神棚に寺の護摩札も置いてる

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1名無しさん@京都板じゃないよ
いいの?
2名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 14:35:38
いいのよ。 だぁーれもダメって言わないもん。
3名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 14:44:24
神罰と仏罰がくだる
4名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 15:10:58
護摩の本尊は不動が殆ど。 不動は神であり仏である

だから神棚でも問題ない。
5名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 15:21:29
俺は宮形の中央に護摩札入れて、脇に神社のお札を置いてる。
なんか文句ある?
6名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 17:37:28
ない。
7名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 17:39:19
>>5
一種の挑戦ですな。
8名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 17:53:02
>>5
アンタのうちのアンタのお札。  すきなようにお祀りしたらええがな。
9名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 18:19:01
うちのアマテラス様にはかなうまい!
10名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 19:13:59
いいんだよ。
明治以前は神仏習合だったんだから。
国家神道の隆盛で廃仏毀釈でギクシャクするようになった
本来神仏はおおらかなもんだ・・・。
11名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 20:44:37
11ゲットー(o^-')b☆ ニャハ~ン☆
12名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 21:55:06
>>4
>不動は神であり仏である

不動明王は天部ではないから仏教的にも「神」ではないよ。
13名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 21:59:08
>>10 本地垂迹説か
まあオイラなんかはキリストを弥勒菩薩の化身と解釈して
クリスマスは夜の入我我入三昧
14名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 22:49:25
>>12
 天・明王・菩薩とかいった意味合いでの「神」ではないよ。
俗信的な意味合いや、護法的な意味合い、旧信仰でも大概の
意味合いで「神」だよ。by長州力
15名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/05(金) 18:19:08
来年開山1300年迎えるお寺でお札戴いたが、神棚でよいとのこと。
ちゃんとした日本の神様、仏様けんかしませんよ〜。って。
16(・・):2007/01/06(土) 10:28:25
突然ですみません。
車買ったのですが、車の天井に『雲』のシールを貼りたいのですが、何処かでとりあつかって
いるところ知りませんか?
以前知り合いからいただいたんですけど、直径5センチほどのものなんですけど。
で、それって自分で作ってもいいのでしょうか???
17名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/06(土) 21:53:54
>>16
なぁ〜〜ん〜〜でぇ〜〜車の天井に『雲』のシールを貼りたいの??
18名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/06(土) 21:56:05
>>16
貼らなくても車の上は雲だよw
19名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/06(土) 23:31:10
>>16
自作しなよ。
20名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/06(土) 23:42:17
神式だろうと仏式であろうと基本的には関係ない。
要は本人の神懸かり力。
どれだけ神通力を動かせるかだけの問題。
21名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/07(日) 09:05:36
不動明王は天部を統率する明王だよ。
22名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/07(日) 09:09:11
天部を統率するってホント?
23n:2007/01/16(火) 14:42:23
護摩札は祈願祈祷を受けた証明書の意味しかないそうです

祈願を受けた人の名前が記入されてるので神棚には安置せず
に個人の寝室また会社を経営されている方は事務所の社長室に
東向きか南向きに安置するのが正式です

神棚は会社や家庭を守る神様の宿る場所なので個人の名前が
記入された護摩札祈祷札を安置するのは間違いだそうです
神仏習合とは言っても神と仏では考えもお力も違いますので
別々にした方が良いと思います
24名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/16(火) 15:07:41
えー神社の厄除け祈願のお札もですか?(私個人です)
家の神社祈願札ならOK。
お寺さんはどうあってもNo。
ですか?
25妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2007/01/16(火) 16:51:14
このタイミングで妖輝緋登板。
26名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/16(火) 17:03:21
おしえろ
27n:2007/01/17(水) 16:12:39
祈願札、護摩札は神棚に安置するのは間違いだそうです
個人の寝室の高い場所で東向きか南向きに安置して下さい

神棚は家庭、会社、商店、全体を守護されるお社そのものお迎えする場所です
個人や会社の祈祷札は安置せず神宮大麻などをお祀りして下さい

28名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 17:01:34
嫌だ。
29名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 17:48:13
クソコテ氏ね
30名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 17:55:11
家内安全の祈願札はどうなんだよ!
31n:2007/01/17(水) 20:13:34
真面目に答えた自分が馬鹿でした、ガッカリです
32名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 20:32:36
>>31
どちらの方から教えていただいたのでしょうか。
清荒神ではお社と別にご祈祷札を受けられたら、
お社の左右どちらでも良いから一年間お祀りするよう
教えられております。
33名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 20:59:21
>>31
hayakuosiero!

34名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 21:01:00
>>21
ソースは?
35名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 21:07:33
ソースはオリバーかイカリ。ブルドッグもいいかな。
36名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/17(水) 21:31:09
>>27
その根拠は?
お護摩を受けた時、お寺さんから
お護摩札はお不動様の分身として
神棚等でお祀りするように言われたのですが…。
37n:2007/01/18(木) 09:36:39
高野山真言宗の僧侶と真言宗大覚寺派の僧侶に質問した
のですが回答は似ていました

正直に言って根拠は不明ですが神仏習合の考え方があるにしても
神と仏では考え方、働き、人間を守り導く御力が違うそうなので
一緒にお祀りしない方が無難と言えば無難だと思います

何度も説明していますように神棚とは会社、家庭、商店など
全体(家族全員、社員全員)を守る神社の神札そのものをお祀
りする場所で個人の名前が記入された護摩札や祈祷札は個人の寝室
に安置するのが正式だそうです、会社や商店を経営されている方
ならば社長室や事務所の高い場所が適当だそうです

護摩札や祈祷札は祈願祈祷を受けた証明書の意味しかないと
高野山真言宗の僧侶は述べられていました

ただ、成田山(真言宗智山派)などで護摩祈祷を受けられると36がおっしゃい
ますように床の間、神棚、仏壇、のいずれかにお祀りしても良いと袋などに
書かれていますが仏壇とは本尊と先祖がお祀りされている場所です
先祖供養と生きている人間の祈願を一緒にするのはどうかな?と
疑問に思います、子孫の供養という応援があって成仏に向かって
頑張ってみえるのが御先祖様だと思うからです
38名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/18(木) 09:46:55
好きなようにしなさい。

以上
39名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/18(木) 12:06:07
だから家内安全はどうなんだよ!
40n:2007/01/18(木) 13:00:18
家内安全も祈願札になると思います

特定の願い、個人の名前が記入されているお札は祈願札である
と思われます

神棚には神宮大麻、氏神、崇敬神社のみお祀りする場所である
と聞きました、神宮大麻や○○神社のお札です

39、いくら顔が見えないインターネットとは言え態度
や質問の仕方に問題がありますね

神仏は人間の日頃の行動を観察されいると思います
人を馬鹿にしたような態度をとっていてご加護が
頂けるのか疑問です

自分の心がけと行いはいつか自分自身に返ります
41名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/18(木) 14:43:58
ごめんなさい。
答えてくれてありがとうございました。
421:2007/01/18(木) 15:07:02
nさん乙
43名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/18(木) 16:14:03
ごめんゆーとろ−が!
4436:2007/01/18(木) 17:41:49
>>37
ご回答いただきありがとうございます。

>神棚とは会社、家庭、商店など全体(家族全員、社員全員)を守る神社の神札そのものをお祀
りする場所で個人の名前が記入された護摩札や祈祷札は個人の寝室に安置するのが正式だそうです

私はワンルームの一人暮らしですので、祈祷札を神棚に一緒にお祀りしても大丈夫のようですね。
部屋全体が私個人の寝室のようなものですし。
狭い部屋ですので制約もありささやかな神棚ですけど。
お不動様などの仏様は別のスペースでお祀りしています。
45n:2007/01/18(木) 19:17:04
僧侶に質問するまでは私も護摩札を神棚にお祀りしていました

最後にお稲荷様は伊勢神宮や氏神様と一緒にお祀りしては駄目
みたいです、稲荷神がビルの屋上や家の庭に屋敷神として祀られ
ているのは眷属が狐である為に玄関の出入りができないのが理由
の一つのようです

必ず私が僧侶から聞いた祀り方が絶対に正しいからと強制している
のではなく、よりご加護が頂けたらと思いましたので良かったら
参考にして下さい
46名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/18(木) 19:24:38
>>45
眷属がオ狐さんならなぜ玄関の出入りができないのでしょうか?
47n:2007/01/19(金) 07:32:06
知りません、答えたくありません

48名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/22(月) 22:33:31
護摩札が証明書であるとするなら、安置する向きなんて関係ないのではないでしょうか?
成田山のホームページには"御護摩の尊い浄火にあててご祈念されたお不動さまのご霊徳を宿すご分身であります。"
とありますね。お水や花や灯明まで供えろとあります。

3000円と5000円の違いは証明書の大きさだ違うだけということだとすると嫌ですね。
49名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/22(月) 22:46:32
うるせぇーなぁ。
もう寝ろ、クズが。
ネガティブ野郎、きもちわりぃ。
50名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/22(月) 23:12:16
所詮思い込み
霊感商法だ。
それのおかげでウハウハ
51名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/22(月) 23:15:31
御護摩の尊い浄火にあててご祈念されたお不動さまのご霊徳を宿すご分身

が3000円と5000円で、分身であるはずの不動明王の力が違うわけないだろ。
高いのが良いと思うのは、所詮自己満足の世界。
52名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/22(月) 23:16:46
ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/neta/src/1169449135974.jpg




国分ウゼェェェェェェェエl=−−−−!!!!!



53名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/23(火) 13:28:34
氏神様が稲荷神社の場合もあるとおもいますが
54名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/23(火) 13:56:12
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55:2007/01/23(火) 18:19:58
48、もう一度言います、質問に答える気は一切ありません
56名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/23(火) 18:22:18
>>55
答えないなら、わざわざageでレスするなよw
57:2007/01/23(火) 20:55:26
56、すいません

答えないと書き込みしているのに質問を繰り返してみえるので無駄なので
レスさせてもらいました



58名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/23(火) 21:00:21
>>57
神社の家運繁栄お札は神棚でいいのですか?
59名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/24(水) 01:33:13
不動様ってどんな存在になるの??
60名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/24(水) 02:03:19
84年頃かな? アメリカでベトナムから来た難民らが
イエローフラグ(75年に陥落崩壊した旧南ベトナム・サイゴン政権旗)を掲げて
その時点ではありもしない政府の国歌を歌っていたな、
あれって虚しい雰囲気だったな。今さら・・・って感じで、
61名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/24(水) 02:10:47
ベトコンと命掛けで戦って丘を奪取した米海兵隊員らが、
星条旗でなはなくて南ベトナム政府旗が建つのを見ると、
「チッ! 傀儡イエローフラグか、吐き気がするぜ」
って喚いていたな。南政府軍がゲリラと通じていて戦わないからさ。
62名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/28(日) 02:02:25
え!57さん 中央に天照さん 右に氏神様 左に信仰神(私はお不動さん)なんですが 個人名の入ったお護摩札でなくお姿の札なのですが
なら大丈夫ですか?
63山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/01/28(日) 09:13:21
>>10
>>13
石清水八幡大菩薩宮(田中家は先々代まで青蓮院などで得度していました)
の松童社や剣御前社、貴船の本社の本地仏が不動明王でしたね。
大抵は由緒はあるのにマイナーな阿閦如来を除く十三仏中の十二仏のうち
いずれかが本地になっている。
愛染明王が備後一宮の本地仏といった例もありますが。
合祀でも問題ないでしょうし、神の本地仏と一致すればますます問題ない。
神宮寺の本尊と本地仏が異なる例はざらでしたし、まあどちらでも。
64名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/29(月) 23:10:58
小さい神棚で、高さが28.5というのがあったが、大麻の札が入らない家寸は、24センチくらいだろうし。
65名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 08:57:23
昨年末から、榊の枯れ方が少なくなった。
15日に交換したのも、今神棚に飾っているのも、ほとんど枯れていない。
以前なら、もう枯れ果てていてもいいくらいだった。
理由を考えたら、神棚を置いて昨年末まで、幕やゴボウを交換していなかったのを、
新しいにに交換して、「雲」も書き直したのが良かったのだろうか?
長文、チラシの裏の落書きですまん。
66名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 09:07:56
>>48 成田山はいちいちやることがオーバーだな

札は玄関裏に貼っておくだけで良いんだよ
灯明あげろとか言うが、あの程度で性根が入っているのかと
67名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 11:01:15
神社の神主さんでも真言宗、天台宗の僧侶など本職に質問したら神と仏は
別々に祀りなさいと指導されます

真言宗智山派である成田山は神棚でも床の間でも仏壇でもOKでお茶や灯明
香を供えて拝みなさいと袋に書いてありますよね

古義真言宗と新義真言宗では護摩札に対する考え方も違うのかと思いました
が成田山は参拝客も多いので難しい事を言うとかえって混乱させるという
考え方も見え隠れしています
68名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 11:27:32
>>65
幕、ゴボウて何ですか?
69名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 12:39:15
厳密に言うと神棚でお寺のお札は祭らない方がいい
70妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2007/01/30(火) 12:40:32
>>65

妖輝緋のは部屋の水が凍るので12月上旬から枯れないで今も残っています。
補充液は足しますがねぇ。
因みに夏場は月に2〜3回替えていましたねぇ。
71名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 12:58:23
祈祷寺の行者は護摩札は、神棚に祀れというね
72名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 21:38:49
>>67
なるほど。でも、護摩札をテレビの上とか戸棚の上に祀るよりせっかく神棚があるならそちらに置きたいと思いますよね。
どうしても。けんかしたりするわけじゃないでしょうが、どうして別にしたほうがいいんでしょうね?
73名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/30(火) 21:47:27
>>70
長野ってそんなに寒いのか。。。そういや以前飯田の人が冬はマイナス7度とか
言ってた。
74:2007/01/30(火) 23:12:49
私もケンカは、しないと思いますが、、、そしてなぜ?!だか分かりませんが、、、家の人が亡くなった時は、喪が明ける迄神棚を白い布で、覆ってと言われました。仏関係と神関係は別の方が良いって事なのでしょうかねぇ?
75名無しさん@京都板じゃないよ :2007/01/31(水) 00:29:47
そんなの考究せんほうがいいさ。
だいたい、そんなことにこだわってどうなるんだ?
ご利益か? ご利益を貰おうなどという棚ボタ根性でホントにご利益が来るのか?
76名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/31(水) 09:18:57
72>成田山(真言宗智山派)以外の真言宗、天台宗の寺院の僧侶や神社の神主
本職は神と仏を一緒にお祀りしない意見が多いです

仏様を家庭に迎えるには僧侶による開眼供養と言う作法があります
神様を家庭にお迎えするには神社で神宮大麻、○○神社のお札を受けて
丁寧に祭祀されるのであれば神主に神棚をお祓いしてもらいます

護摩札、祈祷札は願意や氏名が記載されており個人の為に存在するので
仏壇や神棚にお祀りするのではなくご自身の寝室に安置するのが正式
であると古義真言宗の僧侶は言われていました

日に何度も護摩供が行われている成田山では難しい事を言えば対応だけに
時間がとられてしまいます、曖昧にしてみえるのではないでしょうか
修験道とは違いますし、わかりません
77名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/06(火) 23:08:52
神棚を設置しようと決心してあれこれと計画を立てたとたん
腰痛と瞼のけいれんが…
やめといたほうがいいのかな。いたたた…。
78名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/06(火) 23:23:24
>>77
生きるのやめろってことでは?
79:2007/02/06(火) 23:41:21
>>77
違うと思いますよ。お守りできるのならば、設置しても良いと私は思いますが。神棚を設置して4ヶ月経ちました、今は家族皆で毎日祝詞を挙げてます。
知り合いの神主さんにいろいろ聞いたら、守っていく事は大変なこと、いい加減な気持ちで、設置するのなら、やめたほうがいいと言われました。
毎日お水あげたり、榊、お米、お塩、と月に何度か換えたりと、大変で初めは慣れなかったですけど、今では慣れて毎朝の日課になってますよぉ!
80名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/08(木) 21:12:26
小さい頃だけど
うちのばーちゃんは神棚に普通に家族と同じ御飯とおかずとみそ汁置いてたよ。
(場所をとらないように器のサイズは小さいです)
榊とか生米とか酒などの本格的なものは置いてなかったような…。
おやつは置いてたよ。ポッキーとか。カールとか。
81名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/09(金) 09:47:48
>57なんか、へんな新興宗教の伝導師みたいのがいるなあ。
いい加減なこと言うなよーー。

結論からいうとお札は、神棚へまつって構わないよ。

どこぞの坊さんに聞いた…って、おまえ、坊さんに聞いたってことでみんなを信じ込ませたな。
こだわるのを辞めるのが悟りへの1歩だぜ。w
そりゃエセだな。

正解は>10や13ってところだな。

明治以前の神社ってどんなだったんだ???いってみそwww






82名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/09(金) 12:15:48
だったら神主や僧侶に質問して、回答を得てから書き込みして

自分で何でも勝手に結論をだすなよ
83名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/09(金) 12:35:29
>明治以前の神社はどんなだったんだ???いってみそwww

神仏習合と明治政府が行った廃仏毀釈を言ってるんでしょ?

同じ質問を神主と古義真言宗の僧侶など数人に回答を求めた結果
一般家庭の神棚や仏壇の祭祀においては別々にお祀りして下さい
と言われます
84名無しさん@京都板じゃないよ :2007/02/09(金) 12:40:00
そんなのそう言うに決まってんだろ。
神棚にしろ仏壇にしろ新たに作れば
業者が儲かるからだ。

奴らは業者と癒着しているからさ。
85名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/09(金) 15:16:33
元々仏壇も神棚もある場合もあります

仏壇に祀ると言っても天台真言以外の宗派は他宗のお札を祀れない
神棚に祀ると言っても一般家庭の祭祀には神仏習合の考えは必ずしも
あてはまらない、そもそも個人の願かけに存在するもの

護摩札は部屋の寝室の高い場所東向きか南向きに安置しなさい
との事です

儲かる儲からないの問題ではありません
86名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/09(金) 15:19:27
まず、何かを書き込みする時は相手の書き込みをよく読め

信用できないのなら実際に電話するなりして本職に質問せよ

87名無しさん@京都板じゃないよ:2007/03/22(木) 12:43:37
結婚したい。
88名無しさん@京都板じゃないよ:2007/05/27(日) 17:14:07
89名無しさん@京都板じゃないよ:2007/07/10(火) 09:24:50
父が亡くなり、遺産相続で中古の家を買いました。
神棚を作る予定ですが
奉るのは一周忌が
過ぎてからの方が良いと母が言います。
本当でしょうか?
90名無しさん@京都板じゃないよ:2007/07/10(火) 11:00:20
住職が霊友会に一生懸命になって居るのですが・・・何とか成りませんか?
91名無しさん@京都板じゃないよ:2007/07/10(火) 23:00:58
神棚が一番明るく高く清浄な場所に祭るべき、仏壇はどこでもええけど
神棚の近くだけは避けるべき
92名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/28(火) 18:25:08
93名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/30(木) 23:06:30
>>89
普通四十九日が過ぎると神棚のお祀りも再開するけど、
神棚から造るのなら一年待ってもいいかな。
94妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2007/09/20(木) 10:12:00
ふふふっ。
95名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/20(木) 17:31:24
寺の護摩札はともかく
神社で祈祷してもらった札は、個人名前が書いてあろうが、
きちんと神棚に祀りましょう。
96名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/24(月) 16:46:57
市販の屋根違い3社の祀り方みると

中央に伊勢大社お守り(天照大神?)
向かって右側に氏神
左側に信仰する神社、寺等のお守りとあるんだけど

氏神って何?

別に中央に天照の護符だけでもいいんでそ?
97名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/24(月) 18:04:40
>>95
そうなんすか?
大麻のみといわれ個人のとかだめっていわれた。
神社のは神棚!ってことですか?
お守りも?
98名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/24(月) 19:33:09
>>96
>氏神って何?

