1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
なぜ?
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 20:45:39
この質問に答えられない限り、今の坊さんは世を救えない
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 20:49:18
>>1 聖武天皇が決めたから。
----------------終了--------------
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 21:03:52
もう一つ質問がある。仏教に興味のある女性の人。もしくは尼の人。
「平等性智」って言葉があるけど、
”出産でき、家庭の中心に立つことができ、いい大学を目指すこともでき、人権もある”女性に対して、
平等な男性のすばらしい価値って何か説明して。
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 21:17:09
この質問に答えられない限り、今の尼さんは世を救えない
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 21:41:38
一つ目に答えると、昔の坊さんは優れており、今の坊さんは劣っているからです。
釈尊より聖徳太子が劣っており、聖徳太子より親鸞聖人が劣っています。
だんだんと時代も悪くなり人の悟りを得る能力も衰えて来ています。
昔の優れた坊さんは妻帯せずに暮らすことができましたが、
今の坊さんにできないのは致し方ありません。
二つ目に答えると、平等性智は仏の智恵です。
なぜ外見も機能も異なる女性と男性がともに平等に素晴らしいのか?
それは仏の智恵以外を以っては知り得ず、ただ仏と仏のみよく知りたもうことです。凡夫の知るところではありません。
以上
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 22:24:00
>>6 どちらも釈然としないな。
2つ目について。昔の今の女性の「自分は男性ではないので救われない」という思いは、男性が社会制度や教義を融通して、女性に男性的地位を持つことを可能とすることで解決してきたけど、
男性の「自分は女性ではない(出産できない、家庭の中心に立つことができない、人権もない、いい大学を目指すことも女性と競合する)ので救われない」という思いに対して、女性は同じように融通する言葉を出さなければならないと思う。
仏教自体がほとんど男性により発展してきたものだから、別に仏教の言葉を持ち出さなくともよい。むしろ女性としての主体的な見解を望む。
仏教を使うのなら、それを「女性が男性に融通する」見方をして言い直してほしい。
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/18(火) 22:28:01
フェミニズムに対しては
>>6のような言葉を絶対出さないくせに卑怯
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/19(水) 07:26:36
レス返ってきてないか。
1つ目の質問について、なぜこういう質問出しているかの補足。
別に僧侶のあり方個人のことを聞いているわけではないんだよ。例えば密教では「大欲」ということを重視するわけじゃない?
だけど昔の(男性)僧侶はセックス→(女性を介して)子孫を残すという、根本的な「欲」に関しては手を出そうとしなかった。
それに向かうエネルギーを、修行に振り向けていたのかは知らないけど。
要は、「男性は出産できないという欠損」を抱えたまま、いやそれを一生抱えた状態であるからこそ「大欲」という観念が整合されると考えていたフシがある。
それについてどう思うか、ってこと。
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/03/19(水) 07:30:56
修験者や神通力で世を渡る者が性欲を持つと大脳のチャクラは崩壊してしまうからだよ。
そうなると通力は利かなくなる。
通力を持つには、やはり何某かの犠牲が必要なんだよ。
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/19(水) 07:33:46
さらに現在、女性にも密教の修行形態は広く開放されている。
それはつまり、男性が「出産できない」ということと対になる「女人禁制」的なものを解いてしまうということ。
そうすると事実上、女性には「欠損がなくなる」。それはつまり男性に対する相対性相補性(宇宙性)がなくなるということ。
それを宇宙の真理を体現しうる「大欲」と言ってしまっていいのかということ。それが2つ目の質問につながってくる。
「異性に対しての欠損・その領域に入ることの禁忌」と「密教的大欲」は非常に重要な関連があるのではないかと思う。
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/19(水) 07:38:40
「色即是空 空即是色」という言葉があるけど、これは「男女による修行の違い」を現しているものではないかと思う。
現代の女性を見ても明らかなように、女性は男性的なことをし始めると「逆に退化する」「逆に社会を崩壊させる」。
この提示は仏教の元々のテーマではなかったかもしれないけど、
それを現すことのできる教理を持っているのだから、それを女性にきちんと示すことができなくてはならないと思う。
かまってちゃんの日記帳
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/19(水) 18:38:03
仏の知恵から言うと、男も存在しませんし、女も存在しません。
欠損ということも欠損がないということも存在しません。
男性であるという思いも、男性ではないという思いも、
女性であるという思いも、女性ではないという思いも、
救われないということも、救われないという思いもありません。
違うということも同じということもありません。進化も退化もありません。
すべてが妄想顛倒です。これが平等性智です。
凡夫には知り得ません。
少なくとも考えるだけ無駄なことと気づくことはできます。
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 03:38:31
17 :
誘導:2008/03/20(木) 04:08:02
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 08:04:21
