浄土系のお坊様に質問です…  part2☆

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952名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 18:07:53
>951
別時念仏それ自体で狂うなんていうことはない。
別時念仏をして、何かわけのわからん体験をして、それを絶対だと思い込んでしまうと狂う。
953名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 18:21:00
けっきょく仏や菩薩が現れたとかの神秘体験を有り難がるような心が、狂気の源かも知れませんね。
何事にも執着せず平常心、捨の心が大事なのかも。
954名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 19:21:47
>953
後半についてはノーコメントですが、前半は仰るとおりですね。
神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
が強く働く場合が多いと思います。
955名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 20:04:39
>>954
なんでノーコメントなんですか?
じっさい別時念仏してて、思いも掛けず仏や菩薩が目の前に現れてしまったらどうするんですか?
そこで「ああ、そうかい。気にしない気にしない」と平静の念を保てるかどうかが、気が狂うかどうかの分かれ目じゃないですか。
だとしたら、こういう修行という非日常な行為をする誰もが知っておくべき、非常に大切なことではないですか。
956けちゃっぷ:2005/08/05(金) 20:20:21
念仏して気が狂ったとしたら、それは僕にとって狂うべき時だから狂ったのでしょう。念仏で往生できるんだから、狂っても狂わなくてもたいした問題じゃないですよね。
957名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 20:46:39
>>956
それだと蛇のいる竹藪にわざわざつっこんで行きながら、「蛇に噛まれたら噛まれたで仕方がない」と言ってるような
もんじゃないですか。
避けようがないものなら仕方がないが、修行者なら当然心得ておくべき心構えもせずに「狂うべき時だから狂ったのだ」
では、人を魔道に導いてるようなもんですね。
958けちゃっぷ:2005/08/05(金) 20:49:53
>957 すべてを阿弥陀さまに預け委ねるのだから、すべてお任せすればよいのです。狂うべきじゃないのに狂いかけたとしたら、阿弥陀様がちゃんと助けてくれますよ。
959名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 20:58:51
>>954
>神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
>が強く働く場合が多いと思います。
んじゃあ、真宗が肉食妻帯の理由としている夢のお告げはインチキつー事じゃん。
960名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 21:35:47
>>958
横断歩道を渡ったりするのも、すべて阿弥陀まかせですか。行住坐臥、気をつけるということがないのですか。
961名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:00:56
>>959
「夢」の意味合いが当時と現在では大きく違っているわけですが。
962名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:19:54
>959
真宗のって、あの観音さんが絡んでくるやつ?
親鸞が死ぬほど悩んだことと、突き倒しと同列に並べたらいかんぜよ。

浄土宗だって経巻解釈の正当性は善導・法然の神秘体験に基づく。
だが、宗祖のそれと現在の宗侶や檀信徒のそれを同列に見るわけにはゆかない。
後者がおのれの神秘体験を尊重して宗祖の言葉に違う考えをもつのなら、
所属宗派を離れて新興宗教を興すべし。
963けちゃっぷ:2005/08/05(金) 22:34:29
>>960 念仏してる時のことを言ってたんじゃないですか?
横断歩道渡る時は気をつけます。ただ、気をつけてても車にひかれる場合もある。それは阿弥陀仏にまかせればよい。
964名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:37:01
>>963
じゃあ、阿弥陀様におまかせして赤信号渡って来なさい。
965名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:08:39
>>963
横断歩道を渡ったりする時、車にひかれないよう、気をつけますね。当たり前ですが。
同じように修行をしている時も、気をつけなければいけませんね。

横断歩道の時は気づきが外に向いていますが、修行の時は内に向きますね。
人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)は仏、菩薩、聖者という形を取るかも知れないし、
魔、鬼、あるいは光、音、痛、快として現れるかも知れない。
どんな神秘体験が現れるにせよ、それに執着せず平常心を保つことが大切ですね。

念仏修行して気が狂ってしまった御仁も、この修行の基本の所を教えてもらっていなかったから
魔道に堕ちてしまったのかもしれません。浄土系の宗派ではこういうことは注意されていないのでしょうか。
966名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:40:50
>>961
>「夢」の意味合いが当時と現在では大きく違っているわけですが。
どう違うのか詳しく説明キボンヌ。
+   +
  ∧_∧  +
 (0゜・∀・)   ワクワクテカテカ
 (0゜∪ ∪ +        
 と__)__) +
967名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:46:04
>>962
>真宗のって、あの観音さんが絡んでくるやつ?
>親鸞が死ぬほど悩んだことと、突き倒しと同列に並べたらいかんぜよ。

