>>950 梅毒斎 さん
どうも、ありがとうございます。
次は、七則になるはずと思いますが・・・(汗)
>>952 >七則
いやー、酔っぱらい運転はあきまへんねえ。
これが本当に車運転してるんだったら二三人ははねたかな?
>>953 梅毒斎 さん
>952
> いやー、酔っぱらい運転はあきまへんねえ。 これが本当に車運転してるんだったら二三人ははねたかな?
人身事故は、大変ですよ。被害者も、加害者も。
>>954 吾妻ひでぇおの漫画で、人を車ではねとばしといて金剛手が「あ、わりいわりい」で、
すませてる話がありますた。漫画だなあ。
>>955 梅毒斎 さん
人身保護、というのは不条理の面があります、運転側からの視点では・・・
最近、怒りっぽくなってきた。怒りが制御出来ん。ヤバイ、ぼけてきたかも。
>>956 運転も無心にならなければならない。
なのに、今日もイライラです。
>>956 中央分離帯があるような道路を無理矢理渡ろうとしたじいさんを撥ね殺したとかなど、
むしろ運転手の方に同情しますね。
それとか交通誘導のガードマンなど時々「おまい普免持ってねえな?」という感じで
まったく運転する側のことを考えてない香具師が居ますね。
>>960 その前に、木鶏にならなきゃ。だって、好きな人に今日も怒ったです。自分自信に絶望しました。糸色望先生です。
>>957 桑 さん
> 最近、怒りっぽくなってきた。 怒りが制御出来ん。 ヤバイ、ぼけてきたかも。
あじフライには、ソースをかけますか?しょうゆをかけますか?
ソースをかけるとすえば、ブルドックソースですか?イカリソースですか?
イカリが活躍するのは、これくらいです。
あとは、春の野に吹く春風。
>>958 桑 さん
>
>>956 > 運転も無心にならなければならない。 なのに、今日もイライラです。
運転は、リアルです。
相対の世界です。
色(リアル)の世界でしっかり、がんばらないとね。
>>964 あー恋愛したくない。というか、こういうときにこそ坐禅
>>959 梅毒斎 さん
そうですよね。
いつも大きな道路を強引に渡って周囲をひやひやさせていたおばあさん、跳ねられて、死んだ。
跳ねた運転手さん、道路わきに座り込んで動けなかった。
>>965 桑 さん
>
>>964 > あー恋愛したくない。というか、こういうときにこそ坐禅
思い通りにならないのです。
あなたがあなた自身を愛するように、彼女が、あなたのようになるわけはありません。
彼女の領分は、あなたとは、別です。
他スレで見つけた、カキコ
「 841 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2008/06/06(金) 09:32:55 ID:Bj5GhLZz
『相応部経典(ソウオウブキョウテン)』VII・1・3・6
愚者ははげしい言葉で語りながら「私は勝っている」と考える。
しかし、真理を知る人が(誹謗を)堪え忍ぶなら、その人にこそ勝利がある。
あるとき、釈尊は王舎城(オウシャジョウ)におられた。
そのとき、あるバラモンが、仲間のバラモンが釈尊の弟子になり、出家したと聞いて激怒した。
さっそくに釈尊のところに行って、荒々しい言葉で思い切り非難した。
しかし、釈尊は沈黙したままで聞いていたという。
バラモンはさんざん言いたてて最後に「お前は負けた」と叫んだ。
それに対して答えた釈尊の言葉が見出しの句である。
現実の問題として、人に非難攻撃され、黙って聞いていることはむずかしい。
根拠のない非難ならば釈明するし、必要以上に非難されればそれなりに言い返す。
非難されてもしかたないようなことを非難されても、腹を立てて罵(ノノシ)り返すことも普通である。
黙っていて、言われっ放しにしていたら、友人たちに愚か者、臆病者とも呼ばれかねない。
しかし釈尊は見出しの句に続けて、さらに言うのである。
怒った人に怒り返すのは悪いことだ。
怒った人に怒り返さないのが勝利である。
他人の怒りに平静でいるのは、世の人は「愚か者」と言うかもしれないが、その人にも、自分にもためになるのだ。 」
>>967 ダメダメダメダメダメダメな怒りです。
当然な怒りから、怒りが癖になり、怒りが暴走半島です。
>>968 う〜ん、その人の気持ちは、聞きました。「職場恋愛はしない。」って、でも、まあー明日がある。暑中見舞でコクる。
僧だけど。
>>969 福祉はバイトみたいなかんじですが、その精神は必要です。有難うございます。
>>970 桑 さん
>
>>967 > ダメダメダメダメダメダメな怒りです。 当然な怒りから、怒りが癖になり、怒りが暴走半島です。
自分の中に正義を持ち込むと、その正義が、判断基準になって、自分自身を食い尽くしますね。
>>971 桑 さん
>
>>968 > 「職場恋愛はしない。」
職場恋愛、禁止という職場も有りますが・・・
>>970 うーん、こういうときは禅より真言法だねえ。金剛夜叉明王の真言でも唱えたら?
