937 :
935:2006/06/19(月) 21:11:25
>936
ご返答ありがとうございます。
特定の雑念とは、ある不愉快な女性のことです。
以前坐禅堂で3泊4日で修行したとき、私に威張りちらしていたある女性です。
詳しくは書けないのですが、相当性格が荒れすさんでいるらしく周りに会社の
上司のごとく怒鳴ったりしていました。
その女性と読経中、隣どおしだったのですが、イタコの巫女のように唸ったり
するような読経の仕方で、隣にいて相当不愉快な思いをしました。
坐禅堂の修行が終わったあと、家で読経するとき、その女性の唸るような
おかしな声が妙に私の頭によぎり、現在集中できないときがあります。
このたった一人の女性のことが思い出されるのです。
声を大きく出すのも何かしらいい、方法になるかもしれません。
938 :
yamami:2006/06/19(月) 21:56:37
ある住職は「声を大きく出すこと」を第一にしていました。
939 :
929:2006/06/19(月) 23:05:38
私の質問にお答えくださった皆様、
御礼が遅くなりまして申し訳ありません。
>>930 私も法華経は、「諸経の王」と思って読経しております。
ただし、>931さんの仰ることも、事実として知っているだけに、
少々迷いが・・・、ってそこがダメなんでしょうねw
気にしながら読経なんてしたって、功徳にはならないでしょうからね。
>>932 確かに仏様から見たら、宗派なんて、単なる人間の派閥でしかありませんからね。
・・・と頭では納得しても、また気になるかもしれませんから、
今年のお盆にでも、菩提寺の住職に質問しようと思います。
>>933 気持ちの問題なのは、重々承知しているのですが、
回向文に回向の対象として、「先祖代々の霊位」とあるし、
自分としても、ご先祖様(個々ではなく)に回向した気持ちがあります。
そんなわけで、頭の片隅にいつも引っ掛かっているんですよ。
沢山の方々にお答え頂いたことで、かなり気持ちも楽になりました。
あとは前述の通り、菩提寺で尋ね、自分の迷いを吹っ切ります。
皆様、有難うございました。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/19(月) 23:41:53
法華経は本当に素晴らしいお経ですが
他のお経を否定するわけではありません。
そうでなければ天台宗で(天台宗の正式名称は
天台法華宗、法華経を第一経典としている)が
他のお経を読ませるでしょうか。総合宗教だった
からこそ、そこから様々な鎌倉新仏教が生まれる
ことが出来たのです。そして、一つの経典を真に
理解し心を込め唱え、そして唱えた人がその経典の
真実を生きれば何代にもさかのぼり祖先を救い
子孫の幸せにつながるといいます。
ただし本当にお経を読む人が心をその経典を
理解して生き方を変えていないといけませんが。
私は日蓮上人門下ではないのですが、三宝を礼拝し、浄水、焼香、花などで供養し、読経することは、これは全仏教に共通する善行です。
大乗仏教では善行の功徳を一切衆生に回向します。勤行には必ず四弘誓願とか普回向が入っているのはそのためです。
大乗仏教徒の修行として勤行をなさるのであれば一切衆生にその功徳が回向されているのですから、
御戒名を回向文に読み込む読み込まないに関わらずまちがいなくすべてのご先祖に功徳が回向されているのです。
それだけでなく、今生の先祖はもとより、前世の無量の先祖にも回向されています。
その上でご先祖の御戒名を回向文に読み込んで報恩の思いを新たにするのです。
>>935 私も鎌倉の某坐禅会でそういう思い出があります。
禅系ってたまにいるんですよね、そういうの。かく言う私も禅系の中の人なのですが。
942 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/20(火) 16:47:13
日蓮宗(他の日蓮系はわかりません)では荒行読みという
方法がありますが、素人的考えでは一字一句経文どうり
唱える事が重要なのではと思うのです。
或いは何かロイでもあるのかな・・・?
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/20(火) 19:07:14
>>942 ロイなんて言葉よく知ってますね
日蓮宗の行堂読みというのは、おそらく鍋かむり日親上人の影響じゃないでしょうかね?
どんな人かはご自身で調べて見てください
六根が整っていなければ、必ず不和になります
ですが法華経弘通に命をかけた方です
六根が整ってない状態でお経を読むと行堂読みになってしまいます。
944 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/21(水) 00:41:41
>>943さま
後半、何か難しいお言葉です。。。特に最後の一文が意味深げで><
945 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/21(水) 00:51:49
>>944 舌が無かったら行堂読みになるってだけよ
日親上人は法華経を弘通するが故に迫害を受けて、舌抜かれたり、チンチンに熱くなった鍋被らされたりしたわけですよ。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/21(水) 01:11:11
>>945さま
なるほど、そういう意味でしたか・・・。
しかし、日親上人の精神を受け継ぐ事と、日親上人の如く
舌の無いマネをして行堂読みをする事の意味がわからない
のですが。(難くせをつけるようでスミマセン、決してそういう
意味ではないです。
947 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/21(水) 02:21:39
ハァ〜勤行さぼってもうた。
お釈迦様、ごめんなさい。
南無妙法蓮華経。
948 :
925:2006/06/21(水) 05:07:30
>>926 さっそくレスを頂いたにも関わらず、
御礼が大変遅くなりまして、申し訳ありません。
「日蓮宗新聞社」で購入できるとは知りませんでした。
HPみたら、「勤行要典」がありました。さっそく購入したいと思います。
有難うございました。
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/22(木) 04:44:38
>>948 善哉。善哉。よきかな。よきかな。
お役にたてたようで、自分は嬉しいです。
それでは、いつか何処かで・・・・・。
南無妙法蓮華経。
950 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/23(金) 00:32:45
法華経に南無をつけてお題目として唱えたのは日蓮が最初なの?
