108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/17(金) 13:31:31
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/19(日) 00:43:00
我々が今日持っている人類文化、芸術、科学、技術の成果はアーリア人のものに他ならない。
アーリア人は人類のプロメテウスなのであり、いかなる時代にも天才的火花を散らしていた。
アーリア人はこの世界の支配者たるべき存在なのであり、最大の敵はユダヤ人に他ならない。
もしユダヤ人が自分たちだけの民族になってしまえば、彼らは泥や汚物にまみれるだけの存在であり、
憎しみに満ち満ちた中で互いをだまし合おうと努めるだろう。
我々民族主義国家はアーリア人を一般生活の中枢に据え、純粋維持のために配慮しなければならない
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/23(木) 13:33:55
僕は今日初めて読んだのですが、
>>4などは、
今でも、生かされているのですか?
単純というか、なんというか、少しショックを受けました
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/23(木) 20:57:44
>>110 何がショックなの?
過去は過ぎ去りもうありません。
過去のことを考えてムカついてストレスになるなら、
過去のことを考えなければいい。
妄想をしなければ、余計な感情も起きない。
思いださなければムカつかないのだから、
思いださなければいい。
思いださない訓練(妄想にひたらない訓練)をすればいい。
112 :
菅ちゃん ◆BDKyieznDk :2009/04/24(金) 12:48:06
私たちは受け取ることではなく、与えることに情熱的でなければなりません。
一人の笑顔は250人の笑顔を誘うことができます。
幸せは私たちの中から、存在から、そして無限を感じ、無限になれる能力からやってきます。
憐れみの最も良い例は次の言葉です。赦しましょう。彼らは、自分のしていることが分かっていないのですから。
意識的に考え、発言し、行動する。それすなわち、革命的であることです。
人間は基本的に善いです。苦しみのせいで悪意を持つようになるのです。
人類の意識のレベルを引き上げるには、個人の意識レベルを引き上げることです。他の人たちを助ける最良の方法は、あなた自身がありのままでいることです!それを人々は真似するでしょう!。
世界をエロヒムの視点で見てください。あなたは笑うでしょう。笑いますよ。
『最も強い人が常に正しい』こういうことを言うのは知恵の反対です。ガンジーがそうでないことを実際に見せてくれました。
真の幸福は内側からやって来ます。
脳の中で過ぎ去る一秒一秒は、失ってはいけない味を持つ花蜜のようなものです。
何も考えないことよりも、美しい考えが浮かぶときだけ考えなさい。
ユーモアは、知恵の一部です。理由があって笑うことはいいことです。でも、理由がなく笑うことはもっといいことです。
私たちは全てを知ることはできず、全てを所有することはできません。でも、全てであることはできます。
誰も私が調和する権利や、私のエロヒムへの愛を奪うことはできません。
愛することは、とても貴重な贈り物をあげることです。
ハーモニーとは、物事を楽しんで、素早く、ストレスなくできる能力のことです。
謙虚さは常に知性の証明です。人がありのままであるとき、ほんの少しのプライドすら持つことはできないのです。
人生にイエスといいましょう。イエスの振動、イエスの考えがあなたの人生を愛と幸せと達成の人生にするのを助けるのです。
完璧さは、そうなることはできないと意識 しながら、そうなろうと努力するときに現れます。
記憶はありのままであることの反対です。記憶とは過去のもので、それは過去にあった考えです。人は忘れる訓練をしなければなりません。私がより多くのことを忘れるほど、私はより自分らしくあるのです。
あなたは、人類に光と無限との一体感をもたらすことにおいては、私と同じくらいに責任があるのです。
宇宙の中で、個人の意識と集団の意識には違いはありません。それは普遍的で無限なのです。
非暴力と愛は、常に勝利します。
物を多く得るほど、より不幸になります。
あなたが自分を変えてありのままの自分でいるときに、他人を変えることができるのです。
謙遜は賢さと最もよく結びついています。
過ぎ去っていく一分一秒は、二度と生きることはできません。
脳と存在の開花は外部に依存しません。
幸せは私たちの遺伝子コードの中にあります。私たちは自然に無限と調和しているんです。そうでなければ、自己破滅になってしまいます。
怠惰は天才の現れです。怠けるためには規律をしっかりしていなければなりません。
私たちは私たちを憂鬱へと導く文化の中にいます。観るもの、聞くものに注意しなければなりません。それが自分を成長させるものか、破壊するものか自問しなければなりません。調和が最優先の一つです。