真言法は「煩悩即菩提」というが、大抵の人は性欲や物欲と勘違いしている。
大乗仏教が最初に肯定した煩悩は「怒り」。
>>977 「オン マカヤキシャ バザラサトバ ジャク ウン バン コク ハラベイシャヤ ウン」
あるいは
「オン バザラヤキシャ ウン」
と言う真言です。真言だけ唱えて効果があるかどうかは判りませんが。
あと怒りに対しても使ったことはないです。でも性欲とかはムラムラした感じが
すっきりしますねえ。
金剛夜叉明王は金剛尽と言って、クジラがバクバクエサを食べるように
煩悩を食らいつくしてしまうと言う明王です。
>>978 今からします。有難うございます。
では、みな様おやすみなさい。
>>975 梅毒斎 さん
> 煩悩は「怒り」。
そうなんですか・・・φ(。。;)メモメモ
生存欲、とでも言いますか、行きたい、死にたくないって言うのが、煩悩の最たるものだと思っていました。
>>976 桑 さん
この正義ってやつが、曲者でねー、(;^_^A アセアセ・・・
「仏教」ってなに?
A1.仏教とは、文字通り「ほとけ(仏)の教え」であり、「ほとけ(仏)になるための教え」のことです。
A2.わかりやすく説明すると、仏教っていうのは、キリスト教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一つで、釈迦と呼ばれる人物(お釈迦さま)が、おそらく紀元前6〜5世紀にインドのガンジス河中流域で始めた宗教のことです。
英語でいうとBuddhism ブッディズム。釈迦の教えに基づいて、自らの苦しみを消滅させてさとりを開き、ほとけになる(成仏する)ことを目的とします。
紀元前三世紀頃からインド国外にも伝わり、徐々に中央アジア、東南アジア、東アジアなどへと広まっていき、日本に伝えられました。
「ほとけ」ってなに?
ブッダ=仏陀のことです。
ブッダとは、狭い意味では仏教を始めた釈迦のことをいいますが、もともとは、「目覚める」という動詞の過去分詞形で、広く「目覚めた人」「悟った人」を意味します。
広くは悟った人すべてを意味する一般名詞です。
この仏陀が省略されて仏となり、日本語ではほとけと読まれるようになりました。
日本では観音さま、お地蔵さま、お不動さまなど、寺院にまつられる尊像をすべて「ほとけさま」と呼ぶ習わしです。
また仏という文字は、旧字体では佛ですが、にんべんの人に否定を表す弗で「人に非ず」を意味する字なのです。
そこから一般的に死者(の霊)のことをほとけというのは、「死者は神になる」という信仰から、神と仏が同一視されて、死者の霊や先祖のことをほとけというようになったという説や、
わたしたち人間はもともとはほとけの世界に住んでいたのですが、修行のためにこの現実世界に生まれ、死後再びほとけの世界に帰るので死者をほとけといった、などさまざまな説があってはっきりしたことはわかっていません。
お釈迦さまってだれ?
