1 :
NB ◆YIoCB90ZbI :
もう立てなくていいよ。
前スレの話も含めて、宗教板でやってください。
ですから、親鸞が
「袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しながらかれを食せば、袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、これを着しながらかれを食するものなり。」
と言った可能性は残念ですがあると思います。
あぼーん
>>2 同意.
前スレの初めの質問自体も,宗教板ですべき内容っぽいし.
俺が言うのもなんだけど.
9 :
前スレからコピペ:03/03/26 17:35
956 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 21:41
一 一切経御校合の事。
最明寺の禅門の父修理亮時氏、政徳をもつぱらにせしころ、一切経を書写せ
られき。これを校合のために智者・学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左
衛門入道[実名を知らず]ならびに屋戸やの入道[実名を知らず]両大名に仰せ
つけてたづねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人(親鸞)をたづねいだ
したてまつりき。[もし常陸の国笠間郡稲田郷に御経回のころか]聖人その請に応じ
ましまして一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連々昵近したてまつる
に、あるとき盃酌のみぎりにして種々の珍物をととのへて、諸大名面々〔と〕数
献の沙汰におよぶ。聖人別して勇猛精進の僧の威儀をただしくしましますこ
となければ、ただ世俗の入道・俗人等におなじき御振舞なり。よつて魚鳥の肉
味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず、これ
をきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまゐるとき、
最明寺の禅門、ときに開寿殿とて九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられて
いはく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟を脱ぎてこれを食す。善信の御
房(親鸞)、いかなれば袈裟を御着用ありながら食しましますぞや、これ不審」
と[云々]。聖人仰せられていはく、「あの入道達はつねにこれをもちゐるについ
て、これを食するときは袈裟を脱ぐべきことと覚悟のあひだ、脱ぎてこれを食
するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おほけていそぎ食べんとす
るにつきて忘却してこれを脱がず」と[云々]。開寿殿、また申されていはく、
「この御答、御偽言なり、さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればと
て御蔑如にこそ」とて退きぬ。
10 :
前スレからコピペ:03/03/26 17:36
957 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 21:41
またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また開
寿殿、さきのごとくにたづねまうさる。聖人また御忘却と答へまします。その
とき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら幼少の愚意、深
義をわきまへしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげ
てただ実義を述成あるべし」と、再三こざかしくのぞみまうされけり。その
とき聖人のがれがたくして、幼童に対して示しましましていはく、「まれに人
身をうけて生命をほろぼし肉味を貪すること、はなはだしかるべからざるこ
となり。されば如来の制戒にもこのことことにさかんなり。しかれども末法
濁世の今の時の衆生、無戒のときなれば、たもつものもなく破するものもな
し。これによりて剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきが
ゆゑに、これらを食す。とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむ
るやうにこそありたく候へ。しかるにわれ名字を釈氏にかるといへども、ここ
ろ俗塵に染みて智もなく徳もなし。なにによりてかかの有情をすくふべきや。
これによりて袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しな
がらかれを食せば、袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、
これを着しながらかれを食するものなり。冥衆の照覧を仰ぎて人倫の所見をは
ばからざること、かつは無慚無愧のはなはだしきに似たり。しかれども所存か
くのごとし」と[云々]。このとき開寿殿、幼少の身として感気おもてにあらは
れ、随喜もつともふかし。「一天四海を治むべき棟梁、その器用はをさなきよ
り、やうあるものなり」と仰せごとありき。
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/26 17:55
>これによりて袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しな
>がらかれを食せば、袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、
>これを着しながらかれを食するものなり。
何度読んでも、
袈裟を着て魚を食べれば、袈裟の功徳で魚が解脱する、
と親鸞聖人が信じておられた、
と読める。
さてこれをどう考えるかだが。。。
>719さん
>何によって真実を見る事ができるのかというと,南無阿弥陀仏によると思うのです.
>だから,南無阿弥陀仏は諸仏だと考えています.
前半はその通りだと思いますが、後半は違うんじゃないでしょうか。
諸仏とは釈尊とかいった具体的な人間です。
私にお念仏の教えを伝えてくださる方が諸仏です。
>「ああ,南無阿弥陀仏だったんだ」という覚りの上での南無阿弥陀仏ならば,
>それは南無阿弥陀仏を称えることは目的であると思います.
これまたもっともです。
一切経校合ということがあったのは間違いない事実ですが、
それに親鸞が招かれたということ、そして宴席に魚が出たということは、
どうも納得がいきません。
その時の執権である北条泰時は明恵の弟子で、後に泰時は出家をしています。
明恵は戒律をきちんと守った人として有名です。
その人の弟子である泰時が僧侶を集めた宴席に魚料理を出すものでしょうか。
おまけに、一切経校合を行ったとされる文暦二年は、その直後に鎌倉幕府に
おいて念仏者の抑圧令が出された年です。
それには、黒衣の念仏者が諸所横行し、魚鳥を食い、女人を招き寄せ、
とあります。念仏者は魚を食べるからけしからん、と言ってるんですよ。
そして明恵は法然の「選択集」を徹底的に批判した人です。
法然やその門下を快くは思ってはいなかったでしょう。
ですから、明恵の弟子であり、念仏禁止令を出す泰時が、大事な一切経校合と
いう仕事に、法然の弟子であり、僧籍を剥奪され、公然と妻帯している親鸞を
招くだろうか、と疑問に思います。
口伝鈔の記述が歴史的事実かどうかは水掛け論になります。
その記述をどう受け止めるか、ということの方が大切なんでしょうね。
15 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/26 21:26
なんで浄土宗の寺は閻魔像がおおいんだ?
あぼーん
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/26 22:57
>>14 リンク先を読むと
>親鸞が袈裟を脱がなかったのは、単に魚鳥の慈悲のためだけでない。
>小利口(こりこう)に、袈裟をぬぐ僧たちの偽善よりも、どうどうと
>魚鳥を食する「黒衣の念仏者」の側に、かれは自(みずか)らをおいたのである
袈裟を脱がなかった理由としてこれは判るけど「魚が解脱する」とはどう考えても思えないんだけど・・・。
そのくせ「清め時をは迷信」と言われても説得力がなぁ・・・。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/26 22:58
間違えますた。訂正(汗)
「清め時をは迷信」=>「清め塩は迷信」
6で書き込んだ事は無かった事にしよう(笑
>>12(=Qさん)
>>だから,南無阿弥陀仏は諸仏だと考えています.
>前半はその通りだと思いますが、後半は違うんじゃないでしょうか。
>諸仏とは釈尊とかいった具体的な人間です。
>私にお念仏の教えを伝えてくださる方が諸仏です。
あれ?南無阿弥陀仏って口に出して称えません?
そして,他の人が称えているのを聞いたことありませんか?
20ゲットのついでに
前スレ976などで,
>この目標とはいつか到達できる目標ではないと思います。
>それに、煩悩まみれの人間が「真実を体現」できるものでしょうか。
のような問いを受けました.
でも,改めて私は問いかけたいと思います.
人間は夢でも見ていない限り,真実以外の何かをする事ができるのでしょうか.
別に「人間」に限定しなくても良いのですが・・・
お坊さんっていい・・・ね♪
>タケさん
言葉の定義をきちんとする必要がありますよ。
> 南無阿弥陀仏って口に出して称えません?
称名ということがどうして南無阿弥陀仏=諸仏ということになるんですか。
南無阿弥陀仏という名号によって、法が私にいたるわけです。
教えにあった人の念仏を私が聞くことによって、私も念仏する身となる。
その教えにあった人を諸仏と言うんです。
> 人間は夢でも見ていない限り,真実以外の何かをする事ができるのでしょうか.
真実ではなくて、事実です。
人間には真実はありません。虚仮不実の我が身です。
>>22(=Qさん)
すみません.
確かに言葉足らずっていうか,説明不足っていうか,手順をすっとばしたというか・・・
「私も南無阿弥陀仏だったんだ.」という覚りから生まれる名乗り.
それが称名かと思います.
>人間には真実はありません。虚仮不実の我が身です。
了解.確かにその通り.
では何が真実か.それは南無阿弥陀仏だけである.
人間は南無阿弥陀仏である事.それが真実である.
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/28 06:54
>>17 同意です。
袈裟を脱いで魚を食べる行為が偽善であって、それを嫌われた、というのはわかる。
しかし、それを説明するのに、袈裟の功徳をもってされた。
しかも念仏がまるで出てこない。
三部経読誦の時は念仏と対比されて読誦の方を止められたというのに。
そこで考えられることは、読誦は行であるのに、袈裟は行はではない、ということである。
読誦は行であるから念仏が対比されたが、袈裟は行ではないので念仏が出てくる余地が無い。
また考えるに、これはつまり、袈裟の功徳ということが、この時代の常識として広く受け入れられていた、というしかあるまいと思われる。
であるから、九歳の幼童も納得したのであろうと思う。
ただ今から見るとばかばかしい迷信としか見えない。
つまり親鸞聖人といえども、その時代の子としてその時代の制約を受けておられた、ということだと思われる。
>>23 > 「私も南無阿弥陀仏だったんだ.」
あるいは
> 人間は南無阿弥陀仏である事
これはどういう意味なんでしょうか。
「私は南無阿弥陀仏を名のるものである」というのならわかるのですが。
念仏の仏は法ですし、成仏の仏は人間です。
>>24 袈裟をつけて魚を食べたら、魚が解脱する、というのだから、
袈裟をつけて魚を食べるという行為は行になるんじゃないでしょうか。
9才の子どもに対して親鸞聖人は、冗談のつもりで軽く言ったのか、
それとも本気だったのか。
> 念仏の仏は法ですし、成仏の仏は人間です。
その通りです!
「南無阿弥陀仏という事だったんだ」
と言えばいいでしょうか?
28 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/28 20:28
>>26 袈裟を着けているだけですから、行にはならないと思います。
たとえ広く解釈して行になったとしても、口伝抄では、行とは考えられていないと思います。
また、冗談であったならば、開寿殿も、
>感気おもてにあらはれ、随喜もつともふかし。
とはなるまいと思います。
>>27 > 「南無阿弥陀仏という事だったんだ」
やっぱり意味がわかりませんよ。
私=南無阿弥陀仏
うーん。
>>28 口伝鈔のこのエピソードは覚如の創作であるとする学者が多いそうですが、
やっぱり親鸞がこんなことを言ったなんて認めたくないですよね。
親鸞といえども間違いがないわけじゃない、時代の制約を受けている、ということでしょうか。
まさか曾孫がこんなことを書き残すとは思いもしなかったでしょうが。
あぼーん
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/29 11:42
門徒はデムパが多い。本当に多い。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 07:38
口伝鈔、でしたね。失礼しました。
ところでもう結論が出たみたいですがあと少し書いてみます。
このエピソードが史実であるか創作であるかということは、さほど問題ではなく、要は、この話が浄土真宗にとって意味のあるエピソードとして記録されたことです。
そこでこの話の眼目を考えてみると、袈裟を脱がずに魚食されたこと、つまり偽善を嫌われたということだろうと思う。
>>14 袈裟の功徳云々は、当時の常識、現在の迷信であって、浄土真宗としては瑣末な部分であると考える。
>>24(もっとも前スレにもあった通り、仏教的に考えても実は迷信だったりする。)
ということは、迷信に捕らわれることは、さほど問題ではなく、むしろ偽善に気づかないことの方が、よほど問題であると、いうことかも知れないですね。
そういえば思い当たるふしが、なかったりあったり。
33 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 12:01
>>32 ふむふむ。判りやすい説明でよいですね。
でも、それが何で「清め塩は迷信です」と言うポスターを作って
神社神道の儀礼・作法にケチをつけている納得できる理由には
ならないと思うんですが・・・。
>神社神道の儀礼・作法に<略>
日本の古くからの民族習慣ではあっても、「神社神道」とは言えない
部分だぞ。大丈夫か?
>日本の古くからの民族習慣ではあっても、「神社神道」とは言えない
>部分だぞ。大丈夫か?
習慣儀礼は迷信なんですか?どうも浄土真宗の言うことって
さまざまな部分で浄土宗に比べてひねくれているとしか思えないんですけど・・・。
それと教義上は位牌は要らないらしいけど浄土真宗の檀家が全員浄土に
生まれ変わることは絶対ありえないわけで、死後の追善供養が必要な故人は
位牌の無い浄土真宗のでは場合によっては位牌の替わりに子孫の体にすがりつくこともあるわけで
(位牌は中国発祥らしいですが古いタイプのものは穴があいていてまさに
故人の霊魂が子孫の体の替わりに「取り付く島」として発生したようですね)
巷で言う不成仏霊が増える原因だと思いますがねえ。
もっともオラの場合は霊感体質だからそう考えるんで教義上の知識しかない
あたまでっかちの学僧との論議は平行線だろうね。
>>29 「阿弥陀仏に南無する存在だったんだ」ではどうですか?
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 15:59
>>35 >浄土真宗の檀家が全員浄土に 生まれ変わることは絶対ありえないわけで、
あのー、真宗の教義知ってます?
あぼーん
>>37 本願寺の教学研究所HPは4月1日で一時閉鎖されましたが何か?
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 19:27
スレ違いかもしれないが、とある掲示板で南無阿弥陀佛というHNの人見たことあるな。
>>36 納得です。
でも、南無阿弥陀仏が諸仏だというのはやっぱり納得できませんよ。
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 21:17
>>33 >納得できる理由にはならないと
私も思います。
つまりポスターなど作るということが、
偽善に当たるのではないかと思うわけです。
43 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/01 22:49
むしろ死を穢れと捉える神道の現代的な立場を問いたいが…
>>43 ふ〜ん。するとNHKの特集でもやっていたが死後必ず救われると言う
信念の元に領主に対する一揆で死ぬこともいとわないと言っていましたから
真宗ではイスラム教徒のように自爆テロもOKなわけですね?
(厭離穢土欣求浄土で自爆テロっていうのは願ったりかなったりですね)
ちなみにオラは
>むしろ死を穢れと捉える神道の現代的な立場を問いたいが…
死んだら肉体は(放置した場合)腐って腐敗するから清浄ではないと思うけどね
真宗の考え方だとライフスペースみたいにベッドに3ヶ月ほど寝かしておいても大丈夫なわけですね?
一揆とテロが同列か・・・?
>>44 真宗でなくても(多少の語弊は覚悟で)死後必ず救われる宗派はあります。
また前すれ229さんの穢れ思想は否定しませんが、
死体の腐敗と死の穢れを同列に考えるのはどうかと…
ちなみにあなたのやり方は遥か昔からある、浄土煽りの手法です(w
真宗くさしが楽しいのは事実ですが、程々に。
ちなみに私は、一方的に真宗の清め塩否定を非難するのではなく、
現代の中で「神道の習俗であるという清め塩」や「死は穢れであるという思想」
などをどのように位置付けるのかを聞きたいと思ったまで。
そうそう個人的意見として追記しておきますが
現代人日本人の場合迷わず冥土(あの世)に行くのはせいぜい3割程度だと思います。
残りのおよそ7割は巷で言う不成仏霊になるか位牌にくっついて追善供養を受けておられます。
死後49日で迷わず成仏(ここでは迷わずあの世に行くという意味合い)するのは少数派だと
思いますけどね。
阿弥陀如来さんの他力本願でも生前信じなかった人は救うのが大変だと思います。
現代人は浄土に生まれ変わるにしても死んでからものすごく時間がかかると思います。
49 :
超真剣です!!!マジで聞いてください!!!:03/04/02 02:47
当然全然、関係ないレスすいません。
私は下記の事件の一部は2ちゃんからコピーしたものでこの内容を書いた人は無関係です。
これはあの有名な1989年に起きたコンクリート詰め事件の一部です。
私はこれを読み、涙がとまりませんでした。そして色々考えた末、人生深く考え
させられ、得るものがとてもおおきかった。です。
これは人間や人生を考える上でも「絶対」無駄ではありません。みなさんの邪魔をしてでも、やるべきだと思い(大変自己中だけど)
長い目でみれば、決して人生や人間考える上でも無駄にはならない、又彼女の超悲惨な殺され方を「絶対無駄にしてたまるか」と思い、恨まれるのも覚悟でやらせていただきます。(できれば恨まないで欲しいですが)この事件は絶対忘れてはならない事件です。
たとえ99.9%の人が幸せでも残る0.01%の人が(超)不幸なら、そんな世の中、絶対承認しない!!!!!そんな世界いらない!!!!!(私の心の底からの叫びでした。)
皆様方が(大多数の人が)こんな事件を心底、もう二度と起こって欲しくないと思えば、地球の想念がレベルアップし、あまりにもひどい犯罪は減ります。
皆様が普通に生活してる間にこのような恐ろしい見るも無残な犯罪が起こってるのです。
他人の痛みに鈍感であってはなりません。
50 :
超真剣です!!!マジで聞いてください!!!:03/04/02 02:47
何年か前、女子高生をドラム缶にコンクリ詰めにした少年グループの犯罪がありまし
たよね。よく遊ぶ友人の家族が警察関係に勤めておられまして、その方からの当時のお
話です。
その方が警官になるときの教官がこの事件の取り調べをなさった方で、被害者が監禁
されていた部屋を見てただの青少年の犯罪とは思えなかったとおっしゃったそうです。
床・壁はもちろん天井にまで犠牲者の血が飛び散っていたのです。私がそこを聞き流す
様子を見て、「でもね、いっとくけどね。人を殴って天井に血はつかないよ。もう、だ
らだら血を流している人間の顎を更に殴り上げるようなことをなんべんもくり返したん
だよ」と。「さらってきた女の子相手に、いわゆるやくざや過激派のリンチ顔負けだよ
」。★聞くところによると、ドラム缶の中から出てきた遺体には頭髪が残っていなかった
そうです。なぶられ続けたストレスで、生きている間に全部抜けてしまっていたんです
ね。
「コンクリート詰め事件」を検索すればわかる。
51 :
超真剣です!!!マジで聞いてください!!!:03/04/02 02:47
日本最大超残忍事件!!!!!
女の子が40日間監禁され、計100人ぐらいに強姦、朝から晩まで超暴力と超陵辱された。
膣を灰皿代わりにされ、自慰を強制され、真冬に裸で外(ベランダ)に出され、裸で踊らされ、膣やお尻の穴に鉄の棒を突っ込まれ、20キロの鉄アレイで殴られ、瞼にろうそくをたらされ、
膣にマッチ棒を入れられ、膣や裸体をライターで火あぶり、精液を大量に飲まされ、500ccの尿を飲まされ、基礎の他むちゃくちゃ。(生きてるか死んでるかわからないが)ゴキブリも食わされたそうだ。
殺された彼女の親友が言うには、監禁され殺される一日前、幽霊となって「助けて!」と親友に助けを求めたが、親友はどうすることもできず、泣きじゃくった。
「狂宴犯罪」は 一ヶ月以上 続いた 。
そして殺された。
死体の顔は目の位置がわからないほど、変形し、親でも誰かわからず、原型をとどめてないほどで、性器のほうは顔よりもっとひどく完全に破壊されていた。死体の膣にオロナミンC2本はいっていた。
裁判記録は死ぬほどエグイ内容であった。「コンクリート詰め事件」で検索すればわかる。
>>47>>48 個人的に死が穢れである思想はそういった伝承からではないと思います。
なぜなら、この伝承は遍在性が無いゆえ。
(江戸時代とか時代が下れば別です)
#多くの伝承には意味が含まれますので、そこにあるメッセージをどう
#捉えるか…とかはまた別の問題ですネ。
もっと違う部分で穢れ思想が生まれていると思います。
これについてはいずれ。
死体の穢れですが、汚いものを昔の人はあのように丁重に取り扱うものでしょうか?
どちらかといえば、死というものの非日常性への畏れがあのような
かたちをうんでるのではないでしょうか?
たたりとかも絡んでくるのかもしれませんが…
座棺で石を抱えさせることはよみがえりへの恐怖でしょうし、
花を以って野辺に送るのも鎮魂の要素が含まれているのかもしれません。
土葬が一般的であった時代を考えると、単純に汚いと考えるのは難しい
と思います。
死後は宗旨によって、考え方はまちまちですのでどうなるかというのは
なんとも言いがたいところですが。個人的にどうか?と問われたなら、
死すれば必ず極楽に往生します、と考えます。
四十九日、位牌など思想は所詮迎合であって、浄土の本筋ではない、と考えます。
100人が100人往生できるのが浄土の考え方です。
私はこのように受け止めさせていただいてます。
坊さんではないので、深い突っ込みはご遠慮ください(爆)
ところで神道で「追善供養」「位牌」などを考えるのかしら
53 :
SHIROUTO:03/04/02 13:18
ちなみに真宗の浄土往生は死後のことではありません。
「死」という言葉を使うと、何か生命の終わりを考えてしまいますが
真宗でいう命とは「自分の依って立つところ」という意味です。
例えば「道具は大工の命」とか「刀は武士の魂」とかで表現されている命です。
ですから自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて
仏に依って立つ身に変わることを往生といいます。
>>41 もっと詳しく表現しますと,「阿弥陀仏に南無する存在だったんだ」と認識して,
「南無阿弥陀仏」と名乗る.
個人的に面白いと思うのは,
認識していようがしていまいが,阿弥陀仏に南無する存在であることには違いない(だって真実だもの)ので,
「南無阿弥陀仏」と念仏する事について,「認識する」,という事自体が重要では無い,ということか.
形的には,あなたも「私は南無阿弥陀仏なんだよ〜,あなたも南無阿弥陀仏なんだよ〜」って言っている.
だから,教えてくれる人は,自分に念仏を教え示す存在になると思うのですが・・・
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/02 18:49
>>53 >自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて
>仏に依って立つ身に変わることを往生といいます。
根拠となる聖教の文句をお示しくださるとありがたいです。
>>52.43
質問です。
>死すれば必ず極楽に往生します、と考えます。
これは浄土真宗の檀家全員ですか?
それとも檀家の中で阿弥陀如来を信じている人だけですか?
真宗以外の仏教徒も全員ですか?
仏教徒以外の外教の人間は死後どうなりますか?
(オラは真宗の檀家だろうと外教の人間であろうと全員は往生はしないと考えます
ネオ麦茶や池田小殺人事件の犯人が真宗の檀家だったら往生するかどうかと言えば
そんなわけはありえませんワナ。)
57 :
SHIROUTO:03/04/02 22:18
教典の「仏説観無量寿経」では王舎城の悲劇として物語が語られて
そのなかでイダイケという名の王妃が牢獄の中で往生する姿が現されています。
「打ち破られる」ということを「光をこうむる」とか「照らされる」という表現で言われています。
あとよく「極楽国土」とか「浄土」という言葉で「仏の国土」が言い表されていますが
「依って立つところ」というのが「国土」です。
誰もが自分なりの「国土」をもって生きているわけです。
例えば男なら「男」という国土、家庭という国土、日本人という国土、何々会社の社員という国土・・・とかです
「男」という国土ひとつ取り上げてみても、それは時代や環境やその時の風習、文化、思想などでその内容は違ってきます。
でも共通して言えるのは、どれも必ず「自分に依って立っている」ということです。
その国土、つまり「依って立つところ」を問題として取り上げているのが浄土の教えです。
「死すれば必ず極楽に往生する」というのは、何に死するかが問題です。
単に生命が終われば往生するならば、「死んだ方がいい」となってしまいます。
仏教の目指すところは、「いかに生きるか」ですから
生きることが定まれば、同時に死ぬことも定まるのではないでしょうか。
死後のことが不安であるならば、実は生きることが不安なのだと思います。
今までの自分中心の生き方に死んで、新しい人生を歩み出すのが往生です。
死後の世界は、誰もが死んでみないとわからないと思います。
>>57 質問です。
>「死すれば必ず極楽に往生する」
浄土真宗では「(死後の)極楽往生」と「(生きている間の)往生」は違うと
考えていいのでしょうか?
もしそうならば生身で往生した人に会わせて下さい。
(大木こだま・ひびき以外でおながいします)
そんな人は居ないと言うなら嘘もしくは迷信ですよね?
59 :
SHIROUTO:03/04/03 00:43
生きている間の往生が成就すれば、死後往生は問題にならないはずです
浄土往生は「出離生死」ですから。
往生した人とは、絶えず自己を問い、教えを聞き続けていった人々です。
だから決して有名人ばかりではなく、近所のおばちゃんかもしれませんね(笑)
でもそういう名も無き人たちが真宗の歴史をつくっているんです。
もう少し細かく言えば、仏に出会い(仏)、その教えに出会い(法)、
その教えに生きることを勧めてくれる友(僧)に出会った人のことです。
一度往生すればそれで終わりにはならないのです。
そこでさらに自己が問われ、また往生への歩みが始まります。
往生は最終目的であると同時に出発点でもあるわけです。
往生した人は、その生き様に現れ出ています。
私たちが往生した人に出会うときには、その人が何を言ったかよりも
どんな人生を歩んだか、その生き様を見るべきでだと思います。
法然や親鸞も生身で往生した人だと思います。
名の通ったひとを挙げるならば、清沢満之や安田理深です。
60 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 01:26
>>59 スミマセンが再度質問です。
では、生きている往生は本来の天台宗や浄土宗とはちがう言葉の用法でありますが
「勝手に改ざんするな」と天台宗や浄土宗から言われたらどうするのですか?
(どうりで前スレ719氏が意味不明の死後のことを言っている人がいたら見てみたいもんだ
と(浄土真宗以外では通用しない)訳のわからないことを言っていたわけですな・・・。)
ちなみに真宗では他力本願の使い方が違うとマスコミにクレーム入れまくっているようですが
往生の言葉の用法を勝手に変えるのはこれってライフスペースや法の華の
勝手な定説やデタラメ教義とどうちがうのですか?
62 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 07:01
>>57 例えば、何々という聖教のこの個所の「往生」という言葉は、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
という意味を表しています。
というふうには指摘できないものでしょうか?
それと、
>教典の「仏説観無量寿経」では王舎城の悲劇として物語が語られて
>そのなかでイダイケという名の王妃が牢獄の中で往生する姿が現されています。
>「打ち破られる」ということを「光をこうむる」とか「照らされる」という表現で言われています。
これがどこを指しておられるのかわからないのでご指摘願います。
63 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 07:05
>>59 >法然や親鸞も生身で往生した人だと思います。
>名の通ったひとを挙げるならば、清沢満之や安田理深です。
清沢満之や安田理深という人はおっしゃる通りかも知れません。
しかし、法然や親鸞が、「往生」をそういう解釈で理解されていたとは、ちょっと思えませんが。。。
>>54 > 認識していようがしていまいが,阿弥陀仏に南無する存在であることには違いない(だって真実だもの)ので,
>「南無阿弥陀仏」と念仏する事について,「認識する」,という事自体が重要では無い,ということか.
まあ、たしかに理屈ではそうなるのかもしれませんが、
しかし気づきがなければ、これは単なる観念論です。
「認識する」ということは重要です。
往生についてのやりとりがありますが、
今往生しているかどうかということは、
それは仏のはたらきを認識しているか、あるいは認識していないか
ということじゃないでしょうか。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 08:09
test
66 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 08:10
test2
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 08:10
test68
>>61 ちなみに西山系でも生前往生は説かれます。
真宗だけではないですね。
私が「死ねば」といったのは、飽くまでも死の穢れ関連で
申し上げたまでのことです。言い訳がましいですが。
69 :
SHIROUTO:03/04/03 10:56
往生の理解の違いがあるのは事実です。
一つの言葉を様々な人たちが様々な理解をしてもいいと思います。
そこで理解の違いによって相手を批判するのではなくて、
自分の理解をもう一度見直したり、確かめることが大切だと思います。
そして様々な理解の中から、自分が納得できる理解を選び取ればいいのでは
ないでしょうか。
往生理解で親鸞の言葉を引いてみます。『末燈鈔』より
「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆえに。臨終ということは、
諸行往生の人にいうべし。いまだ、真実の信心をえざるがゆえに。
途中略
真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。
このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。」
もうひとつ、法然の言葉
「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」
>>64 うん.そうだと思う.
南無阿弥陀仏であるならば,
(自分の感性・悟性が働かなければ)本当はここは阿弥陀の国(=浄土)だったんだなぁ.ってね.
私はこれは目的であり,また出発点だと思います.
そして,浄土系(もしかすると浄土真宗だけ?)では「悟り」ではなく,
「覚り」と書くゆえんであると考えています.
71 :
SHIROUTO:03/04/03 14:07
身の回りで起こる現実によって自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られるのです。
「こんなはずじゃなかった」って思うときって何度もありませんか?
イダイケも自分の息子や釈迦の親戚のダイバダッタによって幽閉され
母でもなく、妻でもなく、国王夫人でもなく、生きる場所を失ってしまって
こういう身に生きる場所があるのか?と仏に求めたわけです。
「こんなはずではなかった」と思うときが、打ち破られた時ではないでしょうか。
そして仏はイダイケにあらゆる浄土(生きる場所)を見せるわけです。
その中でイダイケは阿弥陀の浄土を選び取ったわけです。
あぼーん
往生について。
曇鸞和讃
六十有七ときいたり
浄土の往生とげたまう
そのとき霊瑞不思議にて
一切道俗帰敬しき
帖外和讃
超世の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり
往生について、親鸞は死後と現生のどちらの意味にでも使ってます。
>>70 > (自分の感性・悟性が働かなければ)本当はここは阿弥陀の国(=浄土)だったんだなぁ
( )の中の意味は、はからいとかそういった意味でしょうか。
それで、いつも反対ばかり言うようなんですが、ここは浄土じゃなくて穢土です。
親鸞の教えでは娑婆即寂光土じゃないと思います。
それと、これは不勉強なんですが、「覚り」と「悟り」は意味が違うんですか。
75 :
SHIROUTO:03/04/03 16:00
自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わることを
「廻心」(えしん)という言葉でいわれています。
唯信鈔文意には「廻心というは自力の心をひるがえし、すつるをいうなり」
歎異抄16章には「弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころこころにては、
往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ
回心とはもうしそうらえ」
>>74 一見違うように見えますが,一部同じです.
では,穢土にしているのは誰でしょう.
77 :
SHIROUTO:03/04/03 16:06
「死ななければ往生できない」というのも大事な意味があると思います。
もっと言えば「死んでも往生できない」というのが凡夫の自覚内容では
ないでしょうか。
あぼーん
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/03 19:18
>>69 >往生の理解の違いがあるのは事実です。
つまり、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
これ以外の解釈が、真宗においても成り立つといわれるわけですね?
引用された法文だけでは、どのようにも取れます。
>>71 もう一度お尋ねします。
>教典の「仏説観無量寿経」では王舎城の悲劇として物語が語られて
>そのなかでイダイケという名の王妃が牢獄の中で往生する姿が現されています。
>「打ち破られる」ということを「光をこうむる」とか「照らされる」という表現で言われています。
これに該当する部分を、解釈ではなく、経典の文句で、お教えください。
>>73 その帖外和讃が往生について云われたものとは思えませんが。。。
>>75 廻心=往生
というご主張ですか?
80 :
SHIROUTO:03/04/03 22:52
さまざまな人たちによって様々な解釈がされるのは当然な流れだと思います。
そういう流れは、どの解釈が真実であるかの確かめになるのだと思っています。
ただ、自分の都合の良いように勝手に解釈したり、自分を正当化するために
仏法を利用することを誹謗正法といって重い罪とされています。
教典から引用ですか・・・長くなったらごめんなさい
すでに韋提希は牢屋の中に居るというところがポイントです。
時韋提希 見仏世尊 自絶瓔珞 擧身投地 号泣向仏 白言世尊 我宿何罪 生此悪子
世尊復有何等因縁 與提婆達多 共為眷属
唯我世尊 為我廣説 無憂悩處 我當往生 不樂閻浮提 濁悪世也 此濁悪世處 地獄餓鬼畜生 盈満多不善聚
願我未来 不聞悪聲 不見悪人 今向世尊 五体投地 求哀懺悔 唯願仏日 教我観於清浄業處
爾時世尊 放眉間光 其光金色 遍照十方・・・・云々
廻心にはまず、方向が変わる意味の廻心があります。
次に、立つところが変わる意味の廻心があります。
立つところが変わる方が=往生だと思います。
帖外和讃は、不用意にこういう議論の場に出すべきじゃないと思うけどなあ…。
>さまざまな人たちによって様々な解釈がされるのは当然な流れだと思います。
と言うことはマスコミの他力本願の本来の用法と違う使用方法に対して
ケチをつける浄土真宗は言っていることが真実であるとすれば
当然のことながら間違っているわけですね?
>>69 >往生の理解の違いがあるのは事実です。
当然のことながら神社神道が「清め塩は迷信じゃありません」
と言えばそれも可也でしょ?
それをわざわざポスター作っていると言うことは各個人の坊さんの意見は
いろいろあるだろうけど教団としては自宗の意見は絶対正しくて
神社神道の見解は間違っているというものすごい傲慢なわけでしょ?
84 :
SHIROUTO:03/04/04 01:23
マスコミで「他力本願」が使われた事をきっかけにして
もう一度「他力本願」の理解を深めていくことは良いことだと思います。
清め塩を通して、死について話し合いが行われることも良いことだと思います。
現に、ここでも意見を交わしあわれていましたよね。
意見が対立しようとも、両者が本気で命を見つめようとしているからだと思うからです。
他を、傲慢だとか間違っているとか批判する時は、その人は相手を見下しているところに
立ってものを言っていることが多いようです。
相手を批判したいと思ったときに、いったい自分はどういう物の考え方で、
またどんな価値観を持っているのかを考えて見ることが大切だと思います。
>>76 穢土にしているのはもちろん私です。
しかし、どう頑張っても私には浄土にすることはできません。
以前、この世において成仏するといったことを言われ、
それに対して私が、浄土教では即身成仏は説かない、と書きました。
この世においていかに修行しようとも仏になることはできないという
徹底した絶望が、浄土教にはあります。
我が身は罪悪深重の凡夫であり、この土は穢土です。
なんかとなるものではありません。
仏と私、浄土と穢土をはっきりと分けるのが浄土教です。
同じではありません。
86 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/04 07:31
>>80 お答えありがとうございます。
しかし、引用された観無量寿経の部分は、韋堤希が釈尊に懇願している部分で、とても韋堤希が「光をこうむる」とか「照らされる」とか、とは思えません。
そもそも韋堤希はここでは、未来に悪声を聞かじ悪人を見じ、とか、阿弥陀仏の所に生れんことをねがう、とか言っているわけで、まだ自分の価値観やものの考え方が打ち破られたとはいえないでしょう。
廻心=往生については、いたづらに言葉の意味をいじくっているだけのような気がします。
廻心と往生とが違うことを表す言葉だからこそ、廻心についての説明があるのであって、もし廻心=往生なら、そこで(唯信鈔文意なり歎異抄なりで)これは往生という意味であると説明があってしかるべきです。
どうも質問の仕方が悪いようなので、改めてお尋ねします。
往生が、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
という意味であるという、その根拠は、何という聖教の、どの個所にあるのでしょうか?
先に引用されたような、
>>69 >「来迎は諸行往生にあり、自力の行者なるがゆえに。臨終ということは、
>諸行往生の人にいうべし。いまだ、真実の信心をえざるがゆえに。
また
>「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」
こういうものでは、確かにそういう解釈でも読める、というだけであって、そういう解釈ができる根拠にはなりません。
87 :
SHIROUTO:03/04/04 11:48
自分の価値観やものの考え方が打ち破られてゆくのは
何でこんな目に遭わなければならないのかと苦悩する姿として表されています。
幽閉され自分の価値観や考え方のまったく通用しない状況にいるわけです。
釈尊に懇願する姿は、仏をたぬむ身になってゆく姿であります
しかし、凡夫の身でありますから、仏を前にしてもまだ愚痴が溢れ出てきます。
やがて韋堤希は自分の立っている国土を認識してゆきます。
「濁悪処」という言葉で表されています。
そこで世尊は、ありとあらゆる浄土を韋堤希に見せます。
(ここから先は前のレスで経文の文を・・・云々と省略していますが)
その中から韋堤希は阿弥陀の浄土を選び取っていくわけです。
もう少し後の方に釈尊が韋堤希に「汝はこれ凡夫なり」と出てきます。
ということは、韋堤希は幽閉のまんま、凡夫のまんま、ということです。
廻心については往生の内容の一つであると私は考えています。
凡夫や、愚者という言葉は、すでに光明に照らし出されないと
出てこない言葉だと私は考えています。
>>85 「私がここの場所を浄土にする」は自力だね.
まあ,そんなことは出来るはずの無い凡夫でございます.
仏という存在になる,って事にこだわりすぎな気もするし.
そこまでして仏になりたいですか?
何かトクベツなものになりたいですか?
私は私.
それが凡夫の自覚でしょう.
あくまでも,私が尊いのではなく,南無阿弥陀仏が尊いのです.
Qさんとは,ほぼ一緒の意味を言っているつもりなんだけどなぁ.
(結論は違うみたいだけれど)
89 :
SHIROUTO:03/04/04 14:54
「尊い」という言葉もやっかいな言葉だと思ってます。
尊いとはどういうことなのか私ははっきりしません。
皆さんで尊いとはこういうことだというものを出してみてください。
90 :
バリカン求む:03/04/04 16:02
えっと…このスレでいいんでしょうか。
僧侶の方々にお伺いしたいのですが、髪の毛を刈るバリカンは
どこで買うのがいいのでしょうか?
僕はカミソリでアタマを剃っているのですが、バリカンの方が手軽
なような気がしてきました。で、僧侶にもバリカンをお使いの方が
居るとどこかのサイトで読んだので、教えていただきたいんですが。
電気屋をまわっても、ろくなバリカンが無かったです。
尊い人とは、
裸の女人が股を開けて流し目で誘っても、
一念の動揺も無く平常心でいられる人です。
(ただし女人と、平常心で誘いを受ける者をば除く)
>>88 正直なところ、タケさんの言いたいことがわかりません。
> 仏という存在になる,って事にこだわりすぎな気もするし.
> そこまでして仏になりたいですか?
これも、本気なのか、冗談なのか。どっちですか。
仏になりたい、というのが仏教徒でしょう。
>>87 観経序文だけでは韋提希の救いははっきりしないと思います。
阿弥陀如来の浄土を選んだのは、そこで修行して仏になることができると思ったからでしょ。
94 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/04 19:48
>>87 要するに、韋堤希は幽閉された時から往生が始まっていると、言われるわけですね?
廻心については解釈の違いということでいいです。
あと、
>凡夫や、愚者という言葉は、すでに光明に照らし出されないと
>出てこない言葉だと私は考えています。
「汝はこれ凡夫なり」とは釈尊の言葉だと書いてあるのに、この文章は意味不明です。別の話ですか?
それと、往生が、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
という意味であるという、その根拠は、何という聖教の、どの個所にあるのでしょうか?
この問いにお答え願えませんか?
>>84 >他を、傲慢だとか間違っているとか批判する時は、その人は相手を見下しているところに
>立ってものを言っていることが多いようです。
う〜ん。そうなんでしょうかねえ・・・?
他人にケチをつけてそれは許さない(自分は絶対正しい)と思っているからこそ
ポスターや小冊子作っているとしか思えないんですけどぉ〜!