>>1 お釈迦様の時代→単なるインドの伝統的な修行者の習慣。
その理由1:出家者は社会生活を放棄し隠遁生活をする為、妻を養えないから。
インドの宗教はカースト世界の苦しみの現世から逃避する世捨てが基本。
その他のもっともらしい、宗教臭い理由は全て後付け。
理由2:禁欲生活をしてると別に偉くもないのに無意味に尊敬される。(後の戒律乱発の原因。)
支那→インドの習慣をそのまま真似た。
日本→インド、支那の伝統をそのまま真似た。それと明治まで法律で禁止。
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 08:43:07
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 09:35:31
>>14 それは違うと思う。勝手な仏の知恵の解釈。
意識の問題に関しては「まやかし」でいいけれども、男とか女である事は「意識」の問題ではないから。
「一切は空」は、近年の般若心経の最大の誤釈だと思う。
般若心経「事物は色であり、また空。それらは表裏一体である」ということを言っている。
それを仏教者が見抜いて話すことができなかった事が、近年の家庭崩壊・社会崩壊に結びついていると思う。
男が子どもを産めないという事は物理的事実であって、意識的に消失させられる問題でもまやかしの問題でもない。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 09:42:01
今の僧侶は自分を追及することを怠っているから
>>14のような結論になるのだと思う。
仏教を誤釈し、「あなたが母親である事は幻想である」と母親に言ってしまったところが、母親の家庭放棄につながっている。
それは仏教を私的なレベルでのみ捉えた、仏教の宇宙観を理解しない考えだと思う。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 09:56:52
まあ結局「男女問題」になるのだけれど、これを現代社会において「考えることが無駄」と思うなら、大衆に言葉を発する宗教者なんてやめた方がいい。引きこもってるべきだと思う。
いつの時代も、このような「陰陽の問題」は常に社会の騒乱の根源的主題であった。
それに最初の決着をつけたのが釈迦だ。その釈迦が残した言葉について、深く考えることを放棄するのは勿論人の勝手だ。
ただそういう僧侶は、僧侶としての限界を自覚して、子どもたちが苦しんでいくさまを横目でみつつ無視して余計な事を言わず勝手に死んでいくべき。
そういうのはあり方としては勿論否定はしない。けど、そういう生き方であるがゆえ、自分に説教する資格はない。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 10:10:28
>>22 >それに最初の決着をつけたのが釈迦だ。
どんな?
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 16:13:48
「事実」は「事実」です。
それを「問題」にしてしまうのは愚かな人間の心です。
問題を考えるのではなく
なぜ自分は事実を問題にしてしまうのか
自分の心を深く探りましょう。
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/20(木) 18:20:24
自分が女であることは差別だ!なんて男に言ってもしょうがないのにね。
この点でそういうことを女に言わない男の方が賢い。
ただ、今は事実であろうと問題であろうと自分の利を訴えでない方が「愚か」という風潮だよね。
「事実ではないもの」がまかり通っている社会だ。
今の女の95%は愚かだな
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/05(月) 23:19:53
ほお
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/06(火) 07:25:21
ホモ、幼児(稚児)ホモだったから。
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/06(火) 07:31:27
宗旨を守った生活はしてほしい。出来ないなら僧籍返せよ。
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/22(木) 19:52:11
葬儀屋の宗旨は儲けることや。文句あるか、低脳。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/22(木) 20:12:20
破戒無懺の獅子身中の虫は、十悪五逆の罪を重ねる。
この世にては貧困と侮蔑にまみれ、
当来にては堕地獄、無比の苦しみに溺れる。
救いはどこにもない。
哀しきかな、痛いかな。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/27(火) 00:25:40
妻帯しないと、女の心なんてわからん。
禁欲や、性差区別による思考制御が修行の真髄だと思ったら「大間違い」だ。
いろんな思想・あらゆる人の気持ちがわからんと、住職なんてやっていけない。
おれなんか妻帯した結果、本山修行より厳しい日常を送ってる。
子供生ませるが別性名乗らせて「妻?何それ?」ってとぼけた制度があったはず。
古い寺で寺族の墓がいくつにも分かれてるのはそういった背景あっての事だって話を聞いた事がある。
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/15(火) 09:59:38
>>1 なんでちゃんと誰も答えてないんだ。
釈迦が悟りの道に妻帯はダメと述べたのは
美食をむさぼったりといった我欲をなくしていくことこそが
苦からの脱却の道という理論だから。
キリスト教では神のために勤勉に働き儲けることが善行といえるが
仏教ではいかに小さく生きるかという、我欲を無くすことが救いと解く。
神の奇跡による救いを説くキリスト教他と
己の知慧によって救いへ至ると解く仏教の違いだ。
所有欲というものはそういう意味で、苦をもたらす。
苦から解き放たれた涅槃の境地を目指すなら捨て去らねばならないもの。
妻帯とは所有に他ならないわけで、苦を無くそうとするなら捨て去らねば
涅槃には至らない。
妻帯をすればそれにともない妻への執着心と、それに伴う苦しみが当然生まれる。
そういう理屈なわけです。
仏陀の境地を目指す修行僧にとって、それは必要が無いものなわけです。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
葬儀屋が妻帯しても何の問題もなかろう