A.仏教を始めた人です。「釈迦(しゃか)」はサンスクリット語のシャーキヤを音訳したもので、本来はシャーキヤ族という種族の名前です。
仏教の開祖であるお釈迦さまは、この釈迦族出身であり、釈迦族の聖者ということで釈迦牟尼(しゃかむに)と呼ばれます。
そのため釈迦は、一般的には、釈迦族を意味するよりも、この釈迦牟尼を略した言葉として使われることが多いのです。
また釈迦のことを尊称して釈尊(しゃくそん)ともいいますが、これは釈迦牟尼世尊を省略したものです。
お釈迦さまの本名は?
A.サンスクリット語で、ガウタマ(ゴータマ)・シッダールタです(パーリ語だとゴータマ・シッダッタ)。
ガウタマが姓で「最上(最高、最良)の牛」を意味します。シッダールタが名前で「目的を達成した人」を意味します。
ガウタマは、本来はインドで最高位にあるバラモン(司祭階級、ブラーフマナ)にのみ許されていた姓なのです。
ですから貴族(武人)階級(クシャトリヤ)に属する釈迦の姓がガウタマというのはおかしいのですが、当時は都市国家が栄えクシャトリヤの権威が増していたようですし、
また釈迦が住んでいたところは辺境だったので、そうした決まりが厳密に守られていなかったのかもしれません。
まあ、日本でも姓の売り買いが行なわれていたことですし(たとえば武士の姓を大商人に売るとか)、
もっとも早く作られたと考えられている経典(たとえば『スッタニパータ(経の集まり)』第5章「パーラーヤナ・ヴァッガ(彼岸道の章)」など)でも、
他教(バラモン教)の人間が釈迦のことを「ゴータマよ」と呼びかけていますので、ガウタマ(・シッダールタ)を本名と考えてもよいでしょう。
(シッダールタのほうは、古い経典には出てこないようです。)
ただしこれは出家前の呼び名で、悟りを開いてからはゴータマ・ブッダ、シャーキヤムニ・ブッダなどと呼ばれていました。(出家後〜成道まではシャーキヤムニとされています。)
お釈迦さまは実在の人ですか?
A.釈迦は「太陽の子孫(日種 にっしゅ<日種族>)」と呼ばれることもあり、
また初期の経典でも、6本の牙を持つ白象(びゃくぞう)が右脇から体内に入る夢を見て母親のマーヤーが懐妊したなど、釈迦の生涯についてかなり神話的な要素がたくさん盛り込まれています。
そのためフランスの仏教学者スナールは、「実在の人物ではなく太陽を神格化したものであり太陽信仰の象徴である」という説を(1882年)発表しました。
しかしながら学会ではあまり相手にされず、
その後1898年1月イギリス駐在官であったペッペという人が、北インド地方にあるピプラワーというところで古いストゥーパ(仏塔)を発掘中に仏舎利(ぶっしゃり、釈迦の遺骨のこと)の入った壷を発見したのです。
その壷には紀元前3世紀頃の文字で「釈迦の遺骨を納めた壷である」というようなことが刻まれていました。
これはおそらく本物の仏舎利であろう、と認められたため釈迦は実在の人物であることがほぼ決定されたのでした。
こうして「釈迦非実在説」はもろくも崩れ去っていったのですが、最近釈迦の実在を裏づける証拠がまた発見されました。
インド国境にほど近いネパールのルンビニーという農村で発掘された石室から、この地が釈迦の生誕の地と認定されたのです。
石室には、釈迦の王子時代の姿をかたどった陶器などが納められていたといいます。
またアショーカ王(阿育王<あいくおう>、在位紀元前268年頃〜232年頃)がブッダ生誕の地を訪れたとき、ここが生誕地であることを示すために残したと考えられる石碑や、釈迦がこの地で誕生したことを示す生誕石が発見されたのです。
こうした発見は、「釈迦の生誕地はどこか?」という問題に解答を与えるだけではなく、釈迦が実在の人物であることをより完全に証明するためにも必要なことだといえるでしょう。
お釈迦さまの生涯は?