愛するということは、何の見返りも期待せずに、与えることそれ自身の喜びのために与えるということです。最高に愛することができる人とは、最高に与えることができる人です。
私は永遠です。ですから、いつでも死ぬ準備ができています。
ほんとうの幸福とは、内面から来るものです。
あなたは、天界のような神々しい何かを成し遂げつつあるのです。
「自由」は、私達の遺伝子コードに刻み込まれています。
私たちが愛を考えることで、世界を治しているのです。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/17(日) 19:51:27
なんでラエリアンw
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/20(水) 10:51:57
ラエリアンもけっこう楽しいよ
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/20(水) 11:23:17
ラエリア〜ン♪破れかけのタロット投げて♪
それはボヘミアン
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/06/13(土) 18:51:25
だんまりパンダ
>>105 日本書紀とか古事記
日本の神話みたいなものだね
スサノオさんなんてすんごい糞味噌に書かれてるしw
まぁ処分されずに遺ってるだけいいけど、、、
でも文字の限界だよね、そりゃ政治的に政権が変われば
権力が映れば、生き延びたものたちが自分たちを肯定して
都合良く世の中を動かしていかざるをえない。
たぶん、瞑想が真実の入り口になっているのだと感じる。言葉ならざる
世界に入る入り口は、まだ遺ってる。
脳内宗教論争に必死で
そこに入っていけない人は哀れだと思う。
はやく妄想はやめて、心を浄化していきましょう。
自分の心が浄化していけば、自ずからすべてを知ることになるよ。
スッタニパータの
実践法って曖昧だよね。みんなどーしてんの?
八正道じゃないの?
だけど…体系的に整理して見てる? ことばそのままを受けとる意義っていうか…なんていうか…。
原始仏教の経典は、「経蔵」、「律蔵」、「論蔵」という「三蔵」で
構成されており、「経蔵」だけでも、
・長部経典 (ディーガ・ニカーヤ)
・中部経典 (マッジマ・ニカーヤ)
・相応部経典 (サンユッタ・ニカーヤ)
・増支部経典 (アングッタラ・ニカーヤ)
・小部経典 (クッダカ・ニカーヤ)
の五つのニカーヤに加え、
・法句経 (ダンマパダ)
・感興偈 (ウダーナ・ヴァルガ)
・経集 (スッタニパータ)
・長老喝 (テーラガーター)
・長老尼喝 (テーリーガーター)
・本生物語 (ジャータカ)
などで構成されている。
また、「蔵外」にも「弥隣陀問経(ミリンダ王の問い/ミリンダ・パンハ)」や
「清浄道論」、「摂阿毘達磨義論(アビダンマッタサンガハ)」などの重要・
有名で経典扱いされているものがある。
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/06/25(木) 16:23:07
ラエリアンの本 「マイトレーヤ」もなかなかよい
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/06/25(木) 20:57:43
昔ポストに入ってた幸福の科学のアンケートハガキ
Q 大川髢@がブッダの生まれ変わりだということを知っていますか?
・知っていた ・今知った
なんだ この二択w
そんなヤバイこと書いてあるか?
経典の構成を書いてあるだけだが。
解脱できなかったんか?
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/24(月) 10:35:02
法(真理)の施しは、一切の施しに勝つ。
法(真理)の味わいは、一切の味わいに勝つ。
法(真理)の喜びは、一切の喜びに勝つ。
渇愛の滅尽は、一切の苦しみに勝つ。
『法句経』
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/24(月) 12:36:15
原始仏教と部派仏教がごちゃまぜ
部派の中でも分家の分家でしかない現代テーラワーダが
原始仏教名乗って権威で客引きしようとするから
わけわからんことになる
本家もういないやん
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/09/19(土) 09:30:03
寺和田とか、神智学とか、幸福の科学とか、〜とか、〜とか、とか、とか、
異物、寄生虫がたかってくるなあ。
ブッダを権威主義的に利用したいだけじゃんw
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/11/27(金) 10:30:23
どなたか解説をお願いします。
第一 蛇の章 四 田を耕すバーラドヴァージャ
何で、乳粥を水に投げ捨てて湯煙が立つのを見て、ゴータマに帰依する事になるのですか?
