1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
全浄土真宗連合総合スレッドをここに開設致します。
( ̄ー ̄)
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/08(土) 20:34:04
管理人さんへ。私が当初このスレッドを思いついたときは、浄土真宗系合同スレッドはなかったのですが。
今はすでに他にも同様のスレッドができてしまいました。同様のスレッドが乱立してはなんのためのスレ
ッドかわからなくなってしまいます。倉庫入りにされるかどうか一任します。よろしくお願い致します。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 13:31:53
22もあるんですか?
知らなかった
5 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 17:27:32
>>3 とりあえず東西本願寺系、高田門徒系、横曽根門徒系以外のところをやりましょうよ。
上記の4系統以外に「浄土真宗系」を自称しているところを。
6 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 17:35:33
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1128746591/1 1 名前:名無しさん@京都板じゃないよ 2005/10/08(土) 13:43:11
浄土真宗本願寺派(西本願寺)に関する総合スレッドでございます。
なお、浄土真宗スレの乱立防止のため、浄土真宗系諸派(下記参照)に分類される
宗派についても便宜上、本スレの取り扱い対象とします。
<本スレにて取り扱う浄土真宗系諸派>
真宗興正派、真宗出雲路派、真宗山元派、門徒宗一味派、仏眼宗、仏教真宗など。
(以後略)
とある。
東本願寺系の第15弾から
真宗大谷派、大谷本願寺、浄土真宗東本願寺派、(財)本願寺維持財団、真宗三門徒派、
真宗浄興寺派、原始真宗、浄土真宗(西念寺) 、真宗長生派、浄土真宗同朋教団
を扱うとして、
高田門徒系(真宗高田派、真宗北本願寺派)、横曽根門徒系(真宗木辺派)は既存スレを
活用する。
となると、ここでは仏光寺系とその他を扱うのが良いのでは?
7 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 17:36:28
ちなみに、下記のような分類になる。
【仏光寺系】
真宗仏光寺派、淨土真信宗浄光寺派
【その他、系統不明】
真宗誠照寺派、大法輪台意光妙教会、和の教会、ハニベ岩窟院念仏会、浄土真宗遣迎院派、
中山身語正宗、真宗一心山昌玲寺派 etc…
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 17:40:45
そもそも乱立防止のために総合スレを1つ置けという話。
既存の各派スレは住人の総意で落とすも良し、継続するも良し、ということ。
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 19:37:20
12 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 19:53:46
>>7 ハニベ岩窟院って・・・
ありゃ、ただのテーマパークじゃないのか???
>>12 それでも宗教法人なんだよね。
もう訳分からん。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:23:51
>>14 ネタがないんじゃないですか?高田派さんは。
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:31:26
>>1 言われてますよ。反論をどうぞ。
35 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2005/10/09(日) 23:26:42
真宗二十二派などとタワゴトを言ってるのは東の個人サイトだけなのだが
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:44:30
>>16 >>1ではない、と断ったうえで。
10派だけを取り上げると、少数派が漏れる可能性がある。
スレタイで検索しても「無い」という結論になるので。
裾野を広げておけば、いくらでも誘導することはできる。
・・・というより、重複スレの住人に物を言う資格があるのか?
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:54:51
佛光寺派もぜひよろしく!
19 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/09(日) 23:57:50
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:03:57
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 00:20:30
仏光寺派もそもそもは高田門徒の流れなんだけどね。
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/10(月) 17:44:08
>>20 結局、そのまま傾斜地でやってるのね。。。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 01:00:54
仏光寺と言えば了明尼様でしょう。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 02:47:48
>>23 女婿門主の先駆けだものね。
次は興正派でそういった動きがあるようですが。
25 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 03:36:45
26 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 23:15:40
27 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 23:22:33
>>17 その通りですね。
何か自治でもいろんな意見があるようで。
しかしながら、時間的にはこちらのスレの方が早く立ってるわけですし、基本的に既存スレ以外の
少数宗派についてはこちらで引き受けようという話ですからね。
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/12(水) 23:49:39
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 00:26:21
30 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 00:30:05
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 00:45:22
>>29 面白がってやってるんだろ。
これじゃ、どっちが「荒らし」なのか分からんけどね。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 01:04:34
>>26 了源上人は賊に襲われて命を落としたそうです。
中興了源(りょうげん)上人
親鸞聖人在世の当時、真宗の教えは関東を中心に広がりをみせていましたが、第七世
了源上人になって、教化活動の拠点を旧仏教の盛んな京都に置き、光明本尊・絵系図・
交名帳を用いて西日本一帯の布教活動に力を入れました。
戦前の世にあっては人々は風になびく草木のごとく上人のお徳を慕って念仏申すように
なり、元応二年(1320)には、寺基を山科から今比叡汁谷(現・京都国立博物館あたり)
に移しました。
建武二年(1335)十二月八日、上人はごこ教化の途上、伊賀(三重)の七里峠におい
て賊徒に襲われ、正法流布のご生涯を閉じられたのですが、その死に臨んで自己をあ
やめんとする者に対して「この者を罪することなかれ、回心の気あり、よく後生を教ゆべし」
とお諭しになりました。
時に上人42歳でした。了源上人は、わが国で初めて真宗教団を組織され、念仏不毛の
地を耕されたお方で、佛光寺のみならず真宗教団の中興の祖といっても過言ではありま
せん。
http://www.bukkoji.or.jp/
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 01:05:40
>>26 了明尼公(りょうみょうにこう)と真意尼公(しんにこう)
了源上人亡き後、第八世を継職された長子の源鸞上人は在職十三年で病没され、やむ
なく了源上人のお裏方、了明尼公が第九世の法灯を継がれることになりました。
六百年以上も昔、五障三従(ごしょうさんしょう)の女人と言われた女性差別の激しい南
北朝時代に、女性が一山の門主の地位に就くということは、まさに革命的な出来事です。
「本願には老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし」とのみ教えを具体
的な形を通して世に顕正したのです。
以後、佛光寺は性別による差別のない開かれた教団として、多くの女性が教団護持に
携わってきました。特に、第二十七世を継承された真意尼公は、江戸から明治へという
時代の激変期にあって、第二十五世真達上人亡き後、元治の兵火で灰燼に帰した本山
を背負い、お念仏一筋に法灯を守り抜かれました。
現在の本山両堂をはじめとする諸堂は、真意尼公の手によって再建されたものです。
http://www.bukkoji.or.jp/
34 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 01:16:31
>>24 新門さんもご出仕されたようで。
僧侶や門徒さんはどう思っているのかねぇ?
www.shin.gr.jp/hoon/hoon-kosyo.html
ほほえましいと
36 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 21:35:45
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 22:12:20
念仏してなかった人は、死んだらどうなってるんですか?
地獄行きです。
39 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 22:17:46
仏光寺の周辺、なんかしらん寂しいよ。平日なんか誰も参拝してないし。
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 22:23:00
>>39 そりゃ、観光寺院ってわけじゃないし、門徒だってそんなに暇じゃあない。
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:06:25
45 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:12:16
真宗各派で門主が世襲でないところってどれくらいあるの?
>>43 自分で悟れる人にはそもそも念仏は要りません。
悟れない人が念仏もしないとなるとどうでしょう?
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:15:05
48 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:20:33
>>46 自分で悟れる人ねぇ・・・どれだけいるんだか。
悟った気になってる人はけっこういるんだろうけど。
49 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:23:38
>>46 どうにもなりませんよ。
ただ食っちゃ糞するだけの糞袋みたいな己がそこにいるだけです。
50 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:26:39
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:28:30
ただ食っちゃ糞するだけの糞袋みたいな己だなあ、
って思うことが念仏ですか?
それは禅と同じみたいですね。
悟りも往生もまた空なり。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:34:08
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:39:25
「悟れない人が念仏もしないとなるとどうでしょう?」
「どうにもなりませんよ。 ただ食っちゃ糞するだけの糞袋みたいな己がそこにいるだけです」
という流れで
「ただ食っちゃ糞するだけの糞袋みたいな己だなあ、って思うことが念仏ですか?」
というのは会話として成り立っていないと思うのは俺だけか?
糞袋みたいな己が念仏と出会ってどうなるのか?が話の鍵のようにも思うが。
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:40:59
>>54 まあ、本題に入る前に終わっちゃうんだろうね。
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:50:51
マターリと語りなさいな。
今の真宗に必要なのはマターリとした空気。
棘ばかりじゃ疲れるでしょ。
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:52:33
空ってのがわからんす。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/13(木) 23:55:17
>>57 簡単にわかってたまるくぁ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!!!
>>57 大まかに言えば実態がないと言うことです。
これは新書レベルでいろいろ本が出てますから、一読されてはどうでしょうか?
×実態
○実体
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 00:15:06
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 00:19:42
>>39 仏光寺ですらその状況だと、その他の少数派は目も当てられないんじゃない?
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 01:16:05
>>62 本山行ったからって「だから何だ?」ってところあるしね。
真宗の場合は。
64 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 20:40:10
>>63 信ずるところを確かめる・・・・弱いねぇ、それじゃあ。
「せっかく京都まで来たし」という人も足が向かないし、優先順位も低くなっちゃう。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 23:18:14
>>64 雑誌の紅葉特集やCMを見たり、あるいは出張の機会に、なんて人もいるだろうけど、
みんな観光名所から先に行くだろうしね。
で、16時を回っちゃって、参詣しても本堂の巻障子が閉まってるなんてことも。
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/14(金) 23:32:45
>>63 確かにご利益は何もないですし。
そのあたりは浄土宗さんの方が長じてるんじゃないですか?
阿弥陀仏以外にもいろんなものを拝んだりしてますし。
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 00:06:55
>>66 方便が過ぎて本筋を見失ってるようにも見受けられる。
68 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 00:20:16
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 00:56:08
北本願寺
アカい禿が偉そうに。
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 01:26:19
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 01:36:41
>>69 公式サイトも無いようですし、実態がまるで分かりませんね。
小樽の人がいたら情報が欲しいところ。
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 15:30:55
>>73 確か5ヶ寺程度はあったような。
でも包括宗教法人ではないから、果たして拘束力があるのかどうか。
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:10:37
おそらく教会・開教所(布教所)は別カウントになっていると思いますが、各派の教勢は
こんな感じのようです。
浄土真宗本願寺派……寺院数 10320
真宗大谷派……………寺院数 8694
真宗高田派……………寺院数 626
真宗興正派……………寺院数 483
真宗仏光寺派…………寺院数 371
真宗木辺派……………寺院数 208
真宗出雲路派…………寺院数 62
真宗三門徒派…………寺院数 40
真宗誠照寺派…………寺院数 52
真宗山元派……………寺院数 21
真宗浄興寺派…………寺院数 14
弘願真宗………………寺院数 9
淨土真宗淨光寺派……寺院数 6
淨土真信宗淨光寺派…寺院数 6
真宗北本願寺派………寺院数 4
浄土真宗同朋教団……寺院数 3
真宗一心山昌玲寺派…寺院数 2
真宗長生派……………寺院数 1
参考:www.kotobuki-p.co.jp/shu.htm
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:47:34
>>75 これは当然、本山も含んでの数字だよね?
となると末寺は3ヶ寺か。
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 17:55:55
>>75 >真宗山元派……………寺院数 21
うおぉぉぉぉ!!!!頑張れ、善鸞教団!!!!
78 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 18:43:04
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 19:53:12
>>77 しかし、山元派の人たちってのは善鸞悪人説を信じて疑わない本願寺系の教団について
どう思ってるんだろうね。
>>79 今井雅晴氏などは、善鸞が巷間言われているような「教えを違え、門徒を惑わせた人物」である
ことに懐疑的な見方をしているね。
むしろ善光寺信仰の土壌を持つ高田門徒(真仏・顕智)、鹿島神宮信仰の土壌を持つ鹿島門徒
(順信)、真言宗との繋がりを持つ横曽根門徒(性信)など、下野・下総・常陸の門徒衆の信仰の
在り方に疑問を呈し、「義絶状」の内容に踏み込んで善鸞の新たな一面を見出そうとしている。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 20:18:10
>>80 その義絶状は高田専修寺から発見されたもので、確か顕智による
書写のものしか残っていないはず。
疑う余地は大いにあるのだが。
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 21:19:08
>>81 しかし、今まで善鸞を悪玉に仕立てておいて、今さら手のひらを返すというわけにもいかないでしょ。
もう否定一直線で行くしかない。
83 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 21:41:09
親鸞上人って、
護摩を焚くなとか
真言や陀羅尼を唱えるなとか
阿弥陀如来以外敬ってはならないとか
一言も言ってないような。
事実、本願寺でも昔は護摩を焚いていたらしい。
親鸞と本願寺は直接関係はないし。
むしろ専修寺で「やってる(やってた)」とすればこれはきつい。
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 21:56:02
>>83 >護摩を焚くなとか
>真言や陀羅尼を唱えるなとか
>阿弥陀如来以外敬ってはならないとか
>一言も言ってないような。
彼の信仰にとってそれが「必要無い」からだよ。
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 21:57:43
>>82 結果、善鸞は救われなかった、ということですな。
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:01:36
A〜C級戦犯に対する扱いと似てる。
罪人のまま恒久的に「殺し続ける」ことで、自分たちの心の安定と正当性を保ってるわけだ。
酷い話だなと思うけどね。
88 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:08:39
>>86 善鸞だけは救われることを許されない、そんな教義があるかいっての。
ちなみに義絶状には、「三宝神明に誓う」という表現が出てくるわけだけど、親鸞がそんな言い回しを
するものかねぇ?
このことどもつたへきくこと、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、
子とおもふことおもひきりたり。 三宝・神明に申しきりをはりぬ。
89 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 22:50:30
すみません、善鸞て誰?
90 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:25:16
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:29:49
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:34:50
>>88 もしこれが偽文書だということが分かったらエライ騒ぎになりそうだね。
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:42:27
>>91 確かに10数年にわたって善鸞を指導しておきながら、その隠された人間性?に気づかないまま、
彼を関東に送り出したとしたら、善鸞個人の責任もさることながら、師であり、父である親鸞の管理
不行届きということになり、人間観察の甘さまで問われてくる。
関東門弟の自己正当化のためにスケープゴートにされ、さらに教団内における親鸞の絶対化のた
めに今なお善鸞の名誉が回復されないのだとしたら、大谷家の悪行を云々している現教団という
のは一体何者なのか、ということまでが問われてきてしまう。
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/15(土) 23:54:22
>>91 >まず、嘉元3年7月27日、高田の顕智房が、書写したという「義絶状」には、次のように
>記されています。
>「又、慈信房の、ほうもんのよう、みょうもくをだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、
>よる親鸞が、おしえたるなりと、人に慈信房もうされてそうろうとて、これにも、常陸下野
>の人々はみな、しんらんが、そらごとをもうしたるよしを、もうしあわれてそうらえば、今は
>父子のぎは、あるべからずそうろう」
(略)
>ここに「夜ひそかに親鸞が私1人に教えた」といっていることから「夜中の法門」とか「秘
>事法門」といわれ、善鸞が秘事法門の元祖のようになったのです。
夜に口授がなされるというのは決して珍しいことではないんですけどね。
それと書写されたものについて、「そうろう」調の文面が、いつの間にやら「なり」「けり」
調に変わっていっているのもおかしいと言えばおかしい。
今井氏などは「複数の消息をつなぎ合わせて作り上げたものではないか」と疑問を呈
している点にも注目したい。
>>77 山元派・證誠寺の門主が善鸞の子孫であるとしているのは寺伝に過ぎず、
真偽の程は不明。
三門徒派の如導の弟子・道性が分派して成立したという説の方が最近では
有力になっている。
96 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:18:18
>>94 親鸞の死没と顕智の書写のタイムラグもきちんと見なければならないね。
97 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:27:25
親鸞の没年が弘長2年(1263年)、対して顕智の書写は嘉元3年(1305年)ですね。
実に40年の時間差がそこに存在しているわけです。
しかも、門弟からの書状を受けての返事に、わざわざ
同六月二十七日到来
五月二十九日 在判
建長八年六月二十七日
これを註す。
慈信房御返事
嘉元三年七月二十七日
これを書写しをはんぬ。
なんて到着日時まで記載するわけがありません。
アリバイでも作りたかったのでしょうか。
北区の赤羽で活動をしてくれ。
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:31:27
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 00:36:47
歎異抄第二章の
「しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくく
おぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり」
を決め手にしてる向きもあるね。
親鸞存命中に既に関東では混乱が生じ始めていて、それが善鸞の仕業であるとする論。
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 01:04:31
>>100 顕智の書写も唯円の回想も第一次資料にするには無理があるんだよなぁ。
「しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくく
おぼしめしておわしましてはんべらんは、おおきなるあやまりなり」
が善鸞の言動だったことを裏付けるのが40年後の書写では・・・・
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 02:05:54
>>101 そこで関東門弟の信仰問題が再検証されないのがおかしいわけよ。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 02:24:04
親鸞も実は欺かれていた?
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 03:03:08
>>75 真宗長生派は本山しか寺がないと言うことか?
悲しすぎる(TT)
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:01:57
>>85 いや、そうではないぞ。
少なくとも、阿弥陀如来以外の
諸仏諸菩薩諸天諸神に感謝し敬いなさいと
述べた親鸞上人の文献がある。
少なくとも「阿弥陀如来以外敬ってはならない」というのは
親鸞上人の本意ではないし、
阿弥陀如来以外を敬うことが必要としている。
>>106 諸々の諸仏菩薩ほかは総じて阿弥陀仏を敬って止まない、という考え方が
土台になってるわけです。
>>107 つまりは親鸞の本来の信仰から考えれば、
寺の本尊は何だって良いんだよな。
少なくとも阿弥陀仏を信仰している限りは。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:35:37
>>108 あんた、信仰の対象が本尊でなくてどうするのよ。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:43:26
>>101 厳密には49年のインターバルがあるね。
内容的に「そうろう」調から「なり」調への変化というのは、普通、一般に手紙を書く場合には
あり得ないこと。
それと手紙自体、善鸞への返信という形でしたためられているのだけど、義絶の手紙がどうして
善鸞の敵方の手の内にあるの?という疑問も。
しかも到来の日時と返信した日時があるうえに、「註之」なんて記載まである。
これ、裁判資料として使うしか考えられないでしょ。
諸々を考え合わせると、この義絶状は偽者なんじゃないの?と。
善鸞を常陸の奥部に追いやるために何者かが偽造し、それを顕智が写したとしたら辻褄が
合うんだよね。
>>105 でも、長生学園なんて学校もあるようだし、単立の宗教法人としては
頑張ってると思うけどね。
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 16:55:06
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 17:10:44
>>112 真宗の寺院教会ってのは自宅改装型が多いからね。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 17:17:35
>>110 全くの欠席裁判。
善鸞には抗弁の機会すら与えられていない。
それで同朋社会とは聞いて呆れる。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 18:31:31
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 20:25:09
>>109 君の論法では、例えば
真言宗では本尊は大日如来、
禅宗では本尊は釈迦如来、
にしなければならないということになるね。
しかし、現実には真言宗でも本尊が大日如来以外の寺院なんて数多くあるし、
禅宗寺院でも本尊は必ずしも釈迦如来ではない。
これをどう説明するのかな?
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:44:34
>>116 他宗を引き合いに出しても意味ないと思うけどね。
それは他宗のことであって、こちらとは関わりのないこと。
阿弥陀如来を信仰し、阿弥陀如来を本尊として敬わせるための方便として
あえて他の諸仏・菩薩を敬うことはあっても、
>>108にある
>寺の本尊は何だって良いんだよな。
なんて結論にはならない。
本尊はあくまで阿弥陀如来。
>>116 何で他宗派の現状について説明せにゃならんのかね?
そんなことはこっちの知ったこっちゃない。
そんなに気になるなら真言宗なり禅宗系のスレで聞いて来いよ。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:55:25
>>117 >他宗を引き合いに出しても意味ないと思うけどね。
それは他宗のことであって、こちらとは関わりのないこと。
と逃げるところがDQNくさいw
第一「寺の本尊」の意味がわかっていない。
わかっておれば寺の本尊は何だって良いという結論になる。
他宗も引き合いに出すのは当然。
大体、寺の本尊は阿弥陀仏でなければいけない
という考え自体親鸞の意向にあったかどうかはわからない。
親鸞は寺の本尊は阿弥陀仏以外でもよいと考えていたかもしれない。
何より親鸞自身寺の本尊は阿弥陀仏でなければいけないといっていないから、
またそういう意向があれば、書物等にしたためたりしているはず。
よって「必要無い」から書物にそういったことは書かれていない
という結論にもならない。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 21:57:26
>>118 他宗の現状を説明しろとか
>>116は言ってないだろ。
論法が矛盾するとしているだけだぞ。
それに他宗の現状に疑念を抱いているとも言っていないから、
他スレへ聞いて来る必要も無い。
>>108は日本語の読解能力の全く無い池沼だなwww
>他宗を引き合いに出しても意味ないと思うけどね。
>それは他宗のことであって、こちらとは関わりのないこと。
まさに「他所は他所、うちはうち」という
厨房の論法そのままだな。
何でお前の都合のいいスタンスに従わなければならないんだ、
馬鹿馬鹿しい。
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:09:43
>>119 確かに本当に親鸞がそのような考えを持って、
「必要ないから」とかいう考えに至れば、
弟子たちにそのように述べて厳命しているだろうし、
弟子たちもそれを書き留めていただろう。
そうでなければ親鸞の考えを正確に布教できないだろうし。
>>108は自分の論理が矛盾しておかしいから、
叩かれているとわからないんだろうか。
「他宗を引き合いに出しても意味ないと思うけどね。
それは他宗のことであって、こちらとは関わりのないこと。」
なんて反論になってないし、具体的にも説明していない。
他宗のことを例にして論理が矛盾していると指摘されているのだから、
「何で他宗派の現状について説明せにゃならんのかね?」と
反論できないからといっって話を意図的に逸らすのは いけない。
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:31:34
>>119 >親鸞は寺の本尊は阿弥陀仏以外でもよいと考えていたかもしれない。
それこそあんたの想像じゃないのかい?