それともそれより以前、例えば天台大師からあったの?
951 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/23(金) 03:33:35
あった・・・筈w
ただ、時機が未熟(像法)であった為に天台・伝教は南無妙法蓮華経を弘通せず
その時代に相応した教え(迹門)を説くに止めたのではなかったかな??
日蓮の時代は既に末法であり、時機に相応しい法華経本門の教学を広布したの
ではなかったか・・・。
どなたか訂正・補則plz
ついでに、今の天台宗では「南無妙法蓮華経」は唱えないの?
953 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/23(金) 07:10:21
954 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/23(金) 07:18:52
まあついでだ、教えたるわ。
懺法や本尊回向のところで一回きりであげる。まあ日蓮の人に分かりやすく言うと
回向文の『南無平等大慧一乗妙法蓮華経』みたいな感じでそれと違う事をお唱えします。
それに漢字の発音も全く違います。
因みに私は日蓮宗の信仰が少々偏っていて物足りないと感じる人です。
>>954 >因みに私は日蓮宗の信仰が少々偏っていて物足りないと感じる人です。
確かに。ただ、鎌倉仏教に共通して言えるのは、
「選択」ってのがあるから、日蓮宗ばかりでもないかと・・・
956 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/23(金) 17:18:19
特に日蓮系と真宗系はね、排他性強くて色々考えると深くは入り込めない。
浄土宗も先祖供養では根本陀羅尼あげるし、臨済宗曹洞宗も密教的要素を多く含むし、特に黄檗は念仏も唱える。
私は法華経も念仏も阿弥陀経、無量寿経もすきだけど、毎日同じは飽きますね。
毎日同じものだけ食ってるみたいな感じはとても無理なんです。
曹洞宗は食事の時にも十仏名といって
大乗妙法蓮華経と唱えますよ。
ただ、宋音なので
だいじんみょうはりんがーきー
と読むのですが。
朝のお勤め(朝課)も大抵普門品で始まって寿量品で終わります。
日蓮上人のアツいところ好きです。
尊敬するお祖師さまです。
新興宗教のせいで誤解が多いけど、釈尊中心で温かい人情家の
日蓮聖人が好きです。
>>956 そうですね。日蓮系と真宗系は「選択⇒偏向」の感は否めませんな。
ただ、やはり民衆に一番広まったのは、真宗系と日蓮系でしょうか。
戦後の新宗教にいたっては、日蓮系が圧倒的ですしね。
「選択⇒偏向」ってのは、わかりやすいから、民衆には受けが良いのでしょうかね。
ただ、少し日本の仏教に対する知識が、それなりに備わってくると、
自然の流れとして、天台みたいに、「総合的」な形を欲するようになりますな。
ちなみにウチは日蓮宗で、日蓮聖人はお祖師様として毎日手を合わせてますし、
幼稚園は真宗の寺だったので、親鸞上人も尊敬しているという、誠に変わった奴ですw
960 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 13:27:51
>>959 まさに!!そうです。
私は流れ着いたところが天台でした。プラス神仏分離前wみたいな。
一億総高卒の時代ですしこれから天台が流行る時期がきたら面白いな〜と思っています。
私は念仏も題目も心経も真言も祝詞も上げます。たまに座禅会とかカトリックの礼拝にも出るし。
自分は信仰の形態を形としてこだわる事が好きじゃないのかもしれません。
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 13:58:38
やっぱり多くの日本仏教の根本は天台にあると言うことだろうな。
多くの祖師たちも天台の学びをやっていたのだから。その意味では
最澄こそ日本仏教の父かもしれない。
祖父として聖徳太子や明日香、奈良の僧侶もいるが。
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 18:06:45
>>961 そうですね。
+円仁+円珍+良源+源信等も追加してね
963 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 19:32:28
心経に始まり、観音経、自我偈、方便品、不動経、理趣経偈、延命十句観音経と、読むお経を広げてきました。しかし最近、広げるばかりが能じゃないと思うようになりました。
心経の良さを再認識しております。心に満たされない不安があって、お経を数多く覚える事で、それを払拭しようとしていた自分です。しかし、娑婆世界の問題は、娑婆世界で解決するよりほかにない。
究極、心経だけでも充分。お経が好きなので、幾つか覚えましたが、それはそれでよい事でしょうが、心経はまた特別。心経は人生行路の護符だと言う本が有りますが、まさに、心を癒されます。短いので、自分で回数を決められる所が何より良い点。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 21:43:28
私も心経に始まり心経に戻って参った一人です。
このお経は奥がとてつもなく深い。色褪せることなくその世界に癒されますね
965 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/24(土) 23:40:43
950さん
恵信僧都源信の『往生要集』巻中 大文第六 別時念仏 第二 臨終の行儀 の中に
[南無平等大恵妙法蓮華経」とあります。
大乗仏典は数々あれど、好きな教典を一つだけ選べ、と迫られたら、
たぶん『妙法蓮華経』と答えるだろう。
『般若心経』は、補完する教典がないと、単一では魂の慰めとして、弱いと思う。
967 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 03:49:48