神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
が強く働く場合が多いと思います。
(これがそのまんま現代の浄土真宗の坊さん連中に当てはまるんですがw)
968名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:52:54
日常生活は自力、念仏は他力。
自力の念仏などしているから魔道に堕ちる。
969名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 23:56:39
>968
またわけのわからんことをいいだす(プゲラ
念仏は念仏。自力も他力もあるかい。どうじゃこうじゃとうじゃもじゃぬかすな。
往生の得否を決めるのはあんたでも誰でもない、阿弥陀仏じゃ。
970名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 00:26:31
ウダウダぬかさず、念仏するって素晴らしいことじゃないか?
至誠心、深心、回向発願心、自然に備わってくる。
971けちゃっぷ:2005/08/06(土) 01:05:01
>>965 なるほど。
念仏は神秘体験が目的ではありませんからね。念仏三昧を目的とした自力の念仏ではありません。
972名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 01:47:44
>>966
西郷信綱の『古代人の夢』などの研究にもくわしいが、古代から中世にかけては、
自分で考えたことより、夢の中で異界からのお告げとして得たものが真実と見られていた。
人生で問題を抱えた時、その答えや方向性を求めて、観音寺院に一定期間籠もることが、
よく行われ、参籠といって、歴史にもよく出てくる。
親鸞が百日の参籠を行ったのは、比叡山での二十年の修行でも自分の求めるものを得られず、
山をおりて観音寺院である、六角堂に籠もり、九十五日目に夢の中で観音のお告げを得た。
神秘体験ではあるが、お告げの内容自身は当時の覚禅鈔の内容と酷似しており、
意識下にあった内容が夢として現れただけのようだ。今の夢と同じ。

夢告の内容は、結婚生活をしても浄土往生がかなうという内容であったが、
その夢を見てすぐに起こした行動は、法然のもとへ向かうということであった。
おそらく、破戒となる妻帯をした民衆でも念仏だけで救われるという、
法然が当時説いていた専修念仏の教えこそが、夢告で示された道だと思ったからだろう。
ただ、古代からの夢告と親鸞の夢告の大きな違いは、
その夢告の内容を確かめるために、法然のもとへ通い、納得するまでに百日をかけた点。
それまでの夢告のお告げというのは神秘体験として、絶対的なお告げであった。
いずれにしても、その体験は本願の教えに出会う前の経験であり、
新宗教の教祖が唐突な神のお告げをうけたというような神秘体験とは異なり、
中世においては、一般に認められた方法であった。
973名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 02:32:05
吉水へ行け!と言われたから法然とこ行ったんだけど
それに結婚生活の話なんかの夢告じゃないしー
974名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 07:52:30
夢見たくらいで、きちがい扱いですか
大げさな
975名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:01:46
夢の話もしちゃだめなの
ただの話題ですよ、話題。
976名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:04:47
>>967
ご自身は何の欲も、負の部分もないのでしょうね
977名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:18:00
>>972
長々書いてる暇があったら修行しとけ
どっちにしろ最後は念仏しようという腹があるから
浄土スレに粘着してるんでしょうね
978名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:29:02
芯に慈悲心のないのが難しいこと長々のべるのが仏教なら
何教でもいいんだっちゅーの、一般庶民は。
979名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:58:42
>>973
> 吉水へ行け!と言われたから法然とこ行ったんだけど
> それに結婚生活の話なんかの夢告じゃないしー

そりゃあ何かの聞き違い。浄土宗ではそうなっている?

