宗教とその人たちと接して、実状を垣間見た。
やはりその中で最も閉鎖的だったのは、仏教の禅宗系であると感じた。
私は一般社会の人たちのほうがよほど自然な信仰をしていると感じており、以来僧侶が信用できないでいるのである。
24名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/30(水) 15:38:24
疑うことのデメリットもあります。
まず、疑うことでイヤな気もちになります。
人を疑う自分に嫌悪感をもってしまう人もいるでしょう。
疑うことで関係が良くなるということはないのでないでしょうか。
強い疑念は自分の言動に何かしら現れ、つきあいに消極的になったり、対応がぎくしゃくしたりすることもあるでしょう。
そういうものが相手にも伝わり、関係が悪くなる可能性のほうが高いでしょう。
露骨な表現をしてしまえば、相手も疑われていることを感じてしまいます。
疑われた相手がどういう気もちになるかは、自分が疑われた場合を考えてみればわかると思います。
人を疑っている自分に気づいた時には、「これ以上疑っていいことある?」と自問してみるといいと思います。
「これ以上疑ってもいいことない」と考えることができれば、疑うことをストップできるでしょう。
自分が相手を疑うことで、その人との関係が悪くなってしまうのは、自分が望むことではないでしょう。
人を疑ってしまった時には、疑うことのデメリットを考えてみてはどうでしょうか。
25名無しさん@京都板じゃないよ:2008/09/01(月) 16:33:49
形骸化した“葬式仏教”

日本における仏教は、江戸時代の檀家制度によって寺院が民衆を統治・支配する権力機構に組み込まれたことにより、布教を忘れ、民衆救済という仏教本来の精神が薄れ、時代を経るにしたがい、形骸化し、権威化してしまいました。
葬式など儀礼中心の、いわゆる葬式仏教となってしまったのです。
世襲妻帯坊主はその典型で、形骸化・権威化の旧悪の体質そのままです。
葬儀など、遺族の悲しみにつけいって多額の供養をせびるなど、供養金目当ての“商売”に狂奔する堕落し切った姿は、まさに“食法餓鬼”です。
ところで檀家制度とは、人々を強制的に、いずれかの寺院の檀家として所属させた制度です。
これにより当時の幕府は、人々の統治を容易にした訳です。
寺院は檀家制度によって、檀家の葬儀や年忌法要などの儀礼で得られる供養を寺院経営の基盤とさせていったのです。
そうしたなかで、「塔婆」や「位牌」「戒名」「差別戒名」などが、その意義や形を変えて寺院経営の手段として取り入れられていったのです。
また檀家制度のもとでは、僧侶が行うのは葬儀・法要などの儀礼が中心で、檀家の信仰心を深めようとする努力は、ほとんどなされなかったのです。
このような歴史のなかで形成されたのが、僧侶の権威を強調し、僧俗を差別する在り方です。
愚かにも世襲妻帯坊主は“坊主が上で、在家は下”などという珍妙な僧俗差別論にしがみつき、まさに封建時代の遺物と化しています。
祖師は「僧侶も、尼も、在家の男性・女性の信仰者も、経典の一句でも人に語っていく人は仏の使いである」と仰せになり、僧侶も、在家の信仰者も皆平等であることを強調されています。
“坊主”の権威を振りかざす世襲妻帯坊主は、祖師の仏法とはまったくかけ離れた邪義を説いているのです。
26名無しさん@京都板じゃないよ:2008/09/27(土) 21:43:13
通称"禅導師"プロフィール12訂版

通称"禅導師"は北の方面の寺出身。
京都某僧堂から逃げ出し、トラウマ状態であり、僧堂コンプレックスを持っ
ている。
禅導師は臨済宗○○寺派のt寺学徒で、挫折したため世襲のための住職資格
には修行日数がたった○○日で全く足りず、○回履修した安居会のゲタ履き
でも住職資格がない。そのため、しきりに安居会を擁護している。
しかし日数不足でも免除されるよう、住職とともに関係各所に苛められたと
脅し行為の具申書を出し、不正に資格を得ることにまんまと成功した。
そしてついに法脈相承のため、本山開山塔を拝した。
このまま住職をしても、ずっと教区や部で肩身の狭い思いをしなければなら
ないことが解っていない。

禅導師は僧堂修行に「ついていけなかったこと」を「苛められた」と思い込
み屈折し、「臨済禅」の話をするように見せかけ、臨済宗を辱めるため、イ
ンターネット上でしきりに「わい曲した内情や偏った風評」を晒すことに専
念していることもあった。
表立っては「立正佼成会会員」や「曹洞禅(宗)に帰依」しているように装
い、臨済宗を辱める書き込みをしている。しかし本当は臨済宗○○寺派に所
属しているのに、臨済宗を辱める行為や書き込みが、自分自身を辱めること
になっているのが解っていない。
今は必死に僧堂在錫中の人物に責任転化している。

親は教区の○○をしているけど、メチャクチャな書類を押し通してきた無法者
だったね。
2007年4月に本山拝塔して、粉飾資格でも住職になったので調子に乗ってる。
風上にも置けないやつ。 テ9638302
27名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/26(日) 14:50:13




葬式仏教乙wwww
まじで最低な奴多いよな、宗教家って、、、

檀家から巻き上げた金で、キャバクラ行き放題。
檀家の御布施が少ないとその檀家の悪口を流布させる。
ってか、僧侶って何であんなに酒飲み多いの???