ちなみに本願寺のHPにはこう書いてあるよ
「釈迦仏は、その生涯に数多くの教えを説かれたが、要は生死の迷界を離れて、
悟りの世界に到る道を示されたものである。
それらの教えの中で、私どもが真に迷いを離れて悟りに到ることのできる法は、
浄土真宗のほかにはない。」
はっきりと「浄土真宗のほかにない」と断言してますけど???
他が間違っていて自宗が絶対と言ってますよ!!!
それはどこの宗教でもそうだろ。
>>95まさに智者のふるまいを捨てて赤児の如くならずんば、往生叶うまじ
>>97 マジで言ってるのかい?
少なくとも神社神道や天台・真言系で「自宗が絶対」なんて堂々と
HPに書いてある所はオラの知っている限り無いぞ。
トチ狂っているのは法華系の狂信団体か新興宗教と真宗ぐらいだろ?
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/04 23:24
自分のところだけが正しいなんてただのカルトじゃないですか。
過去に門主の風呂に入った水を売ってたりまるでオウムみたいですが
考え方も大して変わらんのでしょうね。
102 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/05 00:16
上の方でもレスされてた方がいたけど、「死」を「穢れ」ととることは
腐ったものは汚いからとかいうレベルのみじゃないよ。
「死」に関わる生業をも社会的な「穢れ・罪」としてきた、まさにいわれなき「差別」
生産の歴史に対する問題提起でもあるんだから。
ハンセン病患者等に強いた業報観による社会的な抑圧の反省・懺悔と同じく、自宗
のみが正しく他は間違ってるとケチをつけるという意識であるよりは自宗の伝統に
向けられた悲痛な反省としての側面があることをお忘れなく。
その意味では神道や他宗の方々、あるいは近代民主国家の主権者たる「我々」とも
課題として共有することのできる問題だし、むしろそれを目的とすべきだと思う。
ちなみにぼくは「解同」とはなんの思想的関係もないよ。こんな言い訳するのも
めんどくさいことだけど。
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 00:49
坊主にはビタ一文払いません。
月命日のお参りくらい自分でできます。
僕のような人がこれから増えると思うよ。
坊主は飯を食えなくなりますねー^^
>>100 仏教徒全体か若しくは念仏護持者を指しているものと思われます。
>>102 >上の方でもレスされてた方がいたけど、「死」を「穢れ」ととることは
>腐ったものは汚いからとかいうレベルのみじゃないよ。
NBさん。死後の霊魂の存在を否定する僧侶が多い真宗で
真宗の言うことが正しいならそもそも死が穢れているもなにも無いと思うんですけど・・・。
往生しちゃったら穢れも何も無いのでは?
そもそも「人の死」と「生業としての家畜のと殺や皮革(畜生の殺生)」を
同列になぜ考えるのですか?なぜ差別という言葉に結びつくのでしょうか?
(オラの頭の中では全然関連付けは思いもつかないのです
何か死の穢れ問題は教団の利益と関係あるのですか?)
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 01:27
同和利権となにか関わるニオイがしますね。大谷派。
神祇不拝なんてバカなこと言ってるのもその辺でしょう。
お金が大好き俗物クソ坊主。
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 01:50
なんか真宗の坊さんってさあ、自分らの言うこと意外は全部迷信って
いうけどなんなの?やっぱカルトじゃん。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 04:05
真宗も学会も他を誹謗中傷するその態度が嫌い!
たとえば普通の人の感覚は神仏並存で生活してる。
クリスマスだってする。でも私は真宗のおかげで仏教そのものを
嫌いになりました。
108 :
本願寺派門徒:03/04/05 04:35
実家は神棚(かなりでかい)や荒神さんもありますよ
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 06:59
>>80 >自分の都合の良いように勝手に解釈したり、自分を正当化するために
>仏法を利用することを誹謗正法といって重い罪とされています。
ここまで言われる以上、往生が、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
という意味であるという、その根拠が、
聖教の中に明確にある筈ですが、
それは何という聖教の、どの個所にあるのでしょうか?
>>96 あんたは読解力が全くないのか、わざと誤解しているのか、
どちらにしてもイヤミではある。
私はこの教えでなければ救われない、と表明することのどこが悪い。
誰かさんのように、真言亡国、禅天魔なんて言ってるわけではない。
どの教えでもかまいませんよ、なんて言う教団があれば、その方がおかしい。
それよりも
>>106や
>>107のようなアホになんとか言うべきではないか。
>>104 死はケガレなんですよ。そしてそのケガレはうつる。
死者を出した家の者はケガレが消えるまで、神社には行かないし、
年始の挨拶まわりもしない。
死のケガレは死者の霊につくから、死んで間もない霊と、
死んでから時間が経っている霊といっしょに祀ってはいけない。
この日本人の宗教観、常識です。
> 真宗の言うことが正しいならそもそも死が穢れているもなにも無いと思うんですけど
その通り。だから真宗ではケガレを否定した。
> なぜ差別という言葉に結びつくのでしょうか?
ケガレと差別が結びついてしまったから問題なんでしょ。
>>Qさん
ごめんなさい.
わかっているのに質問されている(=試されている)ような気がして,
わかりやすさを度外視してました・・・
私が言いたかったのは,
私が仏という特別な何かに変身するのではなく,
南無阿弥陀仏と称える姿が,諸仏としての姿だという事です.
だから,実在しているけれども,個人を表す言葉では無いと考えています.
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 20:31
さて、
>>109の問いにお答えなき場合、
往生が、
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること
という意味であるというのは、
聖教に根拠なき妄説であると理解しますが、それでよろしいですか?
>>113 さて、それでは名無しさんは往生をどういう意味として受けとっておられますか。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/05 22:55
なんで一向宗門徒は同和問題になると語らないのだ?
やっぱり一番痛いところなんだな。ケケッ!
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/06 07:02
>>116 私はSHIROUTOじゃないですよ。
SHIROUTOの往生理解は妄説であると理解した名無しさんの往生理解は何かをおたずねしている者です。
>>110 :Q
>どの教えでもかまいませんよ、なんて言う教団があれば、その方がおかしい。
仏教はいかなる方便を用いても最後に解脱に到達すればいいんじゃないの?
(八科三十七道品いずれでもいい筈ですが・・・。)
天台宗なんかは間口が広いよ
(つーか天台から浄土の教えだけを持って飛び出したんですわな>日本の浄土系宗派)
106・107に文句言う前に109の質問に真宗の方は答えるべきでしょうな。
根拠のない論説はただの仮説か嘘または迷妄と思われても仕方がないですよ。
>>119:Q
Qさんは真宗のみが説く独自の説が正しいと思っているのですか?
オラは霊感体質だから間違っているところがいくつもあると思ってます。
(浄土宗の言うことはおおむね納得できるのだが、真宗の説には
こじ付けが多いと感じています。だから死後迷わず冥土に旅立っていない
いわゆる不成仏霊が増える原因だと考えています)
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/06 08:53
>>117 まだ妄説だと理解したわけではないので後にしてください。
あなたが代りに答えてくださるのならあらためてお答えします。
>>118 なんでもいいんだったら、浄土教にこだわることはないでしょう。
べつに強制はしませんよ。
> 死後迷わず冥土に旅立っていないいわゆる不成仏霊
不成仏霊なんてのが浄土宗の聖典のどこに書かれているのか教えてください。
>>119 聖典の言葉を自分がこのように了解したということについて、
それはおかしいとか論議するのなら分かるけど、
聖典に書いてないから、それは妄説だというのは原理主義では?
>>120 >不成仏霊なんてのが浄土宗の聖典のどこに書かれているのか教えてください。
Qさん、それでは言葉を変えましょう。
「死後全員必ず往生すると言う建前になっていますが実際は
悪人は往生してませんが。絶対に「全員」なんて事はありえません。」
と替えさせていただきます。
しかし「どこにかかれているのか」と聞かれるからには諸説の討論には
当然根拠が必要だとQさんも感じておられるわけですな。
さすれば109の質問にも当然答えてあげるべきでしょう。
それと過去スレにも書いたけど
一般の在家の一個人の意見と出家者(プロ)の意見では立場が違うでしょ!
プロだったら教導職でしょう!!!
プロが一般ピープルに言うことはすなわち「御仏の教え」じゃろ!!!
浄土系宗派の僧侶の場合他力本願だから三明六通は無くとも
過去の諸天諸仏の教えや聖者が神仏から教えを受けて
それを他人に伝えるのなら理屈も通るが、出典も無いし論拠も無いしでは
ただの妄想じゃないのかと109が聞くのは当然だとおもいますけど〜〜〜。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/07 00:12
>>120 ある主張に対し、聖典に根拠を求めるのが原理主義でしょうか?
例えば、
>>53 >真宗の浄土往生は死後のことではありません。
>自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて
>仏に依って立つ身に変わることを往生といいます。
と言われた人が、
>>80 >自分の都合の良いように勝手に解釈したり、自分を正当化するために
>仏法を利用することを誹謗正法といって重い罪とされています。
と言われているのですから、その主張に対して、聖典に根拠を求めるのは当然のことだと思いますが。
また、聖典に根拠を求めずに、それはおかしいとどうして言えますか?
御消息などには、この聖教をよくよく読め、というようなことが書いてあります。それを原理主義と言われるなら、原理主義で結構です。
123 :
SHIROUTO:03/04/07 00:26
「現実は自分の価値観や、ものの考え方を打ち破る」という言葉は
私の恩師のことばであります。
私はこの言葉から、韋提希がその身に降りかかる現実に苦悩する姿を思いました。
そしてその苦悩が回心のきっかけになっていると思いました。
親鸞の「日頃のこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて
本願をたのみまいらするをこそ回心とはもうしそうらえ」との言葉に通じていると思います。
>>121 見解の相違をつまらない議論にしないで下さい。
「霊」を持ち出した時点でかみ合いません。
>>122 NBさん辺りがフォローを入れるといいのになぁ。
いつまでうせもの探しをしているやら。
>>121 ん?霊魂を認めない僧が多いからすでに差し替えたのにいまだ何イッテンノ?
ちなみに前スレでも霊魂が無かったら死んだ人の何が行くのか「死んで見なけりゃ判らない」
と明言を避けてハッキリした解答はもらえなかったんだけどね(笑)
そもそも判らないのならばなぜ否定する真宗僧侶が多いのか?
(まあ「死後のことは答えられない」と言う答えなんだから
もう聞くのは止めるけどね。ちなみに118は意見で質問じゃないよ)
で、論議は続いていますが109に対する答えはまだ無いんだけど
真宗僧侶の皆さん根拠はどこにあるんですか?
勝手な解釈は大乗誹謗や誹謗正法と言われるからには往生が本来の用い方と
違う独自の解釈の理由をはっきりと答えていただかないと
それこそ「嘘も方便」ですよ。
ちなみに前スレはまだHTML化されていないので読めないけど
オラに対して大乗誹謗の罪にあたるとはっきりと書いてあります。
が真宗独自の説の理由に解答できないならば大乗誹謗を前言撤回するか
間違いを認めるかだろうけどどうするつもりかな・・・?
(それとも無実の罪をなすりつけてしらんぷりの頬かむりかな?)
生前往生について「もしそうならば生身で往生した人に会わせて下さい」
と書いていたのだが
>名の通ったひとを挙げるならば、清沢満之や安田理深です。
って調べたらもう故人でなくなっとるやないか〜!
生きている人間紹介してくれよ!!!
>>121 >>不成仏霊なんてのが浄土宗の聖典のどこに書かれているのか教えてください。
> Qさん、それでは言葉を変えましょう。
> 「死後全員必ず往生すると言う建前になっていますが実際は
> 悪人は往生してませんが。絶対に「全員」なんて事はありえません。」
> と替えさせていただきます。
それじゃあ、私の質問とは全く見当違いの応答じゃないの。
そういうのは論点をごまかしている、と言うんですよ。
不成仏霊が浄土宗の聖典のどこに書いてあるか。
悪人は往生していないと浄土宗の聖典にどこに書いてあるか。
全員が往生するなんてあり得ないと浄土宗の聖典のどこに書いてあるか。
以上、お答え下さい。
在家だからと甘えず、きちんと答えてください。
> 生身で往生した人に会わせて下さい
往生したかどうかはその人の心の問題であり、第三者が判断することではない。
私はこの人は往生したと思う、という言い方しかできない。
>>122 > 御消息などには、この聖教をよくよく読め、
了解が間違っているから、この聖教をよく読め、と言われているわけですね。
ですから、あなたの了解はこの聖教に照らし合わせると間違っているよ、
という話の進み方になるのではないでしょうか。
ちなみに、ある本には次のように書いてある。
『仏説無量寿経』の本願成就文には真実信心を獲るそのときに、「即ち往生を得て、
不退転に住す」と説かれている。親鸞聖人がここに見出した「往生」とは、
摂取不捨の本願に目覚めるという出来事=「回心」において本願力回向の信心を獲得し、
自我中心的人生が転ぜられ、一切衆生と共に、浄土に向かって今を生きる身となるという
意味である。
(略)念仏こそ成仏を達成する道であり、念仏において「往生浄土」という新たな意味の
人生が開かれるとき、仏に成ることに決定したという証を得て、歓喜に満ちて軽やかに
不退転の歩みを歩むことができる。
>>128 Qさん、霊魂について浄土系の聖典には書いて無いと思います。
しかし他の経典には悪人が悪所苦界に生まれ変わって苦しみもだえる
様が記述されていますが(盂蘭盆の由来もそうじゃなかったっけ?)
真宗の教義上必ず往生するという説はこれは
1)浄土真宗の檀家全員ですか?
2)それとも浄土真宗檀家の中で阿弥陀如来を信じている人だけですか?
3)真宗以外の仏教徒も全員ですか?
4)宗派に限らず阿弥陀如来を信じる人なら全員ですか?
5)仏教徒以外の外教人間も全員ですか?
4ならば納得できますが他の1.2.3.5はどう考えてもハイそうですか
とは思えません。だからそんなわきゃないだろうと言うのです。
(ネオ麦茶や池田小殺人事件の犯人も必ず往生できるのですか?)
他の仏教宗派では善処天界や悪所苦界など六道輪廻を解脱しない限り
ループしつづけると考えるわけですが1.2.3.5だとしたら
生前の行いは善業も悪業も一切無視されると言うことになりませんか?
>> 生身で往生した人に会わせて下さい
>往生したかどうかはその人の心の問題であり、第三者が判断することではない。
>私はこの人は往生したと思う、という言い方しかできない。
あのう・・・それだと「清め塩は迷信です」とどこが違うのでしょうか?
109の質問にまだ解答されていないところを見ると生前往生の由来も
ハッキリしないし、どの人が生前往生したかどうかもわからないなんてすごすぎる・・・。
>>122さん割り込んですみません。
仏説無量寿経(浄土真宗本願寺派で、出版されている現代語版
転用は許可が要るのでこちらには書きません。リンク先を読んで下さい)
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9995bussetumuryou.htm こちらの「下巻(34)〜(48)下巻終わり」の130項の部分には
「浄土に生まれ、さとりを得ることができるであろう。」
と書いてあっても現世における生前往生とはどうやっても読み取れません。
また127項には「因果応報の道理は必然である。」と釈迦如来が述べておられます。
因果応報があるのに条件を限定せずに「全員往生できる」と言う説は
釈迦如来の教えを否定することになるのでは無いのでしょうか?
死んで往生するならば,生きる前は何だったのでしょうかね.
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/07 17:31
大経そのまま理解する気?フーン
どううけ止めるかがポイントなんだがなぁ
>>132 タケさん
「生きる前」とは前世のことですか?それとも出産前の母親の胎内にいる時期のことですか?
往生と何か関係するのですか?
>>133 >大経そのまま理解する気?フーン
>>80 >自分の都合の良いように勝手に解釈したり、自分を正当化するために
>仏法を利用することを誹謗正法といって重い罪とされています。
133氏は重い罪を犯しているのですか?
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/07 19:00
>>123 ではその恩師の方に根拠をお尋ねください。
一つの答えを得るために、同じ問いを何度繰り返せばよいのでしょうか。
わからないのならわからないで、発言を撤回するなり、今探し中とかレスしてくださればよろしいでしょう。
自見の覚語をもって他力の宗旨を乱ることなかれ、と歎異抄にあるのをご存知ないのですか。
それと勘違いでしょうが、それは親鸞の言葉ではないはずなので、訂正願います。
>>126 これですね。前スレからコピペ。
>775 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/04 01:49
>つうかやっぱり、真宗僧の反省すべき点こそもっとよく見るべきじゃないでしょうか。
>229ですがさんだってご門徒さんだというのに。お念仏にご縁をいただきながらも
>「真宗」に反発し、それでも尚、シュダオンだアナゴンだと道を求めていらっしゃる。
>失礼なことをいうようでアレなんですけど、
>涙ぐましいものを感じます。まあ、そんな同情はいらんといわれることでしょうけど。
>
>「人間親鸞」をかさに着て、時と場合によって合理的な立場の迷信と仏教上の迷信を
>ほとんど無意識的に、恣意的に使い分けるのは真宗僧の悪い癖だと思います。
>それがどれほど他宗の方、および真宗の一般的檀家さんの宗教感情を逆なでしているか。
>にもかかわらず、「袈裟の話」を排除しようとすることによって自己の立場をのみ守ろう
>とする。ぼくの理解が正しいとか間違ってるとかいうレベルの問題じゃないです。
>そんな独特の傲慢さに反省の目を向けないならば、229ですがさんの大乗誹謗の罪とが
>は我ら真宗僧にも等しく及ぼされると思います。
>
>じゃあ、面白くもない邪魔な「論争」のようなので(@>767)皆様さようなら。まあたねえ。
>229ですがさんの大乗誹謗の罪とが
人を泥棒とか人殺しとかさらっと言っておきながら知らんぷりと、いうわけですな。
>>129 >ですから、あなたの了解はこの聖教に照らし合わせると間違っているよ、
>という話の進み方になるのではないでしょうか。
それは、先に主張をされた人がその根拠を示すのが、先ではありませんか?
さらに
>>80では、ご本人が、勝手に解釈するのは誹謗正法だとまで言われているではないですか。その当人が、根拠を示すことができないとはどういうことですか。
それに、間違いであろうと疑ってはいますが、まだ間違いであると判断したわけではありません。
また、そのある本で、
>親鸞聖人がここに見出した
といわれるからには、その著者がどこでそう判断したかが書かれていると思いますが、どの聖教のどの個所だと書かれていますか?
生前往生については、まれにそういう人もいないわけではない、と法然上人が言われていたと記憶しているのですが、残念ながら出典がわかりません。どなたかご存知でしたらご教示ください。
揚げ足の取り合い
かっこ悪い。
そんなことしか言えないおまえの方がかっこ悪いぞ。>140
>>130 不成仏霊という概念や、悪人は往生できないという考えには、私は反対です。
なぜなら、それはすべての衆生を救おうと誓った阿弥陀仏の本願に背くからです。
> 生前の行いは善業も悪業も一切無視されると言うことになりませんか?
そういうことが問題にならないんだと言い切ったのが、法然の画期的な点です。
> ネオ麦茶や池田小殺人事件の犯人も必ず往生できるのですか?
そういう気持ちは分かりますが、もしも彼らが救われることがなければ
私も救われないかもしれません。
私が同じことをしないとは限りませんから。
いえ、すでにしているかもしれません。
仏教は基本的には私の心を問題にします。私がどうか、です。
往生ということもそうです。
他の人が往生したかどうか、誰が往生をしたかどうか、
客観的に判断などできません。
教えは人を通して伝えられます。
私に教えを伝えてくれた人は、私にとっての仏です。
> どの人が生前往生したかどうかもわからないなんてすごすぎる・・・。
仏教は仏になる教えです。
では、大乗仏教では仏になった人がいるのでしょうか。
小乗と馬鹿にしますが、少なくとも小乗では阿羅漢という覚者がいます。
>「浄土に生まれ、さとりを得ることができるであろう。」
> と書いてあっても現世における生前往生とはどうやっても読み取れません。
聖典の言葉を自分がどう受けとるかということが大切です。
文字通りに受けとるのでは、聖書根本主義者と変わりません。
往生が死後かどうかということよりも、
往生が定まって安心を得るのは今だということのほうが大切だと思います。
>「因果応報の道理は必然である。」と釈迦如来が述べておられます。
これは非常に問題のある教説です。
現世の貧富貴賤美醜などの原因を前世にあるとして、
差別を肯定しているわけですから。
このように、経典に書いてあるからといって、
すべて正しいとは言えないわけです。
>>138 >それは、先に主張をされた人がその根拠を示すのが、先ではありませんか?
先に主張された人が根拠を示されたのを納得ができないなら、
自分はこう考えている、だからあなたの考えは違っている、と
自分の主張をきちんと言われたらどうですが。
質問をするほうが楽だし、下手に自分の意見を言って突っ込まれたら
困るから、自分の考えを差し控えておられるわけでしょうか。
>その著者がどこでそう判断したかが書かれていると思いますが、
>どの聖教のどの個所だと書かれていますか?
本願成就文と書いてあるでしょ。
あなたは本願成就文から、往生をどのように理解されますか。
>>143 >>「因果応報の道理は必然である。」と釈迦如来が述べておられます。
>これは非常に問題のある教説です。
>現世の貧富貴賤美醜などの原因を前世にあるとして、
>差別を肯定しているわけですから。
>このように、経典に書いてあるからといって、
>すべて正しいとは言えないわけです。
(如来の教えを否定するのは)これこそ大乗誹謗じゃないのでしょうか?
第三者の意見キボンヌ!
146 :
SHIROUTO:03/04/07 22:39
私の知り合いで、一緒にその恩師の聞法会へ足を運ぶようになったかたは
身内の不幸がきっかけになっていました。
こういう不幸な出来事が縁となって聞法する身になる事も
現実の生活の中で流転する身にうなずかれてきた凡夫の姿であると思います。
「現実は自分の価値観や、ものの考え方を打ち破る」という言葉は
いままで自分の生活と聖教とがまったくかけ離れていたのを結びつけてくれた
言葉であります。
勝手に解釈するのは誹謗正法だと言われているのはその通り、私の方であると思っています。
「言葉を理解しただけで、自分が問題にならなければ『ひるがえす』ことはできない。」と
いうのもその恩師のことばでありますが、こう指摘されていてもなかなか実践できません。
今回、私の往生理解が問われ、今一度、今日まで聞いてきたことを思い返すことができました。
「名無しさん@京都じゃないよ」さんは複数おられるようなのでどの方かわかりませんが
聖教をそのままでは受け取れない私にとって、凡夫の言葉で話をしてくださるその恩師は
かけがえのない方であります。
その言葉が私にとって衝撃的な言葉であっただけなのかも知れません。
その言葉が妄説と思われても仕方のないことだと思います。
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/07 23:04
カルトはいらん
148 :
どっかの50:03/04/07 23:42
浄土教ではないですが、わたしが第3者になりましょう!
>「因果応報の道理は必然である。」と釈迦如来が述べておられます。
はっきりいいまして、お釈迦様の真理はどの点からも否定は不可能です。(私もかなり疑ったのですがみつかりません)
しかし解釈の仕方によって勘違いされます。
大乗は明らかに人間の創作です。しかし、それは仏の境地レベルの人が書いたのは間違いありません。
前世のお話ですが、釈尊はじつは輪廻転生は唱えてません。
小乗と非難したのは、勘違いによって道をはずれたから。あるひとがこのままではいけないと!
人はおろかだから、理解できないです。そこで大乗仏教の登場です。万人に理解しやすいように作られたのです。
厳密に突き詰めると矛盾が出てくるのはしかたありません。知ってて作ったのですから。
しかし、浄土教はかつて、南無阿弥陀仏で人々の心の平安を作った事は偉大なことです。
経典は表面上ではなく、深層を読み取ると、先人の「偉大さ」がわかると思います。
例:ナーガールジュナ「中論」
それに身分が低くても醜くても、そのものが尊い!
結局のところ、差別を作るのは人間の意識しだい!そういうとらわれを払いなさいと釈尊はおっしゃってます。
あぼーん
>>135 全然。だって善導法然親鸞の解釈にならっているだけ。
133とは別人だが、いい加減飽きてきた。
いきながらの往生、結構。
死後はみな浄土に参る身。
忝く生きるのもまたよし。。。。これは西山義か(w
あぼーん
152 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/08 03:07
>>124 ありがとうございます。早速フォローいれさせてもらいます。
で、ところで、うせもの探しってなんですか?
というわけで、対論者は「親鸞会」の方っぽいっすけど、
とりあえず。「曇鸞讃」より。
如来清浄本願の 無生の生なりければ
本則三三の品なれど 一二もかはることぞなき
無碍光如来の名号と かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ
関連して「天親讃」より。
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし
以上、「自分の価値観や、ものの考え方が打ち破られて仏に依って立つ身に変わること 」
の根拠となるご文。(まあ、観経だとSHIROUTOさん引用の少し後ろが当てはまるとは思い
ますが、ややこしいので略)
まあ、色々と放置になってるレスはありますが、とりあえず。
うせもの=聖教の当該個所 の積りで書きました。
わかりにくくてすみませぬ。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/08 10:04
>>144 >先に主張された人が根拠を示されたのを納得ができないなら、
どこで根拠を示されているんですか?
すみませんがレス番号をお示しください。
また自分の主張をしろとのことですが、主張がなければ質問してはいけないのですか?
主張なき者に質問する資格なしと言われるのならば、あなたへの質問は控えましょう。
真宗では往生とはこれこれの意味であるという。違っているように思うけれどもまだ自分の知らない聖教の文句があるかも知れないからその根拠となる聖教を教えてくださいと問うているのにお答えがない。
質問するのに一々こんなことを説明しなければならんのですか。
真宗ではこうだと言うからには、その根拠となる聖教がある筈でしょうし、なければならないでしょう。
それは何だろうかと疑問を発するのに、なぜこちらの主張を言わなければならないのか理解できない。
自分の考えと人の考えが違っているからといって、単純に人の考えが間違っているとは私は思わない。その人の考えがどこから来たのかを知らなければ、その人の考えが間違っているかどうかはわからない。私はそう思う。
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/08 10:14
>>144 >>その著者がどこでそう判断したかが書かれていると思いますが、
>>どの聖教のどの個所だと書かれていますか?
>本願成就文と書いてあるでしょ。
私が読んだある本には次のように書いてありました。
『仏説無量寿経』の本願成就文には真実信心を獲るそのときに、「即ち往生を得て、
不退転に住す」と説かれている。親鸞聖人がここに見出した「往生」とは、
死んで極楽参り
という意味である。
ある人が私に問いかけました。
「そのある本で、
>親鸞聖人がここに見出した
といわれるからには、その著者がどこでそう判断したかが書かれていると思いますが、どの聖教のどの個所だと書かれていますか?」
本願成就文と書いてあるでしょ。
とは、私なら答えませんね。親鸞聖人の言葉から答えます。
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/08 10:34
>>146 どうも誤解されるようなレスを付けてしまったようで申し訳ありません。
私はあなたの往生理解を問うたつもりはありませんでした。
その往生理解の元となる聖教を問うたつもりでした。
しかし私がわからないのは、恩師の方の言葉を、聖教の中で確かめようとは思われないのかということです。そうすれば、根拠を問われてもすぐに出せるだろうと思うのですが。
あと
>>123で親鸞の言葉として引用されていますが、最新の研究ではそうなっているのですか?
歎異抄の著者の言葉だと思っていましたが。
>>134 >「生きる前」とは前世のことですか?それとも出産前の母親の胎内にいる時期のことですか?
まあ,科学が進んだ今,胎内に宿る前だと思った方が良いかな.
それがすんなり「前世」だという理解になっているみたいですが,それは凄いと思います.
>往生と何か関係するのですか?
本当は往生では無くても良いんですが,
とにかく,死んだらどうなるか,を仏陀に聞いた時に,
仏陀はそんな風に(生きる前はどうだったのかと)答えたような記憶があったものですから.
>>157の訂正っていうか,付け足しというか・・・
前半部分ね.胎内に宿る前でなくてもいいや.
「私」という主体が生まれる前ならいつでも良いです.
>>154 SHIROUTO さんの答えでは納得できないと。
はいはい、わかりました。
それでおしまいということでよろしいでしょうか。
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/08 20:11
>>159 レス番号を提示することもできない。
第一
>>146でご本人が、提示できなかったことを認めておられるようですが。
ではあなたが代りに挙げてくださいといってもそれもできない。
わけのわからない引用をしてきておかしなことを言う。
そしてこれですか。。。
>それでおしまいということでよろしいでしょうか。
はいはい、全然かまわないですよ。
>>160 > はいはい、全然かまわないですよ。
SHIROUTO さんの件はこれで片づきましたので、
では名無しさんの往生理解についてお聞きしてもよろしいでしょうか。
>>143 Qさん。釈迦の説が間違っていると言う投稿は訂正しておかなくて良いの?
前言撤回しておかないと不退転の境地で断たれる身見・疑・取見のうち
如来に対する「疑」が残ったままで絶対現世往生も極楽往生も無いと思うんですけど???
>>162 釈尊の説が間違っているというのは、たしかに傲慢ではありますが、
前世の業によって、現世の不幸、災難、貧窮その他が生じるという考えには同意できません。
たとえば、虐待される子供は、前世において子供を虐待していたから、
現世で虐待されると説く教えもあります。
タケさんはいわゆるカルマの法則をどう思われますか。
まちがいでした。
タケさんではなくて、前すれ229さんでした。
ごめんなさい。
一、聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、
ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづか
ら得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとく
こころうべし、そのうへにて師伝・口業はあるべきなり、私にして会釈する
ことしかるべからざることなり。
一、蓮如上人仰せられ候ふ。聖教よみの聖教よまずあり、聖教よまずの聖
教よみあり。一文字をもしらねども、人に聖教をよませ聴聞させて信をとら
するは、聖教よまずの聖教よみなり。聖教をばよめども、真実によみもせ
ず法義もなきは、聖教よみの聖教よまずなりと仰せられ候ふ。
自信教人信の道理なりと仰せられ候ふこと。
一、聖教よみの仏法を申したてたることはなく候ふ。尼入道のたぐひのたふ
とやありがたやと申され候ふをききては、人が信をとると、前々住上人(蓮
如)仰せられ候ふよしに候ふ。なにもしらねども、仏の加備力のゆゑに尼入道
などのよろこばるるをききては、人も信をとるなり。聖教をよめども名聞が
さきにたちて心には法なきゆゑに、人の信用なきなり。
一、蓮如上人仰せられ候ふ。世間・仏法ともに、人はかろがろとしたるがよき
と仰せられ候ふ。黙したるものを御きらひ候ふ。物を申さぬがわろきと仰せら
れ候ふ。また微音に物を申すをわろしと仰せられ候ふと[云々]。
一、蓮如上人仰せられ候ふ。物をいへいへと仰せられ候ふ。物を申さぬものは
おそろしきと仰せられ候ふ。信・不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。
物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ
候ふ。
一、蓮如上人仰せられ候ふ。仏法はつとめの節はかせもしらでよくすると思ふ
なり、つとめの節わろきよしを仰せられ、慶聞坊をいつもとりつめ仰せられつ
るよしに候ふ。それにつきて蓮如上人仰せられ候ふ。一向にわろき人は違ひな
どといふこともなし、ただわろきまでなり、わろしとも仰せごともなきなり。
法義をもこころにかけ、ちとこころえもあるうへの違ひが、ことのほかの違ひ
なりと仰せられ候ふよしに候ふ。
@蓮如上人御一代記聞書
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/08 21:39
お寺にお金は払いませぬぞぉ
坊主すげー儲かっているけど、これからは不安な時代になる。
>>163 148でどっかの50さんが答えているように過大解釈で
>たとえば、虐待される子供は、前世において子供を虐待していたから、
>現世で虐待されると説く教えもあります。
つーのは釈迦如来の説かれる「因果応報の道理は必然である。」の恣意的な過大解釈でしょ。
オラ個人の考えだと前世の影響は多少あるけどそれよりもそれは現実世界では極一部分で
昔から言う「親の因果が子に報い」の方が影響があると思うけどね。
でもQさん。本当に差別を撤廃する気があるなら同和と組んで京都市職員の無試験採用枠に
働きかけるんだったら大谷・平安高校の入学試験も廃止して誰でも入れるようにしないと
それこそ偽善の二枚舌ですよ。
170 :
◆USbyEliUmQ :03/04/08 21:59
171 :
◆ZhMxCGiomY :03/04/08 22:00
生前の 生 は浄土に 生 まれるの 生 では?
でなければ、「生前はお世話になりました」の意味が通らん。
>>164 びっくりしました〜.大丈夫ですよ.
>>172 私に対するレスですか?だとしたら,ありがとうございます.
でも,釈尊がその時点で,「浄土に生まれる前」の意味で答えたとは考えられません.
それと,『生前』ですが,意味的にはレ点が付いて,「以前生きていた時」の意味だそうです.
それと,ずーっと前のレスに対するレスです.
「悟る」と「覚る」の違いですが,こうだと思います.
「悟」は,追い求めて知ること.
見抜くという意味合いが強いと思います.だから,修行して,そういう目を育てて,
その上で真実を見抜く,という事と思います.
「覚」は,真実に気が付く事.
「覚」の場合には,本当は目の前に真実があるのに,自分では目を閉じていて気が付かない.
何かの拍子にパッと目を見開いて,そのことに気が付く,という意味合いが強いと思います.
>>169 因果の道理は間違いないが、
そんなに単純に因と果を結びつけることができるものではない。
因→果
↑
縁
であり、縁は無数にある。
親鸞の和讃(もとは善導)
本願毀滅のともがらは
生盲闡提となづけたり
というのがある。これは全くの障害者差別である。
釈尊や親鸞たちも間違いはある。
>>173 私も「覚」と「悟」を調べてみました。
「覚」はその通りですが、「悟」は「見抜く」という意味はないようです。
1,さとる。さとす。思いあたる。ああそうかと理解する。また、理解させる。
2、さめる。ねむりからさめて気がつく。《類義語》⇒覚。
3,さとり。なるほどと道理にめざめること。
4,さとり。仏道の真理にめざめること。「悟りを開く」
ということで、「さとり」とは、ああ、そうだったのか、なるほど、
と納得することのようですね。
>>174 Qさん、お尋ねします。
差別を否定されますが浄土真宗では何か社会的弱者に手助けはしていないのですか?
浄土宗だと知恩院の横に**学園と言う障害者の授産施設とかがあって
実際に活動していますけど浄土真宗って口と金権だけですか?
どっかそういう実際に人助けしている施設があったら教えてください。
ついでに質問です(回答者は特に指定しませんが)
本願寺のHPに
>しかし、どれほどいとおしみ、不憫(ふびん)に思っても、その思いのままに
>すべての人々をたすけることはできません。その事実があらためて、聖人の心を
>重くとらえ、聖人は、浄土三部経の千部読誦の行をすてられました。
との故事に倣って京都の七条の本願寺近くの浮浪者は助けてもらえないのですかね?
特に東本願寺の近くは人数多いんですけど・・・。
まさか浮浪者になったのは自業自得だから助けないとか差別発言はしないとは思いますが(笑)
>>177 「真俗二諦」ですからホンネと建前は違います。
宗教法人とはいっても実質は営利を目的としているですよ。教団はボランティア団体ではありません。
貧乏な門徒よりも多額の喜捨をなさるご門徒のほうが教団的には好都合なのは常識です。
あまつさえ一銭の喜捨もしないような浮浪者にいたってはご参詣にこられるご門徒の邪魔に
なりますし、美観上大変迷惑だと思いますが。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/10 14:46
>>177 正直、御同朋以外の人間ことなんてしったことじゃ無いんです
あぼーん
>>179 阪神大震災の時、山折某氏が、既成仏教教団はボランティアをしない、と非難なさって、
そうではない、なぜそんなことを言うのかと反論を食らったことがありました。
その時、山折某氏は、テレビを見ててそう思った、というようなご返事をなさってました。
何をしているか、何をしていないのか、その教団に聞いて、
それから書き込まれたらどうでしょうか。
>>182 阪神大震災の時、真っ先にやってきたのはカルト教団立ちで、「お前等前世のたたりじゃ」
とやったので、行政側が困り、某宗派の某団体に連絡しボランティアしてもらったんですよ。
もちろん他の団体も順次活動はしている。
(ああいう自体になると、どこの団体がとかじゃなくて、各人の心構えの問題だと思う)
例により行政が特定宗教に連絡を持ったことなので公にはされないのだが、各種報告書では
よく報告されている。
他に支援の問題だけど、私の所属しているところにもいろんな団体が、「あなたのところは
看板だけですか」のようなことを言ってくる。が、設立の目的と、それまでに培ったネット
ワークの上で判断しながらやっているのに、突然相手を非難して協力させようというのが、
いつもながら非常識だなと感じている。調べてみれば、うちの団体よりも資本力があったり
する。
福祉や人権やっていると、それだけで正義は自分の側にあると、自己肯定する方がいますが、
人それぞれ考えや、携わり方が異なります。
福祉・奉仕活動に限れば、経済分野、精神的分野、直接実務労働に携わる分野、これらの連
関があって初めて成立するのですから、その辺充分配慮はお願いしたいと思います。
皆さん回答ありがとうございます。
別に社会奉仕するしないは各教団の判断で当然良いと思います。
とどのつまり真宗では念仏で救われるのは浄土真宗檀家の中で阿弥陀如来を
信じている人だけ往生する訳ですか?
人類全員がみな平等に極楽往生するわけはないんですよね?
念仏で他人まで往生はしないですよね?
(本願寺の僧侶が念仏を唱えると浮浪者が救われるとは当然思えないので
聞いてみたかったんです)
>>184 以下コピペ
一遍上人が開かれた時宗はこう考えています。
法蔵菩薩(阿弥陀如来)が極楽浄土と言う仏国土を開かれる時、全ての人が救われるように
ならなければ私は仏にはならないと言う誓いを立て(四十八の誓願のひとつ)、
そしてその誓いが叶えられたので法蔵菩薩から阿弥陀仏(阿弥陀如来)という仏に
なりました。
つまり、人は死した後極楽浄土と言う仏国土に生まれ変わることは既に決定している。
信じる心があろうと信じる心がなかろうと(信不信を問わず浄不浄を問わず)
それは一介の僧侶が決めることではない。
我々はただ、あなたは既に阿弥陀如来によって極楽浄土に生まれ変わることが決定して
いますと人々にお知らせしに行くことに勤しめば良いのである。
と言うわけで今日もなお、時宗は遊行上人を先頭に押し立てて、
『決定往生六十万人』(一遍上人の時代、日本の人口が600,000人と思われていたので)
『南無阿弥陀仏』
と彫られた一遍上人以来の版木で刷り上げた小さなお札を配っています。(賦算)
>>185 >全ての人が救われるように
>ならなければ私は仏にはならないと言う誓いを立て(四十八の誓願のひとつ)、
>そしてその誓いが叶えられたので法蔵菩薩から阿弥陀仏(阿弥陀如来)という仏に
>なりました。
お経の原文では「全ての人」と言うのはこの三次元の現実世界(娑婆)とはっきり書いてありますか?
宝蔵菩薩さんの居られた(異次元の)世界の全ての人が救われたのでしょうが、
われわれのいるこの現実世界はまだ救われていない(途上)と思いますがいかがでしょうか?
浄土系僧侶の皆さんは「全ての人が救われた」のはこの現実世界だと思われますか?
