【仏尊】大方廣佛華嚴経Part2【法尊】

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561名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/02(水) 10:29:11
現在の浄土真宗の教義

・人間死んだら終わり。霊魂は存在しない
・当然、あの世もない
・阿弥陀如来は頭の中の理屈上でだけ存在するもの
・葬式は死者の霊のために行うのではない
・葬式は参列者が死者を偲ぶのと、真宗の教えを学ぶ場である
・死後に霊を供養するということも無意味である
・法事も供養する場ではなく、生きている人間が真宗の教えを学ぶ場である
・仏壇も先祖供養するためのものでなく、真宗の教えを学ぶためのもの
・墓も生きている者が死者を偲ぶだけの場である
・占い、迷信、オカルトなど科学的証明ができないものを信じる者は馬鹿である
・よって、聖徳太子の夢のお告げを信じた親鸞は馬鹿である
・阿弥陀如来像、親鸞像なども単なる物質であるので、これに対して祈りを捧げるのも馬鹿である
・報恩講などのお布施は、親鸞はもう存在しないし、阿弥陀如来は架空のものなので、現在の僧侶に対するお礼として納めるべきもの
・本当は死ねば終わりなのだが、それでは宗教法人として認められないので、方便(嘘)で浄土をたてている
・『浄土は本当にあるのか?』と返答を迫られた場合には、『あるとかないとかの二元論思考は間違いだ』とか、
 『死んで帰ってきた者などいない、よって死んで見なければわからない』と答えることにしている
・仏様とは物理法則のことである
・迷信の根源が霊魂不滅の輪廻転生思想である
562名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/02(水) 22:39:18
「われらは
 ヒンズー教
 の僧侶
 きびしき
 戒律で
 精神を
 きたえし者」
「デーモンの
 合体を
 うけたとき」
「すべての
 僧が
 デビルマンと
 なった」
「すべて
 精神力を
 きたえし
 おかげと
 いえよう」
563名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/03(木) 18:03:45
もう一つ勃ってたスレがついにdat落ちしたか
564名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/03(木) 20:52:34
このスレを検索する時は「大方」(おおかた)と検索することにしてる
そんな変な検索語でしかヒットしないのは悲しいかぎりだ
565名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/04(金) 14:40:46
 
566名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/04(金) 22:30:42
「華厳の二字、ただそれだけで大きい何かを受け続けてきました」
棟方志功(1903-75)
567名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/04(金) 22:33:19
南無華厳
568名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 19:18:16
前スレでも新スレのスレタイ検索が出来ないという話があったんだな・・・

985 :名無しさん@京都板じゃないよ :2007/07/02(月) 20:40:32
>>983
でも新人さん来なくなると活気がなくなるし、最悪の場合、誰かが知らずに
華厳スレをもうひとつ立てたりするかもよ。
できるかぎりアゲて、知名度を高くする必要があると思われ。

大川某の予言と違い大当たり〜
569名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/05(土) 21:54:28
>>537
日蓮はやっぱり貪嗔痴の三毒に侵された愚か者だったんだな。
釈尊が覚った真理即ち無明の闇を照らす光そのものを現した大日如来、盧舎那仏に始まりや終わりを求めるなんて。
真理は久遠の過去から変わらず真理であり、あるとき突然父母の間に生まれるものではない。


それに日蓮自身、父母を持ったゴータマ・ブッダを迹仏と切り捨てて、父母も分からない久遠の釈尊を本仏にしたんだろ。完全に自己矛盾をきたしてる。

また、ゴータマを迹仏と切り捨てた日蓮を本仏とか言って奉ってる人もいるけどね。ゴータマが迹仏なら日蓮はもちろん迹仏以外の何者でもないだろうに。
570名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/06(日) 01:35:59
>>568
前スレのその人すげえな
571名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 11:31:09
あなたがたは神と富とに兼ね仕えることはできない。 (マタイ福音書 六章二四節)
572名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 11:39:04
↑の言葉を知ったのは最近だけど、いい言葉。
573名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 11:52:15
キリスト教でなく仏教を学んでいても、やはり現世的な成功(「富」)と
宗教的な成功とは究極的に相容れないということに気づいていかざるを
得ない。
574名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 02:19:38
山崎弁栄『無量光寿』二四一頁