>>125 では、親鸞の著作に寺の本尊は阿弥陀仏に限定せよとか限定にすべしなど
そう明言したそういったソースはありますか?
それこそあんたの想像じゃないのかい?
と断定的に偉そうに言うのならば、親鸞の著作にソースがあるのでしょうな。
128 :
121:2005/10/16(日) 22:43:05
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 22:53:36
>>126 釈迦も一切経の中で「諸仏の中の王なり」「最尊第一」と賞賛するのが阿弥陀仏。
親鸞の和讃にも
「南無阿弥陀仏をとなうれば 堅牢地祇は尊敬す かげとかたちとのごとくにて よるひるつねにまもるなり」
「南無阿弥陀仏をとなうれば 難陀跋難大龍等 無量の龍神尊敬し よるひるつねにまもるなり」
「南無阿弥陀仏をとなうれば 炎魔法王尊敬す 五道の冥官みなともに よるひるつねにまもるなり」
とあり、これが親鸞における阿弥陀仏の明確な位置づけ。
『正信偈』にも「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」とあるように、阿弥陀仏の本願の下に
救われていくと説き、何者にも勝る、と説いているのに何故に他の仏をたのみ、道場の中心
に据える必要があるのか?と。
>>126 親鸞は嘉禄元年、阿弥陀如来の告げによって善光寺に赴き、一光三尊(中央に阿弥陀如来、
右に観音菩薩、左に勢至菩薩)の金像を迎えたと言われているわけです。
親鸞は後に常陸国稲田に滞在中、在地勢力である大内一族の懇請により専修寺を建立する
ことになるわけですが、この専修寺の本尊が善光寺伝来の一光三尊仏でした。
親鸞自身が唯一手掛けた寺院の本尊が一光三尊仏であったという、具体的な行動の事実は
どう受け止めますかね?
ちなみに『真俗二諦』(梯實圓著)の「浄土真宗の本尊論」の末には、
「浄土真宗の本尊は、弥陀一仏に帰命する一心一向の宗義に依って方便法身(真実報身)
である阿弥陀仏一仏と定められているが、具体的には名号をもってその徳をあらわした名号
本尊と絵像もしくは木像をもって仏徳を標示した形像本尊とがある。
名号本尊には、十字、九字、(もしくは八字)、六字の三種(四種)があり、いずれも方便法身
尊号とよばれるが、親鸞聖人は十字名号を重視されたようである。帰命尽十方無碍光如来
という十字名号には、十方の衆生をさわりなく救うて涅槃の浄土に生まれしめるという阿弥陀
仏の絶対無碍の救いのいわれが標示されているからである。なお蓮如上人が、名号本尊の
中心を六字名号におき、多くの名号本尊を下付された事情についてはすでにのべたごとくで
ある。
形像本尊は、歴史的にみても、方便法身尊号たる十字名号の徳を形像化したもので、方便
法身尊形(あるいは尊像)とよばれている。その形像の造像様式は、安阿弥(快慶)様の影
響が強いようであるが、真宗の本尊としてそこに標示されている法義は臨終来迎の義意で
はなくて、第十八願成就の方便法身のもつ摂取不捨という絶対無限の救済力のいわれであ
る。その意味では『大経』の法義をあらわすというべきである。
(
>>132の続き)
しかしこの仏を等足立像としてあらわすのは、『観経』の住立空中尊をかたどっているとみる
べきである。それはどこまでも弘願(第十八願の法義)の教主であり、その姿は煩悩具足の
凡夫を本として一切衆生を平等に救わんとする救急の大悲をあらわしており、善導大師は、
それを立撮即行の相といい、大悲招喚の相とみられたすでにのべたごとくである。
したがって、その両手の印相も、一般的には来迎印とか、施無畏、与願印の一種とみるべき
であろうが、真宗の宗義にしたがって領解するとすれば、智暹師がいわれるように、「方便法
身遍照摂取の相」すなわち摂取不捨印とみるべきであろう。すでに親鸞聖人が「十方微塵世
界の、念仏の衆生をみそなはし、摂取してすてざれば、阿弥陀となづけたてまつる」といわれ
たように、一切衆生を善悪、賢愚のへだてなく、平等に摂取して捨てないという阿弥陀仏のい
われを形像化しているのが真宗の本尊である。したがって、その印相も「念仏衆生、摂取不捨」
という阿弥陀仏の仏意を標示されていると領解すべきであろう。
とありますね。
宗門的にはこういう解釈のようです。
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/16(日) 23:41:43
親鸞の時代に固定化された本尊形態が存在したわけないでしょうに。
何せ教団組織なんてなかったんだから。
>>132の本尊論というのは、江戸時代に恵空、法霖、智暹などによって
論議が行われ、天倪、義教によって確立されたもの。
結果、尊形が「安阿弥様、正面向き、立ち姿、独尊」で完全固定される
ことになったわけでね。
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 00:59:16
>>131 とりあえず行動では示してますな。
あとは子孫やその弟子たちが形態を整えていったと。
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 01:52:27
>>126 親鸞が直接、同行・同朋に本尊について説いた記録というのは分からないが、
真筆の名号が多く現存しているのは事実。
それらには「愚禿親鸞敬信尊号」と記され、裏書には「方便法身尊号」とある。
したがって、親鸞が阿弥陀如来の木像や絵像ではなく、あくまで名号を本尊と
していた様子を伺い知ることができる。
これについて文献の側から当たっていくと、『改邪鈔』には
「本尊なおもて観経所説の第八の像観よりいでたる丈六八尺、随機現の形像をば、
祖師あながちに御庶幾御依用にあらず。天親論主の論文、即ち、帰命尽十方無碍光如来
をもって、真宗の御本尊とあがめましましき」
とある。また、『慕帰絵詞』にも
「他の本尊をばもちいず、無碍光如来の名号ばかりを掛けて、一心に念仏せられるとぞ」
とある。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 01:59:44
それでもなお、「親鸞の本来の信仰から考えれば、寺の本尊は何だって良い」
と言うのであればどうぞご勝手に。
何か一気に方向性が変わりましたね。
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 07:40:16
>>130 寺院の本尊を阿弥陀如来とすべきとは言ってないようですね。
体裁を整えたければ、本堂ではなく寺院のお堂の一つは本尊を
阿弥陀如来にすればいいということになる。
>>131 阿弥陀三尊を祀ったってことは、
観世音菩薩や勢至菩薩も本尊になっていることですな。
観世音菩薩や勢至菩薩も本尊になっているということの証左になっているわけで、
そういう具体的な行動の事実は
どう受け止めますかね?
まあ、親鸞自身が唯一手掛けた寺院であって一例しかないので、
親鸞として一例としてだしただけかもしれませんね。
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 07:46:18
>>132-133 現在の真宗の本尊論ではなく、
親鸞が寺の本尊をどう考えていたかが問題だが。
>>137 それは真宗宗派として(親鸞は新しく宗派をたてることが本意ではなかったが)
の本尊であって寺の本尊ではないですな。
>>116さんのレスを読んで理解すること。
>>138 このように、親鸞は寺の本尊に関して、
明言したわけでもなく明確な態度を示していない事実をどう説明するのかな?
それでも、親鸞は、
「寺の本尊は阿弥陀仏に限定せよとか限定にすべし」とか言っていたとか
そのような姿勢を示していたというのならば、どうぞご勝手に。
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 15:53:27
>>141 「寺」の概念を持っていない人物(一例だけあるが)に「寺の本尊」に対する明確な意思表示が
ないのは当然のこと。
しかし、親鸞自身の本尊に対する考え方は明確に示されていると思うが。
その上で親鸞自身が名号を門弟たちに下賜しているという事実と、そこに門弟たちの信仰活動
が門徒道場(現在の真宗寺院の原型)として成立していった課程を考え合わせれば、本尊は
名号以外にはあり得ないのだが。
143 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 16:02:09
>>141 そもそも真宗寺院(転派した寺院は別だが)は聞法道場が発展したもの。
この時点で他宗派のそれとは性質が異なっていることを理解する必要があるのでは?
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 17:35:50
>>142 >親鸞自身の本尊に対する考え方は明確に示されていると思うが
どこにだ?
>その上で親鸞自身が名号を門弟たちに下賜しているという事実と、そこに門弟たちの信仰活動
が門徒道場(現在の真宗寺院の原型)として成立していった課程を考え合わせれば、本尊は
名号以外にはあり得ないのだが。
それはあくまで宗派としての本尊のレベルだろう。
まず、当時の親鸞の直弟子層は善光寺信徒や修験道行者が多くいたりしており、
必ずしもその以前の信仰をすてたりしていない、
それどころか以前の信仰と親鸞との関係のエピソードをつくったりしている。
(たとえば修験道の神を親鸞と重ね合わせるなど)
というこことから、親鸞は宗派として本尊を阿弥陀仏としている限り、
さらには阿弥陀仏にすでに救われているということを信じている限りは、
親鸞に帰依する以前よりの各自の信仰を少なくとも黙認していたと見られる。
145 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/17(月) 17:39:56
>>143 >そもそも真宗寺院(転派した寺院は別だが)は聞法道場が発展したもの。
真宗寺院はそれだけでは成り立っていない、
木辺派の寺院のように元は天台宗寺院だったりしている場合もある。
(そこは寺院としては阿弥陀仏三尊が本尊だが、毘沙門天を本尊としているお堂も存在する)
確かに真宗寺院は他宗より聞法道場が発展したものが多いだけのこと。
他宗でも、真言宗の高野山のように道場が元になっている場合もあるし、
既存の寺院であった場合もある。
それでは寺の本尊が阿弥陀仏に限るといったことの証明にはならない。
よく考えてみれば、
本気で親鸞が本尊は阿弥陀如来に限定する気があったのならば、
それを明言した書状なりあったはずだし、
弟子たちもそのように具体的に書き留めているはずなんだよな。
まあ
>>130-134や
>>137は親鸞がそれを明言したものではないし。
何より、親鸞が本尊は阿弥陀如来に限定するという姿勢が
はっきりしていたのならば、親鸞の六角堂での有名な話は、
語られてないはずなんだよね。
六角堂の本尊は如意輪観音だから。
それを認めていることになるし、
いくら他宗のお寺の話とはいえ、親鸞の思想における重要な話なのだから、
本尊は阿弥陀如来に限定するという姿勢が徹底されてないとおかしいと考えられる。
親鸞が寺院の本尊は阿弥陀如来に限ると考えていたと言っている人って、
宗派としての本尊と各々の寺院での本尊との区別を混同して、
それらを区別してなくて全く理解していないと思う。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 12:30:36
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 13:35:30
>>101 善鸞の救済はこの教団の課題ではないのね?
人身御供として、彼が「悪い人間」であり続けなければならないというのは実に気の毒な話。
真実がどうであったのかを資料を基に再検証しようともしない。
それで「人間の救い」なんてことをよく恥ずかしくもなく言えたものだよ。
戦犯の扱いにしても同じこと。
>>149 同意。
言ってることとやってることの整合性の欠如が真宗禿の特徴。
勝手に特徴づけられても困りますが、善覽事件を研究するのが
趣味の方は勝手になさればいいのでは?
救うのは阿弥陀さまであって私じゃないですから、「〜は往生しない」
「〜は往生していない」なんて言う方がおかしいんじゃないの?
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 17:30:15
>>152 「救うのは阿弥陀さまであって私じゃないですから」、別に善鸞に未来永劫、悪役を演じてもらっても
いいんじゃないですか?阿弥陀さまの本願力で彼は救われたと思いますよ。
と言いたいわけでしょ。ま、それでいいんじゃないですか。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 18:05:31
>>153 善鸞が阿弥陀仏とどういう関係を結んでいたのかと言えば、覚如と性信の言葉を
慎重に拾っていくしかないしね。
如信を持ち上げることで教団化に利用したい覚如から見た善鸞像と、善鸞の勢力
を関東から排除したい性信から見た善鸞像が、果たしてどこまでアテになるのか
という客観性の問題はあるけど。
>>154 覚如も関東の門徒から糧道を絶たれて、極度の困窮の中で
生涯を終えてますな。
毎年、報恩講に出席していた如信が、稲田で米を調達して
本願寺に持参していたのは有名な話。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 18:30:53
>>148 区別は重要だろ。
阿弥陀如来以外の諸尊を祀つることも考えないといけない。
何より、親鸞は阿弥陀如来以外の諸尊を敬うように述べている。
>>156 >親鸞は阿弥陀如来以外の諸尊を敬うように述べている。
ふ〜ん、「諸尊も」ではなく「諸尊を」ですか。なるほど。
では、その「諸尊」を親鸞自身はどのように定義しているのですかね?
文献などの該当箇所を教えてもらえませんか?
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 18:41:25
善鸞は真宗版イスカリオテのユダか・・・
>>157 >>106を読むこと。
スレを全部読むここともできないのですか、なるほど。
「諸尊も」ではなく「諸尊を」どちらも通じるのに、
それを否定するのですか、なるほど。
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 21:54:24
>>158 Wikiからの引用。
『マタイによる福音書』26:14−16ではユダは金目当てで祭司長たちにイエスの引き渡しを持ちかけ、
銀貨三十枚を得る約束をとりつけている。
『ヨハネによる福音書』12:4−6では高価な香油をイエスの足にぬったマリアを非難する。
そこに続けて彼が使徒たちの会計を任されながら、不正を行っていたと記されている。
複数の福音書の最後の晩餐の場面ではイエスに裏切りを予告され、『マルコによる福音書』14:21
では「生まれなかった方が、その者のためによかった。」とまでイエスに言われている。
ユダは祭司長たちと群集をイエスのもとに案内し、接吻することでイエスを示して引き渡した。
その後、マタイ福音書ではユダは自らの行いを悔いて銀貨を神殿に投げ込み、自殺したことになって
いる。『使徒行伝』では裏切りでえた金で買った土地にまっさかさまにおちて内臓がすべて飛び出し
て死んだことになっている。
とことん救いがないね、この人。
>>162 何かを絶対化する時には、人身御供のような存在が必要なのかも知れませんね。
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 22:15:03
>>164 例えばどのあたりが矛盾しているんです?
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 22:21:26
銀貨三十枚というのは当時の奴隷一人の値段ですから、イエスのような大物を
売る値段としては、まあ端金と言ってもいい金額です。
そういう謂わば小銭に転ぶような小物が、イエスのところに堂々と行って死の接吻を
交わしたりするでしょうか?
また、イエスにしても、これでは一人の人間を地獄にわざわざ突き落とす悪魔ですよ。
贔屓の引き倒しもいいところです。
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 22:37:39
>>166 逆説的な受け取りだけど、神の子が銀貨30枚に見積もられる、というところに
意味があるんじゃないの?
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 22:38:16
そうですね。
イスカリオテのユダについては、絶版書ですが、もし手に入るなら
ワルター・イェンツ著『ユダの弁護人(弁は辯かも知れない)』を
読んでみてください。
>>168 だね。
人間がいかに神の存在を低く見積もったか、という価値換算を銀貨30枚(=奴隷1人の値段)
という数字に表してるようにも思う。
実際にどういう取り引きで身柄を引き渡されたのか、ということよりも、その一点を強調し、戒め
たいがために話を仕立てたのでは?
>>169 『ユダの弁護人』ってのは、或る司祭が教皇庁に「ユダを福者の列に加えるべき」と
誓願したって話じゃなかったか?
>>169 確か・・・ユダの存在なくしてはイエスの十字架はなかったし、十字架なくしては救済計画も
成就しなかったわけで、裏切り者という損な役回りを演じる人間がどうしても必要だった。
それ故、自らの意思でその役回りを引き受けたユダはイエスと同様、殉教者であると。
光と闇があるならば、あえてユダは進んで闇の側から神の証人になったと。
そんな話でなかったかい?
記憶違いなら申し訳ないが。
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 23:13:49
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 23:31:27
>>172 >闇の側から神の証人になった
その点では、善鸞の存在によって親鸞像がより確立されていったという、そういうことは
あるかも知れんね。
善鸞本人がそれを望んだとは思えないが、結果、そういうことになっているわけだし。
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/18(火) 23:38:18
>>173 どこに当てりゃいいんだ?
とりあえず、誠照寺派は東京に別院持ってるみたいね。
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 01:37:36
>>176 >墓所は倶会一処の設定となっております。
>倶会一処は永代使用料18万円となっており別のご宗派の方でもお寺側は
>受け入れていたでけます。
>ご注意としては、ご納骨後三年間は世田谷のお寺でのご供養になりますが
>三年後は分骨となり福井県のご本山へご納骨となります。
>三年後からは、骨壷は小さくなりますが分骨後も本寺i院で永代供養してくれ
>ますのでご安心です。また三年後に墓所を換えることも可能です、たとえば
>永世廟に換えるときは、差額分の12万となります。
世田谷から福井に分骨されてもねぇ・・・有難味を感じないんだが。
しかし、誤字は何とかならんものか?
178 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 01:42:25
>>178 宗教ってどっかで必ずそういうことあるよね。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 02:34:00
>>179 一人の人間が仮にどれほどの罪を犯したとしても、その人は死後に
もはや反論することもできず、あの世で報いを受けるのだから、
寄ってたかって2000年も袋叩きにする必要はない。
181 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 02:46:25
>>180 同意。
善鸞さんもまた「祖師の教説を捻じ曲げようとして勘当された長男」のまま、
ず〜っと語られてきちゃったわけでしょ。
別に、彼は本当は正しかった、なんて言うつもりはないけどね。
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 02:57:41
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 17:34:31
>>182 真宗の坊さんは、善鸞さんと自分自身を対比して考えないとね。
「悪い子」で終わらせているのは、そりゃ、自分自身を省みていない証拠だよ。
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/19(水) 23:17:25
>>183 悪い見本と言ってるわりには、自分たちが悪い見本の典型だったりして。
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 00:48:34
>>177 葬儀社にいいように使われてるんだろうね。
直門徒を増やしたいのはわかるけど、3年後に分骨ってのは引くね。
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 01:37:43
>>186 骨質で門徒化・・・考えることはどこも一緒だな。
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/20(木) 08:07:55
大谷派から分かれた連中だって例に漏れないだろ。
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 07:43:51
>>188 結局、言ってる事とやってる事の差が埋まらん。
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 19:05:58
>>187 少数派は生き残るの大変なんだから勘弁して!
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 21:07:16
親鸞に一宗を立てる意思がなかったとすれば、「浄土真宗」でなく「浄土宗三流(鎮西、西山、大谷)}
「浄土宗大谷派」のほうが宗祖様の意に沿うのかな。
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 21:19:18
>>191 判断つきかねますね。
法然さまのお弟子だから浄土宗○○派としたいのでしょうが・・・
歴史的に見てみると、本願寺系が比叡山の拘束下にあったのは事実ですし、そこからの
独立闘争ということが蓮如時代に本格化してくる。
一方、関東で直接、親鸞さんの教化を授かった人たちは「△△門徒」というように、親鸞
さんの高弟たちを中心に組織化の過程を歩んでいますが、親鸞さんが浄土宗の一派に
組み入れようとした形跡もないですね。
そもそも組織化ということ自体、まるで関心事ではなかったわけですし。
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 21:29:45
オンアミリタテイゼイカラウン
オンアミリタテイゼイカラウン
オンアミリタテイゼイカラウン
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 22:14:40
親鸞なんか知んらん。。。とか。
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/21(金) 22:37:18
>>192 その門徒たちの信仰活動の総称を「真宗」と位置づけたとすれば
飲み込めてしまう話ですね。
○○派はどこの門徒筋かを表すだけですから。
196 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 00:05:25
>>192 となると、今ある教団分布というのは先師に背いた形で発展してると。
197 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 03:03:06
198 :
愚禿:2005/10/22(土) 03:22:11
>>191 (´・ω・`) 教団なんでど〜でもええがな
199 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 13:26:22
>>192 純粋に「法然聖人と同じご信心をいただく」ということだけが大事。
それを 〜派 だのと系統立てするつもりはなかったんじゃないかな。
200 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 13:36:09
>>199 組織に頼ってる時点で終わりってことですな。
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 21:34:52
>>200 上意下達でやることではないんですよ。
徹頭徹尾、現場主義でなければ。
上を向いて活動してても次々と矛盾が生じるだけです。
202 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 22:25:11
今さら宗祖を「法然上人」、中興の祖を「親鸞上人」というわけにもいかないしねえ。
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 22:36:23
>>202 >今さら宗祖を「法然上人」
本願寺系列では「真宗興隆の祖」と位置づけてますけどね。
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 22:52:12
浄土宗大谷流本願寺派や。これが正解や。
205 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/22(土) 23:50:19
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 18:00:36
>>205 真宗の連中を掴まえて「おまえらはホントは浄土宗の亜流」と位置づけて
悦に浸りたいんですかね?彼らは。
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 18:18:24
204さん、それをいうなら、本願寺流大谷派でっせ。
208 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 18:39:09
>>206 別にど〜でもいいこと。
言いたければ言わせておけ、と思ってますよ。
209 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 19:04:46
ど〜でい〜ぃで〜すよ〜っ。
気分がいいので書き込みます。
細木にハマッタ門徒が〜近頃家族に不幸が続く〜先祖の供養が足らないから罰が当たると〜
テレビで見たと真に受けて〜先祖が祟る〜祟る〜祟る〜と大騒ぎ〜
家の周りに荒ら塩で〜結界結界〜米まいて〜米まいて〜一足早い〜雪景色〜
今度は隣のおばちゃんが〜どうしたの〜何かこの頃おかしい隣の家〜
相手にするのも馬鹿ばかし〜6時間潰れた〜
きついので寝ます。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 20:31:33
供養は大事ですよ。
ご先祖への気持ちまで否定する真宗坊主は天罰が下る。
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/23(日) 22:29:49
>>211 否定してないだろ。
むしろ「こうすれば供養できます」と言い切ってる人に懐疑的なだけ。
214 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 00:15:04
>>212 報恩・報謝は供養を包括する内容だからね。
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 12:50:58
中越地震から1年が経ち、新潟各地で様々な宗教的行事が行われました(自治体主導?)が、
それらの儀式の根本にある被災者たちの思いというものをどれだけ汲み取れるかでしょう。
216 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 13:25:31
>>215 鐘を打ってみたり、灯籠やってみたり、献花してみたり・・・
行為そのものを批判するわけでも、否定するわけでもないけど、その行為と
その根拠がどこに起因しているかについては考える必要があるかもね。
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:02:52
少なくとも「報謝」の観点ではないな。
今の浄土真宗各教団を、僧俗の「気持ちの掛け違い」が支えているとしたら皮肉なこと。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:11:03
>>213 天罰でも仏罰でもいいけどさぁ、そういうものは誰かしらの人間の都合で
もたらされる性質のものじゃないと思うんだが?
