★見性を本当に得たもの同志が語らうスレ★

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224名無しさん@京都板じゃないよ
見性というか、同じような体験してる人いますな〜
自分の場合は昔ニューエイジ思想にかぶれていた頃経験した。
ただし何の修行もしてないよ、朝シャワー浴びてるとき、
頭を洗おうとして目をつぶった瞬間にきた。
自他の境界が消えて、すべてが自分ひとつになってしまった。
何を見ても自分、自分という存在しかいない。
そして自分が宇宙の果てまで広がっていって、うぉ〜スゲーって感じ。
大きな存在となった自分がいる、と同時に小さな肉体人間の自分もわかる。
米つぶみたいに小さくてなんてちっぽけなヤツなんだ〜って笑ってしまった。
普段あくせく働いたり、悩んだりしている小さな自分が。

そしてそのまま仕事行ったんですが、午前中は普段の感覚が戻らず、
仕事にならなくて、ポ〜っとしていたな〜。
個人的な意見として、あの体験の物質的な原因は、
脳内のホルモン分泌の関係だと思っています。

この体験の後遺症として、すべての存在、宇宙、空間が、
神みたいなもので常に充満されているのをいつも感じるように
なったということかな〜
225名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/29 18:45:59
頓悟ってやつかな。

ただ、そういう悟りって、ゴールではなく、「仏道修行の最初の入り口」とも聞いた。

ところで、そういう神秘体験をした人に質問なんですが、

@他人に対する同情心、慈悲心といった、菩薩的な心境は、以前と比べて強くなりました?
他者に寛大になるとか、差別心がなくなるとか、、、。

Aそうした体験にいたるまでに、思想的な影響を受けた本はありますか?
また、そうした体験を得たあと、特別感銘を受けた宗教(スピリチュアル系でも)関連の本を教えてください。
自分も読んでみたい。

226名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/29 20:46:10
oshoラジニーシの究極の旅 {禅肉禅骨}
 無明庵の 廃墟のブッダたち、地球が消える時の座禅、
 クリシュナムルティ 覚醒のコメンタリー
 
 1の質問の答えは 禅々です。
227224:04/09/29 22:49:39
>>225
@の答え。
体験中は会う人会う人がいとおしくて、その場で抱きしめてやりたいくらいでした。
この大きな幸せを分かち合いたいと切望しましたね〜。でも本当に抱きしめたり
したら、やばいと思ったからぐっと我慢しました。

体験後ですが、仕事や日常生活に没頭して精神レベルが下がると(物質人間になると)、
あの時の感覚が思い出せなくなります。しかしスピリチュアル性を取り戻すと、
あそこまでハイでなくとも、他との一体性のなかで自分が存在していることが思い出されます。
したがって、まだまだフラフラしているレベルです。

Aの答え。
禅、ニューエイジ、スピリチュアル全般、他では古神道などなど広く浅くたくさん読みました。
そうそう、上のラジニーシも読みました。本の題名はもうほとんど忘れてしまいましたが、
ニューエイジ系の他との一体性(ワンネス)を説く本が、参考になったかもしれません。
(本を読む前に・・、よし、この本の内容すべて理解できた!と念じて、それから読むと効果ある)

私が本を読む目的は、自分の固定観念をはずすためでした。(読書禅とでも言うべきか)
あれはできない、これはダメ、あれは善、これは悪という相対的な観念や自己限定の排除です。
私は瞑想や座禅など苦手で一分と座っておれない性分です。
好きな読書や、散歩、通勤電車の中での思索がそのかわりになったようです。

その過程で、スレの上の方にもありますが、草木がこんにちはしてくれたり、
無機物であるはずの駅の券売機が話かけてきたり、通勤電車と一体になったり(笑)、
いろんな体験が続いて、その後にドーンですかね。

でも、こんな体験はあなたが言うとおり、ほんの最初の入り口です。
あんな状態がずっと続いたら、この世では生活していけませんから。
菩薩的な心境、他者への寛大さ・・・あの強烈な体験を、
現実生活の中で中和させていきたいと思います。
これからもっと先を目指して着実に頑張っていきます。
2281=158=225:04/09/30 00:10:24
>>226
>>227

御返事ありがとうございました。
自分は特にそうした体験はありませんが、
とても興味深かく、また羨ましいともおもいます。

その「体験」が、仏教的に(あるいは他の宗教的に)とらえて、どのような段階なのかは分かりませんが、
一度は通る道なのでしょうね。

個人的には、そういった体験を持ったことのないわたしが言うのもなんですが、実際は、「入り口」なのかな、と、、、。
宗教的な世界は、計り知れなく奥が深いのかも、と思います。

とにかく、みなさんの体験は、本当に共通点があり、興味深いです。
半ば面白半分に立てたスレですが、立ててよかったと思います。
229221:04/09/30 00:39:55
ありがとうございました。またロムります。
230224:04/09/30 16:22:12
最後に、二つだけレスさせてください。

>>144
>「すべては
> 明るい光のもとで
> 秩序正しく行われている。」

これよくわかるわ〜。自分の場合ビールの空き缶見てわかってしまった。
まだ独身のアパート一人住まいだった頃、ある朝目が覚めると、
自分のせんべい布団のまわりに昨夜飲んだビールの空き缶が5,6本散らかっていた。
寝起きの頭でその光景を見た時、パーンと観念が割れてその光景の
実相が見えてしまった。(思わずスゲーと口に出た。)
転がっている空き缶の一つ一つがただ無造作に転がっているように見えて、
実は、「完全なる秩序」にのっとって完璧に配置されていた、ということを。
すべてのことがらは何の過不足なく常に完全完璧であるということ。
普段自分たちが結果の世界しか見ていないからわからないけど、
原因の世界と結果の世界は相互に完璧に動いているということ。
この時私は、結果の世界(現実)の裏に潜む原因の世界の作用を、
複雑な幾何学的模様の連続として認知しました。
231224:04/09/30 16:23:53
>>151

>人の思考の範疇外のものごとは
>ひとの理解をこえています。
>ことばで表現できないことも
>あるのです。
>「すべてが
> 明るい光のもとで
> 秩序正しく行われています。」
>せつめいは無理なのです。

これもよくわかる。言葉や論理思考に落として説明できるものじゃないでしょう。
最大限落として、その言葉まででしょう。
この言葉に潜む実相の世界を読み解くしか術がない。

昔、「南無阿弥陀仏」だけ唱えてればいいよ、とか説いていたお坊さんが
いたらしいですけど。自分も以前は、そんなんで救われたら誰も苦労せんわ、
くらいに思ってました。。また「世界人類が平和・・云々」とかやってる
宗教もありますが、なんでそんなありきたりなことで世界が良くなると思って
いるのかな〜て思ってました。

でも、その言葉の裏にある実相を思い描いたとき、うわ〜これは自分には底知れない、
馬鹿にはできんな〜と畏怖を感じました。

以上、ながながとすみませんでした。