弥陀、本来、絶対的真理にして、相対分別の人間の説のために左右せらるる
ものにあらず。大活眼ある者には、活ける弥陀の大身心顕現し、分別固執の
輩には、分別分身の弥陀を信ず。法眼開く時は、天体無窮地上森然、一として
無量光の照らさざる処なし。一切万物の中にありて神光輝く。万物のみに
あらず、人格の無量光の活眼せる釈尊はいわずもがな、孔子、キリスト、
マホメット等の聖賢、ことごとく弥陀の活現に外ならず。
575名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 02:22:08
山崎弁栄『無量光寿』二三六頁

大日と云い、弥陀と云い、唯一の大御親の異名に過ぎず。
576名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 02:33:53
山崎弁栄『無量光寿』二二六頁

弥陀とキリストの神とは同体の異名。絶対なる神に別体あることなし。
ただし衆生が神に対する観念に差あるは、宗教意識のしからしむる
ところなり。
577名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 02:36:00
> 172 :華厳命:2007/12/15(土) 19:13:06
> アッラー=大日如来

> 165 :華厳命:2007/12/05(水) 10:36:42
> まあ、ビルシャナ佛とアミダ佛は、僕個人の内では同じほとけだと思ってます。
578名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/09(水) 02:43:14
こういう宗教多元論というか、神仏習合というか、「神は多くの名前をもつ」的な
発想は賢人と凡人を問わずどんな人にも現われるものなんだなと思った
579名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/12(土) 23:50:40
あ、ホントだ!
580名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/13(日) 10:09:11
ジョン・ヒック
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%AF

松岡正剛の千夜千冊
ジョン・ヒック、間瀬啓允訳『神は多くの名前をもつ』岩波書店
581名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/13(日) 10:10:44
まちがい失礼

松岡正剛の千夜千冊
ジョン・ヒック、間瀬啓允訳『神は多くの名前をもつ』岩波書店
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1227.html
582名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/14(月) 02:10:04
>>555-556
レス感謝。
遅レス失礼。
583幸田文『みそっかす』から引用:2010/06/14(月) 14:48:19
 その朝はいい天気で、長火鉢を中にして父は煙草をのんでい、
一切は空だ、無だという話をしていた。ははは例の様子で火鉢
の縁を掴むように乗りだして、愛の真理ということをくりかえ
した。私は逃げだしたくても、そういう部屋の状態では動くと
いうことがすでに恐ろしく危険だと承知していたから、じっと
して障子を見ていた。随分長いことたってふりかえって見ると、
はははすっかり俯向いて肩を落してしょんぼりしてい、父は
つまらなそうな顔で、「それが慢心というものだ」といった。
慢心というのは父のよくつかうことばで、私にもおなじみであ
った。論争の勝敗は明らかであるように思えた。
584幸田文『みそっかす』から引用:2010/06/14(月) 14:49:27
 私は訊いた。「くうとかむとかって何のこと?」父は造作もな
く答えた。「なんにもないってことだ」といったが、私はしつ
こく黙らなかった。なんにもないって何のことかとくりかえし
て訊き、「何でもあると思うならいってごらん」といわれ、
「火鉢もあるじゃないの、鉄瓶もあるじゃないの?」「それが
ないんだよ。」父は笑っていた。そんなめちゃめちゃな話はない
ではないか。私は父の手を持ちあげて火鉢に押しつけ、「手に
触ってるじゃないの」というのだが、父は「手もありはしない
んだよ」といった。実に不思議いっぱいな気もちがした。「手
がなけりゃお父さんもないの?」「そうなんだよ」冗談かとお
もった。「うそ! そんなのうそよ」父は私をじっと見ていて
、「ほんとなんだよ」といった。それから、「勉強すればわか
るんだ」というなり、立って行ってしまった。ははもすうっと
立って行ってしまった。気味のわるいような寂しさが私にのこ
っていた。
585幸田文『みそっかす』から引用:2010/06/14(月) 14:51:07
 沢山見た父母のいさかいの中で、この争い一ツだけは趣のちがっ
たものであり、忘れがたい印象を遺している。その後も無の
論空の論は行われていたけれど、私はそれを知ると逃げだした。
そこに掴んでいる手もないんだし、お父さんも無いんだとす
れば、なんだかこわい。後年ミッション・スクールへ入って、
私は無信者である父へより耶蘇教信者であるははの方へ、より
多くいろんな愚問を発したが、ある時はははこの無の論のとき
のことを追懐して、あれは悪魔の論だといい、自分の力には負
えなかったから植村氏のところへ救いを求め、その説話を盾に
して悪魔の論に引入れられないようにつとめたと話してくれた。
ははは植村氏の学力をもって父を説得し、どうかして信者に
したいと努力したけれどむだだったとも話した。それによれば
、ははは植村氏を蝸牛庵へ連れて来て父に会わせようと図った
ことがうかがえたが、果して植村さんも父もその意味で会見し
たかどうだか、おそらく機会は無かったのだろうと考えられる。
一切空の論は私のちいさい耳にふとひっかかって、いまに忘
れられないだけの種になっているが、機縁のたねを育てようと
はしなかった。大きくなっても勉強してわかろうとする努力な
ど、およそ性に合わなくて嫌いだったから、折角の機縁も空に
ひとしく、この辺が私のみそっかすたる所以だろうと恥じても
いる。ただしかし、空の論と愛の真理で闘う夫婦喧嘩は、そう
ざらに無いものではないかということだけが私の知ったことで
ある。
586名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/14(月) 15:15:28
旧約聖書に

