【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン\【御同行】

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429名無しさん@京都板じゃないよ
>>426
ちなみに、戦前の大仏教学者の木村泰賢博士は、
「無我説と業説とをいかに調和すべきかは、仏教学もおける一大重要問題である。」
「この困難は、要するに無我ということを余りに機械的に解した、
 説相に捕らわれ過ぎた見解に基づくもので、もし仏陀の生命観を正当に理解するならば、却って業説、
 輪廻説は仏教に来たって初めて真の哲学的意義を帯びる」
と言われ、
 「しかしながら仏陀にしたがえば、この死とともに、吾らの生命は絶滅し去るものではない。
  いかにも意識的の活動はその五根の破壊に伴って休止するけれども、生きようとする根本意志すなわち無明は、
  生時の経験すなわち業(カルマ)をその性格として刻みつけて継続する。」
「したがって死の現象はこれを外見的にいえば絶滅のようであるけれども、
 生命そのものの当体からすれば、依然として可能性としての五蘊を継続して、その性格に応じて、再び現実化するまでであって、
 その間に、一度これを解体して再び新たなる五蘊を積むというがごときことはないわけである。」
「これすなわち仏教における輪廻の主体が通常の半物質的霊魂観と大いに異なるところで、仏陀の真諦的見地からすれば、
 この当体の生命は今風にいえば、いわゆる第四階(The fourth dimension)の範囲に属すというべきであろう。」
とされています。