あなたの自宅住所地を守る、神社。
どこの神社が氏神様なのか分からない場合は、神社庁に電話すれば教えてくれるよ。
99名無しさん@京都板じゃないよ:2007/10/10(水) 19:15:37
>>96
氏神は氏の神だから先祖神になるな。
その土地に先祖代々住んでるなら遠い先祖が神となって祭られているかも知れない。
そういうのがわかってるのは余程の家柄になるだろうから、
自分の住んでる土地の神様、いわゆる「村の鎮守様」が氏神様ということになる。
氏子になっていて祭なんかに参加してるならそれが氏神になるわな。

>>97
自分のための祈祷札なら自分の部屋の身近なところに置いておくのがいいね。
粗末にならないように部屋の柱の高いとことろか長押の上、
自分の机の上とか本棚なんかでもいい。ベッドの枕元でもいい。
御守りは本来身につけて護って頂くのがいい。
もしくはこれも身近なところに置いておくとかね。
100名無しさん@京都板じゃないよ:2007/10/16(火) 21:29:06
どうやったら、氏子になれるのですか?
101名無しさん@京都板じゃないよ:2007/10/22(月) 12:59:09
元々土地の人間なら自動的に氏子になっている場合が多い。
新たに氏子になるのなら、その神社に問い合わせて、
氏子総代や世話人さんを紹介してもらえばいい。
町内会長さんとかはたいてい世話人さんだったりするからそちらに聞いてみるのもいいかも。

氏子になれば祭礼への参加、神社への奉仕活動、年間いくらかの氏子会費の義務はあると思う。
最近は過疎や、そういう付き合いを嫌って氏子になりたがらない人も多いから、
喜んで受け入れてくれると思う。
有名なお祭りでも人手が無くてアルバイトの御輿かきを雇ってたりするからね。

しかし保守的な地域だと余所者はダメと言われる場合も考えられる。
そこに住んで何年経過しないと、とかいう話も聞いたことがある。
そのあたりも尋ねてみた方がいいかも。
102名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/02(水) 19:14:49
去年暮れに祖母が亡くなってしまい、新年に護摩札をいただいてしまったのですが大丈夫でしょうか?
103名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/03(木) 16:13:54
>成田山(真言宗智山派)

何だかんだ云っても智山が一番、力量も在るし信頼感も在るよ。
特に関東では。講の裾野も広いし目立たないけど一番神力は強い。

うちなんかは昔から二度も救われている。
悪く云う奴も居るが、昔から智山の僧侶は自信に充ち溢れているし
安定信頼感はズバ抜けて高い。

104名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/03(木) 16:38:59
>>102

護摩札なら大丈夫じゃね?佛式だと忌中とかは考えなくて良い筈。(但し一部天部除く
神社系だと忌中とかあるかもね。
105名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/03(木) 20:34:20
>>104
有り難うございます。

ちなみに護摩札は高尾山薬王院で頂きました。
106名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/03(木) 21:34:35
神棚は、家で一番清浄な高い場所で北向きに祭るのが一番で
仏どもと一緒に祭るのはよからぬ事が、起きなければと心配になる

もし起きたならば素早く、仏を焼いて捨てるべし
107名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/05(土) 00:09:48
近くの最寄の神社の神をおがんどればいいだけ。
神道の盛んな土地もあるだろうが、遠方ならば仕方が無い。
今居る近くの神を拝むのが日本神道。

両部で神力は動くのだからそれでいいだけの話。
出家した修験僧が悪霊を供養してくれる。

お宮に行っても神主が「お祓いをすると落とした悪霊に自分がやられるからイャだ」
と謂うのなら神道に任せられなくても仕方が無い。

また焼き捨てなどはとんでも無い話。○○○会とおんなじようなことを謂う。
108名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/06(日) 23:16:54
オレなんか基本的に根が硬派だから神道みたいな女っ垂らしな
雅やかかなんかわからんような雰囲気には馴染めんよ。チャラチャラした。
軍人みたいな荒削りな雰囲気が故郷だしね。

それに幼い頃から智山派の不動様に通い詰めたから不動明王無くしては成り立たんし、


109名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/07(月) 20:12:36
108さん
私も成田山の某別院によくかよっているものです 護摩札もおまつりしておりますが別室には神棚があります

成田山では縁日のお護摩修行などでは最後のほうで「南無日本大小神祇」と唱え、さらに当所鎮守・稲荷大明神・天満天神などに南無するのですよ

>オレなんか基本的に根が硬派だから神道みたいな女っ垂らしな
雅やかかなんかわからんような雰囲気には馴染めんよ
神棚のあるところというと、武道の道場、建築現場の事務所、そして組事務所と硬派なところが思い出されますな
だいたい、戦前の軍人さんなど、仏教より神道ひとすじのイメージがあるのですが・・・
110名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/07(月) 22:12:48
時代や神道の派に拠るんぢゃないの?
基本的には神道も嫌いではないが、女が絡むチャラチャラしたような雰囲気には
付いて行けないしウザイ。
但し、坊主がトルコに行くのはそれなりに理解ができるが。

オレが最初の頃に見た智山の法帖さんがインパクトが強すぎた。
ニコニコ笑いながらも一目で総てを悟る迫力と法話でも一言一言言葉を選ぶ
慎重さと柔らかい物腰、まるで萬屋金之助の拝一刀みたいだった。
イャ、一刀よりも迫力と観ただけでの説得力が在った。
もし密教がプレゼン次元だとしても、あのプレゼンはエクセレンスの一言だった。
関東地方の某古刹だが。

111名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/08(火) 00:28:44
>>108,109
確かに、軍人だと軍神をよく祀ってたりします。鹿島大明神や香取大明神、
八幡大明神、仏教だと毘沙門天やマリシ天など。
112名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/08(火) 01:29:38
仏教の護摩など、早々に焼き捨てて
天照大神をおまつりせよ。
神の道ほど尊き道は無し
113名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/08(火) 20:14:39
108さんと112さんは とことん語り合ってほしい
114名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/08(火) 22:29:21
結論を云うと、「神か仏か?」「一緒にすべきか?離すべきか?」と悩んだり
こだわったりする時間が在れば、もっと本来の正業たるべきやることが在るんぢゃないのか?
と言いたいね。

密教の本当に偉い僧がそのようなことに厳密にこだわったり悩んだりするかい?
質問する奴が居るからあえて答えるんだろ。質問をする奴はそういうことをいじくり廻していたいだけなんだろ。
ヒマだから。本来の稼業で良い成果を出す奴は、「神と仏は分けておいた」←分けていて成功した奴、
「神と仏は一緒に祭っていた、大乗的だから成功した」←一緒にしていて成功した奴、

どうにでも言えちまう。唖圃ぢゃねぇーの?
115名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/08(火) 22:39:27
新しいものを導入する際には必ず反対派は出る。
但し歴史的教訓事実だと、伝統だけで伝統は護持し難いのでは?

大化改新のような革命が随時起こらないと駄目だろう。
116112:2008/01/08(火) 22:57:32
本人が「神に縁があるか、仏に縁があるか」が根本的に土台として
必要になってくる。人によっては密教の修行を行っていたが、
今では、それらを捨てて神道(古神道)に移った人はいる。
が、その逆は私は知らない。


どっちが良いか議論していても、本人を置き去りにしては
まともな議論にならないでしょう。まだ結論が出るべき状態で
無いかもしれないし、本人次第で変化していく物だから
一概にその人にとってどちらの世界に行くか、どちらを信仰して
ゆくかはまた、変わって行くでしょう。
117名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/08(火) 23:25:08
「伝統」で「伝統」は守れません。
118名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/09(水) 02:31:03
>>116
うっそーどうしても神道だけでは立ち行かなくなる。
精神的な限界というか、やはり裏信仰というかそれらで
仏教はどうしても必要と感じる。
 それは神道をやればやるほど。
119名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/09(水) 10:36:40
>>118
私は神道だが、立ちゆかなくなるというのは信仰が足りないとしか思えない
天照大御神という心の御柱(信仰)を立てれば、何の不安も無し
「人事を尽くして天命を待つ」で、もし事が成らなければまだ努力が足りない
と思い努力する。

はっきり言って >>118 さん まだまだ 神に対する信仰が足りませんな。
120118:2008/01/09(水) 12:36:49
>>119
そしたらそれでいいのではないでしょうか。
他人の信仰どうこうというのは私は言いません。
121名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/09(水) 12:42:26
>>119
神道には教義が無いから、人の心を救えないよ。
日本古来の土着民族精霊信仰としては敬いますけどね。

本来の仏教にはお釈迦様が説いた真理がある。
それは人の心の問題を解決するものが説かれている。
神道にはそれが無い。
122名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/09(水) 21:18:18
>>121
真理とは何でしょうか? 仏教用語ですよねそれって

神道は普段の生活の中で神に祈って生活をするのが通常なのでその中で
問題が出てきた場合、自分の周りを見つめ直すとか、考え直すとか
本を読むとか、自然の内に解決に至る神のメッセージはあります。
「全ては神のメッセージ」:これこそ仏教でいう真理に当たる物だと思いますよ
無理に説かれなくても、自然と悟っていくものですよ。
123名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/09(水) 22:41:02
>>122
>問題が出てきた場合、自分の周りを見つめ直すとか、考え直すとか
本を読むとか、自然の内に解決に至る神のメッセージはあります。

それなら神道や神社が無くても解決できそうな内容ですね。
どうにでも解釈できる。
124122:2008/01/09(水) 23:42:38
>>123

>神道は普段の生活の中で神に祈って生活をするのが通常なの
>でその中で

というように説明しているのに
どうしてそこで神社や神道を省くのかが理解できないですが
全てを含むのが神道ですから
125名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 00:00:32
>>124
神道だけでは日本人を救えなかったから、
仏教が受け入れられ広まったんじゃないかな。

それは仏教が具体的で分かり易かったから。
126名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 00:36:01
神道は元は大自然が基本、あんまし心のあり方とか人間とか関係ない。
仏教は釈尊が元、つまり人が基点となってできた。それは哲学や心理学
にまでその影響は及ぶ。対人間用なので様々な苦悩への心のあり方など
説かれてる。
127名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/10(木) 00:39:58
仏教と神道が融合したのが、結局コレだ ↓

http://jp.youtube.com/watch?v=_pHBBaYBz1I
128122:2008/01/10(木) 01:42:54
>>125-126
馬鹿馬鹿しい、釈尊の説いた心のあり方というのは、あくまでも
修行の一部にとどまるための心のあり方で、それ以降に出てきた大乗
の付け足しによってやっと人々に受け入れられ、形にはなってはいるが
釈尊の教えとは遙かにかけ離れている

神道はそのようなモノがないから、各自の神の対する信仰の深さが
もしくは、自然に対する生かされている感謝の気持ちによって
成長していくモノであって、どこぞの教えより一貫しているし
個人個人が習得する悟りもそれぞれの分野に及ぶそれが、踊りであったり
歌であったり、千変万化。何も坊主にならなくとも坊主以上の
悟りを開いている人たちはたくさんいるぞ。早い話が坊主のみが
悟りを開くだけではないということを悟れ。
129126:2008/01/10(木) 02:02:12
>>早い話が坊主のみが悟りを開くだけではないということを悟れ
 いやいや別に誰も坊主のみが悟りを開いてるとも言ってないし、
神道でそのような心のあり方になる人もいるだろうし。
 
130名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 02:11:47
>>128
>それ以降に出てきた大乗 の付け足しによってやっと人々に受け入れられ、
形にはなってはいるが 釈尊の教えとは遙かにかけ離れている

間違いですな。上座部仏教国が存在する訳だから、
大乗の付け足しでやっと受け入れられたというのは×

>神道はそのようなモノがないから、各自の神の対する信仰の深さが
もしくは、自然に対する生かされている感謝の気持ちによって

アボリジニの精霊信仰や、アフリカの精霊信仰と同じですね。
教義が無いから、なんでもあり。

>どこぞの教えより一貫しているし

全然一貫してませんよ。

131名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 04:22:58
>>130
精霊信仰じゃないよ。神道は。神様。
ごっちゃ禁止。
132名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 11:59:09
反対に考えれば仏壇に神宮大麻を祀る人がいるとでも言うのだろうか

神仏習合の両部神道や法華神道は明治の廃仏毀釈で打撃を受け記録が
ほとんど無くなっているのが現実

神仏習合と言って観音様やらお不動様やら聖天様やらのお札と神社のお札
と一緒にしたがる人がいますが寺院と一般家庭の祭祀と同じレベルで考える
事事体が強引だと思います

護摩札というものは護摩祈願を受けた証明書のような物であって開眼供養を
行い仏様そのものを自宅にお迎えしたわけではありません、名前が記入され
ている個人の願意がこめられたものです
133名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 12:25:30
>>131
精霊信仰とかごっちゃになってるのが神道だ。
134122:2008/01/10(木) 18:15:24
>>133
古事記、日本書紀を読めそこに出てくる神が信仰対象だ
精霊信仰は、無い
135名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 19:50:02
>護摩札というものは護摩祈願を受けた証明書のような物であって開眼供養を
>行い仏様そのものを自宅にお迎えしたわけではありません、名前が記入され
>ている個人の願意がこめられたものです

このようなモノでも、かかわってくるモノは関わってくるよ。
極端なことをいえば、考え方の変化によっても関わってくるのが違ってくる
あなたの一挙手一投足を神仏は見ている。だから関わってくるのが
神か仏かあるいはそれ以外か、普段の祈りが大切になってくる。
136名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 20:22:55
>>134
精霊信仰だよ。

神道の古事記が根本教典と認定されているのか?
宗教としての神道として?
森羅万丈、様々なものに神が宿るとする神道は精霊信仰も多く含む。
137133:2008/01/10(木) 20:23:11
>>122
あ〜やっぱ貴方はそこまでなんですね、官公とかは神道の神とかではないのですね?
民間信仰とかをとりこんでの神道なのに。
 各自の信仰に任されるんじゃないですか?>>128であなたがいってるでしょう、
貴方のいう神道というのは非常に排他的ですね。
 
138名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 20:30:33
日光東照宮や和霊神社などの祭神も古事記・日本書紀に出てこないけど
神道ですよ。
139名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 20:40:52
>>137
神にも高低正邪といろいろあって、基本的に祈るのは
古事記、日本書紀に出てくる神々で十分であるが、
中には低いものや、勝手に神を騙っているモノや
神の如く拝みたい人物がいて拝む人もいますな。

>>133 のおっしゃる排他的というのも、神道の一部分を捕らえての
事だと思いますが・・・
140名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/10(木) 23:08:33
技術でも何でも、人間に関わる物事には自然なままのものと
人工智で加工するものとがあるよね。
自然のままがベターのケースも在るし、積極的に人工的に経験則や知恵を駆使して
自然的なものを加工管理するケースも在る。
どちらがいいかなんて、ケースバイケースだし決め付けられないだろ。
病的なものは後者の方が良いだろうが、自然のままの方が良いケースだった
多々在るだろう。
141名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/11(金) 00:40:56
142名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 02:38:03
聞きたいんだけど…
お札って神様、仏様(不動明王様など)どちらを奉った方が良いのかな?

また、1Kなんだけど台所と部屋に個々に奉った方が良いの?
教えてチャンでごめんなさい
143名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 02:42:30
う〜ん。
お札は神棚じゃないとダメなのか…
1Kで部屋狭いから厳しい。貼るだけでは怒るかな
144名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 03:42:54
>>14
最初はそんなに気にしなくていいよ。
おおらかに神の懐にとびこむ気持ちでいいんだって。
145名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 04:04:17
>>133
精霊なんてどんなにわんさかいたって
信仰するもんじゃーねーだろう。
ゆらゆらかげろうみたいに純ではかない存在なんだよ。
神じゃない。神の側にいるけど。わんさか。
146名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 05:01:22
>>144さん
ありがとうございます!
最初は、失礼かと思いますが壁に貼らさせて頂きます。
147名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/12(土) 22:14:20
雑密にしといた方が平和には平和だろ。
特定の神に御加護を特別に頼むなら別だけど、
川崎大師と住吉神社を一緒に一つの神棚に祀っていた頃の方が
ノホホンとしていて平和だった。
148名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/12(土) 23:23:34
>>147
今はどうなのよ?
149名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/01/12(土) 23:32:33
雑煮だ
150名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/25(金) 22:25:52
upスレにも書いちゃったんだけど、
なんかうちの神棚って左側のろうそくだけ異様な燃え方をするんだけど、
これってなんかメッセージなんだろうか?
ろうそくは5分間用の二センチ程度のろうそくです。
ちなみに火をつける順番とか燭台を換えてみても同じだし、エアコンも消してる。
びろーーーんと長い炎で左右にゆらゆら揺れる。ときどき音もするし。
右側の炎は普通に微動だにしない。
151名無しさん@京都板じゃないよ:2008/01/28(月) 12:33:19
つ[隙間風]
152名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/24(月) 23:16:36
保守
153名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 14:26:38
お札も神棚も所有することにどういう意義があるのかを自分の中ではっきりさせるとよい。
単なる物≠ニしてみてしまえばそれだけだが、確固たる信仰すべき対象たりうるなら大切にする。
不要なら棄てる。信仰に関して曖昧にすると後々面倒くさいからね。
自分の信仰があれば他人の信仰も大切に出来るし、
イベントとして地域の行事として他教とケンカせずに付き合えるし。
154名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 15:16:16
江戸時代のおかげ参りの際、お祓い箱を伊勢神宮に参拝にこれない人々の
為に参拝者が持ち帰ったのが事の発端でそれが後に神宮大麻に発展し
ました

神様は元々床の間に祀るのが一般的でしたが後に神棚が考案されました

神仏習合とは寺院仏閣レベルの事で家庭での祭祀とは全く別の次元で
あると思われます、何でもかんでも一緒くたはおかしいと思います

それに護摩札は個人の願意はこめられていても、家庭に仏様を招く
開眼供養はされていません、どうもここの違いを理解されない方が
多いように思います

神棚には護摩札を神仏習合と言い平気で安置しておいて、仏壇には神宮大麻
はさすがにごちゃまぜ派も祀りません

理屈から言えば理論が矛盾しているわけです
155名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 17:11:51
じゃあ神棚もごま札も
自分の快楽を願うイベント以上のものではないってことか。
信仰といえるほどのものではないのね…
156名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 18:42:24
やはり、個人の名前と願意が記入された護摩札は寝室の高い場所
目線より上の南や東に向けて安置するべきでしょう

神棚は神社の分霊をお招きしています、○○神社などのお札や神宮大麻
と個人の名前が記入された神社の祈願札も神棚とは別に安置するかお社
に収めず横に立てかけるべきだと思います
157名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 21:39:43
いくつかの神社で祈祷を受けましたが
どこの神社でも神職に
祈祷札は神棚におまつりするように言われましたよ。
158名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/25(火) 22:02:51
繁忙期などは、神社のお札やお守りはろくに祈祷せず授与所に並べているところもあるというからな。
その点、祈祷札はちゃんと目の前で祈祷してくれているので安心できる。
159名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/03/27(木) 10:31:22
少なくともオレが関わった神道は結果論的には駄目だった。

消極的でマイナーな心配事ばかりを先導者が信者に対して述べる。
言霊宗教だから本当にそうなってしまう。

護摩札の方は気の廻る修験僧が法話も一言一言を選んで選んで述べる。
目配りや温厚な笑い顔だけでも総て納得させてしまう。
眼光は鋭く心の中を総て見透かされているようだった。

荒行をやっているからだろう。
160名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/27(木) 12:10:17
相手の書き込みの内容をよく頭で理解せずにレスしないで下さい

>>157

いくつかの神社で祈祷を受けましたが
どこの神社でも神職に
祈祷札は神棚におまつりするように言われましたよ。

>>156

神棚は神社の分霊をお招きしています、○○神社などのお札や神宮大麻
と個人の名前が記入された神社の祈願札も神棚とは別に安置するかお社
に収めず横に立てかけるべきだと思います

161名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/27(木) 12:18:09
神社の祈祷札は個人の為に存在しているのでお社の中には収めないと言った
だけです

○○神社の神様を神棚の扉に収める理由は自宅にお迎えするのが建前ですよね

自分の願い事がこめられた祈祷札をお社の扉の中に収めるのは意味を考える
と多少ズレが生じます

神社によっても考え方は違うが大抵の神社では神棚の横に立てかけるか
特に個人名の記載されたものは寝室など高い場所に安置すると指導される
と思います
162名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/27(木) 12:59:55
危険、サタン霊が、寄ってきます。
163名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/03(木) 06:43:57
>>156
成田で貰う護摩札はご分霊として
神棚か仏壇に湯茶や供物をあげろと
言う扱いだよ。
仏壇といっても多分信徒は代々の供養や
本尊などもそこでやってもらってるって前提の
話だろうけど。
164名無しさん@京都板じゃないよ ::2008/04/03(木) 18:28:07
天帝不動会なんかで云っていたけど、
お不動さんで加持をしたのなら神道形式で改めて行う必要は無い
とのこと。
165名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/03(木) 20:12:59
>>163

>仏壇といっても多分信徒は代々の供養や
>本尊などもそこでやってもらってるって前提の
>話だろうけど。

文章の意味が理解できないのですが、例えば成田山は真言宗智山派ですが
真言宗の檀家ならば仏壇の脇持に不動明王が祀ります

仏壇を安置すれば僧侶に開眼供養を依頼して自宅にお不動様を迎えるます
護摩札自体が本尊を意味するならば意味が矛盾します

>成田で貰う護摩札はご分霊として

分霊とは何を意味するのか定義は曖昧ですが、信仰の対象として手を合わせて
下さいとの意味ではないでしょうか、成田山は宗派を問わず護摩祈願を受ける
方が多数です
166名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/05(月) 00:42:19
東北地方の旧家のデカい神棚には神社の札(祈祷札であるか否かを問わない)とお寺の札(同じく)が一緒にまつられているようです(写真で見ました)。宮形に何を納めてるのかはわかりませんが現世利益は神棚ヘ、先祖供養は仏壇へ、という区分のようです。
我が家は自営業ですが、事務所の神棚には宮形を据えず、板剣護摩札を中心に信仰する寺社の札を並べますよ。祭りは母屋の神棚を祭る習俗を流用していますから、榊・灯明・供物(正月は米・餅、氏神大祭の日は赤飯といった具合い)を上げます。
昨年訪れた宮城県のある地区では氏神様の通常のお札自体が祈祷札のような感じになっていて、区別がつきませんでした。
宗教者の説に随うでも良いのですが、それを自分なりに検討してみたり、地域の伝承をしらべておまつりしてもよいのでは?
167名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/08(木) 20:08:43
微妙にスレ違いだと思うんですが、ぐぐっても判らなくて。

神棚の上に「雲」と書いて貼る、というのはわかるんですが、
それ以外に、天井に「雲」と書いた紙を貼る意味ってなんだか判る方は
このスレにはいらっしゃいませんか?
事務所内(ビル二階)の天井に貼ってる女性がいるんです…。
もうすぐ退職する人なんですが、退職が決まってから貼り出したので、
ちょっと気味が悪くて、何か意味があるのかと思って。
168名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/08(木) 21:31:57
↑そちらの上司の方は、どこぞの官庁か大企業から天下りしてきたのですか?そういうことへの批判のようですな・・ 
169167:2008/05/09(金) 01:24:04
>>168
いえ、定年退職する人とかじゃなく、事情で中途退職される女性です。
(上司じゃなく、むしろ同期です)
…自分の頭上に貼ってるんですよ。

単に、「雲」を貼ることの意味を判ってないのかもしれないんですが、
心身的な事情で急に辞めることになったようなんで…気味が…
170名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/09(金) 04:57:41
>>166

護摩の浄火にかざされた護摩札を開眼供養を施した不動尊像と同じように
捉えるは意味が矛盾します

神棚は神社の神様をお祀りする場所であり、個人の名前や願意を持ち込むのは
本来から言えば意味が違います、やはり個人名の記載された札は各個人が
保管するべきだと思います
171名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/09(金) 20:40:26
>>169
メンヘラリタイヤってこと?