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 14:18:39
>>218 そう言わないと誰も怖がってくれないからでしょ?
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 15:34:53
改めて読み返してみると笑えますねwww
1 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/08/23 12:33
もし地獄があれば、だけどさ
一般人よりはるかに強欲だし
人間のクズがおおい。なのに聖職者ぶってんだからたち悪いよ。
こんなクズ集団からは税金をもっとがっっっぽりとるべきだよ。
現代の信長あらわれて全員焼き殺してくれないかなー
坊さんいなくなっても全然こまんないしね
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 17:48:01
>>217 実際はそうだろ?よほどのコア門徒でもない限りは。
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 20:41:45
浄土真宗(真宗)は、歴史的にみれば、浄土宗の法然上人の教えを広めようとして、そして、
その結果、もっとも多くの人の信仰を得ることができた親鸞上人のグループです。そのように
考えていけば、決して浄土宗の亜流ではなくむしろ本流、最大流派であるとも考えられます。
(だからこそ「浄土真宗」となのっているのでしょうが)(ありえない話ですが)もし本願寺
派が単独で浄土宗へ合流・復帰したとしても最大勢力となるはずです。その理屈で考えれば、
かつての「大谷廟堂」である知恩院を鎮西派から奪還してもおかしくはないと思うのですが。
>>223 >かつての「大谷廟堂」である知恩院を鎮西派から奪還してもおかしくはないと思うのですが。
はぁ?
親鸞の意志と、覚信尼以降の子孫たちの意志とを混同すべきではないでしょう。
225 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/24(月) 20:52:44
>>223 どうですかね?
親鸞さんは本流だの最大流派だのということ自体、興味なかったんじゃないですか?
「世の中安穏なれ 仏法広まれ」だけでしょう。
1人1人が念仏する人になってくれればいいわけで、尾ひれを付ける必要はないんじゃないですか?
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 03:18:22
戒律無視の邪義など浄土宗では認めぬ。
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 04:56:02
>>226 浄土宗に認めてもらうようなことは何も無いんですが?
>>226 まるで徹底して戒律を守ってるような物言いだね(w
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 08:50:31
230 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 19:45:07
合流とかそんな話は別として、宗名だけを「浄土真宗」から「浄土宗」に変更しては
いけないのですか? 知恩院が怒鳴り込んできますか?
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/25(火) 23:32:19
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 04:45:42
>>231 東西本願寺を統合汁!と抜かしてる香具師と同じくらいにウザいな。
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/26(水) 20:53:15
>>233 それ、仏光寺派の大阪○組のサイトでしょ?
何か知らんけど・・・(ry
235 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 14:08:47
>>233 見ました。
仏光寺派門徒です。
仏光寺派からこんな話が出るなんて・・・。
なんか怒り通り越して悲しいです。
檀家の人達の事考えると・・・。
どうにかならないものかな・・・。
っと、ここに書いても仏光寺派の中の人は
見てないか・・・。
チラ裏すまそ。
236 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/27(木) 19:21:55
237 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 01:06:51
「真宗ダメ」スレで仏光寺派のサイトの破廉恥坊主の写真が晒されてる(無断引用)ようだが、
これって問題にならないのか?
238 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 02:22:43
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/28(金) 19:21:59
>>237 あんなモンを公の場に晒してる方が問題。
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 02:18:36
>>235 一応、仏光寺派はここの取り扱い範疇ですけどね。
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/29(土) 14:38:26
242 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 02:14:18
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/1499/data2.html 教団名【真宗仏光寺派】
ご本山 【仏光寺】 寺院・布教所数 【約 390箇所】
仏光寺(京都市下京区高倉通仏光寺下ル)を本山とする。宗祖親鸞聖人の関東布教によって
形成された高田門徒を始まりとし、初期の法脈は親鸞・真仏・源海・了海・誓海・明光とつづき
第七世了源(1295〜1336)が山科の公称事を仏光寺と改める。以後、京都を中心に教線をひ
ろめ、その教勢は本願寺を凌ぐ程であったが、これに対し本願寺三世覚如(1270〜1351)は
『改邪鈔』を記して批判した。その後仏光寺十四世経豪(蓮教)(1451〜92)が本願寺の蓮如に
帰依し多くの末寺も本願寺末寺となったが明治十四年(1881)仏光寺派を公称。なお、本山は
秀吉の大仏建立地域と重なるため五条高倉の地に移転。その後二度火災に会い(1788,1864)、
大師堂は明治十七年、本道は同三十一年に再建された。寺宝に木造聖徳太子孝養像・親
鸞伝絵などがある。
243 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/30(日) 17:23:52
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 03:40:42
>>242 他派もそうだけど蓮如の時代にかなり教勢を削がれてるな。
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/31(月) 18:37:21
>>242 そんな小所帯だとご修復の負担額も高くつきそうなんだが。
高田派の親戚なんてヒーヒー言ってるぞ。
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 00:09:23
真宗教団連合の職員って各宗派から出向ですか?
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 00:14:41
>>246 そんな実体あるの?
偉いポストを取った宗派が事務をやるんじゃないの?
248 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 03:54:02
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 20:56:44
仏光寺派って、確か僧侶が神社へ参詣するんだよな。
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/01(火) 21:10:35
251 :
:2005/11/02(水) 02:05:05
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 11:03:45
浄土真宗と浄土宗なにがちがうの?
どっちが普通?
どちが金持ち檀家おおい?
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 14:44:34
浄土宗は『法然』
1133ー1212 専修念仏による往生を説く
浄土真宗は『親鸞』
1224ー1262 本願念仏による往生を説く
です。
254 :
佐保姫:2005/11/03(木) 14:46:02
浄土宗は『法然』
1133ー1212 専修念仏による往生を説く
浄土真宗は『親鸞』
1224ー1262 本願念仏による往生を説く
お解りになられました?
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 14:47:49
浄土宗は『法然』
1133ー1212 専修念仏による往生を説く
浄土真宗は『親鸞』
1224ー1262 本願念仏による往生を説く
ということからも判るように、大差ありません。
>>255 行から信へ、これは大きな違いなんですけどね。
257 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:14:08
カトリックとプロテスタントと同じだよ。
人間の行為が「救い」に何かしら意味を持つかどうかということさ。
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:21:08
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:21:21
>>258 しかし、まずは行だ、ということから始まってるんです。始まりは。
でなければ、専修念仏のミリオン・ヒットはなかったと思います。
親鸞 1173 -1263
1224では法然に弟子入りできん。
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:34:39
>>260 他に縋るものが無く信じるしかなかった庶民がついて行ったのでしょう。
>>262 だからこそ「最初に行ありき」なんですよ。
「行」があればこそ、それに縋ることができる。
いきなり「信ありき」と言っても伝わりません。
これは現代の真宗を取り巻く問題の最たるものでもありますね。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 15:47:36
なるほど、易行ですな。
265 :
252:2005/11/03(木) 18:58:29
いろいろくわしくおしえていただきありがとうございました
体→心・・・ 浄土宗
心→体・・・ 浄土真宗
はじめのとっかかりの違いですかね、素人考えですと
266 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 19:56:56
鎮西と西山の隔たりと、鎮西と真宗の隔たりはどっちが大きいの?
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 21:28:32
浄土宗は現世利益も願うのは可じゃないの?少なくとも今は。
また、本尊も制約があまり無い、
浄土宗寺院は本尊が密教系のところも少なくないし。
268 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 21:44:46
密教系というのは、阿弥陀如来でなく、たとえば大日如来だったりするのですか
>>268 浄土宗は、ふつうに大日如来もまつってある寺もあるし、
祈祷もするし、現世利益を売り物にもするし、
習俗や俗信は積極的に取り入れるし、まじないもするし、
何でもありで節操がないのが現状です。
信じられないでしょうが。
>>269 浄土真宗も蓮如が出てくるまでは、
護摩や現世利益のための祈願など
黙認していたような。
271 :
佐保姫:2005/11/03(木) 23:50:54
>>216 大変失礼致しました、1173-1262です、
1224(52歳)本願念仏による往生を説く
でございました、
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/03(木) 23:53:34
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 00:03:20
大谷派と本願寺派って末寺の差が在りすぎませんか?
本願寺派の寺はどこも立派なのに、大谷派の寺って貧相な寺しか観たことないのですが?
住職居るの?って聞いてしまいました、
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 00:28:02
>>273 それは地域差によると思いますよ。
大谷派の強い地域と本願寺派の強い地域がありますから。
>>270 > 浄土真宗も蓮如が出てくるまでは、
> 護摩や現世利益のための祈願など
> 黙認していたような。
誰が黙認していたのですか?
真宗の教義のどこに、それを肯定する内容があります?
まあ、教義にはないが、
地方によっては他宗の影響を受けた寺や門徒もあって、
宗派としての統制がきちんととれていなかったということですね。
蓮如は、教義に基づく教団をきちんと構成しようとしたわけですね。
その意味では、やはり功績は大きかったですね。
278 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 15:38:52
>>277 教団というものが緩やかに構成されていたので、統制は無理だったと思いますよ。
279 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 15:59:15
>>278 逆に土着的な宗教観の中に、まるで異質なものが入り込んでいった結果と考えると
良いかも知れない。
280 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 16:09:07
>>279 覚如以後、存如までは比叡山の監視下であまり大っぴらな布教伝道はできなかった、ということも
あるだろうが、それ以上にその土地土地に小、中規模な門徒集団は形成できても、その集団自体
が既存の仏教や土着信仰の影響の只中にあったわけであるし。
親鸞の直弟子であった性信や順信の頃から、真言宗や鹿島神宮の影響下にあって、純粋な真宗
の在り方とは言えない部分もあったというから、親鸞当事から抱え続けた問題なのかも知れない。
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 17:12:58
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 19:02:13
>>280 スレの上の方でもあるけど、
親鸞の本意はすでに救われていると阿弥陀仏を信じると
さえあれば、あとは本尊が何であろうが、
御真言を唱えようが護摩を焚こうが、
何だってよいというスタンスだったかもしれない。
念仏さえも信じれば勝手に口から出てくるというスタンスだったから。
あと現世利益には基本的に是が非か立ち入らなかったのではないか?
親鸞の主張するのは極楽往生するために救われるかどうかというところだから。
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 20:12:13
たとえば「龍谷院殿釈善如」とか自分で法名をつけて、近くのお寺さんに法事
を頼んだら、普通はソッポ向かれてしまうだけですか。
284 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 20:34:49
覚如たちは僧侶として密教系のものを修していたような。
285 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/04(金) 23:35:08
>>282 じゃ、「雑行を捨て本願に帰す」という言葉は無意味ね。
>>282 親鸞の晩年の著作を読めばわかるが、
それは違いますね。
>>286 いや逆に妥当だな。
親鸞は晩年に他の諸仏菩薩、神祇も敬えと述べている。
まあ理念から言えば念仏者は菩薩の位にあるわけだから、
諸仏諸菩薩を敬うのは当然だろうね。
同時に諸仏諸菩薩からも敬われている。
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 12:20:13
>>287 それは行者が敬うべき諸仏菩薩、神祇もまた阿弥陀如来を敬う存在であるから、でしょう。
>>287 諸仏諸菩薩を敬うというのは、それを信じて帰依をすることではありません。
神祇に対しては、はっきりと否定していますね。
加持祈祷や、現世利益を祈ることは否定されています。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:17:55
>>290 否定する必要はない、という程度のことですかね?
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:20:03
諸君はあまりにも宗祖に惑わされすぎておられる。
親鸞を切り捨ててこそ真宗の未来が見えるようになります。
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:23:07
では只の祖じゃ。蛆と書いた方が良いかな・・・
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:23:21
>>292 >親鸞を切り捨ててこそ真宗の未来が見えるようになります。
なるほど。
より具体的に説明していただけませんか?
296 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:29:20
具体的に捨てるということじゃないよ。
ものごとを考えるのに、もっと主体的に間がるべきだといっているのです。
何か問題があればすぐに親鸞の言葉をさがす。
自分たちの直近の問題なのだから、自分たちの言葉で考えるべきだということ。
結果的に親鸞の言葉に背くことになっても、自らの判断をすべきです。
297 :
typo:2005/11/05(土) 13:30:14
間がる
↓
考える
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:37:45
>>296 >自分たちの言葉で考えるべきだということ。
主体性がなけりゃ信仰ではなくて学問。
非常に大事な提起ではありますが、言葉と体験の中で確かめられているのが信仰ですから、
言葉を切り離すべきではないですね。
イメージだけで勝手な「御自釈」を述べ始める輩が現れないとも限りませんし。
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:44:23
それがいいのですよ。
勝手な輩が真宗の未来を担うかもしれない。
それを排除してきたのが、今までの真宗じゃないですか。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 13:48:54
>>299 どこかで総括しないといけない結果になりそうですね。
教義面での混乱は想定しておかないといけない。
>>299 一派を興して独立した方が良いかも知れませんね(w
残念ながら、やはり教団組織の枠内では排除されるんじゃないですか?、そういうものは。
基本は、言葉の中に自分のあり様を見出していくものじゃないかと。
その結果、「私なりに考えますと・・・」ということが言葉を中心として展開されていくことに
なりますから的が外れていくことはない。
どこまでも法、法、法なのだけど、しかし、そこに自分なりの受け取りと解釈がある。
でなければ、自分の生きる力にはなりませんね。
しかし、その解釈が怪しくなってきた時には法に戻る、きちんと言葉に帰ると。
そういうものじゃないですかね?
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 14:11:17
私の場合は釈尊に戻るよう努力しますが。
こればかりは外すと仏教でなくなりますからね。
私は個人の葛藤ではなく、教団内の葛藤を言っているつもりですが・・
>>302 菅原伸郎氏などは真宗教団は民主的、と評してますね。
自分の主張というものを、何らかの組織的圧力で封じ込めるような教団は怪しいと。
何を言ってもいい、というわけじゃないですけど、教義教説に関して「自分なりにはこのように考えている」
と発言する行動自体を制約するべきじゃない。
但し、それはきちんと祖師聖人の言葉を踏まえてなければ「ボクだけの浄土真宗」になってしまうし、他者
との共有がなされない、という問題が残りますね。
その一点だと思います。
現実に、同じ自己流解釈でも、そこを踏まえている僧侶、門徒さんの発言には頷くところが多いわけですし。
親鸞さんにしても「ひそかにおもんみれば」と語り始めていますよね。
経典や今まで自分が聞いてきた教えを踏まえて「私ごときが語らせていただきますと・・・」という形を取っ
ているわけですし。
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:16:52
>>302 辛うじて真宗が仏教の端くれでいられるのは、親鸞聖人のおかげです。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:23:30
>>304 それそれ、その捉え方がいけない。
自分たちが努力しているから教団がある、ぐらいの意識をもつこと。
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:31:02
>>305 「端くれ」という表現は、逆に確かな自信の表れと受け取るんだが。
たとえ「端くれ」と嘲笑を浴びようがそれでも構いません、という姿勢なんじゃないの?
何かそう受け取ってしまった。
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 15:36:34
内部の人はそう仰るかもしれないが、私は教団外部なのでそうは観えません。
別に荒らそうというわけじゃないですが・・・
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 16:00:56
>>307 ふむふむ。
端くれを笑う者への問いですわね。
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 16:07:09
>>290 どこに
>>282>>289の書き込みに親鸞が現世利益を許容したと書いてある?
読解力の無さにもほどがあるよ。
因みに鬼神を親鸞は否定したのであって、
神祇そのものには否定せずはっきり敬うように主張しています。
311 :
305:2005/11/05(土) 16:07:24
>>309 端くれを笑ったりなどしていませんよ。
へりくだりすぎることはない、といっているのですよ。
312 :
309:2005/11/05(土) 16:13:06
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 16:15:47
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 16:19:46
>>310 悪鬼神ってやつね。
親鸞さんは天神神祇の類を「善知識」として肯定していると思うのだが。
>>314 正像末和讃、親鸞最晩年の著作。
五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり。
かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす。
外道・梵士・尼乾志に こころはかはらぬものとして 如来の法衣をつねにきて 一切鬼神をあがむめり。
かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬す。
>>315 末法になって、五濁増になった徴として見られるのは、
僧も在家も、外見は仏教徒の姿はしていても、
心の中では、仏教以外の教えに帰依し敬っている。
悲しいことには、僧も在家も、吉日などいい日を選んだり、
天神・地祇を崇めてみたり、占いやまじないをしている。
>>296 > ものごとを考えるのに、もっと主体的に間がるべきだといっているのです。
> 何か問題があればすぐに親鸞の言葉をさがす。
> 自分たちの直近の問題なのだから、自分たちの言葉で考えるべきだということ。
> 結果的に親鸞の言葉に背くことになっても、自らの判断をすべきです。
そのお言葉通りに、親鸞を捨てて、自分たちの主体的な判断に走ったのが、
大谷派、お東です。
その結果がどうなったのか、おわかりでしょう。
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 18:18:42
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/05(土) 18:25:49
仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。
余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ・・
たよるべきは弥陀一仏、よるべきは念仏一行。
そろそろ浄土真宗の少数勢力の話題も取り上げていただきたいのですが。
321 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 00:40:13
ん?
「神祇を敬え」派さんから有効な反撃がないようですが・・・どうしたの?
>>321 読み直して間違いに気付いたんじゃないの。
高岡の浄誓寺で庫裏全焼 住職の長男放火容疑で逮捕
高岡市二塚の浄誓寺(三松順敬住職)で2日夜、庫裏が全焼した火事で、高岡署は4日、
住職の長男で僧侶、三松順尚容疑者(41)を現住建造物等放火の疑いで緊急逮捕した。
調べによると、順尚容疑者は2日午後8時ごろ、木造2階建て庫裏内で火を放ち、全焼さ
せた疑い。
出火当時、建物内には順尚容疑者を含め、家族5人がおり、順尚容疑者と順敬さんが手
などに軽いやけどを負って高岡市内の病院に運ばれた。
同署では、順尚容疑者と順敬さんが入院していたことから、現場付近の住民などに聞き
込みを開始。順尚容疑者の犯行の疑いが強まったことから、4日午後の順尚容疑者の
退院を待って事情を聞いたところ、「私が火をつけた」と放火を認めたため、逮捕した。
同署で、家族内でトラブルがなかったかなど、火をつけた動機を追及している。
順尚容疑者は出火当時、酒に酔っていたという。
(2005年11月5日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/toyama/news004.htm
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 09:30:13
>>321=
>>322 逆じゃないのか?アンチ「神祇を敬え」派さんから有効な反撃がないようですが?
>>310に全く反論できないということですねwwwwww
326 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 09:44:50
>>324 それはアンチ「神祇を敬え」派さんが
敗北を認めたレスとしか考えられないがwwwwwww
わかった、「神祇を敬え」派は、
>>315 がちゃんと読めてないんだな。
「天神・地祇をあがめつつ」
「天地の鬼神を尊敬す」
そこだけ読んでるんじゃないか?
>>328 まさかそんなことはないでしょ。
それならただの読解力不足。
他に我々の知らない法文などを知っているんですよ、多分。
>>329 どこにあるわけ?
いっこうに論拠が出てこないけど。
>>333 >>315にきちんと僧俗の神祇への傾倒に対する親鸞の悲嘆が述べられているのに、
それ以上、何を差し出すんです?