(改めて書いておきますがオラは神仏の存在も浄土も否定しませんよ)
>>186 君がそう思うなら、それはそれでいいと思われ
>>186 救いというのは、現実生活において、利益を享受することなんですか?
弥陀という絶対他者の前に照らされた自己を自覚するのが真宗とはいわず、
弥陀を本尊とする各人共通の救いと説いていると思っていたのですが。
人間が人間存在としてあるべき底辺を形成するのが宗教じゃないのかな。
>>187 ん?そもそも釈迦如来以外に地球の三次元世界(娑婆)にお生まれになった
(存在した)如来はなんと言うお名前でどこに居られるのですか?
まさか阿弥陀如来が娑婆に居られたことがあるなんていわないでしょうね。
それこそ迷信どころの騒ぎじゃないと思いますが・・・。
(違うのなら根拠を教えてください)
>>188 往生の確定=現実生活における利益(=>報恩思想の発生)
と真宗では考えているのではないのですか?複数の浄土真宗のお寺のHPに
そういう意味合いのことが書いてありますけど。
>>189 あなたの考えがそうなのであれば,異次元の救いや思想が,
この次元とどういった関係にあるのか,教えてください.
ちなみに煽りではなく,単なる好奇心です.
>>190 タケさん。異次元(若しくは人間の五感で感じられる範囲以外)の存在を
認めないのなら阿弥陀如来の像に向かって灯明・線香を供え念仏を唱えているのは
阿弥陀如来がさもそこにいるような振りをして信者を欺く偽善じゃないの?
(俗にいう偶像崇拝)
ちなみにオラの考え方も釈迦如来の考え方に準拠していますが
ただし釈迦如来は答えなかった霊魂の存在は実体験からあると思っていますよ。
(オラは開眼供養した仏像はミタマが宿るヨリシロだと思っている=>神道や修験道に近い)
まあオラの場合は霊感体質だけど見えないタイプだからまだ良いけど
嫁さんは(死後の人の存在が)見えるタイプなので本人は見たくないとかなり嫌がっています
霊感体質や霊能者といっても千差万別。頭ごなしに否定するのは勉強不足で
色眼鏡で差別して見ているからですね。
(顕教では扱わないけど三明六通のうち漏尽通以外は如来(阿羅漢)以外の人でも
あってもおかしくない訳ですが外道や魔も当然そういう能力があるわけですから
善なる神通力もあれば悪の神通力も当然ある訳ですな)
ちなみに某教祖も京都の六角堂で夢の中で菩薩と会っているはずですけど(笑)
>>191 すみません.質問の仕方がおかしかったかな?
ちょっと違う気がする・・・
異次元と,この3次元世界の接点というものは何でしょうか.
ここでは阿弥陀如来の像が,異次元と3次元をつなぐ接点のようにも読み取れますが,
それで良いのでしょうか?
だとすると,その接点以外での阿弥陀如来の救いは無いとも考えられます.
その場合,ヨーロッパ等の仏教的文化ではない所では,救いは無いのでしょうか?
>>184 > 真宗では念仏で救われるのは浄土真宗檀家の中で阿弥陀如来を
> 信じている人だけ往生する訳ですか?
誰が往生して、誰が往生しないということを判断できる人がいるのでしょうか。
> 念仏で他人まで往生はしないですよね?
融通念仏の流れは、みんなで念仏をとなることで、
みんなが救われていく、という考えです。
ですから、他人まで往生できるという考えです。
真宗では救いは自分自身の自覚です。
往生した、しないということも私の自覚です。
>>189 阿弥陀仏が歴史的人物ではないから、
阿弥陀仏を信じるのは迷信だということでしょうか。
あるいは、阿弥陀仏は我々の日常の意識では認識できない
世界に実在しているという意味でしょうか。
阿弥陀仏を信じて救われるのではなく、阿弥陀仏の願いに救われるんです。
>>192 タケさん。オラの考え方は大筋で192のカキコの内容であっています。
(ただし浄土系僧侶の皆さんの思う解釈とは大分違うとは当然思います)
念仏だけでよいのなら本堂や御影堂って要りますか?(本尊なしでも良いんですか?)
>>193.194
>誰が往生して、誰が往生しないということを判断できる人がいるのでしょうか。
では誰が「全員救われる」と判断したのでしょうか?
>阿弥陀仏が歴史的人物ではないから、
>阿弥陀仏を信じるのは迷信だということでしょうか。
Qさん。オラは過去(パート1から)何度も神霊として阿弥陀如来は存在していると
思っている(存在の否定はしない)と書いているのですが・・・ちゃんと読んでませんね(笑)
>>189 お坊さんたち(上人さんというべきか?)の話を聞いたり、経論を見ているといると、
---------------------------------------------------------------
他者の現前によって初めて相対である自己という問題を自覚する。
弥陀を前にした自覚、すなわち「確立された自己、もしくは自己の放棄」にあっては、
それ自体は形而上的に据え置かれる根本的な問題であり解答なのですが、これは
現実生活において、自身の心の表出として、口に唱えたり(口称念仏や和歌詩歌、
あるいは意見として。意見はそれ自体、当人の意志をこめており、当人自体の意見
を限定した一定の指向性というものを持ちますが、それらの限定を加えず、個人の意
志的な自我を排除したもっとも純粋な形が、念仏)、身体の行動による、実践(口で唱えるということも口業による実践。あるいは慈悲としての社会活動)という形で社会に
必ず還元・反映される。
----------------------------------------------------------------
と、私なりに理解しておりました。その真宗寺院の唱っているものはこうした理念とは
また別の物なのでしょうか?
タケさんとの話に割り込まして頂けるなら、そのような救いを必要としていない人、弥陀
を信仰していない人においては必要のない種のものと考えられます。しかしこの弥陀と
いう鍵は万人に、世界に対していつでも開かれた存在です。必要とあらば誰でもその
救いに参加する契機は与えられているものでしょう。(ここら辺が「縁あらば」といわれる
部分かな)
救済とは物質面や、ある地域組織における特定の利益を享受するという直接的な1元
的ものが指されている場合が多いですが、仏教や哲学的な場合における、主に精神
的な思索的救いとは、現実に還元しうる多元的な要素によって構成されるものだと思
います。
換言して、このような種の救いということ(還元・反映)は、必ずしも具体的な衣・食・住
に関する物質的な利益の享受という形態をとるものではないように思うのですが。
ちなみに「阿弥陀如来の本願で全員救われる」と考えておられる僧侶の方は
当然ながら他宗派の閻魔大王の死後の裁きは迷信と考えるわけですよね?
当然「極楽浄土」はあっても「地獄」は(極楽に対比する)イメージだけで
存在しないと考えるんですよね?ね?ね?
なんか私一人ズレているようね。
スマソです、失礼いたしました。
>>196・188
釈迦如来が生きておられた時に教団のある出家者が病にかかり糞尿垂れ流しの
状態であったが周りの僧侶は病人を放置プレイしていたのでそれを見た釈迦如来は
自分の修行をするだけではなく病人を助けなさいといって看病したつーのが
阿含経に記述があったはずですが・・・。
阿弥陀如来も釈迦如来と同じく困っている人を「捨て置け」と言うとは思えませんが・・・。
(今日も東本願寺の近くの烏丸七条近辺の浮浪者はダンボールハウスでお休み中)
>>197 >当然ながら他宗派の閻魔大王の死後の裁き……
もともとは経典にはない事柄。
日本仏教においてどう理解を示しているかの問題ですよね。
>>195 >念仏だけでよいのなら本堂や御影堂って要りますか?
そういう意味なら,必要ないと考えるのが私です.
そして,本当に尊い事は仏像や阿弥陀仏ではなく,「南無阿弥陀仏という事」
(これは多分,前すれ229さんとは考えが違う部分)
だと思っておりますので,本堂等は必ず必要な物とは考えていません.
あと,仏像の意義とか,なぜそれを大切にしてきたのかは,うまく表現ができません.
「認知」とか,「記号」とか,哲学や心理学の難しい内容になりそうなので,やめておきます.
>>196(=188さん)
えーっと・・・
まあ,「真実」というものは普遍性がなくてはいけないと思っています.
ごめん.
>>196における俺の立場がよく読み取れない.
>>199 いや私は、弥陀の救いは必ずしも物質的な利益の享受ではない、といったまでです。
例えば京都ではありませんが、炊き出しとか手伝いますが(当面の命の維持)、物
を与えるということが重要なのではなくて、最終的には自律公正することが前提で
やっております。(なかなか人生に投げやりの人が多くて)
しかも阿含経の記述(律蔵にあったような気がする)は教団内の規則の話で、
釈尊時代は、教団外と生活上の諸事象について、それほど接点は無かったは
ずですが。(朝の托鉢と月に数度の布薩くらいしか接点を持っていなかった)
>>201 あっ、いいです。そんな意味じゃなくて。
私の話の都合上、持ち出すと都合が良かった、というレベルのなので。
浄土の和尚さんたちの前でこのような自説を披露すると、ちょっと違うんじゃない
とわらわれて。。。まだまだだな、って感じです。
>>202 >物を与えるということが重要なのではなくて、最終的には自律公正することが
>前提でやっております。(なかなか人生に投げやりの人が多くて)
これには激しく同意!(宗教であろうと福祉であろうと)
他力だろうが自力だろうが本人が変わらない事には始まらないと思います。
(だから無条件で「全員救われる」という説にはオラの頭の中で?が付くんです)
>>204 無条件に救われるのではなく、「弥陀の本願」に喩えられるように、弥陀
の存在はそれ自体の用(はたら)きとして開かれているのであり、
その利益に預かるの、なんら条件や権利を必要としない、と言っているだけ
のような気がするのですけれど。縁さえあらば、自ずから。。。
>>195 タケさんも言ってるけど、阿弥陀仏と南無阿弥陀仏の違いを考えてほしい。
それと、
> 誰が「全員救われる」と判断したのでしょうか?
誰か救われない人がいるのに、私が救われるということはあり得ない、
だから、私が救われるならば、すべての衆生は救われる、
ということです。
>>197 > 当然ながら他宗派の閻魔大王の死後の裁きは迷信と考えるわけですよね?
当然「極楽浄土」はあっても「地獄」は(極楽に対比する)イメージだけで
存在しないと考えるんですよね?ね?ね?
迷信と神話、伝説は違うということは、Part1でも出てきた問題です。
閻魔や地獄をどうとらえるか、それは人それぞれ考えがあるのではないですか。
それと、仏教では地獄と極楽が対比しているのではなく、
六道と極楽が対比しているんです。
>>204 > 他力だろうが自力だろうが本人が変わらない事には始まらない
何が変わるのか、どのように変わるのか、ということがこれまた問題でしてね。
207 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/12 10:03
>>206 >何が変わるのか、どのように変わるのか、ということがこれまた問題でしてね。
何が変わるのかの「何」は国土だよね。
>>195>>201 御影堂が要らない、という主張に関して
祖師を追慕する意思がないならないならそれでいいんじゃないでしょうか?
先達に対する報恩を大切にするのが既成仏教教団の常識ではありますが。
>>191 >ミタマ云々
何のミタマが宿るの?
仏像の数だけ阿弥陀如来のミタマがあるのか?
すこし疑問。
211 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/12 11:31
>>207 なぜに国土?
文脈からは本人の「何が」変わるのか?
ということが問われているように読み取れますが。
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/12 13:25
>>208 >>211 阿弥陀は国土を建立して衆生を救おうとしてるでしょ。
本人の国土から阿弥陀の国土へ生まれ変わるのが往生じゃないの?
>>209 >祖師を追慕する意思がないならないならそれでいいんじゃないでしょうか?
うーん.どうでしょうかね.
親鸞聖人の思想や意思を考えた場合,本当に報恩の意思を表すならば,
御影堂よりも阿弥陀堂を中心にした方が良いという考えもできますし.
親鸞聖人がいなければ,私まで念仏相続はおそらく無かっただろうし...
自分としては,祖師に対する報恩の意が無いなんて,ありえませんよ.
ただし,それが「建物」に関してどうこう,って事になると別な話です.
>>191(=前すれ229さん)
>嫁さんは(死後の人の存在が)見えるタイプなので本人は見たくないとかなり嫌がっています
これ,マジレスね.
見たくないと思っているほど見えてしまうものです.
これは強い精神的なストレスになるので,
カウンセリングを受けることをお勧めします.
>>213 当時、阿弥陀仏のそういった教えを開陳したまうた祖師を
敬慕するというのはごく自然な流れだったのでは?
現代人の感覚でお堂の価値の重軽を計ること自体無意味だと思います。
216 :
吉水流@傍観も亦愉し:03/04/12 16:11
>>211 過去ログ嫁 とは使い古されすぎかもしれませんが。
このスレ内での「往生」定義自体が2種あり、
・死後の極楽への往生(一般的)
・現世における回心による往生(真宗 西山系も?)
となっていると思われます。
かるがゆえに前者であるか後者であるかをよく読んで判断する必要があります。
おわかり?
217 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/12 16:21
>>212 本願成就して成仏してるから救おうとしているのではない。
衆生の往生が確定している。
..............................と真宗の人は言うのだったかな?
十方衆生とは誰のことかな・・・?
>>212 ミタマについては分霊(ワケミタマ)という考え方があります。
植物の株分けやロウソクの火を移すとか言う例えが良く使われます。
>>217 まあ教義上の建前はそうなんだろうけど実際は墓場に行けば供養してもらえない
無縁仏がうろうろしているし、霊感体質の人間が墓場で一生懸命お経や念仏唱えると
漏れなく後ろから付いてきますよ。(左肩が痛い場合や猛烈に眠い場合は要注意)
もっとも霊感体質じゃない一般人だと全く影響を受けないので
これは憑かれた体験のある人間でないと判らないんですが・・・。
それと浄土真宗の檀家なのだが北陸だから位牌があります。
うちの爺さんの家の仏壇の位牌には四人くっ付いておられますがね
(あっ、爺さんも数年前なくなってるから5人かもしれないな)
まあ真宗の坊さんからすれば不成仏霊を見るうちの嫁さんは幻覚を見て
頭がおかしいというんだろうけどね(笑)
オラも見えるタイプではないけれどイメージを神仏から送ってもらうことはあるぞ
過去の体験を思い出す時、頭にイメージが浮かぶだろ?ああいう感じ。
(といっても言葉ではうまく説明し切れませんが)
221 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/13 00:28
>>220 「北陸だから」位牌があるとは限らないと思いますよ。
>仏壇の位牌には四人くっ付いておられますがね
ってのはいわゆる「繰り出し位牌」のことですか?
>>221 詳しく書くと実家の地域がばれるからヒ・ミ・ツ!
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/13 01:50
一向宗はキモイ
224 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/13 01:50
>>222 おおお、即レスがついていたとは。
まあ、個人的見解としておきますけど、べつに幽霊が実在?したって
浄土真宗的には全然かまわないと思いますよ。
ぼくも実際、そんな体験ありますし。
今昔物語とかだと(法然聖人がご誕生になる少し前くらいの時代の話)
法華経を読み、念仏となえて往生を期するも、娑婆の恨みから怨霊と
なって男を憑き殺した女の話とかありますね。
法然聖人の「浄土宗」が生み出された地平はそういう世界観が
常識であるような世界なんでしょうね。
(あ、往生はまったく仏の力によるものだ。という話も『今昔物語』には見えて
おもしろいですけどね)
>>220 タケさんはカウンセリングと言うけれど、
ストレスというよりも、幻想、幻聴があるわけですから、
私は精神科の方がいいと思います。
そういうのに宗教がからむと、たいていは症状が悪化します。
それを昔の人は怨霊にとりつかれたといったのでしょう。
奥さんのことが心配なら急いで!
>>225 >私は精神科の方がいいと思います。
そりゃあ大変だ!!!
このQさんの指摘でものすごい歴史的発見が今なされようとしています。
某宗派の教祖は京都の六角堂で見た幻覚幻聴を教えのよりどころとして
肉食妻帯有髪を正当化していることが今判明しました!
袈裟の迷信どころじゃありません。教祖の幻覚幻聴が教えの元なんだったなんて
ああっ!なんと言うありがたい教えでしょう。ありがたや。なむなむ。
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/13 21:01
慎太郎閣下当選確実です。
ナマグサ左翼坊主の門徒のみなさん残念でしたね。
>>226 鎌倉時代における夢が持つ意味と、
現代における「死後の人の存在が見える」ということを、
同一次元で語るわけにはいかないでしょう。
近所の人や職場の人に、私の妻は死後の人の存在が見える、
と話すことができますか。
>>228 教祖様の夢が幻想、幻聴ではない証明をお願いします。
ライフスペースの定説や法の華の足裏占いとどこがどう違うのですか?
>近所の人や職場の人に、私の妻は死後の人の存在が見える、
>と話すことができますか
出来ますが何か?生きている人間に聞かれてもなんともありませんが。
それより死んだ野郎が見えているのが判るとついてくるので見えているのに
見えていない振りをしていますが何か?
知り合いにも霊感体質が5人以上いますが何か?
>>226 法然上人にあひまゐらせて、また六角堂に百日籠らせたまひて候ひけるやうに、
また百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にもまいりてありしに…@恵信尼ご消息
べつに六角堂の夢告が「肉食妻帯有髪を正当化」したわけじゃないので。
思いつきの勘違いで「某宗派の教祖」云々言ったって皮肉にもなりゃしない。
そのへん、よろしゅう。
NBさん、うちの嫁に精神病院に行けば?と言っておいて
教祖の夢は妄想幻覚でも迷信でもありませんって言うんでしょうか?
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/shinran/shinran.html ちなみにQさんは
>ストレスというよりも、幻想、幻聴があるわけですから、
>私は精神科の方がいいと思います。
といっている訳だけど苦悩・ストレス状態で参籠行をした教祖が
>そういうのに宗教がからむと、たいていは症状が悪化します。
と言っている訳ですから宗教がらみでストレス状態にあった教祖が
>ストレスというよりも、幻想、幻聴があるわけですから、
ではないという証明してくださいといっているんですが・・・。
出来ないなら前言撤回してください
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/13 22:41
そーいえば、臨済宗の人で修行を終えて帰ってきた方に
修行で何が一番辛かった?って質問したら
最後の最後まで辛かったのは、眠りたい事と喰いたい事だって言っていた。
そして、だんだん幻覚を見るようになっていったって言っていた。
お経をあげていると、本尊さんが歩き出したりして見えたんだってさ。
お釈迦さんもきっと幻覚とか見たんだろーなぁ
233 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/13 22:46
>>231 おお、なるほど。おっしゃるとおりでした。
ぼくも>230については無神経であったこと、
お詫びいたします。ごめんなさい。
>>233 NBさん。判っていただければ良いんですよ。
191でも書いたのですがもし仏教僧なのに三明六通を否定するんだったら
袈裟を着ていても中身は仏教僧じゃなくて外道・外教の僧でしょう。
(もちろん本物もあれば偽物もあるのは当然です。)
あとはQさんに教祖が(もし現代に生きていれば)精神病院行きではない事を
証明してもらうだけですね。
>>(Qさん)
ちょっと失礼だと思います.
たとえ心で思っていても,このような場で申す事ではないと思います.
それが本当かどうか,幻覚なのか本当にあるのか,実際にはわからないでしょう.
それを自分の思想をもとに,「幻覚だ」と言い切るのは,反感を買っても仕方がないと思います.
まあ,前すれ229さんも,
「夢告」の考え方のように,いろいろなとり方のできる事を盾にとって,
証明しろ,っていうのも大人げ無いような気がします.
結果的に,私の書き込みがこのような事態を招いてしまったことを,
深くお詫び申し上げます.
ごめんなさい.
忘れてた.
>前すれ229さん
本スレでも229ゲットおめでとうございます.
連続書き込みすみません.
上の方読み返していると,私の書き込みが勘違いされているように見えたものですから・・・
私は「見える見えない」の問題は,とりあえず無視してます.
そして,「見たくないのに見えてしまう」のは,精神的なストレスになると.
さらに普通は,「見たくない」場合には,「よけい見えてしまう」ものだと思います.
だから,結果的に悪循環に陥ると感じました.
「そもそも見えるのはストレスのせいだ」とは言っていないつもりです.
>>234 書き方が悪くて、失礼に感じられたのならあやまります。
しかし、私の妻がそういうものが見えると言ったら、
大丈夫かなと心配しますね。
夢で見たものと、目が覚めて見えるものとは違うでしょ。
誰でも夢を見るけれども、幻想を見たとは言わない。
そして、その夢がどういうことを表しているのかを考えることは、
べつに異常でもなんでもない。
しかし、目が覚めた状態で他の人には見えないものが見えるとなると、
第三者としてはどうしたのかな、と思うのが普通じゃないでしょうか。
あぼーん
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/14 09:50
>>238 あなたの考え方が普通です。
偏った立場から見るとものは歪んで見えます。
広い地平に出てみなければ弘く説くべき教えは
理解できないものです。
241 :
いちおう門徒:03/04/14 12:34
>>227 遅レスだが
当選おめ!おらも慎太郎兄ぃに入れてきました。
>>235 タケさん。別にあなたの書き込みが原因ではありませんので
気になさらないでください。
>>240 >偏った立場から見るとものは歪んで見えます。
>広い地平に出てみなければ弘く説くべき教えは
>理解できないものです。
ほうほう、すると肉食妻帯有髪は夢のお告げ以外のどこに正当化する根拠が
あるのでしょうか?
1201(建仁元)年の教祖の体験以外に何か根拠があるのでしたら
ぜひとも教えてくださいな。
漏れは門徒じゃないから知らん。
渡海みたいに決め付けるんは止めたら?
別に仏教は肉食を否定していないだろう?
原始仏典には、すでに植物でさえ生命があることさえ触れられている。
>>243 > 渡海みたいに決め付けるんは止めたら?
呼んだかぁ?。こっちの板には余り参加する意思はないんだ。
> 漏れは門徒じゃないから知らん。
寺を追い出されたのか?。自分が勝手に追い出されて、
その憤懣を他人に八つ当たりで向けるなよな。
>>246 参加する気はなくても見てはいたんだね。
流石だ(w
>>245 托鉢(布施)で得た食物に限ってOKなのは知ってる?
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/16 06:11
>>248 僧中食でもOK。
というか理念的には「三種の浄肉」ならOKである。
251 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/04/16 20:03
>>247 >参加する気はなくても見てはいたんだね。
こっちの板にも参加して欲しいという遠回しな誘いか?。
part1のスレにカキコしたから、その責任上時々ROMはしているよ。
>流石だ(w
軽薄な人物のようだ。
特に褒められるようなことでもない。笑って貰うようなことでもないよ。
>>250 で、肉食妻帯有髪の理由は?
> 漏れは門徒じゃないから知らん。
は2回も使うと面白くないですよ。
>>252 そもそも親鸞思想において,わざわざ肉食妻帯有髪を正当化する必要があるとは思いません.
254 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/16 22:50
香偈の前に八下しますが、なぜ8回なのでしょう?
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/16 23:28
>>252 出家の僧侶といっても、六度の修行なんて出来る人なんか一人もいないし、
せいぜい修行のまねごとして、自己満足してるくらいだろ。
肉食妻帯有髪を正当化してるんじゃなくて、
いずれの行もおよびがたき身の自覚なんじゃないの?
>>252 漏れは250とは別人だから関係ないね。
(^^)
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/17 09:26
諸菩薩衆
>>252 妻帯はともかく、「肉食を否定する」根拠は何?と言っているつもりなんだが。。。
>六度の修行なんて出来る人なんか一人もいないし、
>せいぜい修行のまねごとして、自己満足してるくらいだろ。
そうか? 真宗の六度観ってよくわからんから、何とも言えない。
他宗なら、がんばっている和尚さん、随分知っているけどもネ。
あなたのいう六度観が知りたい。宮沢賢治のようなことを言うのであれば
論外。
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/17 11:13
>>259 そもそも修行をしようと思い立つところから自分を買いかぶっているんじゃない?
修行の本来の目的は自我の寂滅でしょ。そんな人居る?
がんばってるのはわかるけど、がんばったで終わっちゃうじゃん。
だから自己満足って言ったの。
それとも修行を終えた人が肉食妻帯してるのは、そこに何か見いだしたのかな?
宮沢賢治が何を言ったかは知りません、教えてください。
>>259 お住まいはどこですか?実際のお布施見たことある?
ちなみに京都だと現代でもたまに坊さんが托鉢しているのを見かけます。
住民がお布施するのはお金以外に袋に入れた白米とかはあるけど
ミートボールやハンバーグ、焼肉、フランクフルト、生魚、冷凍白身魚のフライ
餃子、焼き豚など肉類をお布施している人がいる訳ないでしょ。
つーことは自坊の食事は当然買い物で入手するわけですが三種の浄肉というのは
自分の食の為に殺生したり、させたりしてはいけないということじゃろ。
まあ現代では植物性加工食品の中にビーフエキスやチキンエキスが添加されている
食品も結構多いので100%精進料理が難しいのは仕方ないとは思いますけどね
(個人的には鶏の無性卵と乳製品は食しても可だとは思う)
で、現代でも禅宗や密教系の阿沙利さんなどは基本的に精進料理みたいだけど
肉食べてもええやんという根拠はなんですか?
夢のお告げしか根拠が無いならそれはそれでいいやん。
「他に何か無いのですか」と聞いているわけなんだが・・・。
>>260 何度も言わせないで下さい。肉食したからといって何なのですか。
植物だって命があるんですよ。あなたはそれらを食べてはいけないと
いうのですか?
>そもそも修行をしようと思い立つところから自分を買いかぶって
>いるんじゃない?
なぜ釈尊の教えを実践することが「買いかぶり」になると言うんでしょうか。
これも脈絡のない意見です。
>がんばってるのはわかるけど、がんばったで終わっちゃうじゃん。
これもよくわかりません。
宗教共通の特色として語ることができるであろう「心の問題」は
その人の閉じた世界のみで完結しております。これに取り組む
ことが悪いこととは思いませんが。
利他行については多少だががいしゅつ。
>修行の本来の目的は自我の寂滅でしょ。
これも聞いたことがない意見です。
経典のどこにそんな記述があるのでしょうか。
六波羅蜜についてもあなたの意見を聞いておりません。お聞かせ下さい。
宮沢賢治くらい小学校くらいの時に全部読みましたが、、、
>>260 釈尊は肉食は否定しませんでした。
(詳しくは律蔵、経典を見られたし)
また提婆達多は釈尊の教えと異なる主張をしました(五事の非法)。
その一つに「常乞食」、布施された物以外は食べてはならない、というものが
あります。これを主張して破和合僧をし、五逆を犯したから生身にて地獄に堕
ちたとまでいわれるのです。(托鉢のみで生活しろ、というのは非仏教的な教
えだということです)
また菜食主義は中国の神仙思想の影響と言われ、一般に観文化圏の仏教の
特色とされます。起源は有名な梁の武帝が中国式な隠遁観に合わせるよう
勅令が出されたことによるとされています。
禅宗でも必ずしも肉食は否定されていません。この点は確認されたし。
(中国系禅宗では清規、日本物は語録で説かれていることもあれば、京都各刹
に尋ねられてもよろしい)
人間は動物であれ植物であれ、他の生命を傷つけなくては、自己の生命さえ
保てない悲しい存在なのです。
仏教は、時にはそんな人間の宿命を「業」という言葉で表現しました。
それ故にあれはダメ、こっちはいいという偏見を捨てたのです。
与えられた食事を有難くいただく、このように日常の生活の中に真理を見いだ
していくことが、八正道・六波羅蜜という仏教の修行だと思っております。
>>265・259
ハイ!ハイ!先生質問です。
人間は他の生物の命を犠牲にすることはよく判ります。
でもそうならば命に感謝して供養はしないのでしょうか?
神祇不拝は矛盾しないのでしょうか?
(大木を切るときは木霊鎮め、池を埋める時は魚の放生とかするべきだと思いますが
商売で生臭物を扱っているお店では年に一度その動物の供養するとか聞きますけど
とりあえずうちの田舎(北陸)では地鎮祭もやらないし省略されまくってますけど)
うちの爺さんは若いときそういうことを全く知らなかったので川を埋めてしまって
(経済的に)家が傾きました。原因がわかって後にお詫びの供養しましたが。
>>261 >夢のお告げしか根拠が無いならそれはそれでいいやん。
>「他に何か無いのですか」と聞いているわけなんだが・・・。
>242では、肉食妻帯の根拠の「正当性がない」ということを、あなたは問うています。
「根拠が無いならそれはそれでいいやん」とか「「他に何か無いのですか」と聞いて
いる」で済まされるような、言い方ではないのですが。
>266
>命に感謝して供養はしないのでしょうか?
枝葉末節。たたりが怖いんであれば、別に真宗や仏教でなくてもいいでしょう。気の済む
ようにすればよろし。
>>267・259
先生!変です。オカシイです。
神仏のお告げは理由にならないのですか?
それならそれでなぜ堂々と本願寺のHPには開祖の生涯として書いてあるのですか?
どうもQさんをはじめ真宗の関係者の皆さんは現世利益を否定する関係上
神通力の類が全てトリックだとでも思っていらっしゃる様な節がありますが、
あの夢のお告げは開祖の単なる思い込みなんでしょうか?それとも本当の導きだったのでしょうか?
(オラも個人的体験として夢のお告げがあります。また意識が覚醒している状態で
神霊の存在を感じたことがあります。<本当に大事な知らせがある時と試しに合うときだけですが
だから開祖が神仏の導きがあったのならあったで素直に認めれば良いじゃないですか?
それをオラの嫁が霊が見えるんなら精神病院へ行ってみてもらったら?というのは
真宗ではどういう基準なんですかね?)
〔本物を知らなければ本物も偽物も見分けがつかないから仕方ないのかなあ・・・。〕
/)_/) ( こちらの尋ねごとは知らんぷりで自分の
< ゚ _・゚> .。oO( 言いたいことだけ一方的に言いまくりか。。。
ノ) / | ( いい加減にしとこう。
\(_,,,_,,,) (
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 12:13
>>262 >なぜ釈尊の教えを実践することが「買いかぶり」になると言うんでしょうか。
だって実践しようと思うってことは、「自分には出来る」と思うってことでしょ。
それが買いかぶりっていってるわけ。
>宗教共通の特色として語ることができるであろう「心の問題」は
その人の閉じた世界のみで完結しております。
この文章の方がよっぽど意味がわからん。何が言いたいの?
>これも聞いたことがない意見です。
六度は菩薩の行でしょ。目的とするところは涅槃だっていうことはわかる?
涅槃は煩悩を滅しなければ不可能だってこともわかる?
六度だって単なる手段ではなくて、実践出来ること自体がすでに涅槃でしょ。
涅槃の境地に達するまで修行って終わらないはずでしょ。
なんで終わりがあるの?
中途半端な修行は、煩悩を満足させてるだけでじゃん。
271 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 12:31
>>268 前すれさん、あなたは正しい。
奥さんに病院へと言うなら、夢告を肯定している奴らが病院へ行けと思います。
>>268 >夢で見たものと、目が覚めて見えるものとは違うでしょ。
>誰でも夢を見るけれども、幻想を見たとは言わない。
>そして、その夢がどういうことを表しているのかを考えることは、
>べつに異常でもなんでもない。
(
>>238参照)
これは全く無視しているんですか?
>>270 >だって実践しようと思うってことは、「自分には出来る」と思うってことでしょ。
>それが買いかぶりっていってるわけ。
釈尊だって薦めたし、自分で出来ることを実践して、買いかぶり呼ばわりする
あなた様ものほうが、よっぽど自分を買いかぶっているような気が。。。
>>これも聞いたことがない意見です。
>六度は菩薩の行でしょ。目的とするところは涅槃だっていうことはわかる?
その出典をあげて欲しいといったまでのこと。恐らくないでしょうけど(今度
挙げてみて下さい)。
涅槃を目指さず、衆生のままにとどまり、衆生と共に生きるのが菩薩。
その実践が六度や四摂法。わかる?
>六度だって単なる手段ではなくて、実践出来ること自体がすでに涅槃でしょ。
>涅槃の境地に達するまで修行って終わらないはずでしょ。
>なんで終わりがあるの?
この文章、支離滅裂。
>中途半端な修行は、煩悩を満足させてるだけでじゃん。
六度などは満足どうのこうの問題じゃないんだけれどもねぇ。上の仏教の食観
などが多少の参考になればと思う。
修行というのが日常とは異なる特殊な身体行動、と思っていると、そのような
理解は成立するけれど。一々前提となっている理解が間違っているんじゃない?
>>272 タケさん。神通力の類は本当にある種の人には備わっているんですよ。
ただし以前にも書いたように正邪両方あります。それと当然偽物もあります。
これに関しては実際に本物に会った事が無い人にはいくら言語で説明しても
「見解の違い」で平行線です。
ちなみにタケさんは個人的に開祖の夢はお告げだと思いますか?
それとも女犯の煩悩のなせる妄想の夢でしょうか?
(答えにくかったら無回答でも結構ですよ)
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 20:07
他力本願といいますが
阿弥陀如来以外には結局のところありえないのですか?
また、現世利益を否定しますが、
それならば、@自分のことだけを考えて修行!
A他人の為だけの修行!
となりますが、本当によろしいでしょうか?
>>259氏は肉食妻帯有髪の理由をなぜオラが聞くのか執拗に知りたいようですが
これって真宗では同和問題と同じく余り深く触れたらまずいと思って
書かなかったんだけど話が進まないので書いてしまいますが
開祖が生きていた時代に鎌倉幕府から
「肉食・好色・酒を飲んで騒ぐ黒衣(袈裟)の者は追放」とお触れが
出されましたがこれは当時の社会常識から逸脱していたアナーキースト
として見られていたのではないのですか?
(ちょうど開祖が関東を離れた時期と一致するようですし・・・。)
これらのことから肉食妻帯有髪は当時の常識ではタブーだったように
見受けられますけど確たる理由もなしに袈裟を身につけているのに
在家の人と同じ生活をする理由はなぜなのでしょうか?
お告げ以外に何か理由があれば教えて欲しいんですが
ときいているんでちゅ!
>>274 ねえ、ねえ、上の質問にも答えてあげてよ。
1.開祖の肉食妻帯が、何ら正当的根拠がないという理由は何?
夢のお告げじゃ、なぜいけないの?
2.命を大事にすることが、なぜ神祇でなければいけないの。
3.仏教が托鉢にのみにより、肉食を否定したっていうのの根拠は何?
おせーて、おせーて!!
>>277 1.=>276に書いた。夢のお告げでも良いけど他に無いのかと聞いている。
2.=>枝葉末節(らしい)。
3・=>日本とインドで文化風習が違うのでどこで線を引くかが難しいんだけど
布施や招待食でなく自分の意志で買い物をして魚・肉を買うのは
あなたの為にこれらの魚・肉はお店に並んでいることにならないですか?
つまり疑(どうも自分の為に殺したらしいと疑いをもつこと)には触れませんか?
(人によって見解の相違は当然あると思うけど)
それともう一つは276でも書いたけど鎌倉時代から明治維新までは少なくとも
日本では出家者の肉食は心良くは見られていなかったようですが・・・。
1.なんで夢のお告げでも良いのに、他が必要なんですか?
その動機を聞かせてチョ。
3.インドでもこころよく思われていなかったらしいけれど。
お店に並んだ物を買っても、自分のために殺されたことに
はならないんじゃない? とボクは思う(「殺されたところ
を見た」場合というのがあったような、なかったような)。
>それともう一つは276(略
そうした一般のタブーを破って、親鸞さんは凡夫の立場に立とうと
したのでつか? そうしてまで仏の教えにかえろうとしたのでつか?
後者だったらすごいですね!
>>279 1.=>過去スレ嫁!つーことで判ると思うが関係者が肯定も否定もしないから
どっちかいまだにオラわかんねえんだわ。否定も肯定もしない
答えない真宗関係者に言ってくんない?
3.=>タブーを破るというよりも教団が言うように「往生が確定」しているならば
そもそも出家して袈裟を着る必要など無いと思いませんか?
在家でも出家でも往生するのが確定しているんならネ。
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 22:12
>>273 >自分で出来ることを実践
だーかーらぁ、自分で出来ることしか出来ないっしょ。
限界はあるでしょう。
六度はとうてい実践しきらないんだよ。
そんな中途半端なのに修行をしているなんて言えることが買いかぶりっつーてんの。
>その出典をあげて欲しいといったまでのこと。恐らくないでしょうけど
仏教辞典でも何でも自分で開いてみろっつーの、出てるから。
>涅槃を目指さず、衆生のままにとどまり
それじゃ菩薩でなくて、まんま衆生やんけ
>修行というのが日常とは異なる特殊な身体行動
修行は思いっきり特殊やんけ
>>280 1.そこまでしつこく聞く神経もわかんねーだヨ。
過去ログすこしだけど読んだども、前すれさんの文章意味不明の部分が多くて。。。
3.だから親鸞さんは凡夫になったのを宣言したんじゃなかとですか?
>>281 六度は全部一緒くたに修行するもんでもないでしょ。
1つ1つの気づきを大事にする。声聞の実践でも「覚支」という風に
言い習わされているんじゃない?
おぼれている人がいる。→手を差しのべる。
これ1つで相手に施しをし《布施》、自分の労苦を惜しまない《忍辱》
折に触れて実践する《精進》、労苦をおしまず自分お勤めを果たす心構
えがある《禅定》、と4つは揃っているけれど。
《持戒》なんどもそうした仏の教えを誓願としてたもつことだから、仏の教
えを信じている人なら、ここにこれを加えていいんじゃない。これで5つ。
>仏教辞典でも何でも自分で開いてみろっつーの、出てるから。
出ていないよ。密教系と浄土系以外のたいていのもの見ているけれど、
というか、考え違いしているから、そんな偏見いだいているとしか思えない。
自分で挙げてみてよ。三蔵には恐らくないから。
>それじゃ菩薩でなくて、まんま衆生やんけ
菩薩にゃ、在家の菩薩と出家の菩薩をあるのをご存じ? もとは仏さまが菩提を
得られる以前のことを指し、あるいは仏さまの前世のことをいったのよん。《これは
当然在家やら、動物だったこともあるよん》
そこから大乗仏教では、仏さまの教えを胸に抱き、誓願を立てて活きる人々のこと
を出家・在家を問わず菩薩というた。こうした背景には出家者のみの教えを説く
仏教教団が多くなったことが挙げられておりますです。その反措定として菩薩ガナと
呼ばれる出家在家同等の共同体が角逐されていったのです。
>修行は思いっきり特殊やんけ
平常心是道。
284 :
275 俺の方にも解答を!:03/04/18 22:40
六波羅蜜
…修行の際にどのようにすれば、良いかの種類、段階が示されている。
布施→持戒→…→智慧となるわけであるが、
「終わり無き完成」と表現されていることより、永遠の修行項目であろう!完成してから修行とは言わない。
それに、自分の本当の限界がわかるという事は「如実知自心」=すでに悟ってる事。悟ってる人にしては無知では…
涅槃を目指さず、衆生にとどまり。
…かれの表現が微妙だけど、菩薩とは次の使命がある。
「修行により、涅槃の境地に行くことができても、拒否し衆生を救い続ける。」
つまり、涅槃できても安易にしてはいけない菩薩道である。
修行は思いっきり特殊
…日常生活のなかで、坊さんとしての菩提心を忘れず、精一杯生きていく事であろう!