「雲」は「雲」以外の意味はないと思うよ。カルト的な意味でもあると思った?
自分の頭上に人がいるのが病的に気になってるとか、携帯用の神棚?みたいなものを身に着けてるとか、そんなところでは?
別に呪いwの意味も効力もないと思うし、気にするな。
172名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 22:51:23
稲荷スレで叩かれまくってる人がここにも書き込みしてたんだ。
173名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/15(木) 06:15:31
↑叩かれまくっているっていうほどのこともないだろ
相殿(プッ!笑)
大げさに表現して相手をおとしいれる、人間的に根性が汚いな
174名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/15(木) 08:30:06
>>173
そうだな。単に笑いものにされているだけだからなww
175名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/15(木) 10:35:12
↑ワールドメイトおじさんに言われちゃオシマイだな
176ひみつ:2008/05/16(金) 21:44:30
>>830
鳥付けろよ
177名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/30(月) 08:15:28
>>170
じゃあたとえば神社式の神棚でないとして、御朱印なんかを祀るのは?
178名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/30(月) 08:15:55
age
179名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/05(火) 20:10:04
我が家は毎月、川崎大師(真言宗智山派)に行ってます。
父親の考えで、社の中に御開帳の御札を納め、神棚に達磨と神社の御札を置いてます。
そして、しめ縄をしてますが、榊は置かず、お酒だけ置いてます。
神棚の祀り方をどうすればよいのか、又、神棚の上に部屋があるが、「雲」や「天」とか書くべきか否か迷ってます。
180名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/08(金) 17:27:25
どれにレスするわけでもないが、流れ的に・・・
自分は仏教を学んだけど今は神道に惹かれる。
神道の伝統の中には、仏教っていうものも少なからずあった。似ている部分も多々あるしまだまだ混濁して残っているところもある。
けれど戦後特に分かれたってだけだあって、ガイシュツだけど真理とかって仏教言葉だし、そういう風潮が根付いていても歴史には逆らえない

仏教は、とらわれずに一心に生きることで救われるとか言うんだよね・・・でもひとつの宗派にこだわったり争ったりするのはとらわれてると最近思うようになった。
だから、もっとおおらかな、自然とか八百万とか、地鎮的な、とらえどころのないほどでっかい、神信仰に目覚めた。
仏教用語になっちゃうけど、他力本願の考え方も、他力に生かされてるって悟って有難く生きることなんだよね。
それって日本の、あらゆるものに神が宿っていて生かされているって思想と一緒じゃない?と思った。さらにあまり、政治とかの事情を抜かせば、あまりこだわりもないわけで。
大きななにか=神に生かされてるって思えば、仏教とか神道とか混濁しても思想はかぶるところはあるから、形がしっかり作られてる仏教と言い争っても、あまり意味はないと思うよ。
神を信仰するでも、形があったほうが信じやすいのなら仏教でも、各人によって違う形で、「救われた生き方」みたいのは得られると思う。ただ、どっちを好むかはスレ的には神の方面だけどね。

181名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/25(月) 19:20:14
明治以後の作られた神道はもうどうでもいいじゃん
近世まで一般的になってた吉田神道では神仏習合で護摩をたき
仏教様式でまつりごとを行ったわけで。
(吉田神道は幕府の庇護を受けて全国の神社に祭祀法を伝えたので
赤い護摩壇のような不可解な図が各種残ってる)

正直民間では近世まで寺で貰ったありがたいものもなんでも
神棚に飾ってナムナムしてたんだよね。
むしろその感覚こそ、万物に霊性を見るアニミズムの真髄を突いてるのではないかと
俺は思うのです。

今の国家神道の流れを汲んだ神社本庁系で学んだ神道好きは
恐らくそういうのを激しく糾弾するだろうけど
近世までの信仰を調べれば調べるほど、そんな画一化された信仰は間違ってると思えてくる。
182名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/25(月) 19:32:21
神棚に仏教の護摩札を置くとは、さっさと焼き捨てる方が賢明だぞ
183名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/25(月) 21:19:03
神宮大麻他神社札を焼き捨てて中央に護摩札を奉れってことか。
うちではすでに実践してるからおk。
184名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/26(火) 00:03:48
>>182
新興宗教乙
185名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 00:22:47
神社で特別にお祈祷してもらった お札と 神社の社務所にそのまま売られてるお札とじゃ 神棚での並べ方がまた変わるんだね。


お祈祷してもらった お札は 扉の外側に立てる感じで


神社に売られてる お札はそのまま扉の中にいれるんだね 知らなかった
186名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 07:28:19
74 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/10/01(水) 07:21:41
京都の祇園【建仁寺】のえべっさん
     対
八坂神社のえべっさん

建仁寺のえべっさんは、明治時代廃佛で建仁寺が切り捨てたえびす神社を
寺侍が、金儲けを企てはじめた。

健仁寺のとこにある、えべっさんってどう?
俺は八坂神社がいいな。



75 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/10/01(水) 07:23:47
八坂神社はもともと比叡山の管轄になる祇園「感神院」と言う、
神仏習合のお寺だった。京都のえべっさんはみんな寺が関わっていて、やだ。


76 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2008/10/01(水) 07:25:22
丹後の宮津の天橋立の文殊堂の智恩寺の「えべっさん」の十日戎。

京都のえべっさんはみんなどうして寺と関わってるんだろ。やだ。
187名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 07:44:26
京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで
日本三大ゑびすと称され、
「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(
1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり
、その鎮守として最初に建てられたものです。
宮津の文殊さんの智恩寺のえべっさんも、禅宗だとか。
京都では禅宗とえべっさんが関係あるんですね。



188名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 10:51:57
地元では「京都の恵比寿は貧乏神」という言い伝えが有名です
ちなみに元建仁寺のほうね
189名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 11:10:50
あそこのひと超感じ悪い。
190名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 11:14:22
なにあの態度と性格。
191名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/01(水) 11:15:37
誰かの自作自演
192名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/09(木) 19:53:33
>>185
全て明治以後に言い出した迷信。
ああしなきゃならない、こうしなきゃならないなんてのは
ほんとそんなのばかりだよ。
193名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/09(日) 15:15:16
かつて神仏習合もあったんだし今更何をって感じだが
194名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/09(日) 17:53:41
明治以前は切り分けあいまいで
どこのおうちも神棚にありがたいものはなんでも祀って
ナムナム拝んでたもんだよ
そういうおおらかな信仰形態があった

今みたく葬儀屋やら呪い師やらがああしろこうしろうるさく言って
あれを買え、これを買わないと御利益が無い、あれも買わないとバチが当たるうんぬん…
そんなもんに振り回されるのはくだらないんじゃないかね
大事にナムナムしようという信心が大事なのであって、様式なんて二の次だよ
195名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/09(日) 19:06:31
>万物に霊性を見るアニミズムの真髄を突いてるのではないかと

そりゃそうや、雑密こそアニミズムの真髄や。
196名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 13:26:43
結局「正統」とか「正しい」とか言うこと自体があいまいで無意味。
ある教説があって、それに従っている時、その教説を奉ずる団体や人物から「正統」と評価されるだけ。
自分の良いように祀ればよい。それが民間信仰の豊かさを育む。
「祈願」を神棚に持ち込むべきではない、というのも考え方、捉え方の一説に過ぎないから、
それをさも当然のように言うのは傲慢で偏狭なことだと思う。
197名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 13:34:59
神棚に寺院でもらった護摩札を置いただけで神仏習合なの?
わけがかからん

神社の御札を祀る神棚に個人名の入ったものをなぜ持ち込むの?
それって不敬にならないか?
198名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 13:49:07
作法など関係ない真心だとか神棚に寺の護摩札を安置するのは神仏習合の考え
から言えば問題ないとしきりに素人考えで正統化しているが

神棚が一般家庭で祀られるに至った過程を考えれば江戸時代に流行した
伊勢神宮参拝(おかげ参り)に端を発する、参拝にこれなかった者の為
にお祓い箱を参拝者が持ち帰った風習から起因する

お祓い箱の中には幣が入っており神宮に参拝できなくても自宅でお祓い
が受けられると言うものだ

お祓い箱が神宮大麻に発展して一般家庭で神棚が祀られるようになった

従って神宮大麻、神棚、お祓い箱この3つを由来からすれば護摩札など
どこから出現するのか、変な話である、また神棚に護摩札で神仏習合
とは安易でお手軽な神仏習合である
199名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 13:50:21
〜なの? 〜の? 〜か?

質問ばっかりw
くさいよ
200名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 16:29:39
>>198
神棚は明治維新後に国家神道で各家庭に置くように推進した結果で
江戸期に神棚なんて普通ありませんよ。
江戸期は仏壇になんでもありがたいもんは祀ってナムナムするのが普通ですがな
それいいんだと思うよ。信心の問題で、棚がどうとか下らないよ。
201名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 16:56:55
まぁ実際には室町時代の農家とかで普通に家に神棚を祀ってた記録が残ってるけどね
202名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 17:27:10
>>201
ソースは?
神道家がそういうの言ってるのは聞くけど、
学術的には中世に神棚なんてものは整備されておりません
そんなもんがあったなら吉田神道なりなんなり各神道諸派の祭祀法などの教本に出ないわけがないですが
そんなのは残らないことからも
神棚なんてものが一般に広まってたなんてのはトンデモ。
203名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 18:09:38
>>200
いや、明治以降というのは無理。
204名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 18:18:18
江戸時代初期にはもう神棚を祀る風習があったよ
きっと>>200は何か勘違いをしちゃってるだけだと思うから気にすんな。ドンマイ!b(∀゚ )
205名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 19:51:23
>>200

>神棚は明治維新後に国家神道で各家庭に置くように推進した結果で
>江戸期に神棚なんて普通ありませんよ。

お祓い箱から神宮大麻に発展して後に一般家庭に神棚を祀るように
なったとは書き込んだが捉え方が違うような、まあ横に置いておき
説明しよう

昔は幕府公認で年貢を納める事ができなかった農村の娘が遊郭に
売られてしまう事があり、置屋や遊郭にはお稲荷様が商売繁盛
や遊女の性病除けに神棚に祀られる事があったので江戸時代に
神棚は存在していました

>江戸期は仏壇になんでもありがたいもんは祀ってナムナムするのが普通ですがな
>それいいんだと思うよ。信心の問題で、棚がどうとか下らないよ。

それでは質問するが、神棚に仏像を祀るのか?仏壇に神宮大麻を祀るのか?
神棚に護摩札を祀る事だけが神仏習合でく形式にこだわらない
ありがたい信仰ナムナムなのか?
206名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 19:54:39
成田山の護摩札の袋に「神棚」などの清浄なところって書いてあったような
207名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:26:38

成田山の場合は護摩札は浄化にかざした御分霊としていますが
仏像に開眼法要を行い御仏が宿るとするのが仏教です
護摩法要では祈願はできても何かを開眼させることはできません

神棚や仏壇に護摩札を安置するように指導する寺院もありますが
宗派の違いはどうなるのでしょうか?まして浄土真宗では密教的
なもの護符、まじない、占いを否定しています、本尊と先祖の位牌
が祀られ先祖の冥福を祈る場所に生きている人間の願意を持ち込むのは
筋違いでしょう、仏壇は宗派の本尊への信仰と先祖供養の為にあります

参拝客が多い成田山で細かい護摩札の扱いをいちいち説明して
いたら説明だけでも大変な問題になります

個人名と個人の願意が記された護摩札は個人の寝室の東向きまたは
南向きの目線より高い場所に安置するべきでしょう





208名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:37:22
>>207
オマイは浄土真宗か?

だが真宗には先祖の冥福を祈ったり、位牌を安置したりはしませんね。
密教的な護符等云々というなら 神道の大麻はどうなのかとまでは言わぬが・・・

護摩で浄化? 浄火にかざしても開眼にはならないというのは 何に基づくのか?

最後の護摩札は東か南向きって。一体、何宗?何教? どういう論理なのか詳しくききたい。




その上で、

209名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:42:29
>>208

>だが真宗には先祖の冥福を祈ったり、位牌を安置したりはしませんね。

それぐらい知ってる

神棚や仏壇に護摩札を安置するように指導する寺院もありますが
宗派の違いはどうなるのでしょうか?

まして浄土真宗では密教的
なもの護符、まじない、占いを否定しています、

本尊と先祖の位牌
が祀られ先祖の冥福を祈る場所に生きている人間の願意を持ち込むのは
筋違いでしょう、仏壇は宗派の本尊への信仰と先祖供養の為にあります


こうやって文章をわけて読めバーカ
210名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:44:08
>>208

何が根拠じゃバカ

開眼法要だから開眼だろ、護摩法要だから護摩だろ

そのままじゃ(笑)ボケ
211名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:48:34
>最後の護摩札は東か南向きって。一体、何宗?何教? どういう論理なのか詳しくききたい。

君は仏壇でも神棚でも北向きや西向きに祀るのか?
たまに北向き観音とかあるけど特殊だわな

何宗?何教?そんな事を他人に質問している場合じゃなくて
オマイは神棚は江戸時代になくて明治時代からのものだという
見識ぐらいしか持ち合わせていない痛い人間だと少しは自覚したら?
212名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:59:40
>>209210211
はい 待ってました
一人め
護摩札のことに真宗で説きもしない先祖の供養だの、位牌だのということを持ち出すのは何故?
二人め
成田山に何で護摩札が開眼されたといえるのか。つまり、分霊だと言えるのかを質問しましたか?
三人め
向きは住宅事情によっては無理なこともある。
ここで言ったのは、そういうことではなく、真宗の論理を最初に持ち出して話を始めながら、
結論は一体どういう宗教の論理になっているのかを指摘しただけだ。
ご本人さま登場なのか?
何ならついでに神棚が明治以降だという根拠を示して欲しいものだ。

213名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 21:09:51
>>1神仏習合の意識なら別にかまわんじゃないか
214名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 23:35:30
>207

根拠は?あるいはあなたご自身の見解に基づく説でしょうか?

一言言わせて貰うと、神棚も仏壇も護符も祈祷も、表面的、或は授ける側は宗教の教学に頼っていても、受けたり信じたりする側の態度は諸教混合の民俗宗教です。民俗宗教の世界は様々な信仰対象や観念が重層していますから、はっきりと分けることは不可能ですよ。

違う宗派の問題ですが、我が家では毎年真言宗と日蓮宗の寺から祈祷札を頂きます。これらは全てまとめて仏壇に置いてます。うちでは昔からそのようにしてきたのであって、それがうちのまつり方ですから、何と言われようと変えるつもりはありません。

分別主義の方に、民俗宗教の中核を成す神棚・仏壇・社寺参詣について発言する資格はないと思います。まして、統一させようとすることなど愚かなことです。
215名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 08:03:43
>>212

>一人め
>護摩札のことに真宗で説きもしない先祖の供養だの、位牌だのということを持ち出すのは何故?

護摩札を仏壇や神棚に祀るのは間違いじゃないというデタラメな理屈が
まかり通っているから

真宗は説かないが阿弥陀仏との縁を深めるとして葬儀や法事を行っているから

>二人め
>成田山に何で護摩札が開眼されたといえるのか。つまり、分霊だと言えるのかを質問しましたか?

護摩札が分霊な理由は成田山に質問して下さい、そう紙袋に書いてあるので

何度も説明するように護摩法要では祈願しかできない、何かに仏様の魂を宿させる
法要は開眼供養である

216名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 08:04:27
>三人め
>向きは住宅事情によっては無理なこともある。

そうだね、一般論を説明しただけだよ、南向き、東向き
高貴な人は北を背にするとか、太陽が昇る方向に向くとか

>ここで言ったのは、そういうことではなく、真宗の論理を最初に持ち出して話を始めながら、
>結論は一体どういう宗教の論理になっているのかを指摘しただけだ。

どういう宗教の論理か一つにできようもない、何故なら密教の護摩札を
神棚や他の宗派の仏壇に祀るのが間違いではないとオマイらが主張しているからだ
どういう宗教の論理になっているのか質問するのはむしろ私の方である

何なの真宗の論理って?浄土真宗では他宗のお守りや護符などを
お内仏の中に持ち込むのを特に嫌う、教学が密教的なものを否定しているから
217名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 08:11:01


2>00 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 16:29:39
>>198
>神棚は明治維新後に国家神道で各家庭に置くように推進した結果で
>江戸期に神棚なんて普通ありませんよ。
>江戸期は仏壇になんでもありがたいもんは祀ってナムナムするのが普通ですがな
>それいいんだと思うよ。信心の問題で、棚がどうとか下らないよ。

>212 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:59:40
>結論は一体どういう宗教の論理になっているのかを指摘しただけだ。
>ご本人さま登場なのか?
>何ならついでに神棚が明治以降だという根拠を示して欲しいものだ。

自分で神棚が明治以降のものだとするデタラメな根拠を示してるじゃん
人に責任転嫁しちゃ駄目!駄目!神棚にナムナムなんだろ?

218名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 08:31:32
>>214

諸教混合の民俗信仰だから仏壇に他の宗派の御札を祀るのは問題ない
とするのはあまりに根拠が不明確で曖昧であり個人的な実情のみに偏って
います

昔から宗派によって仏壇に祀る本尊、脇持、仏具に明確な違いがあるのが
事実ですし、何をもってして諸教混合と言われるのでしょうか
色々な宗派の寺院に参拝して御札やお守りを受けただけで諸教
混合ですか?民俗信仰ですか?民族信仰とは道祖神とか生殖崇拝とか
青森のなまはげとか地域独自の信仰を意味するのではないのですか?