>>335 単に読解力がないだけですね。分かりました。
ちなみに意訳したものが
>>316にありますので参照願います。
>>336 単に読解力がないだけでなくあなたは池沼なんですね。分かりました。
因みに
>>314に正しい訳と親鸞の態度が載っています。参照願います。
親鸞は鬼神と古来からある神道の諸神と区別していたはずだが。
ここの厨房は理解できてない模様。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:31:15
>>315 こういう和讃もありますね。
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
また、『歎異抄』にも
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
とありますね。
>>315の最晩年の和讃と上記のそれを考え合わせてみますと、親鸞もまた神仏習合の域から
脱していたとは言い切れず、「神祇不拝」というものがむしろ親鸞以後、原理主義的に形作られ
ていったのではないか、そのようにすら思えてきます。
340 :
339:2005/11/06(日) 20:32:39
加えて
「此世の祈りに仏にも神にも申さむことは、そも苦しく候まじ。後世の往生の為には、念仏の外
にあらぬ行をするこそ、念仏を妨れば悪しきことにては候へ。此世の為にする事は、往生の為
に候はねば、神仏の祈り更に苦しかるまじく候。
仏法をふかく信じるひとをば、天地におはしますよろづの神は、かげのかたちにそへるごとくし
て、守らせたまふことにて候へば、念仏を信じたる身にて、天地の神をすてまふさんと思ふこと、
ゆめゆめなきことなり」
という御消息もあります。
上の和讃と同様、「天地におはしますよろづの神」は念仏者を守護している、ということですね。
「此世の為」とは現世利益のことで、対して、念仏は「後世の往生の為」であると。
現世利益のため神祇ばかりを信仰するならば、念仏往生の妨げになる。しかし、「天地におは
しますよろづの神」は「後世の往生の為」と念仏する行者を守護するものでもある、と。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:36:19
親鸞さんは明らかに神祇不拝だよ。私には不必要だという意味で。
教行信証にも触れておかないと。ここには神祇不拝がはっきりしているよ。
和讃のその言い方はレトリック。
神祇は大切だなどとはどこにも書いていない。
むしろこの親鸞さんの徹底性を薄めてしまったのが、覚如存覚でありわけで。
蓮如は趣が多少異なるが、教団維持のために世間との妥協を模索し真俗二諦を
上手く利用した。後の教団もそう。
342 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:36:22
>>334 親鸞が悲嘆をしているとするならば、それは僧俗たちが「後世の往生」を願わず、現世利益
のために神祇ばかりを信仰しているあり様についてではないかと思うのですが。
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:38:41
>>341 では、「教行信証」における展開をお聞かせ下さい。
>>339 親鸞の最終的な論法だと、
仏教の諸仏諸菩薩や日本の神道の神様が存在するからこそ、
阿弥陀如来に出会えることができたわけで、
感謝しなさいということだったかな。
そもそも親鸞は熊野詣でをしており、
修験的な色彩もある。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:40:49
>>340 その御消息は蓮如のものだろう?誰の著であるかに触れずに、あたかも親鸞さんの
著であるかのように書くのはまずいんじゃないの?
その御消息の背景については研究がなされているから、それを読めば。
手ごろなものなら梯實円(本願寺派勧学)の『真俗二諦』がある。
347 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:42:05
早い話が、親鸞は神祇を拝するにも、
阿弥陀仏への信心が必要という立場ということか。
348 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:42:54
教行信証「化身土巻」より
仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。
余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ・・
たよるべきは弥陀一仏、よるべきは念仏一行。
350 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:45:50
承元の法難のもとになった興福寺奏上を読めばわかるよ。
鬼神≠神祇
352 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:47:05
「余道に事うること」に含まれるよ。神祇信仰は。
353 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:47:46
>>351 そこなんですよね。
何でそれが分からないのかと(w
355 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:51:12
脳内解釈でもないぞ。
親鸞さんからすれば、余道とは本願念仏以外だ。
教行信証を本当に読んだのか?
「余道に事うること」の
「余道」は仏法を信じないあるいは粗雑に扱う道という意味程度のもので、
神祇信仰そのものを含まない。
仮に余道とは本願念仏以外だとしても、
本願念仏と神祇を敬い拝することは相反するものではなく、
両立できうるもの。
教行信証を本当に読んだのか?
359 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:54:24
だったら弥陀一仏はどうなるのか?
「選択本願は浄土真宗なり」は?
「かなしきかなや道俗の、良時吉日えらばしめ、天神地祇をあがめつつ、卜占祭祀つとめとす」は
どうなるの?
360 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 20:56:39
>本願念仏と神祇を敬い拝することは相反するものではなく
はあ?
そんな珍解釈はじめて聞いたぞ。
神祇信仰を持つ人はそれはそれでご勝手にやればいい。
しかし真宗門徒にとっては不必要なもの。
>>360 脳内真宗乙!
今の真宗での解釈ではそうかもしれないが、
少なくとも親鸞の本意ではないなw
363 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:00:47
>>358 仰る通りですね。
「天神地祇の否定」ではなく「念仏の行者への戒め」ですよね。
発している対象が違うんです。
364 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:00:54
>>362 だから弥陀一仏とどう整合性をとるんだ?
神祇信仰は不必要であるというのは親鸞さんの主張だよ。
何言っているんだ。電波か?
365 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:02:24
>>363 自作自演は結構。
「たよるべきは弥陀一仏。よるべきは念仏一行」
367 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:04:19
>>359 「かなしきかなや」はどこに係りますか?それは「道俗」でしょう。
そして「良時吉日えらばしめ、天神地祇をあがめつつ、卜占祭祀つとめとす」とは現世利益
ばかりを向いている行者の在り様のことでしょう。
すなわち、明後日の方向を向いている行者の姿勢を嘆いている話であって、「天神地祇の
存在否定」と受け取るのは「神祇不拝」のイメージに引きずられた今日的な受け取りだと
思います。
>>364 親鸞は往生するためには
神祇へ祈願するのは不必要といっただけで、
神祇信仰そのものを否定していない。
だから敬えと述べている。
それを理解できないとは電波か?
自分以外を自作自演と妄想してるところからもそれが分かるが。
369 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:05:02
はっきり教行信証について根拠となるべきところを出しているわけだから、
その点について神祇信仰派は答えるべきだよ。
>>369 >>339で完全に論破されてますが?
その反論を反神祇信仰派は責任をもって答えるべきだ。
>>369 すでに論破されて君の妄想ということで片付けられていますが?w
373 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:07:16
もう一度言うよ。教行信証の内容とどのように整合性をつけれるのだろうか?
はっきりと書いているだろうよ。
374 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:07:57
論破などされていないだろうがw
逆だよ逆。
>>374 それはお前が敗北を認めたと同じことだな。
論破されたのはお前だけ。
>>345 > そもそも親鸞は熊野詣でをしており、
> 修験的な色彩もある。
どこに、そんな史実がある?
381 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:12:23
教行信証「化身土巻」より
仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。
余道に事うることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神を祠ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ・・
たよるべきは弥陀一仏、よるべきは念仏一行。
ここからどうして神祇を敬えという解釈になるのだろうか?全くわからないね。
「たよるべきは弥陀一仏」
385 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:15:31
親鸞は「弥陀一仏」。よって神祇信仰は不必要
親鸞の神祇不拝については、著作に基づいた文献学的研究により、
学術的な世界では、すでに明らかになっています。
神祇を敬えという解釈をする人はいません。
いまさら、何が言いたいのでしょうね。
右翼?靖国賛成?
「たよるべきは弥陀一仏、よるべきは念仏一行」≠「神祇信仰は不必要」
これが理解できなければ、日本語の勉強をやり直したほうがいい。
390 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:18:03
往生するために弥陀一仏で、そうじゃない場合は神祇を敬えなんてどこに言っているんだw
バカな珍説はもういいよ。
394 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:20:30
神祇を敬えと言っているとする学者がいるなら一人でもいいから挙げてくれよ。
まともな人でそんな珍説言っているのは皆無だよw
宗門のなかの解釈だけじゃなくて、一般の仏教学の研究者でもそんなバカなこと
言っている人間も皆無。
バカな珍説の割には、いやにこだわりますね。
397 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:21:42
神祇を敬えと言っているという人にお聞きします。
どこにそんなことを言っているかズバリ指摘してくれます?
>>395 だよな。神祇不拝だなんてバカな珍説池沼じゃなければだせないよw
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:22:28
403 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:23:47
>>381 だからさぁ・・・・「得ざれ」とは誰に向けて「得ざれ」と言ってるのか?ということですよ。
天に向かってですか?鬼神に向かってですか?
>>339に照らせば、行者が本来の方向を向いていれば、すなわち、弥陀の本願を敬信する
限りにおいては天神地祇すら敬伏してくださる、と言ってるわけですよ。
その天神地祇を否定する必要がどこにありますか?
信仰の対象でないものは総じて否定して回る、ということですか?
その必要もないでしょう。
405 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:27:04
無知な人の釣りですよ。
まあまともな根拠は出ませんから、
このあたりでスルーと行きますか。
408 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:29:25
要するに神祇派は具体的に神祇を敬えと言っているとする根拠を示せずにいるわけ。
弥陀一仏と矛盾するわけですよ。
如来に全てをおまかせすると言っているのに、なんで神祇を敬えということになるのか
理解できませんね。
要するに神祇不拝派は具体的に神祇を敬うなと言っているとする根拠を示せずにいるわけ。
弥陀一仏と矛盾するわけですよ。
神祇のお陰で如来であえたと言っているのに、なんで神祇を敬うなということになるのか
理解できませんね。
アンチ神祇派は
>>339に対してなんら具体的な反論はできない模様。
やはり論破されて何も言い返せないかw
411 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:34:26
>神祇のお陰で如来であえたと言っているのに
はあ?
そこからなんで神祇を敬えになるのか?
神祇なんてデタラメのおかげで逆に如来のありがたさに出会えたってことも
言えるだろうねw
だからさ、ズバリ「神祇を敬え!」と言っている箇所を出してくれよ。
>>407 だろうな
>>339に何も反論できていないから。
歎異抄も読んだこと無い無知なんだろうなw
414 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:36:19
>>339には神祇を敬えなどないぞw
むしろ親鸞と蓮如をごっちゃにしてかいているしw
415 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:38:06
神祇派は根拠を出していない。そして出したものも著者をごちゃごちゃにして
書いているなど基本的誤りを侵している。
>>414 敬えというスタンスでなければ
>>339は書けないw矛盾するw
神祇を拝むなという論拠が全くでていない。
天・鬼神は神祇ではない。また余道は神祇信仰そのものを含んでいないw
神祇不拝派は根拠を出していない。そして出したものも著者をごちゃごちゃにして
書いているなど基本的誤りを侵している。
418 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:39:22
ごまんといる仏教学者の中で神祇派の主張を展開している人がいるなら
列挙してくれる?(誰もいないだろう。ここで珍説書いている人間だけかw)
421 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:40:14
422 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:42:33
>>420 親鸞はそんなこと言っていないよ。
今は親鸞解釈をめぐって議論されているなら、他の解釈者を出すのが当然だろう。
あんた以外でその解釈を支持している人がいるなら出してみてよ。
それすらできないのなら俺もスルーするよ。あほらしいから。
>>418 ということはアンチ神祇派の君が珍説というわけだねw
>>422 あんた以外でその神祇派の解釈を支持している人がいるなら出してみてよ。
それすらできないのなら俺もスルーするよ。あほらしいから。
427 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:45:43
効率のいい埋め立て?
428 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:46:49
だからさ、その解釈をめぐって争われているなら、第三者の解釈はどうなんだ
ってことだろう。当人たちを出しても所詮それは君の解釈だってこと。
もちろん俺の解釈もある。だから君の解釈を支持している学者を列挙してくれ
って言っているんだよわかる?
>>428 仏光寺派。仏光寺派は僧侶が神社へ参詣する。感謝報恩のために。
431 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:48:21
神祇不拝派・・・数多の学者たち。
神祇派・・・・・学者の中では皆無w
神祇派・・・数多の学者たち。
神祇不拝派・・・・・学者の中では皆無w
>>290の脳内妄想w
433 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:52:55
435 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:57:27
しかし、面白いですね、この論争(?)。
「不拝」だからといって「存在否定」まで話が及んでないわけでしょ?
「不拝」だからといって「足蹴にして良い」とも言ってないわけでしょ?
親鸞は天神地祇に敬意を払い、念仏の行者を見守る存在として位置づけているじゃないですか。
ただ、後生の往生のためには役には立ちません、というだけのことで。
「拝むか、拝まないか」と言えば「弥陀の本願にたすけていただく」と言うでしょう。
しかし、ちゃんと役割付けは持たせているのであるから、不拝ではあっても不敬ではない。
その姿勢が
>>339に表れているとすれば、非常に通りが良いのですが?
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 21:57:53
だめだこりゃ。解釈の争いで同じ主張をしている第三者を挙げてみろと
いっているのに当人たちを出してどうすんだよw
>>435 要するにつまり敬うために神祇を拝するのもありですね。
弥陀の本願にたすけていただくという前提で、
神祇を敬意を表して拝するというわけですから。
神祇を拝したからとって弥陀一仏、念仏一行というわけでもないでしょ?
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:04:00
神などいないよ。
>>437の文を少し間違ってしまった、
神祇を拝したからとって弥陀一仏、念仏一行でないというわけでもないでしょ?
>>435 だから神祇を拝みながら阿弥陀信仰してもいいのだろ?
つまり親鸞は、阿弥陀信仰が主で行いながら、
補完的に神祇を拝むのは可ということだ。
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:07:11
>>437 文献学的には成り立たない理屈ですよ。
弥陀一仏の意味をなさないことになります。
親鸞は弥陀一仏であり、本願念仏以外を余道として退けています。
神祇を拝するなど及びもつきません。
というかこれは壮大な釣りですかね?
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:08:08
>>441 >つまり親鸞は、阿弥陀信仰が主で行いながら、
>補完的に神祇を拝むのは可ということだ。
とはどこに書いてあるのかな?
>>442 退けていません。
余道は本願念仏以外ではないです。
何より親鸞は独自の宗派を立てておらず本意でもない。
だから既存の天台宗であるわけで神祇を拝するのもありです。
446 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:10:47
承元、嘉禄、建長の法難がなぜ起こったのか、神祇信仰がOKというなら、
そのようなことは起こらなかったです。興福寺奏上は、神祇を敬わないとの
理由で念仏停止を求めたものでしょう。
そういう歴史的事情を見ても神祇信仰OKという理由は出てきません。
>>442 釣りだよな。
文献学的には成り立たない理屈は、神祇不拝だ。
そうでなければ敬えと述べない。
>>446 それは神祇不拝は本意でないと弁明したはず。
だから神祇を敬えと主張した。
そういう歴史的事情を見ても神祇信仰NOという理由は出てきません。
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:17:03
>既存の天台宗であるわけで神祇を拝するのもありです
冗談でしょう?
親鸞は比叡山を下りて法然の吉水教団に行くわけですよ。
専修念仏の法然の元をね。
あと教行信証には明確に神祇不拝が述べられています。
神祇信仰OKなどどこにも書いていません。
と書けばまた和讃を持ち出すのでしょうが、引用されている和讃は神祇信仰OK
とはどこにも書いていないわけです。また同じく和讃を持ち出すならば、
神祇信仰に惑わされることを嘆いているものもあるわけですよ。
前に誰かが言っていましたが、学者の中で神祇信仰OKと親鸞は思っていたなどという
主張をしている人はいません。
では。
450 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:19:18
>>448 その弁明の内容はどこに?
ウソをつかないでください。
451 :
435:2005/11/06(日) 22:20:17
>>445 ちょっと待ちなさいよ(w
俺の意見は、「不拝と不敬を混同すべきではない」ということなのだが?
天神地祇を拝んでも往生の正因にはならないし、たのむべきは弥陀一仏。
だが、
>>339にもあるように「信心の行者を見守って下さる存在」なのだから、行者は天神地祇に
対して不敬をはたらいてはならない、ということなのだが?
>>449 冗談か?釣りか?電波か?正気か?
親鸞は独自宗派を立てるなと、
弟子に厳命しているはず。
だから天台宗の傘下に入っていた。
それに鬼神や余道は神祇信仰そのものは入っていない、
よって神祇不拝は全く述べられていない。
神祇信仰OK と歎異抄、和讃に述べられている、
敬えとね。
だから
>>430のようなこともあるのですよ。
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:24:33
>>451 だが拝むと敬意は両立する。
またたのむべきは弥陀一仏と神祇不拝は混同すべきではない。
両立できるから。
神祇を拝したからといって、弥陀一仏を信仰してないとはならないw
456 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:25:52
>>454 それじゃ弥陀一仏ではないでしょう?他の神を拝んでいるわけですから。
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:27:33
如来に信をおくというのであれば、なぜ他の神を拝む必要があるのでしょうか?
無量寿経の如来の願に信をおけば、神など必要ではないでしょう。
一体何を拝むというのでしょうか?
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:29:00
>>454 >神祇を拝したからといって、弥陀一仏を信仰してないとはならないw
ん?既に信仰として破綻してるんじゃないの?
「弥陀一仏」になってないでしょうに、それじゃ。一仏一神ですよ。
>>456 そういう論法ならば、
仏教や親鸞の六角堂のエピソードや
浄土三部経すら矛盾し否定してしまいますね。
461 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:33:38
>>459 なぜ矛盾するのですか?
親鸞は阿弥陀如来の本願に信をおき、「すべて」をおまかせする(たのむ)わけです。
他をたのむというのであれば、弥陀一仏にはなりません。如来の願に信をおいているのか?
ということになりますからね。
六角堂のエピソードがなぜ矛盾するのですか?
あと付け加えて言うならば、六角堂のエピソードというのは文献学的には怪しいと言われていますよね?
「恵信尼文書」か何かでしょう?出典は。
>>458=457
釈迦如来、弥勒菩薩、竜樹菩薩、観世音菩薩、勢至菩薩は必要なしで無視ですか。
もはや仏教ではないですね。
>>461 阿弥陀仏の本願を信じるのが重要なのは間違いない。
だがそれを出会え知りえたのは神祇などの御蔭でもあるので、
敬い神祇を拝する。
よって如来の願に根本は信をおいている。
よって矛盾しない。
どんなに神祇崇拝派が屁理屈ならべても、
理屈を述べる学者が親鸞のすべての著作を検討した結果、
親鸞の立場、思想として、一貫して神祇不拝があると言っているわけだから、
屁理屈は、学術的検討を加えた結果の理屈には太刀打ちできないということ。
ここで、個人的思い込みでいくら騒いでも、
数百年続いてきた学問の世界で明確に否定されているわけです。
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:41:00
>>462 他人には必要かもしれないが、弥陀一仏であるかぎり無視ではないが
親鸞がたのむ対象は阿弥陀如来ですよ。阿弥陀如来にすべての徳が備わっている
わけですから。
尽十方無碍光如来です。
とはいえその阿弥陀如来ですら方便ですけどね。
どんなに神祇不拝派が屁理屈ならべても、
理屈を述べる学者が親鸞のすべての著作を検討した結果、
親鸞の立場、思想として、一貫して神祇を拝するのがOKであると言っているわけだから、
屁理屈は、学術的検討を加えた結果の理屈には太刀打ちできないということ。
ここで、個人的思い込みでいくら騒いでも、
数百年続いてきた学問の世界で明確に否定されているわけです。
467 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:41:23
>>462 釈尊、七高僧、聖徳太子は皆悉く「弥陀の本願」に行者を導く善知識であり、
教主であるわけです。
ということは阿弥陀如来を拝むことは、同時にそれらの全てを敬うことになるわけです。
でも、個別に拝んでも、それは阿弥陀如来を拝むことにはなりませんね。
そういう位置づけ。
>>465 ということは神祇の存在を認め拝してもいいのだな。
中心に阿弥陀如来をおいているに過ぎないのだから。
469 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:43:43
>>466 どの「学者」が言っているのですか?あなたの親鸞・蓮如解釈は結構なので、
数多くいる学者で神祇崇拝派の主張を支持している人を列挙してください。
>>467 神祇も善鬼神として親鸞は認めている。
個別に拝んでも、それは阿弥陀如来を拝むことになる。
でなければ阿弥陀如来を拝むことは、同時にそれらの全てを敬うことになるのに矛盾する。
表裏一体でなければ一貫しない。
>>469 君だけしか神祇不拝派はいないのだから、
好い加減負けを認めたら。
君以外全部神祇派じゃないか。
473 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:47:18
>>471 学者じゃないでしょうにw
>>470 教えの内容が異なる神祇信仰を拝んでどうして如来の働き信をおくことになるのでしょうか?
神祇信仰のなかには明らかに親鸞が否定したこともあるでしょうに。
「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつト占祭祀つとめとす」
>>473 仏光寺派の方には学者が皆無だと。
これは電波も良い所w
他の神の存在を認めない一神教とは異なり、
仏教は土着の神などをうまく取り込んできた。
ヒンズー起源の神が仏教のなかには登場するが、
それは仏教を守るものとして、わき役として取り入れ、
崇拝されたり帰依されたりする対象ではなかった。
念仏者を守るものとして、神祇が登場しても仏教的にはおかしくはないが、
それを敬い、信じる対象として扱われているわけではない。
しかも明らかに、神祇をあがめる人を批判している文がある以上、
たとえわき役として、どこかに登場することがあっても、
親鸞の立場は、明確に神祇不拝である。
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:49:03
>>472 どういうこと?
むしろ逆ではないですか?
このスレのあなたぐらいしか神祇信仰を肯定しているひとはいませんよ。
負けを認めれば?
>>473 それは阿弥陀仏を信仰しないでしているものに対して。
曲解もほどほどに。
>>477 君だけしか神祇不拝派はいないのだから、
好い加減負けを認めたら。
君以外全部神祇派じゃないか。
ここまで神祇不拝厨房が空気読めないとは思わなかったよw
481 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:51:19
>>470 それは明らかに違いますね。
阿弥陀如来と善知識は表裏一体ではありませんし。
阿弥陀如来の本願へど向かわしめようとした善知識を個別に敬ったところで阿弥陀如来には
通じませんが、阿弥陀如来を崇敬するところに善知識への恩徳に報いることができるという
考え方です。
>>475 念仏者を守るものとして登場する以上、
敬って拝するのが妥当で道理に合っている。
>>481 明らかに違います。
阿弥陀如来の本願へど向かわしめようとした善知識を個別に敬ったところで阿弥陀如来には
通じ、阿弥陀如来を崇敬するところに善知識への恩徳に報いることができるということです。
表裏一体です。
484 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:53:49
>>482 敬って拝しても構いませんけど、それならばもはや真宗ではないですね。
どこか神仏習合の宗派にでも行かれた方が良いでしょう。
485 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:55:12
「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、
天を拝することを得ざれ、鬼神をまつることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:55:13
>>483 なるほど。
表裏一体ということは、天神地祇は阿弥陀如来であるということですね。
どこにそんなことが書いてあるのか知りませんが。
>>484 いや神祇不拝ではもはや親鸞の考えに反しますね。
親鸞の主張をもはや標榜するのはできません。
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:57:56
「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、
天を拝することを得ざれ、鬼神をまつることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 22:59:24
>>490 決定だね。
諸天神に帰依せざれ←決定打。
493 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:00:07
>>489 天神地祇が敬伏しているのは、如来の信心とその行者ですが?