つまり、昼間だけ坊さんというのはおかしい事。
>>282 1.=>割愛(スマソ)
3.=>ええ?それだとつじつまが合わないんだけど・・・。
凡夫のままだと生前往生(真宗で言う独自の解釈)はしても
死後往生しないんですけど。少なくとも
A)身見・疑・取見の3つの煩悩を断つ
B)如来に対して絶対の信を持つ
どちらかの条件にならないと預流の聖者(シュダオン)じゃないから
将来成仏することが確定しないことになっています。
一般的な浄土信仰ではB)の方が源流。
286 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 22:54
このスレで答えてくださる方へ
変に自分の宗派を守ろうとするのではなく、良いものはよい!おかしいのはおかしい!
と柔軟にならないと、仏教はもっと廃れますよ。
かつて、浄土の方が言いました。
密教の「光明真言」が一番優れている…と言ったのです。
だからといって、密教にも悪い面はありますが、これが本当の智慧じゃないのかね?
釈尊が見たら泣くよ?
そもそも、いかに現代の諸問題を檀家単位で解決していくか考えなきゃ。
波羅蜜はpAramitAで、伝統的には「到彼岸」=彼岸にわたりついた、の意味。
現在の語学的分析では「無上」「完成」「完成態」を意味する。布施波羅蜜な
ら、「布施という行の完成」という意味で、この行い1つで布施という行が1回
1回完結している、という実践である(後果を期待しないといっていいのかな、
般若思想と関連してくるね)。
>「修行により、涅槃の境地に行くことができても、拒否し衆生を救い続ける。」
>つまり、涅槃できても安易にしてはいけない菩薩道である。
八地にいたっても進まず、十信?(だったかな、よく覚えていない)に戻って涅槃に入らず
だから、「涅槃できても」とはチトニュアンスが違うんじゃないかな?
> 昼間だけ坊さんというのはおかしい
これはどういうこと?
>>286 こういうのが一番厨房意見だと思う。
ここで檀家制度とか出せば、専門知識を持つ人の発言が無くなると思っているんだろう。
仏教はそれぞれ各宗派の狭義の相違は、異なる思想体系をもって創出されてくるので、
「浄土の人が光明真言が一番優れている」なんて発言聞いて、一番悲しむのは、主体性
をなくした法孫を見た釈尊その人であろうに。。。そんなことも分からないオマエサンは
おモーハ?
>>285 しゅだおん果というのは、四諦の道理を見徹した聖者のことだろう?
「涅槃できても」
…ああ、つまり能力的には如来になれるのでなるが、能力が備わったからといって、
その前に衆生を救わなくてはならないと言いたいのです。
昼間だけ坊さん
…昼間に袈裟を着ている時は、問題ないが夜になったとたん(私服に)ベンツに
乗って、オネーチャンのお店でバンバン金を使って、ギャンブル三昧とかすることでする。
>>284 六波羅蜜が次第的な階位を持った修行、というのはどこに出ているの?
>>290 そういう人もいるけれど、真宗だけでお寺は何万ヶ寺、僧侶の数は
その何倍かでしょう?
そこから割りだしゃ微々たる数だよ。といってもホントああいう人たちはイヤーね。
言いたいことは、とりあえずああいう人間相手にしてもここでは始まら
ないので無視しましょう、ってこと。
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 23:13
>>288 だから、自分の宗派の思想がおかしいぞ!
って思う人がいるはずだし。矛盾を感じて無いのはおかしくね?
そもそも、あらゆる宗派の勉強した?
どれが一番真理ついてるか考えた事ある?
この浄土のひとは日本の仏教を色メガネをつけずに勉強した事がわかるんだ。
すげえ人と思わない?むしろ釈尊はあくなき探究心に感心してるね?
>>284 >完成してから修行とは言わない。
これもよく勘違いされる事柄だけど、修行してさとりを完成する、ということは後
代のアビダルマになって出てくる考え方で、釈尊は八正道のように人間の生き方が
いかに正しくあるかということを説かれただけなのである。この生き方に目ざめ、ま
たはこの生き方を歩むことが仏教の実践であり、ブッダといわれる人々なのである。
(後者はとくに別解脱パーティモッカということに反映されている)
>>289 四向四果って知ってる?
シュダオン(預流)・シダゴン(一来)・アナゴン(不還)・アルハット(阿羅漢)
それぞれ「向」と「果」あるはずなんだけど。
「須陀恩(預流向)」以上なら「極七返生」と言われる通り,最大でも七回生まれかわるうちに
「生死」を出離する者となり,しかも「不退転」と言われる通り,悪趣苦界には決して趣かない
在家でもアナゴンまではOKらしい。アルハットは在家だと一時的に成れてもまた落ちちゃう
という説が一般的。ちなみに浄土系は他力本願なので現世でのアルハットはありえない。
>>293 >この浄土のひとは
誰?法然さん?親鸞さん? 前すれさん?(てことはありよう筈も
ないが2chはいろんな人がいるから一応聞いておく)
>291
「仏教」 渡辺 照宏著
でかいてあった気がする。手元にないから、やや自身が無いけど。
たしか、仏教の実践は簡単にまとめると、戎、定、慧の三学から
であり、そこから、考えると六波羅蜜の順番になったと思うよ。
>>295 オマエサンこそよく調べた方が好いぞ。そんな辞書的なことをいっても、
前の托鉢と肉食の時のように、理解出来ていないことが露見するだけだぞ。
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 23:24
>>293 だれか忘れちったから、浄土の人に聞けば名前がでてくるかな。
と確信犯てきに書いたんだわい。だれかしらんかいのお。
>>297 >戎、定、慧
せめて戒・定・慧と書いてくれや。
経典論書を直接見てくれよ。
>>298 またまた生前往生の様に真宗内だけで通用する独自の解釈ですか(笑)
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/18 23:35
>>300 あげあしとらないでくれ。。。
戒は見間違いだ。
「持戒」とちゃんと打ってるから、みのがしてくれよ。これ見て、間違って覚える輩もいないだろう。
経典論書を直接見てくれよ。
…そんなの調べるのいや!時間の無駄だよ。考えもしなかったよ。
理論的に考えて、なんら疑問におもいませんが。
納得いかない点はどこですか?
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/19 00:27
>>283 じゃあ何?あなたも菩薩になれるってーことかぁ?すっげー
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/19 01:36
教義のことはいいからさあ、なんで真宗はブラク解放同盟のいいなり
なわけ?だれか答えてよ。
305 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/19 01:39
>>304 >解放同盟のいいなり
きっと負い目があるからじゃない。
差別戒名問題以外?でなんかあるの?お金?なに?
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/19 05:53
>>301 真宗だけじゃない。西山派も言う。
諸々含め298に禿同。
通仏教の上に念仏(宗)はあるが、その逆ではないので。
坊さんに聞くより、霊に聞いた方が早いのでは?(w
あぼーん
あぼーん
だれも答えてくれない同和問題。
お坊さんに質問してるのに、坊さんどうしで黙殺するの?
この雰囲気って楽しいわ。ハハハ。
311 :
お借りします:03/04/19 15:56
/)_/) ( こちらの尋ねごとは知らんぷりで自分の
< ゚ _・゚> .。oO( 言いたいことだけ一方的に言いまくりか。。。
ノ) / |
\(_,,,_,,,)
まったくです。これほどヘタレの集まりとは。とてもあのキチガイ教団だった
一向一揆どもの末裔とは思えぬ根性なしですね。
教義でも政治的問題でも批判に対して何もいえないのは苦しい証拠ですね。
ここが浄土系関係者のサロンなら荒らしになるようなことはしませんけど
質問に答えられる坊主が皆無だということ、また坊主を援護する識者も
いないということか。身内で慰めあうってこういうことをいうんですね。
特に浄土真宗は、なにもかも自分達の矛盾に気がついているんじゃないの?
いろいろとやってて毎日満たされてますか?いやいや漫然とする仕事に
誇りを持ってますか?
あぼーん
313 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 01:12
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 03:21
age
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 03:45
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
あぼーん
>>318 276が追い詰められて答えられなくなっているんだよ!よく読めよ!
>>302 理解が違っているので、「矛盾がない」とかの問題と違うと思うが。
>>303 そうでしょ。それが大乗仏教だから。激しく誤爆誤解しているね。
追加
>>311 そのコピペは、わたしが仏教のことを余りにも誤解しているカキコが多すぎるので、
前すれさんたちに対して催促のために貼ったものです。
結局彼らの理解はこの程度のものと分かったので、識者も返事のしようがないのだと
思います。
よく読んで下さい。
321 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 12:17
で、結局末端の坊さんは教団本部の政治活動に対してどう思ってるの?
全員が諸手をあげて指示ってわけでもないと思うが、率直な意見聞かせてよ。
学生時代祇園でバイトしてたけどいやというほど生臭坊主を見た。
湯水のように金を使っていった
>>319 >276が追い詰められて答えられなくなっているんだよ!よく読めよ!
はあ?
過去スレのどこにオラの質問に対して真宗関係者が肉食妻帯有髪の理由として
開祖の夢のお告げに対して肯定や否定したカキコがどこにあるんだ?
何度聞いても枝葉の部分にしか答えないで本題にはイエスもノーも答えてないぞ
あんたの個人的意見で良いからイエスかノーで答えてくれよ。
それと298もあんたかい?
凡夫のままで死後往生できるんならその出典はどこにあるというんだい?
ソースキボンヌ
そもそも釈迦如来が肉食を禁止しなかったのは知っているけど鎌倉時代に
当時の政権から関東一円から追放令が出るというのは
(ある特定の個人が(当時の)常識を逸脱していただけなら
個人を捕らえて罰せられるはずだが)
黒衣(袈裟)の念仏者全てに対して追放令が出るのは肉食妻帯については明らかに
反社会的行為の集団がいたということじゃないのか?
しかも当時では珍しい死刑に念仏者が四人もなっているのは(当時としては)
余程極悪の集団じゃないのか?(現代では文化が変わったので非難されませんが)
ちなみに現代では文化風習が変遷してしるので当然ながら肉食妻帯有髪は
法律に触れません。鎌倉時代の当時は犯罪でも今は違うのでそのことで
真宗を責める気は無いと言っておきます。質問に質問で返してくるから
答えたまでのこと。
肉食と妻帯と有髪はそれぞれ別に考えた方が良いのならそれでも結構
ちなみに有髪はスレパート1後半とパート2前半で袈裟の徳用を論議していた時に
「有髪なのに袈裟の徳用があるのか?」の質問には徳用の意味するところの論議だけで
だれも有髪の理由は答えていない。
(結局、幼子に対する例え話として決着したので徳用に関しては完結したが有髪の理由は不明のまま)
325 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 16:19
剃髪は何のためにするんだろ?ケジラミがわかないようにか?
>>323 >凡夫往生のソース
>
……観経疏。
ほか多数。
あと原始仏教の僧団との比較は無意味です。
真宗ではないのでsage
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 16:35
>>319 >そうでしょ。それが大乗仏教だから
え!あんたも菩薩になれると思ってる人?
もしや、すでに菩薩様であられまするか?
328 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/20 19:06
>>274 遅レススマソ.単にネットにつなげなかっただけなのだが・・・
開祖の夢がどうかというのは,はっきり言って個人的にはどうでも良いんです.
ただし,後々の親鸞の思想を考えた上で,このことを考察すると,
今までの修行や勉強についての疑問に対する,一つの回答の表現であり,
その文学的表現だと思います.
俺はノーベル賞を受賞した小柴さんの「山勘」という表現に近いものを感じるのです.
小柴さんの言うヤマカンは,単に思いつくことではなくて,
今までの知識・経験などを総動員して,必死に考えた事を言うそうです.
その答えを,総動員したすべてを説明する事が困難だから,
ヤマカンという言葉で表現するのかと思うのです.
>>324 前スレで俺が回答したのは何だったんだろう・・・
>>266 >うちの爺さんは若いときそういうことを全く知らなかったので川を埋めてしまって
>(経済的に)家が傾きました。原因がわかって後にお詫びの供養しましたが。
もしも,前すれ229さんの考えが真理であると仮定します.
川を埋めたり,家を建て直したりしたときに,供養等をしない場合には,
その家が経済的にも不幸になると.
ならば現在不況によって多くの会社が倒産し,家庭的にも崩壊している場がありますが,
そのような人たちは皆,家を建て直したりして供養していない.
逆に,戦後日本が経済的に回復するきっかけとして,朝鮮戦争による特需があったわけですが,
これは日本人が何かを奉ったり,供養したりしたからである.
これも成り立たないと変だと思うが,浄土系とは関係なさそうだしsage.
>>276 > 開祖が生きていた時代に鎌倉幕府から
「肉食・好色・酒を飲んで騒ぐ黒衣(袈裟)の者は追放」とお触れが
出されましたがこれは当時の社会常識から逸脱していたアナーキースト
として見られていたのではないのですか?
追放のおふれが出たのは時衆のことである。
関東の親鸞教団は同じ念仏を称えるものとして、時衆と混同されていたらしい。
しかし法然、親鸞が「社会常識から逸脱していたアナーキースト」というのは
あながちに間違いではなく、法然、親鸞はすべての人間は悪人である、
そのことにおいて平等である、と説いたわけだ。
それまで悪人とは労働者、下層階級のことだった。
それなのに貴族、僧侶、武士も悪人である、下層階級の者と平等だ、
と説いたわけだから、上流階級の者が怒るのも無理はない。
前スレ229さんはピントはずれのことを言い立てているように感じる。
法然、親鸞の立場と、死者の霊が迷って云々ということを信じる者の立場とは
まるっきり違うのだから、ピントがはずれても仕方ないけど。
>>324 >鎌倉時代の当時は犯罪でも今は違うのでそのことで
鎌倉時代でも犯罪ではないよ。
>>323 >それと298もあんたかい?
>凡夫のままで死後往生できるんならその出典はどこにあるというんだい?
そうだよ。真宗やお浄土のことはよくわからんぞね。インド系や他宗の仏教とも相当違う
みたいだしね。その意味で
>>326さんの意見は至極まっとう。
わたしゃただあなたの意図がどこにあるのかまったく不明な文章群について、説明しても
らわなくちゃ理解できないから、質問していただけ。それ以外に問題が派生して行っちゃ
ったけど。
>>327 そうだよ。大乗仏教に関しては、サンガ・ガナの規程によってそこに携わる立場を取った
り、誓願たてて仏道を歩めば、菩薩だよ。
333 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/21 13:57
結局のところ
浄土の方たちは、俗人でも坊さんでもないのですから。
念仏なんかしなくたって誰でも往生できるんだから
どうでもいいじゃん
| | |
| | |_____
| | | ̄ ̄ ̄ /|
| | | / /|
| /\ | /|/|/|
| / / |// / /|
| / / |_|/|/|/|/|
| / / |文|/ // / ∧∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ /⌒ヽ)
/|\/ / / |/ / [ 祭 _] ∧∧
/| / / /ヽ 三____|∪ /⌒ヽ)
| | ̄| | |ヽ/l (/~ ∪ [ 祭 _]
| | |/| |__|/ 三三 三___|∪
| |/| |/ 三三 (/~∪
| | |/ 三三 三三
| |/ 三三
| / 三三
|/ 三三
337 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/22 01:59
なんか、鯖の関係か宗教板に書き込めないんで、こっちに貼らせていただきます。
島国さーーーーーん。もしご覧になってたらよろしくです。
Date : 03/04/22 1:48:34
Subject: 日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず滅ぶ
URL :
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1047438066/ FROM : NB#******(えへへ。
MAIL :
島国さん。レスありがとうございます。ええと、今はジャックダニエルで一杯やってます。
やっぱ、酒はいいですねえ。いつか、どこかで、島国さんと酒飲めたら最高ですね(w
もう、最高です。うれしすぎ。えへへ。まずは乾杯。
>インドの言語観の集大成として のインド密教と、漢字文化圏のある意味「格義仏教」
>の集大成wみたいな善導大師の教学も、 パラレルかな?て印象受けますね。
これはもう、目からうろこです。
まあ、三論宗の相承には清弁が入ってくるんですよね。
って、唐突ですけど、さっき思わず『八宗綱要』を読み返してしまいましたら
「此宗意。覚体本有。迷故有生死。返迷還源。但払客塵時。(客塵なんですねえ!!)
本有覚体。宛爾而顕」なんてあって、で、しかも、
「当知。諸宗是三論之末。三論是諸宗之本。豈有不入龍樹心府之宗乎矣。諸宗悉崇為
大祖者乎」なわけで、ええと、漢文打ち込んでいたら清弁がこの文脈でなんだったか
忘れちゃいましたけど(スマソ)まあ、要は如来蔵なわけで、パラレルな関係を結ぶものが、
というかパラレルたらしめるものが如来蔵だったんでしょうかね。(ははは。ちと、電波入って
ます。。。
338 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/22 02:00
いえね。そういや、親鸞聖人のご和讃には
「信心よろこぶそのひとを 如来とひとしとときたまふ 大信心は仏性なり 仏性すなはち如来なり」
なんて不思議なご和讃があって、(ご承知のとおり。)
してみると三往生は仏性理解の三様と捉えることもできるかと。
で、そういや、善鸞さんの「しぼめる花」って、実は如来蔵経のたとえの一つだったりするんです
よね。ああああ、いえ、考えがまとまりませんが。また、考えてみます。ものにならないかも
しれませんが。あはは。
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/22 02:07
バカ門徒くるなウザイ。
340 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/22 02:20
で、日蓮さん関係のネタを振っとくと、
まあ、たとえば浄土系では「浄土」の存在について近代世界との思想的格闘が
あったわけですけど、日蓮聖人の場合も、近代世界において、同じような格闘
が必要なんじゃないでしょうかねえ。
思いつきでいうならば、「四箇格言」の「無間」とか「天魔」とか、(「亡国」「国賊」
は、まあおくとして)
いえ、親鸞会のT師が野々村真じゃなかった、ええと、誰だっけ。度忘れです。
まあとにかく僧籍剥奪の野々村氏の影響を受けていらっしゃったようで、
そのへんは興味深いですね。
池田氏や浅井氏にも同じような「近代的」事情があるのかもしれませんね。
「宗」=「主張命題」で云々についてはハゲドー(wなところがありますが、
いっぺん考えなおしてからレスしたいです。
まあ、今、ヨッパですんで。でも、脳みそのある部分は覚醒させていただきました。
#すれ違いしまくりなレスで、皆様スマソです。また、このスレでもレスしたいなあ。
と思ってます。つか、まあ、ヨッパです。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/22 09:20
>>332 >そうだよ。大乗仏教に関しては、サンガ・ガナの規程によってそこに携わる立場を取った
り、誓願たてて仏道を歩めば、菩薩だよ。
あなたにも出来ることなのですか?
343 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/22 10:00
三乗一乗
>>341 っていうか
原始的なサンガの在家成員 = ウパ−サカ・ウパーシカー(優婆塞・優婆夷/信士・信女)
日本の歴史的的な家単位での成員 = 檀家
大乗仏教のサンガ・ガナの成員 = 菩薩(出家在家の別なく)
神社の成員? = 氏子
ということだよ。
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/22 21:27
このスレの坊主どもは本当に「臭いものには蓋をしろ」だな。
もうすぐ祭りの予感!!
「真宗逝ってよし祭り!!」
どこが?
347 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/22 21:45
>>342 修行がだれにも出来るのだったら、阿弥陀さんは必要ないんじゃない?
>>347 何度も言うが、言っている意味をキチンと把握してよ。
自らを疑うことは,他を信じるよりも難しい.
だから,信心を得ることは難しい.
>>350 本部と信心は一致しない.
でも本山(本部から言い換えます)が無かったら,
私まで思想が伝わってきたかどうか・・・いや,多分見向きもしなかったと思います.
勿論,多少(多大?)の文句は言いたいけれど,
まあ勝手にやってて,って所です.
遠いし.
煽りだとも思うけれど一応レス.でもsage.
age
353 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/23 21:20
354 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/23 21:52
>>351 あおりじゃない!あおりじゃない!本当のことさー♪
>>354 信心の話をしているのに,本部へと話が飛躍しているだろ.
教団と教義と,どちらを信じるか,だね.
だいたい,
>本部がバカな真宗でも
信心を得るのは難しい
というつながりが,まともかどうかを小一時間(以下略
みんなが寝静まった夜にこんな事書いている俺も俺だが.
タケさん
いっそのこと
スマソ入力ミス↑
いっそのこと本部はなれて真宗原理主義会派つくったら?
最近の檀家さんはいろんなことよく知ってるし。
本部の言うがままにやってたらこの先やっていけないような気もする。
原理主義はともかく、寺に頼らない門徒中心の
ネットワークがあっても面白いかもね
>>359 彼は原理主義という言葉を、「依法不依人」の意味で
使っていると思われ。いや、推測だけど
>>360 サンキュです.
まあ私,ログ見てもらえれば解ると思いますが,
「経文等に書いてあるじゃないか」という主張をしたことは無いと思います.
門徒中心のネットワークには大賛成です.
363 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/04/25 00:34
>>358 コテハンさんご登場うれしやありがたや。
よろしくよろしくおながい申しageます。へへ。
ネットワークって面白いと思いますけど、ネットワークの中の「歎異」
についてはどうお考えで?
>>363 歎異とは、門徒同士の見解の相違ってことですか。
そもそも、親鸞上人のみ教えを正しく受け取っているならば
「このように考えなければおかしい」とか、「このように行動
しなければならない」という体質こそ問題のように思っています。
誰かが言ってるような、念仏と座禅ってのも個人的には面白い
と思いますし、様々な意見にふれることこそ大切かと。
ちなみに、個人的には一遍上人に惹かれてます。
しかし、依法不依人という言葉もありますし、また
一遍上人自身も“我化導は一期ばかりぞ”と言ってますね。
まぁ、そういうことだと思ってます。
真宗のサヨクより思考の資料がありました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ecclesia/yasukunisosho/junbishomen2_20020904.html でまあこのページ靖国神社参拝反対ツーのが趣旨の様ですが、それは良いんですが
(靖国神社が神社という名称を使うのがおかしいとは思う。靖国鎮魂社ならまあ良いかとは思うが
わざわざ裁判するようなことでつかね?)
>伊勢神宮の大麻(お札)は罪穢を祓う神具であるが
はあ?門徒物知らずもここまでくると立派です。
あのう・・・お願いですから世間一般の常識ぐらいは知識として知って置いてください。
脳みそが寒すぎる・・・。
>だから神社参りが、土地、地域の風俗・習慣・伝統として成立し ても当然と思われている。
>(中略)世間体を気にせず、周りの人がするようにせず、自分の信仰を維持しようとすると
>「変わり者」「世間知らず」とささやかれる
それがなにか?それが判って皆さんやっておられるんでしょ?
それ以前に現代の神社神道には教義が無いの知ってる?
そんな無駄なことにエネルギー使うよりも早く京都市職員の無試験採用枠辞めさせてくれよ
京都新聞に職員の不祥事が載っていると決まって(ピー!自主規制)な訳だが
おまいらの解放運動のせいで税金が無駄に使われておるんだぞ。プンプン!
>>366 彼らは門徒の大多数が靖国やその他の神社に参拝している
ことを理解しているのだろうか?
368 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/26 09:52
神社参拝の件で思い出したが、
私の旦那の実家が真宗のお寺で、
子供のお宮参りの事でかなり喧嘩になりました。
「お宮参りなんてするもんでない。」とか、「形式にとらわれ過ぎ」とか。
でも、門徒関係無く、一般的に当たり前のようにされてると思います。
そのくせ、義父のお葬式では
「前住職の葬式であって、身内のものでない。寺の行事の一つ」
として、されてました。
寺の行事も、形式にとらわれてる事になるのではないか?と疑問に思ってます。
僧侶の方、どういう事か説明して下さい。
369 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/26 11:36
>>368 んー。ダンナさんがお宮参りじゃなくて
初参式に行こうと主張したのならわかるんだけど…。
一般的に神式で行われることが多い行事も
ほとんどは仏式でもできるようになってるハズで、
形式云々の理屈はちいとわかりかねまする。
370 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/26 17:12
>369さん
初参式ってなんですか?
うちの姑はそんな事一言も無く、
「形式にとらわれすぎ、この宗派はそんな事しない。
そんなにお宮参りみたいな事したいなら、
夫婦と子供だけで、東本願寺で勝手にお参りでもしてきたら?」
と、いうことでした。
うちの旦那は次男だからかとも思ったのですが、
一応お坊さんもしています。
「絶対お宮参りに代わる何かがあるはずだ!」
とも聞いてみたものの
「そんなもの無い」だけでした。
やっぱり、このお寺だけがおかしいんですよね?
と、信じたい。
つーか大谷派では初参式はしないです。
そういう意味合いのお参りをされる地域の話を聞いたこともありますが、
少なくとも私のいる地域においては稀ですね。
形式的云々の意見については、大谷派においてはこういう意味合いのお参りを
宗門レベルで取り込んでないから出る意見だと思います。
儀式や行為なんざ、その人の心づもり一つで形だけのものになるもんだと思います。
だってさ。でも誰に報告するんだ?
場所柄から考えると奉告する相手は墓の中の親鸞なのか?
↑ ↑
あほか
374 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/26 23:51
>371さん、>372さん
>370です。
いろいろありがとうございました。
私の中での謎が少し解け、何故あんな事を言われたか
分かったようにおもいます。
でも、一人一人の心掛けで・・なら、宗教なんていらないですね。
私自信が他宗なもので、こんな人が寺に嫁ぐ事からして、おかしな事ですよね。
私からすれば、お寺の人なのに、「死んだらそれまで」とか、
神はともかく仏の存在すら信じない
この宗派の教えなのか?と疑問です。
ここの家だけの教えかもしれないが・・・。
>>373 >あほか
ああ、ごめんごめん、よく考えたら親鸞さんは浄土に居られる訳だから
墓には骨が埋まっているだけで誰もおらんわな(笑)
で、誰もおらん墓で何のために奉告すんの?
>>374 浄土真宗は本来の用語を真宗独自の解釈で捻じ曲げて拡大解釈しています。
(というと大げさですが真宗内だけで通用する解釈があります)
例としてはスレパート1と2前半の「現世往生」など。
またお盆やお彼岸の供養は他宗派のように追善供養ではなく
報恩と言う理由付けになっています。だから先祖の墓にお参りするのは
何の意味もありません。無駄無駄無駄!と言うことらしいです。
当然死後全員往生しているので位牌は要りません。
(と言うことになっていますので真宗関係者の言うことが正しければ
彼岸やお盆に坊さんを呼んでご先祖さんに念仏やお経をあげて貰う必要は全くありません)
まあオラは眉に唾つけてっけどな。理由は色々あるけど位牌が要らないなら
厨子でいいはずだがなぜか仏壇なんだなこれが。
>>376 煽りではなく
自分とあなたとは世界の見方が全く違うのを承知で言いますが、
盆や彼岸は、なんだかんだいって報恩というよりは
先祖、自分のルーツというものにからめて
各々が生死について考えるきっかけになれば、と考えてます。
ただ、普段お寺に縁のない人と接する数少ない機会なのに
時間が無くてお参りマシーンになってるのが実情ですが、
寺によっては独自にプリント作って配布するなどの工夫はしてます。
>>377 ん?おらは浄土真宗の檀家だが真宗の教義には「?」がいっぱい付いてるよ。
素直には信じてないんだけど・・・。
報恩なんてこじ付けですよ、どう考えても。
教義上の矛盾を埋めるためのつじつま合わせとしかオラは見ていないですよ。
(パート1に少しだけ書いたお世話になっていた先生は神仏と人霊と両方話が出来る
天耳通のある方だったからいろいろ教えてもらったが、確かに死後往生する人はいるが
往生しなかった人は追善供養が必要ですよ。
位牌も仏壇へのお供えもお水もお茶も要らないと真宗僧侶がいうのは往生した場合は
それでOKだけど追善供養が必要な場合はその言い付けを守ったせいで子孫の健康に
影響していた実例を見たよ。そういうオラも一ヶ月ほどご先祖さんが憑いて
神仏にお参りするたびにその時だけコンコン咳が出てオカシイと言うのを体験した。
まあこれはいくら文章で言っても体験しないとわからないし、知識だけじゃなく
実践できる先師に巡り合わないと教えてもらえないんだけどね。
スレ違いだから独り言のつもり。)
>>378 経験の違いを理屈で埋めることはできんしね。
残念ながら今の自分はあなたに届く言葉は持ってないし、
あなたの経験も、そうした体験のない自分にとっては
まさしく全く無関係の話となってしまうわけで。
俺はきっと、自分が感知できる範囲のことだけを
理解したつもりで死んでいくのでせう。
380 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/27 03:38
供養って言葉よく使われるけど
供養って何?
俺たちがやってるのは「供養のつもり」のような気がするんだが
遅レスだが、うちの娘は初参式と初詣り両方やったぞ(w
七五三は神社にするかも
>>前すれ229さん
お帰りなさい.
あなたが帰ってくると,いろんな意味でスレが活気づくので待ってました(笑
とりあえずツッコミ
>彼岸やお盆に坊さんを呼んで「ご先祖さんに」念仏やお経をあげて貰う必要は全くありません
はい.全く必要ありません.
ついでに注目すべき所に「」を付けておきました.
>厨子でいいはずだがなぜか仏壇なんだなこれが。
「お内仏」って言う筈なのだが,それも知らないのか.
勿論その意味も知らないだろうな.
>浄土真宗の檀家だが真宗の教義には「?」がいっぱい付いてるよ。
っていうか,教義を知っていますか?
>>374 宗教なんていらないのではなく,宗教無しでは居られないのが人間です.
そしてアニミズム(精霊信仰)以外の別な視点に立ち帰ったのが仏教だと思います.
アニミズムに仏教が取り入れられたものは,日本では受け入れやすいみたいで,
仏教の本質かどうかは解りませんけれど,多く信じられております.
しかし,私はそれは外道的な発想のように思えてなりません.
外道というのは悪い意味では無く,問題を私の外側に置く立場を取る事です.
仏道が内道というのは,自らの内に問題があると考えるからです.
これが仏道が難しいと言われるゆえんだと思います.
自分の考えの上に,仏教という思想を取り込もうとするからです.
それは,今までの自分と矛盾する点が多く出てくる筈です.
自分と矛盾することは受け入れられないのが人間です.
だから先ず,自分の考えを疑う事が重要に思います.
これから(立場上でも)信じるべきだろうなぁ・・・って事も疑う事が重要に思います.
疑っても疑いきれません,それが信心なのだと思います.
私が
>>349で書いた事には,そういう意味があります.
>382さん
私は、他宗の者でしたが、このお寺に嫁ぎ、やはり「?」が沢山あります。
納得できる部分もあるのですが、どうも私とは合わない・・・。
お坊さんなのに「人間死んだらそれまで」とか言う、
それなら、本当にお寺や宗教なんていらないですよね?
そのくせ「自分たちは坊主なので、死んだらお浄土に行く(帰るか?)」
そんな寝ぼけた事、私は許せない。
人の気持ちを滅茶苦茶にしても、
「善人も悪人もみな死んだら同じ所に行く」なんて不公平。
じゃあ、生きてる間に精々悪いことをしても許されるのですよね?
同和解放については賛成できるところもあるのですが、
生死については賛成できない。
なにせ、旦那の実家(寺)の人達は、仏の存在すら信じてないのですから。
このお寺だけなのか誰か教えて下さい。
>383さん
あなたのおっしゃってること、よく理解できます。
そう言われると、まだいいのですが・・・・。
やっぱり、ここの家庭(お寺)だけのようですね。
このお寺は、(どこでもそうですが)長男が後継として代々伝わってます。
そしたら、嫌でも継がないといけないから、本当の宗教のあり方等
自分で学習することなくお坊さんになってしまう。
お坊さんとしての学習はできても、精神的な部分が欠けてしまう。
ようするに、頭でっかちで結局は何も理解出来てないんだろうなぁ、
だから、仏の存在も信じない、先祖に感謝しない、自分は坊主なので人間的に優れている
と思ってるような気がする。
この宗派のお坊さんはみんなこうなのか?と思ってしまう。
うちの旦那は「兄貴(このお寺の住職)と一緒にせんといて。」
とは言ってるが・・・。
>>384 383に書いた内容ではいかがでしょうか.
たとえば勘違いされやすい表現というものもあります.
疑問を持ったならば,そこを追求する方が面白いのではないでしょうか.
人間が死んだらどうなるのかなんて,よく解りません.
本当に仏教が内道ならば,「亡くなった方がどうなるのか」というのは
ほとんど意味が無いと思います.
そういう意味では,「死んだらそれまで(=考えたって仕方が無い)」です.
「亡くなるということは,どういう事なのか」
「亡くなった方を,どう受け取るか」
私はそちらの方が重要に思います.どうでしょうか?
補足
浄土というのは阿弥陀の世界.
亡き人を「諸仏」と受け取るならば,「浄土に帰る」という表現は適当に思われます.
388 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/28 01:49
生きるって事がハッキリしないんだから、死ぬってことはなおわからないよなぁ・・・
>>382 タケさんに言ってもこれは仕方ないんだけど
往生が確定した=将来成仏することが確定している=「成仏したこととほぼ同じ」と言うのが普通の思考回路
ところが浄土真宗では「成仏したことと全く同じ」と拡大解釈している点では
法の華やライフスペースのdでも教義と一緒のレベル
少なくともシュダオン向(須陀恩向)は如来や阿羅漢とは違う、もし解脱していないのに
解脱したと言う僧侶がいたらそいつは許されない嘘で破門&追放だわな。
少なくともシュダオン以上の境地になっていても阿羅漢でなかったら
「仏(阿羅漢)と私は同じ境地です」なんていう訳ないよな。
本気で言っているとしたら聖者じゃなくって頭がおかしいキチガイ凡夫
390 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/28 02:56
>>389 解脱しているとか、していないの判断は誰にしてもらえばいいの?
嘘をついているかどうかは誰に判断してもらうの?
霊体験したとかいうことも自己判断じゃないの?
>>390 浄土系の考え方では現世での成仏(輪廻からの解脱)はありえない。
ちなみに釈迦如来の言葉には「私を解脱させてください」と言う沙門に対して
「如来は他人を解脱させえない」と言うのがある。
だから少なくとも我々が生きている現世では他力による解脱はありえない。
(阿弥陀如来の居られる極楽浄土ではどうだか知らないが)
つーわけで
>解脱しているとか、していないの判断は誰にしてもらえばいいの?
>嘘をついているかどうかは誰に判断してもらうの?
そもそも現世で解脱しないから判断も何も必要ない。
浄土系宗派で「解脱した」とか「仏(阿羅漢)と私は同じ境地です」と言う僧侶がいたら
100%うそつき
>>389,391
あなたが聞く耳持たない事は承知していたつもりでしたが,
まさか以前と同じ事を主張するとは・・・いやぁ,びっくりです.
言っても仕方が無いっていうのはお互い様だ.
とりあえず,
>往生が確定した=将来成仏することが確定している=「成仏したこととほぼ同じ」と言うのが普通の思考回路
>ところが浄土真宗では「成仏したことと全く同じ」と拡大解釈している点では
は書き間違いかな?
自分という存在は何か.
自ら「私は仏陀である」って言ってたら,それは確かにイッちゃっているかもね.
でも「解脱した」と言う僧侶が真宗にいるか?って言ったら,いないでしょ.
つまりは仏の解釈が違うわけですよ.
仏陀とは「目覚めた人」って意味だけど,我々凡夫にとって,どういう存在を仏陀と呼ぶだろうか.
いつぞや書き込んだ,釈尊は菩提樹の下で仏陀となったと考えるか,
それとも初転法輪の瞬間に仏陀であるとされたのか,の問題ですよ.
その辺からゆっくり考えていったら?
あくまでも,内道的な思考でね.
ごめん.訂正
>>392 >往生が確定した=将来成仏することが確定している=「成仏したこととほぼ同じ」と言うのが普通の思考回路
>ところが浄土真宗では「成仏したことと全く同じ」と拡大解釈している点では
書き間違えとはちゃうね.
普通の思考回路かどうかは置いておいて・・・
394 :
229ですが:03/04/28 21:07
タケさん
お互いの言葉の定義が違う部分があるからそもそも聞き入れるも何もないんだわ。
たとえば
>亡き人を「諸仏」と受け取るならば,「浄土に帰る」という表現は適当に思われます.
これって浄還のことでしょ?
http://www3.justnet.ne.jp/~tanahara/oki2001-9-3.html でも明らかなように根拠のない拡大解釈ですよ。どう見ても。
(また、スレパート1の浄還問題のリンクも参照されたし。ある真宗の寺の僧侶が
浄還について本山に問い合わせたらたらいまわしにされている始末)
ちなみにタケさんが悪いんじゃなくって教団の教義(解釈)がおかしいんだわな。
あぼーん
396 :
229ですが:03/04/28 21:15
397 :
229ですが:03/04/29 00:17
おっと訂正スマソ
誤(浄還)
正(還浄)です。
ちなみに366でリンク先の内容に
>伊勢神宮の大麻(お札)は罪穢を祓う神具であるが
とあるが「どういう使い方をしたら罪穢れが祓われるのですか?」と
絶対に裁判所で裁判官に聞かれるぞ。
仏教界の中だけで教義に関する見解の違いを討論するなら別にいいと思うけど
国を訴えてこんな一般人が見たら「はぁ?」といいそうな文書を裁判所に提出するんだろ?
浄土真宗はアホだと思われて恥ずかしいからこの文書裁判で使うのは辞めれ。
マジで!(その他にも指摘されそうな場所がイパーイアルヨ)
399 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/29 09:51
>>391 >浄土系の考え方では現世での成仏(輪廻からの解脱)はありえない。
>そもそも現世で解脱しないから判断も何も必要ない。
成仏がありえるのは現世以外ということですか?
現世で認識されないということは、成仏が存在しない事と同じにならないでしょうか?
往生についても私たちに判断しきれないものですか?
>>398 リンク張ってくれてありがとう。
>家の内が祓い清められ、拝むことによりその心は大御神の御許(みもと)に届き、
>広大無辺のご神徳を得ることができるのです。
「家の中が祓い清められる」とは書いてあるが「罪穢れが祓われる」とは書いてありませんね。
勝手に原文の一部を書き換えて裁判に使おうと思っているのかな?
>>399 ちょっと長いけど以下のリンクを読んでみてくだされ。かなり判りやすく書いてありやす。
http://www.urban.ne.jp/home/sugano/butu/21.html >成仏がありえるのは現世以外ということですか?
他力の浄土系ではそういうことになります。自力の修行をするほかの仏教宗派では現世成仏は理論的には可能。
(ただし現代に実際どこに阿羅漢がいるかはオラシラネエヨ)
>>浄土の行道において、正定聚、不退転位に住することを、来世死後における浄土往生の利益として領解することは、『無量寿経』の
>>教説以来、浄土教理史においても一貫しているところであって、
と言う訳で浄土に生まれ変わってそこで成仏すると言うことに教義上ではなっています。
>往生についても私たちに判断しきれないものですか?