「空の空、すべては空である。」(伝道の書1:1)

とあってそれは仏教の空=諸行無常とさほど変わらないように思える。
植村正久は「はは」に何と言ったか、聞いてみたい気がする。
587耶蘇善財:2010/06/17(木) 06:11:39
>>586
新共同訳を使わないところがシブイですね。

私も以前青年会長をやってた頃に、立場上その時は聖書を目の前のテーブルに置かねばならず、
嫌々新共同訳を使ってました。家では全く読まない訳です。
なんかもう「教会専用聖書」って位置づけに落としてました。
588名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/18(金) 21:44:22
有名な「女人地獄使,能断仏種子,外面如菩薩,内心如夜叉」といった偈は,
『涅槃経』や『華厳経』などにあると称して諸書に引かれるものの,本来の
経典にはなく,おそらく,平安時代の日本で作られたものである.
[佐伯真一「建礼門院という悲劇(角川選書45, 2009) p158-9]
589名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/18(金) 21:49:07
上の書き込みはここから採りました
http://web.me.com/oono/Testimonies/III_901-1000.html
「外面如菩薩,内心如夜叉」で調べてたらヒット
590日蓮:2010/06/19(土) 23:26:14
『観経』は権教なり。『法華経』は実教なり。全く等しかるべからず。
其故は仏世に出でさせ給ひて四十余年の間、多くの法を説き給ひしかども、
二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて、成仏すべしとは一言も仰せられ
ざりしに、此経にこそ敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も仏になる
とは説き給ひ候つれ、其旨経文に見えたり。『華厳経』には「女人地獄使 
能断仏種子 外面似菩薩 内心如夜叉」と云へり。
               ――――――――――『法華初心成仏鈔』
591日蓮:2010/06/19(土) 23:30:34
二には娑竭羅龍王のむすめ、龍女と申すは八歳のくちなは(小蛇)
佛になりたる品にて候。此事めづらしくたうとき事にて候。其故は
『華厳経』には「女人地獄使 能斷佛種子 外而似菩薩 内心如夜叉」と。
文の心は、女人は地獄の使、よく佛の種を斷つ、外面は菩薩に
似たれども内心は夜叉の如しと云へり。
                ――――――――――『主師親御書』
592日蓮:2010/06/19(土) 23:49:56
女人をば内外典に是をそしり、三皇五帝の三墳五典にも諂曲者と定む。されば災は
三女より起ると云へり。国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。内典の中には
初成道の大法たる『華厳経』には「女人地獄使 能断仏種子 外面似菩薩 内心如夜叉」文。
双林最後の『大涅槃経』には「一切江河 必有回曲 一切女人 必有諂曲」文。又云
「所有三千界 男子諸煩悩 合集為一人 女人業障等」云云。『大華厳経』 の文に
