105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文1
総湯を楽しんだ後、周囲の商店街や街並みを散歩しながらホテルに戻りました。
予定通りの19時から、ホテルの大広間にて夕食をいただきました。支援者である
老紳士が、私たち一行のために素晴らしい御馳走を注文して下さったのです。恐
縮する私たちに、順番に酒をつぎながら、とても上機嫌な老紳士でした。お礼にと
私たち女性陣がかわるがわるお酌をしてさしあげて、老紳士はますます上機嫌に
なり、ますます赤くなられました。代表さんが心配して言いました。
「大丈夫ですか、Aさん」
「いやなに、これしきの酒など。海軍にいた頃はこの何倍も飲みましたわい」
そう誇らしげに言い、代表さんの肩をバンバン叩いてはワハハハと大笑いを続
ける老紳士でした。戦友でもあった人の孫に会うのが嬉しくてしょうがない、といっ
た様子で、さかんに代表さんや菊亭さんに話し掛け、最終的には遺骨収集事業の
思い出話で大いに盛り上がっていました。どうやら三年前のレイテ島戦跡巡拝遺
骨収集事業で一緒に行動された一人でいらっしゃるようです。
老紳士は、亜弓たちにも、遺骨収集事業の話をしてくれました。初めて聞く内容
なので、真剣になって聞きました。戦争中に海外で亡くなった方々は約300万人と
も言われ、日本に帰還した遺骨はまだ100万人にも満たない。戦後60年がたとう
というのに、まだ大多数は南洋の海底に、孤島の密林内に骨すら風化しつつ埋も
れているのだそうです。
「そういうわけですので、諸君ら孫、ひ孫の代になっても遺骨収集が関係団体や有
志やボランティアの手によって続けられておるわけです。そんななかに、君たちの
代表さんたちのグループも、レイテ、アンガウル、ペリリューの諸拠点に行かれて
多くの遺骨を持ち帰ってくれた。我々旧軍組織に身を捧げた身としては、いくら感
謝しても感謝しきれんことです。孫、ひ孫の代にまで苦労をかけ、面倒をかけるよ
うなこの戦争の後始末、まことに申し訳ない次第です。じゃから諸君らの団体には
とにかく支援をさせていただくことにしておるわけです」
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:35:17
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文2
それで、ここのホテルの宿泊券をくださったのだな、と納得しました。
「あの戦争では、多くが亡くなったが、生きて帰った者はさらに多い。約600万人の
同胞が、戦地各方面から引き揚げて、焦土の日本に再建の槌音を響かせた。そ
の一人、一人がな、諸君らの祖父、曽祖父であったはずですじゃ」
桜井さんや二階堂さんが、同時にコックリとうなずきました。老紳士は微笑しまし
たが、すぐに表情をひきしめて続けました。
「戦争がさらに長引けば、もっともっと犠牲者が出たのであろうが、しかし、日本の
将来を必死で憂い、戦争終結への秘密工作を画策して、大元帥陛下に御聖断を
具申し続けた少数の方々がおったのじゃ。無益な戦争を止めさせ、600万同胞を
塗炭の苦しみから救い、存亡の危機から祖国を救うため、密命をおびて秘密裏に
終戦工作が行われ、それは辛くも成功した。それで終戦が予定より早まった」
「あのう、8月15日が終戦記念日だと聞いてるのですが、実際には戦争は長く続
けられることになっていたのですか」
日谷が質問すると、老紳士は、コクンとうなずいた。
「要するに、本土決戦じゃ。連合軍は沖縄を占領して、今度は本州のいずれかに
上陸する計画をもっていた。沖縄でおこった戦闘が、今度は本州に拡大するとい
う前提で、陸軍は無謀な抵抗作戦を画策しておったのです。しかしそれをやったら
非戦闘員や民間人に甚大な被害が及ぶ。そうなったら日本は終わりじゃ。国体護
持もなにもあったものではない。それを断固として阻止すべし、との信念にもとづ
き行動し、米内海相すら関知しないところで井上次官の指示によって動き、鈴木
首相や東郷外相に情報を送っていた人物が、おったんじゃ。その方の働きが無け
れば、日本は8月15日に終戦を迎えることが出来ずに本土決戦に突入したはず
じゃ」
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:36:54
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文3
亜弓たちは緊張しました。総理大臣鈴木貫太郎、外務大臣東郷重徳、海軍大臣
米内光政、海軍次官井上成美、といった、近代史の歴史人物たちの名前が次々
に出てくるのです。秘められた歴史の一こまを知らされているようでした。
「その、秘密裏に終戦工作を行っていたという人物を、御存知なのですか」
二階堂さんが質問すると、老紳士は、ウン、と言いました。
「公の歴史においてはな、海軍の福留閣下や松田閣下、陸軍の良識派が秘密裏
に連携して終戦工作を進め、これに海相や次官が関与して陛下の内意を受けて
おったことになっとる。大体はそれで正しいのじゃが、当時はあまりにも陸軍や憲
兵隊の監視がきつくてな、関係者は下手をすると暗殺されかねない危険がつきま