それは教団関係者に聞いてチョ。オラとは考え方が違うからね。
>>しかしながら、親鸞はこの現世において往生を語ったが、今生における成仏、涅槃を説くことはなかった。
という一般の在家の人には判ったような判らないような微妙な教えです。
>>394 言葉の定義どころか,考えも違うしなぁ・・・
教団が悪いんじゃなくて,他人が解釈したものをそのまま使っているから,
説明ができないだけでしょ.
文章を解釈するんじゃなくて,「ああ,そういう事か」って解ったら,
言い方を変える場合だってある.
経文に書いてないから,それは拡大解釈だという判断をする前に,
なぜそういう表現をしたのだろうか,と考える必要がある.
どんな文章だって(経文すら)ケチを付けるのは簡単なんだから.
そうでないと,それを読んでいる意味も無いし.
>>400 >その小さな祓串は大祓詞(おおはらえのことば:お祓いの祝詞(のりと))を唱え、
>罪・けがれを祓う霊力がある神聖な大麻(おおぬさ)にて祓い、
>祈祷を修めた祓串であったことから御祓大麻(おはらいおおぬさ)、俗にお祓いさんと言われました。
(398のリンク先より)
よく読んで下さいね.
きちんと「罪・けがれを祓う霊力がある」って書いてありますよ.
>>394であなたが貼ったリンク先も,あなたはきちんと読んだようには思えませんし・・・
自分の主張を通す為に,情報をねじ曲げていませんか?
前スレ229は渡海並。
>>401 タケさんは阿弥陀=諸仏と見ているんでしょ?
こういう見方が素直に出来ないんですけど・・・。
オラは浄土宗系高校出身なので仏教の授業もあったけどそういうことは
一度も聞いたことが無いです。
たぶん浄土真宗だけの考え方ではないのでしょうか?
それとお札はお払い棒(大幣)の名残で大麻の名前を使っているけど
姿かたちは現在は全く別物ですよ。どこかの神社で大幣の変わりに
長方形のお札を左右に振ってお払いしている神社ってありますか?
仏教だって数珠って元々はお経を何回数えたか判るようにする今で言う数取器でしょ?
木魚も食堂に僧侶を呼び集める魚の形をした木の板がなぜか今では読経の時にポクポク叩いている訳だし
大元の由来と現在の姿かたち用法が変わっているのは仏教でもありますが・・・。
>>405 天台宗では釈迦如来=諸仏だね。たしか。
>>405 >>206を参照.
阿弥陀如来=諸仏という主張をした覚えは無い.
それと,結局はお札もお祓いが目的だと思うのだが.
そうではないのであれば,何の目的で用いているのか,お教え下さい.
>>407 あれ?12でQさんと対話しているところで
>何によって真実を見る事ができるのかというと,南無阿弥陀仏によると思うのです.
>だから,南無阿弥陀仏は諸仏だと考えています.
これは?オラの勘違いでつか?句読点で「.」使うのはタケさんだけのようですが???
勘違いだったらゴメンなさい。
それとお札にも種類がありますが神宮大麻や神仏の名前がかかれたお札の場合は
神魂分霊のヨリシロだと思ってますが、家に神棚を設けるのは神魂分霊の勧請
の意味で現代人はやっていると思いますけど(ミニ神社)
(もっとも退魔や封じのお札はお祓い目的でしょうけどね)
仏教でも仏像に開眼供養しますが浄土系宗派では入魂の意味合いは無いのですか?
>仏教だって数珠って元々はお経を何回数えたか判るようにする今で言う数取器でしょ?
違う。
>>409 「煩悩の数の説」ですか?でもそれって大乗仏教になってから
の後世のこじ付けでしょう?
上座部の僧侶って数珠持ってたかなあ?たしか托鉢の鉢と袈裟しか
所有物は無かったように思ったけどなあ?
とわざと釣られてみる。
>>405 上宮か東山か東海か芝か、まぁどうでもいいが(w
>木魚も食堂に僧侶を呼び集める魚の形をした木の板がなぜか今では読経の時にポクポク叩いている訳だし
木魚は居眠り防止。
>>409 経→念仏ならOKなのでは?
ときに上座部と浄土の比較をする気?
と聞いてみる。
本気ならまさに渡海並にデムパ。
>>411 さあ?409が違うと言っているわけだが数珠の由来には諸説あって
409はどの説を支持しているのか判らないからね。
ただし木ケン子経の説を取るとすれば迷信嫌いの浄土真宗には突込みどころ満載・・・。
409の解説キボンヌ
>迷信嫌いの浄土真宗
ワロタ
>>413 激同(w
>>408 この人は,文章を読む能力が無いのかね.
わざわざ私の書き込みではなく,Qさんの書き込みを参照って書いたのに.
注目すべき所はここだよ.
>タケさんも言ってるけど、阿弥陀仏と南無阿弥陀仏の違いを考えてほしい。
ついでに.
開眼っていうのは,仏像が目開くような怖い(笑)事だと思ってますか?
と釣ってみるテスト.
>>408 >それとお札にも種類がありますが神宮大麻や神仏の名前がかかれたお札の場合は
>神魂分霊のヨリシロだと思ってますが、家に神棚を設けるのは神魂分霊の勧請
>の意味で現代人はやっていると思いますけど(ミニ神社)
それでは
>>398のリンク先の内容と一致しない.
大麻が象徴しているのは,やはり「罪・けがれを祓う」ことである.
いや〜ん、タケさんてば
オラは「阿弥陀=諸仏」と書いてしまったが
タケさんは「阿弥陀如来=諸仏という主張をした覚えは無い.」
とオラの書き込みに如来を付け足しているのはずるいワン。
巧妙な誘導尋問だわ(笑)
と釣り釣られは置いといて、まじめに聞きますが
「南無阿弥陀仏=諸仏」だと浄土真宗では考えているつーのが正解なのですか?
>>416 あなたの場合には,そう考えると勘違いしそうなので,
そうは考えないで下さい.
連続書き込みスマソ
追記
>南無阿弥陀仏=諸仏
というような表現は,議論相手がQさんだったから安心して行ったこと.
南無阿弥陀仏とは何か,阿弥陀仏と何が違うか,諸仏とは何か.
それぞれの定義が,私と229さんとでは違うでしょ.
勿論,仏の定義が違うんだから,同じわけがない.
まさか,今日までレスがゼロとは思わなかった・・・
420 :
いちおう門徒 ◆6bGjbPadWs :03/05/06 21:06
NBタンも最近見かけませんね
421 :
NB ◆YIoCB90ZbI :03/05/06 23:19
>>420 さっき帰ってきました。のぞみ号に乗ってました。
遅レス。つうか。放置になっててすいません。
またよろしゅう。です。今日は疲れすぎで、これにて失礼。
まじめなレスをすると,229さんの書き込みが途切れる傾向があったが,
ここまで音信不通だと,消えたか?
423 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/09 00:06
もうすぐ爺さんの百箇日があるんだけど、「百箇日」って何ですか?
中陰ってのは、極楽行きか地獄行きかを七日毎に裁きを受ける、
って聞いたことあるんですが、百箇日の意味は聞いたことないので
どなたか詳しい方お教えください。
424 :
いちおう門徒な一遍萌え ◆6bGjbPadWs :03/05/09 00:39
425 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/09 20:50
>>424 リンクを見てきました。
リンク先に十三仏信仰が書かれていましたけど
十三仏信仰は、いつ、誰が、どのような根拠で始めたのか私は知りません。
もし知っておられましたら、教えてください。
>>425 百ヵ日までの十回、様々な仏の前で裁きを受けるということが説かれているのは
「十王経」です。「十王経」は中国で作られた経典です。
十三仏というのは初めて知りましたが、おそらく十王経信仰の副産物でしょう。
hoge
あぼーん
>>423のレスで
前スレの1に逆戻りしたわけだが。
431 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/18 03:14
南無
北無
>>浄土宗に伺います。
乗奴宗では元ホステス、坊主の妻、そして離婚と同時に得度。尼僧と称し
葬儀屋に坊主を斡旋を生業とする「三宝会」なる団体を語り、浄土宗の尼僧
として正式に承認しているのでしょうか ? 名前は「0島みどり」
浄土宗の尼僧は他宗より優れているのでは ?
433 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/18 23:29
age
434 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/19 11:29
>>432 お答えします。乗奴宗は男も女も乗るのが好きです。
>>432 いまいち質問の意図が理解しにくいのだが…
436 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/19 20:44
>>435 そんな人が乗奴宗の尼として認めるのでしょうか ?
age
438 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/27 08:42
439 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/13 09:45
あげ
440 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/13 11:08
真宗と浄土宗はまったく別の宗派だと考えたほうがいいな。
441 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/13 17:13
442 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/17 14:33
>>440 激しく同意!
念仏を唱えればどんな悪人も必ず救われるなどという教えのおかげで
悪事はバレナケレバし放題という風潮が広がっている。
万引き少年を警察に突き出した書店店主が非難され廃業に追い込まれるなど
み仏の教えを曲解して民衆に広めた罪は重い
443 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/18 06:26
初めて書き込みします。念仏を唱えればどんな悪人も救われる・・
これは色んな解釈がありますね。もちろん道徳心の範囲でしょうが・・
そこで、純粋な質問ですが、浄土系の僧侶さんはどんな道徳心みたいな
ものをお持ちなんでしょうか?
僧侶さんも一人の人間ですが、これはしてはいけないというのは
あるのでしょうか?
そして、よく滝あたりとか、禅みたいな修業は必要ないと聞きます。
でも、それを経験した親鸞さんや法然さんが言うのはわかります。
やった事もなく、何故それを言えるのか不思議です。
私はサラリーマンで家は浄土系ですが、どなたか教えてください。
あぼーん
445 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/18 17:01
>>442 上人の教えの曲解もいいとこ。
しかも屁理屈だし。
悪人にも救われる目が無くちゃ、
改心した後やり切れないと思うけどなぁ。
あぼーん
あぼーん
448 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/19 04:37
>>445 神戸バラバラ殺人のサカキバラが出所するが
おまえの家に引き取って面倒見てやれるのかよ。
偽善者め。
449 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/19 09:37
>>448 俺なりの浄土教だけど。
@仏教的な罪は懺悔してお念仏することによって
消えるが、社会的な罪は社会的に償う必要がある。
A罪を犯し、死刑になったとしてもお念仏を唱えることによって
極楽浄土へ往生することができる
B仏教的見地からすれば、全ての衆生は罪悪生死・地獄決定の
凡夫である。
こんな感じでしょうか
刑罰や社会的な制裁を奨励するわけではないけど、
仏教的な罪と社会的な罪は分けて考える必要があると思う。
お念仏を唱えたからといって、社会的に許されるわけではないし、
極悪人だからといって、お念仏を唱えても往生できないということもない。
450 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/19 10:05
>>448 だからそれ駄論。
>>449サソが親切に説明してるからよく嫁。
A君はうちの地元に帰ってくるだろうがねw
あぼーん
午後から8万円台で買った人はおめでとう。
信用規制がかかっていてもデイトレできる値動きはさすがというか何というか・・・。
うんこ(FUJ)の値幅1万5千円もすごすぎるけど。
453 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/19 14:30
他のスレで聞いたけど答えがないのでココでお尋ねします。
女の人が本堂に入る時に左足からだっけ?線香を焚いてるツボの様な物を
跨いで入るけどアレ何?男の人はしないよ。女の股は不浄なモノでしょうか?
んー阿弥陀さんって女?わかんねー。
あぼーん
455 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/19 16:12
>>453 触香ですか。
身を清めるために焚くのですが、男もしますよ?
普通の時じゃなくて授戒みたいな大きな法要の時しか
焚きませんが、通常そうなのですか?
>んー阿弥陀さんって女?
仏様に性別はありませんよ。
あえて言うなら元・おとこ。
あぼーん
457 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/20 11:02
455さん御返事ありがとうございます!触香ってものなんですね。なーる。
が!ウチの寺は女限定です。だから?ってカンジなんですね。お正月に跨ぐ
んですがね。よく線香の煙を手でパタパタやって体に掛けるんなら話しは
分かるんですが。何だか性差別されてるとしか思えません。
仏様に性別は無い!?しかも阿弥陀さんは元・男!?ど・どーゆー事なの
でしょう?悟りは性別を越えちゃうのでしょうか。
458 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/20 21:46
>>457 香の煙は体を清めるものだと古代インドでは言われていたそうです。
女性だけと言うのは、現代的には少し問題ですね。
>仏様に性別は無い
仏の境界(境地)は性差を超えたところにあるといったところでしょうか。
元・おことと言うのは、
「昔々ある国王が家を捨て国を捨て、阿弥陀仏になった」
とお経に書いてあることからです。
459 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/25 11:02
>>457です。またまた質問なのですが「地鎮祭」ってありますよね?
あれって神主さんとかがよくやってますが浄土宗のソレって何か
あるのですか?まったくの無知さんでごめんなさい。誰かおしえてくだされ。
>>459 >「地鎮祭」
神社ではこう呼びますね。
ウチでは「地鎮式」または「起工式」と呼んでます。
やはり工事中の殉難横死の無いことを願って行います。
いじょ。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
463 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/07/31 21:52
すいません、仏教に関してはまったくの無知なのですが
ふと思いついたことがあるので質問させてください
四苦八苦は仏教用語らしいのですが
4*9+8*9=108=(仏教の煩悩の数)になるのですが偶然なんでしょうか?
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
465 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/02 13:02
>>463 それは偶然じゃない?
9の倍数はよく使われるからね。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>>463 説教ネタだと思う。108煩悩の説き方はいろいろあるみたい。
保守sage(w
470 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/24 17:40
hage
471 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/27 09:56
仏教を勉強しているものですが。
浄土真宗のキリスト教的な考えに疑問をいだいています。
原始仏教では、縁起と因果律が重要ですが。
縁起的に世界をとらえるとするなら、絶対的な存在は否定されます。
しかし、浄土真宗では手を合わせれば救われるといっていますが。
仏教での救われるとはカルマの問題になります。
手をあわせて絶対的な存在がカルマを一瞬にして消し去ってくれると
いっているのでしょうか?
しかし、釈迦は絶対的な神のような存在を否定します。
カルマは自分だけの問題で他者は干渉できないと思うのですが。
また、大乗でも浄土真宗だけが、在家でも悟れるというようなものいい
をしているようですが、その点も聴きたいです。
472 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/27 12:04
浄土系はなんちゃって宗教だからそれでいいのです。
法の華とだいたいのところ同じようなものですから。
宿業論と関係があるようなないような。浄土系では今人に生まれたのは
六道輪廻の結果、その世界を超越して悟りを開いて佛になれなかったから
と考えます。阿弥陀佛だけが念佛を唱えればかならず私の佛国土に迎え入れ
ようという願を立てて、願は成就し佛になったから、その約束というかなんというか
は有効であるというのが基本的な解釈論です。
>>472の言うとおり。まぁ法の華が
どんな教えかは存じませんが。そして、その佛国土にて修行をつんで佛になれる
あくまでも可能性があるというだけのことです。まぁ輪廻を繰り返して修行して
佛になるか、それとも阿弥陀佛国土に行ってそこで修行して佛になるか。その
違いでしょう。れかりにくくてスマソ。
>>474 >あくまでも可能性があるというだけのことです。
浄土系では浄土(仏国土)へ行くと成仏しないものはない(必ず仏になれる)
ことから往生=成仏とらえられてるハズ(真宗だけだったかも)。
浄土はそれだけ完全な修行場らしいです。
× 往生=成仏とらえられてる
○ 往生=成仏「と」とらえられてる
477 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/11/06 23:06
>>475 完全な修行場?
世界一修行がやさしい宗派ですよ?
天台や曹洞とはくらべものになりませんよ??
こんな廃墟スレで何やってんだ、お前ら。
>>475の「浄土」は浄土宗のことじゃなくて浄土それ自体を言ってるんだろ?
>>477は読解力を磨こう。
「修行がやさしい」とかって物言いは、あなたがあと3つくらい
歳をとると言わなくなるとおもうけどさ。
まあ、どうでもいいけど。
>>478 廃スレ利用。りさいくる。
言っちゃあ何だけど「信」が確立してない人には単なる気休めの教義だからね。
信徒もそこが理解できてないと死後浄土には行けないんだろうな。
まぁ安心(仏教読みであんじん)が無ければ、往生できないとされていますからね。
そこで安心派と起行派とわかれてくるわけなんですが。
念佛唱えてればわかるというか安心は自然と備わるっつーのが起行派か。
その辺法然上人門下でもいろいろ展開してますけど、信を追求するのが
真宗って感じがしますね。
まあ、往生した人はそれで全く問題なしなんだけど、そこで「信」の確立してない
故人は位牌(取り付く島)がないから子孫について霊障が出るんだろうな。
お不動さんのスレだとはっきり「浄土真宗は霊障が多い気がする」なんて書かれちゃってるけど真宗の坊主は教義の建前
「死後必ず往生する」って言うのがあるから現実に霊障があっても肯定は出来ないからな。
門信徒も真宗の坊主に行っても相手にされないから
苦し紛れに怪しい宗教団体とか頼っちゃうんだろうな・・・。
霊障云々なんてのもなんちゃって仏教だろ。
>>483 神仏習合って知ってる?(明治以前はそれが普通だったんだけど・・・。)
極端に言えば神祇の祭祀を否定する浄土真宗のほうが当時ではなんちゃって仏教ですよ。
まあもうちょっと勉強してればそんなそんな考えは湧いてこないと思いますけど
各宗派の教義を大事にするのは当然だけど視野が狭すぎるのは若気の至りだよ。
479氏も書いてるだろ
>あなたがあと3つくらい歳をとると言わなくなるとおもうけどさ。
もうちょっと勉強してや。
まぁ勉強して書き込みするような板でもないってのもありますが。
学問板じゃないんだし。
486 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/11/08 18:33
真宗のお坊様に質問ですが、
門徒の方々にはきちんと、真宗の教義、考え方、つまり、
念仏は先祖を供養するものでなく、阿弥陀仏に感謝するものだとか、
霊魂や加持祈祷、まじないは否定してるとか、説明してるのでしょうか。
うちの親は真宗門徒なのですが、仏壇にご飯をあげるときは、
「じいさんにお供えする」という風に言うし、「お盆にはじいさんの
魂が帰って来てる」とかいうし、神棚も祭って祈祷札なんかも飾ったり
してます。
どうみても葬式法事先祖供養のためにお寺があると思ってるようですが、
お寺の方もそれに甘んじて、正しい教えの流布を怠ってるのではないですか。
>>485 おいおい、それじゃ「門徒もの知らず」を地で行ってるじゃないか。
江戸時代じゃないし明治政府の神仏分離令も歴史の教科書に載ってるだろう
学校の勉強も宗派の教えも両方共に勉強嫌いか?自慢にはならんぞよ。
486氏が心配するのも仕方ない罠。
>>486 お詳しいですね。真宗の勉強をされているのですか?
今や殆どの仏教が先祖供養の宗教に堕してしまったのは、江戸幕府の発布した寺社御法度に端を発しています。が、それに甘んじていてはいかんですよね。
正しい教えというのも、清沢満之・暁烏敏・安田理深・曽我量深・金子大栄そして蓮如上人まで異安心、差別者扱いする今の真宗の状況では、どれだけ正しいと言えるのか怪しいものです。
>471
>浄土真宗では手を合わせれば救われるといっていますが。
こんなこと言ってるの誰?
490 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/11/09 23:03
親鸞・顕如・・・・門徒はキチガイが多いな
491 :
名も無き念仏僧:03/11/10 12:10
南無阿弥陀仏
492 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/03 12:30
>>486>>488 昨今の真宗は何かと先祖供養などを否定しますが私としては甚だ疑問です。
父母の供養の否定は自らの罪悪深重の凡夫の自覚ゆえであり父母への感謝の否定
ではないと思います。むしろ原理主義的な教義による葬儀や法要の軽視が
蓮如上人さえも排除する状況を生み出していると思います。
なぜ父母への念仏はしないのか、まじないはいらないのか、
現代の現実至上の唯物主義に流された安易な否定の前に親鸞聖人がそういった意味を
よく考える必要があると思います。
>>486 >霊魂や加持祈祷、まじないは否定
後ろの二つの否定はわかるんだが、霊魂の否定はしてるの?
「浄土の往生」をうたっている以上、「何か」が往生することは間違いない。
唯物論的に死後往生を完全に否定してしまっては浄土門ではない。
個人的に死後も自己意識がそのまま存在するという都合のいい「霊魂」は
無いと思うが、そもそも誰もが認める「霊魂」観の定義が無い以上、
霊魂というモノの存在は否定も肯定もできない(というか議論できない)。
「往生する何か」のことを「霊魂」と言ってもいいわけだし。
唯物論者のように「死んだら無です」とはっきり言わない限りは、
(意味がどうであれ)「霊魂」の存在は否定できないと思うよ。
>>493 まあ一般的な視点で見たら強引なつじつま合わせだらけだからね。
位牌はいらないけどお墓がいるって言うのも変なんだよな。
位牌がいらない=死後必ず往生(極楽浄土に転生)するなら
墓も当然要らないはずなのに・・・。
日本や中国の習俗と結合した物に対して教義から説明しようと言う方が
無理があるんじゃない?
つじつまあわせなのはあたりまえ。
突込みどころだし、坊主の屁理屈は是非聞きたいw
497 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/04 20:18
>>494 >「霊魂」の存在は否定できないと思うよ。
霊魂の存在には興味がない。真宗は心霊学ではないからね。
「霊魂」の存在は否定できないというのは、創造力欠如の問題だ。
>お墓がいるって言うのも変なんだよな。
真宗の墓は「無闇に掘り返すなよ。掘り返すとお前がビックリするぞ」という
警告のようなもんだ。
倶会一処というのが、真宗の墓の基本だ。倶会一処とは、無縁仏の
共同墓地と思えばいい。
死体というのは、基本的には用の終わったゴミなんだ。ゴミだから捨てるのに
便利なように焼くんだよ。これは平安時代の空也上人のアイデアだ。
そうだからって、ところ構わず捨てられたら、何も知らずにそこを掘り返した
人がビックリする。そこで、決められたところ一箇所にまとめて捨てようという
のが、倶会一処だ。骨を本願寺に納めるというのも、出発は倶会一処の思想
だった筈だ。現代ではそれもおかしな話になっている。
>>497 >ゴミだから捨てるのに便利なように焼くんだよ。
ええ?真宗の多い北陸だと戦前までは土葬はかなり多いですよ。
渡海さんは真宗の僧じゃないですよね?
すごいこじつけですが誰がそんな事言っているんですか?
霊魂の存在を否定してしまうのこそ、創造力の欠如だと思うが。
神がこの世を創造され人間に永遠の命を与えられた事は周知のことだ。
永遠の命が霊魂であり、神の創造によるものだ。
だから霊魂の存在が創造力の臨在であり、それを否定することこそ創造力
を欠如させる事になるのだ。
相変わらずの毒電波ぶり(藁
漏れは渡海とは一緒に埋葬されたくないね。
>>498 渡海は僧ではない。
むしろ僧を目の敵にしている。
502 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/05 21:26
>>498 >真宗の多い北陸だと戦前までは土葬はかなり多いですよ。
あ、そうなの?。土葬は東アジヤ全域に渡る伝統でしょう。
ジンギスカンもヤマトタケルも土葬だ。真宗が北陸に入ったのは戦国時代
だ。土葬は、空也上人のアイデアだから、真宗とは関係がない。北陸に土
葬が残っていても不思議ではない。
>誰がそんな事言っているんですか?
<あれ?。それじゃぁ僕のオリジナル論かな?。>
503 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/05 21:27
>>499 >霊魂の存在を否定してしまうのこそ、創造力の欠如だと思うが。
霊魂が無いということを知ってるということではない。霊魂があると言うこと
を知っているということでもない。霊魂があるか無いか、そんなことは知らな
い。
年末になると朝日新聞は「今年一年で鬼籍に入った人」という記事を毎年
載せている。
鬼籍に入るというのは、霊魂というものがあって、それが鬼籍という箱か何
かの中に収納されるという意味か?。生前社会で活躍されて亡くなった方と
いう意味だろう。
念仏の信心を持って生涯を過ごされ、そして鬼籍に入ることを往生と言う。
これは霊魂の有無とは関係ないんだ。
>神がこの世を創造され人間に永遠の命を与えられた事は周知のことだ。
<僕にはとても信じられない。>
>永遠の命が霊魂であり、神の創造によるものだ。
<妄想じゃないのか?>
>だから霊魂の存在が創造力の臨在であり、
随分と飛躍した議論だな。臨在などという意味不明の呪文語を交えないと、
格好がつかないのかい?
>それを否定することこそ創造力を欠如させる事になるのだ。
<なんでもいいさ。あんたらとは発想が違うんだろう。>
504 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/05 21:30
>>501 >むしろ僧を目の敵にしている。 <普段から尊敬の声援を送ってるんだよ。>
505 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/05 21:50
>>500 >漏れは渡海とは一緒に埋葬されたくないね。
うん。そういうこと言うヤツはたくさんいるんだ。でもな、
どんなにいいやつでも、どんなにいやなやつでも、みんな
平等に死ぬんだとよ。確かに小気味のいい話だ。
小気味がいいというのは、寂聴さんがテレビのCMで
言ってた話だが、それ聞いて僕もなるほど小気味がよく
なったよ。
おぬしも僕も、いずれは平等に死ぬんだってよ。あはは。
>>505 >おぬしも僕も、いずれは平等に死ぬんだってよ。あはは。
そんなのは当たり前。誰もが死亡率100%さ。
変な倶会一処を持ち出すので少なくともチミとは一緒に埋まりたくないといったまで。
極楽に行けば変な念仏も必要ないし。死体がゴミになることもなかろ。
>土葬は、空也上人のアイデアだから、真宗とは関係がない
>ヤマトタケルも土葬
?空也よりもタケルの方が先だろう。
大王や豪族って土葬だろ。一般大衆の話?
曖昧な根拠の発言には失笑はあっても、納得はないね。
読み物としてはまぁ暇つぶし程度?2ちゃんらしくてちょうど良い。
507 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/06 03:38
浄土系の坊さんならヨガできるかな?
508 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/06 03:57
509 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/06 04:51
神主なら早起きだ!
510 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/07 17:41
>>506 >チミとは一緒に埋まりたくないといったまで。
おアイニク様。いずれ貴方も「亡くなった方。過去の方」と呼ばれるようになる。
僕も同じように「亡くなった方。過去の方」と呼ばれるようになる」。「亡くなった方。
過去の方」と呼ばれる人々のグループに、嫌でも一緒になるんだよ。それが倶会一
処だよ。
>極楽に行けば変な念仏も必要ないし。死体がゴミになることもなかろ。
極楽に行く前に、死体はゴミになるんだよ。極楽に行く前に、閻魔様に地獄に行
けと言われないよう、今の内から注意しておくといい(笑)。
>?空也よりもタケルの方が先だろう。
そうだよ。古代日本は土葬の国だ。日本は千年かけて、徐々に火葬の
国に変わってきたんだ。そのきっかけを作ったのは空也上人だろう。北陸
は火葬文化の浸透に時間がかかったんだろう。
戦後だが、僕は子供の頃、東北には土葬の地区があると聞いたよ。
>曖昧な根拠の発言には失笑はあっても、納得はないね。
<難しい話をしてる積もりはないけどね。>
>読み物としてはまぁ暇つぶし程度?2ちゃんらしくてちょうど良い。
<少しは目からウロコが落ちたかな?。>
>>510 浄土で一緒になるのはしょうがないとして、墓の下まで一緒なのは
嫌だ、と言ったまで。
>今の内から注意しておくといい(笑)。
先生!どういう注意をしたらいいですか?
座禅念仏を愚弄すると地獄逝きですか?
>戦後だが、僕は子供の頃、東北には土葬の地区があると聞いたよ。
つい20年ぐらいまでウチの側は土葬でしたが何か?
渡海暮らしって羨ましい。
><難しい話をしてる積もりはないけどね。>
><少しは目からウロコが落ちたかな?。>
いやだからさ、馬鹿げてるからさ、暇つぶしの読み物にしかならないって
言ってんだわ。相変わらずはぐらかして遊んでくれるねぇ。
最近このスレ元気ないしね。
512 :
渡海 難 ◆wd0AE5SZ4. :03/12/08 20:03
>>511 >浄土で一緒になるのはしょうがない
浄土で一緒?。
とんでもない。針のむしろ地獄、火炎地獄でご一緒するかも知れないよ(笑)
>座禅念仏を愚弄すると地獄逝きですか?
さてなぁ?。愚弄しなくても、おぬしに限っては灼熱地獄に行くかも知れ
んなぁ。
こればっかりは、分からんなぁ。
>渡海暮らしって羨ましい。 <住めばどこでも都だよ>
>馬鹿げてるからさ、暇つぶしの読み物にしかならないって言ってんだわ。
<相手のチノーに話のレベルを合わせるのに苦労してるんだよ。>
>遊んでくれるねぇ。 <知的障害者に対する社会奉仕みたいなもんだな>
>最近このスレ元気ないしね。 <忙しいんだろう。>
513 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/08 20:21
>>498 北陸は全国的にみると、戦前から火葬が卓越していた地域。
江戸・大坂などの都市部は別で、これは火葬が昔から多かったが、それ以外の
地方では真宗地帯=火葬が多いのは民俗学上の常識。
で私も家は真宗の訳だが、教理は曖昧に知っている程度。
疑問なのは「一度も信心を抱いたことがないが、真宗門徒の家に生まれた
者は極楽往生する」は嘘かどうか。
常識的には、そんなはずはないと思うが、たとえば小さい子が死んだ場合は、
念仏ということも知らないわけだし、やはり他宗のいうように流転するので
しょうか。(自分の子が死んだわけではないのですが)
上の方は見ていないので既出ならすみません。
>>514 最低限、過去レスは読んでから書き込もう。
どこの板でも同じ。
>>513 すみません、読みました。
読んでもよくわかりませんが。・・・
>>515 無茶言うたらいかんわ。
513氏が尋ねている
>たとえば小さい子が死んだ場合は(以下略
の件は過去レスに該当類似項目がないから判らんのは当然だ。
真正面から答えないところを見ると真宗の教義ではこじつけの屁理屈も出ないのか?
519 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/10 09:37
>知的障害者に対する社会奉仕
意味不明。
これだから池沼は…
520 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/11 02:17
質問ですが、浄土宗西山深草派の寺は、寺のホームページなどを見ますと
不動明王や愛染明王、蔵王権現までも祀ってあるお寺などが結構あって、
普通の浄土宗や西山浄土宗等と比べると密教色が強いような気がするのですが、
なぜにそうなっているのでしょうか?どなたか教えてください。
>>520 気のせいじゃない?
西山系の寺は(無印)浄土宗とは大分違うからね。
元々證空自身が台密系な人だし、そんなに拘ってないんだと思うよ。
大日如来や、薬師如来が本尊の寺だってあるくらいだから。
しかし、正確な宗派名をよく知っていますな。
522 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/12 08:53
>>521 なるほど。西山系自体と無印浄土宗とがかなり違うのですね。
有難うございます。
523 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/12 09:02
真宗のホームページみると左翼臭がぷんぷんする。
524 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/12 11:29
>>523 そりゃ同和の水平社の元だもん。
できたときは社会的な意義があたっと思うが今じゃ利権の温床だもんね。
京都市内の小中学校を出たんだけどワシの行っていた所は同和教育はなかった。
ところが同和地区があった学区では同和を教える。教育が同和問題を作っていますよ。
(だから同和のない地区では子供は部落という差別があることを知らない。
わざわざ差別を同和地区では子供に教えている。
はっきり行って現代では部落開放活動社会は差別を作るために活動しています。これほんと)
マルチポストにマジレスすんな。
マジじゃないレスの手本キボンヌ
528 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/13 03:09
まあ、宗派全体からすると変なやつだらけだ
ttp://www.hongwanji.or.jp/ >>>◇首相の靖国神社参拝発言に対する抗議
12/9
>>> ●自衛隊のイラク派遣の即時中止を求める要請文
>>>(閣議決定後小泉総理宛に送付) new
12/9
>>> ●自衛隊のイラク派遣基本計画の即時撤回を求める要請文
>>>(閣議決定前に小泉総理宛に送付) new
12/5
>>> ●人権パネル展開催中 (1月16日まで) new
●「清め塩」に対する仏教関係者の意見
ttp://jinja.jp/jikyoku/kiyomesio/kiyome2.html しかし、たまにはまともな人もいる。
>
>浄土真宗高田派A寺副住職
>
>僧侶は使いませんが、檀家にそういうこと(使うなとか迷信だとか)
>は言っていない。浄土真宗各派すべてが「清め塩」「小刀」を排撃
>しているととられると心外だ。
529 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/13 15:28
層化にかかればすべてが無力
犬作の魔力はすべてを超越する
まだ,このスレ消えて無かったんですねぇ・・・
532 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/04 01:21
香偈の頭に八下入れますが、なぜ「8回」なのでしょうか?
「8」の意味を知りたいです。
533 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/05 00:30
坊主もピンからキリまで。
>>532 「道場に諸天善神を勧請することを意味」するそうだ。
二下が「権実定慧」三下が「三身三得」を表すとされることに
比べると、分かりにくいかも。
若葉マークのですが、賀古の教信沙彌に引かれますが、詳しいことが解りません。
どなたか、〔改邪鈔〕以外の文献・情報が有りましたら、お教え下さい。
>>535 日本思想大系の『往生伝 法華験記』はどうです。それらから引用された文献
についても書いてありますが。
というか『改邪鈔』を読んでらっしゃる方がご存知でないというのもおかしな
話ですが。
537 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/21 20:02
ウチと縁のある真宗某少数派のご住職なんかは
位牌もOK、先祖供養だろうがなんだろうが、仏を拝むことが
大事で、教義云々は二の次だって言ってる。
イデオローグな西・東より、このようなテキトーな姿勢の方が
信用置けるような気がするのだが、おまえらどうですか?
家は真宗ですが、なんでも親父が言うには、親鸞さんは天皇陛下から、なんた
らお大師さんと言うえらい戒名もろうたんで、日本じゃ天皇さんが一番偉いと
仏壇の上に明治〜平成までの天皇陛下の写真が飾られ、なんでも京都の本山で
も、なんたらお大師さんが一番上に飾られとる。と、物知り顔で言うのですが
本当なんでしょうか?勿論床の間には天照大神も掛けて朝晩拝めと言うけれど
やっぱり天皇さんが一番有り難いんでしょうか?何か変です。
539 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/21 22:40
>>537 真宗に限らず、原理主義には大衆はついていけませんからねえ。
>>538 見真大師ですか。当時(中世)の理屈でいえば天皇=国土の主宰者の子孫で
すから崇敬すべき存在という事になりますが・・・今あなたがどうなさるかは
ご勝手にどうぞ(主宰者とは天照大神のこと)。
(老婆心ながら、いちいち疑問を抱いて反発するよりもある程度妥協して習慣化
した方が家庭平和のためです。損する訳じゃなし。)
この国では天皇陛下が、一番有り難いのです。
家の父も警察官でしたが、退職後、こないだ勲章頂いてはしゃいでましたら、お寺さんからも勲章頂いてご本山から表彰ですと、何やら頂いた。
聖徳太子も皇族ですし、菊の御門は何処の寺・神社も大切にしてますので、天皇陛下が有り難いはず?ですよね。
そうです、そうです。
本願寺にも勅使門が有り下々の者は、そこから上がることは許されません。
それに、本願寺のトップは陛下と血が近い・・・
血脈相続で陛下を崇めさせるまで、随分苦労したのだ。
DQNを教育するのに何と時間の掛かることか・・・
トップ大切にしなさい!崇めなさい!!
どれほど、神国大和の先霊方々が喜ばれることか、千鳥ヵ淵墓地も国立の立派な英霊を讃える、場所にしましょう。
靖国と二カ所の鎮魂感謝の場が出来ますので、運動協力感謝致します。
543 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/22 18:49
>>537 高田派は位牌や位号を用いたような記憶がありますが。
本願寺の方式=真宗の教義ではないですからね。
母が百万の仏壇装飾具を買いました。
ローンで。そのローンの支払いが出来ずお金を貸してくれと言ってきました。
母が言うには浄土宗の正しい祭り方をするためだとか。
そのためなら100万は安いものだとか言っています。
お金のない人はあの世でも不幸になるのか。
今までお経を唱えていたのは間違っていたのか。
などといって怒りましたが、なんで私のことにそんなに干渉するのと言い出す始末。
浄土宗の中では最高に権威あるところだから間違いないなどといっています。
はっきり言わせて貰えば宗教は全て嫌いです。
でも、自分の出来る範囲内で信仰をすることをとがめる気はありません。
ただ、払いきれないローンを組み、祖母を見る資金すら準備できなくなってまで
お金を掛けないと正しい信仰はできないと浄土宗は教えているのでしょうか。
現世よりあの世での位を高めるためにお金で解決する宗教な気がしてなりません。
ここの住人の意見を聞かせてください。
ありがとうございます。
そうしてみます。
547 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/14 04:58
>>544 何か極端な話っすねw
そんなことより「何故、念仏なのか?」ということをテーマにしてもらいたいものです、浄土系の
お寺さんには。
548 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/14 12:48
真宗は神棚はダメ!という坊主もいるが、ほんとうにダメなのか?いかさま
みたいだがどうなんか?
549 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/14 14:03
>>548 親戚は全て門徒(西)だが、どの家にも1mくらいの大きな神棚があるし
荒神さんも祭ってありますよ。
ちなみに中国地方です。
>>548 真宗にはいわゆる「神祇不拝」という考え方(阿弥陀以外の神仏を崇拝しない)
があって、コレを杓子定規に考えてる坊主は神棚はダメって言うだろうね。
ただ「神祇不拝」の根底にあるのは「現世を祈る」(自分のあさましい欲望を
神仏にぶつける)事を禁止することにあるわけで、単に他の神仏を尊崇する
(≠信仰する)ことまで絶対ダメというのは行き過ぎのように感じる。
まあ若輩真宗僧の一意見だが。
551 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/10/03 07:28:48
浮上させておこう。
552 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/04 19:53:42
神棚だめってのは、可笑しくないか?
仏教ってもともと、天皇家が都合がいいからパトロンになって、大きくなったんだよね。
感謝、報恩だの一番いってる、真宗が、天皇反対だの、神棚いけないだの、
感謝も恩も感じてない、宗派じゃないの?
553 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/19 13:08:53
唇臭の学校だよね?
http://news16.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1103094633/ 【地域】身体検査で性的虐待!教諭の財布盗んだ高1女子、学校を提訴【札幌】
1 :布施院定φ ★ :04/12/15 16:10:33
高校の教員から性的虐待などを受け、
別の高校への転校を余儀なくされたとして、
札幌市内の女子高校一年生(16)が、
札幌龍谷学園高校(札幌市、上山功夫校長)と上山校長ら教員八人に
総額一千万円の損害賠償を求める訴えを起こし、
第一回口頭弁論が十四日、札幌地裁(岡部純子裁判官)であった。
訴状によると、女子生徒は六月、当時通っていた同高校で、
授業中に教諭のかばんから現金を盗んだ際、
身体検査と称して体育教官室で服を脱がされ、下着も下ろして調べられた。
検査したのは女性教諭だが、カーテンの向こうに男性教諭五人がいたなどとし、
別の件で停学処分を受けたことを機に、
それ以上の通学は耐えられなくなったという。
554 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 11:14:00
>553
唇臭の学校だよね?