自分で酒豪とか自慢しておいて、病気になって、
病院に対して「酒が飲めねーだと!あ?ふざけんな!!!」とか言ってきたりする
飲みたいなら飲めよ、そして勝手に死ね。

葷酒山門に入るを許さず、三省堂の辞書で調べた。
「禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものがはいることを許されないの意。」

なんで、宗教家って自分の宗派の教えを守らないのが主流なんだろうね〜?
そして、
なんで、宗教家本人が守れない教えを他人には強制するんだろうねぇ〜?

おまえら僧侶は医師全員に陰口言われてんよw
ざまぁwwww

あと、僧侶のくせに、人の葬式に、純白のスポーツカーで来るのはやめとけwwwwwwwwww




28名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/26(日) 16:23:22



葬式仏教乙wwww
まじで最低な奴多いよな、宗教家って、、、

檀家から巻き上げた金で、キャバクラ行き放題。
檀家の御布施が少ないとその檀家の悪口を流布させる。
ってか、僧侶って何であんなに酒飲み多いの???

自分で酒豪とか自慢しておいて、病気になって、
病院に対して「酒が飲めねーだと!あ?ふざけんな!!!」とか言ってきたりする
飲みたいなら飲めよ、そして勝手に死ね。

葷酒山門に入るを許さず、三省堂の辞書で調べた。
「禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒を持ち込んだり、それらを口にしたものがはいることを許されないの意。」

なんで、宗教家って自分の宗派の教えを守らないのが主流なんだろうね〜?
そして、
なんで、宗教家本人が守れない教えを他人には強制するんだろうねぇ〜?

おまえら僧侶は医師全員に陰口言われてんよw
ざまぁwwww

あと、僧侶のくせに人の葬式に純白のスポーツカーで来るのはやめとけwwwwwwwwww



29名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/01(土) 03:57:08




キャバクラ遊びや風俗通いをしている『お坊さん』がいるって本当ですか?-Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1217918212

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saxwendy930さん

いますよ、いっぱい。。。。。。( ̄  ̄;)
知り合いの49日に行った後、お坊さんと一緒の食事の席で
『君、私の隣に座って酌をしなさい』
と言われ、はぁ!?と思ったのですが、親戚いっぱいのとこだし檀家のお坊さんだし
嫌とも言えず、横でお酌してたのですが、
毎晩の豪遊の話を自慢げにずっと話してましたよ。
『私は坊主だから、私が触った女の子はご利益があるんだよ』
とか、
『私は遊んでいるわけではない、皆様から頂いたお布施を夜の街へ行くことで社会に換金しているんだ。』
などなど。。。
坊主がますます嫌いになりました…(;ノ- -)ノ
実家のまわりは寺の多い土地なので、夜はあちこちで坊主が赤い顔して女の子つれてるし、
知り合いの行っていた某宗教高校のそばでは、学校のお坊さんが近くのコンビニでエロ本立ち読みしてるのをしっかり生徒に目撃されてます。。

私の親戚(先祖)はもともと寺だったんですが、数代前のなまくさ坊主が酒と博打と女遊びが大好きで寺つぶしましたよ。。

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30名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/01(土) 03:59:47




江戸時代の性風俗と宗教-BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html
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回答者:junt
江戸時代の僧侶には、女を抱いたりする、なまぐさ坊主が多かった。ところが、
それらのなまぐさ坊主達は、『好色な女』を『お布施』と呼んでいた。
『お布施』とは、お寺に寄付するお金。開けて、中身を調べるのが楽しみだ、
という意味である。
この時代の僧侶は、不勉強で、戒律を犯す坊主が多かった。16、7世紀までは、
文字を自由に読み書きできるのは、公家と僧侶だけであり、僧侶は、最高の
知的エリートだった。ところがその後は、僧侶、武士、商人の知的水準が、
ほとんど同じになってしまった。それだけ、僧侶が堕落したわけである。
特に女性関係で堕落が激しく、寛政八(1796)年には、67人の女犯僧が
さらし者にされている。
これは、一面では、強大な治外法権を持つ宗教界への幕府の弾圧、民衆への
デモンストレーションでもあったが、僧侶の腐敗ぶりをよく示している。
僧侶達は、酒を『般若湯(はんにゃとう)』と言い換えたように、禁制のものを
別名で呼んでいた。
ドジョウはよく跳ねるから『踊り子』、男性のシンボルは鐘を突く『撞木(しゅもく)』であり、
その撞木を使って、女性を『成仏』させることに励む僧侶が多かった。

