【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン13【御同行】

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894名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 09:56:43
>>890
仏は霊だ


895名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 09:59:49
>>893
それが真実。非常に単純な、しかし根本的な問題なんだよな。
896名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:01:43
そういえば新宗教系仏教団体も法華系と密教系が盛んですね。
897名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:04:14
マルクス、唯物論、共産主義も、宗教だったと見るべきか。
898名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:07:34
浄土系のウリは「修行しなくても浄土に行けます」だから
この世では四六時中修行を気にしないでいいからリラックスして生きようぜ、
っていうことなんでしょ?単純な話。

それがいつのまにか難解でパラドキシカルな哲学になってる気がするわ

899名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:11:10
あの世や霊を否定するから、脳が錯乱し、実存哲学の亜種のようなものになった。
900名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:18:44
真宗坊主は近代以降の哲学気取った小利口な真似は辞めて、親鸞や蓮如の時代まで戻らないと
人々を救う事なんて出来ないよ。
一向宗と呼ばれた頃は、日本全国を席巻するほどの説得力が有ったんだからね。
901名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:34:35
宗教とオカルトの時代を生きる知恵 (単行本)
谷沢 永一 (著), 渡部 昇一 (著)
▼ますます混迷の度合を高める時代において、「宗教とオカルト」という人間の存在を大きく左右してきた問題の重要性と危険性は、ますます高まってきている。
▼しかし日本人はこれまでの風土から、宗教を知らず、オカルトに弱い性質がある。▼そこでオカルトを長年研究対象にしてきた渡部昇一氏が、これまでの蓄積をもとに、
(1)学問とオカルトの違い(2)良い宗教と悪い宗教との違い・判断方法(3)宗教とオカルトの類似性(4)オカルトと宗教を裏付ける奇跡について
(5)宗教とオカルトがなぜ人をひきつけるのか(6)若者に対する、<日教組>教育の問題点(7)日本人は、宗教・オカルトとどうつきあっていくか等々について、
親友・谷沢永一氏と縦横無尽に語り合う。
渡部 昇一
1930年、山形県鶴岡市生まれ。55年、上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。同年、助手に任命。また、同年、ドイツ・ミュンスター大学留学。
58年、Dr.Phil.(哲学博士号)、英国オックスフォード大学留学。60年、上智大学文学部英文科講師、助教授を経て教授となる。
その間、ニュージャージー・ノースカロライナ・ミズーリ・ミシガン各州の6大学においてフルブライト招聘教授。
94年、Dr.Phil.h.c.(名誉哲学博士号)を受ける。2001年、上智大学名誉教授に就任。学会役職に、日本英文学会理事・評議員を8期。
政府委員関係では、国語審議会委員、大蔵省税制調査会特別委員、通産省産業構造審議委員会臨時委員。
現在、イギリス国学協会会長、日本ビブリオフィル協会会長、日本財団理事、等多数。1976年、第24回日本エッセイストクラブ賞受賞、86年、
第1回正論大賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

第1章 宗教を知らない日本人 第2章 祈りごとをしなくてすむ現代 第3章 学問とオカルトの境界線とは
第4章 良い宗教、悪い宗教の判断方法 第5章 すべての宗教はオカルトである 第6章 奇跡を起こす人は存在する
第7章 人間は生まれると生前の記憶を失う 第8章 宗教とオカルトの不合理さが人を惹きつける 第9章 安っぽい啓蒙教育が若者をだめにする
第10章 宗教・オカルトとどうつき合うか

902名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:37:54
渡部昇一先生はカトリック信者だ。
903名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 10:51:13
真の保守的思想家だな。
904名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 12:28:02
霊魂スレでやってください。
905名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 12:41:40
霊魂はない、というのも不可知なものに対する信念ですから、
それも宗教です。
906名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 13:25:08
しかしそれは仏教ではない。外道。
907名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 14:03:49
霊魂フェチが、あいかわらず粘着しているな。
そんなに成仏したくないわけか。

まあ、形而上学的な話にはついて行けず、
そんな話が理解できない腹いせに、
こんなところで、うっぷん晴らしのようだな。

ご苦労なことだが、ヒマだなあ。
他にすることないのか。
908名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 15:35:47

これはコンピューターによる、定期の自動カキコです。


909名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 16:05:54
霊魂フェチの自動粘着カキコの方がキモイけど。
910名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 18:44:12
科学で説明出来ないからって、釈迦や親鸞の言葉を修正しちゃダメだろ
仏教を歪めても飯のタネにしがみつきたいんだなあ
911名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 19:08:01
で、浄土往生しても成仏できずに、
いつまでも霊魂のままというのが、釈迦や親鸞の言葉なわけ?
それが仏教だとでも言うわけ?