(゚ν゚)<ニホンゴムズカスィネー難しいね
555 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/20 23:57:07
南無阿弥陀仏をとなふれば
梵王・帝釈帰敬す
諸天善神ことごとく
よるひるつねにまもるなり
天神・地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念仏のひとをまもるなり
真宗は神棚はダメ
とか、
阿弥陀以外の神仏を崇拝しない
というニュアンスではなく、
阿弥陀仏を信仰すれば
他の神仏を信仰・崇拝する必要がないというニュアンスではないかね?
あるバラモンが釈尊に尋ねた。
「釈尊はガンジス河に行かれますか?」
「ガンジス河に何があるというんですか?」
「いえ、世間の人々はガンジス河で沐浴すると罪業が浄められて功徳が
あると言ってガンジス河に行くのですが」
「ガンジス河があなたに何をしてくれるというんでしょう?愚かな人たちは
あちらの川こちらの川、この山、あの森といつも飛び込んで行きますが、
されど貪りも怒りも止みません。バラモンよ、八聖道の教えがあります。
どこにも行く必要はありません。あなたは今、ここで三業を浄めなさい。
他に自己を浄める道はありません」
558 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/21 01:25:06
>>555 「清め塩は迷信です」と言うポスターを以前浄土真宗で作ってあちこちに貼っていました。
神社神道に喧嘩売ってます(笑)いいまでも無く神棚うわなにしゃふぁkじゃsふじこlp
真宗門徒にとって迷信なのは間違いないだろ。
他宗の人が口を出すことではない。
神社に行ってそんなこと言ったなら別だが。
560 :
けちゃっぷ:04/12/21 12:17:38
浄めの塩がなくて不安な人がいた場合、その人の不安を解くために「迷信だよ」と言うのは、いいと思いますが。法然さんなんかは、そういうパターンで質問に答えることが多いです。
561 :
けちゃっぷ:04/12/21 12:20:21
「セックスした後に体を浄めずお経を読んだらダメですか?」と問われて、法然さんは「できれば浄めたほうがいいが、浄めてないからといって読まないよりは、読んだほうがいい」と答えました。
562 :
けちゃっぷ:04/12/21 12:23:28
神社では、出産後や生理中の女性は血のケガレを忌み嫌う習わしがあるので、昔は参りできませんでした。で、お寺もそうですかと問われ、法然さんは「仏教に忌みなし」と答えてます。
曇鸞大師が魏の皇帝に「浄土は十方にあり、御仏はそれら全てにおられるはず。
なのに、なぜそちは阿弥陀仏の西方浄土のみを願うのか?」と問われたとき、
「私は知恵浅く未だ悟りの位に至っておりませんので、十方の浄土を等しく
念ずる力がありません」と答えたという。
阿弥陀仏を信ずる「信心」さえも弥陀から戴かなければ完全でない凡夫が、
他の神仏を真の意味で信じ崇拝することはムリだ、ということだろうな。
往生成仏した後でやれと。
564 :
けちゃっぷ:04/12/21 23:56:03
十方に浄土おおけれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生るる故なり。諸仏のなかに弥陀に帰したてまつるは三念五念に至るまでみずから来迎し給う故なり。(法然)
565 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 05:49:17
>>559 >真宗門徒にとって迷信なのは間違いないだろ。
そんなこと言っていいのか?浄土真宗で肉食妻帯を認めている根拠は
「夢のお告げ」だぞ(笑)迷信どころか夢ですよ夢。
566 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 13:10:48
>565
> そんなこと言っていいのか?浄土真宗で肉食妻帯を認めている根拠は
> 「夢のお告げ」だぞ(笑)迷信どころか夢ですよ夢。
真宗で戒律を守ることを重要視しないのは、
末法は無戒の時代であるという親鸞の理解。
無戒の時代には、仏道において戒律を守ることの意味はなくなった。
中世における夢告の意味をご存じないだろうが、
夢告は親鸞の妻帯の方向性を示したのは事実だが、
それはすべてではなく、法然の教えに従った。
妻帯せずに念仏がおろそかになるなら、妻帯して念仏を、という教え。
ただ、現実には妻帯の形を非公式にとる僧侶は多く、
親鸞はどうどうとそれを行った点が異なる。
567 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 18:02:54
>>566 夢のお告げそのものを否定しているんじゃないんですよ。
現代においても他の宗教宗派にケチつけるは大きなお世話だから
お辞めなさいと言う事ですよ(笑)創価学会と一緒にされるのはいやでしょ?
そもそも他の宗教は関係ない話なのだが。
被害妄想に陥るのは勝手だけど。
569 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/22 21:15:57
>>568 経緯を知らずに書いてるな(笑)
そもそも福岡の人権啓発センターの清め時を差別とかどうとか結びつけてるのに
「清め塩は迷信です」と一緒に乗って活動やったのが浄土真宗なんだわ。
被害妄想じゃないんだけどな。
水平社だけじゃ物足りないのか?(笑)
過疎スレでそんな熱弁ふるわなくても。
571 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/18 12:40:20
age
572 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 00:04:15
真宗はありゃだめだ、こりゃだめだ、と形式にうるさいが、
一方、門徒モノ知らずとはどういうことなんだ。
573 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 00:58:47
けちゃっぷモノ知らず
574 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 02:47:03
>572
一般の仏教が、土地の習俗や迷信や土俗信仰の影響を受けて、
葬儀とかに、仏教とは関係のないものがいっぱいくっついたのに対し、
真宗は阿弥陀仏一仏に帰依して、他の神仏を拝んだりしないし、
意味のない迷信や習俗はしないのを、他の宗教の人が、
真宗門徒はものを知らないと誤解して生まれた言葉。
むしろ真宗から見れば、他の宗派はああしろ、こうしろと形式にうるさい。
575 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 02:55:47
>572
ただ、もともとは、ああしろこうしろと、いろいろうるさい事に対し、
門徒は、そんなことはしなくてもいい、気にしなくてもいいと言っていたのが、
最近は、あれしちゃだめ、それもだめと、うるさく言う人が増えてきた。
遺族が悲しんでいる葬儀の現場で、
清め塩は差別につながると、うるさく言うのは、
門徒もの知らずの趣旨からは外れていると思うな。
576 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 03:10:14
>>572 何しろ死ねば漏れなく極楽浄土に生まれ変わると農民を騙して
無駄死にさせた狂気の一向宗がルーツですから、ヘタに知識をつけさせて
離反されるのを防ぐためのシビリアンコントロール。
577 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 04:18:52
浄土にも2ちゃんねるはあるんですか。
2ちゃんねるのない生活は潤いがないですよ。
578 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 04:52:38
意味深だな。元気だせや。
579 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 08:42:34
>576
ものを知らない人ですな、まあ2ちゃんですから何を言うのも自由ですが。
知識というのは、そういう意味ではなく、迷信や俗信のたぐい。
細木数子は、なかなかいいこと言うからうちの宗派でも参考にしようということが、
一番ないのが真宗。まあ、今の門徒はTVで物知りになって少しだらけてきたが。
580 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 10:47:32
真宗が先祖供養や加持祈祷の類に関与しない宗教であることを
門徒衆のどれぐらいが知ってるだろうか。
そもそもどのぐらい真宗坊主が檀家にそういう教えを説いているだろうか。
うちの親なんかも仏前の振る舞いをみると、阿弥陀仏は飾り程度に思い、
先祖を拝んでる様子だ。
581 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 11:25:35
>580
ご指摘の通りだと思いますよ。
ただ、場所や表現を間違えると、
>575
> あれしちゃだめ、それもだめと、うるさく言う
というご指摘の受け取られ方をされてしまいますから・・・。
それに、
> 真宗が先祖供養や加持祈祷の類に関与しない宗教
ということを言って欲しくない僧侶方が多いというのも
情けないことですが、事実だと思います。
先祖を拝ませることに専念させておいたほうが、
坊さんは楽にお布施を手にすることができますからね・・・。
582 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 12:00:09
>580
> 真宗が先祖供養や加持祈祷の類に関与しない宗教であることを
> 門徒衆のどれぐらいが知ってるだろうか。
先祖供養は、真宗なりの意味づけをしているが、
門徒の意識としては先祖供養でしょうな。
ただ、加持祈祷に関しては、真宗ははっきり否定しているし、
この点はどんな僧侶もさすがに肯定する僧侶はいない。
ただ、どんなに説明しても門徒のご利益信仰はなかなかなくならない。
>>582 >ただ、どんなに説明しても門徒のご利益信仰はなかなかなくならない。
だって死んだら極楽浄土に間違いなく行けると坊さんが言うのが本当なら
病気や事故で早死にするのは門徒にとってはラッキーと言うことにならないのですか?
そこらへんが社会生活を送る一般人からみると答えが見えないんですけど。
584 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 12:38:10
>583
> だって死んだら極楽浄土に間違いなく行けると坊さんが言うのが本当なら
> 病気や事故で早死にするのは門徒にとってはラッキーと言うことにならないのですか?
そういう理屈にはならないのです。
親鸞自身が、今すぐにでも喜んで浄土に行きたいという気持ちも起こらないし、
少しでも病気になれば死ぬかも知れないという不安になる、と言っている。
しかし、行ったこともない浄土に、すぐに行きたいの思わないのは、
人間としてあたりまえのことだし、死にたくはないと思うのは人間の煩悩。
人間というのは煩悩をもった存在だし、私もそうだと親鸞は言っている。
そういう煩悩を捨てきれない人間を対象とするのが阿弥陀仏の本願だという理屈。
585 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 12:43:09
浄土教は現代人には向いてない、ということでよろしいか?
586 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 12:50:13
田舎のおばあさんなんかは、ほぼ全員先祖供養だな、それに極端に迷信を信じてる。
信仰がいつのまにか法然、親鸞が目指していた地点とまったく変わったしまったけど、
坊主的にはこのほうが門徒をたやすくコントロールできるから積極的に否定はしない。
でも今の時代坊主より一般人のほうが頭脳レヴェルが上がってくると、
もうこんなババア騙しは通じないんだろうけど。
現代人といっても色々いるわけだが。
君の脳内には「現代人」なる特定の人種がいるの?
>>586 そんなに頭脳レヴェルの高い人たちが、
なんでオウムやら創価やらに行ってしまうんですかね?
589 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 12:58:24
俺、実は池田犬作とアサハラショーコーにあったことがあるけど、
こんなの人目見ただけでパチモンだと看過できるヤツはまともだ。
嵌っちゃうヤツはどこか頭のサーキットがショートしてるんだろうなあ。
どこで会うんだ・・・。
細木某とか風水とかもやたら流行ってるけど
あれも頭脳レヴェルの高い「現代人」のものなの?
592 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 13:12:17
犬作はせっせと地方巡幸に行ってるからやたら豪華な層化会館で会った。
麻原は10数年前、中野の駅前で選挙演説してるのを、1時間ほど拝聴した。
しかし下げでカキコミしてる坊主って英語の二重否定や漢文の書き下し文もさっぱり分からんやつなんだろうが、
檀家制度や家制度が崩壊の危機にさらされてこれからどう荒海を乗り越えて行くんだろう。
>>585 浄土宗は阿弥陀如来以外の神仏を排斥しないので現世利益と死後の極楽浄土への転生が
セットでもOK!
浄土真宗は阿弥陀如来以外は一切不要論(一神教の怖い思想の人と同じ思考)
神棚要らない。初詣不要。位牌も合ってもかまいませんが基本的にいりません。
お盆の法要は「報恩」ですと言いつつもやっていることは他の宗派と同じ。
浄土真宗よりは浄土宗の方が現代人にマッチしてると思うけどな。
594 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 13:32:27
浄土宗の僧籍を持っていると宣うけちゃっぷの言ってることは一神教そのものだが。
>>594 それは個人の資質の問題であって、教団としての教義は別のことでしょう。
浄土真宗なんて一仏教じゃん。
597 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 21:07:50
>593
浄土真宗は阿弥陀如来以外は一切不要論かもしれないが、
阿弥陀如来以外の神仏を排斥しているわけではない。
南無阿弥陀仏の中に全てが含まれているから無駄なことはしないっていう感覚だ。
合理的なんだよ。浄土真宗は。
598 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 21:17:23
加持祈祷まじないは、真宗的には否定というより不要、あるいは
信仰に無関係というところですな。
だから、門徒がそういうものに関わってもいちいち説教しないと。
しかし、せめて阿弥陀如来に帰依することが、教えの核心だということ
を門徒に知らしめなければ、真宗僧侶を名乗る資格はないですな。
599 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 21:30:04
そもそも「加持」と「祈祷」と「まじない」を同レベルに考え否定する事自体、相当な低レベルとしか言いようがないのだが…
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| |
>>599 / ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
>>599 浄土真宗の僧侶は仕方ないべ。念仏を唱えることがすべてで一般に言われ
修行行為をしないから門徒と僧侶の違いは袈裟を着ているかどうかのみ。
「門徒物知らず」の悪い方の意味そのままですから〜。残念。
602 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 23:12:01
>598
一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事。
603 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/19 23:16:59
観光で参ったお寺の阿弥陀さんでない仏に
ナマンダブといっては間違いですか
605 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 11:08:20
浄土宗と真宗の教義の違いを解説してくれているHPありませんか?
606 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 12:33:59
>605
真宗は教義を大事にするから、結構あちこちに教義の解説あるけど、
浄土宗はあんまり教義が重要ではないようだから、教義の解説はあまり見ないな。
もともとの教えは同じはずだから、違いの解説となると、
どちらかの批判になるんじゃないか。
607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 12:45:35
>606
浄土宗も浄土真宗も法然が祖師といっても間違いないと思う。
法然の教えの理解が親鸞と他の門弟では違っていたんじゃないのかな?
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 12:48:44
>>606 >浄土宗はあんまり教義が重要ではないようだから
そうなの?
たしかに法然唯一の撰述「選択本願念仏集」は、全章「念仏の行」を証明することに費やされている。
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 14:51:48
02:14わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、
行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、
彼を救うことができるでしょうか。
02:15もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも
事欠いているとき、
02:16あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。
温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、
体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
02:17信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、
信仰はそれだけでは死んだものです。
02:18しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と
言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。
そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。
(新約聖書 ヤコブの手紙2:14-18)
残念ながらヤコブの思想はキリスト教界のメジャーにはならなかった・・・
612 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 19:06:39
>607
法然は画期的な専修念仏の教えを説き、
日本浄土教におけるパイオニアとしての功績は大。
しかし、教義を書物の形で体系化できなかったため、
その弟子が、それぞれの法然理解を説き宗派が分かれた。
その一つが浄土真宗であり、浄土宗鎮西派であり、浄土宗西山派。
現在は法然の教団として鎮西派が大きいが、
徳川の菩提寺になったり、江戸時代に政治的なバックアップで大きくなった。
>607 親鸞さん自身は法然さんと別の宗を立てたつもりはなかった。しかし、法然のゴールが親鸞のスタートなのだから、独自の哲学が進展するのは当然。で、後の門徒は親鸞を奉って完全に別宗派になった。
浄土宗は、基本的には法然に何も足さず何も引かない。独自の思想に至った僧もいるにはいるけれど、結局念仏してるから法然教学に反するわけじゃないし、あえ宗派のテキストを変える必要もない。
西山浄土宗の証空さんは、他宗から転向してきた他の弟子と違い、初めから法然の元で育った。逆に法然さんが彼を止観の先生に預けて勉強させたほど。証空さんは仏教全体の中での念仏の位置づけを狙ったのかな。
なもあみだぶつ
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:05:19
>614
浄土宗といっても今の鎮西派は法然の教えからはずいぶん変わってるでしょ。
弁長も法然の弟子となったけれど、法然の死後は通仏教にもシフトを移しているし、
今の鎮西派は通仏教や日本化してしまった仏教の影響を受けて、
選択集に説かれた法然の教えとは違っているでしょ。
学会とかの発表聞くと、弁長や良忠と法然との違いといった発表よく聞く。
浄土宗なら、むしろ西山の方が法然に近いという評価を聞く。
徳川の時代に、強制的に西山から鎮西に変えさせた寺が多かったようだ。
念仏しているだけで同じではない。その中身、その思想が問題。
618 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:09:19
>613
法然が行けなかったゴールに、親鸞が向かった、
というのが、思想界一般の評価だと思うが。
悪人正機の評価などがそうだが。
619 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:41:51
>>618 真宗はそうでも言わんと商売あがったりやな。
悪人正機も法然の思想では?
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:46:57
浄土宗、浄土真宗における「西国三十三ヶ所」への
スタンスはどうですか?肯定?否定?無視?
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:55:35
>>617 結局は「行」をどうするかというところで根本的に別れているのです。
鎮西は念仏は往生のための行としているのに対して、真宗は行を完全
に否定し、西山は安心の上での起行は助業で肯定しています。
真宗と西山派は絶対的な他力という立場では一緒ですが、行の捉え方
が違います。
法然も選択集の時点では念仏を行と捉えてますが、最終的には自力の
往生行としての念仏を捨てたとされてます。
どの派の教説が法然に近いかは断定できませんが、善導大師の教説を元に
法然は教えを広めたので、善導を重視する西山派が一番ちかいと言えるかもしれません。
ただ西山派は行観の時代に今の教学が出来上がり、特に行を積極的に
教学に取り入れました。安心を得た上での行は全て往生の助業となる
という現在の教説は行観のもので、西山自体は報恩感謝の念仏の教えです。
623 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 21:56:59
>620
> 悪人正機も法然の思想では?
親鸞は法然から教えを受けたから当然そういう表現はある。
ただ、法然には善人のほうが往生するという反対の表現もあるから、
「思想」として、法然に「悪人正機」が確立されたわけではない。
言葉はあっても、それを説明する思想が著作にはない。
その意味でも、悪人正機の思想としてのゴールに行ったのは親鸞。
もしも浄土宗が「悪人正機は法然の思想」だと言うのなら、
今の浄土宗は誰も悪人正機を説かないのだろうか。
624 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 22:00:47
>621
> 浄土宗、浄土真宗における「西国三十三ヶ所」への
> スタンスはどうですか?肯定?否定?無視?
浄土真宗ははっきり否定ですね。
それを認めたら、教えの魂を売り渡したようなものですから。
浄土宗も認めるわけないでしょう。
>624 そんなムキになって否定するほどでもないでしょう。観音信仰でしょう?
僕はキリストだろうと神社だろうと念仏で拝む。神が天道を離れて往生できるように。
安心を得た人はいるのですか。
それは阿弥陀仏や浄土の存在や救いを、はっきりと確信なさっているということですか。
たしか親鸞の逸話で平太郎の熊野詣での話があったよね。
628 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 23:27:05
>627
ある
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/20 23:28:11
浄土宗は確か観音霊場への信仰が強いと聞いたことがありますが。
630 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 01:42:00
うちは浄土真宗だが、真宗が法然を重く見ないのは不満だ。
まあ、親鸞は大谷家の先祖だからそうなるんだろうけど、
なにしろ先祖崇拝の宗教じゃないだからな。
親鸞自身も「あんまり自分を奉らないで、
せめて法然の弟子代表ぐらいにしてくれよ」と思ってるだろう。
631 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 02:26:55
>625
> >624 そんなムキになって否定するほどでもないでしょう。観音信仰でしょう?
> 僕はキリストだろうと神社だろうと念仏で拝む。神が天道を離れて往生できるように
いったい、何に対して拝むのでしょうか。礼拝の対象は?
キリストや神社の神に対して拝むなら、その時の念仏は何なのでしょうか。
神が天道を離れて往生?
浄土宗は、そういうことをお教えなのでしょうか。それは浄土教とどういう関係なのでしょうか。
念仏を称えて拝むと、神が往生できるというのでしょうか。
念仏は、そういうパワーを持ったまじないなのでしょうか。
法然は、そういうことを説いたのでしょうか。
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 09:26:11
ケチャますます迷走してきたなあ。まあ彼の代で戦後60年続いた寺も終焉を向かえ
混迷の度合いが増してきたなあ。
勘違いしちゃいかんのは、基督もイスラムも全知全能の神だといってるから宗教なんであって、
浄土などという数万巻ある経典から法然が都合よく引用した経典がもとになってるものと
比べれば、自ずからそのスタンスが違うだろう。
法然や親鸞が説いてるのは、規範と道徳と哲学のみ。
それも衒学的目くらましでいかようにも解釈されるもので、いたずらに信徒を混乱させているから
坊主に聞けというふうに最終的には坊主に都合よく解釈されている。
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 09:37:51
キリスト教の神・ヤハヴェは、すべての創造主で、唯一の神。
あらゆるものを支配するものであり、絶対的な神。
イエスは神の子といわれた特別な存在で、イエスにだけ天が開け、神の御霊が下った。
神がイエスに自分の意志を啓示する。神の啓示がイエスにだけあらわれる。
キリスト教には、人間が神になるという発想はない。
神から遠ざかった人間に、再び神に顔を向けさせようというのが、神の子イエスの使命。
634 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 09:39:02
仏教の仏は、人間がなるものであり、人間は誰でも仏にならなければならない。
諸仏といってさまざまな仏が存在する。
お釈迦様は、才知にたけた優れた人であったかもしれないが、特別に先輩の仏から選ばれたような特別な存在ではない。普通の人間である。
仏教のさとりは、宇宙の真理を正しく自覚することであり、誰にでも開かれたものである。
生死の迷いから脱出させ、さとりを得させることが、人間の先輩である菩薩の理想。
635 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 09:54:53
キリスト教やイスラム教なら信者はすべて聖典は読むし難解な箇所もあるが、
ほぼ分かる内容だな。
しかし佛教ではそれがない。人々の無知を利用してさまざまなことを寺はやってきたから
今まさに民衆からソッポを向かれているんだろう。
キリスト教の人に人が神になるなんてそんなだいそれたこといったら、アメリカで殺されるぞ。
>633 聖書の神は梵天さんだと思ってます。釈尊のおかげで大慈悲に目覚めて、500年後にキリストを遣わしたのです。天(神)は人より寿命も長くて能力も高いけれど、まだ煩悩がある。聖書の神も怒りっぽい。
>631 神様に対して拝みます。そして神様に仏名をお聞かせするのです。私にとって最高に尊い念仏を、お供えする。念仏する私をお供えする。また、仏名を聞いて信じれば阿弥陀仏の光明に照らされ罪が消えます。
いかなる神を信じていようと、念仏すれば往生できます。
神が、神の信者が、仏をいくら誹謗しようとも、仏は神や神の信者を慈悲で包み込み、智慧を説き続けます。
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 14:34:29
浄土宗が教えを重要視しない、教義をあまり学ばないというのはよく聞きますが、
浄土宗のお坊さんは、法事などでも説教をして法を説くことはあまりなく、
儀式は丁寧にされるが、仏教とは関係のないまじないめいた事をしたり、
本当に仏教や法然上人の教えを知っているのか疑問に感じることがよくあります。
京都では夏に暁天講座として早朝に各寺院の本山が5日間くらいの法座を催しますが、
新聞でその日程を見ていると、他の宗派はいろいろな仏教の話がされますが、
浄土宗だけは、スポーツマンやアナウンサーやタレントばかりで、
教えより人集めだけを考えているのがよくわかります。
知人に浄土宗の僧侶が何人かいますが、仏教のことを本当に知らない。
そういえば、ポックリ寺とか、いかがわしい奈良の寺も浄土宗だとか。
けちゃっぷさんも、オカルトファンが中途半端に浄土教に興味を持っているようで、
梵天が何かも、キリスト教が何かも、何も知らないで、思い込みだけで
自分の説を語っていますね。
浄土宗は、こういう人にも僧籍だけはあげたりするようですね。
>639 では、梵天とは何か、キリスト教とは何か、教えていただけないでしょうか。キリスト教については、モルモン教の教会に半年近く週1で通い、宣教師からレッスンを受けていました。楽しい議論ができた。
641 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 18:00:57
結局浄土真宗って現在の巨大教団をオルガナイズするだけのシステムを作り上げた中興の祖がいるわけでね。
浄土にはいなかったから衰退してるんですよ。
私はその奈良のポックリ寺の松尾寺の近くに住んでるけど、ブームも去って今は寂れてるなあ。
結局人はあきっっぽいね、一回行ったらもう二度と行かないから。
642 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 18:07:13
モルモンなんて異端じゃないか。欽定新解約聖書を使用してないことからしてキリスト教から大幅に逸脱してる。
浄土三部経は浄土宗の坊主でも理解しがたいだろうが、
新約聖書なら一日5ページづつ読んでも一ヶ月で読めるだろうから読んでみれば。
おそらく半年間で20回以上モルモンの教会に行ったとしても無駄だったと思う。
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 18:23:05
>>642 >欽定新解約聖書
欽定訳(英語)、新改訳(日本語)なら知ってるけど、そんな聖書初耳だ。
いつできたの?
>欽定新解約聖書
カルトか?
解約してどうする(w
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 21:50:40
>640
梵天はインドの神さま、勝手にキリスト教の神になんかしないでほしいな。
釈尊は歴史上の実在の人物、キリスト教の神を目覚めさせることなどない。
500年後にキリストを遣わしたんなど、オカルトか幸福の科学のような話、
キリスト教の人も、仏教の人も、あきれかえって言葉が出ないんじゃないですか。
しかも、天界など仏教の輪廻の世界であって、天という言葉から単純に
天国を想像したのかもしれないが、キリスト教の神の概念とはまったく異なる世界。
天界には天人は多いが、キリスト教は一神教の世界、
世界を支配する「神」は一人であって、それ意外にはイスラムの神も他の神も
存在しないというのがキリスト教でしょ。
モルモン教を週一で半年習って、楽しい議論とは、何を習ったのやら。
647 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 22:02:05
そうマヨネーズを責めるなよ。佛教大学佛教学科卒にそこまでの知識を求める
>>646 が悪いと思わんか。
ちなみに俺が持ってる新約聖書は400ページあまりあるけど、もう3回は通読した。
なかなかの内容だな。 イスラム教のコーランはアラビア語以外では読めないし多言語でのコーランなど認めてない。
648 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 22:05:27
けちゃっぷタンはユーモアに溢れてる。
みんな、必死に突っ込む割りに自分の意見を先に出さないから笑える。
けちゃっぷタンはボケ上手だね。
たぶん、どの様に突っ込まれるか余裕で楽しんでる。
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/21 22:33:24
天然?
>646 悟ったけれどどうせ理解できる人なんていないから誰にも言わないでおこうとしていたブッダに、どうぞ法を説いて下さいとお願いに来たのが梵天です。そこから仏教が始まる。梵天は宇宙の創造神です。
仏教徒は仏教徒の目線で神を見ればいい。大事なのは、異境の信者さえ救おうという慈悲です。モルモンの長老さん達も、基礎仏教の話をしたら「おもしろいですね」ってある程度興味もってくれました。
652 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 01:00:58
>650
梵天勧請だろ。
そんな話は知っているが、仏教が梵天を宇宙の創造神としているわけではない。
キリスト教のように世界を創造した神を考えないのが仏教。
イスラムやキリスト教のような一神教と仏教が根本的に異なるのがその点。
梵天勧請といった神話が釈尊伝に付加されていくのは、
インドの最高神であるあの梵天が要請した仏陀の教えである、
という権威付けによって、インドに仏教が伝えられていったということでしょ。
実際の史実ではないだろうし、梵天の登場にあまり意味を与える必要もない。
653 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 01:04:28
>651
けちゃの語る基礎仏教!そりゃモルモンも「おもしろい」と言うでしょうな。
仏を讃える十種の称号の一つに「天人師(てんにんし)」がある。
「天の神々と人間をともに解脱へと導く師」という意味だ。
なぜ人間だけでなく神々をも解脱へ導くのか?
神々は女性や酒や金銀宝石など天の快楽を楽しみ、貪り、時には他の神や人間に対して
怒りを抱くものである。また神々どうしや阿修羅と戦争をして殺生する。また己の体や天の快楽に
執着して、永遠でないものを永遠だと思う邪見を起こしたりする。
神々は人間より高貴であるといっても未だ貪欲、怒り、傷害、無知などの煩悩を離れていない。
仏陀はあらゆる煩悩から解脱なさっている。仏陀は神々をも憐れんで指導なさると考えられた。
>652 西国巡礼も宗派が違うと断固否定し、うちの信者なら教会も神社も拝むな…と学会みたいなこと言うよりかは、神にも慈悲の心で拝む方がマシでは?それか、常不軽菩薩みたいに、イエスの仏性を拝むか。
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 01:39:05
>654
その神や天人と、キリスト教やイスラム教の神とは、
名前が同じだけで、全然違うものだということはご存じか?
657 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 01:46:22
>655
形式として否定されるものではなく、
教えを理解し信じれば、当然の帰結として導かれる。
それがわからないということは教えそのものの理解が出来ていないということですね。
>うちの信者なら・・・するな
というレベルの問題ではない。
一つの論理を理解していれば、それと矛盾する行動には出ない。
矛盾しているとが理解できなければ、もとの論理が理解できていないということ。
どっちがマシかというような、いいかげんな論理ではないでしょ仏教は。
>656 キリスト教徒から見たら違うだろうけど、仏教徒から見たら神も輪廻のうちにある。キリスト教徒に神を梵天と思えとは言わない。仏教徒は、天主を梵天として扱えばいい。そうみなして扱うのです。
>>656 全然違うかどうか、それを知っているということは、キリストやイスラムや梵天の神々に実際に会われた
ことがあるということかな?
人々が全然違うものとして扱っているというだけでは、本当に違うものであるかどうかはわからないわけだし。
また別の観点からすれば、一神教の神であろうが多神教の神々であろうが、同じである。
すなわち怒りをなし、恨みを抱き、生き物に危害を加える神は、単数でも複数でも同じということ。
なぜならそういう存在は心の煩悩を離れていないということだから。
>657 念仏を神に説き、神が早く成仏できるように念仏の功徳をおすそわけする。これは、念仏を理解すればこそです。神も阿弥陀仏の名を聞けば救われますからね。
661 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 02:01:32
そういうことなら、創価学会の会館へ行って池田大作を慈悲の心で拝まれるわけですね。
念仏すれば地獄へ堕ちると言った日蓮の板曼荼羅も慈悲の心で拝まれるのでしょうか。
まことに大きな慈悲を持たれた仏さまのようなお方で頭が下がりますが、
それなら、阿弥陀仏を拝む必要はありませんね。
浄土教とは何でしょうか。法然が命がけで「選択」したのはどういう意味だったのでしょうね。
阿弥陀様のお力で、池田氏が救われますように願います。なぜ異教徒を呪ってはいけません。自分の宗教のやり方で、異教徒の幸せも祈ればよいではありませんか。お互いにね。
日蓮さんは、阿弥陀仏を否定してたわけでもない。念仏だけでOKの思想→最高の教えである法華さえも不要→これは誹謗正法だ→十八願の「唯除〜」に該当する→おまえら無間地獄逝きじゃぁ! って理屈みたい。
664 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 02:16:00
一神教の神は、単に数の問題ではない。
念仏によって救うべき対象としてでもいいが、
まずその存在を認めた時点で仏教とは論理的矛盾に陥る。
歴史も背景もある存在の、
その定義を自分で勝手に変えるなら、
一人一人が自分だけの宗教を信じるわけだから、
浄土教も禅も創価学会もオウムもキリスト教も区別や教義は意味なくなる。
665 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 02:27:48
>>652 >仏教が梵天を宇宙の創造神としているわけではない。
梵天さんが宇宙の創造主というのはあってるよ。絶対神で無いだけで。
666 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 02:52:00
馬鹿だらけ。
論理論理、と言って頭をガチガチにするよりももっと大切なことに目を向けたほうがいい。
人生を定義と教義でいっぱいにしてそれで満足だろうか。それで自分や人を救うおつもりか。
釈尊が「たとえ盗賊に捕まって手足を切られようとも、その時怒りを抱くなら我が弟子ではない」と
おっしゃったことをご存知か?
自分に危害を加える異教徒や賊に対してさえ慈悲を持て、怒りと傲慢を捨てよとおっしゃったのです。
あなたの論理で構築した阿弥陀仏には、はたしてその大悲心があるのでしょうか。
668 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 08:41:25
>655 > 拝む
>662 > 願い > 祈れ
自力の宗派ならともかく、根本的に他力の浄土教の信仰と違うだろ。
> 阿弥陀様のお力で、池田氏が救われますように願います。
こんなことを考えること自体、阿弥陀の救済を信じていない、疑っているもののすることだろ。
お前や俺らのような人間が祈ろうが祈るまいが、池田大作も阿弥陀仏によって救い取られているだろ?
669 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 09:16:44
しかし浄土宗がそんなにすばらしくて普遍の真理を持っているなら、世界中に広まるだろうね。
実際にはけちゃっぷの檀家は年々減少しているわけだし、
本人が本気で布教しようともしてないし、
このまま公務員で30年大過なく過ごせればいいっておもってるんじゃないのか。
>668 念仏の功徳を回し向けて誰かの追善菩提を願うことは、浄土宗ではやってます。法事やお盆・施餓鬼の法要もそれです。念仏の功徳は阿弥陀様に帰属するものなので「阿弥陀様の力」と言ったのです。
呪術じゃないんだから念仏の功徳を回し向けるなんて都合のいい話があるか、と言われるかもしれません。阿弥陀仏におまかせするしかないし。しかし、それでも願わずにおれないのです。一方的であってもね。
>668 絶対他力の真宗との違いが出てきましたね。知的すぎます。そうやって信、信、と強調すると、信が難行になる。「口先で 南無阿弥陀仏といえばよい 心なくして申せるものか」。易行道でないと。
真宗では、阿弥陀仏が大日如来のような法身仏(無上仏・宇宙仏)になってる気がしますね。そこから、宇宙にすべてを委ねるみたいな、哲学的な教えになってる。もう1点、真宗は本覚思想肯定っぽい。
674 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 15:27:27
中国の_曇鸞は_往生論註_の中で,_人にさとりを求めさせる力も,さとりを開いた人が迷っている人びとを教え導く力も,他力による_(往還回向由他力)といっている.
ただひとすぢに仏の本願を信じ,わが身の善悪をかへりみず,決定往生せんと思ひて申すを他力の念仏といふ〔黒谷上人語灯録(12)〕.
675 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 15:30:15
自己に備わった能力を〈自力〉,仏・菩薩などの働きを〈他力〉という.
普通自力と見なされているものも,根源はすべて他力と考えられる.
これは行に関する区別というよりは,行に対する心構えの別で,同じ念仏行にしても,称(とな)える功徳をわが功績と見なすのが自力念仏,
我の上に現れた仏の働きかけと見るのが他力念仏といえる.
もし自力の心に住せば,一声なほ自力なり.
もし他力をたのまむは,声々念々みな他力なり_〔一言芳談〕.
676 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 15:52:25
>672
阿弥陀如来は、かつて法蔵菩薩であったときに立てた誓願の中で、
第十八願、心から浄土に往生したいと願って、阿弥陀仏の救済を願い、「南無阿弥陀仏」(南無とは帰依するの意)と自分の名をたとえ10遍でも念ずる者は、すべて阿弥陀仏の国である極楽浄土に救いとってやろう。
自分のこの誓いが果たされないときは、自分は絶対に仏にならないと誓願したのです。
677 :
↑続き:05/01/22 15:53:19
単純に読むと、ただ「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」「なまんだぶ、なまんだぶ」と言えばいいんだ。と、思いがち。
678 :
↑続き:05/01/22 15:54:20
しかし、阿弥陀如来は、四十八願を実現したからこそ如来となり、極楽浄土を建立し、その教主となったのです。
くどくどしくいいますと、四十八願はすでに達成されているのであって、そうしますと、生きとし生きるものは、みな、阿弥陀仏に救われることになっている、もう救われてしまっているということになるのです。
誓願が達成されていなかったら、法蔵菩薩は菩薩のままで、阿弥陀如来とはなっていないのです。
679 :
↑続き:05/01/22 15:59:22
つまり、救われようと念仏に専心するという行為は、じつは阿弥陀仏の慈悲の心がわかっていない、信じていないのだということになります。
いっしようけんめい念仏して阿弥陀仏に救われようという行為は、阿弥陀仏の願のわかっちゃいない人であるといえます。
680 :
↑続き:05/01/22 15:59:56
どんな人でも極楽往生は決定されているのだというところから、往生のための修業(自力往生)などは、阿弥陀さまの心ばえがちっともわかっていない人のすることで、本来からすれば、本願の力によってもう救われているのだと信ずることこそ肝要なのだといえる
681 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 16:02:34
んだよ、こっちに逃げ込んでいやがったのか。
「念仏をやめさせようと企んで経典にありもしないことを色々と吹聴するような人には、
かえってこの人を憐れむべきです。そんな人の言うことを聞いて念仏を疑い不信をおこす
ということは、情けないことです。だいたい阿弥陀仏に縁が浅く、この人生において往生する
までに至らないような人は、浄土の教えを聞いても信じず、念仏の行を見ては腹を立て
怒りをなして邪魔しようとするものです。そのように理解して、たとえ人から何と言われよう
とも、動揺してはなりません。頑強に信じようとしない人には、たとえ仏であっても力及びません。
ましてや凡夫の力がどうして及ぶことがありましょうか。このような不信の衆生を助けようと
思うにつけて、すみやかに極楽浄土に往生して悟りを開いて後、この世界に還ってきて
誹謗不信の人を念仏の教えに導き入れて一切衆生を救済しようと思うべきです」 法然
683 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 20:07:00
阿弥陀仏も本願もよくわからないで、供養のためにとただ念仏をとなえるなら、
念仏って呪文みたいですね。
マントラですから。
それを唱えることによってタパスが溜まり、極楽往生することができるのです。
685 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 23:10:30
ただ浄土系の檀家なだけで、念仏しなかった人は往生しないのですか
686 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 23:18:05
>685
法蔵菩薩(阿弥陀仏)の誓願、
「生きとし生けるものすべてを救いとるまでは、あえて自分はさとりを得ないつもりである」
すべてを救いとられているから、あなたの往生も決定です。
往生が決定していることに気付くことができるかできないかは私には分かりません。
687 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 23:20:01
>685
不公平なようですが、浄土系の檀家じゃなくても「生きとし生けるものすべて」です。
688 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 09:34:05
あなたは往生決定してます。と知らしめるだけなら寺も法事もいらないね。
口コミとかネットとか使って流布すればお金もかからない。
689 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 09:41:31
往生決定を知らなくても予めすべて救いとられているんだから
別に流布される必要もないね。
690 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 11:51:47
往生できるようにと念仏することも意味ないし、
往生出来るか出来ないかは阿弥陀さんの仕事なのに、
私が念仏してその功徳を回向するなんて、
阿弥陀さんの本願に背を向けてるね。
691 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 12:18:11
「阿弥陀が全部救うと言っている。がたがた言わんで生きて死ね」以上。
要するに浄土思想とはそういうことだ。
わけのわかんないキンキラ箱に、わけのわかんない人形飾って、
わけのわかんない作法で、ナンマンダ。
阿弥陀はさぞや、「おいおい、お前らいったい何やってんのよ」
692 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 12:38:47
>691
わけわからん人にとっては、仏壇も仏像もわけわからんものですね。
しかし浄土思想は単なる抽象的概念としてではなく、
人びとの信仰として根付く歴史の中で「形」を持つようになり、
それは方便として一定の意味は持っていると思う。
ただし、それはあくまでも方便であり、必ずしも必要なものではない。
真如の阿弥陀仏を信じ、浄土往生を信じることが出来るなら、
仏壇も仏像も、作法も儀礼も、必要のない人にとっては不要。
ただ、手がかりを必要とする人にとっては方便としての意味はある。
阿弥陀さんも、「私が救うと言ってるのに、そんなの必要ないのに、あ〜あ。
だから人間というのは、ほっておけないんだよね。」とおっしゃっているかも。
>690 法然さんが「今の自分は念仏に出会う前の自分と別人のようだ」と言ってます。念仏は円満な人格に成長させてくれます。念仏の利益は平生の生活で受けられます。
694 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 12:57:26
そもそも救われているんだから仏教とかお坊さんとか全然必要なし。
信じる必要もないし救いを教える必要もない。
救われてると気付けば平安な気持ちになれます。
じゃあ救われていると気づかなければ、平安な気持ちじゃないのか?