さっぱり意味が分らない。
139 :
菅ちゃん ◆BDKyieznDk :2009/11/27(金) 10:39:58
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/11/27(金) 10:42:51
141 :
菅ちゃん ◆BDKyieznDk :2009/11/27(金) 11:46:09
>>140 名無しさんたちから回答がきてますよ よかったね(^_^*)
>>128 輪廻したら仏陀じゃねーじゃん!アリガタくね〜
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/22(木) 06:46:43
ゴータマさん、まだ迷いがあったんですか・・・?w
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/24(土) 01:04:28
32 いそしむことを楽しみ、放逸におそれをいだく修行僧は、墜落するはずはなく、すでにニルヴァーナの近くにいる。
348 前を捨てよ。後を捨てよ。中間を棄てよ。生存の彼岸に達した人は、あらゆることがらについて心が解脱していて、もはや生れと老いとを受けることが無いであろう。
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/27(火) 10:18:37
同じ物を訳すだけでこんなに解釈が違ってくるんですね・・・
中村元氏の訳が根拠も述べているし参考文献も膨大みたいだし、日本語訳の中では一番信憑性が高いのかな?
例
・ダンマパダ99 aranna (grove or forest? 林 or 森?)
中村元 訳 真理のことば
人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう。かれは快楽を求めないからである。
荻原雲來訳註 法句經
林は愛樂すべし、これ俗人の好まざる所、離欲の人は此を樂しむ、彼等は愛欲を求めざるが故なり。
片山一良 訳 ダンマパダ 全詩解説
世人が楽しむことのない 森はいずれも楽しいところ 離貪の者らは楽しむでろう かれらは貪り求めぬゆえに
The Dhammapada and Sutta Nipata, by Max Muller and Max Fausboll, [1881]
Forests are delightful; where the world finds no delight, there the passionless will find delight, for they look not for pleasures.
中村元注釈
人のいない林 - aranna. この語を日本の専門家達は「森」とか「森林」と訳すが、誤解を生じ易い。
日本のインド学はヨーロッパから入ってきたが、インドの現地の風土に注意しなかったために、梵英辞典にforestという訳語がついでに挙げられていて、
次にforestを英和辞典で引いてみると「森」とか「森林」となっているために、そのように訳すことが定着してしまった。
しかし日本語の「森林」を連想すると、とんでもない間違いになる。ゴータマ・ブッダの活動した地域には密林のようなものを殆ど見かけない。
むしろ人里離れた静かな空地をいう。その証拠には、萩原『梵語辞典』に挙げられているaranyaの多数の漢訳語を見ても、「森」という漢字は出てこない。
漢訳『法句経』羅漢品にはただ「空閑」と訳し、Udanavarga. XXIX, 17 (岩波 ブッダ感興のことば24章17) に対応する『出曜経』双要品、『法集要頌経』相応品にもaranyaを「空閑」と訳している。
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/27(火) 10:20:29
続き
・ダンマパダ221 namarupa (name-form or mind-matter 名称と形態 or 精神と物質?)
中村元 訳 真理のことば
怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
荻原雲來訳註 法句經
二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦隨ふことなし。
片山一良 訳 ダンマパダ 全詩解説
怒りを捨てよ、慢を捨てされ あらゆる縛りを脱するがよい 名と色とに執着しない 無一物者には苦は従わず
The Dhammapada and Sutta Nipata, by Max Muller and Max Fausboll, [1881]
Let a man leave anger, let him forsake pride, let him overcome all bondage! No sufferings befall the man who is not attached to name and form, and who calls nothing his own.
中村元注釈
名称と形態 - namarupa. この語は古ウパニシャッドにおいては「名称と形態」すなわち現象界のすべてを意味する。
この語は仏教にも継承されて「名称」(nama)とは人間の精神的方面、形態(rupa)とは人間の物質的側面を意味すると解釈されているが、
教義学者たちが無理にこじつけた解釈(すでにパーリ聖典の散文の中に現れる)でろう。インド思想一般の用例としてはnamaを精神と解することは無理である。
パーリ語とかサンスクリットが直接スラスラ読めれば苦労はないんだろうなぁ
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/31(土) 13:51:49
33 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。──弓矢職人が矢柄を直くするように。
27 放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、大いなる楽しみを得る。
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/02(月) 21:03:48
35 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/02(月) 21:05:42
34 水の中の住居(スミカ)から引き出されて陵の上になげすてられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/04(水) 00:21:28
35 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
154 :
test:2010/08/09(月) 18:35:58
36 心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/09(月) 18:37:07
37 心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/09(月) 18:41:40
欲深いと言われてもCDと本と趣味は縁が切れない
別に在家は趣味は普通に楽しめばいいんだよ。とらわれなければ。