307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
真如苑の教祖は醍醐派で修行した人物だった
だが成田山の講社をつくり不動信仰を看板にして東京立川の地に真如苑の基礎となる宗教団体を成長させた
今の真如苑は醍醐寺との法縁を強化している
醍醐派系といえる真如苑が草創期前夜に成田山の講社であることが出来たのも
成田山がもともと小野流(醍醐寺系)の寺であったからだった
成田山の大師堂の三尊は中尊が弘法大師で脇侍は成田山の開山の寛朝大僧正と理源大師聖宝
成田山に興教大師が見えるようになるのは明治以後の智山派加入後のこと
それほど古いことではないもよう
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/04(火) 18:19:00
真如苑の教祖は、若い頃、月島で飛行機かなんか作る技師をやっていた。
月島なら門前仲町の成田山深川不動堂も遠くないからよくお参りしていたのかも。