一つだけ選べなんて迫られる事はまあ、ないんだけどね。
968 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 10:55:43
『望月 仏教大辞典』からの引用
・『法華伝記』第五劉宋法華台沙弥条に「沙弥本意を憶ひ、自ら能く覚えず法華の題目を誦するに、獄中の罪人皆蓮華に坐し、地獄変じて涼池となる」と記載。
・『続高僧伝』第十七天台智に臨終の際に法華題目を唱えたとある。
わが国の天台宗においても
・最澄招来と伝わる『法華懺法』に「南無妙法蓮華経」の句あり。
・『修禅寺相伝』私注に「臨終の時、南無妙法蓮華経と唱ふれば、妙法三力の功に由りて速に菩提を成じ、生死の身を受けざらしむ」と記載
・心賀『二帖御抄』巻上に「只だ南無妙法蓮華経と十二時に不断に唱ふるの計りなり」と記載
・『諸寺縁起集』勝尾寺證如に「或は大乗の方法を説きて南無妙法蓮花経と称せしむ」と記載
・恵心院源信の空観に「娑婆の穢土を厭ひて極楽浄土を欣ひ、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無観世音菩薩と唱ふべし」と記載
・檀那院覚雲の『念仏宝号』に「南無開三顕一開近顕遠一切衆生皆成仏道平等大恵一乗妙法蓮華経」と記載
969 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 11:07:11
平気でお題目を発明したのは日蓮上人が世界で初めて、とか言い抜かす。妄想ババアとかいるからな〜
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 14:09:20
お墓でお経を上げてもいいものなんでしょうかね?
それとも、お経は家庭の仏壇や、しかるべき御宝前であげるものなんですか。
971 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 15:25:21
>>970 『曹洞宗のしきたりと心得』という本(全国曹洞宗青年会監修)によれば、
お墓参りにはお経を唱えましょう。
経本やリンなどを持参して、全員で、また、慣れている人の先導でお経を唱えれば、
これが先祖への最高の供養となりうるでしょう。
と書いてありました。
それ以来、私もお墓参りのときにはお経を上げますし、
家族で行くときは人数分の般若心経のコピーを用意して、みんなで唱えるようにしています。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 18:16:31
お墓でお経唱えてもいいと言う人もいれば、いけないと言う人もいるのが現実。仏に関る事は、人の数ほど答えがあるのが、唯一嫌な所です。
数学のように、答えが一つではない。一体どれを信じていいのか分りません。
好きなようにせい。
以上。
だね。好きなようにせい。
ただし大人数で大声出して周りの人の眉をひそめぬように。
975 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/27(火) 05:36:17
>>972 お経が死者供養の為に必要だと思うならお墓でお経唱えればよい。
お経が自分の救いのための教えだと思う人は、お墓ではあまりお経を唱えない。
あなたが何をどう信じるかで違うだろう。数学と一緒にされてもなぁ。
976 :
◆TpifAK1n8E :2006/06/27(火) 07:05:02
977 :
女官長:2006/07/02(日) 15:06:49
父母恩重経をお寺で買いました。(100円)
読み始めていくにつれて涙が止まらなくなり、こんなに泣いてしまうとはおもいませんでした。
お釈迦様ありがとう
978 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/02(日) 16:39:05
親は、子の幸せなそう顔を見るのが最高の幸せ。
だから、子は親や先祖の心配をするより自身の幸せが先だと思う。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/02(日) 18:19:45
>>977 明らかな中国製の偽経だからなあ。解釈本程度に。
中国系では道教でも読むみたいだしね、
道教のほうが読経による功徳が多く書いてあるかも。
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/03(月) 22:30:22
981 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/04(火) 00:16:42
>>978 おっしゃる通り、私の親もいつもそう言っていました。
自分のことは気にするなと。
今、自分は普通に生きています。
多分、親が心配する生き方はしていないと思います。
(結構幸せです)
出来ることは墓参りに行って、俺は元気で頑張ってるよ、って言うことくらいです。
でも、そう言ったときに、よくやったね、って言ってくれたら・・・と思わないでは居られません。
。・゚・(ノД`)・゚・。
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/04(火) 14:22:48
>>981 幸せですね。
よく、先祖供養をしないと不幸になるという宗派があるけど絶対間違っていると思う。
親は子供にそんなことを望んではいない。
親の望みは、子供が幸せになってくれること、ただそれだけ。
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/04(火) 19:10:14
985 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/07/04(火) 19:10:56
986 :
名無しさん@京都板じゃないよ: