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名無しさん@京都板じゃないよ:
横槍です。
>なるほど、思考の中だけで操作される抽象化された概念としてなら、
>殺人を絶対の悪と呼ぼうがそれは構わないでしょう。
>しかし行為者から切り離された行為それ自体の善悪を問題にするにしろ、
>今度は殺人それ自体を絶対の悪だと呼ぶ
>その根拠はいったい何なのか、
>理由はなくダメだおいうのは何故かという疑問が起こる。
>無限後退です。
抽象化された概念というのが解りません。観念のことですか?倫理学をしたというのなら、言葉の用法に
注意を払ってください。また無限後退に陥る方向へ筋を置き換える理由もわかりません。喧嘩論法なら。。
わざわざ虚偽論を使わなくてもいいと思うのですが、その方向は二律背反に陥り、結局は自滅してしまい
ますよ。
自殺・殺人の定義も拡張させておいて、それを個別事象から原則を批判するような論法は古今東西繰り
返されました。ですが、あなたのは露骨過ぎます。殺人は悪です。しかしすべての殺人は悪なのか、どうかを考慮
する段階はその原則の次にあります。「殺人は悪」と言う前提の上にあるのです。たとえ個別事象の一つ
が悪でないと認定されてもその原則は崩れません。その原則を取り払った主張には嫌悪感すら覚えます。
更にその次に、では悪とは何かとか善とは何かを語る段階があり、それは原則を再考するときの判断基準
として熟成され、発展純化するのです。順番を間違ってはいけません。
>であるなら行為を絶対悪とは言えず、相対的に悪と判断できるのみとなる。
>仏教にはそれを常に観察する、考えていこうという宗教的な要素もあるはずです。
絶対相対と言う対立で話が始まったわけではなく「原則悪」と言う意味で絶対悪が語られました。
文脈を無視してその絶対に相対をくっつけたのがあなたの論法なのですね。ですからこれは
結論として却下です。あなたのその論法、三吉さんですか?