509 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 10:22:05
>>506 > でも、仏壇は、阿弥陀様を拝むのであって、死んだ人を拝むのではありません??
「亡き人を拝まない」というのではなく、亡き人の冥土での幸福を願う必要はないというような
考え方をしてみてはいかがでしょう。
亡き人の冥土での幸福を願うのではなく、お父さんからいただいているご恩に感謝する念仏
をされてはいかがでしょうか?
> 心から南無阿弥陀仏と唱えていたと思われない父が、お浄土へ旅立てたのか?
お父様は、あなたにとって地獄へ堕ちるしかないと思えるほどの極悪人だったのでしょうか?
阿弥陀様の救いからもれて地獄へ堕ちることのほうが、往生することよりはるかに困難だと思いますよ。
> 浄土宗では、位牌を祭られるのですか?
浄土真宗では法名を掛け軸にして掛けてお参りします。
510 名前:名無しさん@京都板じゃないよ :2005/09/02(金) 10:28:30
>>506 念仏を称えていても、教えを聴いても、
心から信じ切るというのは、なかなか難しいものです。
人間である限り、疑いの心を完全に消すのはほとんど不可能。
しかし、それは人間のもつ煩悩のはたらきです。
阿弥陀仏の本願は、人間のそういうありさまがわかるから、
煩悩をもった人も救って浄土往生させたいと誓ったのが本願。
大丈夫、お父さんは浄土へ往生されました。
阿弥陀仏を拝むことによって、その浄土に往生された、
お父さんを偲び、また同じ浄土へ往生して出会うことを思います。
位牌にお父さんがおられるのではありません、阿弥陀仏の浄土です。
位牌に霊魂があるように思うのは儒教の考え方であって仏教ではありません。
浄土宗は習俗や他宗の影響を受けていますので位牌は祭ります。