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名無しさん@京都板じゃないよ:
ただ、戦前の場合には、部落解放に取り組んでいた水平社自身が
「一君万民」という思想を強く持っていましたから、真宗批判が反天皇と結びつくことはありませんでした。
ところが、戦後は、松本治一郎が「貴族あれば賤族あり」と主張するようになり、さらにそれが、
「天皇がいるから差別があるのだ」と拡大解釈されるようになりました。
それで左傾化が著しくなった同和団体の意向を、弱みを握られている真宗としては受け入れざるを得なくなったわけです。
部落解放基本法制定のための委員会の委員長に西本願寺の門主がなったのも、そうした事情によるものだと思います。
それから浄土真宗は戦前、先ほどの門主の「懺悔の言葉」ではありませんが、たしかに、積極的に戦争協力したわけです。
天皇を「現人神」と言いましたし、靖国神社に祀られることは名誉だと言って、前線に行って励ました。
戦争協力の問題と同和問題が浄土真宗のアキレス腱だったことに加えて、
1960年代、70年代にいわゆる学生運動崩れというか、その影響を色濃く受けた「左翼坊主」がたくさん教団に入ってきて、
中枢を牛耳ったという事情もあるようです。
(中略)
八木
過激な同和団体の論理でもって教団の歴史を全部チェックし、歴史的な文書も批判の対象にされています。
その姿は、同和団体の別働隊といった感すらあります。新田さんがご指摘のように、「貴族あれば賤族あり」
という皇室への敵対図式。それと「家」に対する嫌悪感から、先祖崇拝を否定し、さらに日本人の霊魂観まで否定するようになっています。
位牌を置いてはいけないと、末端のお寺まで指導しています。
しかし、末端のお寺は檀家さんがあって初めて成り立つものだから、経営基盤を脅かされるのも同然なので不満があるのですが、
中枢を同和団体に握られて、差別と糾弾されるのを恐れて反対できないくなっているのです。
(日本を貶める人々より)