分別主義ではありません、宗教や信仰の定義とは信じて敬う事を意味
します、信仰や宗教とは趣味の世界ではありません、宗派の本尊や
開祖に帰依する事を意味します、我流を押し通すことではありません

日本は華道や茶道を始めとする、作法やかたによって文化が成り立って
きたと言っても過言ではないでしょう

茶道も元々は献茶といって禅宗から発展したものであります
219名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 10:08:56
オイラも神仏習合の考えだから神棚に護摩札を置いても別に問題は無いと思うし
仏壇の横にカトリックの聖書があっても別に構わん
しかし真言宗と日蓮の組み合わせは無いな
漁師上がりが理趣経の本質を理解しようとせず弘法大師に喧嘩売ってきたわけだし
220名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 10:28:30
>>207 だが本願寺では密教的マジナイの性格の神でもある歓喜天さん奉っとるがな。
221名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 10:55:53
>>220

本願寺の歓喜天は知りませんが、何を由緒として祀られているのか
を知るのが先決と思われます

説明しましょう、例えば元々真言宗の寺が浄土宗の寺に改宗した
場合があるとします

真言宗の住職がいなくなって浄土宗の住職がお寺にやってきた場合
は浄土宗の本尊が弥陀三尊、脇持が法然上人、善導大師でありますが
元々そこのお寺に祀られていた大日如来や不動明王や弘法大師や
千手観音etc処分しないで引き続きお祀りするのが日本仏教
では一般的です

一旦、お祀りされた諸仏諸天を日本仏教は処分するようなことは
滅多にしません

222妖輝緋 ◆is1mRve2Rk :2009/01/24(土) 11:14:11
222げっとぉ!
223名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 11:37:22
神社の御札と密教の護摩札を神棚に一緒に祀る事が神仏習合である
と軽はずみな解釈がまかり通っていますが、神と仏を同じ社に祀る
事が神仏習合ではなく、神仏習合とは神道の神は仏の仮の姿で
ある、神と仏は一体であるとする本地垂迹説、宗教的な思想です

修験道、吉野の金峰山を見ても、稲荷神や八幡神を祀る時は鳥居を設け
注連縄をつけ、寺院の敷地内に祭祀されていますが本堂や仏、菩薩、天部
高僧とは別々に祭祀されています

神棚に護摩札を祀る事が神仏習合だと正当性を主張するのなら
神棚に仏像を祀るのか?仏壇に神宮大麻や神社の御札を祀るのか?
と質問しても誰も何を答えられません、そして知ってか知らずか
そのような事をする人はあまりいません
224名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 11:59:11
>218

民俗学を学ぶ者の立場から言わせて貰うと、一軒の家や一人の人間によって、一宗教一宗派には限定できません。
あなたは複檀家制度をご存知ですか?一軒の家が宗派の異なる二ヶ寺と関わる宗教習俗です。
付き合いが大変だという理由で近年急速に解体が進み消えていますが、研究されてもいます。位牌は同じ仏壇内に置かれます。(『民俗小事典 死と葬送』など参照のこと)

また、寺が集落内に幾つもある場合、葬儀に際して全ての寺の住職が宗派に関係なく集まることもあります。その場合、他宗派の僧侶であっても異なる宗派の経文を読むことになります。
淡路島のある集落では集落の檀家の多数派を占める真言宗寺院の僧侶と少数の檀家しかない真宗の僧侶が一緒に檀家回りをするということです(櫻井徳太郎『民間信仰』より)。

受け入れている側がそれぞれどういう信仰的な枠組みをもって受け入れているかは容易には測り知れません。
受け手の側の意識を考えることなく、「これが正しいありかた」と押し付けることは謹むべきだと思います。
(主張するだけなら思想・信条・言論の自由がありますので問題はありませんが)
225名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 12:42:44
>>224

私は客観的な事実を述べているだけである、押し付けとか
受け入れとか、攻撃的な言葉を使って自分の適当な
知識を正統化するな、仏壇に日蓮宗真言宗の護符を平気で安置
して何が民俗学だ

一つの宗派の本尊が祀られる仏壇に日蓮宗と真言宗の御札を安置して
おり、それが民俗信仰や諸教混合であるから正当であると主張したのを
忘れたか?それに民俗信仰の定義もいまいち曖昧でした、色々な宗派の
寺院を参拝して御札をちゃんぽんするのが民俗信仰か?

それと檀家制度と家庭の事情と何の関係があるのか?
家庭内においても先祖代々の宗派を改宗して創価学会に入信した
家族と対立して先祖からの仏壇と創価学会仏壇の両方とも安置して
いる家庭など無数に存在するが、これは、家庭問題社会問題である
宗教的な意味は全くない

それに檀家寺以外の他宗派の僧侶が檀家数が少なく運営が難しい事
から全く関係のない世帯に勝手に仏事にやってきて、帰れとも言えず
仏事を仕方なく依頼して布施を渡すというのは珍しい事ではなかった
が、今回の問題とは無理なこじつけに思われる
226名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 12:50:33

>受け入れている側がそれぞれどういう信仰的な枠組みをもって受け入れているかは容易には測り知れません。
>受け手の側の意識を考えることなく、「これが正しいありかた」と押し付けることは謹むべきだと思います。
>(主張するだけなら思想・信条・言論の自由がありますので問題はありませんが)

檀家数の少ない他宗派の住職がやってきて仏事をするからお金を下さい

このような社会的経済的な問題と貴方の言う諸宗融合と民俗信仰と
何の関係があるのか?

家族の意見の対立から二宗派の仏壇を安置している、それと
一つの宗派の仏壇に日蓮宗と真言宗の御札を祀るのが民俗信仰
諸教融合だとする考え方とは意味が全く異なる

227名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 13:27:00
>>1
基本的に神棚が家の一番清浄な場所に置くべき、次いで寺関係は
別の部屋に飾って、神棚とは離すべきである。
~が上で仏が下であるのは基本であります。
228226:2009/01/24(土) 13:58:07
私は227の書き込みはしていません

護摩祈願は仏様の魂を何かを宿らせる法要ではなく護摩木に
願い事を書いてそれを煩悩として仏様の智慧の浄火にて燃やすことです
祈願はできますが何かを御札なり仏像を本尊として開眼する事はできません

開眼供養とは仏像に仏様の魂を吹き込む法要です

護摩札は今日確かに護摩祈願を受けたという証明書の意味です
個人名と願意が記された護摩札は仏壇と神棚とは別にして自分の
寝室の東向き南向きに目線より高い場所に安置するべきでしょう



229名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 14:07:40
逆に神棚にダルマさんがあるのはなぜ?
ダルマさんは仏教、しかも禅宗系でしょ?

大きな神社でダルマ市があるけど、厳格にいえばNGじゃね?
230名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 14:13:07
神社が売っているんじゃなくて、テキ屋ヤクザがダルマを売っているんだろ。
231226:2009/01/24(土) 14:35:23
>>229
私は神仏習合そのものを否定しているのではありませんし
ダルマが神社の祭神や寺院の本尊、護摩法要護摩札と何の関係が
あるんですか?いいですね
これまでのやりとりを全く無視した支離滅裂な思いつきの
カキコしかできないお馬鹿さんは

ダルマさんは神棚に置く決まりなてありませんよね
選挙期間中に代議士の事務所がテレビで中継されますがよく
見てください、大抵、大き過ぎるのでロッカーの上に置いて
ありませんか
232名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 15:26:35
職場で湯島神社にダルマの処分を問い合わせたバカが居たんだけど
神社側の答えは 魂の無い物は処分できませんって言われてた。
233名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 15:33:46
だんだん過激になってきたなぁ・・・。

そもそも「護摩札」って定義は何なの?

例えば宮城の金華山は昔お寺、今神社だけど祈祷のことを「護摩」って言って火を焚いて祈祷する。でも神道の儀礼。お札にも「護摩」の字はないよ。
神奈川の大山は祈祷の様子はわからないけどお参りする人は「護摩」って言う。お札に「護摩」の字はない。

近所の人でよく龍口寺に行く人がいるんだけどあそこも護摩は焚かない。けど「護摩を焚いて貰う」って言う。
234名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 15:38:59
>>232
そりゃ、湯島神社もいい加減だな。 魂の無い物は・・・なんっていったら
墓穴を掘るのに、それすら解ってない。湯島神社ってどれだけ莫迦を揃えて
るんだか!
オレだったら、じゃぁアンタんとこは「魂の有るなし」が見えるのかって突っ込むぞ!
235名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 15:48:54
>234

言えてる!

まあ先方は「うちで売ったもんじゃ内から扱いかねる」みたいな感じだったのかも知れんが・・・。
236名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 15:52:09
こう言っては何だが、あまりあちこちにお札を分散させとくのもなんかなぁ・・・。

不謹慎な話だけど、護摩札置いた寝室じゃ「夜の営み」も萎えるよなぁ・・・。
237名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 16:02:26
>>225

どこがどう「客観的な事実」なのか教えてくれない?よくわからないんだけど・・・。

「護摩では開眼できない」ってことが「客観的な事実」なんですか?
だとすると本当に開眼されていないのか?ってことが疑わしくなりませんか?

あと、護摩札でも個人祈祷札でもない、お寺の授与所で売られているお札はどうすべきなんですか?
238名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 16:14:12
>>236
>護摩札置いた寝室じゃ「夜の営み」も萎えるよなぁ

そんなに神経質になることも無いとおもう。
神仏だって人間の生活を否定はしないと思う。生き物として
当たり前の行為なんだしな。

気分的には「仏像」なんかのほうが落ちつかねぇ
239名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 18:19:59
>>205
それは神棚とは言わない。
単に稲荷神を祭ったというだけのはなしで、
神棚というものが成立したのは明治政府の令が最初。

神棚という様式が成立するためにはその祭祀法が規定されねばなりませんが
そんなものは神道文書に一切残っておりません。
室町より仏壇では置き方などの様式が(民間で守られていたかは別として)成立していました。
(だからこそ真宗が仏壇様式について物議をかもすわけです)
しかし神棚のようなものはまだ成立しておりません。

神具業者かなんか?歴史は歴史。信仰とは別けてください。
神棚を由緒正しいものにしたいのかもしれないけど、明治以後の風習です。
240名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 20:42:19
>>239
宮型と神棚とを混同しとるんでないの?それと言葉足らず。
宮型がある現行のような神棚の形式は明治以降って言いたいんだろ?
神棚が成立するには祭祀法の規定が必要…ふうん。現在神社本庁の規定には「神棚の祭祀法」なんてないよ。今は神棚ないのか?
この板で歴史だけを語りたいとはワガママなご仁よな。でも歴史とて信仰でもあるぞ。分かるかな?
241226:2009/01/24(土) 20:58:30
>>239

稲荷神の御札なりご神体なりを祀っている場所が棚になっていたならば
いや大抵そうなっているだろう、昔の人がどのように解釈していたにせよ

神を祀った棚、神棚である
仏を祀った壇、仏壇である

そこに君の意味不明な歴史観と混同しないでくれたまえ


242226:2009/01/24(土) 21:10:55
>>237

>どこがどう「客観的な事実」なのか教えてくれない?よくわからないんだけど・・・。

どこがどう、民俗学か教えてくれない、よくわからないよ、貴方の諸教融合って何?
仏壇に日蓮宗と真言宗の護符を安置するの?貴方の理屈って頭パーンだね

>「護摩では開眼できない」ってことが「客観的な事実」なんですか?
>だとすると本当に開眼されていないのか?ってことが疑わしくなりませんか?

漢字を読めないの?、護摩法要だから護摩、開眼法要だから開眼
護摩を炊いて仏に祈願、仏像なり何なりに魂を宿らせるから開眼

>あと、護摩札でも個人祈祷札でもない、お寺の授与所で売られているお札はどうすべきなんですか?

はい、壁に貼ったりするのが普通でしょ、あれ?民俗学を学んでみえるんですよね?
誰にも譲れない爆笑な祀り方があるんでしょ、何なの?仏壇に日蓮宗と真言宗の
護符のちゃんぽんって変り者ですよね、何か民俗学とか受け取り方とかキモイよ
アンタの理屈は妙にえらそうだし


243名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 21:15:20
自室に護摩札あるけど、オナ○ーやったりエロサイト見てるよ。
ただ、護摩札に向かってあからさまな行為に及ぶ事は避けている。
244226:2009/01/24(土) 21:15:22
224 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 11:59:11
>218

>民俗学を学ぶ者の立場から言わせて貰うと、一軒の家や一人の人間によって、一宗教一宗派には限定できません。
>あなたは複檀家制度をご存知ですか?一軒の家が宗派の異なる二ヶ寺と関わる宗教習俗です。
>付き合いが大変だという理由で近年急速に解体が進み消えていますが、研究されてもいます。位牌は同じ仏壇内に置かれます。(『民俗小事典 死と葬送』など参照のこと)

>また、寺が集落内に幾つもある場合、葬儀に際して全ての寺の住職が宗派に関係なく集まることもあります。その場合、他宗派の僧侶であっても異なる宗派の経文を読むことになります。
>淡路島のある集落では集落の檀家の多数派を占める真言宗寺院の僧侶と少数の檀家しかない真宗の僧侶が一緒に檀家回りをするということです(櫻井徳太郎『民間信仰』より)。

>受け入れている側がそれぞれどういう信仰的な枠組みをもって受け入れているかは容易には測り知れません。
>受け手の側の意識を考えることなく、「これが正しいありかた」と押し付けることは謹むべきだと思います。
>(主張するだけなら思想・信条・言論の自由がありますので問題はありませんが)

檀家数の少ない他宗派の住職がやってきて仏事をするからお金を下さい

このような社会的経済的な問題と貴方の言う諸宗融合と民俗信仰と
何の関係があるのか?

家族の意見の対立から二宗派の仏壇を安置している、それと
一つの宗派の仏壇に日蓮宗と真言宗の御札を祀るのが民俗信仰
諸教融合だとする考え方とは意味が全く異なる

245名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 21:36:42
>>221
それなら本願寺が元密教寺院であった証拠を示さないと
246名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 21:39:47
>>239

>(だからこそ真宗が仏壇様式について物議をかもすわけです)

真宗が先祖供養という解釈で法事や葬式などの仏事を行っていない
位牌などをお内仏に安置していない事を指摘しているのだろう
解釈の違いはあれ事実上、仏壇(真宗で言うお内仏)法事、葬式、仏事が
あるのが真宗の矛盾であり特徴である
そこの矛盾は省いて真宗では密教的な物を否定しているとだけ述べたのだが
209 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/23(金) 20:42:29
>>208
>だが真宗には先祖の冥福を祈ったり、位牌を安置したりはしませんね。

それぐらい知ってる

神棚や仏壇に護摩札を安置するように指導する寺院もありますが
宗派の違いはどうなるのでしょうか?
まして浄土真宗では密教的
なもの護符、まじない、占いを否定しています、
本尊と先祖の位牌
が祀られ先祖の冥福を祈る場所に生きている人間の願意を持ち込むのは
筋違いでしょう、仏壇は宗派の本尊への信仰と先祖供養の為にあります

こうやって文章をわけて読めバーカ




247名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 21:40:46
>>219
またも ボウヤ が登場か! 
日蓮さんが元漁師という証拠はあるのか?

>理趣経の・・・

弘法大師の真言宗は理趣経が正依の経典なのか?
248名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 21:41:45
>>245

>それなら本願寺が元密教寺院であった証拠を示さないと

残念でした、民俗学さんよ、本願寺が元密教寺院であったなど
どこにも書き込みしておりません

アホ+早とちり

249名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 22:06:27
地域の信仰上そうなっているものを、調査もせずにおかしいというのはやめて頂きたいです。
うちの地区では日蓮宗と真言宗の寺が隣同士にあり、門前の住人は檀家であると否とを問わず、皆等しくお付き合いをしてきました。
うちは真言宗寺院の檀家ですが、日蓮宗の寺には星祭りの祈祷を毎年お願いし、元旦にもまたお札を頂きます。
そこに宗派の違いは意識されません。

お札は用途によって使い方が異なります。家の中にまつるもの、玄関に貼るもの、畑に立てるものなど。だからどのまつり方が粗末になるということは一概には言えません。当然僧侶による祈祷札でも神棚にまつるとされるものもあります。

「諸教混合」と半端なことを言って混乱を招いたことを深くお詫びします。
言いたかったことは、
@「信仰対象の出自が神道か仏教か、あるいは神と仏のどちらが優位かなどは、さして重要な問題ではない」
A「人々は、祭し対象の「神格」を信仰するのではなく、優れてその「神威」「霊威」を信仰する」
ということです(長谷部八朗「民俗宗教の諸相」から。八千代出版刊の『民俗学講義』に所収)。


(続く)
250名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 22:20:40
>>249

そんなのアンタが勝手に他宗派の寺に参拝してるだけの話だろ
星祭りに行って宗派の違いは意識されないって当然だろ、アホか
誰でもそうですよ(笑)

御札が用途によって違う、それがどうしたの?何を今更
当たり前の事を書き込んでいるの?

>@「信仰対象の出自が神道か仏教か、あるいは神と仏のどちらが優位かなどは、さして重要な問題ではない」

重要か軽視して良いか、民俗信仰さんの決める事じゃないわね

>A「人々は、祭し対象の「神格」を信仰するのではなく、優れてその「神威」「霊威」を信仰する」

今回の問題とこんな事は関係ないね(柴田恭平 風)
251名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 22:34:09
(続き)

お札のまつり方や信仰の仕方には、僧侶や神職などの職業的宗教者の理想とする方式
(これが参詣者や信者に対して宣伝されるわけですが)
と参詣者や信者が自分の側で信仰対象を教義的な位置付けとは別の位相に捉らえ直して行う方式があり、
参詣者や信者は各々の持っている条件によって多様な対応を見せるということです。

護摩札や個人的な祈祷札をどのようにまつるかは、一方式だけをよしとするのではなく、札を受け取る人の考え方によって、色々あって良いのではないでしょうか?それが豊かな信仰世界を作り、新たな宗教思想を育む一端にもなるのではないかと思います。

檀家の話を出したのも、「祖先祭し」と「仏教による供養」が同列のものでなく、必ずしも宗派が限定されないことを説明するためでした。

最後に、神棚も仏壇も中世の武家や宗教者の家に設けられた祭壇が庶民に広まるにつれて小型化し、有名大社の神人・社人らの関与によって、彼等が配札したお札の安置場所となったものが神棚、祖先祭しを引き継いだのが仏壇だそうです。

皆さんからの厳しい叱責のお陰で、自分の至らない点を痛感させられました。混乱を大きくして申し訳ありませんでした。
252名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 22:40:08
結局、民俗学だの、諸教融合だの、私の地域が特殊な宗教感覚だの
さんざんエラソーに主張しておいて、最後は色々あって良いのでは
ないでしょうかとは情けない

小難しい専門用語を並べたら人がビビルとでも思ったか?甘いんだよ
253名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/24(土) 22:45:30
>檀家の話を出したのも、「祖先祭し」と「仏教による供養」が同列のものでなく、必ずしも宗派が限定されないことを説明するためでした。

他宗派の僧侶が自宅まで仏事にやってくるだったよね、「祖霊祭り」とか
と全然話が違うじゃん、全く関係ないやん

254名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/25(日) 22:05:56
>>250
など一連の暴言の連発は

ボウヤ の発言なので放置してください  
255名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 13:08:30
万事、民俗学が決めるべき。
256名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 14:15:29
>>255
意味不
257名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 14:23:39
>>240
>現在神社本庁の規定には「神棚の祭祀法」なんてないよ。今は神棚ないのか?

