空海VS日蓮     

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900名無しさん@京都板じゃないよ
>>868
金剛智三蔵は南天竺の王子様でしたが、漢の国に(真言宗の両部の一つ)金剛頂経を伝えました。善無畏が大日経を伝えたのとイイ勝負なので、互いに「法を伝え合い」ました。

(でだ、) またしても雨乞いの時に金剛智に勅令がくだされた。

七日で雨は降ったが(またしても、善無畏の時と同じく)皇帝が喜んだのも束の間に、大風害になってしまって宮廷の人々も呆れ果ててしまって、警護の役人に申付けて、態のいいトコロバライにした。

ところが、ナンのカンのと(以前のああいえば何某氏みたく)ディベート術を駆使していのこった。

挙句の果てには、帝の皇女の若死にあって「甦らせましょうと言葉巧みにいいよって」、皇女の身替りとして

二人七歳のの女官を(タブン、柴燈護摩のようなバカでっかい)護摩壇の壇木に詰め込んで、(無駄に)焼き殺したことは

ムザンの極みとしか言いようがない。 そこまでしても、結局は皇女も甦らず。女官も焼殺しただけになってしまった。