494 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:00:12
方便としての比喩的表現と、心のうちの信念の吐露を峻別しなければいけません。
>>491 決定だね。
信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし←決定打。
>>493 だから感謝の意を込めて拝さなければなりません。
497 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:01:18
神祇崇拝を言っているところはない。
神祇不拝を言っているところはない。
500 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:02:35
>だから感謝の意を込めて拝さなければなりません
その記述はあるの?「拝さなければならない」と書いている箇所が。
本願他力だから、自動的に阿弥陀さんになるわねぇ。なにしろ
諸仏・諸菩薩がそうしなさいとお勧めするんだから。←重要
信心も阿弥陀さんからたまわるモノだし、そこに我がはからいは無いねぇ。
我がはからいで往生できない凡夫なのだから、余の道は必要ないねぇ。
拝めと言われても拝みきれない凡夫だから、他力なのよねぇ。だから
報恩感謝のお念仏なのよねぇ。毒も混じっているかもねぇ。でも感謝せず
にはおれないねぇ。他力だから。
もし諸仏・諸菩薩に出逢ったならば、感謝のお念仏ぐらいはしましょうね。
「私を礼しなさい・敬いなさい」じゃなく「凡夫であるなら阿弥陀に任せよ」
とお勧めして下さっているのですから。
502 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:03:04
>>495 「信心の行者には」が主であることがまだ分からんのかね、この人は。
503 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:04:31
「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
神に帰依するなとはっきり書いている。
>>501 だからだ、神祇に出会えば、
感謝して拝みましょうね。ってことだろう。
「阿弥陀仏によって救われているんだと
神祇のお陰で知ることができました」と。
>>502 だからだから感謝の意を込めて拝さなければなりませんと
言うのが分からないのか?この池沼は。
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
善鬼神なので帰依はともかく拝するように言っている。
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:07:26
仏に帰依せばついにまたそ・の・余・の・諸・天・神・に・帰・依・せ・ざ・れ
天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに 念 仏 の ひ とを ま も る な り
510 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:08:19
神祇崇拝派は、もはや打つ手がなくなったから、
逆ギレで、わけのわからん事書くだけ。
もはや、何の説得力も持たない文で孤軍奮闘、
いや、見苦しいだけですね。
512 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:08:41
>>507 いいえ言っていません。拝せなど言っていない。
神祇不拝派は、もはや打つ手がなくなったから、
逆ギレで、わけのわからん事書くだけ。
もはや、何の説得力も持たない文で孤軍奮闘、
いや、見苦しいだけですね。
>>512 ここまで来て拝むなでは、
矛盾する。書く必要性が無い。
まぁでもね「ワシに礼拝する暇あったら阿弥陀さんにお念仏もうさんかい」
と諸仏諸菩薩は叱ってくれると思ったりもするのよね。笑
神祇不拝派は全く今まで論拠となるもの出していないな
無いもものを出せないかw
517 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:11:38
矛盾などしませんよ。それよりどこを探しても拝せと言っている箇所がないのはどういうこと?
ここまで来てどうたらとはあなたの妄想でしょう?
不拝派ははっきりと書いているところを出しているじゃないですか?
「神に帰依するな」というね。
>>515 つまり阿弥陀仏やその他諸仏諸菩薩神祇に
念仏等して敬って拝して感謝せよと親鸞は言っているわけだ。
>>517 それは阿弥陀仏を信仰しないで、
神だけを帰依するなということ。
だから、別で親鸞は、
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
といっている。神祇派ははっきり書いているところだしているね。
521 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:18:00
>>516 「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、
天を拝することを得ざれ、鬼神をまつることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」
(「教行信証」)
「かなしきかなや道俗の、良時吉日えらばしめ、天神地祇をあがめつつ、卜占祭祀つとめとす」
「かなしきかなやこのごろの和国の道俗みなともに仏教の威儀をもととして天地の鬼神を尊敬す」
(「正像末和讃」)
>>521 「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
>>521 すでに全部論破されていますがw
それは神祇不拝を示すものではないとw
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:22:21
>>520 おかしなことを言う人ですね。
阿弥陀如来に信仰しないで神だけを信仰するなという意味じゃないでしょう?
「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
つまり「仏に帰依せば」と書いています。
そして如来に信をおくならば、「ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
ということになります。
阿弥陀如来に帰依するなら、その他の神に帰依するなと言っているわけですよ。
阿弥陀如来に帰依しないで神だけを信仰するなという意味ではないですよ。
525 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:24:02
神祇不拝っつう言葉が一人歩きしているだけでしょ。
「帰依しない」けど「軽んじない」ってことで良いんじゃないの。
527 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:31:03
神祇不拝は神祇不拝だよ。ただし、それをどう解釈するかってことで。
不拝といっても、神祇信仰を攻撃するわけじゃない。如来の願に信を置くならば、
じぶんにとって特に必要ではないということだろう。
門徒の中には神社などに攻撃的になる人もいたから、それを諌めたというだけで。
しかし帰依の対象は弥陀一仏であることにかわりない。
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:31:41
>>526 それならば
>>435あたりで「不拝であっても不敬であってはならない」と
言ってるんですけどね。
529 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/06(日) 23:34:49
真宗の信心にとっては弥陀一仏の帰依で十分。
ほかは関係ない。真宗の信心をいただかないという人は、どうぞ神に拝むなり
なんなりしてくださいってこと。神祇であろうがなんだろうがどうでもいい。
しったこっちゃないから。
不敬でも良いんですよ。
「敬う心ができない、感謝のお念仏しかできない凡夫」なのですから。
「軽んじるな」の方がしっくりくる。
ここで論破だとか、勝ったとか負けたとか言っていても平行線。
匿名でないきちんと学者の署名のある論文が、
親鸞の全部の著作を読んだうえで、親鸞の思想としているのが、
神祇不拝。
あれだけ多くの学者や、あれだけの長い年月の間、
誰も反対の意見を言わない事実の前には、
こんなところで絡んでいる屁理屈は何の意味も持たない。
いいかげんにあきらめたらどうですか。
もう結論は出ています、あなたが知らないだけ。
親鸞聖人の思想は神祇不拝です。そのことは確かで議論の争点にすらならないと思います。
絶対他力の信心を頂くわけですから、他の神を「信仰」するというのはありえません。
ただし問題もあるのです。当時は神祇信仰を否定することは並大抵のことではなく、
親鸞聖人にも数々の法難がありました。聖人もそのことについて怒りを込めて書かれています。
聖人以後、徹底していた親鸞聖人とは違って教団を守るために世間と妥協することを余儀なくされ、宗学において真俗二諦論が都合よく
展開されるようになりました。覚如上人や存覚上人は神祇信仰との妥協を最も推し進められました。
蓮如上人は多少異なり、急進化する一部門徒をおさえるために、神祇の排撃を慎めと述べられたのです。
しかし蓮如上人は同時に「一心に弥陀に帰命せよ」とも述べているわけで、神祇信仰をしろとは
言っていませんね。
この真俗二諦論は近代以後も利用されていくことになります。
要するに真宗門徒としては、罪悪深重であり煩悩具足の凡夫であるかぎり、
弥陀如来にすべてをたのむ他なく、他神拝むなどという真ねはどても及びのつかないものなのです。
神祇信仰を必要ないというのも、排撃の目的ではなく如来の願を信ずる者にとっては
弥陀一仏で十分なのであり、とても神祇信仰している余裕などないということでしょう。
だから神祇を信仰したい人は勝手にすればいいし、そういう人の信仰をも非難するつもりはない
ということです。真宗門徒には必要がないということでしかありません。
真俗二諦論で行くならば、神道を王法と解して信仰ではない世俗道徳と位置づけるしか
ないでしょう。明治期の宗門はなんとかそういう理屈をたてて神社参拝と真宗の信心の
調和を図ったわけです。だから親鸞聖人が神祇信仰を容認していたとは断じて言えませんが、
それでも門徒でありながら神祇を崇敬したいというのであるならば、この真俗二諦論を理屈として
神道を世俗道徳の範疇に限定してやるほかないというわけです。
ポイント
・親鸞聖人の思想はいわゆる神祇不拝であること。煩悩具足の凡夫である我々をも救ってくださるとの
願をおこした如来に一心一向に帰命するということであり、諸神に帰依することはないということ。
諸々の雑行雑種を投げ捨てて、一心に弥陀一仏に帰依すること。
・教団成立以後、世間との妥協を余儀なくされ真俗二諦論が都合よく展開され、
神祇排撃というような急進的な門徒の行動を押えるためにも利用されたということ。
・明治期の宗学において、真宗の信心と矛盾せぬよう神道を非宗教とみなし、
世俗道徳の一部と解する真俗二諦論が展開されたこと。
ここで論破だとか、勝ったとか負けたとか言っていても平行線。
匿名でないきちんと学者の署名のある論文が、
親鸞の全部の著作を読んだうえで、親鸞の思想としているのが、
神祇崇拝。
あれだけ多くの学者や、あれだけの長い年月の間、
誰も反対の意見を言わない事実の前には、
こんなところで絡んでいる屁理屈は何の意味も持たない。
いいかげんにあきらめたらどうですか。
もう結論は出ています、あなたが知らないだけ。
親鸞聖人の思想は神祇崇拝です。そのことは確かで議論の争点にすらならないと思います。
絶対他力の信心を頂くわけですから、他の神を「信仰」するというのはありえます。
相反しないのですから
聖人以後、徹底していた親鸞聖人とは違って教団を守るために世間と妥協することを余儀なくされ、宗学において真俗二諦論が都合よく
展開されるようになりました。覚如上人や存覚上人は神祇信仰との妥協を最も推し進められました。
蓮如上人は多少異なり、急進化する一部門徒をおさえるために、神祇の排撃を慎めと述べられたのです。
しかし蓮如上人は同時に「一心に弥陀に帰命せよ」とも述べているわけで、
神祇を崇拝せよと述べているわけです。
この真俗二諦論は近代以後も利用されていくことになります。
要するに真宗門徒としては、罪悪深重であり煩悩具足の凡夫であるかぎり、
弥陀如来にすべてをたのむ他なく、他神拝むなどという真ねはどても及びのつかないものなのです。
神祇信仰を必要というのも、排撃の目的ではなく如来の願を信ずる者にとっては
弥陀一仏で十分なのであり、とても神祇信仰している余裕なども必要ということでしょう。
だから神祇を崇拝しない人は勝手にすればいいし、そういう人の信仰をも非難するつもりはない
ということです。そのような人はもはや真宗門徒ではないと言うしかありません。
真俗二諦論で行くならば、神道を王法と解して信仰ではない世俗道徳と位置づけるしか
ないでしょう。明治期の宗門はなんとかそういう理屈をたてて神社参拝と真宗の信心の
調和を図ったわけです。だから親鸞聖人が神祇不拝を容認していたとは断じて言えませんが、
それでも門徒でありながら神祇を不拝というのであるならば、この真俗二諦論を理屈として
神道を世俗道徳の範疇に限定してやるほかないというわけです。
ポイント
・親鸞聖人の思想はいわゆる神祇不拝であること。煩悩具足の凡夫である我々をも救ってくださるとの
願をおこした如来に一心一向に帰命するということであり、諸神に帰依する必要もあるということ。
諸々の雑行雑種を投げ捨てて、一心に弥陀一仏に帰依すること。
・教団成立以後、世間との妥協を余儀なくされ真俗二諦論が都合よく展開され、
神祇排撃というような急進的な門徒の行動を押えるためにも利用されたということ。
・明治期の宗学において、真宗の信心と矛盾せぬよう神道を非宗教とみなさず、
世俗道徳の一部と解する真俗二諦論が展開されたこと。
神祇不拝厨は粘着に出鱈目ばかり並べ立てているので、滑稽だったw
親鸞が神祇不拝だったという根拠がまだ全然でていないし、
出て来たとしても瞬殺されて論破されてしまっているw
>阿弥陀如来に帰依しないで神だけを信仰するなという意味ではないですよ。
なんて神祇不拝厨の日本語読解能力の稚拙なところがよくあらわれているw
神祇崇拝論者が、自分自身で論理的な文章が書けないから、
否定論のパロディーを繰り返すだけ。
よく、あんなヒマな事が出来るなあ。
そんなヒマとエネルギーがあるならちゃんと著作を読めばいいのに。
こういう鸚鵡返しでは議論でも何でもなく、
もう神祇崇拝派はネタも尽きたようですから、
むだなことはやめましょう、ヒマ人に付き合っているのは時間のむだです。
すでに学問の世界では結論の出ていることです。
540 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 12:20:22
まだおったんか。「学問」崇拝者。
既出だが親鸞の『現世利益和讃』に出てくる神々はどうなるん?
学者はここを触れたがらないんだけどね・・・
学者がそれは違うって論破した? そんな意見は聞いたことないな。
神祇不拝・崇拝・・・まあ、どっちでもいいやん。
そんなこと第三者から規定されたくはないな。コドモじゃないんだし。
視点を逆にして神々は念仏者を護っている、と親鸞は言ってるんだから、
ありがたいこっちゃないですか。何をカリカリしてるんだ?
神祇不拝論者であっても、神々はあなたを護っているというんだぞ。
どうだ、気持ち悪いだろう?何とかいってみろ。
弥陀一仏への信心あれば、その後のことは個人の領域。
なのに思想的に画一的に洗脳しようとしているのが今の真宗。
念仏全体主義だね。こわいこわい。
真宗者たちよ、親鸞、親鸞言わんと、阿弥陀如来と神の関係をインド的な
文脈をも含めて総合的に洗いなおしてみな。
ワシ、なんでユダヤ・イスラムのような一神教的思考回路が真宗内で醸成され
るのかが分からん。親鸞の教えって排他的である種、社会性がなかったんと違うか。
だから蓮如が出るまで廃れてたんだろう?なのにまだ信心の社会性っていって
親鸞思想とを結びつける・・・不思議な教団や。
541 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 14:09:37
ただの文句言いだったみたいね。
神祇不拝論者が、自分自身で論理的な文章が書けないから、
否定論のパロディーを繰り返すだけ。
よく、あんなヒマな事が出来るなあ。
そんなヒマとエネルギーがあるならちゃんと著作を読めばいいのに。
こういう鸚鵡返しされるほどの珍説では議論でも何でもなく、
もう神祇不拝派はネタも尽きたようですから、
むだなことはやめましょう、ヒマ人に付き合っているのは時間のむだです。
すでに学問の世界では結論の出ていることです。
544 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 17:53:53
>>543 昨夜からその繰り返し。よく飽きませんね。
>>544 誰からも賛同も得られず、
親鸞が神祇不拝だったという根拠も全く出せず、
脳内妄想で完結したレスばかりしてよく飽きないようですねw
再度確認しておきます。
「仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ」
「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、
天を拝することを得ざれ、鬼神をまつることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ」
「永く更へて、その余のもろもろの外道に帰依せざるなり」
「出家の人の法は、国王に向かって礼拝せず、父母に向かいて礼拝せず、六親に務へず、鬼神を礼せず」
「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」
(「教行信証」)
「仏に帰依せば」、「その余の諸天神に帰依せざれ」と言っているわけですから、
神祇を崇拝するなということになります。
「かなしきかなや道俗の、良時吉日えらばしめ、天神地祇をあがめつつ、卜占祭祀つとめとす」
「かなしきかなやこのごろの和国の道俗みなともに仏教の威儀をもととして天地の鬼神を尊敬す」
(「正像末和讃」)
これも天神地祇を崇めるなどの雑行雑種をいさめているわけです。
さらに神祇崇拝を主張している人が引用している
「天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり」
「信心の行者には天神地祇も敬伏し魔界外道も障碍することなし」
は神祇崇拝ではなく、むしろ逆を意味しています。念仏の人を守ると言っているわけですから
(これは比喩的表現だと思いますが)、念仏申しておけばいいわけであって、
別に神を拝む必要はないわけです。
後段は、天神地祇も敬伏している対象は「信心の行者」であるわけで、
逆ではないわけです。つまり「信心の行者」に天神地祇はひれ伏しているわけで、
ここから拝む必要性はでてきません。
他の神祇を拝するは、如来に信をおいていないということになります。
絶対他力の本願であるわけですから、他の神祇を拝せとなると如来の願に信を
おいているとは言えません。他もたよっているわけですから。
これは「たのむべきは弥陀一仏」ということに反します。
いずれにせよ弥陀一仏にたより、念仏申しておけばよいのです。
それ以外の雑行雑種は煩悩具足の凡夫の及びもつかぬことなのですから。
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/07(月) 20:00:55
再度妄想を訂正しておきますw
>「仏に帰依せば」、「その余の諸天神に帰依せざれ」と言っているわけですから、
神祇を崇拝するなということではなく、阿弥陀仏帰依した上でないと
神祇を崇拝してはいけないと言ってるだけです。
阿弥陀仏帰依した上で崇拝することです。
>これも天神地祇を崇めるなどの雑行雑種をいさめているわけです
これも阿弥陀仏に帰依しないで雑行雑種をしてることを批判しているだけです。
>念仏申しておけばいいわけであって、 別に神を拝む必要はないわけです。
念仏であろうが、祝詞であろうが神祇に感謝して拝む事と述べており、
神祇不拝を主張している人のトンデモな解釈とは逆です。
>つまり「信心の行者」に天神地祇はひれ伏しているわけで、 ここから拝む必要性はでてきません。
つまりひれ伏しているため、その感謝のために神祇を拝む必要性があると説いております。
他の神祇を拝するは、如来に信をおいた上でということになります。
絶対他力の本願であるわけですから、他の神祇を拝せとなるのは当然で不拝では如来の願に信を
おいているとは言えません。他からの御蔭に気づいてないわけですから。
いずれにせよ弥陀一仏にたより、念仏申して神祇なども拝むのが最上でよいのです。
それ以外の雑行雑種は煩悩具足の凡夫の及びもつかぬことなのですから。
仏に帰依せば、ついにまたその余の諸天神に帰依せざれ
ここからどうして阿弥陀如来に帰依した上で神祇を崇拝せよということになるのでしょうか?
阿弥陀如来に帰依すれば、他の神祇に帰依するな、とはっきり言っているではありませんか?
>>550 「その余の」という意味は「阿弥陀如来に帰依した上でない」という意味。
>>551 はあ?
どこにそんな意味があるのでしょうか?
勝手に解釈しないでくださいな。
素直に現代語に直してください。
どこにもあなたのいう意味は出てきませんよ。
なんだかあほらしくなりました。
>>552 はあ?
どこにそんな意味があるのでしょうか?
勝手に解釈しないでくださいな。
素直に現代語に直してください。
どこにもあなたのいう意味は出てきませんよ。
なんだかあほらしくなりました。
神祇不拝君は本当に日本語が理解できるかどうか疑わしい。
ところで、真宗十派で、規模の順で言うと、
西(本願寺派)
東(大谷派)
の次はどこになるの?
別に規模が大きいからいいということではないが、
規模の順からいうのどういう順になるのかな?
>>551 お茶吹いてもた!
おもろいな、おまえ。
>>557 日本語が理解できないから、
お茶吹いてしまうんだろうなw
559 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 11:42:07
>>556 高田派、興正派がこれに次ぐ勢力ですね。
560 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 12:24:02
90 名前: シルビア山本 投稿日: 2005/11/10(木) 11:52:53 ID:FPNMvKy6
『幸福の科学が、津波被災のスリランカに校舎建設を支援』
昨年末のスマトラ沖大地震による大津波で被害に遭ったスリランカのゴール郡では、海岸から100m以内に
ある学校のほとんどが被害に遭いました。校舎を失った生徒たちは、自宅待機や、お寺のお堂を借りて勉強した
りという状況です。被災地の学校関係者からは「子どもたちが安心して勉強できる校舎がほしい」という声があが
っていました。
現地の幸福の科学の信者と、日本在住のスリランカ人の信者の仲介で、本部のスタッフがスリランカを訪問。
このたび、スガサナンダ・マハー・ヴィダヤラヤ校(生徒数900人、13年制)の新校舎建設に幸福の科学が
支援を行なうことになりました。工事は3月着工、6カ月で完成する予定です。
同校のカルナシンゲ校長は、「これで多くの子どもたちが安心して授業を受けられます。ありがとう」と感謝。
現地の方たちも、「幸福の科学の皆様の善意で校舎新築にとり組んでいただき、とってもうれしいです。こちら
の子どもたちもすごく喜んでいます」と語っています。
561 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/10(木) 12:49:24
ムネオもいろいろ作ってたな、他人の金で。
>>562 そりゃそうだ。それが「仕事」なんだから。
564 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/11(金) 19:30:53
>>559 仏光寺派もお忘れなきよう。
勢力的にかなり離されてはいますが。
566 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/15(火) 14:06:25
>>564 ああ、あの破廉恥サイトが挙げられてたところね。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/16(水) 12:57:18
浄土真宗本願寺派……寺院数 10320
真宗大谷派……………寺院数 8694
真宗高田派……………寺院数 626
真宗興正派……………寺院数 483
真宗仏光寺派…………寺院数 371
真宗木辺派……………寺院数 208
真宗出雲路派…………寺院数 62
真宗誠照寺派…………寺院数 52
真宗三門徒派…………寺院数 40
真宗山元派……………寺院数 21
こんなのがありました。
ベスト10です。
569 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:07:54
>>568 といっても、大谷派は時代外れのマルキスト集団ですからね。
10年以内に教勢はガクンと落ちます。
今後は本願寺派の一人勝ちでしょう。
570 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/18(金) 21:45:26
中身は似たり寄ったりだが包み方が上手いんだよね。
中身よりもどこのデパートの包装紙かが問われるようなもの。
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/19(土) 13:15:08
>>570 成り立ちの違いは踏まえておかないといけないだろうよ。
浄土真宗的なお墓の建て方ってありますか?