現神社本庁であって、明治の神社本庁ではない。明治政府の総氏子政策で
神棚を各家庭に祭ることが強制され、それに応じて業者にお宮を模した神棚を成立させただけ。
神棚の成立は現代ではない。明治の令だ。
中世に神棚が成立してたなんてのはヨタ。

家の棚だとか箪笥の上だとかに神社れ貰ったもんかざっただのはあっても
江戸期の神棚なんてものは実際全く残ってないし
仏壇が職人の作るものとして様式ができあがってたのに対し
神棚職人なんて職業が全くなかったわけで、神棚はまだ成立してないよ。

神社で貰ったもんを家に置いたらそれが神棚だ!ってのは飛躍がすぎるでしょう。
現代の神具業者の妄言です。民俗史を歴史として捉えるならば
やはり神棚の成立は明治期とすべきだと思いますよ。

どうしても神道の様式は伝統あるもんであってほしい!みたいな思想は捨ててください。
神道では(アイヌに残る縄文の祭祀でもそうですが)神は移動するもので
そこに常駐するというもんではなく、神棚という様式は本来は無かったんですよ。
258名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 14:29:42
門松にしろ、しめ縄、鏡餅みたいなもんにしろ、これらは神を迎える儀式ですが
こんな感じで神を祀るのが日本の神感では主流であり、ずっとそこに居るというのは
日本のご家庭では普及した感覚ではないのです。
門松は神のヨリシロですがそれは神棚とは普通言わないでしょう。
鏡餅の台は神棚というのではないでしょうし、
貰い受けた依代を一定期間大事にするという感覚はあっても
それを定型化した神棚といった様式は確立していないです。
259名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 15:21:30
江戸期の神棚あるよ
260名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 15:27:02
https://www.saitama-jinjacho.or.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=9
一般家庭に宮型が普及したのは明治以降のことで、それ以前は、
お神札は単に神棚に立て掛けたり、長押に差したり、柱や壁に貼るなどして祀っていたようです。
明治元年から140年目となる平成20年に、新たな神棚のカタチを求めてこうした試みが神社庁から発せられたことに革新性をも感じています。
昭和初期には、ほとんどの家庭に神棚が祀られていたようですが、現代のライフスタイルの中では神棚普及率は減少傾向にあります。

261名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 15:31:35
【明治の】  神棚 不用論   【陰謀】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1230036499/
262名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 15:32:44
屋敷神・神棚の祀り方について(其の1)
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1231756644/
【一社式】神棚でお札を重ねて祀ると【祟る】件
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1202357632/
263名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 15:38:05
■日本の仏壇仏具神具屋さん■
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1016767097/
264名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/26(月) 19:01:00
神棚について定義するとこから始めんと水掛け論だな。明治以前派と以後派に分かれちゃっていいだろうと思うけど。

>>257
明治に神社本庁なんかねーよw無知の指摘ついでに、常時祭る形は新しいって言うのはさ、神棚の話にはふさわしくない。
まさか明治以前に神社がなかったと言うんじゃないだろうな。

>>258
神棚が明治以前にあった派は、確か門松やら鏡餅の話なんかしてないはずだが。
知識ひけらかしたいの?褒められたいの?
265名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/28(水) 01:28:36
 逆に穢れ多き一般家庭に神聖な神さまをお迎えするというのは不敬にあたるんでは?
266名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/28(水) 01:37:17
そりゃ考えすぎ。 神さんとて、信奉者あってこそ威を増す存在だから・・・
267名無しさん@京都板じゃないよ:2009/01/30(金) 20:27:32
稲荷スレで叩かれまくったバカがまだ書き込みしてたんだ
268名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 03:11:58
そういえば、稲荷神社とも普通の神棚は分けないといけないんだよね。
269名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 07:18:35
>>264
>明治に神社本庁なんかねーよw

んなことは分かってますよ
神社本庁は神祇省が作った国家神道のなれの果てで結局のところ同じ組織です

あれほどなんでもかんでも工芸化職人化した文化全盛期の江戸時代に
仏壇が職人芸化してもてはやされたのに対し、全くもって神棚職人なんてものが
生まれえてないというのは、神棚なんて概念が出来上がってなかったことの証左です。
吉田神道の奉り方の解説書にも一切神棚なんて出てこない。

神様を奉ったのと、神棚の成立は分けて考えないと。
稲荷を奉ったみたいな記述が古文献にあるから、神棚はあったのだ!ってのは
論理の飛躍がすぎます。

明治まで神棚の概念は成立してません。
270名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 15:56:59
>>269

お前の言うのは神棚と吉田神道という言葉を使用した意味不明
な単なる屁理屈なんだよ、宮大工の存在を無視するんじゃねーよ

それを言い出したら神社の本殿や建造物自体が?になってしまう
吉田神道、吉田神道ってうるさいけれども神社の建造物そのものは
寺院建築の影響を受けて建築されだしたもの、神社の本殿や拝殿など
そもそも最初はなかった、もう一度書き込む、最初は無かった

神棚職人という言葉は現代人がとりあえず使用しているだけで
宮大工が仕事の合間に神棚を造り始めたのに端を発する
明治以前は「神棚」という単語を特に使用しなかっただけで
棚に神様を祀っていた、屋内祀り、棚祀りという言葉もあるが
神を祀る棚として神棚という言葉が使われだした

何が吉田神道だよ

271名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 16:35:57
>>270
宮大工が神棚なんか作ってないだろw
寺建築と仏壇職人は全く別だ。
とんでもないこと言い出すなキミは。
家具職人と大工が同じと言ってるんだよ、キミは。

吉田神道は中世、神道祭祀様式を取り仕切って管理した組織であり
当然触れるべき対象だろう。
神社建築はもちろん寺院建築と相互に影響しながら発展してきたものであるが
それは神仏習合なのだから当然の話。
しかしそれにすら吉田神道は様式基準を定めて(強制力どこまであったかは別として)伝えている。
ところが、こと「神棚」については全くそのような記述が無い。

あなたが言ってることは、単なる「神棚」ってもんを古来からある由緒正しいものと
権威付けしたいだけの「信仰」の話でしかないですよ。歴史をそれで変えないでください。
神具業者か、神棚売りつけるのを糧にしてるどっかの儲け主義神職かなんかですか?
いいじゃん別に明治以後でも。神棚で祀るのはいいことだ!と薦めれば。
だけどそこで歴史を偽造してはいけませんよ。
272名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 16:51:23
ヤベー・・スゲーカオスでニュートラルでマトリクスな神棚考え付いた!!ノシ乙
273名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 16:56:35
【明治の】  神棚 不用論   【陰謀】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1230036499/

274名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 19:27:07
>>271

宮大工が仕事の合間に神棚を造り始めたなんて常識以前の問題

寺院建築と仏壇職人が全く関係ないとは何も知らないんだな
家具職人と大工が同じだと?この何も知らん素人が黙っとけ

そもそも仏壇職人の意味も理解していないようだ、漆を塗る職人
金箔を押す職人、欄間を彫る職人、彫金する職人、組み立てる職人、
蝋色磨きをする職人など全く別々職人が集まって分業体制で仏壇が
完成するつまり寺院建築のおいてもそれぞれの職人がそれぞれの
仕事を担当することになる、仏壇職人は色々な職人の集まりを意味する

仏壇職人が一人で最初から最後まで仏壇を製作するとでも思ってました?
そんな事も知らないで神棚の歴史がどうのこうの吉田神道がどうのこうの
良く語ってますね



275名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 19:51:09
太古より、人々は人間の力ではどうする事もできない自然現象に対して
神秘的な力を感じ、この力を神霊として祈り祀り始めました。
今日においても、「神さま」とは、人々が健康で幸せな生活が
送れるようすべての災いから身を守って下さる特別な力を持った
おそれ慎むべき存在であると考えられ祀られています。
世代を越えた多くの人々が心の拠り所として、
神棚を家庭や会社に設けています。
 神棚の由来は古事記によると伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
276名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 19:52:49
が禊(みそぎ)をされたとき、左目から天照大神
(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目から月読命
(つきよのみこと)が、鼻から須佐之男命(すさのおのみこと)
が生まれました。伊邪那岐命はたいそう喜ばれ、今までかけていた
首飾りを
、珠玉が鳴り響くまでに振り揺るがし天照大神にお授けになりました。
天照大神はその首飾りを神祖の御霊代として崇め尊び、高い棚を造り安置しお祀りしました。これが今日の神棚の始まりと言われています。
 この他、故人の霊を祀る場として「祖霊舎(仏壇に似たものです)」を神棚とは別に用意します。
 「祖霊舎」とは、その家の先祖の霊を祀るもので、
天照大神や氏神を祀っている「神棚」とは違うものです。
すでに家に神棚がある場合は、神棚の方を高い場所に安置し、
毎日の拝礼も神棚を優先するのがならわしとなっています。
遷霊祭の後、仮霊舎に納められていた「白木の霊璽(れいじ)」を、
五十日祭の忌明けをもって「祖霊舎」に移して、先祖の霊と一緒に祀ります。また、祖霊舎には「神鏡」を納めるのが正式な形です。

日本文化の幸せの基盤、神棚と生活。

277名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 19:55:36
>>271

神棚の起こりなんて古事記にまで書いてあるの

わかった

よ、し、だ、く〜ん(爆)
278名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 21:21:56
成田山の護摩札の見解を勝手に歪曲して自分の見解を押し付けているアホがいるな。
279名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 21:26:02
>>269=>>271
色々調べたみたいだな、お疲れさん。ただな、「神祇省が国家神道をつくった」「同じ組織」ってのは極めて少数の意見なw最悪おまえさんだけかもしれん。
で、吉田についてもまだ調べが足らんな。明治維新以後と同様に考えて見誤っとるぞ。何で神祇管領長上が一般家庭の神棚のまつり方まで考えてやらにゃならんのだ。
おまえさんの考えは初めに結論ありき、だよ。
280名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/05(木) 21:49:59
>>278

負け惜しみに護摩札ですか

おーい吉田神道どうしたー?仏壇職人と寺院建築は別だってー

仏壇職人って言っても塗師の事?蝋色師の事?彫金師の事?
質問しても解らないよね、そんな事もしならいのに寺院建築
とか歴史伝統文化を語っているんだもね

明治の神棚(笑)
281278:2009/02/05(木) 22:01:56
>>280
はあ?誰と間違えてるんだお前。
そんなに誰かまわず噛みつく前に狂犬病の予防注射でもうっておきなさい。
282名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/06(金) 06:30:57
吉田神道、明治から神棚理論が大敗北!お前は混合ワクチンでも打っとけ
283名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/07(土) 03:23:16
>>282
>混合ワクチンでも打っとけ

混合ワクチンって何??

284名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 07:26:17
>>282
どう見てもお前の「神棚は中世からあった!」説の大敗北じゃないか。
病院行ったほうがいい。

神棚が明治政府の令により、業者と釣るんで宮型仏壇を普及させたという
歴然たる事実があるというに、何をいうとるんだ。
神社の護符などは>>260の言うとおり、壁や柱に貼るというのが中世では普通の祀り方。

中世から神棚が無いとなんかキミ困るの??
285名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 07:27:55
神棚の現物が何も残ってないし、神道書にも一切記述が無い。
なのになんであったあったと言えるのか、理解に苦しむよ。
286名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 08:30:31
残念だが宮型を置いてなくても神棚なんだな。まあ宮型=神棚と考えてそう言い張るといいさ。
287名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 08:33:03
>>285
で、おまえは全ての神道書を読んだなんて取れるアホなことさえ根拠にあげるんだから、病院行った方いいよ。
288名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 10:21:27
まずな、業者は宮型を「家庭用神殿」としており「神棚」とはしとらん。それが明治以降というなら賛同するのに吝かではないんだがな。

神棚の成立は古いものではなく、平安時代の終わり頃から祖霊の祭祠が仏教にゆだねられ仏壇に位牌を祭るとともに、戸ごとに祭りの分立が促され、中世以降伊勢信仰の普及により、新たに勧請した神霊を神棚を設けて祀ることが行われたことによる。
近世に入ると伊勢信仰は庶民にまで広がり、全国的な御師の活躍とともに、神宮大麻(御札)を奉斎する大神宮棚が作られた。江戸時代中期頃には神棚は各家々に普及した。

『神道事典』弘文堂の「神棚」の項より。
289名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 13:20:51
『神道辞典』なんて当てにならん。
>平安時代の終わり頃から祖霊の祭祠が仏教にゆだねられ
>仏壇に位牌を祭るとともに
これからして間違い。
仏壇の起源など近世を下らない。

民俗学の見解では
神棚は盆棚と同様、常設ではなくあくまで祭祀時に仮設されるものである。
それが屋内に取り込まれ常設されるようになったのは近世以降。
荒神棚などが初見。
290名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 14:04:11
古事記に神棚の由来が記載されていますよ

江戸時代に神棚などなかったとするなら武士の剣の道場の神棚
はどうなってしまうの、明治時代から神棚があったとするなら大変な
事になってしまいます

291名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 14:09:08
>>288

神を祀る棚だから神棚です、棚祀り、屋内祀りとも言うそうです

そうです、業者は神棚という単語を使用していますが正式には
「家庭用神殿」という名称です
292名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 14:56:23
>>289

あー痛!またやってしまったよ、大きな穴の開いた民俗学さんよ

>これからして間違い。
>仏壇の起源など近世を下らない。

仏壇は藤原氏が栄華を誇った時からすでに自仏間として存在しており
仏壇の起源は「日本書記」にも掲載されおります

>民俗学の見解では
>神棚は盆棚と同様、常設ではなくあくまで祭祀時に仮設されるものである。
>それが屋内に取り込まれ常設されるようになったのは近世以降。
>荒神棚などが初見。

あら、とうとう常設ではないしても仮設の神棚があったのを
認めてしまった、ファイナルアンサー?仮説でも神棚は神棚と
いう大きな穴に自分から落ちたよ
293名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 15:06:07
>>289
仏壇のとこに食い付くなよ。流れ嫁。このレスでの神棚の定義をきっちりしようという段階で、仏壇まで議論するなら混乱するからな。まあ神棚については、近世までは遡ると言うんだな。

恵比須棚やら年徳棚なんかも確かにあったさ。それらがまあ常設されなかったのもそうだ。前レスでは割愛したが、非常設の神棚も紹介されているんだがな。ま、前レス引用部分は主に常設の神棚についてというこった。

で、こっちはソース出してんし、面白そうだから、おまえも刊行物からソース出せよ。非常設の神棚は地方色豊かだしな。
294名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 15:57:56
>>293

仏壇の事は民俗学さんがまたまた怪しいカキコをするから
295名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 16:16:32
>>289
ずいぶんなトーンダウンだなw言っとくが、ソースを出さない限り、おまえさんの「あてにならん」こそ、あてにならんからな。
おまえさんがそう思うのは勝手だけれども、ソースなしのおまえさんの意見で、このスレを読む誰かを納得させられるだろうか?
おれの出したソースを否定している、ちゃんとした根拠を示した刊行物から持ってこいよ!

>>294
いいんじゃないの。再び無知・事実誤認がこれでもかって飛びだすのも楽しいし。
296名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 19:52:20
仏壇は藤原氏が栄華を誇った時からすでに自仏間として存在しており
仏壇の起源は「日本書記」にも掲載されおります

仏壇って箱仏壇の話をしているのだが?
自仏間って持仏堂のつもりか?
きみも相当いい加減だなw
297名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 19:56:30
俺が言いたいのは神道辞典が当てにならないという一点だからw

それじゃあとは楽しくやってくれw
298名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 20:12:24
あばよ、インチキ民俗学野郎!一丁あがりだな。
299名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 20:17:26
ちなみに仏壇は本来仏像を祀る祭壇であって
先祖を祀る祭壇ではない。
「平安時代の終わり頃から祖霊の祭祠が仏教にゆだねられ」・・この根拠が曖昧。
一部の貴族の追善追福供養と庶民の祖霊の祭祀を混同しているw
位牌は鎌倉以降禅宗と共に広まった。
しかし現存する位牌は室町時代が最古。
これだけ見てもかなりいい加減w
300名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 20:21:34
おまえ、これ以上は見苦しいぞ。ソース出せないなら去れよ。

神棚から話題反らすなよ。半可「痛」民俗学かぶれが。どうせマンガの知識だろ?w
301名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 22:45:46
成田山の護摩札の見解を勝手に歪曲して自分の見解を押し付けているアホは消えろ
302名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 04:03:41
>>287
>で、おまえは全ての神道書を読んだなんて取れるアホなことさえ根拠にあげるんだから、病院行った方いいよ。

「無い」との証明はできんのだから
神道書に記述された神棚について提示する義務があるのは
あったあったというキミでは?
303名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 04:05:59
>>288
ソースってそれなの?
それ神道業界の権威づけで書いてるだけじゃんw
神棚なんて明治まで成立してないですよ。
なぜあれほどまで迷信大好きな江戸期の文献に一切出てこないの?
出版文化花盛りの江戸時代にありえない話ですよ
304名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 06:52:05
神棚が明治に成立したなんて常識だろう
神道家が権威作りたくて以前からあったなんて珍説言ってるだけだよ
そんなもん真に受けなさんな
305名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 06:52:50
>>302-303
ミエミエだよ、おいwそろそろここの住人たちから基地外認定されるぞ、マジで。

まずおまえの大好きな「民俗学小事典」あたりから「神棚」の項をあげろよw

話はそれから。

そしたら江戸期の文献出してやるからさ。
306名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 07:38:48
キチガイがおられます!
307名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 10:49:28
>>301

神仏習合とは本地垂迹説(思想)である、それが証拠に修験道の
吉野の金峰山や真言天台の密教寺院では稲荷神、八幡神、猿田彦大神などは
本堂とは別に寺院の敷地内で祭祀されながらも、しめ縄や鳥居を設け
本堂や仏像とは別々に祭祀している、本堂しか存在しておらず本堂の中に
しか神を祀りようがない寺院でも神棚を儲け神を祀る、仏像の横に神様の
御札を並べて神仏習合だなどと主張する宗教家は私が知る限り存在しない

神棚に密教寺院の護摩札を安置すれば神仏習合という考え自体があまりにも
強引で短略的である

ならば、神宮大麻や神社の御札を仏壇に祀るのか?神棚に仏像を祀るのか?
答えよ

神棚に密教寺院の護摩札を安置すれば神仏習合なんだろ?その反対のような
事もあるのが当然なんじゃないのか?

えー?お前がアホじゃ

308名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 11:35:01

289 :名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/10(火) 13:20:51
『神道辞典』なんて当てにならん。
>平安時代の終わり頃から祖霊の祭祠が仏教にゆだねられ
>仏壇に位牌を祭るとともに
これからして間違い。
仏壇の起源など近世を下らない。
>>299
>ちなみに仏壇は本来仏像を祀る祭壇であって
>先祖を祀る祭壇ではない。

寺を建立するほどの予算がない、その為に仏壇が存在する
藤原氏をはじめ貴族や武士は住居に自仏間を儲け仏像を
祀り一族の守り本尊にしたのが仏壇の起こりである、本尊の御力で先祖
を救いたまえと最初は木の札に戒名を墨で書いて祀っていたが後世になり
儒教から位牌が導入された

そして、一番重要なのが先祖が祀られていようといまいと仏壇や自仏間が
存在していた事実である、民俗学さんの後世を下らないとは何なのだろうか?

309名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 11:35:27
>「平安時代の終わり頃から祖霊の祭祠が仏教にゆだねられ」・・この根拠が曖昧。
>一部の貴族の追善追福供養と庶民の祖霊の祭祀を混同しているw

庶民と貴族を切り離し反論する意味が不明である
京都における仏具の製造は、平安仏教を特色づけた最澄、空海の時代と
推定され、11世紀はじめごろ仏師定朝の「七条仏所」創設により本格的
な仏具製造の基礎が固められた
貧しい庶民が押入れを改造し仏壇を真似た位牌棚のようなものに位牌や題目
名号などを祀るようになったのは徳川幕府による檀家制度が開始されてからだが
それ以前に貴族や特権階級による先祖供養を行われており仏壇が存在していた
そもそも、仏壇仏具はありはしたが庶民に手の届くようなものではなかった

310名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 15:07:30
流れぶったぎってスマソ。

何だかすでに勝負あったようだな…民俗学は涙目だし論点をよくずらす=ロジカルじゃないので、自説と反対の都合の悪い文献を正しく批判することもできず。早くから、この話題の知識も圧倒的に不足しているのが露呈している。
てか民俗学持ち出すって、寺社板住人を舐めてるよな…見た感じ最低四人から叩かれてるが、誰一人として説得できていない。

若いのう。
311名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 16:31:54
>>301
誰を民俗学と言ってるのかよくわからんが
神棚が明治以前から成立してたと言ってる奴が一人口汚くわめいてるのは分かる
312名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 16:49:04
>>233
廃仏毀釈前お寺と神社が一緒だった頃の
なごりが残ってんじゃないかな。大山とか確か
そうだよね。

なんかここ久しぶりに盛り上がってるの一気に読んだけど、
このいかにも寺社仏閣板らしい大人げない論争読んでると
一般人的にはもうどっちでもいいんだな、って思えてくるな。
もらってきた神社なりお寺なりに従ってさえいりゃ間違いない、
あとは自己満足だよ。
成田山でもらってきて神棚に、って書いてあったら
別に神棚でいいと思う。
御札を釘で刺すとかしなければ別に罰は当たらないし。
313名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 18:15:09
>>311
〉誰を民俗学と言ってるかよくわからんが

君が民俗学じゃないの?wおれは>>301じゃないぞ。まあいいけど。で、流れ読んでくださいねー。

>>312
それはすまんかった。おれも一般人なんだがな。

いい加減、護摩札の定義辺りまで戻るべきだよな。論敵が来るまでROMることにするよ。
314名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/11(水) 23:50:46
論敵ってなにw
315名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 00:09:25
江戸時代は浮世絵で民衆生活が詳細にいろいろ残ってるけど
仏壇は出てきても神棚は全く出てこないね
小説などでも仏壇が出てきても神棚が出てきたためしはないね

もうこの議論決着付いてるのでは?
316名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 00:19:02
>>307
>しか神を祀りようがない寺院でも神棚を儲け神を祀る、仏像の横に神様の
>御札を並べて神仏習合だなどと主張する宗教家は私が知る限り存在しない

それは廃仏毀釈で修験道が禁止された今の結果にすぎないよ
吉野では少なくともそのキミが存在しないという祭り方が行われていたことが知られている。
例えば天河弁財天は今では神社だがあそこは明治までは寺。
当時の本尊等は完全に神仏が混ざり合ってどちらとも言えないものだった。
神仏習合遺品をもっと調べたほうがいいよ。
吉野を例に出すなら、吉野の神仏習合遺物をもっと見てきなさい。

また平安や鎌倉の神像は寺に収められていて仏像とともにあった例もしばしば。
室町あたりでは道教神なども如来像の脇に並んだりもよく見る形。
そんなタブーは中世には存在しないというのが実際のところですね。

本地関係を重視して神社形式で祀るときは神社形式に揃えて
仏教形式のときは仏教の本地で揃えて…ということが多いとは言えるけど
決してそれは統一できてたものでもないし
江戸期においては流行神が賑わって、鳥居付けた神像が仏として寺で祭られ
お寺の本堂にてお経唱えつつも神道のお札などが多数置かれなんて例は各地で遺物が残る。
あくまで「今の祀り方」で語ってるように思いますよ。
317名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 00:46:55
>>315
慌てもんが。

勝川春潮「神棚を祭る女」

歌川豊国(三代)「江戸名所百人美女あさぢがはら」

井原西鶴「日本永代蔵」に貧乏神を神棚に祭る話あり。

芭蕉「夏山に足駄を拝む門出かな」の句は伝役行者の下駄を神棚に乗せていたことから。

などなど。江戸期にゃ小説とは言わんが、文学としてあげた。元禄まで遡ったぞ。

決着ついたな。
318名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 02:54:30
暴れん坊将軍でめ組にりっぱなお稲荷様の神棚がでてるからな。
319名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 11:50:31
>>257
アイヌがうんぬんな……アイヌの家の中にも、家の神を祠る祭壇があるし、火の神はいつでも炉にいるぞ。
320名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 18:20:01
>>316

内容に全て根拠がない、適当に思いつきでカキコしているだけだろ?
>それは廃仏毀釈で修験道が禁止された今の結果にすぎないよ

禁止された今の結果にすぎないとはどういうこと?禁止されたから何?

>吉野では少なくともそのキミが存在しないという祭り方が行われていたことが知られている。
修験道の重要な資料や伝承の大部分は現存していない、どういう祀り方か
示してもらおうじゃないか
>例えば天河弁財天は今では神社だがあそこは明治までは寺。
それがどうした、伏見稲荷も真言宗愛染寺という名前の寺
それが今回の問題と何が関係がある
>当時の本尊等は完全に神仏が混ざり合ってどちらとも言えないものだった。
具体的な根拠もなく無責任に偉そうにホラばかり吹きやがって、蔵王権現は
修験道独自の神仏なのでそこのところよろしく

>神仏習合遺品をもっと調べたほうがいいよ。

何が遺品だよ、何を言ってるの素人が簡単に遺品調査などできるわけないだろ
頭大丈夫か?そもそも記録も修行法も教義も何もかもほとんど残っていない
ものをよくもまあ、祭祀法だの、遺品だの、根拠のない書き込みばかりできるな
アホ過ぎる

>吉野を例に出すなら、吉野の神仏習合遺物をもっと見てきなさい。
つまるところ、神仏習合というセリフで適当な自分の知識を正統化するわけだ



321名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 18:53:11
>>315
相変わらず、神棚と宮型とをごっちゃにしてんじゃないの?それとも宮型って分からんのか?

神棚を辞書でひくと
広辞苑では「家の中で、大神宮などの神符を祭る棚」
岩波国語辞典では「神をまつるために家の中にこしらえた、棚」
角川国語辞典では「家の中で神を祭ってあるたな」
小学館現代国語例解辞典では「家の中で、神をまつっておく棚」

また、業者は宮型を「家庭用神殿」と呼んでいる。つまり言葉の使い方の上で、宮型を神棚とは呼ぶのは誤用。むろん誤用から新しい意味が生まれることもあるが、それは未来の話だ。

神棚の定義についても、決着ついたな。
322名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 21:40:03
よく時代劇で見かける作り付けの、押入れの上半分みたいな感じの空間に宮を置いて祭ってるを知っていますよね。
あれって、お稲荷さんが多いようだけど、だいたいの家持クラスはお稲荷さんを大切に祭っていた。
その他の神札は神宮の御祓いもふくめて、それこそ成田の護摩札も、浅草の四万六千日札も今の宝くじ専用神棚みたいなのに祭っていたようだ。
神棚の棚は吊り下げ式の横板の上に祭ることで、これは明治以降に普及し、三社式の宮に神宮大麻などを祭ったもの。
神棚と一口に言っても、その家の内祭の稲荷なのか、または吊り下げ式なのか、概念は人によって違うみたい。
その辺をまず確かめて統一見解を出せれば、落着くような気がする。
323名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/12(木) 21:59:57
吉原の遊郭などは遊女の性病除けと商売繁盛の願いをこめてはなまち
には野外祀り屋内祀りを問わず、お稲荷様がかなり祀られていたようだ
324名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 00:00:46
江戸期-明治期の習俗は、各旧家に残る日記などで正月の祭祀など事細かに残るものがたくさんある。
そういうのの研究成果を見ると、正月に家のいろんなとこに「ご挨拶」をして香を炊いたりしている。
そういうのを見ると釜戸や井戸やに並んで仏壇にご挨拶はどこでも必ずあるのだが、
もしあったなら必ず当然挨拶するだろうし載るであろう神棚はまず出てこない。
雑煮や水など供えものも、仏壇にまず先にとなっているのだが、神棚は出てこない。
何十件もの資料を見たけど、神棚に備えるという文章が出てくるのはたった1つだけであった。大豪商の邸宅内でのこと。
(ただ、神棚と仏壇で備えに差異が見られることから明治以後という説もある)

ここから分かることは、神棚はまれにあったにしても、極めて特殊な例であり
一般にはほぼ無かったというのは確かだろう

あったにしても、かなりの大きな大豪邸みたいな家で、
家敷地内に稲荷社を招いて置くといったものに近いのではないでしょうか。
325名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 00:01:19
つまり>>316の言った事がきっかけか!!!WWWWWw
326名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 00:30:53
>>324
何て史料探したの?後学のために教えて欲しい。それからその書き方だと正月のとこしか見てないのでは。悪いが、索引引いて調べてくれんかな。田舎では特に、正月は歳徳棚を作って祭るもんだからさ、今のように神棚を祭るって意識は低いように思うんで。
327名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 00:38:55
>>317
>歌川豊国(三代)「江戸名所百人美女あさぢがはら」

これは神棚でなく単なる棚。
江戸期は、今でも鏡餅が風習残るが、季節ごとにそういう神迎えの食材を置く風習があった
それを置いて拝んでるだけでしょう。
それを神棚と言い出すと、魔よけや神寄せの置物なども全て神棚となってしまうのでは?

>井原西鶴「日本永代蔵」に貧乏神を神棚に祭る話あり。

宝船など御利益物を飾る風習があるということを述べているだけであって
必ずしも神棚という表現では書かれていない

>芭蕉「夏山に足駄を拝む門出かな」の句は伝役行者の下駄を神棚に乗せていたことから。

宝船や福笹を部屋に置いてありがたいので拝むのと同じで
神棚に置いたとするのは飛躍しすぎる。あくまで下駄を拝んだというだけ。

>勝川春潮「神棚を祭る女」
は未見なので知らない。フランスのギメ博物館にあるようだね。
キャプ挙げれたら挙げてください。
328名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 01:03:25
鑑定よろしく。神棚あるぞ。

http://www.tabiken.com/history/doc/R/R327L100.HTM
329名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 01:06:00
はい、否定してみて。
http://www.tabiken.com/history/doc/D/D303L200.HTM
330名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 01:08:41
>>327
で、>>321の定義はどうなんすか? >>321からすると、神宮大麻が祭られてなくても、宮型がなくても神棚なんだが。
331名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 01:59:25
俺もあまり詳しくないですが、以前ちょっとこのあたり研究したときの知識で。

民衆の正月祭祀の風俗については深見起美『西陣と室町』にて
料亭の正月の祭祀が載っていたよ
ありがたい掛け軸を飾って、新年の神祀りをやるわけだ。常設ではなさそう。
『くらしと年中行事』という本に出てた事例では仏壇参りしか出てこない
(つまり神棚は無いであろう)家々が出る
書名忘れたけど、他の文献でも仏壇にだけ新年の挨拶をする事例があった。

主に商家で御利益祈って神棚(というか御利益品の掛け軸などを飾る床の間的なもの)は
わりとよくあったのではないかな。
現世利益の商売繁盛の御利益物の一環としての側面が強かったと思われる。
上で話題になってる浮世絵も吉兆掛け軸を飾って拝んでるのは芸者だしね。

神道祭祀というより、御利益の側面が江戸期の神棚には強いように思う。
宝船飾るのと近いというのが実際のところだろうが、それを神棚と言うなら
神棚は江戸期からあるね。
吉兆絵を飾る床の間的な空間をなんと呼ぶべきかという議論はあると思うが。
332名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 01:59:57
というわけで正式な神道儀礼ではないので神道書には記述は当然無いし
様式化もされていないのだろう。
ただの床の間だという意見も正しいし、神棚の先例だという意見も間違いではない。
恐らくこれが結論でしょう。

御利益画は土産物として流行していたようですので、そういったものを飾り、
拝む場はあったと考えられます。
上記浮世絵はまさにそういう習俗を描写した一枚。
しかしそれは必ずしも神道ではなく、赤富士であったり毘沙門天であったり
あらゆる宗教が習合した場であったと思います。

個人的には今の神道ガチガチの「神棚」より、
当時の習合上等のゆるい「御利益コーナー」のほうが豊かな信仰でよいと思う。
このスレの話題のような様式に縛られるのは窮屈だし、発展も無く退屈だなあ。
333名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 13:41:33
じゃあ、オリジナル神棚定義が出てこないようなので、ここで神棚関連マトメ

神棚の定義は>>321が妥当だろう。宮型がある、または神宮大麻を祭ることを要件としない。(どう考えるかは個人の問題だが、客観的的に論を立てるならこうした定義に依拠すべきだろう)

これまで否定された主なものは
@祭祠法がなければ神棚という様式は成立しない(明治以降の、祭り方が規定された法令・規程類が示されていない)

A神が常在するという感覚は新しいのだから神棚は明治以降(神社建築との類推から否定)

B神棚職人がいなかったから神棚は江戸期にはなかった(おれが否定したわけではないが)

なお>>324の史料はあげられていず、>>328>>389への反駁はまだ。
それから平凡社「日本史モノ事典」にはシーボルトが描いた宮型を乗せた神棚の図が載っていた。河出書房新社「民具事典」では、神棚が民家に置かれるようになったのは、中世伊勢信仰が普及してからとしていた。これも否定できるならして欲しい。
334名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 17:34:42
吉川弘文館『日本民俗大辞典』上 p402bによると
「神棚・・・伊勢の御師が配布した大麻を置いた棚が起源とされる。
当初は、大麻と一緒に更新することによって住居内の穢れなどを
排出し、清浄な空間を作る機能が期待されていた。やがてそこに神の
存在が意識されるに及び、宮殿型の祠を備えた神棚が登場した」
なお現存する最古の神棚は京都府で見つかった18世紀中頃のものだそうだ。

伊勢の御師が配布した御祓(大麻)がいずれも関係するが、
その根拠となる文献は記載されていないね。
335名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 17:37:07
>中世伊勢信仰が普及してからとしていた。
中世って長い期間だけど、具体的にいつ頃なの?
中世に既に全国展開していたということ?
336名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 20:50:52
>>334
未見だよ、ありがとう。

>>335
ほぼそのまんまの書き方だった。
あまり調べてないけど、伊勢の御師が盛んに活動しだすのは室町後期、全国的に御師の活動が広まるのは、織豊から江戸初期なので、中世と言っても終わり頃ではないかと。
ちなみに、お蔭参りの最初の流行は寛永年間とのことです。
337名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 21:05:14
シーボルトの宮型の画図はありませんか?
単なる極小のお宮自体は山奥の小さい神社というか祠や
神社境内の小さいお宮でもあるものでよくありますし
それと各家庭で屋内に宮型の神棚を飾ったのとは分けないといけないので
検証しないといけないと思います。

あと伊勢参りの流行と限定するのはどうなんでしょう?
伊勢参りの流行は江戸期の流行り神の流行の盛り上がりの帰結として
一生に一度は伊勢参りという伊勢講ができたりしたわけでして
まず流行り神が先行するものでありますから
伊勢参りによって神棚ができたというのは眉唾のような?
上記浮世絵の芸者が拝んでる吉兆掛け軸のようなものが成立した時点で
それを飾り拝む場は登場しているはずですから。

伊勢講の大麻などが神道の棚として独自展開するのは
恐らく江戸後期の国学の盛り上がりとともに発展する伊勢神道の結果と思われますので
流行神は吉兆絵は江戸前期-中期から見られるものですから、順序が逆かと。
338名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 21:18:31
神棚を神道の祭祀棚と定義するのか
祭壇全般を神棚と定義するのかでこの議論はどうにでもなるよ
祭壇全般ならアイヌの生活を見れば縄文人の家屋にだってあっただろうし
やはりここで話題にすべきは神道儀礼としての神棚の成立とすべきだろう。

国学派の神道再構築の結果吉兆グッズを飾る祭壇から
神道祭壇=神棚が様式として分離していくという流れが妥当なのではないか。
339名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 22:24:28
もう一度確認すると現在、大量生産されホームセンターで売られて
いる、または職人が手作りしている「神棚」と呼ばれているものは
正式には国民神殿または家庭用神殿という名称です

やはり私は伊勢の古市にしましても吉原の遊郭にしましても、店内に棚の
ようなものを設けて、稲荷勧請を行い商売繁盛、性病除けに屋内祀り、野外
祀りどちらの祀り方も行われていたと思われます

和室には床の間がありますが元々は神様を祀る場所であり、床の間には
神様が宿るとされています、ですから床の間には香炉、掛軸、花瓶
などを飾ります、どうしてよく床の間に香炉を置くのかはおそらく
神仏や宿る場所とされていたからだと思います、ただ単なる装飾では
ないと思われます、また茶道では客人を掛軸でもてなす意味もあります

正月に新聞等に付属されてくる暦、神社で受ける暦の家相コーナーを
参照して下さい、神棚、仏壇、床の間を鬼門裏鬼門に安置するのは凶
とされています
340名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 23:16:59
>>327-328
宮型って、やっぱり分かってなかったんだな…というか>>327前半見ると、まだ分かってない気配…道理で噛み合わないわけだ。

まあそれはいいか。済まないがシーボルトが描いた神棚画像は持っていない。最近刊行された事典だからちょっとでかい本屋に行けばあると思う。それに、本人の著作を検索するなどこっちも調査中なんでね。

で、今度は文献上で「神棚」と記されているものを出そうと思ってるんだが、そろそろさ…


あんたが、自分自身の「神棚」の定義付けをしたら?>>321の定義でいいのかどうか明確に言わんなら、いいと取るしかない。良くないなら自分の定義を出す。

成立の時期をうんぬんするのはそれからであって、それこそ順序が逆だよ。

それとも成立は明治以降だってソース出す?出せるならどうぞ。

そもそも、神棚の成立が明治より前とおれは言い、あんたは明治と言った。その検証であって本題はそれなんだから。

それができないなら議論にならんな。
341名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 23:19:59
失礼しました。
×>>327->>328
〇>>337->>338

文中
×>>327
>>337
342名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 23:48:23
>>339
稲荷勧請は違うな。
稲荷社の勧請は中間業者を介してコンビニのチェーン店のごとく広く田舎まで置かれましたが
相応の金銭も居るので村でみなで金を出し合って村に勧請というものだったようです。
またそれらのチェーン展開の記録は免状を出し残っているので、家のアリガタ掛け軸置いて手を合わせてるのは
そういった正統派の神道の祭壇の一種とは別でしょう。

もちろん大きな商家などで商売繁盛に稲荷社を勧請というものはあったろうけど(今も中小企業である)
それは小さな神社建立であって神棚とはやはり違いますよ。


私の考えは、江戸期の流行り神信仰と、おめでたグッズ流行を端に
それをかざって拝む風習がはじまり、
その流れで伊勢講などお伊勢参りが流行。
さらに江戸末期には国学の盛り上がりで神道再評価、神道の分離化が提唱されましたから
これまで神社グッズは単なる赤富士等と同じような雑多な御利益土産でしかなかったが
分離すべきであると、伊勢神道を中心に神棚として神道の守りを分けるということが提唱された。
その国学系神道の流れ大筋ではやはり明治神道はありますから、維新後神棚が全国的に奨励され普及に至った。

江戸末期の伊勢神道周辺起源説を押したいね。
343名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/13(金) 23:52:26
>>339
床の間についてはおかしい。
床の間は客もてなしのために掛け軸などを飾る場が起源で
そこが神聖という思想は順序が逆です。
釜戸に神が宿るとされたから釜戸は元々神を祀る場であったじゃ変でしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%8A%E3%81%AE%E9%96%93
344名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:10:55
かくして【神棚が明治に成立した】って説は否定された
345名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:11:36
国学とそれに伴っての復古神道の盛り上がりとともに
神道優位の論理を持つ伊勢神道周辺から神棚提唱という流れは
いかにもありそう
346名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:21:39
>>344
実はあんまり変わってない気もするけど…
明治の過剰な神道優位論は平田神道の影響を受けた薩摩の意向とも言われますし
その動向は幕末から一連の流れとしてあるものですから
347名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:28:31
1868年より後ではない、ということで問題ある?
348名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:32:21
連スマソ
↑明治維新がいつから始まったかについては諸説あるけど、最初に【明治に成立】と言い出した奴はそこまで深く考えていなかっただろう、という事です
349名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:35:50
成立という定義もさまざまだからなあ
別段おかしくもないと思うよ
実際問題として神道祭壇が家庭に広まった時期というと
国学的展開のあとだろうからね
350名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:38:35
了解
これでやっと護摩を語れるなw
351名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:42:42
神仏分離論の発生と、その広がりの歴史と
神棚の歴史はそのまま重なるものなのではないかと思います。

江戸期全般通しての流行り神や御利益信仰(ここには仏教も陰陽思想も全てが含まれる)と
神道祭壇としての存在である神棚をいっしょにしてしまうのは話を広げすぎにも思いますし。
スレを見ると、近世の神棚存在の論証として出してる中には神道祭祀とは言えないものも多く挙がってるように見受けました。

復古神道の神仏分離論の中に神棚の成立はあり、
江戸末期には地域性や家によってはあった可能性が高い
…というのが妥当な見方ではないでしょうか。
その後維新後の神道政策により全国展開という流れ。
352名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:48:22
>>350
護摩札を置く置かないは
神棚をどう捉えているかによりけりといったところか?
復古神道以後の神仏分離論の立場に立つならば別個に置くべきであり
宮型神棚を作ってる業者はそちらのつもりで作っているのかもしれない。

けど、復古神道以前の御利益棚的なものという認識の家庭ならば
両者は置いてもかまわないし、ありがたい掛け軸でもなんでもどうぞ。
353名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 00:52:21
つまり己の神道感に依拠するものと言えるのではないか。

ただ、現代の神棚は様式としては復古神道の神仏分離論者の形としてある様式なので
いっしょに置くならば宮型ではなく、もっと無宗教的な祭壇として祀ったほうが相応しいかもしれない。
福笹でも招き猫でもなんでも置いて大事にすればいい。それはそれで信仰心厚いことで決して悪いことでもないと思います。
354名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 01:59:14
とある有名なお寺のお正月の説法で数年前に聞いたんだけど、
お札とかお守りを一緒に置いたら神様と仏様がケンカするって思うのはおかしいって。
神様も仏様もケンカなんかしないって。
そんなに懐狭かったら神様仏様としておかしいって。
目からウロコ。
355名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 06:53:48
>>343

井戸、床の間、便所には神様が宿るとされています、昔から床の間は高貴な
ものが宿るとされ畳より一段高くなっております、また、茶道ではそこに
掛軸をかけて客人をもてなす意味があります

また、床の間、仏壇
神棚を鬼門、裏鬼門にもってくると凶とされるのは神社などで配布される
または書店で販売されている暦の家相コーナーを参照して下さい
床の間に横板を入れると飾り棚になり床の間の神様は去るとされています

護摩札を神棚に安置して神仏習合なのだろうか、神仏習合は宗教的な思想で
ある、伊勢神宮の鬼門を守る金剛証寺は本尊の後方に宮型を儲け天照皇大神
を祭祀しているようである

反対に仏壇に神社の御札を安置している人、神棚に仏像を安置する人は
知ってか知らずかほとんどいない

その理屈から考えればいささか強引ではないだろうか、しかもなぜ護摩札なのか

また豊川稲荷は御札を祀るのに宮型を用いて朱の鳥居、提灯、稲荷紋神前幕
狐の置物、ここで注目すべきは香炉を安置して仏式とするようである
門前町にこれらのものが揃う専門店があります
356名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 07:05:55
>>355が近代の迷信と、中世の陰陽道思想とがごちゃまぜな件。
357名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 09:12:41
>>356

中世の陰陽道思想とは何か説明しなさい、また近代の迷信とは何か
説明しなさい

貴方はいつも、近代とか中世とか何何思想とか抽象的な曖昧な
専門用語を多用して他の意見を批判するがそれは無責任である

358名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 09:34:55
>>357
同意。何とか構って貰いたくて必死なんだよw
口を開けばボロ出すのは確実w
359名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 10:32:27
神仏分離以前は神前でお経を読んだりしてたんだからいいのでは?
とくに護摩=密教は仏教のなかでも一番ちかい間柄。

明治政府が分離を命じたら神と仏が
突然仲たがいをしはじめた、というわけでもあるまいよ
360名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 11:52:54
>>357
床の間の神と、神棚の吉相、は近代の迷信。
床の間に神が宿るうんぬんに居たってはまったく広まってない思想。
明治以後できた迷信って殊の外多いんだよ。

井戸、便所、釜戸などの神様は陰陽道由来の民間信仰。
361名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 11:57:18
神棚は伊勢神宮を中心にしているので、
護摩札などを一緒に祀るのは駄目でしょう。
それは神宮の忌詞(いみことば)等で明らかなように、
伊勢神宮は仏教的なものを近づけないからです。
また、現在の神社も本宗といって伊勢神宮を中心としており、
神社の神札と寺院の護摩札を一緒に祀るわけにはいかないのです。
362名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 11:58:49
神道業界の都合もあるんだろうよ。
この世界はいかに権威があるか、いかに凄いかを競って
如何に信心深い人に大金出させられるかの世界だからね。
神棚とか様式どーでもいいじゃ商売上がったりだ。
(むしろおおらかな視点で祭壇を定義づけたほうがマーケット広がる気もするが)
363名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 12:00:05
上の神棚の定義の議論読んだ?>361
364名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 12:07:43
>>361
伊勢神宮は過去多くの高名な名僧が参拝し、奉納してきた地で
現在も神仏習合イベントの神仏霊場会のスタート地点ですよ
現在の伊勢は特に廃仏ではない
そもそも伊勢外宮が提唱した伊勢神道(度会神道)は神道優位ではあるが神仏習合論であり
神仏習合文化は元々伊勢神宮にはあるよ。

あくまで排他的思想は国学系の復古神道の神仏分離論に基づくものなので
そこは己がどの時点の神道を支持するかという思想によりけりでは?