「能断仏種子」と説れて候は女人は仏になるべき種子をい(焦)れり。譬ば大旱魃の時、
虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すに、かれたるが如なる無量無辺の草木花さき菓なる。
雖然いりたる種はをひずして、結句雨しげければくちうするが如し。仏は大雲の如く、
説教は大雨の如く、かれたるが如くなる草木を一切衆生に譬たり。仏教の雨に潤て
五戒・十善・禅定等の功徳を得は花さき菓なるが如し。雨ふれども、いりたる種の
をひずして、かへりてくちうするは、女人の仏教に遇へども生死をはなれずして、
かへりて仏法を失ひ悪道に堕に譬ふ。是を「能断仏種子」とは申也。『涅槃経』の文に、
一切の江河のまがれるが如く女人も又まがれりと説れたるは、水はやわらかなる物なれば、
石山なんどのこわき物にさへられて水のさきひるむゆへに、かしここゝへ行也。女人も
亦如是。女人の心をば水に譬たり。心よわくして水の如く也。道理と思事も男のこわき心に
値ぬればせかれてよしなき方へをもむく。又水にゑがくにとどまらざるが如し。女人は
不信を体とするゆへに、只今さあるべしと見る事も、又しばらくあればあらぬさまになるなり。
仏と申は正直を本とす。故にまがれる女人は仏になるべきにあらず。五障三従と申て、
五のさわり三したがふ事あり。されば『銀色女経』には、三世の諸仏の眼は大地に落とも
女人は仏になるべからずと説れ、『大論』には、清風はとると云ども女人の心はとりがたしと
云へり。如此諸経に嫌はれたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説給しかば忽に仏になりき。
                      ――――――――――『法華題目抄』
593名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/20(日) 09:24:50
「英雄色を好む」という言葉がある。わたしは不学にして
その出処を詳かにしないが、思うにこれは純粋に日本製の
格言(?)なのではあるまいか。

高島俊男『水滸伝の世界』「四 英雄色を好む?」
大修館書店刊、1987、57頁

http://mentai.2ch.net/kobun/kako/984/984472440.html
594名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/21(月) 21:55:45
華厳ラブ
595名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/22(火) 03:03:33
>>592
キミね、「日蓮大聖人様がこう言うてはる」と言われてもね、
僕らにとっては「レーニン同志がこう言ってる」
「毛沢東語録にはこう書いてある」というのと同レベルでしかないの。
つまり我々にとっては何の権威もない。何の意味もないのだよ。

他人様が別の話題で盛り上がってるところに割り込んで、そんな書き込みして、
そして相手にされないという無駄な時間を過ごすくらいなら、
今後の人生はもっと有効に時間を使ったらどうかね?

なに_?
「いや、自分は仏種子を蒔いているのだから、その行為が無駄になることはない」だと?

