>>944 個人崇拝、死後の世界、天国と地獄……。
自分なりに仏教に触れてみて、そんなモンどうでもよくなりましたけどね。
詰まるところ、変わり果てていく自分を受け入れられずに、何が宗教かと思いますし。
その意味では同意です。
946 :
けちゃっぷ:2006/03/03(金) 12:14:50
死後の世界があってもなくても、今念仏できればそれでいい。
>>946 ということは、貴殿は「死後の世界」否定派に分類しておきます。
948 :
けちゃっぷ:2006/03/03(金) 18:32:27
>>947 一応肯定派ですが、死後の世界がなくてもかまわない。
死後がないなら、死んで後悔することもないし。
逆に、もし死後の世界があったら…
どちらにしても、今確認できる話ではない。
だからどっちでもいいです。
今念仏できるから、今のところ僕は幸せだから。
毎度毎度、綺麗事と思えるような回答、誠にありがとうございます。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 03:19:35
>>948のようなことを言いながら、実際には死後の世界観でメシ食ってますよね、お坊さま。
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 04:32:07
>>950 方便ですよ、方便。
頭の悪い檀家どもはそれが分からんのです。
そうでもなけりゃ誰も寺になんか行かんさ。
>>948 ん?「往生するぞ」と思って念仏してるんだろ?
ならば、あんたは一体、どこに「往き生まれる」つもりなんだ?
それが明確になってないのに「往生するぞ」か?
しかし、念仏できなくなったら不幸の道まっしぐらだな。
命張れるか?あんた。
まあ、言葉だけなら何とでも言えるか(w
さて、次スレはどうします?
一応、機能しているようですし、
>>980を踏んだ人が立てるってことでいいですかね?
956 :
けちゃっぺ:2006/03/04(土) 15:04:17
あのね浄土宗はね大経18願に生まれんとおもって乃至十念せん。ってかいてあるのよ。
浄土に往生するぞと思うだけではダメで思って十念しなくてはいけないのよ。
経典に書いてあるでしょ。正確にみましょうね。後ね、この十念を十声の念仏と勝手に解釈しちゃダ゛メ。
十念をちゃんと理解してくださいね。
>956
あのね浄土宗はね十念を十声の念仏と解釈するの。憶念とか勝手に解釋しちゃダメ。
十念をちゃんと理解してくださいね。
958 :
けちゃっぺ:2006/03/04(土) 15:58:11
十念というのは観経にも具足十念称なも阿弥陀仏とある。念仏、念法、念僧
念戒、念施、念天、念休息、念安般、念身非常、念死のことであって十声ではない。
十声は中国の善導の勝手な解釈である。それを法然はうけてしまった。
十念が十声である根拠を述べてみろよ。どの経典にかいてあるんだ。ちなみに上記は
雑阿含第1にかいてある。
959 :
けちゃっぷ:2006/03/04(土) 16:02:26
>>956 口先で 南無阿弥陀佛と 云えばよい 心なくして 申せるものか
信があるから口にでるのです。口に出るから確かに信があるとわかるのです。
口に南無阿弥陀佛がでるならば、あなたの信は大丈夫です。
安心してください。あなたに信があるのだから。
南無阿弥陀佛
960 :
けちゃっぺ:2006/03/04(土) 16:20:09
十念を憶念とかいしゃくするのは正しいからわかる。念しいうのはもともと原語では
マナシカ−ラとアヌスムリティだろ。前者が心を起こす、後者は思い浮かべる憶念のいみやね。
悪いが原語をみても念は声に解釈するのはむりがある。
根拠なんぞ無くても善導は阿弥陀仏の化身なんだから、念称是一は阿弥陀仏御本人の考えに違いない。
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 17:50:54
963 :
けちゃっぷ:2006/03/04(土) 18:03:43
>>958 おもろい説ですね!
でも、観経の上品上生でさえ修行六念なのに、
六念にあと4念加えた十念を修めるなんて、
下品下生には不可能では?
第一、苦にせまられて仏を念じる余裕もないから、
称南無阿弥陀仏をさせるわけです。
仏だけを念じることもできない人が、
さらに9項目も念じられるはずがないでしょう。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:05:32
>958
雑阿含と観経を結びつける根拠は?