とっておったのですな。それで、海軍では別にもうひとつの工作を秘密に進めるこ
とにして、海相も関知しないうちに井上次官閣下が独断で実施させておった。その
人物のひとりは、陛下に直接話をすることが可能であったから、陛下の御心が終
戦にあることは明白じゃったのです。その人物と非常に親しい海軍の一大佐に密
命が授けられ、ひそかに終戦への可能性が探られたわけです」
「その人は、海軍の大佐だったのですか」
「さよう、あの人の、お祖父さんにあたられる」
そう言って老紳士が指した先には、久住さんや出雲さんと談笑する骨皮代表の
姿がありました。亜弓たちはたがいの顔を見合わせました。ものすごい秘密を知ら
されたような気がして、びっくりしてしまいました。骨皮代表のお祖父さんが、日本
を戦争の惨禍から救い出した一人であったとは。
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:37:26
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文4
同時に、亜弓には、これまで不思議に思っていたことが全て理解出来てきたの
でした。代表さんが昭和史や戦争について非常に詳しいこと、代表さんが何度も
遺骨収集事業に参加されていること、代表さんの知人に海軍関係者がたくさんお
られること、そして教育委員会をはじめとする行政機関のOBたちがきわめて好意
的でしかも秘仏見学にいろいろと便宜を図ってくださったこと、そういう海軍関係者
たちが「古佛へのまなざし」の九州旅行や信州旅行などに援助をしてくださったこ
と、などがいっぺんに思い出されました。比叡山延暦寺の秘仏本尊だって、吉野
水分神社のご神体女神像だって見せてあげますぞ、とある元海軍中佐の老人が
笑って話していた理由も、なんとなく分かりかけてきたのでした。
代表さんのお祖父さんが、あの戦争を終わらせた一人だったのです。その功績
は、たぶん日本の歴史のなかで最も素晴らしいものなのではないでしょうか。代表
さんの心意気、誇り、信念は、おそらくお祖父さんのものを受け継いでいるに違い
ありません。
「お嬢さん方、我々帝国海軍の生き残りの老いぼれどもが、常にあんたらの団体
を支援し馳走させていただくのも、その為じゃ。全国の教育関係の古株はほとんど
海軍の出身だから話はすぐに通る。宗教関係者にも話は通る。あんたらが、今ま
であちこちの秘仏を開いてみせてもらったのも、この一事による。日本を存亡の
危機から救い、600万同胞を塗炭の苦しみから救った一人の軍人の存在は、公
には秘せられて全ての公文書には記載もない。じゃが国家の政治中枢に身をおい
た者なら、一度はその存在を聞かされとるはず。大元帥天皇陛下が、最も信頼し
終戦への希望を託した人物の部下じゃからな。名前こそ歴史には残らぬが、その
業績は至高のものであった。いまの日本全国民は、その方に感謝せねばならんわ
なあ。そしてあんたらの代表さんは、その孫じゃ」
老紳士は、そう言って、ワハハハと大笑いされました。桜井さんが注いだ酒を一
口飲み、ポツリと言いました。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:38:41
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文5
「ああ、あの方に、大佐殿に、もう一度会いしたいものやなあ。」
老紳士と、代表さんのお祖父さんは、かなり親しい間柄だったようです。後で代
表さんに訪ねると、こう教えてくれました。
「実はあのAさんも、終戦工作に荷担しておられたんですよ。そうですか、そのこと
は言っておられませんでしたか。あの人はもとは軍医でね、祖父も軍医だから非常
に気が合ったと聞いております。ただ、祖父が大佐で、Aさんは少佐でしたから、任
務の内容に若干の差があったようで、祖父が天皇陛下の言葉を直接にいただけ
る立場にあったのに対して、Aさんは井上中将の指示によって働いておられたそう
です」
すると、Aさんも、日本を存亡の危機から救い、600万同胞を塗炭の苦しみから
救った大恩人のひとりであるわけです。改めて尊敬の気持がわきあがってきまし
た。21時に宴会が終わり、今度は亜弓たちも全員玄関にならんで老紳士を見送
りました。またまた黒いベンツがさっと近寄って、運転手がドアをあけて老紳士に
お辞儀をしました。やっぱり相当な身分の方のようです。
夜の闇に小さくなってゆくテールランプの光に、代表さんは小さくお辞儀をしてい
ました。そうして、しばらく立ち続けていました。
各部屋に戻りましたが、まだ寝るには早いので、それぞれ誰かの部屋へ遊びに
行ったり、ホテル内のバーや飲み処などへ繰り出していました。亜弓は日谷と一
緒にホテルのロビーをうろうろしていたのですが、通りかかった池田伯耆守さまと
安藤さんに声をかけられ、四人で和食コーナーに入って雑炊セットを楽しみながら
雑談をしました。
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:39:14
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文6