伊勢を重視するなら、伊勢神道はそもそも神本仏迹説で、仏は神の垂迹であり
全く神棚に祀って問題無しとなると思います。
むしろ逆。
365名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 12:16:26
そういえば伊勢神道は神本仏迹説だな
神棚成立は伊勢神道起源というより、
伊勢の天照を主神とする国学から生まれた復古神道が起源だろう
366名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 13:08:34
>>364

それは違います、東大寺の大仏建立に貢献した行基菩薩は
大仏建立に使用する水銀を求め伊勢水銀を必要とした為

伊勢水銀を年貢として徴収していた伊勢神宮と行基は交流を求め
ました、貴方の言う神仏習合を掲げ、でも実際は神前で読経
することも叶わない状況でした

当時、興福寺や比叡山には寺領を伊勢神宮には神領という支配地域
が神社仏閣には与えられていました

しかも、伊勢神宮では僧侶は一般人が参拝する所まで進入する
事は許されず、僧侶専用の参拝所が設けられていました
367名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 13:15:27
>>364

現在の神社を本庁が統括している以上、家庭用神殿、国民神殿を
普及させているのは本庁なのですから本庁の祭祀法に従うのが
我々、素人からすれば妥当と思われます

復古神道だの、吉田神道だの、偉そうに述べても所詮は身の程
知らずな素人の推測に過ぎない、違いますか?記録も十分に
残ってもいないものを全てを理解したように述べるのはいかがなものか?

本庁指導の神社側の見解ではお寺の護摩札等は神棚とは別に安置
して下さいとするのが一般的な見解です
368名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 13:22:26
>>360

>床の間の神と、神棚の吉相、は近代の迷信。
>床の間に神が宿るうんぬんに居たってはまったく広まってない思想。
>明治以後できた迷信って殊の外多いんだよ。

貴方は何も知らないようだ、日本人から方位学、家相学、占い、妖怪
幽霊など迷信を信じていれば欧米列強から馬鹿にされてしまうと
浄土真宗の宗教学者、井上円了に命令して非科学的な迷信を信じる
のは馬鹿げていると全国公演させたのは何を隠そう明治政府です

貴方の主張は全てデタラメで反対ばかりだ

>井戸、便所、釜戸などの神様は陰陽道由来の民間信仰。

井戸の神、便所の神が陰陽道由来だとする根拠を述べよ
お前は全て根拠のないことを一言二言と無責任な発言ばかりだな
369名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:01:02
>>368
仏教の話になりますが、葬儀などについて、あれはダメこれは縁起よくないなどと
いろいろ出来てきたのは明治維新後ばかりですよね。江戸期には無かった新迷信が数多く発生している。
神棚の方角論などは神棚が普及してからですから、迷信が広まるのは当然明治期でしょうし。

明治政府のそういう近代化要求とは裏腹に、明治大正とオカルトや迷信はむしろ隆盛します。
神霊ブームや瞑想ブームなど世界的なオカルトブームも大正期にはありました。
ラジウムとX線の発見などが後押しした面があるわけですが
それは既存宗教の破壊により、統制の効かなくなった結果かもしれないね。
維新後は迷信社会でないというのは認識がおかしいですよ。
むしろ混乱の時代、そういったものが蔓延るものです。

>井戸の神、便所の神が陰陽道由来だとする根拠を述べよ

これらは釜戸神などのように陰陽道で言う土公神と同時に道教的要素も習合してある例もありますが
それらを系統立てて祀らねば祟る的に流布したのは陰陽道師ら(官だけでなく民間陰陽師含め)
つまりこれらは水を扱う場所に来る神々を言ってるのだろうが
井戸なら土公神他、便所なら赤口神など、陰陽道の理論です。
これは異論とかなく常識だろう。いかにキミが民間信仰にうといか分かろうというもの。
370名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:06:36
>363

神宮棚から発展してきた伊勢神宮の神札を中心に
神社の神札を祀る現在の神棚について書きました。


>364

>伊勢神宮は過去多くの高名な名僧が参拝し、

明治維新までは西行法師などの僧侶や頭を丸めた人は、
神前に近づくことを許されませんでした。そこで設けられたのが、
五十鈴川の対岸から拝む「僧尼拝所」です。

つまり、神仏習合の時代でも伊勢では仏教的なものを忌避したのです。

>現在の伊勢は特に廃仏ではない

僧侶の立ち入りが許可されただけです。
現在のことを言うなら、現在は神仏は分離されているので、神と仏は別けて祀るものです。

>伊勢神道(度会神道)は神道優位ではあるが神仏習合論であり

神宮の忌詞(いみことば)ような仏教的なものを忌避する
伊勢神宮の伝統は渡会神道の教理とは別でしょう。
一般的に神道に対する仏教の教理などの影響と仏像を神体としたり神前読経を行う
神仏習合の祭祀は分けて考えるべきでしょう。

(つづく)
371名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:07:37
(つづき)

神と仏を一緒に祀るということの根拠が神仏習合の祭祀ということであるならば、
神仏習合が多く行われた時代に仏教的なものを忌避した伊勢神宮の神札と
護摩札などを一緒に祀るのは駄目でしょう。

また、神仏分離が行われた現在、伊勢神宮が僧侶の立ち入りを許可しているという
ことをもって神と仏を一緒に祀るということの根拠にはなりませんね。
明治以後は神社は宗教に関係なく、国民が崇敬すべきものとされたので、
僧侶の方が伊勢神宮を本宗とする神社や神棚を参拝するのは問題ないと思います。
ただし、忌服規定は勿論のこと、葬儀に参加したり、墓地に立ち入った当日は
参拝を遠慮すべきなので、僧侶の方は注意しなくてはいけません。

もっとも、豊川稲荷や寺院の鎮守神社のように神仏習合の神社もあるのですから、
神仏習合の神社などの神札を受けるか、両部習合の祭式で神札を作るかして、
鎮守社などの神札を受けて護摩札と一緒に祀ればいいのです。
神社神道の祭式で祀られている神社の神札と護摩札などを一緒に祀るのは駄目でしょう。

>あくまで排他的思想は国学系の復古神道の神仏分離論に基づくものなので

国学以前にも唯一神道や儒家神道のように祭祀において神仏分離を説く神道はありました。
水戸藩でも水戸光圀による神仏分離がありましたよ。
372名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:15:27
>>366
>貴方の言う神仏習合を掲げ、でも実際は神前で読経することも叶わない状況でした

神仏習合論理が普及するのは大仏建立や神宮寺を作った聖武天皇やその娘の孝謙天皇の時代ですからそのちょっとあと。
特に孝謙天皇は由来経典を出してきたので習合理論に重要な役割を果たしている。

>当時、興福寺や比叡山には寺領を伊勢神宮には神領という支配地域が神社仏閣には与えられていました

興福寺は寺で伊勢神宮は神社なのだから領地名をそう言うのは当たり前じゃないですか。

>しかも、伊勢神宮では僧侶は一般人が参拝する所まで進入する事は許されず、
>僧侶専用の参拝所が設けられていました

習合許容してるってことじゃないですか。
伊勢神道の盛り上がりとともに、神上位の本地説が説かれ、
またいろいろな本地論の高まりとともに同源という思想が世間に広まり、
僧侶も参拝できるようになったのです。
それ以後は伊勢は神道も仏教も全ての聖地として崇められてきた地ですよ。
373名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:15:44
神宮大麻ってもともとお祓いのしるしだったわけで
それを神棚に祀るってのはどういうことなんだろうね?
ご神鏡を目当てに参拝すればいいような気もするんだが
違うのかな?ちょっとスレ違いだが
374名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:18:56
>>367
>復古神道だの、吉田神道だの、偉そうに述べても所詮は身の程
>知らずな素人の推測に過ぎない、違いますか?記録も十分に
>残ってもいないものを全てを理解したように述べるのはいかがなものか?

本地垂迹説の展開については、僧や神職織り交ぜていろいろな文章が発表されて
活発に議論がされておりますから、それぞれの本地論は推測とかでなく
はっきり分かってるものですよ。
いろいろ本地垂迹論の進展についての書籍は出ておりますのでどうぞ。
375名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:44:06
>>370
>明治維新までは西行法師などの僧侶や頭を丸めた人は、
>神前に近づくことを許されませんでした。そこで設けられたのが、
>五十鈴川の対岸から拝む「僧尼拝所」です。

その認識は間違ってますよ。
西大寺流などと伊勢神宮の密接な関係は鎌倉時代より続くものであり
それは元寇を期に既成事実化したと言ってよいです。
西大寺の叡尊の荒木田氏の招きにより伊勢神宮参拝し、奇蹟が起こったという話とか
有名なはなしであって、般若経や曼荼羅を奉納したりと、そもそも伊勢は僧を拒絶していない。
鎌倉期の参拝について。その他数々の僧が参拝していることが分かると思う。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-hagiwara-tatuo-sankeiki.htm

仏教受け入れは外宮の度会神道だけでなく、内宮荒木田家も積極的であったのだよ。
むしろこの動きに対し伝統を唱えて揺り戻しがその後あったというのが正しいです
376名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 14:51:34
『通海参詣記』について

>二巻本の構成は、神宮に参拝した一僧侶と神宮祠官(中級の者)との対話で進められており、
>はじめ内宮、のち外宮の、境内諸別宮に至るまでの縁起譚・霊験譚を中心に、
>神宮にまつわる神道説の概略を述べている。

>中にも著しい特色は、神宮祠官と仏教信仰との関係であり、
>これは神官と仏教という正面からの哲学的考察にはなっていないにしても、
>当時の実際の宗教的通念とその神宮祠官の生活に即した理解という点で興味ふかいものである。


>本書の下巻は目次冒頭に「於神宮仏法禁忌可達神慮事」(この目次は後人が付けたのであろう)とあって、
>以下二八項にわたり神道と仏教との密接な関係を説いているが、その主張はだいたい、
>神々は仏法を喜んで受けられるものであるという点にあり、中に高良山における
>物部道麿の七歳の男児美乃理麿の託宣という長文のものを掲げているが、
>これなども現在高良山神社(筑後国)に伝わる「大菩薩御託宣状」というものの忠実な書下しである。
>そして、神宮祭祀に際して仏法が禁忌されることと神宮祠官に仏法が重んじられる事実とは決して矛盾しないとしている。

>遷宮式に際して、禁忌を冒して「心得ぬ僧尼」がおびただしく宮殿間近く参入することを指摘しつつ、
>鎌倉初期以来地位の高い僧侶が神宮に参詣したのは意義深いことだとしており、
>これを妨げる者があればかえって神よりとがめを受けた事実を記している。

伊勢は国家的な神社だから伝統的に仏教勢力と決して本来仲悪く無いです
377名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:09:06
神社における神仏分離は江戸期のことでしょう。
1638年には松平直政が出雲大社における神仏分離をさせていますし
同じ頃保科正之も吉田神道に傾倒し領地で神仏分離をやっている。
伊勢神宮の仏教との関係は江戸時代より前はユルユルですよ。

吉田神道、度会神道などの初期の神仏習合神道至上理論
国学の発展によって生まれた復古神道の仏教排斥
という両者は区別するべきだろうけども。
378名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:37:52
なんか話がえらく広がってるな
伊勢神宮がどうこうはこの議題に関係無いだろ
379名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:38:58
>375

東大寺の件は例外的なものでしょう。
さらに「僧都以下が一鳥居に着くと、僧徒群参憚りありとのことで、」という記述からみても
「神宮において仏法を禁忌するのは長い伝統である。」ということには変わりありませんし、
「禁忌を冒して「心得ぬ僧尼」がおびただしく宮殿間近く参入することを指摘しつつ、」
というように僧侶は神前に近づくことを許されないので僧尼拝所で参拝するしかなかったのです。

>376

>神々は仏法を喜んで受けられるものであるという点にあり、中に高良山における
>物部道麿の七歳の男児美乃理麿の託宣という長文のものを掲げているが、
>これなども現在高良山神社(筑後国)に伝わる「大菩薩御託宣状」というものの忠実な書下しである。
>そして、神宮祭祀に際して仏法が禁忌されることと神宮祠官に仏法が重んじられる事実とは決して矛盾しないとしている。

これは『通海参詣記』や「大菩薩御託宣状」が神仏習合の立場なのでそうなるわけです。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-nishiyama-masaru-tukaisankeikiwo-kataru.htm
380名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:49:00
正直、伊勢神宮側からすれば仏教側の神仏習合という思想そのものに
良い感情は抱いていないようです
381名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:56:02
密教寺院の護摩札に限定して神棚に安置すれば神仏習合という理論自体
が普通に考えれば辻褄が合いません、神仏習合とは同じ場所に祀る
意味ではなく神と仏は一体であるとする思想です

成田山の運営方法は限りなく神社に近いと思われます

そもそも、神棚とは何を意味するのでしょう、神棚には家庭用神殿
国民神殿、簡単に表現するとお社があります

そして、お社をのせる棚板、また神前幕や神棚用の注連縄を取り付ける
雲板が存在します

家庭用神殿、棚板、雲板は別々の存在です、全部まとめて神棚と
呼ばれています
382名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 15:59:17
>>372

現在の伊勢神宮は日蓮宗の僧侶が団体参拝された際にも一般人と
同じ場所まで入ることを許可されましたが

僧侶遥拝所が存在する事自体が神宮側からすれば神仏習合理論に
全面的に理解を示し歓迎しているものではありません
383名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 16:03:23
>>375

>その認識は間違ってますよ。
>西大寺流などと伊勢神宮の密接な関係は鎌倉時代より続くものであり
>それは元寇を期に既成事実化したと言ってよいです。
>西大寺の叡尊の荒木田氏の招きにより伊勢神宮参拝し、奇蹟が起こったという話とか
>有名なはなしであって、般若経や曼荼羅を奉納したりと、そもそも伊勢は僧を拒絶していない。
>鎌倉期の参拝について。その他数々の僧が参拝していることが分かると思う。

ですから、僧侶の参拝は僧侶遥拝所でね

意味不明な見解で他人の意見を否定しないで下さい
僧侶の奉納物を受け入れただけのことだけで伊勢神宮が神仏習合
という理論自体を受け入れたと解釈するのは馬鹿げています

元寇の奇跡と神仏習合の伊勢神宮側の是非とは関係がありません
384名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 16:08:39
伏見においては、性を表現した土人形は狐ばかりではありませんでした。「
わらい」と俗称された、性的な行為を表現した人形や男女の性器を
型取った土細工が、明治初頭まで伏見稲荷の参道の土産物屋や
人形屋で販売されていたのです(同)。「松茸持ち立ちお多福」
「松茸持ち居お福」「馬乗り」「子供乗りお福」「おまら大明神」
など多数ありました。

子供屋の縁起棚
出典:『江戸岡場所遊女百姿』花咲一男著
 こうした「わらい」ものの土人形は、子孫繁栄・子宝授与・
夫婦和合を願ったばかりではありません。「特に水商売の家や遊郭
なのでは、稲荷詣でのおりに買い求めた男根型の土細工を
『お客大明神』とか『金精明神』といって、神棚で祭祀して
商売繁盛を祈願した」(同)といいます。江戸においても女郎屋の
縁起棚に「陽物」と称した男性器の張り型を祀ったのは、
【第2章 江戸の招き猫を探る】で先に紹介した通りです。
千客万来とそれによる商売繁盛を願って祀られていました。
花柳界を中心に流行ったという招き猫と全く同じ意味合いを
持っていたのです。
 
385名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 16:09:41
右の図は『東都土産』の中の子供屋(娼女の控え部屋)にある
縁起棚です。上の方が切れていますが、お多福と鏡餅の間に
あるものが陽物です。
 伏見においては、こうした陽物、縁起物である「わらい人形」
は色々作られていたようです。
 水商売の店などでは好んで「お多福」「招きお多福」などが
飾られる。天狗が男根を表すのに対して、この人形は女陰を表現
するものとして、男女和合の呪として置かれる場合もある。
このほかに水商売の人に信仰される伏見人形をあげると
「蛇」「鼠」「蛙」「撫牛」「狸」などがあり――
『稲荷信仰と宗教民俗』大森恵子著

386名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 16:13:10
>>369

そんな子供地味たオカルト話がしたいなら1人で3流オカルト雑誌でも
読んでな
387名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 18:03:39
「竃」を「釜戸」と書くとこから>>369=>>324で携帯厨、宗教オンチであることが判明。なお民俗学臭もする。
388名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 19:18:59
>ですから、僧侶の参拝は僧侶遥拝所でね
その僧侶遙拝所っていつ頃発生しいつ頃まであったんですか?
わたしの持っている本ですと
「中世には重源、貞慶、叡尊、無住、他阿など僧侶の参宮が見られ、
神宮周辺に多くの寺院が建立され、17世紀半ばには484ヶ寺にも
及んだ。また『大般若』『仁王経』などの神前での転読もなされた
・・・戦国時代に中絶していた遷宮は、熊野比丘尼の系譜に連なる
慶光院の勧進により復活した」
とあるのですが ?
389名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 19:37:01
>>388

僧侶遥拝所がいつまであったかを質問する事自体が出雲や伊勢などの
仕える神職や宗教家の間では論争が絶えません

なぜならば、伊勢神宮の神事や制度は一般に公開されていない事の方
が圧倒的に多いからです、つまり情報公開があまりなされておらず
秘密のベールに包まれていることのほうが多いのです

嫌々ながら時の権力者の意向で伊勢神宮は僧侶が神前で読経する
ことを許可することもありました、しかし、奥まで通される事は
なかったようです、奥とは神職がみけを供えたり神事を行う場所
です

結局、明治政府は神仏分離令に挫折しました、理由は寺院側が緊急で
鳥居を設けて神社としたり(豊川稲荷はこの方法で取り壊しから免れた)
あまりにも各地の神社から仏像を処分したりするのも膨大な手間や労力
を必要とされたからです

390名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 19:46:07
面白いよ、参考までに
http://d.hatena.ne.jp/Panza/mobile?guid=on&date=20070402§ion=p1

伊勢で神前読経ねぇ…俄かに信じられんけどなぁ
391名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 21:31:39
>僧侶遥拝所がいつまであったかを質問する事自体が出雲や伊勢などの
>仕える神職や宗教家の間では論争が絶えません
意味がよく分かりません。
社外の僧侶遙拝所と神宮の神事がなぜ関係するのですか?
つまり、あなた自身は知らないと言うことですね?

それなら、せめて「五十鈴川の対岸から拝む「僧尼拝所」」がどこに作られていたのか、
場所だけでも教えて下さい。

>嫌々ながら時の権力者の意向で伊勢神宮は僧侶が神前で読経する
>ことを許可することもありました
この場合の神前とはどこを意味するのですか?
僧尼拝所ですか?

>寺院側が緊急で鳥居を設けて
四天王寺はじめ鳥居を持つ神仏習合の寺院も多かったようですが?
392名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 21:57:47
伊勢神宮の神仏習合は奈良時代聖武天皇の時から始まるみたいですね。
続日本紀に「天平神護二年秋七月(766)使を遣はせて伊勢大神宮寺に六丈の仏像を造らしむ」
翌年天平神護三年には伊勢国逢鹿瀬寺を伊勢大神宮寺とする宣旨を下したようです。
鎌倉お時代に重源が同じく大仏再建を祈念して伊勢神宮に参拝しています。

伊勢神宮の古代の神仏習合については皇學館大学の岡田登先生の論文を参照すると良いでしょう。
393名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:06:12
念のため勝手に補足。
神宮と神宮寺は違うぞ。誤解しそうなやつがおるでな。
394名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:09:32
>>389
ほう。明治政府が廃仏毀釈を命じたと言ったな?
395名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:13:30
神宮=明治神宮
神宮寺=野球場

東京ではデフォ
396名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:27:40
>>>394
明治政府は神仏分離を命じたのであって
廃仏毀釈は民衆がやったのだ式のことを言う人が居るけど
実際には江戸時代には大規模な土地を所有していた各寺が
「寄付」という名目で政府に召し上げられ、神社や公園になっているな
まあ明治政府のご意向と言って問題無いでしょう
397名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:30:58
>>384
非神道の縁起棚的なものを含めて神棚としてしまえば
なんでも神棚で話広げすぎでしょう
現代でも鏡餅備えるからどこの家でも神棚があるとなってしまうよ
あくまで江戸後期の神仏分離論により縁起棚から神道棚が分離する時点を持って
神棚の成立とすべきであろうと思います
398名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:32:20
廃仏毀釈と土地の収公は別な話だろう?
399名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:34:35
>>386
どこがオカルト話なんだか。
家内の神様や禁忌はそのほとんどが陰陽道を通して普及した風習なのは常識でしょう?
井戸や便所のそれは典型的なものだと思いますが?
400名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:39:20
>>397
神棚の定義をよく嫁。縁起棚なんかお呼びじゃねぇよ
それから馬鹿の一つ覚えみたいに鏡餅鏡餅うるさい
401名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:40:54
>>398
大きな寺院がそれで廃寺や廃寺同然になったりもしてるというのに?
明治期の廃寺事例でもググってみなさいな
廃仏毀釈が民衆の自発的に行われたというのこそ、明治政府の建前でしかないことが分かります。
多くの寺の解体と土地の没収は明治政府の指導の下行われている。
402名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:42:59
>>400
よく読めってなに?
その定義が定まってないまま議論があるから紛糾してるのだろう
祭祀棚という意味でキミが言ってるなら、なおのこと護摩札だろうとビリケンだろうとOKになるが?
403名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:47:12
>>401
はいはい読んだよ
何でも明治政府が悪い、江戸時代最高、俺の元号は慶應で止まってる
迄ね
404名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:47:53
>>379
>これは『通海参詣記』や「大菩薩御託宣状」が神仏習合の立場なのでそうなるわけです。

それが荒木田家(内宮)、渡会家(外宮)共に主流の見解だったということ。
伊勢神宮は神仏超越した特別な神社で、仏教会からもずっと崇拝を受けていて
神宮側もそれを受け入れてきたというのが正しい。
伊勢が仏教排斥が特徴の神社というあなたの見解は、排斥論者であるあなたの理想でしかなく
神社の中でも伊勢にそれを言うのは妄言がすぎるよ。
405名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 22:52:11
>>383
>ですから、僧侶の参拝は僧侶遥拝所でね

違うよ。鎌倉時代の僧侶の伊勢参拝の記録は中まで入って神前で奉納や読経を行っている。
僧侶遥拝所なんてものは全く出てきていず、神宮側が受け入れている様子が描写されています。
406名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:01:43
>>402
今の所定義は>>321
流れを読めば皆その線に沿って話しているんじゃないのか?それで伊勢信仰と神棚、護摩札を置く事について話してるんだが
ついてけないのは仕方ないし、お前だけ納得しないのは勝手だが、それならはっきり定義を示せ
ここはお前の思考の過程を発表する場でないし、ましてや知識をひけらかす場でもない
407名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:03:59
格下で新参者の仏教が騒いでいるスレはここですか?
408名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:06:12
>>389
>嫌々ながら時の権力者の意向で伊勢神宮は僧侶が神前で読経する
ことを許可することもありました、

逆逆荒木田氏などが寺社勢力を進んで招いているよ。
上に挙がってた文献にも出てるでしょう。
勝手に「嫌々」とかあなたの分離論者のイデオロギーを仮託しなさんな

>結局、明治政府は神仏分離令に挫折しました、理由は寺院側が緊急で
>鳥居を設けて神社としたり

なに言ってんの。そういうのを戒めて分離させたのであって、
逆に設置したなんてのはない。
寺が神社になったという回避はあっても、習合を新たにやってお上のお目こぼしは無い。
旧来の鳥居が残った寺は寺が政府関係者にコネがあったなどの少数派でしかなく
新たに作ったものでは決して無い

>(豊川稲荷はこの方法で取り壊しから免れた)

豊川稲荷は鳥居を作ったから取り壊し免れたんじゃないでしょ
あくまでインドの神様、ダキニ天という仏天を祭るのであると主張して逃れたのであって
全く認識がおかしい。
こちらに詳しい経緯が載ってたのでどうぞ。
http://www.taineiji.jp/episod/episod_1.htm
409名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:08:54
>>406
違うでしょ
それじゃあ神道の神棚が分離確立する前まで含まれ際限無いわけで
江戸期の神道神棚の成立とすべきであるとその後の議論では進んでるではないか
その神棚定義でいいなら、護摩札でもなんでもOKで議論終わり。
410名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:11:26
>>409
じゃね
二度と来るなよ
411名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:12:04
>>406
神棚が伊勢信仰からという説はあなたのなかでは決着付いてるの?
伊勢信仰といっても伊勢神宮の信仰ではなく
ここで言うのは伊勢の天照を頂点とする江戸後期の国学者の復古神道ですよ。
伊勢神道という意味では無いし、それら分離神道の興隆に伴うものです。
412名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/14(土) 23:55:53
>>355
豊川稲荷が仏式であることと
豊川門前で一式揃うこととは

どういう理由でそこに述べたんだか意味がワッカラン!
413名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:00:39
>>409
あれ?あんた定義と成立についてと話がごっちゃになってるな。というか、定義出さないの?

>>411
護摩札を置くことの是非と神棚の成立時期を定めることとは、直接には関係ないだろう。明治以降というやつは宮型とごっちゃにしてるからまず定義を、ということ。
伊勢信仰うんぬんはその歴史や経緯などから徴して、良い・ダメ…って判断するための話であって、そこから具体的な成立時期を定めようとするのはスレ違いの議論。

そもそも定義自体にはっきり異を唱えたり、自分の定義を提示したりする人はいなかった。その時点で、もしくは安価をつけるなどして、「その定義は違う」「おれの定義はこう」と、はっきり言うべきではないか。
414名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:19:55
明治政府は寺領上知令を出して寺の土地を取り上げて
不満を言う寺は容赦無く廃寺を命じてますね
ま、実質的な廃仏政策でしょ
415名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:22:33
>>413
縁起物含めた神道に限らない祭壇一般と
神道の祭壇として分離した「神棚」は分けなければ話にならないと言ってるのだから
神道祭壇としての神棚の分離独立を定義としているのでしょ

ありがたいもの置けばなんでも神棚とするのではそんなもの縄文時代でもあるだろ
416名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:29:09
>>413
俺ははっきり意義を唱えたし、他の人も同様な意見があったと思うけど?
縁起棚と神棚は分けなければならないとね

神棚を拝む芸者図と挙げた浮世絵も、よく見ると吉祥絵の掛け軸を飾って拝んでいる
これ神棚の成立と言い出すと、平安時代にも貴族が御利益のある仏画や吉祥絵を描かせているわけで
それを当然屋敷で飾っていたのであろうし、ありがたいものを飾ればみな神棚になってしまう。
ここで議論されている神棚とは、そういうレイヤーの話ではなく、あくまで神道祭祀としての神棚の成立でしょ
それを意図的か知らないが場面場面で混ぜるのは卑怯ってはなし。

神棚の歴史的権威を誇るときは神道神棚が分離する前のただの縁起物を飾る分化までを入れつつ
神仏同様に神棚に祀る是非の話になると、急に江戸後期の復古神道の神道分離論に依拠するでは
話にならないと思います。

417名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:40:18
中世に発生した伊勢の御師は国学以前から”伊勢の御祓”神札を配布していて、それを祀る為の「大神宮棚」が現在の神棚のルーツの一つなんです。
安永六年(1777)の『私祈祷檀家帳』には、国別の信者数が掲げてあり、それを統計すると、
多少は誇張があるにしても約四一九万戸となるので日本全体のおよそ七、八割にもするようになると言われています。

418名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:41:08
>388
>405

>その僧侶遙拝所っていつ頃発生しいつ頃まであったんですか?

僧尼拝所で検索するとたくさん引っかかりますし、
(1318)に「大神宮参詣精進法」というものが発表され僧尼が忌避されています。

あなたは神宮祭祀に際して仏法が禁忌されることと
神宮祠官に仏法が一時期受容されていたことを混同してますね。

"神前読経"に関しては重源の「読経」は”翌二十九日御経供養が天覚寺において行ったものですし、
内宮の参拝も"僧都以下が一鳥居に着くと、僧徒群参憚りありとのことで、成長がまず二、三人の僧を誘導して宝前に参り"
としてこっそりと参拝させたので、神前読経などしてません。

>404

通海は僧侶で"顕密仏教の側から"なので神仏習合の立場ですね。

通海の経歴から考えて、彼は中世の正統的な宗教であった顕密仏教の教義と、
伊勢に関わる様々な古伝承を繋ぎ合わせ、しかも顕密仏教の側からそれらを
再編成していくという作業の最適任者であったと思われます。このことが、
『参詣記』を考える際の前提となります。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-nishiyama-masaru-tukaisankeikiwo-kataru.htm

(つづく)
419名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:42:29
(つづき)
僧尼拝所に関しては下記のものが参考になります。

『西行物語』上、続群書書類従三
伊勢大神宮にまいりつゐて、みもすそ川のほとり、
杉のむらだち中にぞ、一の鳥井を見つけまいらせて(中略)、
ひそかにおもふ様、(中略)ぶつきやう、法師、あま、ずず、けさ、
などをとゞむれども、
(中略)
伊勢の大神宮に巡礼すべく西行法師が五十鈴川の河畔を遡上すると、
参道にそびえ立つ杉木立に埋まるように「一の鳥居」が立っている。
内宮を参拝する僧尼たちは、この「一の鳥居」の手前で衛士の検問を受ける。
「すす(数珠)、けさ(袈裟)」を身に付ける僧尼は、一の鳥居の左手に架けられた
小橋を渡って五十鈴川の対岸を遡上し、内宮正殿の対岸に設置された
僧尼礼拝所から川を隔てて神殿を造拝する。
(中略)
『伊勢参宮名所図会』(寛政9年5月、京都書林菱屋孫兵衛他刊によると、
内宮・外宮共に川を隔てて、神殿と向かい合う位置に僧尼のための礼拝所が設置されている。
同書内宮「僧尼拝所」参照。
http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/bitstream/10076/6628/1/AN101977030160007.pdf

また後には慶光院の尼(守悦・清順・周養)たちが式年遷宮の費用を調達するために、
やはり全国を勧進しました。この時代、個人の働きが非常に大きくなってきたわけです。
(中略)
あるいは伊勢神宮に参拝するとき、僧や尼たちは風日祈宮橋を渡った
島路川の対岸にある僧尼拝所からでなければお参りできなかったのです。
http://isenet.jp/senguu/html/isegaku2/5/5_text.pdf
(つづく)
420名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 00:43:12
(つづき)


"神前読経"に関しては重源の「読経」は”翌二十九日御経供養が天覚寺に行われた。”
読経したのは、いずれも寺ですし。

"この夜僧徒少々瑞垣の辺に参拝した。白昼は憚りありと禰宜方からいわれていたためである。"
"僧都以下が一鳥居に着くと、僧徒群参憚りありとのことで、成長がまず二、三人の僧を誘導して宝前に参り"

というようにこっそり参拝しなければならなかったわけです。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-hagiwara-tatuo-sankeiki.htm

ちなみに蛇足ですが、筑後守 藤原実重の作善日記では

嘉禎 3年(1237)10月26日 寺名:杉谷  嘉禎二年同月廿三日大般若経始め参らして、
同三年十月廿六日供養し参らせ、太神宮に法楽いる
延応2年(1240年)7月8日 寺名:杉谷  杉谷にて一日大般若読み参らせて、太神宮又熊野の法楽、
http://kmi760.web.infoseek.co.jp/ise33-3003.htm

とあるように杉谷の阿弥陀堂での読経になってます。

>392

『続日本紀』宝亀11年(780)2月丙申朔条によると、伊勢大神宮寺が神郡に
近い為に祟りがあったということで他所に移転してます。
このことからも仏教忌避がわかりますね。

『続日本紀』宝亀11年2月丙申朔条(780)
神祇官言。伊勢大神宮寺。先為レ有レ祟遷二-建他処一。
而今近二神郡一。其祟未レ止。除二飯野郡一之外移二-造便地一者。許レ之。
421名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 01:12:49
>>419
>『伊勢参宮名所図会』(寛政9年5月、京都書林菱屋孫兵衛他刊によると、
>内宮・外宮共に川を隔てて、神殿と向かい合う位置に僧尼のための礼拝所が設置されている。

まさに江戸末期ですね。
神仏分離論が強まった結果厳しくそのようなことになっていったわけです
西行の記録でもこれが問題になってる様が書かれているように
伊勢において仏教需要は常に議論のまとであり、振り子のように時代時代でゆれてるというのが正しい。
あなたがなぜかスルーしている西大寺との交流では明らかに中に入ってますわな。
曼荼羅やお経まで収められている。

そもそも上記でも挙がってるように第一段階として朝廷の意向で伊勢に仏像が納められたり
神宮寺が出来たりと習合が成り立つ
その後揺り戻しとして神宮寺をどけようとなる(西行はここ)
その後真言宗との接近によって西大寺流との交流などを経て再び神仏和合の時代が来る
習合理論である渡会神道が広がり、一定の抵抗
江戸期の吉田神道の公認によって帰依者の領地で廃仏が起こる(伊勢は伊勢神道であり及ばず)
国学隆盛の結果、復古神道が起こり神仏分離論が隆盛を極める

このように伊勢神道は時代時代で神道家が独自の理論を紡いで
仏教徒の関連性を変遷させています。
伊勢はこういうとこと決め付けるのは誤りです。
422名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 01:29:22
西行は神道優位論の垂迹説を説いた渡会神道が成立する時期だから
厳しく僧侶へあたるのは当然だね
423名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 01:33:33
西行の時代は本地垂迹説が説かれゆるやかになりつつあるはじめで
だからこそ参詣が許されたという意見もある
http://sanka05.web.infoseek.co.jp/sankasyu4/207.html

さらに、
奈良東大寺の重源が700人の弟子を引き連れ、大般若経を携えて
参詣したのは、西行よりも遅れて1186年のことです。この時、一行
は外宮では夜陰にまぎれて参拝、内宮では白昼に神前に参拝したと
いう記録があります。
424名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 01:41:30
>>423
当初外宮渡会氏は仏教受け入れに厳しく
内宮荒木田氏こそが積極的だったということ。

その後渡会氏は両部神道に影響を受け、神道優位の習合説である
渡会神道を提唱しだし、こちらも違った思想で神仏の和合を説きだす。
(さらにこの度会神道理論をヒントにのちに吉田兼倶がより神道優位を際立たせた吉田神道を生む)

伊勢と簡単に言うけど、内宮と外宮で仏教への態度が時代時代で違うという点も
見逃してはいけないよ。外宮は厳しいが内宮はゆるいといったようなことがあったようです。
425名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 01:55:54
西大寺流や修験との接近史では両部神道の流れも抑えるべき
西大寺と伊勢神宮は時代によっては極めて接近しており
神宮周辺に寺を作り、一体となって両部思想を元に伊勢を奉じます。
(渡会神道はその神宮内での両部神道の盛り上がりへ対抗として本来あるものです。)
この時代には神仏習合になっていて僧はたくさん当然のように
参拝している記録が多く残るのはこれまで挙がった資料の通り。

伊勢神宮側でも密教要素を受け入れた結果として両部神道が生まれ
周囲でそういう形式の神道が盛り上がるわけです。
曼荼羅奉納などが行われているように、伊勢神宮内の祭祀自体にも習合があったのです。
それを神道優位にしたのが度会神道。習合は習合ですが神道優位という理論。
しかしこの時点では仏教排斥とまではいっていないようです。
426名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 03:39:40
>421

伊勢の大神宮に巡礼すべく西行法師が五十鈴川の河畔を遡上すると、
参道にそびえ立つ杉木立に埋まるように「一の鳥居」が立っている。
内宮を参拝する僧尼たちは、この「一の鳥居」の手前で衛士の検問を受ける。
「すす(数珠)、けさ(袈裟)」を身に付ける僧尼は、一の鳥居の左手に架けられた
小橋を渡って五十鈴川の対岸を遡上し、内宮正殿の対岸に設置された
僧尼礼拝所から川を隔てて神殿を造拝する。

http://miuse.mie-u.ac.jp:8080/bitstream/10076/6628/1/AN101977030160007.pdf

この方による西行法師の頃から僧尼礼拝所があったという書き方ですし、

また後には慶光院の尼(守悦・清順・周養)たちが式年遷宮の費用を調達するために、
やはり全国を勧進しました。この時代、個人の働きが非常に大きくなってきたわけです。
(中略)
あるいは伊勢神宮に参拝するとき、僧や尼たちは風日祈宮橋を渡った
島路川の対岸にある僧尼拝所からでなければお参りできなかったのです。

http://isenet.jp/senguu/html/isegaku2/5/5_text.pdf

この岡田登氏(皇學館大学史料編纂所教授)の資料でも僧尼拝所がでてきます。

392の人が伊勢神宮の古代の神仏習合については皇學館大学の岡田登先生の論文を参照すると良いとの
ことです。

元寇の頃などの事例はあくまで例外で、全体的な傾向として神宮忌詞に見られるように神宮祭祀に際して仏法が禁忌されることは
否定できません。
それと、そもそも経文や曼荼羅が奉納されたからといって伊勢神宮内の祭祀自体が習合になるということはないのですけど。
もともとは神棚祭祀の話なので、両部習合を信仰しているなら、神仏習合の神社などの神札を受けるか、
両部習合の祭式で神札を作るかして護摩札と一緒に祀ればいいのです。
神社神道の祭式で祀られている神社の神札と護摩札などを一緒に祀るのは駄目でしょう。
427名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 08:28:37
<<424

伊勢神宮とは単純ではありません、外宮と内宮が対立していた歴史もあります
また、神仏習合に対する見解も同一ではありません

また、外宮周辺では神仏分離令までは各宗派の寺院が多く存在していました

しかし、基本的には神宮側からすれば神仏習合という理論自体が冗談では
ないという姿勢が本音として感じ取れるのではないでしょうか
これは神宮の雰囲気や空気を読めば理解できそうです

伊勢神宮側の奉納品を受け取る姿勢としては基本的に特別な理由と危険物
でもない限り相手が僧侶でも受け取るという考え方です

神宮側がいらないから持って帰れとは申しません
奉納品を受理したから神仏習合の思想を受け入れたとするのは
論理的に考えても馬鹿げています
428427:2009/02/15(日) 08:32:55
アンカー間違えました

>>423
429名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 09:37:58
>>416
まず、定義への異議があるなら先にあげた定義自体に対して「違う」と当該レスへの安価つきでレスすべき
それかはっきり「神棚は〜である」と別な定義をあげるか

そうもせんで定義について議論の俎上に乗せていると思ってたのか?葉を否定して根まで否定したとは恐れ入る 論理的手続きが本当に苦手なんだな…ま、いいけど

今までさ、
@「明治の令」とやらで神棚が成立した→法令を示していない

A文献に当ってみたが神棚はなかった→正月のみを調べ、多数だという出典も示さず

B明治に神棚が成立したとする文献をあげず

…などということをやって来て、あげられたソースを都合のいいところだけ否定しているよな

ごっちゃにしたいみたいだから、その線で話してもいいけど、次のレスで以下のことが書かれるのが条件だな

・自分の定義をあげる
・明治に成立したとする文献をあげる

で、否定するのに際しては、自分の意見じゃなく、違う見解の文献をあげて論理的に言ってくれな

それから、余計なお世話
どんだけ権威好きなんだか知らんが権威権威と言って判断停止していると、見えるものも見えんくなるからな 権威づけとか何とか言うのはいいが、思考がどうも板違い 民俗板に帰った方がいいかもよ?
430名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 12:01:59
>伊勢神宮側の奉納品を受け取る姿勢としては基本的に特別な理由と危険物
>でもない限り相手が僧侶でも受け取るという考え方です
>神宮側がいらないから持って帰れとは申しません

空気や雰囲気で語られてもね・・・空想でしかない。
神宮の仏教との習合を拒絶する姿勢は歴史的事実だが
文献に基づかないと、論拠ないよ。
431名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/15(日) 12:13:28
>『続日本紀』宝亀11年(780)2月丙申朔条によると、伊勢大神宮寺が神郡に
>近い為に祟りがあったということで他所に移転してます。
>このことからも仏教忌避がわかりますね。

臨川書店『日本古代の霊と神』に神道側と仏教側の確執が詳しく述べられている。
432427:2009/02/15(日) 15:45:28
>>430

まあ、それはそうだ
433名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/11(土) 01:01:23
人それぞれ
434名無しさん@京都版じゃないよ:2009/08/05(水) 21:00:20
本物の宗教は無いんだね。
435名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/06(木) 15:54:14
何言ってるの
436名無しさん@京都板じゃないよ:2009/12/21(月) 00:49:18
うちも檀家になってる寺から大きなゴマ札と御幣をもらう。

神棚にまつってるが、やめるわけにもいかないし。
437名無しさん@京都板じゃないよ:2010/01/11(月) 13:59:10
神棚の札って・・
何年も同じのでいいのかな?
438名無しさん@京都板じゃないよ
うちは毎年、氏子になってる神社から氏子総代が神宮大麻と地元の神様の御札を持ってくるから毎年代えている。