>>434 輪廻(迷い)からの解脱を説いたのが釈尊。
>>435 釈尊は無我(霊魂)説など説いていません。
東大の仏教学者 中村元博士『自我と無我』より
「経蔵の中の最古層に表明されている無我説によると、何ものかを『わがもの』『われの所有である』と
考えることを排斥している。そうして修行者はまず『わがもの』という観念を捨てねばならぬという。
したがって無我説とはこのような意味における我執を排斥しているのである」
「以上、古い詩句の中において『わがもの』あるいは『アートマン』の観念について論及している諸句を検討したのであるが、それらの所説は、
古ウパニシャッド及びジャイナ教において説くところと大体において共通である」
「初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。
『無我』という語は誤解をひき起し易い。初期の仏教においては決して『アートマンが存在しない』とは説いていない。
むしろウパニシャッドなどの思想と多分に密接な連関を有するのである」
「このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。
まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している」
「さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、
正しいことなのではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を承認している。
原始仏教においては自己(アートマン)を自己(アートマン)として追求することが正しい実践的目標として説示されている。
すなわち真実の自己を求むべきことを勧めている」