まあ、ここで吠えているだけだろうけど。
912名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 19:20:06
>>910
激しく同意!

修行しない(しちゃいけない)と公言している真宗禿が
なぜに修行した人の残した言葉を勝手に捻じ曲げているんだろうね。
袈裟は着ているけどプロの振りした完全な素人なのにね。
913名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 19:56:18
>>911
コピペ
親鸞が死後の往生と死後の霊の活動と輪廻を認めている手紙

親鸞聖人御消息より

(弟子の覚信坊が、最後まで信心が変わる事無く臨終したことを受けて)
「終りのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来と称えられて、手を組みて、静かに終わられて候いしなり。
また、遅れ先立つためしは、あわれになげかしくおぼしめされ候とも、かならず最初、引接(迎え取る)のちかいを起こして、
結縁・眷属・朋友を導くことにて候なれば、しかるべくおなじ法文の門に入りて候えば、蓮位もたのもしくおぼえ候。
また、親となり、子となるも、先世のちぎりと申し候えば、たのもしくおぼしめさるべく候なり。」
914名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:03:31
>>911
あんた、論点が完全にズレテルよ。
915名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:12:48
>>913
>親鸞が死後の往生と死後の霊の活動と輪廻を認めている手紙

どこが?
916名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:17:12
>>915
問題 
1)日本語で、現代語に訳せ。(10点)
917名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:25:59
そりゃあもう、輪廻からの解脱が仏教のテーマだからのお。
918名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:29:46
>>916
どこにもお前の言う様な記述はないんだが、
何か勘違いしてるだろ

ちゃんと指摘してみ
919名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:34:24
>>918
逃げずに、やり遂げよ。
そして、前文貼り付けろ。
話はそれからだ。
920名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:36:02
>>913
> 親鸞が死後の往生と死後の霊の活動と輪廻を認めている手紙
>
> 親鸞聖人御消息より
>
> (弟子の覚信坊が、最後まで信心が変わる事無く臨終したことを受けて)
> 「終りのとき、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来と称えられて、手を組みて、静かに終わられて候いしなり。
> また、遅れ先立つためしは、あわれになげかしくおぼしめされ候とも、かならず最初、引接(迎え取る)のちかいを起こして、
> 結縁・眷属・朋友を導くことにて候なれば、しかるべくおなじ法文の門に入りて候えば、蓮位もたのもしくおぼえ候。
> また、親となり、子となるも、先世のちぎりと申し候えば、たのもしくおぼしめさるべく候なり。」
>
おやおや、なにを引っ張り出すのかねえ。
ちゃんとわかって引用しているの?
だいたい、ここの霊魂フェチはこういうのの言葉尻だけで文句言うからね。

まず、これは親鸞の言葉じゃないの。
蓮位という弟子が、親鸞の手紙に添えて書いた文。

死後の往生は、真宗でも当たり前だから問題ないし、
死後の霊の活動なんて決めつけてるけど、
霊じゃなくて仏としての活動。
迷いの霊魂じゃ人を救う活動などできないよ。
それが書いてあるのは、霊魂じゃなく仏になることが前提。
仏として還相のはたらきをこの世に及ぼすのは、
霊魂のような生まれ変わりじゃなく、
仏としての「はたらき」。
この世に再び生まれ変わって輪廻するんじゃ、
仏になれなかったことになる。

ちゃんと意味を理解してから引用するんだね。
921名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:41:49
>>920

結局、>>919は日本語が読めない人だった訳か
おかしいと思ったよ
922名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:43:24
霊も仏もいっしょだろ。言葉の違い。
霊は迷えるものとしてだけではなく、精霊、天使のような存在もある。


923名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:44:12
スピ厨、自爆w m9(^Д^)プギャー!
924名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 20:45:39
>>922
おお、ちゅうぼうよ
かみとれいをこんどうするとはなさけない
925名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:00:10
霊は悟ってない。仏は悟ってる。
仏教ではそういうふうに定義されているはずだと思う。
それを無視して霊も仏も同じ、というのでは話にならないのではないか。
926名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:01:35
スピ派は、
人(霊+肉)−肉=霊
だろ。
浄土往生は
人(霊という要素はない)→仏
だろ。
927名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:02:27
その解釈、滅茶苦茶だと思うぞ