そんななか、池田伯耆守さまは、この春から古佛ページで行われている新ホーム
ページのことに触れました。
「あれはその後、どこまでいっとるのかな」
日谷も亜弓もその新ホームページ計画のことは知っていますが、直接に関わっ
ていないので、細かいところまでは分かりませんでした。そのことを話すと、池田伯
耆守さまは、そうかそうかもしれんな、と納得したようにうなずかれました。
「俺が思うに、君たちの古佛ページは、今年で四年目に入る。以前に聞いた話で
は、「三、四年ぐらいで一回はターニングポイントを迎えるべき」ということやった」
「ターニングポイント、ですか」
「おう、つまりだな、古佛ページに何らかの変化というか、改革をやるのと違うかな
もしくは別のホームページを模索してみるというやり方も考えられる」
「それは、あのー、古佛へのまなざしにとってどんな意味があるのですか」
「それは俺にも分からんさな。ただ、今年は、エンガノ岬沖海戦より60年目の区切
りをひとつ超えた。そして古佛ページの主要メンバーは、エンガノ岬沖海戦を戦っ
た第一機動艦隊の孫ぞろいやな。史実にのっとって、エンガノ岬沖海戦の10月2
5日にページを思いきって止めてしまうかもしれんな」
「えっ、ええーっ!!」
「何ですかそれ、そんなの聞いてないです!」
「そんなに驚くな、騒ぐな、いまのは俺の推測やからな」
「なんだあ、びっくりしましたよー」
「しかし、心の準備だけはしておいたほうがええ。古佛ページがいつまでも今の状
態で維持されるということはあまり考えられないんやから。いざとなったら止めると
いう選択肢だってあるはずや」
「・・・・・・・」
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:40:05
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文7
「香織ちゃん、亜弓ちゃん、いま古佛ページがひそかに新ホームページを模索して
作っているということ自体が、果たしていまの古佛ページに必要なことかどうかを
考えてみることや。いまあれだけ安定してて、メンバーも読者も多く順調な古佛ペ
ージに、なんで新ホームページが二つも三つも必要なのか、考えてみたことがあ
るんかな」
「・・・・・・・・」
「いつの時代でも、どんな社会においても、志のある者はな、自身が非常に安定し
ているときにこそ次に備えての準備をひそかに進めてゆくものや。たぶん、新ホー
ムページというのはそういう意味合いでつくられとるのと違うか」
越前白山旅行の時点では、新ホームページのことは余り具体的には知らされて
いなかったのです。でも7月から計画が具体化しはじめ、戦後60周年を記念して
のリニューアルを行い、古佛ページを大々的に改装してゆくというプランが発表さ
れました。この文を綴った7月20日の時点では、新ホームページは三つ計画され
てそのうちの一つはすでに試験的に公開をはじめているということでした。そして
10月に古佛ページを一気に変えてゆくのだそうです。そのために準備委員会をこ
れから作って、8月中に立ち上げてリニューアルの細かい内容を相談しながら決め
ていくのだそうです。
越前白山旅行の時点では、池田伯耆守さまに言われたことの意味が、亜弓たち
にはあまりよく分かっていなかったと思います。部屋に戻って寝る前に、二階堂さ
んに尋ねてみたのですが、二階堂さんも首をかしげていました。
「さあ、新しいのを作っているということは聞いたけど、古佛ページのもうひとつの
別館みたいなのを作るんじゃないかなあ」
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/23(火) 22:40:35
「かわら版 第205号(2005.8.15 発行)亜弓の朱印帳16」全文8
そんな程度の推測に終わっていたのでした。でも、実際には、亜弓たちの想像を
はるかに超える壮大な計画が、進んでいたのでした。そのため、仏像見学を目的
とした古佛スタッフ有志による宿泊旅行が、この越前白山旅行をラストとすること
になることを、亜弓たちも奈良へ帰ってしばらく経ってから正式に知らされたので
した。
そのときに、久住さんが言いました。
「古佛ページは、いままでモデルチェンジもマイナーチェンジもしていないのね。だ
から変わるのであれば、思い切って最大限にチェンジしてしまうほうが意味が大き
くなるかもしれませんよ。周囲はびっくりするか、呆れるかのどっちかでしょうけれ
どね」
そう言って微笑した久住さんでした。でも、どのように変わるのかは、これから相
談して決めていくことなので、実は古佛スタッフの誰にも、これからのことは分から
ないのだそうです。なんだか不安ですが、楽しみでもあります。
実は、越前白山旅行から帰ってまもない頃に、新編の第601隊の皆さんと初め
てお会いする機会をもったのですが、その第601隊の皆さんが、新ホームページ
のことやリニューアルのことに大きな役割を果たすことになるのでした。とても重要
なことなので、そのことについては、また日を改めて書いてみます。 (完)
(7.20 高山亜弓)