親が墓を建てようとしてますが、後でこーすりゃ良かったあーすりゃ良かった
などとならないように、決まり事とかあれば教えてください
よろしくおねがいします
573 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/21(月) 00:41:17
574 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/22(火) 00:01:35
大谷本廟にあるお墓には「南無阿弥陀仏」と彫っている墓石よりも
「●●家之墓」と彫っている墓石の方が多いような気がしますw
>>574 真宗の場合は浄土往生して、墓に霊魂が眠っているとか、
お盆に霊魂が墓に帰ってくるとか説かないから、
お墓の石碑にあまりこだわることはない。
単に、お骨を埋めた場所の目印程度の役割ですね。
近年になって、石柱に手を合わすのは教義的におかしいから、
手を合わし礼拝する対象として墓に「南無阿弥陀仏」と
記すことを勧めるようになった。
昔からの古い墓は「○○家」が多い。
「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」と記すことは理想で、
真宗的には正しい墓で勧められるが、
あまり「正しい墓」の形にこだわりすぎることもない。
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 13:18:11
>>575 いざとなれば、墓前に小さな阿弥陀如来像(あるいは三つ折本尊)を置いて
お勤めすれば解決。
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/23(水) 22:42:24
>>576 墓参に持って行かないでしょ、そんなモン。
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/25(金) 15:47:28
>>577 仏壇には小さい仏像、外では三つ折の絵像ですよ。
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 17:16:10
580 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 17:50:11
お墓参りで真宗宗歌や恩徳讃を歌う人いてはりますか?
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 18:26:35
先月92歳で亡くなった私の祖母は、京女の卒業生で、京女で恩徳讃を
習ったといってました。
582 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 18:33:01
92歳の方が習われた曲だと沢康雄氏作曲の恩徳讃ですね。
私個人的には清水修氏作曲の恩徳讃のメロディーが好きですね。
>>581 京女の卒業生はみんな恩徳讃歌えますね。
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 19:51:53
恩徳讃もいろんなメロディーがあるのですね。勉強になりました。
余談ですが、大学の評価も、その大学次第で徐々に変わってくるものだという
ことを龍谷大学は実証しましたね。龍谷大学はいまや関西の私学を代表する素
晴らしい大学に成長しました。ところが、祖母が京女にいた当時は、龍谷の評
価は悲惨なものだったようで、京女の女の子からは、はっきりいって「寺のドラ
息子や勉強嫌いの落第坊主がいく学校」とみなされていたようで、京女の女の子
は皆さん、旧制三校や京都帝大の学生にあこがれていたようです。これは笑い話
ですが、実際、亡くなった祖母の孫娘(私のいとこ)が龍谷を受験することを知
った祖母は、(昔の龍谷のイメージだけをもっていたようで)ショックを受けて
落ち込んでしまい、少し体調をくずしたりしていました。
>旧制三校や京都帝大の学生にあこがれていたようです。
あこがれちゃいないだろうけど、
今でも、京女の子は、
東大路を下ることはなく、上るだろ、やっぱり。
遊ぶなら立命、彼氏にするなら同志社、結婚するなら京大
だっけ?
物好きでもない限り、龍大生なんて相手にしない。
ま、今は龍谷にも女の子多いようだけど、
瀬田に行っちゃってるからなぁw
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/26(土) 21:33:15
>>585 >物好きでもない限り、龍大生なんて相手にしない。
関西じゃどうか知らんけど、関東じゃ「はあ?どこのイモ大学だ?」という扱いだし。
>>586 そうですね。
関西では、関東の大学は、
東大と早慶以外はイモ大学扱いですからね。
588 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 10:31:47
11 名前: マキシマス藤井 投稿日: 2005/11/27(日) 09:41:53 ID:GtYTEBwU
【2006年7月7日、「ネパール釈尊館」が落慶!!】
−愛知万博の「ネパール寺院」が総本山・正心館境内に移築されます。−
この度、幸福の科学は、2005年愛知万博「愛・地球博」に出展された「ネパール寺院」
を譲り受けました。本寺院は、文化遺産であるネパール最古の寺院、「ハラティ・マタ寺院」
を復元した建造物で、約200人のネパールの職人の手によって、1年以上かけて造られた
ものです。
今後は、栃木県宇都宮市にある総本山・正心館の境内地に「ネパール釈尊館」を建立し、そ
の中に「ネパール寺院」を、須弥壇として移築します。「ネパール釈尊館」の落慶は、幸福の科
学立宗20周年、日本・ネパール国交樹立50周年に合わせ、2006年7月7日に行なう
予定です。落慶後は、どなたでも参拝、見学できる施設として、一般公開されます。
(愛知万博ネパール館マーケティングディレクター・サンブ・ラル・ジョンさん)
私たちは、「ネパール寺院」の引き受け先として、ネパール仏教への理解が深く、社会的に
も信頼のおける団体を探してきました。複数の団体と交渉を進める中で、仏教的精神を大切
にし、熱心に布教している幸福の科学に出会えたことは、ネパール国民にとって、大変喜ば
しいことでした。
本寺院は、ネパールの職人が命をかけて造りました。このような仕事に携われることを、
仏教徒としての栄誉と思い、雨の日も雪の日も、職人たちは一日も休まずに作業に取り組ん
できました。すべて、釈尊への純粋な信仰があってのことです。
今後は、本寺院を宇都宮に移築しますが、地元の方だけでなく、日本全国の皆様にも足を
運んでいただき、仏教文化の素晴らしさに触れていただきたいと思っています。
>>588 > 私たちは、「ネパール寺院」の引き受け先として、ネパール仏教への理解が深く、社会的に
> も信頼のおける団体を探してきました。複数の団体と交渉を進める中で、仏教的精神を大切
> にし、熱心に布教している幸福の科学に出会えたことは、ネパール国民にとって、大変喜ば
> しいことでした。
「一番高く買ってくれるところが見つかって喜ばしい」と本音は言えないね。
>>589 日本の仏教各宗派で、ネパール寺院を買うとことはないな。
テーマパークに売るのも困るし、宗教界のテーマパーク、幸福の科学ならぴったりか。
591 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/27(日) 18:35:42
>>591 こだわりますね関東人
と言っても、東北あたりの田舎の出身なんでしょうね。
593 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 03:31:05
594 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 21:03:54
京女は
北陸の田舎者が多かったなぁ
合ハイ、合コンよくしたけど
肥えのにおいがしたよ
同じ穴のムジナの龍大出身の若院より
595 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 23:27:20
幸福の科学の精神は
親鸞聖人に通じるものがあります。
596 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 23:31:54
阿弥陀仏のことががよくわからないです。
信じればどんなことをしても助けてくれるってホントですか?
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 23:35:11
だれも信じることはできません
だって、ご利益がないんだから
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 00:04:22
阿弥陀如来は個人のエゴイズムを叶えてもらう為に拝むものではありません
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 00:07:59
南御堂の本堂でお爺さんが合掌しながら真宗宗歌を唱和していた。音はずしまくりだったw
>>595 親鸞さんの仏教は幸福を扱わないし科学でもありません。
>>596 ホントかどうか誰も知りません。
>>597 念仏してると、現世利益のある宗教のほうが嘘だと思えてきます。
601 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 00:27:48
荒らし君にまともに返答する必要はありませんよ。
無視が一番です。
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 00:31:53
604 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 22:29:13
>>598 そういわれてみればそうかもしれないのー
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/29(火) 22:33:47
>>598 我欲は「それは我欲です」と言っておかないとね。
606 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/30(水) 20:48:34
救われようと阿弥陀さまにすがるのもエゴですよね
>>606 阿弥陀さんから見た場合に「救われなければならない人」であることを
自覚するかどうか。
それをエゴというならば、人間が生きること自体、全てはエゴ。
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 10:49:40
阿弥陀さんが決めるの?
すべての人じゃないの?
>>608 救われなければならない人==あらゆる衆生
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 12:17:04
お西の門徒の奴に金を貸したまま蒸発された。
こいつが救われると思うと納得いかんわ。
611 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 12:20:25
>>610 懺悔回心しなければ、自覚されるところの救いにはならないよ。
方便を方便として解釈したまま終わる。
それでも大悲の内にあることには変わりないが。
612 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 18:42:02
>>611 何を自覚するの
今の行動や言動なの?
過去の行動や言動なの?
未来も持ちつづけるであろう行動や言動なの?
自覚を持つのは
ある一瞬でいいの?
生涯ずっとなの?
何時でも忘れたらダメなの?
613 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 19:31:38
>>612 己が罪深き身であるということだろうに。
すなわち、人間業(我欲)じゃ決して救われないということ。
しかし、浄土の救いに出遇っても、人間なるものはいつでも退転の危機がつきまとう。
退転していく自分に気が付いたら、いつでも懺悔回心した自分自身に戻ればいい。
懺悔回心というのはそれくらい強烈な出来事だよ。
如来の前に自分自身が翻るような出来事だから。
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 20:36:46
後向きですね。
学校の成績では、「努力させたい」が付きますね。
「病は気から」
こんなんじゃ、いざ病気になったとき立ち直れないね。
それで解決できないから、
占いやものみに頼る人は、ひょっとしたら
こういう教えを聞いている人に多いんじゃないの。
616 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 20:55:46
>>614 君は自分がどの向きに進んでいるのか分かるわけね、素晴らしい。
自分が「前」だと思っていることが本当に「前」なのか、なんて人間には分からないと
思うけどね。
どうせ最初からそういう方向に話を持って行きたい人間なんだろうとは思っていたけど。
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 21:16:20
お褒めの言葉
あり難いね
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/01(木) 22:55:24
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/04(日) 19:05:29
>>616 そこを突くのが仏教なんじゃないですか?
違います?
620 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/05(月) 20:48:37
それよりか、サンスクリット原典およびチベット語訳などを使って読書会なんかしません?
さしずめメジャーで大乗仏教理解の大前提になる
NagarjunaのMulamadhyamakakarikaを原典に忠実に読んでいきましょうか?
あるいはその注釈書としても名高い(これも大前提になりましょうが)
CandrakīrtiによるPrasannapadāでもいいと思います。既に読了済みかもしれませんが、再読してみる
のもいいかと思います。どうでしょうか?
スレを間違えたようです。まあ同じ真宗なのでここでもいいかもしれませんが。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/05(月) 22:26:49
>>622 はあ?
同じ真宗って・・・ここは総合だから本来はここがベストなんじゃないのか?
>>568 お東から分派した東本願寺派は寺院数どれくらいなの?
625 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/07(水) 00:27:08
626 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/08(木) 14:14:03
>>625 それも退潮傾向にあるらしい。
浅草の報恩講も参詣者が年々減っているようだし。
宗派の勢いはどんどん衰えていくようですが、
さりとて、末寺としては大谷派の現状を見れば喜んで戻る気にもなれない。
今さら西に変わるのもいろいろと大変だし・・・
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/08(木) 22:37:59
>>627 宗派と言ってもそもそも包括・被包括関係にあるわけではないしね。
まあ、そうしないと再び変な人たちに乗っ取られそうになったり、追放されたり・・・なんて
ことになる恐れがあるし。
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/09(金) 18:55:46
>>628 法中の財布からカネが抜き取られるそうでw
物騒な世の中になりましたね。
結局、本願寺絡みのネタばかり。
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/10(土) 14:54:44
>>630 だって圧倒的な1、2だからね。
三番手の高田派ですら、二番手の大谷派の10分の1以下の勢力しかない。
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/11(日) 23:17:53
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 00:55:59
おまえら、いい加減にしろ。恥を知れ
634 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 01:09:53
635 :
六道依存症:2005/12/12(月) 19:33:47
ヤッホーパソコン買いたて、ど素人でどす。僕も一言「はぁああん!!?」
636 :
六道依存症:2005/12/12(月) 19:35:31
誰か居ないの?話しようぜ〜
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 21:14:55
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/12(月) 21:41:27
みんなが心の中でひそかに思っているけど、言ってしまえば波風が立つのでだまって
いること、それは「浄土真宗であえてひとつ総本山を決めるとしたらそれは西本願寺
になる」といことである。みんな大人だから言わないだけ。
某末寺です。隣村のお寺さんが、
先々●代御門守様の御妾さんの血筋なので、勝手に自分とこの下っ端扱いされて困ってます。
歴史だけは、ウチの方が古いんですけどね…。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/13(火) 03:54:55
浄土真宗遣迎院派について知ってる方いらっしゃいますか?
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/13(火) 16:44:56
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/14(水) 00:49:33
>>640 昔はそういうことに大らか?だったからね。
親類でも奥さんに子供が出来ず、お妾さんの子供に後を継がせたケースはけっこうあったらしい。
644 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/14(水) 22:56:50
645 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/14(水) 23:03:51
>>629 住職が知らんふりしたため、法中が被害届け提出、報恩講中に警官が来て
事情聴取。住職は犯人の心あたりがあるらしい。
しかし相変わらずその被疑者を続けて法要に呼んでいるため、
他の法中が行かなくなったらしい。浄土真宗東本願寺派の話です。
出仕してるじゃん。
>>641 あれって親鸞に関係あるんか?天台宗の一派だと聞いたが。
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 17:55:11
あのう、水平社運動および同和運動ってどうして真宗興正派の門徒はしていないのですか?うちはヒニンらしいのですがもぅすっかり風化していて自分が被差別民だとは知りませんでしたし、周囲の門徒衆も運動してないし風化してるみたいよ?
650 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 18:34:24
なんでわかったかというと集団ストーカーに遭ったからです。
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 23:27:58
そういう活動を専門にしている利権団体に相談したら?
ちょっとばかり焼きを入れてもらえば、興正派も動き出すはず。
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/15(木) 23:31:05
いやー水平社運動はなぜ東西本願寺派のみの運動なのかなと思ってw
653 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 06:10:31
本願寺が軍部と関係あるから?
654 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 14:49:15
655 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 17:10:30
>>654 どこかのスレにあったけど、讃衆の給与は安いらしい。
なにせ休暇を取って浄苑でバイトしているらしいから。
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 17:11:53
>>655 東本願寺派って半数は優良寺院(大坊)ってイメージだけどなぁ。
657 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:24:58
>>656 確かに、御大坊が多いよね。しかし小さいところもある。
職員も御大坊の若院とかだと自坊からの仕送りがあったりするが、
小寺院とか在家出身だとつらい。
658 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:28:20
>>657 比較的歴史が浅い寺院の場合、本当は大谷派に入りたいのに組制に阻まれ、仕方なく
東本願寺派にいるという寺院もあるでしょうな。
659 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:30:48
ここに来ている人は寺の人が多いのか、ただの宗教オタクが多いのかどっちだ?
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 19:32:30
662 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 20:00:16
>>658 長浜教区の寺院は別院住職の離脱宣言に呼応して離脱したからね。
必ずしも御大坊とは限らないんじゃないか。
663 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/16(金) 20:04:38
だけど窃盗は許されないだろう。
御大坊なら表沙汰になる前に手を打つわな。
警察に被害届けを出されて、法要期間中に警察にこられて、
門徒にも知られて、法中も来なくなる。
この住職さんは何ゆえ犯人を庇うのか?
>>658 そんな寺院いないと思うが・・・・
東本願寺派入って周りの大谷派寺院に敵視されるぐらいなら単立のまま
の方が都合がいいんじゃないか?東本願寺派も実質単立寺院の集まり
だから入ってもメリット少ないし(そのかわりデメリットも無いが)。
二年ほど前でも大谷派から出て東本願寺派へ走った寺院がいたと聞くが、
反面大谷派へ戻る寺院もいると聞く。結構入れ替わり激しいんだろうか?
>>663 犯人が寺族の誰かだとかかねぇ?
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 04:32:45
>>662 長浜界隈の寺院はちっちゃいところが多いからね。集落に1軒ペースみたいな。
で、その宣言にどれだけの寺院が応えたのよ?
666 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 04:36:25
>>664 新寺院にとっては高いハードルみたいよ。
組に入れてもらえず、開教者会にしか入れない寺院もけっこうあるらしいし。
>>666 そういやオレの知り合いの寺の年配の住職はそういう新寺院を
「ありゃあ寺じゃねえ」と言って見下してたな・・・・
そんな考えのヤツらが少なくないのも原因かもね。
668 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 05:07:14
>>667 商売敵でもあるからな。
そりゃ、排除したい気持ちも分からんでもない。
669 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 13:54:36
>>665 長浜教区の離脱は十件強かな、大して影響はない。
>>664 寺族は考えにくいのだが、住職の態度からそうなのかも知れないな。
670 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 15:27:10
>>668 変なの入ってきて欲しくないんでしょ。大谷派だけに。
671 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 17:33:09
>>670 開教所を作ろうとする香具師(特に在家出身)というのは、専修学院あたりで感化されて
最初から「宗教外活動」に燃えてるのが多いからね。
そんなのを組内に入れたら、ろくなことがないと思う住職がいるのもやむを得まい。
672 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 17:59:08
既得権を守りたいだけ。
新規参入の燃えてる人が入ってくると、自分やバカ息子の
領域が侵されるんで嫌なんだろう。
673 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 18:06:23
>>672 同じ立場になったら分かるんじゃないかな。
原理主義振りかざして、近隣を荒らし回る輩がやってきたら「はいどうぞ」とは言わんでしょ。
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 18:09:13
そりゃそうだ。
近所に同業者が店を構えるとしたら、そりゃ妨害するだろうに。
その妨害を乗り越えなけりゃ新規参入なんてあり得ねえっての。
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 18:51:57
ナベツネに気に入られた人しか球団オーナーになれないのと同じか。
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 19:19:11
>>675 実際にはそういうことですね。合議制ではありますが、必ず「うるさ型」がいるわけです。
何様のつもりで威張ってるのか知りませんが。
677 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:07:52
>>676 大坊は威張るね。
ほら、周りに仕事出してるからさ。
678 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:26:41
念仏唱えたら極楽にいくの?
679 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:30:59
>>678 自分自身がどこまでも阿弥陀仏の本願大悲の内にあることに
目を見開かされるということです。
極楽に行くか否かは阿弥陀仏の御はからいですよ。
しかし、本願大悲の上を歩んでいく、そういう生き方がそこにあると。
680 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:50:10
うちは代々西本願寺なのだが。
キリスト教に興味があって教会などに行ってみたいのだが
行っていいのだろうか?
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:52:04
>>680 行けばいいんじゃない?
で、この世は神が創造した、だの何だのとやっていて下さい。
682 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/17(土) 23:55:31
なるほど足を運ぶ事じたいが仏の導きと同じで
神の導きか。
683 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/18(日) 00:02:24
>>683 「あれは戦争神社だ!」と他人の信仰の自由は認めない真宗禿。
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 16:08:07
そこで本物の真宗・浄土真宗親鸞会ですよ。
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 16:23:40
>>686 では、それがいかに「本物」なのかを説明してチョ。
689 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 17:06:14
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 17:15:34
>>680 行くだけならいいと思う。
でもお祈りするのはどうかと;
自分子供の頃、流されて神社に初詣に行ったとき、つい手を合わせて拝んでしまった
後になって思えばあれはやばかったのじゃないかと
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:19:46
そんな考えこそがやばい
693 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:27:21
>>691 真宗的にはやばいというより、必要がないんじゃないの?
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:28:28
教科書どおりにしか物事を考えられないバカの典型
695 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:31:12
696 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:32:09
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:37:54
俺はもう開き直って何でも拝んでるけどな
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:40:26
家の中に仏壇と神棚の両方置いて、クリスマスツリーまで置く。
正月になると玄関には門松。こんな奴ばかりさ
ハロインにはでっかいカボチャも置きまつ。
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 21:44:49
もう宗教行事って意識ないね。ただの祭り感覚になってるな。
701 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 22:39:23
大谷派は過去帳に西暦を使用するくらいだからイエス様生誕記念の法要はやるんだよな?
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 22:49:01
>>701 そこは宗教とは無関係の政治結社だから・・・
703 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 23:46:10
>>701 西暦使ってるのは大谷派だけ?
他は大丈夫なんだろうな?
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/23(金) 23:47:24
メリィイイ ックリスッ マァアアス!!!!
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 00:51:19
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 02:46:00
>>699 それを言うなら ハロウィーン(Halloween) でしょうが。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 14:58:08
メリークリトリス
708 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 15:00:00
709 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 17:35:34
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 04:18:15
しかし、ここが機能?するようになって「ダメ」スレが廃れ始めたような。
もう「みつを」くらいしかやることないようだしな。
711 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 09:25:35
あんたをふくめてみんなヒマなんだよ
だってぼうずだもの
みつを
712 :
エロリスト ◆4h5j7gXV12 :2005/12/25(日) 16:52:45
さて、草むしりやって障子張り替えるか。
>>711 今度はこっちかい?
何ならダメスレをこちらに統合するかい?
ま、やらんだろうが。
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 18:37:09
>>713 ここが完全なる浄土真宗系全宗派を総合するサロンになるのであれば、
可能性もないわけではないね。
テンプレート次第じゃないかな。
>>714 ありゃ単なるガス抜きスレだろ?放置しておけばいい。
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/25(日) 20:08:19
>>714 このスレタイだけは何とかしたいものだな。
>>716 確かに「全22派 連合総合スレッド」というのはなぁ・・・。
「連合」って労働組合じゃないんだから。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 01:35:39
総合があってアンチ系もある・・・それって総合と言えるのか?