平安な気持ちじゃないってことは、不安に苦しめられているってことだな。
不安に苦しめられているということは、救われていないってことだな。
じゃあ阿弥陀仏が全て救いとったとういう前提が、そもそも嘘になるな?
697 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 13:40:10
>696
手に入れているのにそれを持っていることを知らなかったら、
その人にとっては持っていないのと同じことなんだよ。
手に入れようと一生懸命になるんじゃなくって、
持っていると気付くことが大切なんだよ。
698 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 13:56:02
699 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:27:50
持っていないのと同じ気持ちということは、そこに不安苦しみがあるね?
それは救われていないのと同じじゃないの?
救いというのは、まさに人間の不安の苦しみから心身が開放されることでしょ。
その苦しみが解消されていないなら、それは救われていないということだあね。
つまりあらかじめ一切衆生は救われいるのだというのは、妄想に過ぎないね?
700 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:35:39
>699
妄想というのは、持ってもいないものを持っていると夢を見ること。
被害妄想というのは、実際には何ら危害が加えられていないのに
危害が加えられたと思い込んでしまっていること。
持っているのに、それに気付いていないのは妄想とは言わない。
701 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:42:00
あらかじめ救われていないのに、救われていると夢見るんだから、妄想じゃないですか?
救われているなら、現に不安なきものでなければならないはずなのに、そうではないというのだから。
702 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:42:31
>700
救われているのに、救われていないと思い込んでいるのも一種の妄想かな?
703 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:44:25
>>699 それだよ、それ。
「その苦しみが解消されていない」というなら、その苦しみの原因は何ですかってことだよ。
704 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:46:59
>701
救われていることにいつ気付くかということはあるでしょう。
でも、気付かないままなら救われているというのはウソかもしれませんが、
必ず救われていることに気付くことになるのですから、
救われているというのは夢、妄想ではありません。
705 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 14:50:19
>701
自分の力、努力によって、「救われていると夢見る」んじゃないんですよ。
阿弥陀さんによって救われていると気付いていないだけなんでっすって。
706 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 16:36:48
救われてると気づくことはいいことだ。
よし、俺はお寺さんより簡素な様式で阿弥陀さんの本願を伝道する商売をやろう。
よくわからないのは、どうして阿弥陀さんの本願と葬式とが結びついてしまってるのか?
しかも、阿弥陀さんの本願のことは意識されてない。
せめて葬式の説教で坊さんは「故人も参列の皆さんもすでに救われてます」
ぐらいのことは言うべきでないか。
707 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 17:05:27
>>706 葬式の問題は日本古来の死霊信仰との関係があるのでは?
いわゆる「祟り」ですよ。悪いことをしないように阿弥陀さんに鎮めてもらう。
708 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 17:07:47
祟りの方は神社でやってもらうとよい。あっちは専門だし。
709 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 17:12:57
>>708 それが中世はそうでもない。
禰宜の読む祝詞より社僧の読むお経のほうが効き目があると考えられたいたらしい。
710 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 18:01:52
>706
阿弥陀仏の本願と葬式とは最初は結びついていなかった。
しかし信仰の仲間が集まる道場がやがて他宗の影響を受けて寺院化し、
道場の管理人、世話人が僧侶の役割を果たすようになった。
寺院化すれば、当然ながら葬式を扱うようになり、経済的な基盤ともなる。
現在では葬送儀礼から離れては寺院の維持は無理になった。
ただ、葬儀だけの寺院のあり方は明らかに本末転倒だから、
教えを説いたり、弘めたりということを中心にすべき。
だから、葬儀も仏教に出会う機会、布教の場として、
通夜や中陰などに、必ず説教はするものだ。
葬儀は焼香や会葬者への挨拶などバタバタして説教はむつかしいが、
「故人も参列の皆さんもすでに救われています」という意味の説教はする。
儀式だけの僧侶は、その義務を果たしていないことになる。
711 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 18:19:05
>>710 うむ、あなた現実的でいい。支持するよ。
712 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 18:53:32
志村けんの「大丈夫だぁ〜」は極めて簡潔かつ的確な形の浄土の教えである。
713 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 19:05:27
江戸時代の檀家制度によって宗旨人別帳による戸籍の管理が、好むと好まないにかかわらず寺院に課せられ、
検死・葬儀・除籍といったことを僧侶にさせるようになり、僧侶が葬儀にかかわるようになった.。
という説が主流のようだけど。
714 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 19:12:26
歴史的経緯はともかく、
何か日常の出来事と布教をリンクさせるなら、葬儀とのリンクはもっとも合理的。
まず、故人が救われてることを確認することで遺族の慰めになるという現実的効果。
人の生き死に思いを致すたくさんの参列者が集まっている、という布教にもってこいの場。
また、先祖への感謝は阿弥陀仏への帰依の気持ちにつながる。
いずれにしろ、僧は、自分はただの葬式屋じゃないと自負をもち、布教に努めるべし。
715 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 19:47:45
仏教は、生きている人が、さとって、解脱して、涅槃に入ることを最終目標としているのでしょう。
仏教では、ともかく生きている人が大事なので、生きているうちにどうするか、
生きているうちにどうさせるかだけが問題なのです。
死んだ人は、そもそも、仏教の対象にはならないということでしょう。
お葬式も死んだ人のためにしているようですが、残された生きている遺族らのためにしているのでしょう。
716 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 21:07:18
>>715 死んだらどうなるかなんて知らん、とお釈迦さんが言ってるんだもんな。
>712 「大丈夫」というのはもともと偉大な仏・菩薩を差す仏教用語です。「大丈夫だぁ」と称えるのは「南無仏」と同意でしょうね。
718 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 21:51:29
>717
本気?けちゃなら本気で称えそうだけど、偉大な仏・菩薩というより、
偉大な人というのが原意だろ、それから転じて菩薩をさすこともあるが。
丈夫は人間の成人男性、信頼できる、意志の強い人ですね。
ちなみに、多くの人が救われて、一番信頼がおける仏教のことを、
大丈夫仏教と言って、そこから大乗仏教と言うようになったというのはガセです。
719 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 21:59:25
720 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 22:01:03
ダイジョウブー=大乗仏=阿弥陀仏
という理解でだいたいよいでしょうか。
法然→念仏という「行」さえすれば誰でも救われます。
親鸞→信心を得てその歓喜の心が念仏となれば救われます。
一遍→念仏しようがしまいが、本願を信じようが信じまいが、皆救われることはすでに決まっています。
こんな理解でOK?
722 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 22:15:01
>720
> ダイジョウブー=大乗仏=阿弥陀仏
> という理解でだいたいよいでしょうか。
どうせなら、・・・という理解で大丈夫でしょうか。
と聞いてほしいな。
723 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 22:16:45
>721
法然も親鸞も「・・すれば、・・なれば」救われるという条件ではないでしょ。
724 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 22:21:07
725 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 22:26:59
726 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 23:06:18
すでに救われてるのか。なんだか実感がないな。
実感がなければ救われてないのも同じだな。
727 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 23:21:47
728 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/24 10:03:48
>726
その実感が信心。
何も知らないでは実感がないのも当然で、
だから、聞法や教えの理解が大事になります。
死後の不安や人生の苦悩を考える人はそれを求めますが、
そういうものを感じない人にとっては、必要とは思えないですね。
729 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/24 12:15:23
>>726 そろそろけちゃっぷ登場の時間帯では?
上げておきますね。
>>716 >死んだらどうなるかなんて知らん、とお釈迦さんが言ってるんだもんな。
勝手に独自の解釈をしないように(笑)
輪廻転生の本体(魂)については現世での修行に関係ないから答えなかっただけ。
輪廻から解脱しない場合は「異温生じて相続す」といわれている。
(これが霊的存在なのか異次元への生まれ変わりなのかは判らないが)
日本の坊主の場合は霊と魂と分けて考えない奴が多すぎる。
浄土真宗では霊魂は無いとハッキリ言ってますけど、死後極楽浄土に生まれ変わる
って言うのはどこの誰の言ったことをソースにして言ってるんでしょうか?
少なくとも親鸞さんは違いますよね?
732 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/27 08:11:28
>731
専門家ではないので、自信はありませんが、こういう記述はどうですか?
「これらの衆生、寿終らんときに臨んで、無量寿仏は、
もろもろの大衆とともにその人の前に現れたまふ。
すなはちかの仏に随ひてその国に往生す。」
(大無量寿経)
733 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/27 08:21:52
>731
輪廻する主体について霊魂だという説があり、または、我とか意識のようなもの、
あるいは生命そのものだ、という説もあります。
ただ、仏教では、“先祖”は仏国に往ったと考えています。
“先祖”は諸仏に成っているといってよいかもしれません。
“先祖”つまり“諸仏”は一般に考えられている霊魂のように祟りません。
曇鸞大師だったかな、「現世と来世は、同一人物でもなく別人でもない」と言ってます。現世の中でも10年前の僕と今の僕は別の物体だから同一でもないけど、記憶のコピーを相続されてるから別人でもない。
あえて何が輪廻するかというなら、いのちの輪廻、原因と結果の縁、だと思います。僕の人生が因縁となって、新しいいのちに影響を与えたなら、僕のいのちは受け継がれたことになる。
極楽の衆生は、過去世(前世)のすべてを思い出せます。量り知れない数のいのちが生きた証が自分だと、過去が複雑にからみ合った結晶だと、自覚するのです。僕のいのちも無駄じゃない。未来に活かされる。
極楽の聖者が、僕を思い出してくれる。
南無阿弥陀仏
南無毘盧舎那仏
740 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/01 16:52:26
>>736 未来において自覚されなければただの無駄。
741 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/13 08:27:20
742 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/03/19 13:06:38
質問なんかねえよ
743 :
けちゃっぷ:2005/03/30(水) 12:47:07
>739 ありがとうございます。今のこの自分のいのちを因として、自分が死んだ後の未来の人が幸せになるとしたら、その幸せな未来人は自分の来世(果)といえます。今の自分は無駄ではないと励まされます。
744 :
けちゃっぷ:2005/03/30(水) 12:52:38
>740 「知っていたよ、ずっと見てたよ。あなたのいのちは浄土にリサイクルされ必ず報われますよ」と言ってあげるのが浄土教団の仕事であり、アミダ仏の慈悲ではないでしょうか。
745 :
名無しさん@京都板じゃないよ:仏暦2547/04/01(金) 01:21:10
746 :
名無しさん@京都板じゃないよ:仏暦2547/04/01(金) 04:17:43
釈迦は弟子のウパーシーバァーに「解脱した人が人が死ねばどうなるか」と聞かれた。
そして釈迦は滅びたものには測る基準がないと弟子に答えた。
747 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/31(火) 13:14:23
お年忌は2、3人まとめてやってもらってもいいんですか?
その場合お布施は2倍、3倍ですか?
748 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/01(水) 10:09:15
いいんです。
みなさんができるだけ集まりやすい日を選んで下さい。
どんなに仏さまのようなお坊さんでも、お布施は多いほうがいいに決まってます。
気持ち多めでいいんじゃないでしょうか。
749 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/03(金) 01:22:21
質問なんですが、本山へ上納金出して着れる衣が変わるとか、
毎年幾ら本山へ上納しなくてはいけないとか、
なんか、おかしくないですか? そう思ってるの、自分だけですかね??
750 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/03(金) 21:29:07
751 :
749:2005/06/04(土) 01:04:24
えぇ、まぁ。
これ、払わなかったらペナルティーなんだろうな・・・
752 :
三礼:2005/06/04(土) 02:17:10
タイムマシンで親鸞さんを本願寺に連れて来て、事情を話して色衣の集団を見せてあげれば、あまりの腐敗ぶりに多分怒り心頭でしょう。
タイムマシンがあったら最初にやってみたいことです。
753 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/06(月) 02:14:55
素朴な質問ですが…。
菩提寺の庫裏改築されるのですが、お布施はどのタイミングですれば良いですか?
近々、起工式の予定。工事前に渡すほうが良い?竣工してから渡したほうが良い?
のし袋の包み方も迷ってます。白黒?それとも御祝いだから紅白になるのでしょうか?
754 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/07(火) 21:11:38
>>749 宗門は位はないだの平等だの言ってるけど、矛盾だらけ
自分に都合のいいようにこじ付けで解釈している
理屈っぽいし、そんなことだらけ
相続講なんて制度も矛盾の正当化
きたない集金方法
結局は「おとりもち」という言葉で片付けられてしまう
755 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/08(水) 11:02:24
>>753 これはどう見てもお布施じゃなくてお祝いでしょう
当然祝い用の紅白
お寺で式典を予定していれば、その日
予定がなければいつでも「御祝い」としてもっていけばいいと思います
757 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/27(月) 21:18:07
テスト
昨年父(浄土真宗)が亡くなりましたが、
母方の親類(臨済宗)が十三仏の掛け軸を持ってきて、
お盆や法事に使って欲しい、浄土真宗でも大丈夫と
仏具屋が推薦してたから、と置いて行きました。
あれは真言宗のお道具かと思っていましたが、
宗派を離れた素朴な十三仏信仰のようなものが
あるのでしょうか? 地方によっては浄土真宗で
十三仏の掛け軸を使うところもあるんですか?
759 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/29(水) 18:54:02
>>758 浄土真宗でそのような掛け軸を使うことはありません。
仏具屋が間違っているか、
それを承知で売りつけたのでしょう。
やっぱりそうでしたか、、例外もあるのかと思って
質問しましたが、即レス頂き感謝しますm(__)m
掛け軸を持ってきた叔父(叔母の亭主)は、この春に
叔母を亡くしたばかり。自宅の葬儀で世話になった礼
として49日あけに家に届けにきたので、わたしも弱っ
たな、と思いつつ眺めてはおったのですが。。
どうも他の宗派では、法事のタイムテーブル代わりに
視覚的な確認の意味で十三仏を掛けてるようですが、
浄土真宗では阿弥陀仏の一仏以外は不要なんですね。
けっきょく斎場や仏具屋、葬式坊主の営業に乗せられ
ただけ、というわけでしょうね。ぐっすん@@;;
ついでに書いておきますと、
うちの地方の仏具屋では、浄土真宗でも
皆塗りの位牌をつくってますよ、とか、
繰り出し位牌ならかなっていますよ、とか
おたくの寺では、木彫の阿弥陀様もOK
ですよとか、こっそり囁いてくれますが、
(仏具屋は隣の都市にある浄土真宗門徒)
全く、油断も隙もあったもんじゃない。
身内を失った人間の心の弱さ、世間からの
同調圧力に脆い高齢者につけ込んだ仏事を
見てると、新興宗教ばっかりやりだまに
あがるのはまったく片手落ちだわ、、
762 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/30(木) 01:41:49
>>761 いや、実際に北陸だと普通に真宗の仏壇の中に位牌がある地域も一杯あるからね・・・。
まあ、東本願寺のスレの食いつきの良さ見てたら真宗腐ってると思われても仕方ないわ。
>>762 いま他のスレもざっとみてきましたが、、、絶句;;^^
随所に「ねばならない」式の当為=sollenみたいな響きが
たちこめていましたが、ああいう空気って曲者ですねぇ
戒名や戒名がなくても、
戒律もどきが独り歩きしてるようで、笑
禁止とか義務とかのバリア巡らされてると
なんだかお浄土までの道のりが遠く感じられます
私はニワカ門徒ですが真宗の精神は好きなんですけど、、
764 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/30(木) 14:30:51
真宗では木彫の阿弥陀様はダメなの?
765 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/30(木) 15:48:25
766 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/06/30(木) 16:05:51
>>765さん有難う。
そうすると
>>761の
>おたくの寺では、木彫の阿弥陀様もOKですよとか、こっそり囁いてくれますが、
>(仏具屋は隣の都市にある浄土真宗門徒) 全く、油断も隙もあったもんじゃない。
って何?
あのですね、、
ちょっと話が込み入っててすみません。
本尊を仏具店から木彫のものを購入してしまうと
本願寺の仏像検定(品?)に出さなくちゃならない
ので、急いでるときは面倒になります、って
若住職(先代は昨年没)がいったので、家の本尊は
軸装絵姿のものを西本願寺から迎えたのです。
(実際には仙台別院からだったのでしょうが)
で、後日仏具屋に法名軸買いに行ったら、あの寺の
今度の若い住職はいいかげんで、みたいなことを言う
ので、「いや、お経を上げないならリン叩くなとか、
木彫の仏像はだめって、言ってたから、若いけど
あんがいしっかりしてんじゃないの?」と反論した。
先代の住職の時代には、知人が仏具屋で購入した
木彫の阿弥陀様を本堂から遠隔操作で拝んでもら
った(飛ばしておく、という説明だったそうな)
のを知っていましたから(精根入? 慶讃法要?)
それいったら
「いや先代はうるさかったけど、今の若い住職は
まったくいい加減で、、」で、その後にさっきの
セリフが続いていたわけです。
「あの寺では、本当は木彫の阿弥陀様もOKなんだよ。
それに、塗りの位牌も。家にだって飾ってあるよ」
そういう話です。で、逆に質問ですが
仏像検定(品?)てそんなに簡単なもんですか?
768 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/01(金) 01:28:42
>>767 おそらく仏具屋にすれば、仏像を売ったほうが商売になるからです。
若住職の判断は妥当なものですね。
仏像の点検は、実際に経験がありませんので知りませんが、
確認自体は、それほど手間のかかるものではありません。
ただ、持ち込んで点検する分だけ手間はかかります。
なるほど兵器産業が国際紛争をややっこしいものに
してるようなことが、信仰生活にもあるんですねぇ。
いままで縁がなかったから、お寺も斎場も仏具屋も
持ち分や意思統一がちゃんととれてると思ってたけど、
じっさいそうじゃなくて不協和音が大きそうですね。
若住職の話では、点検に出してもふつうのものでは、
ほとんど撥ねられてしまいます、とのことでした。
町の仏具屋さんがセット販売してるようなものとか
仏壇のおまけのようなものはだめで、名の通ってる
工房とか、名のある仏師が彫ったものじゃないと、
だめなのかと、、ついつい思っていました。
といいますか、わたしはてっきりイコン=偶像崇拝
を警戒してるのかと勝手に気を回しまして、それも
納得だなぁ、なんて独り合点していたわけですが。。
何はともあれ父の死を介した仏縁ではありますが、
真宗のピュアな精神とだけ付合いたいと思います。
今回は有り難うございました。合掌。
仏像検定(品?)って初めて聞くけど何のためにやってるの?
771 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/01(金) 15:24:05
>>770 手に入れた、又は手に入れる予定の仏像が、
まちがいなく阿弥陀仏像であるのか、
また本願寺派の様式に従った阿弥陀仏像であるのかを点検する。
素人ではわかりませんから本願寺で点検をします。
知らずに、大日如来や観音菩薩を本尊にしてもこまりますから。
また、阿弥陀如来の絵像や、南無阿弥陀仏の名号は、
本尊として、本願寺から受けることが出来ますが、
木像を本願寺が在家仏壇用に下付していませんから、
本願寺は間違いがないか、点検をするだけ。
基準は公表されてるのかね?非公開?
773 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/02(土) 21:05:44
>>772 公表されている。
ただ、木像をすすめているわけでもないから、
あまり細部の説明を一般にPRはしていないようだ。
一度聞いたことがあるが、本願寺にはパンフレットがある。
本願寺派の各寺院にも、最近、説明のパンフレットが送られて来ている。
本尊が阿弥陀座像の寺院もあるけど、
家庭用では座像だと悪?
775 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/03(日) 20:23:29
>>774 > 本尊が阿弥陀座像の寺院もあるけど、
> 家庭用では座像だと悪?
善悪の問題ではありません。
宗派によっては座像の阿弥陀仏も、後ろを振り返った像もあります。
本願寺派で新たに木像を本尊として家庭の仏壇に安置する場合、
本願寺の阿弥陀仏木像の様式に従いましょうということです。
真宗が立像なのは、それが真宗の教えに沿っているから。
他宗派が座像使っていようと、関知するところではない。
真宗では阿弥陀さんは座ることがないという考えですか?(いつも立ちっぱなし?)
778 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/04(月) 02:42:16
>>777 煩悩を捨てきることができず、自力修行では成仏できない人々を救うために、
本願をたてて、救いの手をさしのべたいという状態の阿弥陀仏です。
じっと座ってなんかいられない、といったところです。
実際には、浄土三部経のなかで唯一、阿弥陀仏の姿が描かれている、
観無量寿経の描写にしたがっています。
>>777 仏(如来)は本来悟りの世界・三昧に住するものであり、どっしりと豊かに
座っておられるその姿は、その身をもって仏法の世界を表現している。
いわば浄土で我々が来るのを見守っておられる姿。
それに対し立像は、その悟りの世界に安住することを止め、ともすれば
仏で無くなってしまう危険をおかしてまで我々を救おうと立ち上がり、
こちらへ向かってきて下さる姿。それは「本願」を立てて我々全てを
全力ですくい取らんとする阿弥陀の慈悲心を表す。
真宗では仏のご苦労を思い、より感謝の気持ちがもてるようにと
後者の姿を本尊とする。
780 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/05(火) 04:13:38
じゃ、阿弥陀仏の、衆生を引接する無量の光ってのは、座ったままだと意味を為さないってことか
>>780 真宗の場合、臨終来迎を説きませんから、無量光で引接するとは言いませんが、
阿弥陀仏の本願の働きの象徴として仏像があるだけで、
形に教義的に重要な意味があるわけではありません。
まあ、
>>780 のようなことは屁理屈で、
じゃあ、目を開けないと救えないのか、腕組みしていちゃだめなのか、とか、
いくらでも疑問は出てくるでしょうね。
落語家が言っていたのをちらっと聞いたんですが、
「カネたたく馬鹿、たたかぬ馬鹿、、、、」
(1)この続きの下の句はなんですか?
(2)どういう意味の警鐘でしょうか?
784 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 09:51:48
南無阿弥陀仏は1日に何回言えばいいのですか。
あと、亡くなった家族は如来になったのでしょうか。
如来になったらまた生まれ変わってくるのですか。
787 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 19:57:41
>>785 >あと、亡くなった家族は如来になったのでしょうか。
んなわきゃーない。生前に如来に対する絶対確実の「信」があり
不退転の境地になった人でないと駄目なのれす。
>>786 現世に生身の体を持って生まれてくることはありません。(輪廻からの解脱)
788 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 20:30:03
浄土系は仏教ではないな。ヤソ教方面だ
>>787 阿弥陀信仰に不退転という考え方はありましたでしょうか。
家が400年近く門徒なので、亡くなった家族も南無阿弥陀仏くらいは
言った事がありますし、他力本願の条件を満たしているので成仏した
はずなのですが。
790 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 21:31:40
>>789 凡夫は退転の危機の連続。
でも、阿弥陀如来は不退転なので、あとは自身の問題ということになる。
その退転の危機が信仰の力になるわけですが。
791 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 22:38:49
>>789 阿弥陀信仰にかかわらず仏教として考える場合
不退転の境地にならないと成仏が確定しません。
仏教では四向四果と言って以下のように考えられています。
シュダオン(不退転・預流・極七返生とも言う、七回生まれ変わるまでに成仏する)
シダゴン(1回だけ現世に生まれ変わる)
アナゴン(現世にはもう生まれ変わらない)
アルハット(如来・阿羅漢、生身の状態で輪廻から解脱している)
諸説ありますが在家でもアナゴンまでは到達できると考えられています。
シュダオンになるための条件として2種類ありまして
1)初歩のさとり(3つの煩悩を絶つ)を得る
2)如来に対して絶対確実の「信」を得る
浄土信仰は言わずもがな(2)ですね。浄土系では「確信」と言っているようですね。
792 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 22:44:40
追記
で、正直言って念仏唱えるだけでは成仏しませんし極楽往生も確定しません。
当たり前だけどね。
793 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/17(日) 22:49:38
794 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 13:11:32
795 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 13:44:30
>>791 ありがとうございます。
浄土系の方のご意見をお聞き致したかったのです。
他宗の方がお念仏で成仏できないとおっしゃられるのは予測できる事ですから
わざわざ他宗に聞きません。
浄土系に質問するスレですよ、ここは。
797 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 15:57:47
>>796 念仏で成仏(極楽浄土に生まれ変わって、そこで成仏します)できますが
念仏+「確信」が必要です。残念ながら念仏のみでは駄目なんですよね・・・。
亡くなった家族が成仏したのか心配してお聞きしてるのに
「念仏では成仏できない、当たり前」なんて浄土系ならいわないでしょう。
799 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 16:23:46
>>795 アルハットが阿羅漢なのはわかるが、どこでどうなったら
アルハット=タターガタになるのだろうか
800 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 16:27:36
>>798 信じていない人でも成仏できるの?まずはそこを答えてください。
信じていればこそ救われると思うのですが違うのですか?
念仏を唱えるだけで救われるのなら中世キリスト教の免罪符と同じじゃないですか。
801 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 16:35:15
>>799 初期の仏教教団でははっきり区別されなかったようです。
後世になって釈迦如来の神格化と共にお釈迦様のみ別格扱い。
(春秋社:中村元選集参照)
802 :
798さんではありませんが:2005/07/18(月) 17:46:18
800さんへ私は浄土宗徒ですが、浄土宗の教えと間違っていたとしても
たとえ異教の方でも亡くなった方全てが後世に残った者に
何か教えを残していると考え仏として心の中で手を合わせています
私は僧侶でもありませんし矛盾してるかもしれませんが
どんな悪行をした人でも産まれてから人生を全うするまでに何か他人の為に
善行を行っているものだと思うので死して地獄は無いものと信じたいと考えます
的外れな返答であれば申し訳ありませんm(_ _)m
浄土宗は念仏にて往生し、浄土真宗は信心にて往生する。
火と水の如く並び立たず。
804 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/18(月) 21:41:33
>>803 念仏で往生じゃ、なんだか念仏は呪文のようだね。
行為よりも心、信じる心のほうが往生には大切なような気がするが・・
>>798 ☆ チン マチクタビレタ〜
マチクタビレタ〜
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < 質問に対する回答まだ〜?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
>>789 安心しなはれ、救われてますでしょ、お亡くなりになった
ご家族も、あなたも私も全ての命が。
信心自体・救いの条件は、全ての生命に対して、すでに
如来さんから得ている・配られて我が身に備わっていると
考えなはれ。(この辺は色々勉強しなさるがよろしい)
それに「気が付く」か「気が付かないか」で変わるのは
「ご恩報謝の念仏するかどうか」です。つまり「気が付いた」
人はお念仏を申して生きていこう、如来さんに感謝をしながら
生きていこう、という選択をするんです。
門徒というのはその選択をしたお念仏のお同行なわけです。
その姿は如来さんのご本願でありますから、「摂取不捨」であり、
凡夫でありながらも「不退転」と同じと喜ぶことが出来ましょう。
感謝のお念仏でありますから、回数は関係ないのがわかります。
しかし、そのご恩の大きさ、お慈悲の深さが1回や2回程度では
感謝しきれないと知れば知るほど、お念仏の回数も自然と増えて
行くかも知れません。
如来=仏でありますから、往生即成仏、お亡くなりになれば
みな真実のお姿となって、阿弥陀さまと共に今度は私や貴方
を救う仏となられたことでありましょう。
お念仏申さない方がどうなったかは、正直わかりませんが、
真如・仏となるのにお念仏がたまたま私に適していただけで
あって、他の方法でなられたかもわかりません。
基本的に私は全ての命はお浄土、真実の世界へ往生なさった
と思います。
>>807 >回数は関係ないのがわかります。
と言う事はそもそも念仏唱える必要すらないってこと?
809 :
807:2005/07/20(水) 18:08:43
>>808 単純に「気が付いた時」にするでしょうね。
「せずにはおれない」という表現を良くしますね。
言葉とは難しくて「念仏唱える」と言っても、
ものすごく幅が広い言葉です。
その辺の思惟を深めてみるのも面白いです。
「念」とは「仏」とは「念仏」とは「唱える」とは
「念仏を唱える」とは・・・
「必要すらない」とは覚者なら言うかも知れませんがね。
810 :
807:2005/07/20(水) 18:44:02
おっと、迂闊でした、ここは「浄土系」で括られている
スレでしたね。
806.807.809等は「浄土真宗」のご門徒ならこういう
理解をされるのがよろしいでしょうという、本派僧侶
からの提案です。
ご門徒の方がお困りのようでしたので、ついつい
浄土真宗とその歴史についてみなさんがどう思っているのか教えてください。
812 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 16:22:25
>>811 浄土宗は法然がひらき、
浄土真宗は法然の弟子の親鸞がひらいたと、
一般には理解されているだろうけど、
今の浄土宗は法然の弟子がひらいたものだから、
浄土宗から浄土真宗が分かれたわけではなく、
浄土真宗と浄土宗は同じような立場でしょうね。
浄土真宗は、法然によってひらかれた教えを引継ぎ、
親鸞が思想的に深め、完成度を高めたものというのが、
歴史や思想史における一般的な評価。
813 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 16:49:16
>>812 そうなんですか!!全然知りませんでした・・・
一つ勉強になりました
814 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 21:45:50
浄土真宗は親鸞が開いたという認識が多いようだけど
親鸞は「浄土の真宗」つまり、真実、極楽往生を説く宗であると
述べたのを、後世の弟子か子孫か知らんが「浄土真宗」と名乗ったのが
始まりでしょう?
「今の浄土宗云々〜」の話を持ち出すなら、そこも正確に伝えないと。
あと、「深めた」と言うが、それは浄土三部経など、所依の経典に
依るものですか?その証明が出来なければ、「似非仏教」の誹りを受けますよ?
自動車は便利な乗り物ですが、事前の点検がなければ大事故につながります。
自分達にだけ都合のいい論法を使い続けるなら、せめてその点検は怠らないようにするべきです。
815 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 21:48:48
浄土宗と真宗(東西)は仲が悪いの?
816 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 22:50:58
>>814 歴史や思想史における一般的な評価です。
宗派自身はそこまでは言わないでしょう。
残された著作にみられる仏教思想への評価のようですね。
817 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 23:25:24
>>815 何か喧嘩しているように見えるのかしら?
少なくとも末寺同士は近所なら報恩講のお参りあい
とかしますし、個人的には普通にお友達な方も多いです。
元々跡継ぎ騒ぎを利用されて無理矢理に組織を二分された
と言うだけですし、その名残でお互いをライバル視することは
ありますけれどね。
819 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/24(日) 23:42:32
「一般的な評価」とは誰が下すものですか?一般の歴史家?思想家?
どうあれ、それに乗っかって、親鸞>法然の図式が一般に広まっているかの様な
現状には納得し難い物があります。
このような態度を、よく「浄土宗の僻み」と言われているのを見るにつけ、
お念仏が廃れてゆく未来を見る思いになります。
また、祖師の思いと現行の宗組織の思いとが、かけ離れているとまでは行かなくとも
ズレがあると思われる現状では、なおの事、そのように思えて仕方がありません。
法然上人の示された念仏とは、「南無阿弥陀仏」と称える称名の行を継続する事で
「極楽往生」の信を継続していく所にあります。信と行とを分けて考えるべきでないと
いうことです。また、行と言うと真宗の多くの方は自力だと言って否定されますが
行=修行ではありません。行とは行いの事です。行に偏ったのが浄土宗、信に偏ったのが
真宗と言う方もあるかと思いますが、信と行とは一致したものです。
例えば、右手を動かしたいと思えば(信)右手が動く(行)ように、それは「当たり前」の
事なんです。その「当たり前」の事を念仏を通じて受け止めて初めて、
「ありがたい」「報恩感謝」と言えるんです。
信が先か、行が先かではない、どちらかを切り離して考えるのでもない。
それは法然上人の御法語を読めば分かる事です。
というか、お念仏を広めたいのは同じだから、
仲良くしたいですよね、うん・・・
信が先とか行が先なんてあまり意味のない論争ですから・・・
おいわれを聞いていきなり「ぐぐっ」っと来る人もいれば、
お念仏している時に「じわっ」っと来る人もいるだろうし、
一遍上人のようにそんなものさえ関係ないと言い切る人も
いるでしょうし・・・
お互い「ウチはこの方法(教学)で行くから、そっちも頑張れ」じゃ
駄目なのかなぁ・・・
821 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/25(月) 03:27:45
>>818 それは、西本願寺と東本願寺のことだろ。
あそこはケンカなどしていないが、
815が言っているのは、浄土宗と浄土真宗のこと。
ちゃんと読めよ。
822 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/25(月) 09:40:02
浄土宗の坊さんは、浄土真宗の「浄土」を外して欲しいと思っている。
基本的に接点が少ないから、喧嘩するわけでもなく
仲が悪いという認識もないけれどね。
仏教会でも罵り合うこともないし、共同で講演会とかもしている。
「浄土宗なんて」という声もここ以外じゃ聞かないねぇ。
お念仏に対しての考え方を論じ合うのは有意義だと思うけれど、
だからといって「そんな考えじゃ地獄に堕ちる」なんて、浄土系じゃ
まず言わないです。
824 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/26(火) 07:02:21
「念仏の声するところみな我が遺跡なり」
と、法然上人も申しておられますから
念仏唱えることに異論はないので、公の場で表立って
浄土宗、浄土真宗ともに批判しあう事はないでしょうね。
ただ、念仏さえ唱えていればそれで良い、と言うだけでは
現代の求心力には成り得ない、とも思います。
”本物”を求める今と言う時代だからこそ、僧侶一人一人の
自覚が必要だと思います。
825 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/29(金) 23:57:20
age
826 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:30:50
>>819 一般の歴史家や思想家が、どうして法然より親鸞を評価するのでしょうか。
一つには後世の評価が、残された著作に見られる思想に基づき評価する点があります。
残念ながら法然には、その思想体系をきちんと示した著作が少なく、
法然自身の思想として評価する対象が少ない点があります。
法然は念仏の教えの先駆者であった点、多くの弟子を育てた点で、
充分な評価はあたえられて当然です。親鸞と比較できるものではありません。
ただ、先駆者であるが故にまだ充分に思想的に完成していない部分もあり、
それが、弟子達による解釈の違いを生み出した原因と考えられます。
また、著作に残すことよりも、直接に弟子を指導することや人々に法を説くことに、
多くの時間を費やしていたことでしょう。
後の時代になってみれば、その点が残念な点です。
もう一つは、その法然の教えを、今の浄土宗がきちんと保持してきたかという点です。
徳川時代の安泰時の影響は、教義よりも習俗などを優先し、
浄土宗では、教えがおろそかにされ、あまり法を説かれなくなってきたのではないでしょうか。
浄土宗の葬儀や法事に何度か出ましたが、法は説かれませんでした。
浄土宗全書を作り宗派で法然の教えを整理した時も、
文献によっては真宗から資料の提供を受けたものがあったと聞いたことがあります。
法然の教学として、きちんと守り伝えてこなかったことも原因でしょう。
近年は、法然教学をきちんとしようという傾向が見られますので、
それにより、全国の浄土宗の寺院が、法然上人の教えを学ばれるよう期待します。
827 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:33:04
>>819 > また、行と言うと真宗の多くの方は自力だと言って否定されますが
> 行=修行ではありません。行とは行いの事です。行に偏ったのが浄土宗、信に偏ったのが
> 真宗と言う方もあるかと思いますが、信と行とは一致したものです。
おそらく、このあたりが、真宗と浄土宗の一番のポイントでしょう。
仏教の文脈で「行」という言葉を使えば、さとりのための「修行」と理解されます。
ましてや、念仏は「修行」としてもとらえますから、そのあたりが難しいところですね。
阿弥陀仏の本願による救いが成立した後の念仏の意味が問題となるわけですが、
真宗でもその念仏を「報恩行」と表現しますから、同じ事を言っているのかもしれません。
法然上人の教えについては問題はありませんが、
現実の浄土宗の各寺院、各僧侶のあり方を見ますと、
教えに基づく信をともなった念仏なのか疑問を感じることがあります。
時々、浄土宗・称名念仏というスレッドを見ますが、
そこに書き込まれる内容を見るにつけ、今の浄土宗の教学がどうなっているのか、
少々、不安になります。
828 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/07/31(日) 21:34:22
浄土宗スレでは、住人の浄土宗僧侶ケチャップ師が、とんでもない自説を開陳なさっていますが、浄土宗・浄土真宗各派問わず、皆様どうお考えになりますか?
東本願寺・大谷祖廟
8月1日=真城義麿・大谷中高校長「捨てられず捨てず」
2日=戸松政憲・福万寺 前住職「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の宗教」
3日=村永行善・浄土真宗本願 寺派総務「仏様のおこころをいただいて」
4日=片山寛隆・相願寺住職「転換−後悔すべからず」
5日=安原晃・真宗大谷派参務「見えるもの見えないもの・見える こと見えないこと」
西本願寺・大谷本廟
8月6日=武田昭英・浄土真宗本願寺派総務「朝(あした)には紅顔ありて」
7日 =大竹輝道・同派布教使「仏さまと私」
8日=竹田恵示・真宗大谷派参務「人と生 まれて」
9日=上山大峻・同派教学伝道研究センター所長「みんなちがって、みん ないい」
10日=橋本明宣・同派布教使「たすけられまゐ(い)らせて」
永観堂禅林寺
8月1日−3日、五十嵐隆明・同寺法主の法話。
1日=「宗祖の念仏信仰」・2日=「上人をめぐる人びと」・3日=「最期の教え『1枚起請文』」
天龍寺
7月26日=佐々木容道・天龍寺僧堂師家「雪峰の是れ什麼(なん)ぞ」
27日=平田精耕・天龍寺派管長「趙州の石橋とりゃくしゃく」
東福寺
8月2−4日=福島慶道・臨済宗東福寺派管長「法句経禅話」
知恩院
7月27日=漫才師・内海桂子さん「転んだら起きればいいさ」
28日=古美術鑑定家 ・中島誠之助さん「『目利き』の人生談議」
29日=臨済宗大徳寺派大仙院・尾関宗園住職「高き志と厚き心」
30日=石丸晶子・東京経済大教授「面影びと−法然上人」
31日=鈴木超淳・知恩院布教師会長「人生”うけとめ方”」
830 :
仰天講座:2005/08/01(月) 14:55:44
今年も京都では暁天講座の季節です。
各宗派の講師リストを見ると、毎年の事ながら浄土宗・知恩院の講師に目が行く。
各本山は、教えの神髄を説法しているのに対し、
漫才師や古美術鑑定家、他宗の観光寺院住職(一度行って辟易した)。
毎年、タレントやスポーツ選手を招いて人集めに熱心で、
一般人には、抹香臭くなくていいと評判かもしれないが、浄土宗の教えは5分の2。
浄土宗の本山が、肝心な法を説かずにどうする?