仏教をお開きになったお釈迦さまは、今から約2500年ほど前に実在した方です。
お釈迦さまはシャカ族の王子としてルンビニーという所でお生まれになりました。
(降誕)その後、成人し結婚して子供も設けたのですが、大変に繊細な方で常に死の恐怖と戦っていたようです。
そして、29歳の時に周りの反対を押し切って、とうとう髪を剃って城を出て修行生活に入ってしまったのです。(出家)
その後6年間色々な苦行をなされましたが(苦行)、ある時、苦行だけでは「さとり」は得られない事に気づき、苦行から離れてしまいました。
そして、ガヤーという地のナイランジャナー河(尼連禅河)をのぞむ沙羅双樹の下で深い瞑想に入り、ついにさとりを開いたのです。(成道)
そして、ブッダ(目覚めた人)と言われるようになりました。
その後その地はブッダガヤーと言われ、また、沙羅双樹も聖なる樹(菩提樹)として崇められるようになりました。
それから、その覚った内容を人々に説いて導こうと決意し、バーラーナシー郊外のサールナートと言うところで、初めての説法をしました。(初転法輪)
その後は次々とお釈迦さんの下にお弟子さんが集まってきました。
教団自体も成長し、信者も増えその信者の寄進であちこちにお坊さんが集う場所が出来ました。
その中でも「平家物語」に出てくる「祇園精舎」と、「竹林精舎」が有名です。
お釈迦さまはその後も各地を遊説し、80歳になってふるさとをめざす旅に出発しました。
しかし、途中で重い病にかかり、クシナガラと言う地で亡くなりました。(入滅・涅槃)
この中のルンビニー・ブッダガヤー・サールナート・クシナガラは仏教の4大聖地として、仏教徒達が巡礼を行ったのです。
お釈迦さまってどこで生まれたの?
A.ルンビニーというところです。
現在、この地は、インドに近いネパール南部のタラーイ地方にあるルンミンデーイーだろうとされています。
ですから、今の区分でいえば、釈迦はネパール生まれということになるのです。
ここが釈迦誕生の地とわかったのは、わずか100年前のことです。
1896年12月考古学者のフューラーは、アショーカ王が建てた石柱を発見しました。
その碑文には、ここが釈迦生誕の地であることが記されていたのです。
この結果、ここルンミンデーイーが生誕地とほぼ決定されたのでした。
また最近、この場所で新たな証拠が発見されたため、完全に証明されたといえるでしょう。
ただし生まれたところは、あくまでも「生まれたところ」です。
たとえば東京に住んでいる夫婦がいるとしましょう。
奥さんは神奈川県出身で、妊娠しています。
いろいろな事情から里帰りして出産することにした、というケースを考えてみてください。
いかがでしょう。子供が生まれたのは神奈川県ですが、日常生活を送る場は東京です。
釈迦の誕生も、実はこのケースに似ているのです。
母親のマーヤーはコーリヤ族の出身で、釈迦族のシュッドーダナ王に嫁いできたらしいのです。
釈迦族の根拠地(首都)はカピラヴァストゥというところでした。
ここは、釈迦が生まれたルンビニーとは約24、5キロ離れています。
なぜそんな離れた場所で出産したかについては、出産のため故郷に帰る途中だったのではないか、と推測されています。
旅の途中で出産したというわけです。
ですから、生まれた場所も非常に重要だとは思うのですが、釈迦が実際に生活していた場所、活動の拠点も非常に重要なのではないかと思います。
ちなみに伝説では、釈迦はマーヤーの右脇腹から生まれたとされています。
お釈迦さまの誕生日は?
A.生年については、おもに、紀元前463年頃、紀元前566年頃、紀元前624年頃の三説があります。
諸説ある理由は、経典・論書などの記述に違いがあったりするからです。
「紀元前463年頃」は北方伝承に基づく説、「紀元前566年頃」は南方伝承に基づく説、「紀元前624年頃」は現在南方仏教諸国(スリランカ、タイ、ミャンマーなど)で伝承されている説です。
日本では、現在「紀元前463年頃」説が有力ですが、この説にもかなりの欠点があるので断定することはできません。
月日については、「ヴァイシャーカ月の満月の日」とされています。ヴァイシャーカ(パーリ語だとヴェーサーカ<ウェーサーカ>)は、インドの暦(太陰暦)の第2番目の月で、太陽暦だと4月か5月に当たります。
そのため日本では4月8日を釈迦の誕生日としています。
しかしパーリ語の経典などでは、悟りを開いた(成道<じょうどう>)日、釈迦が亡くなった(入滅<にゅうめつ>、仏滅<ぶつめつ>)日も同じ日なのです。
もちろんそうした偶然もあるとは思うのですが、ちょっと疑問が残ることも確かです。
お釈迦さまの国籍は?