719 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 11:55:52
真宗の坊さんって、修行しないんでしょ?
暇な時って何してるの?(2ch以外で)
720 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 11:57:57
つーか、修行もしてない奴に布施をする門徒って・・・いったい・・・。
721 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 13:03:28
坊ちゃん、修行不要で、女抱いて布施ぶったくるのが真宗よ。
坊主になるなら真宗で決まり。
722 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 14:38:45
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 18:02:58
724 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/26(月) 18:04:21
せしうはげ
ふせとしょうする
ぜにもうけ
>>721 その代わり、他宗に比べたら何事も相場より低め。
それでいいならどうぞ。
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 10:11:05
修行もしてないのに、平気で布施を受け取る坊主って・・・いったい・・・。
阿弥陀仏は好きだったけど、真宗の坊主見てたら、正直嫌いになりました。
728 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 10:20:53
真宗って安いか〜?
永代経なんかの値段表見ると結構高いぞ!
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 12:44:56
修行しないのが真宗。
ぼったくるのが真宗。
ただし西は東よりかはるかにまともだから安心しな!
730 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 13:02:33
731 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 13:54:47
すべて
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 13:59:26
本願寺派 宗教団体
大谷派 政治結社
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 15:34:15
>>732 しょ〜がないですよ。
今時、世界同時革命を狂信しているのは大谷派くらいでしょうし。
734 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 15:39:57
735 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 15:41:55
>>734 内輪でやってるところ。
世間様へのアピール度が低い分、社会的な影響力がまるで無いですから。
736 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/27(火) 16:08:06
で大谷派は拉致問題をいまだ多くを語らない。(藁)
737 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 16:08:57
>>736 未だにでっち上げ発言している人もいますから・・・ww
738 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 16:20:28
739 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/27(火) 21:55:22
>>737 ジェンキンスさんが帰国してもまだブチブチ言うとったもんな。
お西は法名から「尼」の字を取り除いたのがひっかかるんだよなぁ。
葬儀時の正信偈和讃でも「真実信心うるひとは・・・」を使わなく
なったと言うし(「変成男子」の文句があるからだとか)。
変にフェミっぽくなってるというか。
もちろん大谷派よりずいぶんマシというのは同意だが(w
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 17:22:51
>>740 変成男子の願文をきちんと解釈すればいいのに。。。
>>741 きちんと理解できずに文句言う女性活動家が多いからな。
変に誤解されるくらいなら使わない(ただし禁止じゃない)ようだ。
743 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 18:14:01
>>742 法身に男も女もあるか!ってね。
そこを潜ってしまえば、男の姿を取るとか、女の姿を取らないとかゴチャゴチャ抜かしていること自体が
レベルの低い話っちゅうかさぁ。
手前でグズグズ抜かすような議論がいかに意味の無いものであるか、単なる時間潰しにしかならないような
ものであるかを知るべきだろう。
744 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 18:30:59
>>743 何でも問題にしなけりゃ気が済まないんだろ?w
745 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 21:48:43
そもそもは法華経の提婆達多品の文言ですわね。
男尊女卑の思想を背景に、女性は成仏するのが難しいという思想が定着しつつあったので
大乗仏教ではそれを否定しようとしたわけでしょう。
でも、それは男子になって成仏するのではなく、成仏した身を男子の姿で表す、というのが
基本的な在り方だと思うが。
釈尊入滅後のインドには男尊女卑の思想があったこと、それ自体は否定できない。
そして、そこに「女性は成仏できない」とする教団が存在するようになったことも事実。
それらを背景にして法華経が見出されてくる。
しかし、基本は来世成仏であって、それは日本においても道元が「今世で成仏する」と名言しなければ
そのまま来世成仏観になっていたかも知れない。
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 22:00:19
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 22:07:18
『提婆達多品』には「女身垢穢 非是法器」とあるな。
でもって「又女人身 猶有五障 一者不得 作梵天王 二者帝釋 三者魔王 四者轉輪聖王
五者佛身 云何女身 速得成佛」とまで言う。
「女身は穢れていて、佛の教えを受けるに足らない者である」
「また、女身には5つの障りがある。1つには梵天王、2つには帝釋、3つには魔王、4つには
轉輪聖王、5つには佛身、これらになることはできない。女身がどうして速やかに成佛できる
というのか」とある。
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 22:09:53
>>748に「三従」が加わり、幼児の時は親に、結婚すれば夫に、年老いたら子に従えと。
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 22:17:57
>>747 「無量寿経」の場合、第18願で「あらゆる衆生は心から本願を信じ、十念すれば浄土に往生できる」と
言うよね。(かなり意訳してるけど)
衆生という言葉には当然、男性も女性も含まれているので差別性はない。
問題の第三十五願については、女性差別の激しかった時世に女性の疑惑を除き、阿弥陀如来の大悲
を強調するために、第十八願の別益という形で「女人往生の願文」を加えたと解釈されているところが
あるよね。
751 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 22:44:41
752 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 23:06:42
753 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 23:13:09
何このスレ・・・・・・・?
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
______ /U ヽ___/ ヽ
| ____ / U :::::::::::U:\
| | // ___ \ ::::::::::::::|
| | | | | U :::::::::::::|
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└___/ ̄ ̄ :::::::::::::::::::::::::|
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754 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/28(水) 23:58:09
「設我得仏 十方無量不可思議 諸仏世界 其有女人 聞我名字 歓喜信楽 発菩提心
圧悪女身 寿終之後 復為女像者 不取正覚」
これねぇ・・・やっぱ問題ないか?
「圧悪女身 寿終之後 復為女像者」の解釈は微妙だぜ。
無量寿経の第35願
設我得仏 十方無量不可思議諸仏世界 其有女人 聞我名字歓喜信楽発菩提心 厭悪女身
寿終之後復為女像者不取正覚
たとひわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人ありて、
わが名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。
寿終りてののちに、また女像とならば、正覚を取らじ。
ここの文字だけを問題にするのか、
経典の成立や当時のインドの社会、歴史など文脈のなかで理解するのか。
そのあたりの問題。
756 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:11:46
>>748 これはやはり成立過程における女性蔑視(五障三従)を無視することはできない、
という問題を含んでますよね。
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:13:26
>>755 実際のフェミ住職、ジェンダー坊守はその部分だけを取り上げているのが実情。
758 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:14:41
「女性が女身であることに圧悪心を抱き、寿を終えての後、女性の姿をとらない」
じゃあ、どの姿をとるんだ?男性?
女身のままでの女人往生ではないことではなく、女身であることを憎しみ、厭うような境界を超える、
という部分が重要なんじゃないの?
社会的背景は確かにあるけど、それすら超えるということじゃないの?
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:18:55
>>757 これを現代のフェミ住職とジェンダー坊守が問題にしてるのは、現代の女性差別に引っ掛けた
ものでしょ?
その女性が「圧悪心を抱き、寿を終えての後、女性の姿をとらない」となったら、やっぱりこれは
女性差別だ!と言い出しますよ。
圧悪心を抱かずに済む日本を作れ!と。
ま、不勉強で頭が悪い証拠ですけど。
760 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:22:47
>>759 差別事件を見つけるのが趣味なんだからしょうがないじゃんww
釈尊も差別主義者だった!とやりたいんじゃね?ww
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:38:43
,.-‐v――.、
/ ! \
/ ,イ ヽ
/ _,,,ノ !)ノリハ i
i jr三ミ__r;三ミ_ ヽ
l ,iヾ二ノ ヽ二 ハ ノ
ヽ、.l ,.r、_,っ、 !_,
! rrrrrrrァi! L. 無量寿経は女を差別してるからダメなのよ!
ゝ、^'ー=~''"' ;,∧入
,r‐‐'"/ >、__,r‐ツ./ ヽ_
/ / i" i, ..: / / ヽ-、
./ ヽ> l / i \
763 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 00:48:44
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: <<ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ,,从,ノ《《ミ 彡ミ彡)ミ彡
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 人ノ" ⌒ヽ ミ彡ミ)ミ彡ミ
::::::::::∧_∧:::::::::::::::::::::::::::::::::::::: ,,..;;〜”゛ ) 从 彡ミ彡ミ彡
::::::::(:::∀・ )::::::::::::::/ ̄ ̄ヽ_,,..、;;:〜-;”゛″⌒" 彡 ,, ⌒ヽ ミ"
::::::::::::::i:: i⌒\__ノ ノ::::";" ゛″ ,,,,,,,ミ彡)ミ彡
:::::::::::::::ヽヽ ヽ / / `"⌒`゛”〜-_、;;;,_ ) 彡,,ノ彡,,〜"
::::::::::::::::::)):: )-─/:: /:::::::::::::::::::::::::::::: ⌒`゛゛″〜-;;; ,,. ∧∧β ;;;;彡゛⌒"〜ミ
:::::::::::::::://:: /:::::://:: /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: `⌒";;,Д゙メ,;ノ ""
::::::::::::::((::_ノ:::::://::: /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ ⊂::)::
>>762 ::::::::::::::::::::::::::::://:: ノ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ノ ::|::::::::::::
うるせ〜ヴォケ!!!!
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:03:02
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:09:01
767 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:11:19
平川彰センセなどは
「変成男子説は『無量寿経』だけではなく、非常に多くの大乗経典に現れており、当時重要視されていた。
これはいかにも女性を差別した思想の如くであるが、必ずしもそうではない。仏陀になったのは釈尊のみ
であり、女性で仏陀になった人は無かったのである。女性で阿羅漢になった人はあった。そのために女性
は阿羅漢になるために、変成男子を説く必要はなかったのである」
と仰ってますね。
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:17:03
差別的意図が無かったにしても、喩えが良くないんだよな。
一度、男性を通過させる必要性という意味でね。
769 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:25:02
>>767 差別性が無かったと言えば嘘になるでしょ、変成男子とあるのだから。
770 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:27:14
法華経は竜女の変成を「心の変化」と考える人もいる。
身体的な変化ではなく、「女性は仏になれない」というヒンズーの社会通念に対する「心の変化」
を意味すると。
悟りは社会通念やそこから生れる偏見や卑下の心のままではあり得ない。そこで、女性である、
というだけで自らを抑圧するような心が変化していく様子を、身体的変化で表したという解釈なの
だが・・・。
771 :
770:2005/12/29(木) 01:28:22
>>770 失礼、「法華経の竜女・・・」が正しい。
772 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:37:06
>>770 長老シャーリプトラの眼前で、彼女の女性の性器が消えて男子の性器が生じた、
という話だろ?
何か凄いな(w
で、南方のヴィマラー世界で七宝の菩提樹の根元に坐して、悟りを開いて仏となり、
三十二種の吉相と八十種の福相を具して、光明で十方を照らして教えを説いている
姿が見えた、と。
な〜んか『法華経』ってのは、物語タッチが強すぎていかんな。
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:44:56
>>772 「忽然之間 變成男子」の箇所でしょ?一瞬のうちに男子に成って
等正覚を得たって話。
但し、成仏の本質は女人に即しての成仏、即ち女人即成と見るの
であって、男子に生れ変って成仏するとは見ない、のだそうな。
774 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 01:48:58
>>772 つーことはオマ○コ丸見えだったわけか?w
あ、あんたら「無量寿経」でしょうに。。。
776 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 04:39:50
法華経は純文学ではなくカストリ小説ですから・・・
777 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 05:27:19
777げっと〜!☆
778 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 08:03:51
>>767 『勧持品』では釈尊の叔母・曇弥、妻・耶輸陀羅に未来成仏を授記し、眷属六千の
比丘尼にも授記してるんだよなぁ。
これを以て真の女人成仏だとしている説もあるようで。
779 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 10:46:50
ここから始まったのか・・・。
740 :名無しさん@京都板じゃないよ :2005/12/28(水) 17:18:28
お西は法名から「尼」の字を取り除いたのがひっかかるんだよなぁ。
葬儀時の正信偈和讃でも「真実信心うるひとは・・・」を使わなく
なったと言うし(「変成男子」の文句があるからだとか)。
変にフェミっぽくなってるというか。
もちろん大谷派よりずいぶんマシというのは同意だが(w
780 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 11:45:29
>>779 というか・・・東の人間の間でも一部に倦怠感が広がってるけどね。
781 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/29(木) 12:29:01
漢訳しかない浄土三部経を奉じる連中がよく言うワイ。(藁)
>>781 漢訳しか見つかっていないのは観経だけで、無量寿経と阿弥陀経はインドにあります。
日蓮は、他の宗派をそしるために、善導自殺説とか事実でない変なことに執着しますね。
783 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/29(木) 13:18:56
>>782 あった、って工作したんじゃない?
50年ぐらい前に浄土系の坊さんがインドにいって埋めてきて、
最近掘り返してきて”あったぞ〜”と騒ぐパターンとか。
タイによくあるでしょ。ガイドがここを掘ってみて、と観光客を
連れて行き、二束三文の仏像を高く売る商売。
あれと同じようなことしてない?(藁)
785 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 20:12:46
>>784 ですね。
あまりのバカさ加減に何か開いた口が塞がらないんですが。
786 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 21:16:32
石器を埋めたオッサン、いましたなあ。
フジムラさんでしたっけ?
お経埋めるのとと、とっちがムズでっしゃろ?
787 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 21:22:17
所詮カストリ小説の読者だから。
788 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/29(木) 21:23:23
いや浄土系は信用しないワケじゃあねえが、そのくらいはやりかねんからな。
>>788 そういうことをするのはむしろ日蓮系だろ
病気が治るとか奇跡をでっち上げるのが好きだからな
真宗系は、そんな奇跡を教えの真実性の根拠にはしないからな
浄土宗は結構あやしいこともするが・・・
>>788 天台智ギの五時八教なんて、まさかまだ信じているんじゃないだろうね
791 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 23:11:21
>>790 五時八教は最初から結論ありきのでっち上げですね。
>>791 しかし創価あたりじゃ、法華経のみが正しいという根拠になっている
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/29(木) 23:49:15
794 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/30(金) 00:36:47
>>789 そうかね〜。インドに元経典がない宗派ならやりかねんだろう?
日蓮系は実際インドに根ついているし法華経のサンスクリットもあるから
インドでの布教の主体は日蓮系だよなー。今では。
>>791 五時八教は日蓮宗あたりは大乗非佛説を取り入れ始めているから、最近
これ言わなくなっているけど、正宗系(つまり学会も)は馬鹿だから
いまだに言ってるよなー。
連中の馬鹿頭をバンバン殴ってやってください。(笑)
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 08:04:36
低いな
あの程度の知識でどうどうと書き込みするんだから
ちょっと情けないな
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 10:58:03
798 :
源氏波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆xd7mxrd9Z6 :2005/12/30(金) 11:01:04
ま、真宗系の人に何を言っても反発されるだけだからね。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 11:01:40
800 :
平家@妖輝緋@月納言咒儼本庁管長 ◆Tyn2tfw0AU :2005/12/30(金) 11:03:54
800げっとぉ!
>>797 だから日蓮宗の信者で病気で死ぬ人は一人もいない。
死ぬ場合は信心不足。
802 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 12:32:16
>>801 日蓮宗って凄いなぁ・・・。
でも、カッパハゲは治らないんでしょ?
803 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 12:39:39
信心で糖尿治してみぃ!!
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 12:40:49
>>802 それは信心が足らないからじゃないですか?w
805 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 12:56:39
806 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 13:05:42
真宗でも除夜の鐘撞くのか?
807 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 13:14:13
ここにも日蓮系の変な人が入り込んできていますね。
ま、どうでもいいんですけど。いずれにせよ、ワンパターンの言い草は
おやめになった方がいいと思います。
仲良くすればよろしいのでは?
808 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 13:16:27
波木井さんは他スレで正宗系とやるときはさすがに舌鋒鋭いのですが、
いかせんちょっと仏教学の知見に関しては?がつくのが残念です。
809 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 13:17:19
810 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 13:37:40
>>769 仏陀は釈尊ひとり。但し、女性の阿羅漢はいた、と。そこが重要なこと。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 17:18:28
お、ここは被害ゼロか。
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:22:53
終わったようですね。
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:28:08
カルト信者は死ね死ね死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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816 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:28:40
カルト信者は死ね死ね死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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817 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:32:44
ゴミカルト信者は死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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ウェえええええええええええええええええええええええええええええええええええ
qqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqq
うjrrrrrrrrrrrrrrrrr
818 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:36:17
カルト信者は死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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819 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 18:36:50
カルト信者は死ねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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ウェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
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あwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ひおおおおい
820 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 19:21:16
カルト新jはqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqqq
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/30(金) 21:28:55
>>772 「法華経」全体の思想というか、そういうものと関連させてみないといけないところがあるんですよ。
物語としては美しいんですけどね。
ちなみに、その成仏が来世のものなのか、今世のものなのかは聞く人の機根任せなんですね。
823 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 18:39:56
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 20:10:43
華厳経 純文学
浄土経 大衆文学
法華経 カストリ文学
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 20:18:01
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 20:26:51
∩
( ⌒) ∩_ _
/,. ノ i .,,E)
./ /" / /"
./ / _、_ / ノ'
/ / ,_ノ` )/ /
( / good job!
>>824 ヽ |
\ \
大衆文学・・・悪くないね(w
828 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/31(土) 23:19:57
>>827 本来は大衆文学のはずなのに、いつの間にやら違うものになってませんか?
829 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 00:59:44
>>828 プロレタリア文学・・・そんな格好良くないかw
>>824 カストリ:粗悪な酒
なるほど。そういう考え方もあるな。
粗悪すぎて3合で腰が抜けると(w
831 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 02:23:13
カストリ文学というのは戦後の一時期にはやったエロ小説の事です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E9%9B%91%E8%AA%8C カストリ雑誌(カストリざっし)は、第二次世界大戦終戦直後の混乱した日本で発行された
雑誌のことをさす。
これらは粗悪な用紙に印刷され安価であった。内容は、エロ・グロ・ナンセンスで特徴つけ
られる。具体的には、赤線などの色町探訪記事、猟奇事件記事など。
語源
カストリの語源は、たいてい3号でつぶれることから、3合飲むとつぶれるといわれた「カストリ酒」
にかけたもの。(本来は酒粕から取った焼酎のことだが、当時は粗悪な密造酒のことをこう呼んだ。
中には工業メチルアルコールが混入したものがあり、それを飲むと失明した)
パンパン、赤線、闇市などと共に戦後風俗である。
なお成人向け雑誌の中でも「えろちか」「別冊モダン日本」など数年続いたものもあり、語源から
すればカストリ雑誌ではないが、これらも同様のものとして論じることがある。
(別冊モダン日本は吉行淳之介が編集していた。)
また、近年の雑誌の中でもすぐ廃刊してしまった雑誌を揶揄してカストリ雑誌と呼ぶこともある
(余り一般的ではないが)。
833 :
ふ〜ん:2006/01/01(日) 02:37:08
法華系を魚にしないと元旦の夜もオチオチ寝られない真宗の不良信徒の集まりはここですか?
それを言うなら「肴」ですけどね。
酒のひとつも飲みなさいな、元旦の夜くらい。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 02:55:19
>>834 気にしない、気にしない。
何でも突っ掛からないと気が済まない人ってのはいるものだよ。
836 :
ふ〜ん:2006/01/01(日) 02:55:42
親鸞上人は悩み抜いたけど他宗・他経を誹謗したことはない。
まして日蓮系の一個人を抽象しない。
恥ずかしくないですか?
837 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 02:59:44
>>836 何なの?新春から。
そんなに他人様に突っ掛けて楽しいかい?
>>836 一個人?
カストリ文学の話はレス(
>>776)を遡ってみればいいんじゃないですか?
「変成男子」の話の延長で出てきた話ですから。
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/01(日) 03:10:15
>>838 濡れ衣着せるの好きみたいよ。気の短い連中だね、まったく。
>>838 話の脈からするとそうだね。
法華経、無量寿経と引っ張っているわけで、別に特定宗派に限定した宗論ではない。
感情論一直線の人には分からないのかもしれないけど。
俺の友人で、自分は北陸の郷士の末裔であると語っていた奴が
居るんだけれど、そいつの家は門徒なんですよね。
実際、士族で真宗だなんておかしいと思うのですが、どうなんでしょう。
843 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 01:35:35
>>842 下級武士ならあり得るんじゃないですか?
844 :
沙門:2006/01/02(月) 03:08:49
確か土佐では旧長曾我部家臣は郷士で下士とされ、山内の家臣は上士で藩士と区別されていたはず。
土佐では郷士は士族としてはみられていなかったようです。
>>844 土佐の山内家は上士・郷士間の差別が最も酷かったんだけどね。
って史板か?ここはw
>>842 譜代大名の本多家みたいに門徒の大名とかもいたから、
いてもおかしくはないんじゃないか?
847 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 15:33:00
848 :
842:2006/01/02(月) 17:42:15
>>842 偏見かも知れませんが、真宗って、悪人や賎民に対しても寛容ですし、
良く言えば清濁併せ呑む宗派って所なのでしょうが、
何処か、反権力の様相を呈しているように思えるのですが。
849 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 17:49:05
>>848 清濁の「濁」を嫌う傾向が最近は強いようですが。
>悪人や賎民に対しても寛容ですし
確かに人権問題を絡めて、被害者ではなく加害者の人権擁護に夢中になっているところが
あるんじゃないでしょうか。一部の宗派は。
罪という問題を扱うならば、罪を犯した者にとっての猛烈な懺悔と、罪を犯された者にとって
の受け止めが双方向的になされるべきなのですが。
加害者の人権擁護を権力との抗争の道具にしているあたり、もはや宗教者の領分を逸脱
しているようにも思われます。
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 18:25:10
>>848 よく解釈すれば・・・だけど、承元の法難、念仏衆弾圧の影響かねぇ。
そのわりにはサッサと体制に迎合しているw
しかし、反権力なんてお東紛争以降の話じゃないのか?