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31名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/01(土) 04:01:15




江戸時代の性風俗と宗教 BIGLOBEなんでも相談室
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1190947.html
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回答者:98Kin
まず僧侶ですが、出家というのは俗世と縁を断つ行為ですから、
家族を作ることに繋がる女性との関係は「女犯」として禁じられておりました。
そこで男遊びというか、男性同士で肉体関係を持つことがあり、
これは武士でも戦国時代では一般的なことでした。
武田信玄も男関係に悩み自分の愛人(男性)に浮気はしないと起請文を
出したのが後世に残っていたり、織田信長も前田利家や森蘭丸などと
肉体関係を持っていたといわれており、江戸期に儒教が入るまでは
目くじらを立てる事も無かったようです。
(現在で言う「友情」という形を考えていただければ)
話を戻すと江戸時代には「陰間茶屋」という男娼のいるところがあり、
僧侶もここで遊んだようです。
因みに男娼は役者の玉子がアルバイトで勤める事もあり、概ね10代の美少年ですから、
20歳を過ぎた物は女性相手に転じました。
そうは言っても女性が好きな僧侶もおり、こうした僧侶は医者に変装して
(正規の医者も髪を剃っているので)遊んだようですが、
勿論これは罪になり寛政8年には70人あまりの僧侶が処罰されました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウホッw



32名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 09:55:32
臨済age
33名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 06:05:10
臨済宗相国寺派スレで大変なことがおこってるね。
僧堂での過去が暴露されだしたね。実名入りで。
今後他の臨済宗スレでも、各派僧堂の色々な出来事が実名で書かれる様になるんだろうな。
やっぱり、神社仏閣板でも、書き込むときにIDつけるとか、
対策が必要になってくるね。なんとかしなきゃ。
34名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 18:20:36
つ強制IP表示
35名無しさん@京都板じゃないよ:2009/03/08(日) 17:15:20
修行僧が酒飲み口論、同僚つき落とし死なす 滋賀の寺
2009年3月8日2時12分 朝日
滋賀県警は7日、同僚の男性修行僧を寮の縁側から突き落として死なせたとして、同県東近江市
永源寺高野町、臨済宗永源寺派大本山永源寺の修行僧内山忠昭容疑者(52)を傷害致死の疑いで
逮捕したと発表した。
東近江署の発表によると、内山容疑者は6日午後11時半ごろ、境内にある寮1階の自室で、
男性修行僧(47)を縁側から約50センチ下のコンクリートの路面に突き落とし、死亡させた疑い。
男性修行僧は頭を強く打ち、同市内の病院に搬送されたが、7日午後1時ごろに死亡した。
内山容疑者は同日午前11時ごろ、同署に出頭してきたという。自室で2人で飲酒中に口論となり
「かっとなって縁側から突き落としてしまった」などと話しているという。永源寺などによると、
寺には十数人の修行僧がおり、内山容疑者は20年近い修行歴があり指導する立場だったという。
36名無しさん@京都板じゃないよ:2009/03/08(日) 17:16:20
永源寺の修行僧が後輩倒し死なす、酒飲み口論…滋賀
後輩の修行僧に暴行し死亡させたとして、滋賀県警東近江署は7日、同県東近江市の臨済宗永源寺派
総本山「永源寺」の修行僧、内山忠昭容疑者(52)を傷害致死容疑で逮捕した。
発表では、内山容疑者は6日午後11時30分頃、同寺境内にある寮の自室で、後輩の木畠均さん(47)と
酒を飲んで口論となり、木畠さんの腕をつかんで、縁側から約50センチ下のコンクリート地面に背中から
落とし死なせた疑い。木畠さんは頭を強く打ち、病院に運ばれたが、7日午後に脳挫傷で死亡した。
内山容疑者は7日昼、同寺関係者に付き添われ、同署に出頭した。内山容疑者は、同寺で約20年間修行
していたという。調べに対し、内山容疑者は「修行態度をなじられ、部屋から追い出そうとしたら頭から落ちた」
と供述しているという。
禅宗の修行僧は雲水と呼ばれ、厳しい規律の下、共同生活を営むのが習わしという。永源寺は南北朝時代、
臨済宗の僧・寂室元光(じゃくしつげんこう)が開山したのが始まりとされ、関西有数の紅葉の名所として知られる。
(2009年3月8日 読売新聞)

37名無しさん@京都板じゃないよ:2009/03/09(月) 07:30:14
あほ宗やな。
38名無しさん@京都板じゃないよ:2009/03/09(月) 07:46:55
雲水は暴力
和尚は悪口
39名無しさん@京都板じゃないよ
大人社会のいじめがなくならないと子供社会に未来はない