A.インド人といっていいと思います。
釈迦が生まれたのはネパール領内ですが、当時は今のような国境はありませんでした。
ネパール南部とインド北部は同じような文化をもっていたでしょうし、民族的にも大きな違いはなかったと考えられています。
ですからインド人ということにしておきましょう。
お釈迦さまってどんな言葉を話していたの?
A.釈迦がおもに活動していたのは、当時最大の国であったと考えられるマガダ国やライヴァルのコーサラ国です。
そのため、この地方で話されていた言葉を釈迦も使っていただろうと考えられています。
具体的にはマガダ語などですが、その全貌はよくわかっていません。
お釈迦さまって何歳まで生きたの? 死因は?
A.80歳です。ちなみに釈迦が亡くなったことを入滅(にゅうめつ)、仏滅(ぶつめつ)といいます(涅槃<ねはん>ともいいます)。
入滅の日は「ヴァイシャーカ月の満月の日」だと伝えられています。
このヴァイシャーカは、インドの暦(太陰暦)の第2番目の月です。
そのため2月15日を釈迦の入滅(涅槃)の日としています。
ところで、問題は西暦何年に亡くなったかです。
かなり古くからいろいろな説があって、非常に複雑になっているのです。
南方仏教諸国では紀元前544年頃と考えられています。
日本では、ちょっと前までは、歴史方面で紀元前486年頃に入滅したと考えられていたのですが、現在では、紀元前383年頃説が有力で、教科書でも一応この説が採用されています。
しかし断定することは危険です。
全世界の学者がさまざまに頭をひねって研究しているのですが、決定的といえる解答は出ていないというのが実状です。
カレンダーの仏滅って、お釈迦さまと関係あるの?
A.違います。
これは、日の吉凶を示すために作られたもので、カレンダーに対する注釈なのです。
正しくは「仏滅日」といいます。
六曜(ろくよう)とか六輝(ろっき)といって、中国から入ってきた考え方です。
実際の生活に根づいたのは江戸時代の後期とされていますから、意外と新しいものといえるでしょう。
はじめは「空亡(くうぼう)」といっていたらしいのですが、その後「物滅」と変化し、「仏滅」と書かれるようになったようです。
ですから釈迦の入滅=仏滅とは関係ありません。
今でも結婚式には「仏滅の日」が避けられますが、それは釈迦が亡くなった日だからではなく、六曜によって「悪い日(凶日)」と考えられているからなのです。
般若波羅蜜多心経 唐三蔵法師玄奘訳
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
舎利子。
色不異空。空不異色。
色即是空。空即是色。
受想行識亦復如是。
舎利子。
是諸法空相。
不生不滅。不垢不浄不増不滅。
是故空中。
無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法無眼界。
乃至無意識界無無明。亦無無明盡。
乃至無老死。亦無老死盡。
無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。
菩提薩。
依般若波羅蜜多故。
心無礙。無礙故無有恐怖。
遠離顛倒夢想。
究竟涅槃三世諸佛。
依般若波羅蜜多故。
得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多。
是大神咒。
是大明咒是無上咒。
是無等等咒。
能除一切苦。
眞實不虚故。
説般若波羅蜜多咒即説咒日
掲帝掲帝 般羅掲帝般羅僧掲帝 菩提僧莎訶
般若波羅蜜多心経
>>980 我々が生活や修道の上で問題になる煩悩は大抵三毒で説明できますね。
貪り、怒り、愚かの三つです。
生存欲とかは貪りですね。根本は愚かですが、生存欲が愚かさから生じる
プロセスをあますところなく説明したのが12因縁です。
>>996 梅毒斎 さん
生存欲、
お教えを詳しく、<(_ _)>
淋病宗尿心寺派
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