あそこで「反体制革命思想等の影響を受けた僧侶(宗政家)達に煽動」されたからな。
大谷派以外はそうでもないだろうし。
851 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 20:07:56
なんで平気で金品受け取るの?
852 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 20:22:56
お布施は多いほうがいいに決まってる。
腹の中は皆同じ
854 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 21:09:28
855 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 21:20:38
なんで修行もしてない人が平気で金品受け取るの?
>>855 別にそれが坊さん個人に対するギャランティではないからでしょ。
それによって聞法の道場が維持されていくのだから何ら問題はないはず。
857 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/02(月) 21:26:47
>>857 ランニングコストがゼロだと思ってるんでしょ。
859 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/03(火) 03:32:39
>>851 そりゃね、真面目にやってる人は常に「布施を受ける」ことへの抵抗感に直面するものだよ。
結果、それが自身の分限を知り、自分を律することにもなるし、聞法の現場作りへの意欲にも
繋がってくる。だからこそ、浄土真宗は聞法教団たり得た。
自分には何もできないのだ、ただできることは法を聞くことだけなんだ、とね。
だからこそ、聞法道場(寺院)の主宰としてそこに暮らし、管理・運営をしているわけ。
布施はその原資。原資がなければ自分で副業をするなり、収益事業での収入をそこに投じて
いる。
浄土真宗の坊さんは、坊さんとしては「世間的価値基準」で言えば単なる劣等生。
そのことは坊さん自身が最もよく認識している。
しかし、そんな劣等生が救われていかなければ、大乗の仏道など成り立ちようがないという
のもまた歴然とした事実。
お布施などの収入は僧侶個人に入るのではなく宗教法人である寺院にはいる。
あれだけの建物を維持したり、様々な行事をするのは実はかなり費用がかかる。
僧侶は宗教法人から給与として収入を得るが、世間の基準からすれば低い。
年中無休の仕事内容からすれば大変な仕事だが
その仕事に対する義務感と誇りをもつからやってはいける。
また、収入にたいしては世間並みに税金もかかるし、
もとが浄財だから贅沢もあまりできないのが実情。
もっとも、収入がかなり多い大寺院は裕福な生活ができるだろうが
それは限られた一部であり、贅沢をする僧侶は批判はされるだろうね。
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/03(火) 14:23:53
863 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 04:16:36
>>860 >>855は「修行をしている人には布施をする」ということのようだ。
布施の本来の意味合いはどうでもいいとして、修行の対価としての金品のやり取りを
望んでいるということなのだろう。
ならば、修行をしている高僧の下へ行けば良いだけのこと。
864 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 06:36:36
なんで修行もしてない人が宗教法人から平気で多額な給料を受け取るの?
>>864 それがどのような宗旨であっても「宗教法人の代表役員である」ことは事実ですし、礼拝・聞法施設の
管理者であることも事実です。
したがって、法人から一定の俸給を支給されて然るべきだと思います。
但し、その額面については法人個々で異なりますし、個々人の価値基準がありますので「多額」である
か否かは一概には言えません。
僧侶が修行をするという行為にたいして対価を受け取るなら
それは修行にはならないでしょう。
誤解されている方が多いですね。
867 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 13:06:33
銭のための日本仏教
868 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 16:03:39
誰も修行の対価としての布施の話してないだろ!
当然のように受け取るから麻痺してるんだろうね・・・。
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 20:12:47
>>868 言質からすりゃ、そういうことなんだよ。
870 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 20:21:59
>>866 難癖つけたいだけでしょ。
回答は出揃っているんだし、今後はスルーでいいんじゃない?
あとは「ログ掘ってください」でいいと思う。
871 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 20:58:22
>>849 どこまでも「ごっこ」が抜けない教団なんですよw
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:16:49
修行はしないわ、人格悪いわで金品は当然のように平気で受け取り、2ch三昧か・・・。
よかったね、それでも阿弥陀さん救ってくれるって。
873 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:18:50
>>872 というわけなので、あとはログ掘ってください。
875 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:23:01
>>874 もはや何を言っても無駄では?
最初から説明を聞く意志もないようだし。
ノルマか何かがあってのことでしょ。やらせておけば?
>>875 彼が登場する時は特定のスレが上がっているので非常に分かりやすい。
877 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:27:39
なんで修行しないのか?はオレも疑問あるよ。
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:28:07
念仏ゴッコのパチモン集団
>>878 ほらほら、ちょっとイジッたらこれだもの。
分かりやすい。
881 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 21:36:30
なんで修行しないのに僧侶のマネするの?
>>881 というわけなので、あとはログ掘ってください。
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/04(水) 22:55:44
>>881 じゃ、質問。
アンタが対価を積んでもいいって思える「修行」とは何を意味しているんだ?
具体的に示してみろよ。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 00:30:52
クズどもは、ほっとけ。
885 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 00:59:32
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 01:50:32
カスどもは、ほっとけ。
888 :
要忌避 ◆LkDeh9PgHQ :2006/01/05(木) 02:57:02
888げっと〜!☆
889 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 07:45:37
有名どころでは「比叡山」「高野山」「永平寺」等で行われている修行の事を始め様々な修行の事です。
それでは、なんで修行しないのに僧侶のマネ事して、平気で金品受け取るのか、理由を示して下さい。
890 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 09:11:57
>>889 もっと具体的に示してみなさいよ。
「比叡山」「高野山」「永平寺」等で行われている修行ってのをさ。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 09:38:17
>>889 何度も説明がなされてると思うが?
ログ掘るくらいのことしてみろ。
>>891 しつこい粘着君だから真面目に応対しても無駄。
>>889 どうも実態をご存じない素人さんのいつもの疑問ですね
思い込みと誤解ですから簡単には納得しないでしょうね
何を説明しても頭から理解しようとはしないでしょうから
過去レスをお読み下さいとしか言いようがないですね
それで納得できなければそれまでですね
>>893 その無限ループですよ、いつものことながら。
ところで最近またまた右翼のチンピラさんたちがうるさいですね。
だいたい身元素性は調査済だから、どこのどいつかはある程度把握しているけど、
連中のいつもの行動パターンと若干異なるところがあるので、少々気になっているところ。
本山での御正忌報恩講が何事もなく無事行われるように期待したいね。
警備はいつも以上に厳重にお願いしたい。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 14:44:51
>>895 >ところで最近またまた右翼のチンピラさんたちがうるさいですね。
どこで?
>連中のいつもの行動パターンと若干異なるところがあるので、少々気になっているところ。
どのあたりが?
>本山での御正忌報恩講が何事もなく無事行われるように期待したいね。
>警備はいつも以上に厳重にお願いしたい。
ま、少しは注目された方がいいんじゃないの?
今まで何人もの人間が説明しているのは無視かよ・・・。
まあ、どうせ聞く耳なんて持たないのだろうが、要は修行の「行」の受け取りの違いってことだ。
浄土真宗における「行」ってのは、我々人間が、人間自身の理性や価値観において取り組むもの
じゃねえし、阿弥陀如来が真実心の内に修められた「行」を「いただく」ってことだ。
人間にできることはそれだけってことだ。
じゃあ、「如来の信心(=行)をいただく」と言われて、アンタ、素直に受け取れるかい?
できねえだろうよ。
今、アンタがゴチャゴチャ抜かしているように、人間っての必ず何か形あるものを求めるわけだ。
でなけりゃ安心できないし、その先に何かが得られると思ってる。
そりゃ、一瞬何とはなしに「そんな気」はするだろうが、煩悩ってものは生きている限り押さえ込む
ことなんてできねえよ。
そりゃ、確かに浄土真宗の坊さんはアンタの望むような「修行」はしてねえよ。
しているとすれば、お勤めと聞法だけだろう。
だが、敢えて言えば、法を聞いて聞いて聞きまくって、「如来の行」の中に「無根の信」を見出すこと。
それが真宗の修行だ。
ガンガン自分自身を引っ繰り返されて、思い悩むんだよ。
信心不具足の己に「俺はこんなモンでいいのか?」ってな。
その中で苦しみもがいて、生きて生きて生き抜くことが浄土真宗の坊さんにとって「行を修める」
ってことだ。だが、それが親鸞さんの見出した大乗の仏道なんだよ。
その「行」の現場が浄土真宗で言えば道場(=寺院)だ。
布施なるものはその道場を運営する資金だ。だからありがたく頂戴してるんだ。
それで法の現場が守られていくってことさ。
899 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 16:07:22
900 :
要忌避 ◆LkDeh9PgHQ :2006/01/05(木) 16:10:21
900げっと〜!☆
901 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 16:37:08
真宗の団体で世襲でないセクトってどこの派でしょうか。
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 16:55:25
>>893 修行もしてない奴が「素人扱い」しているスレはここですか?
903 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 21:31:23
どうやら死ぬまで粘着していくようです。
どこかのスレじゃないけど、回答に窮すると何故か罵詈雑言以下の一行レスが
増えるのは何故?
>>904 過去レスを読まずに、同じ質問ばかりでて、
端から聞く耳を持たないから、「またか」と思うんだろ。
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 23:05:44
>>905 それは「ログ掘りしろ」で終わりますけどね。
907 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/05(木) 23:35:57
>>905 だって目的は回答を引き出すことじゃないから。
908 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 00:14:16
>>872 くそ坊主に何言っても無駄だ。
あきらめろ!
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 00:18:57
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 00:19:08
くそどもや、かすどもばかり・・・
912 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 00:19:57
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 00:36:24
912様へ・・・
お宅様も・・・
914 :
912:2006/01/06(金) 00:38:05
915 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 01:21:32
>>908 あきらめる前に過去ログ掘って来いっての。
分からん香具師だな。
916 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 07:35:46
本物の念仏なら浄土宗
ご利益あります病気も治ります浄土宗の念仏なら
浄土宗なら念仏さえとなえておけば修行はいりません
真宗は最低ですね。
920 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 17:37:36
機根が優れているのに、真宗しか縁が無かった人は気の毒だ、
機根が無いのに天台や禅をやってる人くらいかわいそうだ。
921 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 19:20:08
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/06(金) 19:45:51
923 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 03:12:32
位牌と「木像より絵像、絵像より名号」とやらで回りくどく、こじ付けが多く、理屈っぽく、
本音と建て前がまかり通って、教えがあいまいで、悲観的で、卑屈的なんて言われちゃ
たまったモンじゃねえな。
>>923 宗旨からして本質を詰めると「本願の名号」に行き着くということ、
親鸞さんが善導の「帰命尽十方無碍光如来」を本尊にし、門弟にも下賜していたこと。
(もう1つ付け加えれば、門徒の経済事情も絡んでくるのだが)
だから、詰めてしまえば寺院も名号にしろ、と言いたいのだろう。
それを理屈捏ね、見栄を張って木像にしている・・・まあ、何が自身の問題になっているのかは
知らないが、宗門内における荘厳の変容を研究課題にでもすればいいのでは?と。
親鸞さん自身、寺院の創建に携わったのは高田専修寺くらいのもので、基本は道場における
お勤めと聞法。
拡大期には転派寺院も数多くあったが、江戸期に入って宗判権を巡り、多くの道場が寺格を
持つ必要性が生じて、本末制度の中に置かれ、寺院の形態を取るようになった。
原理主義に照らせば、本尊を名号にしろ、という気持ちも分からないでもない。
しかし、木像を以てそれが「方便の法身」に過ぎない、ということへの気づきは大きい。
木像から名号を尊ぶようになる過程は、そのまま「本願に帰する」という過程そのもの。
敢えて人の形を取った如来様が人を救うのではなく、本願に救われていくという、信仰と救済
の質的変化がどうしても必要なわけでね。
蓮如と一休の伝承などを聞くにつけ、仮の形も悪くはないと思う。
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 04:24:57
>>925 これか?
俺もけっこうこの話は好きなんだが。
一休は全てを見切った上でやっているし、蓮如も同じ。だから笑い合える。
------------------------------------------------------------------------------
ある春の一日、一休が蓮如を訪ねると、おり悪く不在だった。
一休は勝手に上がり込み、待っている間、本堂に入って手ごろの仏像を一つ持ちだし、これを枕に
昼寝してしまった。やがて蓮如が帰って来て、「これこれ、わしの商売道具を台なしにしたな」と言い、
二人で腹を抱えて大笑いした。
--- 安藤英男、『一休:逸話でつづる生涯』(すすき出版)、199頁---
927 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 04:29:24
「弥五郎俵」の話もけっこう好きなので紹介まで。
------------------------------------------------------------------------------
江州は堅田の浦に、弥五郎という名の漁師がいた。
殺生を生業としていたので、後生大事と願っても空しかろうと、信心嫌いであさましく暮らしていたが、
ついに寿命がつきて死んでしまった。
弥五郎の妻子は、嘆き悲しむこと限りなく、後世安楽に往生させたいと、火葬にしようか土葬にしようか、
どこの和尚さんに引導を渡してもらおうかと考えていると、たまたま一休が巡錫して堅田へやって来たの
で、これを幸いと一休の袖にすがり、後世の苦しみを救いたまえと願い出た。
一休はふびんに思い、気軽に引き受けて、「それでは、死骸を俵につめて持ってくるように」と言った。
家人は、不審に思ったが、何しろ一休の言うことだから、言われたとおり米俵に死骸を入れて、縄をかけ
て持ってきた。一休は、それを舟に乗せ、家人とともに湖上に漕ぎ出した。
そして、沖に出ると、
この俵は、これ元来、「米俵」にもあらず、「豆俵」にもあらず、汝は堅田の「弥五郎俵」なり。ほとりに
沈んで、うろくず(魚)の餌となり、仏果を得よ。喝。
と、引導を渡し、水底に突き落とした。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 08:39:13
親鸞さんも「弥五郎俵」を望んだわけですね。
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 17:09:34
一休と蓮如は晩年がエロいね。
>>930 そういうモノの見方をする人にとってはね。
932 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/07(土) 18:25:56
>>930 一休さんは男色のみならず、盲目の女性との間に子をもうけたりしてますな。
933 :
そっちの僧でわないが:2006/01/07(土) 22:12:18
そっちの僧侶でないが、教えていただきたい事があります。そちらでは他の宗旨に対して学会の様な態度をとらないのはどうして?否定しているのに。後、威張っている上人はいますか?ばかな質問ですいません。
934 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/08(日) 02:55:57
>>933 難癖のような否定に否定で返して何が生れる。
>威張っている上人
いないよ。
935 :
そっか:2006/01/08(日) 03:10:12
さすが眞宗さん。馬鹿な質問に答えくださいましてありがたくおもっております。本当にそちらはいいですね。
>>924 まあ、あの蓮如の言は世間の「木像>絵像>名号」という既存の価値観を
打破するためにわざと逆に並べたという話だからな。
確かに信仰上の無駄を極限まで省けば名号に行き着き、それに対して絵像や木像は
名号には無い救いに関する情報(後光が48願を表す等)があり、そのどちらも重要だと。
木像の方が高級だとか名号の方が本物だとかそういう議論そのものがナンセンスであろう。
蓮如の言の本質ではない。
>>933 蓮如が御文の中で何回も他宗誹謗を戒めてるよ。
>>933 仏教では、他の宗教を攻撃することは少ない。
もちろん教学的な論争などはあっても表だって批判はしないですね。
それが、和をもって貴となす仏教の基本的性格。
ただ、唯一の例外が、日蓮。
日蓮は他の宗派を攻撃することにより自らの存在を示した。
その姿勢を極端に増幅したのが今の学会。
仏教からはどんどん離れ、利権団体になってしまいましたね。
938 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/08(日) 18:49:41
>>937 「功徳」に結びつけば何でもいい、という感じ。
それって単にこの世の延長で仏法やってるだけじゃないの?
941 :
曹:2006/01/08(日) 22:00:40
眞宗さんの信心のあり方には、いつも感動しています。禅宗よりもいろんな意味ですごい。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/08(日) 22:23:01
禅とは?
943 :
曹:2006/01/08(日) 22:43:43
むーーーーーーと一生懸命さけんでください。
誠意をもって答えくださいましたので、私としては、それなりの禅僧に聞いてもらうのがいいと思います。
ことばでは、集中力。
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 02:04:32
945 :
曹:2006/01/09(月) 03:15:55
三昧、多分、信心が禅になっただけです。無意識な状態の事です。ようかいのさとりの話です。その話は、悟るための話です。
あまり、気にしないで、ただお念仏してください。ただが、禅の目的、京極夏彦の鉄鼠の檻を、読めばいいです。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 04:06:17
>>937 清め塩で神道を迷信よばわりした真宗が?
阿弥陀以外いらないという真宗が?
真宗以外認めない真宗が?
釈迦も認めない真宗が?
>>946 親鸞さんの言質と、最近、過度に排他的な坊主(敢えて侮蔑的にw)の言質の間に
かなりのズレを生じているのは事実。
彼らは極端なところがあるし。
但し、平安末期以降に登場してくる「遁世僧」は、当時、神道のみならず仏教にも
蔓延っていた「穢れ」の問題を越えたところに生起してくるんだけどね。
>阿弥陀以外いらないという真宗が?
>真宗以外認めない真宗が?
>釈迦も認めない真宗が?
どこで誰がそんなことを言っているのかな?
948 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 04:18:15
>>937 夜明けにありがとう。
もちろん葬式の(お通夜の後の)説教で真宗の教務所から派遣された(?)説教者です。
949 :
948:2006/01/09(月) 04:22:34
すみません。>>947でした。
喪家や親戚なんか精神状態が尋常じゃないんだからお通夜なんかで他宗教の批判はどうかと思うよ?
950 :
947:2006/01/09(月) 04:28:04
>>948 ひょっとして
>>947=
>>937だと思ってます?
>>947≠
>>937ですので悪しからず。
ちなみに教務所から派遣?法務員のことを言っているのかな?
しかし、その人、きちんと典拠を示したかい?
多分、自分の感覚でモノを言ってるような感じがする。
神祇不拝問題の時に散々議論されたけど、客観事実として親鸞さんは神祇を否定する
ことはしてないね。真意がどちらかは別として、親鸞さん自身が書き起こされた書面に
おいては、少なくとも否定はされていない。
しかも、諸仏・菩薩の存在すら否定して、一神教路線?。これもあり得ない。
釈迦の出世本懐の教として、無量寿経を根本経典にしているのに、釈迦を認めない?
どこの馬鹿がそんなことを言っているのさ。
951 :
948:2006/01/09(月) 04:36:19
>>950 わかってますわかってます。
とりあえず寝ます。またのちほど・・・
952 :
947:2006/01/09(月) 04:38:41
>>949 傷口に塩を塗り込んじゃうんだよね、そういう人って。
だって「自分が正しい」なんだもの。
巡り合ったのも何かの縁、とばかりに、自論を展開して「お坊さんらしいこと」がしたかった
のかな。
しかし・・・バカだねぇ。
葬儀には様々な宗派を信仰している人たちが集るのだし、通り一遍のことをやってもしょうが
ないのに。
清め塩の話なんかしなくても、頬に触れてあげるだけでもいい。
俺、門徒さんの葬儀でそれをやって、エライ驚かれたことあるけど。
一段落してから「実はあの時・・・」と切り出せば、膝を突き合わせて「伝えるべきこと」を
伝えられると思うし。けっこうその方が頷いてくれるんじゃないかな、経験で言うと。
953 :
曹:2006/01/09(月) 04:49:08
色々馬鹿な質問に答えてくださいましてありがとうございました。並びにみな様の迷惑になったことを御詫び申し上げます。
嘆異抄、全部感動しました。私もはからいを捨て、ただ行じて行きます。
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 07:38:11
でも修行無いみたいよ?
955 :
曹:2006/01/09(月) 10:27:44
954さんへ。
何事にも、一生懸命にすると、雑念が無くなり、無意識になります。
頭を、使わない。考えない。好き嫌いをしない、て事をしてください。計らい捨ててくれたらいいです。
その点で念佛と禅は同じ。
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 10:55:03
でも好き嫌いするから、念仏だの、禅だの、真言だの、題目だの、と言いだすんじゃないの?
あなたは最終的に念仏捨てれますか?
957 :
曹:2006/01/09(月) 11:13:48
それでもいいです。いろんな方がいますから。後、私は禅宗の僧侶です。て、言っても口先だけだけど。坐禅、捨ててもいいです。
なにもかも捨てていくと何が残るんだろ?
何も残らないのか、捨てようという気持ちだけ残るのか?
私も念仏を捨てることができるけど、
念仏は私を捨てられないという思いが残る。
959 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 17:24:52
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 17:31:32
>>889の
>「比叡山」「高野山」「永平寺」等で行われている修行
を真宗もやるべきで、でなけりゃ、布施をもらう資格はないって話だから。
もう結論出てるし。
教義も宗旨もあったモンじゃない。
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 18:07:56
963 :
曹:2006/01/09(月) 20:10:45
実際、5〜6年修行したが、駄目だった。
そんなに他人にいうのであれば、貴方がやってみたら。いずれの行も、と、言う言葉が解るよ。私も本当はそちらに転派したい。
それに、他人を見ても解るよ。浄土門の方がいい。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 20:11:42
965 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 20:22:30
889さん
966 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/09(月) 20:26:45
>>963 だから機根が無いなら浄土門に行くべきなんですよ。
967 :
曹:2006/01/09(月) 20:40:16
そうだとおもう。人々と供にあゆんでいきやすい。
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
>>952 その場面が最も効果的だと思ってるんじゃねえの?
実際には、慌しい時にそんなこと言われても、10のうち1も伝わらんのだろうが。