いや、はっきり言おう。

             無 駄 なんだよ。

さっさと余所へ移り給え。
596名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/22(火) 09:55:34
安藤昌益『統道真伝』

糺仏失巻13

 他の衆人は直耕して自然の真道と為し、曾て貪欲すること無きなり。
只妄りに釈迦のみ独り出家して父母妻子を捨て離れ、耕さずして衆人の
直耕を貪食す。貪欲を独り行い万悪の根を釈迦独り之れを始む。故に
其の門弟は世世貪食し貯え飾ることを業と為し、万悪は是より起る。
貪欲の僧の上上に起り、終に乱世と為るなり。故に諸悪・万逆の根元を
作り出す所は釈迦なり。己れが作り出す貪欲を以て他人の業と為し、
毒欲を説くこと重罪の至りなり。
597名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/22(火) 09:57:21
安藤昌益『統道真伝』

糺仏失巻50

 夫妻の道は自然の進退の機感にして、習わず教えずして自り至る交合の楽しみ、
又と無き上なり。此の時必ず念仏の心起ること無し。是れ至極の楽しみに仏無きこと
此に於て明らかに知れたり。仏法は自然に非ざる私法の妄失なること、之れを以て
知るべし。
598名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/22(火) 20:27:13
日蓮の人気なさにワロタwww
599名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/23(水) 21:05:35
華厳ラブ
600名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/23(水) 21:37:14
釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人を まよはするかな

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

(一休宗純)
601名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/24(木) 21:03:12
徒然草一四四段

栂尾の上人〔釋高辨、明惠(或は明慧)上人といふ、北山の栂尾に居て
華嚴宗中興の祖と仰がれた〕道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、
「あし\/〔足を洗ふため足と云つたのを阿字と聞いた〕。」といひければ、
上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執(しゅくしふ)開發(かいほつ)の
人〔前世で修めた功徳が現世で現れた人〕かな。阿字々々と唱ふるぞや。
いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは。」と尋ね給ひければ、
「府生殿〔六衞府等に屬する官、不生と上人が聞き間違へたのだ〕の御馬(おんま)
に候。」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生(あじほんふしゃう)
〔眞言宗で阿字に不生不滅の原理があると觀ずる、夫が阿字本不生〕にこそあなれ。
うれしき結縁(けちえん)をもしつるかな。」とて、感涙を拭はれけるとぞ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/turez_3.htm#144

挿絵
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/tulemage/tu-48.gif
602名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/24(木) 21:04:11
最近、上人が慕わしくてならん。
603名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/29(火) 19:50:58
「禅キリスト教」の可能性を探究
禅体験重ねた立教大学教授 佐藤研氏に聞く

http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-interviews/rondan/090122rondan/090122rondan.html
604名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/05(月) 12:05:08
華厳経の成立に密接に関わる、マハーヴァストゥ(大衆部の仏伝)の全訳が出ました

http://daizoshuppan.bunkensystem.co.jp/

ブッダの大いなる物語 ―梵文『マハーヴァストゥ』全訳― 【全2巻】
平岡聡  
A5 上製カバー装 揃税込23,100円 揃 本体 22000円 2010.06
605名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/05(月) 18:30:28
華厳経って、普段は けごんきょう って読んでませんか?

やっぱり、けごんぎょう って読まなくてはいけないのでしょうか。
606名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/05(月) 21:15:49
Yahoo!百科事典だと「けごんきょう」ですね
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C/
607名無しさん@京都板じゃないよ:2010/07/05(月) 21:24:33
宗派や学派によって読み方が違う場合もあるみたいです
たとえば天台宗の慧思は「えし」と読む流派と「えじ」と読む流派との
両方があります
608名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/03(火) 18:32:03
南無華厳教主盧舎那仏
609名無しさん@京都板じゃないよ:2010/08/26(木) 11:00:01
>605
マハーヴァストゥ読みました
前作の「ディヴィア・アヴァダーナ」におけるバダラ島への冒険旅行はみごとに
達成されましたね(笑)
平岡氏は「ブルドーザー的な粗い、未完成なもの」と謙遜しておられるが
これは非常に貴重な文献だと思います
やはり、これからはサンスクリットを勉強しないといかんな〜と・・・
「十地」「燃燈仏物語」など優れていますが
500名にものぼる過去佛の名が記されており、これらの佛名だけでもたいへんなものです
華厳研究者必携の書です
610名無しさん@京都板じゃないよ
もとい
604さんでした