真宗大谷派・東本願寺系諸派総合スレッド Part.20
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転載:
転載しておくので、適当に話題にしてやって欲しい。
28 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/06/09(金) 21:57:46
真宗大谷派の本山・東本願寺(京都市下京区)境内の内事(門首邸)の
一角にあった「牡丹(ぼたん)の間」が老朽化のため取り壊された。
大谷家と宗派が激しく対立した「お東紛争」の発端となった記者会見など
数々の会見や会談が開かれ、いわば宗派の現代史を物語る部屋だったが、
近年は使われることもなく、知る人もほとんどいなかった。
牡丹の間は昭和30年代前半に内事に増築された十八畳ほどの鉄筋コ
ンクリートの部屋で、ボタンを描いた油絵が掲げられていたことからそ
の名が付けられた。かつては宗派と対立した大谷家が会見場として使用。
紛争の発端で、法主(現在は門首)だった故光暢氏が長男の故光紹氏に
管長職を譲ると発表した「開申(かいしん)事件」(1969年)の会
見や対立する宗務総長と法主のトップ会談(78年)も行われた場所で、
宗派の歴史の舞台となった。しかし近年は使われず、屋根にもつるが生
い茂って、広大な内事の一角でひっそりとしていた。
内事の老朽化部分の撤去に合わせ、今年5月に取り壊された。同派は
「宗派内でも教団問題(お東紛争)を知らない世代が増えている。危険
部分が多く、撤去はやむを得ない」としている。
内事は国会議事堂や京都市役所本館の建設にかかわった建築家武田五一
(1872−1938)が設計。久邇宮家から智子さん(故人)を光暢氏
の妻として迎えるため、1923(大正12)年に建てられた。木造の和
風建物と洋館からなり、延べ床面積は5700平方メートル。部屋は80
以上あった。内事の一部は故光暢氏の四男光道氏が使っていたが、昨年3月
に退去。大谷家の乳母やお手伝いさんの使っていた部屋、居間、炊事場など
木造部分の約30部屋も取り壊された。
(京都新聞) - 6月8日11時9分更新