つーか、釣りか?
928名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:04:11
浄土往生は
人(霊)→仏(霊が浄化)でもOKじゃないの?
929名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:04:55
927は925へのレスのつもりだったけど
926へのレスでもいいやw
930名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:06:05
霊魂は存在しないのか。じゃ何が仏になるの?って
いつのまにか俺も霊魂肯定派になってるわw
931名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:07:33
よくわからなくなってきた。925は無視してくれ
テキトーに書いただけだから
932名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:08:16
>>920>>921
こうとしか読めないのだが?

覚信坊は、臨終の時、南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来となえられ、手を組み、静かに息を引き取られました。
先立って逝かれたことは、とても淋しく思われますが、
覚信坊は、間違いなく、すぐに、(霊になって)死者を迎え取るという、ちかいを持たれ、
今後は、結縁・眷属・朋友を導くことになると思えば、この素晴らしい同じ法文の門に入っている蓮位も心強く感じられます。
また、親となり、子となって生まれ変わり再会することも、前世のちぎりといわれますように、来世でもまた会えると思うと、また一層心強く感じられます。
933名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:08:44
心の内容が脳の構造や活動に依存的であることは知ってるよね?
脳がなくなったら、とりあえず、今の自我意識とかは消えるはずだよね。
なんか、霊というとそういう自我の継続性のようなものをイメージしてしまうから、
浄土往生のことを言うときは、仏といったほうがいいな。
934名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:08:48
ともかく真宗(仏教)では霊魂は存在しない、
往生はこの世での信心決定の心のあり方のことを指す、
ということだよね。
935名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:11:11
>>932
>すぐに、(霊になって)死者を迎え取るという、

無理ありすぎwww
936名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:15:25
なんか、「それにしても気になるのは若者の右傾化だ」に近いものがあるなー
937名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:16:03
>>921
>死後の往生は、真宗でも当たり前だから問題ないし、
なるほど死後には何かが存続すると。

>死後の霊の活動なんて決めつけてるけど、
>霊じゃなくて仏としての活動。
それは言葉の問題。霊でも問題なし。

>迷いの霊魂じゃ人を救う活動などできないよ。
天使や菩薩や如来は霊じゃないのか?じゃあ何?肉なの?

>それが書いてあるのは、霊魂じゃなく仏になることが前提。
どっちでも良い。

>仏として還相のはたらきをこの世に及ぼすのは、
>霊魂のような生まれ変わりじゃなく、
>仏としての「はたらき」。
それは、生まれ変わりとは言わない。生まれ変わりとは、肉体をもってまた生まれてくること。
それが輪廻。そして、蓮位の文には、はっきりそう書いてある。

>この世に再び生まれ変わって輪廻するんじゃ、
>仏になれなかったことになる。
「親となり子となり」とは、生まれ変わってからの、肉体の関係のことだろ。
938名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:17:24
>>934
それは外道
939名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:17:51
>>933
唯物論だな。
940名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:19:06
>>937
>それは言葉の問題。霊でも問題なし。

あなたの仰る「霊」とは何でしょうか
941名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:21:40
>>925
>霊は悟ってない。仏は悟ってる。
>仏教ではそういうふうに定義されているはずだと思う。
>それを無視して霊も仏も同じ、というのでは話にならないのではないか。

それは、いいんだが。
禿の場合は、「悟ってない霊の存在を認めないで、死んだら全てが仏になる。」
と、唯物論を誤魔化すために、詭弁ばかり言うから、そこを指摘されている。
霊と仏の存在を、どちらも認めている訳ではない。禿はあくまでも、霊など存在しないという立場。
942名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/11(火) 21:22:09
おいおい、妙なものを召喚するなよ>スピ厨
943名無しさん@京都板じゃないよ
>>940
肉体以外のあり方としての呼び名だ。
死んだら、肉体は焼かれるだろ。
無になると思っているのであれば、それは死ねば終りと言うべき。
人間の死後は何か(意識・波動・エネルギー)が存続するのなら、それは霊と呼ばれる。
それが、地獄に逝こうが、浄土で仏となろうが、それは言葉の問題にすぎないといっているんだが。