>960
テキストはその通りだけれど、浄土宗の解釈ではない。
浄土宗の解釈は、善導の領解を法然が受け止めたものであって、その時点で原語からは離れている。
それを迷信というならいったらいい。
サンスクリットのお勉強をしているわけではない。
>959
また勝手なことをいってるよ。自分が振りまいている害毒を自覚されたし。
>>962 けちゃっぷにまともな説明ができるわけない。
いつも
>>959のような回答だけ。
彼には論理的に構成する能力がないから、説明を求めること自体が無意味。
966 :
けちゃっぷ:2006/03/04(土) 18:21:54
江戸末期の浄土宗に、徳本行者というカリスマ的な念仏者がいらっしゃいます。
口先の念仏も彼の歌です。
あと、こんなのもあるそうです。
ただ申せ ただただ申せ ただ申せ 申すばかりで 往生はする
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:22:40
教義的にはすばらしい浄土宗なのに、(↑みればわかる)なんで念仏以外の行っぽいのが多いんでしょう?
(真宗大谷派所属)
968 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:25:10
962,965くん、浅いよ。
>>966 だから?
本来の法義と関係ないと思うが。
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:28:24
やたら大谷派が出てきたな。
念仏を捨てた政治団体に用はないわけだが。
971 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:29:31
>969
本来の法義が他にあったら教えてください。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:32:30
973 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:34:19
>970
みんなが捨てちゃってるんじゃないのでしょうか・・・。日本の浄土門・・・。
>>972 大谷派=浄土宗けちゃっぷ派
まあ、いいか(w
975 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:37:32
>972
法義=念仏以外に無し、という風に理解しております。
976 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:39:34
>>973 おまえらに言われたくねえよ。
大谷派なんて、今や唯物論思想の亜流みたいなモンだろうに。
>>975 だからさぁ、「何故、称名なのか?」という話だろうに。
その点、浄土宗、真宗、浄土宗けちゃ派では解釈が異なるはずだが?
978 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:48:17
>974
構いません。(w
うちにスカウトしたいくらいです。(うちのレベルもお互い様ってとこですから・・・)
しかし、けちゃっぷさんの「知性」(彼は狂信者のおよそ対極です。念のため。)がご理解頂けないのは、同門としては、遺憾なことです。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:51:01
彼のオカルト思想など理解するつもりはないのだが。
980 :
大谷派:2006/03/04(土) 18:52:09
>977
なぜ、をあえて問わない(答えない)のが、法然聖人では?
981 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 18:57:17
>>980 だから親鸞は『教行信証』を著したんだろ?
そこから考察しろよ。
>>980 それが後に「菩提心」問題を生じる結果になったわけでしょうに。
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/03/04(土) 19:03:24
985 :
大谷派:2006/03/04(土) 19:11:56
>981
「教行信証」も、なぜ?には答えない。
あえていえば「お経にあるから。」としかならんのでしょう。
親鸞の場合、本願をリスペクトする諸仏の存在と、自分が信心を獲た歓びの表現が中心で、やはり、なぜ?には答えてないと思うけど。
>>985 そうかね?
「教巻」での、無量寿経が真実教である、という受け止めについてはなかなかに興味深い
ものがあるが。
987 :
大谷派:2006/03/04(土) 19:21:25
>982
「菩提心無用」って、むしろ法然聖人の凄みというか、かっこよさに通じてると思います。
>983
「論証」ってゆうか、「証」が念仏なのでしょう。
988 :
大谷派:2006/03/04(土) 19:25:18
>986
真実の教えとは仰ってても、なぜ真実なのかの、論理的裏付けは無いという・・・(w
>>958に興味があるのですが、
念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天、
念休息、念安般、念身非常、念死、というのは、
それぞれ何を念じてるのですか?
990 :
けちゃっぺ:2006/03/04(土) 19:44:18
どうした。いつまで待てばいい。十念がどうして十声なんだ。
991 :
大谷派:2006/03/04(土) 19:47:22
お邪魔しました。楽しかったです。さようなら。
ついでに補足しときますと、この周辺のけちゃっぷ氏は素晴らしいですけど、過去スレみたら、必ずしも賛成出来るものばかりではないようですね。(知性は疑いませんが。)
浄土宗は「死後往生」捨てれば、もっとクリアになるんじゃないですか?あなかしこ。
992 :
けちゃっぷ:2006/03/04(土) 19:55:52
>>990 観経の下品下生を読めば、
やはり声をだして南無阿弥陀仏を称えることだと思えます
993 :
けちゃっぷ:2006/03/04(土) 20:02:22
>>990 口称念仏でなければ凡夫には難しいから、
十念は十声でなければならないのです。
十念が十声でなければ、赤ん坊をミキサーに入れてオーレにしてやる!
994 :
けちゃっぷ:
>>991 お誉めにあずかり、光栄に思ってしまう自分が悲しい。
無常なる喜びよ、念仏の白道に裂かれよ!