当時の経験をくわしく聞いた奥さんの恵信尼の手紙が、
自筆でちゃんと残っている。
親鸞の死を見とった娘が、浄土往生したのか不安に思っていた。
その手紙に対する返信で、いきなりこの話が出ているから、
親鸞は浄土往生への不安が比叡山では解決できなかったので六角堂参籠をし、
夢告では、その解決への示唆をえたと思われる。
参籠をした六角堂の観音の本地は聖徳太子だと考えられていたから、
家庭生活をもった仏教者であった太子の生き方も、関係あったと考えられている。
980名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 14:14:09
吉水へ行けと明言したんだよ
そんでもって観音さんが玉女としてセックスしたげると言った
だから親鸞は奥さんになった恵信尼を観音さんとして大事にしたんだにゃ
981名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 14:53:12
>>980
きちんと文献をご覧なさいな。
982名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 16:22:37
なにみたらょぃかにゃ?
983名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 18:47:02
>>976
反論にもならないそんな皮肉はいいから、ちょっとは真宗が常日頃「迷信を排斥する」
と言ってるんだから夢のお告げが迷信でないということを論理的に説明してくれよ。
984名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 18:59:50
ROM の訪問者の方々へ
浄土教のお坊さんもいろいろと迷いながら、
これからのお坊さん像を模索中なので、
幻滅などされず、暖かなまなざしで見守ってください。
985名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 19:39:37
ほふねんさま
986名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 21:50:42
>>983
>>972 >>979
を読めばわかるだろう。
987神様:2005/08/06(土) 21:58:05
代理あげ
988名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:12:20
>>986
それならはじめから神秘体験否定すんなや。
マッチポンプが好きなのにも程がある。
989名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:21:51
既成教団の名前にあぐらをかいて、構成員のおつむは
オウムやアゴンシューとかわらないカルトの外基地。
いいかげん、自分のバカさ加減にきづけよ。
990名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:22:26
バカだから気がつかないのだ。それに今、気付いた。989は言うだけムダだな。
991名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:40:06
法然上人は、三昧発得して以来の数々の神秘体験を
死期が近付いて初めて語ったという。
昔から、こういった件に関しては口を慎むべきなんだろうな。

そういえば、けちゃっぷが、夢で阿弥陀如来さまに対面した話を
浄土宗のスレで語っていたな。
992名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:05:37
>>988
今のオカルト風の神秘体験とは意味が違いますね。
体験そのものを絶対視するのか、そこに論理を必要とするのかの違いですね。
993名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:07:39
>>991
法然のあれは、本当に史実だとされているの?
文献的にはどうなんだろうね。
994名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:15:10
浄土宗二祖聖光鎮西上人の法語には、
見仏を所期(目的)とする。

また、要偈でも
往生浄土 見 尊体(阿弥陀仏)とあるしな。

浄土宗では、仏を見奉ることは大変栄誉なことなんじゃないの?
995名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:33:26
仏の姿を見て喜んでどうするの?

単に自分の記憶や深層意識に焼き付けたイメージを見ているだけかも知れないのに。

修行が進んで深まっていく途中で、たしかに見仏体験のようなものがあるかもしれない。
だけどそんなことに一喜一憂していれば、修行がゲームのようになってしまう。
神秘体験が目的になり、悟りへの修行はそこで止まってしまう。

何が起きても、その起きていることに気づきながら、平常心を保つことが大切だ。
996名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:46:05
鎮西上人は
不離仏、値遇仏を旨とした。何故だ?

人間同士でも言えるけど、自分にとっていい人物は
出会って幸福感があるよな。その延長線上に、仏との出会いがあるのではないか?
997名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:11:06
見仏などの修行を雑行と否定したから、
専修念仏があるんじゃないの?
深層意識の反映にすぎないわけだけれど、
上にもあったように、神秘体験が絶対視され、目的になってしまう。

で、法然の神秘体験は、文献的に見て史実?
浄土宗の話じゃなくて、法然のが知りたい。
998名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:26:01
法然上人の体験談が史実かどうかなんて
証明する手立てがあるなら教えて貰いたいですな。
極楽に往生して、法然上人に直接聞きますか?

どうあれ、一点の史実にこだわる事は無意味だと思います。
当時の風俗、文化、修行の在り方や比叡山の実態など
様々な視点から考察をしなければ、本当の意味での
”史実”には辿り着けないのでは?
999名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:48:10
>>997
その専修念仏中に仏を見たりする人がいるから、どうしたらいいのかということですよ。
せっかく悟りを求めて修行を始めたのに、気が狂ってしまっては大変危険で残念ですね。
上の別時念仏のような例もあるから、仏道修行中に魔境に入るのをどう防ぐかという問題が注意されるべきですね。
結局、自分の見たいもの、都合の良いものを、心が勝手に作り上げて自分に見せるということがある。
「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺す」という覚悟を心に保っておくべきでは。
1000名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:01:23
なむみょうほうれんげきょう
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