○  千葉県の神社・仏閣  ○

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176名無しさん@京都板じゃないよ
>>158
印内八坂神社は、今からおよそ250年前の享保年間に、
京都府京都市東山区祇園町にある八坂神社より分霊を勧請しました。
印内大六天はそのはるか以前から今の場所に鎮座していました。由来は以下の話です。
・・・葦原中国を平定するに当たって、
遣わされた天菩比神が3年たっても戻って来ないので、次に天若日子が遣わされた。
しかし、天若日子は大国主の娘の高比売命と結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。
そこで天照大御神と高御産巣日神は雉の鳴女を遣して戻ってこない理由を尋ねさせた。
すると、その声を聴いた天の佐具売が、不吉な鳥だから射殺すようにと天若日子に進め、
天若日子は遣された時に高御産巣日神から与えられた弓矢(天羽々矢と天鹿児弓)で雉を射抜いた。
その矢は高天原の高御産巣日神の元まで飛んで行った。
高御産巣日神は「天若日子に邪心があるならばこの矢に当たるように」と誓約をして下界に落とすと、
矢は寝所で寝ていた天若日子の胸に刺さり、天若日子は死んでしまった。
高比売命の同母兄の阿遅鉏高日子根神は天若日子の葬儀を訪れた。
しかし、阿遅鉏高日子根神は天若日子とそっくりであったため、
天若日子の父の天津国玉神が、天若日子が生きていたものと勘違いして抱きついてきた。
阿遅鉏高日子根神は穢わしい死人と一緒にするなと怒り、
剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。高比売命は阿遅鉏高日子根神の名を明かす歌を詠んだ。
・・・このような話が古事記に見えますが、印内大六天は、
阿遅鉏高日子根神が切り倒して蹴り飛ばしてしまった喪屋の一部が飛んできて積もった場所で、
ここに住んでいた者たちが天から降ってきた不思議な物体をおそれかしこみ禁足の聖地として定めたのです。
天孫降臨よりも以前の開創ということで、神武天皇即位紀元が西暦紀元前660年として、
インドで釈迦の誕生が紀元前5世紀ぐらいとして、仏教よりも古い神社。
177:2008/10/28(火) 17:21:06
>>167
そういうわけで、印内大六天神社も主祭神は高御産巣日神です。
「高皇産霊神」は日本書紀で使われた表記で、
古事記では「高御産巣日神」と書かれています。
先代旧事本紀の国造本紀によると、軽島豊明の帝(応神天皇)の御世に、
神八井耳命の八世の孫の伊都許利命を国造に定められたとありますが、
伊都許利命が、印内のこの地に降ってきた不思議な物を天若日子の喪屋の一部であったことを突き止め、
高御産巣日神をおそれ敬うようにと村人たちに教えたという話です。