普段は教えを説くことが少ないのだから暁天講座くらい真面目にやってもいいのに。
こういうところに、今の浄土宗の問題点が見えるようだ。
831 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 14:59:10
>>829 > 西本願寺・大谷本廟
> 8月6日=武田昭英・浄土真宗本願寺派総務「朝(あした)には紅顔ありて」
> 7日 =大竹輝道・同派布教使「仏さまと私」
> 8日=竹田恵示・真宗大谷派参務「人と生 まれて」
> 9日=上山大峻・同派教学伝道研究センター所長「みんなちがって、みん ないい」
> 10日=橋本明宣・同派布教使「たすけられまゐ(い)らせて」
9日と10日の、同派は、浄土真宗本願寺派のこと。
毎年、一日は東と西の交流が行われる。
832 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/01(月) 18:18:30
>>828 自殺者の遺族に向かって「往生おめでとう」でしたっけ?
833 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 19:45:52
>>832 場合によっちゃあブン殴られても文句言えねえだろ。
人にはそれぞれ事情があるのだし、日頃、ろくに関わってもいない坊主が
「往生おめでとう」なんて抜かした日にゃあ、俺なら鉄拳食らわせるぞ。
835 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/02(火) 22:03:45
>>834 ネタなのか?
確か集中攻撃浴びてたぞ、けちゃっぷ。
836 :
けちゃっぷ:2005/08/03(水) 00:46:18
>>835 自殺しようとしている人には自殺をやめさせようとする。
しかし自殺してしまった人を責めてはいけない。われわれより一足先に人生を卒業したのだと思って、「おめでとう」と送り出してあげるべし。
遺族にというより、すでに自殺してしまった人に対する労りの気持ちを表現したまでです。
>>836 その場合の自殺してしまった人というのは、念仏して自殺した人なのでしょうな?
838 :
834:2005/08/03(水) 02:02:52
>>836 ケチャップの言ってることって、ぜんぜんまともじゃん。
それくらい人生を俯瞰する高度を持たないと、
何にも見えてこないよ>835
こいつのはただのネタだな>837
自殺をした人間は地獄に行って永遠に苦しむ、みたいな
死者にむち打つような葬式坊主よりもましだよ。
そういう宗派では自殺者にだす戒名も、
島おくりになった罪人の入れ墨みたいに特別になってんだろ。
839 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 12:49:34
>>838 > ケチャップの言ってることって、ぜんぜんまともじゃん。
どこがまとも?
自殺者に地獄に堕ちると責めることはないが、
誰に対して「おめでとう」と言うのか。
責任から逃れるために自殺をし、
その結果、残されて苦労を全部背負い込む遺族に、
「おめでとう」と言うのだろうか。
そのくらいの気持ちにならないと、何も見えてこないと、
悲しんでいる遺族に言えるのだろうか。
実際に経験したことがないのだろうな。
>>839 >誰に対して「おめでとう」と言うのか。
よく読め。書いてあるだろ。
841 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 15:54:57
>>840 > >誰に対して「おめでとう」と言うのか。
> よく読め。書いてあるだろ。
>836 自殺者に「おめでとう」と送り出してあげるべし。
というのは、誰に対する言葉なんだ。
送り出すのは遺族ではないのか。
その遺族に「おめでとう」と送り出してあげるべしと言っていることになる。
842 :
834:2005/08/03(水) 16:06:50
839には人間存在に対する懐の深い愛がないな。
843 :
834:2005/08/03(水) 16:08:06
っていうかもっと空気嫁
浄土教には自殺者が少なくない。
かの善導にも自殺説があるぐらいだ。
今生を離れ、急ぎ浄土におもむいて衆生を済度したい、
その気持ちも分からぬではない。
>844
たとえ
>今生を離れ、急ぎ浄土におもむいて衆生を済度したい、
であっても自殺はほめられたことではない。
今生を厭うあまり自殺してしまう、この世の苦しさに必死に耐えている人に
死んだらいいことおまっせ、と首吊りの足を引っ張る可能性をもっているのが
浄土教系の危険なところ。
なお、けちゃっぷのおめでとう発言はネタではない。浄土宗スレで実際にさんざん
叩かれた発言だ。
846 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 17:14:54
>>842 > 839には人間存在に対する懐の深い愛がないな。
現実に自殺した遺族に接したことのない、
おめでたい人間の「おめでとう」が深い愛?
「ごくろうさま」で充分じゃないか。
自殺に対してどうして「おめでとう」まで必要がある?
>>846 >自殺に対してどうして「おめでとう」まで必要がある?
往生したと思ったから、「おめでとう」でいいんじゃない。
地獄に堕ちたと思うならそうは言えない。それに、
けちゃっぷは、遺族に対して言っているわけではないと思うよ。
>847
君、ひょっとして坊主?
坊主を職業にしてしまったために人の死というものに対する感覚が
おかしくなってしまったのではない?
>っていうかもっと空気嫁
だってよ
バカじゃねーのコイツ
ただ周りに流されてるだけのカスは
祭スレでワイワイやってろよ
850 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 19:44:16
>>847 > けちゃっぷは、遺族に対して言っているわけではないと思うよ。
「おめでとう」と言って送り出してあげるべし。
というけちゃっぷの言葉は誰に向けたものなのか。
自殺者を「送り出す」のは、誰なんだ。
スネ夫くんが独りでへばりついてるな。
852 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 20:22:44
結論としては、浄土宗のお坊さんなら自殺にはおめでとうというべき、でOKでしょうか?
>852
釣るな。ダメにきまってるだろ。
池沼は相手にするな、って。
855 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 21:48:34
浄土宗では
自殺=めでたい
856 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:08:22
>>852 全国標準で浄土宗僧侶は自殺者に「往生おめでとう」でFA。
857 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:13:47
FAてなぁに!?
858 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:23:18
>>836の言い方では、
強姦された後、惨たらしく殺害された人にも「おめでとう」と言いそうな感じですね。
859 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:25:11
急にわいてきたウジ虫どもはただのアラシ。
餌をあたえず、完全スルーでいきましょう。
虫には無視がいちばん効果的。
みんな明日はわが身なんだけどね。
自分だけは特別な人間だと思い込んでいるのかな。
862 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 22:47:26
惨たらしく亡くなっても「おめでとう」
異論を唱えりゃ蛆虫扱い
耳をふさいでいるのか詰まっているのか
声など届きやしない
人の気持ちを分かろうとしない人には
浄土宗が最適ですね
基本的な質問で申し訳ありませんが、
仏教の考え方の中に、霊は存在しますか?
865 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:32:18
まじFA教えてm(__)m
866 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:33:55
867 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:35:51
けちゃっぷの文言は浄土宗の教えではありませんから、
誤解しないでね。
布教師会会長クラスの著作でも読んでください。
868 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:37:10
けちゃっぷをいじめるな!
869 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:40:15
. §
,§、 プラーン
,ー./ハ,§
〈:://二§_
/ヽ ヽ ヽ
|:: |::.. | |
. |:: |:::. | |
〈:: 〉:: | / |
. |:: |:: l |
. |:: |____∧_,|
(((〈::: _ / /)
|:::: |:: |
|:::: |:: |
. |:: =|::: =|
|:::: |:: |
. |::: ||:::: |
|__,||__|
/::__) /::__)
/ / /ノ,/ ))
~^~ ~^~
____ 往生おめでとう!
870 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/03(水) 23:44:34
>>864 法然上人のお言葉に「魂」という言葉でてくるよ。
季節に因んだお経では
『仏説救拔焔口餓鬼陀羅尼経』で焔口餓鬼という霊魂が現れるし、
『盂蘭盆経 』では餓鬼道に落ちた目蓮尊者の亡母の霊魂の話が説かれているよ。
871 :
けちゃっぷ:2005/08/04(木) 00:17:43
872 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:19:36
>>870 > 法然上人のお言葉に「魂」という言葉でてくるよ。
どう述べられているのか、お教え願いますか?
>>867 当たり前でしょうに。
彼の勝手気ままな解釈でしょ。
874 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:21:59
875 :
けちゃっぷ:2005/08/04(木) 00:24:32
仏教の下地がないうちに自殺者の遺族になってしまった人に、面とむかって「おめでとう」と言っても理解されないでしょう。
しかし、遺族が何か救いを求めて本など読んだ場合は、主体的に新しい考え方を求めているので、そこに「おめでとう」が書かれてあったら、「そうか、そういう考えもありかも」と思えるかもしれません。
まぁ、僕の書き込みは、まだ自殺者の遺族になっていない人に読んでいただけたらと思いました。あらかじめ思想や信仰の予備知識があれば、いざそうなった時に自分から「おめでとう」を出力できる。
事件のあとにいきなり言い聞かされたのでは、理解しにくいでしょう。
>>864 一般に言われている、霊魂のタタリというような意味での霊魂は、
仏教で説かれていませんね。ただ、真言は言うかも知れません。
宗派を問わず、その基本となる仏教では、他の宗教とは異なる、
仏教の三つの特徴が、三法印という形で説かれています。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つですが、
そのなかの諸法無我は、実体として存在し続けるものは何一つないと説きます。
ほとんどの宗派は、その意味で不滅の実体としての霊魂の存在は否定しています。
877 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:28:36
878 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:32:52
>>872 本堂に法然上人法語本置いてるから、
明日、レスするね。
ごめんね。
879 :
けちゃっぷ:2005/08/04(木) 00:33:24
>>877 世俗一般の感覚を消すのが仏教の理想です。
880 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:34:39
>>875 現場を知らんから気楽なことも言っていられるのだろうけどね。
理解されないどころか張り倒されるだけ。
残された遺族の明日からの生活はどうなるわけ?自殺者を出した家ということでいろいろな
マイナスを被るわけだよ。
そういう中から立ち上がっていかなければいけない人たちに往生を説いても、おまえさんが
期待するような受け取りはされない。
>あらかじめ思想や信仰の予備知識があれば、いざそうなった時に自分から「おめでとう」を出力できる。
そりゃ、最初から観念論で凝り固まってる人間だけ。
>>880 確かに「おめでたい」なんて思う以前に明日からの生活だわな。
その点、葬式坊主は気楽でいいや。
882 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:45:16
けちゃっぷは、自殺者の遺族に実際に接した経験はあるの?
883 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:45:45
>>879 それで日常生活がおくれるのか?カルト坊主だな。
884 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:46:52
自分から「おめでとう」を出力できるほど、1つ1つの死は軽いもんじゃないのだが。
そもそも往生したこともない人間が、それが「おめでたい」だの何だのと能書き垂れたところで
まるで説得力なんざありゃしない。
自分はそのように受け取っているのですが、、、ということしか言えないはずなのだが。
ホント、おもしろいね。この人は。
885 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:53:05
>>883 世俗一般の感覚を消しているわりには不淫戒を平気で破る似非坊主。
886 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:54:00
前にもカルト坊主に会ったことがあるな。
散髪屋してて、葬式が好きなので勧められて僧の資格とったと言ってた。
アルバイトで葬式出ているそうだが、仏教のこと何も知らずびっくりした。
言うことが結構オカルトで、その人も浄土宗だった。
浄土宗って、カルト坊さんを生む土壌でもあるのかな。
幼くして死んじゃった子供は、
あまりにも徳が低いから早死にしたです。
自殺しちゃった人は、徳をつんでいなかった為に
自分で自分で殺生するようなことしたんです。
往生?そんなんできるわきゃねーよwwwwwww
ていうか、餓鬼畜生からやり直しだからm9(^Д^)プギャー
って言うのはどうですか?
卒業おめでとう!がアリならこれもありでしょ
>>882 あるわけねえって。
僧侶とか言ってるが、その実は田舎役場の小役人だからな(w
889 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 00:56:41
>>887 そうだな。
乳児の突然死なんていきなり卒業かよ!?ってことになる。
そもそも「卒業」という概念自体がおかしいようにも思う。
890 :
けちゃっぷ:2005/08/04(木) 02:02:13
生命の「命」は使命の「命」です。このよにつなぎ留める因縁である寿(いのち)が尽きることは、使命を果たし卒業することです。
891 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 02:08:04
>>876 >ただ、真言は言うかも知れません。
言わないんだな、これが。
892 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 02:14:26
>>890 言葉遊びはやめたら?説得力ないよ、全然。
>>891 > >ただ、真言は言うかも知れません。
>
> 言わないんだな、これが。
天台宗や日蓮宗は霊のタタリを言うようですね。
高野山の真言宗は、霊魂は実体をもった存在だとは言うけどタタリまでは言わないね。
密教系の新宗教なのかな、霊のたたりを盛んに言うのは。
真言宗の醍醐寺から生まれた新宗教はよく霊感商法に使いますね。
894 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 08:40:49
>>872 あたりだったかな、
法然上人が「たましい」という言葉を使われている法語を
しりたいという問い合わせをしてたカキコは?
(人大杉で過去レス読めないからスマソ)
総本山知恩院蔵版「元祖大師御法語」(上)二十二章
「それ、あしたに、ひらくる、栄花は、ゆうべの、風に、ちりやすく、
ゆうべに、むすぶ命露は、あしたの日に、きえやすし。
これを、しらずして、つねに、さかえん事を、おもひ、
これを、さとらずして、久しく、あらん事を、おもふ、
しかるあひだ、無常の風、ひとたびふきて、有為のつゆ、ながく、
きえぬれば、これを曠野にすて、これを、とほき山におくる。
かばねは、つひに、こけのしたに、うづもれ、
『たましい』は、独りだびのそらに、まよふ。
妻子眷属は、家にあれども、ともなはず、
七珍萬宝は、くらにみてれども、益もなし。
ただ身に、したがふものは、後悔の涙なり。
ついに閻魔の聴に、いたりぬれば、つみの浅深をさだめ、
業の軽重を、かんがえらる。
法王罪人に問うていはく、なんぢ仏法流布の、世に生まれて、
なんぞ修行せずして、いたずらに、帰りきたるやと。
その時には、われら、いかがこたへんとする。
すみやかに、出要を、もとめて、むなしく、
三途に帰る事なかれ。」
というご法語に「たましい」という言葉でてくるよ。
ア〜、カキコするの疲れた。
895 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 09:00:50
「たましい」以前に、肉体も実体ではないからね。でも日常生活では「お身体をたいせつに」などと言う。
仏教者が「たましい」という言葉を使う場合、それをゆるぎない実体だとは思っていないでしょう。「手をケガした」と言っても、自分の手がゆるぎない実体だとは認識していないでしょう。
896 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 09:40:15
>>895 あんた、懐疑主義者か?
まともな思考ができなくなるぞよ。
897 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:39:46
>>896 法然さんほどの学僧が、「たましい」を実体視していたとは考えられなかったので。しかし魂が無いとは言ってない。
有るのでもなく無いのでもないのが、「空」ですもんね。
>>894 これ聖覚が書いたと言われる登山状の一部じゃないの?
この美文調は少なくとも法然ではないと考えられている。
899 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 10:59:33
>>898 宗教というのは、
教祖一代、宗祖一代にして成らずということと
受け止めていいじゃなかろうか?
900 :
864:2005/08/04(木) 14:05:12
霊について最初に質問したものですが、
たくさん教えていただきましてありがとうございます。
多くの浄土系仏教者にとり霊的は実体的存在ではない、
というふうに受け取ってもさしつかえないようですね。
であるとすれば、死者に対する祈りの方向性というのは、
彼岸の霊に向かうのではなく、ましてや此岸の霊でもなく、
あくまで現世を生き抜いた故人の来し方全体に対峙して、
感謝と畏敬を表明するもの、と判断して良いでしょうか。
実は昨年9月に逝った父親の新盆をもうじき迎えますが、
私たちの住む田舎では、霊が戻ってくる時に迷わぬよう
軒先に提灯を高く掲げたり、仏間に法名を書いた提灯を
たくさんぶら下げたり風習があって、大半の浄土系の
家族であっても、それをしないと罰当たりと看做される
とても強い同調圧力が働いているので頭を痛めています。
しかたがないので、口うるさい親戚を牽制する策として、
お盆の間だけお内仏の中に法名軸を掲げることとして、
集まってきたたくさんの提灯類は、仏間の廊下にでも
吊っておきまして、来客のない時には障子を閉めておく、
という方法で、この期間をやりくりしたいと思います。
お盆には霊が帰省してくるという考え方をする宗派が、
あんがい多いので、嘆息してしまう今日この頃。。
合掌。
>>900 この時間から酔っ払ってるのはヤバイと思う
902 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 17:30:48
>>900 その考え方で充分、浄土教の主旨にあっています。
なにも問題はありません。
903 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 17:48:27
>>900 小生は
貴方の「霊」についての受け取り方では浄土経の教えとは
異なると思います。
浄土教では、「阿弥陀仏」「西方極楽浄土」の実在を説かれています。
平易に言えば、「あの世」も「霊」も実在します。
浄土教の供養は、亡くなった方の極楽往生を願うことと、
我々自身が浄土の教えに出会う、死者と生者の両者のためにあるものです。
904 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:04:49
>>899 祖師ともう1人いないと宗教にならんですからね。
905 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:17:33
906 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:23:22
903です。訂正です
亡くなった方の極楽往生を願う ⇒ 亡くなった方の魂の極楽往生を願う
我々自身が浄土の教えに出会う ⇒ 我々自身が浄土の教えに出会う縁を頂くこと
死者と生者の両者 ⇒ 死者の魂と生者の両者
907 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:25:08
>>906 あのー、どうせなら書き直しちゃって下さい。
908 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:31:16
909 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:52:36
910 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:55:21
>>910 そりゃそうよ。本尊(わかるかな?)を礼拝してるんだからね。
911 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:57:14
疲れで番号まちがえた。我ながら笑える ははは。
912 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 18:58:58
>>910 で、檀家が本尊を礼拝しなくてもOKと?
913 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 19:16:56
>>903 > 小生は
> 貴方の「霊」についての受け取り方では浄土経の教えとは
> 異なると思います。
> 浄土教では、「阿弥陀仏」「西方極楽浄土」の実在を説かれています。
> 平易に言えば、「あの世」も「霊」も実在します。
浄土教は実体的な霊魂の実在を説きません。
>900 で何も問題はありません。
914 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 19:34:26
>>913 それは貴方の私見です。
浄土教は、
我々凡夫の魂が
阿弥陀仏の救いによって極楽に往生できることを伝える教えです。
平たく簡潔に言えば、あの世と霊魂の救済の教えです。
間違いありません。
915 :
けちゃっぷ:2005/08/04(木) 19:56:24
>>914 ただし前提として、「実在するもの」はすべて空ですけどね。我々の肉体も空です。「体」と名付け認識する者にとっては有るように思えるだけ。
たとえばアリにとっては一人一人の人間を個体として認識しついないかもしれない。ドスンドスンと地面に降ってくる肉の固まり、雨のような自然現象にしか感じていないかも。だからアリにとっては人間の身体は存在しない。
>914
君の見解は浄土教は仏教ではない、ということを暗默の前提にしていると見受けるが
それでいいか?
原始仏教以来、仏教は霊魂の実在を一貫して否定している。
仮に輪廻(あるいは死後の世界)を認めるような表現をしている場合であっても、霊魂の
実在性だけは否定する。
詳しくは原始仏教スレを見られたし。
917 :
916:2005/08/04(木) 20:15:46
>914
君の浄土教理解が無茶苦茶であることも付言しておこう。
>平たく簡潔に言えば、あの世と霊魂の救済の教えです。
ではない。いかに死ぬか、それを説くのが浄土教だ。
918 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 20:19:29
>>916 「何らかの霊性を感じる」ということはあるんじゃない?
といっても、それはどこまでも受け取り側の表現としての霊性なのだけど。
願望に近いものとしてね。
919 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 21:53:06
>>916,917
浄土教は、凡入報土が目的なんだ。
君こそ、
仏教学者気取りで原始仏教を定規に使って
不可思議な世界を計ろうとしている誤りをおかしている。
浄土教の目的は逝前念仏して死後に魂が救われることだよ。
920 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 21:54:24
>919
君のいう魂は霊魂のことでいいね。
そういう存在は仏教という宗教では一切認めない。
世間的な言語表現として使用することはあっても、その実体の存在を
認めることは決してない。
君が脳内妄想ででっちあげたコトが仏教であるというのではないのだ。
したがって、
>浄土教の目的は逝前念仏して死後に魂が救われることだよ。
なんていう妄言は嘘八百。顔を洗って三回回ってワンとほえてでなおしてこい。
922 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 22:08:29
>>921 高慢野郎だな。
別時念仏一日3時間、3年間続けてみなさい。
>922
人に要求するからには君はやったのだな?
924 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 22:13:43
>>923 ほぼ、やったよ。
念仏信仰は正に霊性、感性の世界であることを体感した。
君も実行してみなさい。
>924
ほほう。個人の経験を尺度に物事を判断する兆候が君には現れていますね。
妄想と真実との区別はついているのかな?
一度、自分の言動を洗いなおしてみることをおすすめします。
926 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 22:24:42
>念仏信仰は正に霊性、感性の世界であることを体感した。
( ´,_ゝ`)プッ 何を寝惚けたことを言ってるのやら(w
>924
しかしなぁ、あんたのそういう発言は法然上人の念仏の勧めと真向から対立する
ものだということに気がつかんのかね。
928 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 22:31:53
>>925 浄土教の目的は凡入報土。
それは、魂が救われるための教え。間違いなし。
性格悪そうだね。
君の根性が苦手なので、これでバイバイ。
929 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/04(木) 22:33:54
>>928 あらま、勝手に自説に固執したまま去って行ったよ。
大丈夫かね、この人。
結局なんだったのかね?
凡入報土の意味わかってたんだろうか?
他人に迷惑さえかけなきゃ何を信じようが勝手だが、
適当なことをほざいたままで後始末もつけようとしないというのは
糞の垂れ逃げだな。
原始仏教に限らず、
現在の日本における仏教各宗派は、
ほとんどが、実体的な霊魂を認めてはいません。
霊魂のような変わらぬ実体を認めるなら、
諸行無常や、諸法無我や、縁起や、空など、
仏教の根本的な教義に反します。
>>932 だから霊と魂と分けて考えろってーの。
日本人は霊魂とひとくくりにするから話がややこしくなる。
>933
おいおい、どうややっこしくなってるんだ?
>>894 > 総本山知恩院蔵版「元祖大師御法語」(上)二十二章
> 「それ、あしたに、ひらくる、栄花は、ゆうべの、風に、ちりやすく、
> ゆうべに、むすぶ命露は、あしたの日に、きえやすし。
> これを、しらずして、つねに、さかえん事を、おもひ、
> これを、さとらずして、久しく、あらん事を、おもふ、
> しかるあひだ、無常の風、ひとたびふきて、有為のつゆ、ながく、
> きえぬれば、これを曠野にすて、これを、とほき山におくる。
> かばねは、つひに、こけのしたに、うづもれ、
> 『たましい』は、独りだびのそらに、まよふ。
> 妻子眷属は、家にあれども、ともなはず、
> 七珍萬宝は、くらにみてれども、益もなし。
> ただ身に、したがふものは、後悔の涙なり。
> ついに閻魔の聴に、いたりぬれば、つみの浅深をさだめ、
> 業の軽重を、かんがえらる。
> 法王罪人に問うていはく、なんぢ仏法流布の、世に生まれて、
> なんぞ修行せずして、いたずらに、帰りきたるやと。
> その時には、われら、いかがこたへんとする。
> すみやかに、出要を、もとめて、むなしく、
> 三途に帰る事なかれ。」
>
> というご法語に「たましい」という言葉でてくるよ。
>
わざわざ、ありがとうございました。
しかし、別の方も指摘されておられますが、
どうも、これは法然上人の文章ではないように思います。
文体もそうですが、内容的にも、後の時代に浄土宗のなかで出来たものでしょう。
七珍萬宝や、閻魔など世間の宗教観にあわせたものではないですか。
ただ、ここにある「たましい」は、問題になっている実体的な霊魂とは違うように思います。
936 :
けちゃっぷ:2005/08/05(金) 01:10:06
「たましい」が往生するなんて、お経には書いてないですよね。この世で念仏者が一人死ぬと、極楽に菩薩が一人生まれるのです。
「いのち(因縁)」のバトンタッチは行なわれるけれど、不変不滅の「たましい」が有るわけではない。
>>894で言う「たましひ」は中陰のことですね。
死んだ後、次の生が決まるまでの中間の状態で、人間ならばだいたい五、六歳の幼児の姿をしているけれども、
微細で肉眼では見えないとされている。
>>934 仏教はドイツに渡って精密に再構築されていますね。
魂はジーレ、霊はガイストと、きちんと区別してる。
中国経由で、そして日本の土着的な信仰と合体した
日本の仏教のほうが、わりとノイズが多い気がする。
900で書いたことは実際わが家で懸案のことですが、
864を問いかけたのは、このスレを荒らしてる方の
見識がなへんにあるのか、探りを入れたかったため。
民衆の迷いを解くのが僧職者の仕事かと思いますが、
逆に混乱させてしまうケースが多かった理由なども
なんとなく判ってしまい、暗澹たる思いがしました。
でも>902、>913、>916を見て、安堵しました。
939 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 04:24:10
>>936 >この世で念仏者が一人死ぬと、極楽に菩薩が一人生まれるのです。
出ましたね、神秘主義が。
940 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 08:20:26
>>938 人間が自然界を理性的に認識しようとする時、
データに存在するノイズの扱いが非常に問題になるが、
昨今の科学的研究によるとそのノイズに重要な意味が
潜んでいることが常識となりつつある。
人類文化の成り立ちも自然界の法則を外れてなりたっているわけではない。
日本仏教が土着的信仰と混教交流してノイズのように見える部分が
あっても決して軽んずるべきではない。
941 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 08:40:28
>>938,940
どっちにしろ932は勉強不足だな〜。
輪廻の本体として「魂」が認識できないから「無記説」な訳であって
死後の人格・キャラクターである霊とは区別してもらわないとなあ。
>941
わしゃ独逸語は知らんが、あんたのいうところの魂と霊の使い分けは
特定の業界では常識なんですか?
943 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 08:54:19
>>942 霊と魂の違いが無いのですか?
貴方の考えが逆に聞きたい。
>943
もちろん使い分けはありますよ。もう一つ「鬼」も加えて区別しないといけない場合もある。
漢語のコンテキストでは漢字の語義は当然違いますし、
国語の文脈なら、「たましい」「こん」、「れい」「りょう」で使い分けますね。
>941の質問の意図は、「魂」=輪廻の本体、「霊」=死後の人格・キャラクター
という使い分けがなされている業界はどういうところですか?という問い。
Seele と Geist の訳語として二つの漢字を使い分ける、というのならわからんでもないけれど、
インド選述漢語訳の仏典や、中国選述の仏典や同じく中国の古典、あるいは我が国の
種々の文献でのこの漢字の使い分けはそのように限定はされていないし、相当のブレがある。
945 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 09:20:06
>>941 「我(私・自分)」も認識できてるのか本当に?。
結局、ことば遊び、
通俗的に「魂」と語っても「霊」と語っても「霊魂」と語っても、
人間が死を迎えたときに、人間に潜在する何かが
「ほどけ」て、「魂」とか「霊」とか「霊魂」とかと呼ばれる
ものがどこかに救い取られるという人類共通の信仰が浄土経の基盤にもある
そのノイズの如き、浄土教の基盤を切り取ってはいけない。
946 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 09:39:53
>>941 932が勉強不足なんて言ったけど、
信仰の世界を学問で解釈しようとしてる現れじゃないか?
932は、信仰を学問として受け取っていないはずだよ。
若いだろうに、別時念仏をよくつづけたものだ。
>946
>932って、浄土教が感性や霊性の世界とかほざいたバカと同一人物なの?
ああいうのは一人で狂ってしまうのはどうしようもないが、他人を巻きこんでしまうから
害毒なのだ。
948 :
947:2005/08/05(金) 09:47:49
>947は誤爆でした。スマン
>932の発言は基本的に正しいですよ。>946はなにか勘違いしてませんか?
949 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 10:29:45
>>946 >932 は、信仰の問題ではなく、仏教を学問としてみても正しい見解です。
念仏の行者は空にも唯識にも執着しない。
ただ犀の角のように、ひとり念仏の道を歩け。
別時念仏をすると気が狂うのですか。くわばらくわばら
>951
別時念仏それ自体で狂うなんていうことはない。
別時念仏をして、何かわけのわからん体験をして、それを絶対だと思い込んでしまうと狂う。
けっきょく仏や菩薩が現れたとかの神秘体験を有り難がるような心が、狂気の源かも知れませんね。
何事にも執着せず平常心、捨の心が大事なのかも。
>953
後半についてはノーコメントですが、前半は仰るとおりですね。
神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
が強く働く場合が多いと思います。
>>954 なんでノーコメントなんですか?
じっさい別時念仏してて、思いも掛けず仏や菩薩が目の前に現れてしまったらどうするんですか?
そこで「ああ、そうかい。気にしない気にしない」と平静の念を保てるかどうかが、気が狂うかどうかの分かれ目じゃないですか。
だとしたら、こういう修行という非日常な行為をする誰もが知っておくべき、非常に大切なことではないですか。
956 :
けちゃっぷ:2005/08/05(金) 20:20:21
念仏して気が狂ったとしたら、それは僕にとって狂うべき時だから狂ったのでしょう。念仏で往生できるんだから、狂っても狂わなくてもたいした問題じゃないですよね。
>>956 それだと蛇のいる竹藪にわざわざつっこんで行きながら、「蛇に噛まれたら噛まれたで仕方がない」と言ってるような
もんじゃないですか。
避けようがないものなら仕方がないが、修行者なら当然心得ておくべき心構えもせずに「狂うべき時だから狂ったのだ」
では、人を魔道に導いてるようなもんですね。
958 :
けちゃっぷ:2005/08/05(金) 20:49:53
>957 すべてを阿弥陀さまに預け委ねるのだから、すべてお任せすればよいのです。狂うべきじゃないのに狂いかけたとしたら、阿弥陀様がちゃんと助けてくれますよ。
>>954 >神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
>が強く働く場合が多いと思います。
んじゃあ、真宗が肉食妻帯の理由としている夢のお告げはインチキつー事じゃん。
>>958 横断歩道を渡ったりするのも、すべて阿弥陀まかせですか。行住坐臥、気をつけるということがないのですか。
961 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:00:56
>>959 「夢」の意味合いが当時と現在では大きく違っているわけですが。
962 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:19:54
>959
真宗のって、あの観音さんが絡んでくるやつ?
親鸞が死ぬほど悩んだことと、突き倒しと同列に並べたらいかんぜよ。
浄土宗だって経巻解釈の正当性は善導・法然の神秘体験に基づく。
だが、宗祖のそれと現在の宗侶や檀信徒のそれを同列に見るわけにはゆかない。
後者がおのれの神秘体験を尊重して宗祖の言葉に違う考えをもつのなら、
所属宗派を離れて新興宗教を興すべし。
963 :
けちゃっぷ:2005/08/05(金) 22:34:29
>>960 念仏してる時のことを言ってたんじゃないですか?
横断歩道渡る時は気をつけます。ただ、気をつけてても車にひかれる場合もある。それは阿弥陀仏にまかせればよい。
964 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/05(金) 22:37:01
>>963 じゃあ、阿弥陀様におまかせして赤信号渡って来なさい。
>>963 横断歩道を渡ったりする時、車にひかれないよう、気をつけますね。当たり前ですが。
同じように修行をしている時も、気をつけなければいけませんね。
横断歩道の時は気づきが外に向いていますが、修行の時は内に向きますね。
人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)は仏、菩薩、聖者という形を取るかも知れないし、
魔、鬼、あるいは光、音、痛、快として現れるかも知れない。
どんな神秘体験が現れるにせよ、それに執着せず平常心を保つことが大切ですね。
念仏修行して気が狂ってしまった御仁も、この修行の基本の所を教えてもらっていなかったから
魔道に堕ちてしまったのかもしれません。浄土系の宗派ではこういうことは注意されていないのでしょうか。
>>961 >「夢」の意味合いが当時と現在では大きく違っているわけですが。
どう違うのか詳しく説明キボンヌ。
+ +
∧_∧ +
(0゜・∀・) ワクワクテカテカ
(0゜∪ ∪ +
と__)__) +
>>962 >真宗のって、あの観音さんが絡んでくるやつ?
>親鸞が死ぬほど悩んだことと、突き倒しと同列に並べたらいかんぜよ。
神秘体験をありがたがるというのは、人間の心の負の部分(欲望、無知、虚栄心etc.)
が強く働く場合が多いと思います。
(これがそのまんま現代の浄土真宗の坊さん連中に当てはまるんですがw)
日常生活は自力、念仏は他力。
自力の念仏などしているから魔道に堕ちる。
>968
またわけのわからんことをいいだす(プゲラ
念仏は念仏。自力も他力もあるかい。どうじゃこうじゃとうじゃもじゃぬかすな。
往生の得否を決めるのはあんたでも誰でもない、阿弥陀仏じゃ。
970 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 00:26:31
ウダウダぬかさず、念仏するって素晴らしいことじゃないか?
至誠心、深心、回向発願心、自然に備わってくる。
971 :
けちゃっぷ:2005/08/06(土) 01:05:01
>>965 なるほど。
念仏は神秘体験が目的ではありませんからね。念仏三昧を目的とした自力の念仏ではありません。
972 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 01:47:44
>>966 西郷信綱の『古代人の夢』などの研究にもくわしいが、古代から中世にかけては、
自分で考えたことより、夢の中で異界からのお告げとして得たものが真実と見られていた。
人生で問題を抱えた時、その答えや方向性を求めて、観音寺院に一定期間籠もることが、
よく行われ、参籠といって、歴史にもよく出てくる。
親鸞が百日の参籠を行ったのは、比叡山での二十年の修行でも自分の求めるものを得られず、
山をおりて観音寺院である、六角堂に籠もり、九十五日目に夢の中で観音のお告げを得た。
神秘体験ではあるが、お告げの内容自身は当時の覚禅鈔の内容と酷似しており、
意識下にあった内容が夢として現れただけのようだ。今の夢と同じ。
夢告の内容は、結婚生活をしても浄土往生がかなうという内容であったが、
その夢を見てすぐに起こした行動は、法然のもとへ向かうということであった。
おそらく、破戒となる妻帯をした民衆でも念仏だけで救われるという、
法然が当時説いていた専修念仏の教えこそが、夢告で示された道だと思ったからだろう。
ただ、古代からの夢告と親鸞の夢告の大きな違いは、
その夢告の内容を確かめるために、法然のもとへ通い、納得するまでに百日をかけた点。
それまでの夢告のお告げというのは神秘体験として、絶対的なお告げであった。
いずれにしても、その体験は本願の教えに出会う前の経験であり、
新宗教の教祖が唐突な神のお告げをうけたというような神秘体験とは異なり、
中世においては、一般に認められた方法であった。
973 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 02:32:05
吉水へ行け!と言われたから法然とこ行ったんだけど
それに結婚生活の話なんかの夢告じゃないしー
夢見たくらいで、きちがい扱いですか
大げさな
夢の話もしちゃだめなの
ただの話題ですよ、話題。
>>967 ご自身は何の欲も、負の部分もないのでしょうね
>>972 長々書いてる暇があったら修行しとけ
どっちにしろ最後は念仏しようという腹があるから
浄土スレに粘着してるんでしょうね
芯に慈悲心のないのが難しいこと長々のべるのが仏教なら
何教でもいいんだっちゅーの、一般庶民は。
979 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 08:58:42
>>973 > 吉水へ行け!と言われたから法然とこ行ったんだけど
> それに結婚生活の話なんかの夢告じゃないしー
そりゃあ何かの聞き違い。浄土宗ではそうなっている?
当時の経験をくわしく聞いた奥さんの恵信尼の手紙が、
自筆でちゃんと残っている。
親鸞の死を見とった娘が、浄土往生したのか不安に思っていた。
その手紙に対する返信で、いきなりこの話が出ているから、
親鸞は浄土往生への不安が比叡山では解決できなかったので六角堂参籠をし、
夢告では、その解決への示唆をえたと思われる。
参籠をした六角堂の観音の本地は聖徳太子だと考えられていたから、
家庭生活をもった仏教者であった太子の生き方も、関係あったと考えられている。
980 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 14:14:09
吉水へ行けと明言したんだよ
そんでもって観音さんが玉女としてセックスしたげると言った
だから親鸞は奥さんになった恵信尼を観音さんとして大事にしたんだにゃ
981 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 14:53:12
982 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 16:22:37
なにみたらょぃかにゃ?
983 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 18:47:02
>>976 反論にもならないそんな皮肉はいいから、ちょっとは真宗が常日頃「迷信を排斥する」
と言ってるんだから夢のお告げが迷信でないということを論理的に説明してくれよ。
984 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 18:59:50
ROM の訪問者の方々へ
浄土教のお坊さんもいろいろと迷いながら、
これからのお坊さん像を模索中なので、
幻滅などされず、暖かなまなざしで見守ってください。
985 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 19:39:37
ほふねんさま
987 :
神様:2005/08/06(土) 21:58:05
代理あげ
988 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:12:20
>>986 それならはじめから神秘体験否定すんなや。
マッチポンプが好きなのにも程がある。
既成教団の名前にあぐらをかいて、構成員のおつむは
オウムやアゴンシューとかわらないカルトの外基地。
いいかげん、自分のバカさ加減にきづけよ。
バカだから気がつかないのだ。それに今、気付いた。989は言うだけムダだな。
991 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 22:40:06
法然上人は、三昧発得して以来の数々の神秘体験を
死期が近付いて初めて語ったという。
昔から、こういった件に関しては口を慎むべきなんだろうな。
そういえば、けちゃっぷが、夢で阿弥陀如来さまに対面した話を
浄土宗のスレで語っていたな。
992 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:05:37
>>988 今のオカルト風の神秘体験とは意味が違いますね。
体験そのものを絶対視するのか、そこに論理を必要とするのかの違いですね。
993 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:07:39
>>991 法然のあれは、本当に史実だとされているの?
文献的にはどうなんだろうね。
994 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:15:10
浄土宗二祖聖光鎮西上人の法語には、
見仏を所期(目的)とする。
また、要偈でも
往生浄土 見 尊体(阿弥陀仏)とあるしな。
浄土宗では、仏を見奉ることは大変栄誉なことなんじゃないの?
仏の姿を見て喜んでどうするの?
単に自分の記憶や深層意識に焼き付けたイメージを見ているだけかも知れないのに。
修行が進んで深まっていく途中で、たしかに見仏体験のようなものがあるかもしれない。
だけどそんなことに一喜一憂していれば、修行がゲームのようになってしまう。
神秘体験が目的になり、悟りへの修行はそこで止まってしまう。
何が起きても、その起きていることに気づきながら、平常心を保つことが大切だ。
996 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/06(土) 23:46:05
鎮西上人は
不離仏、値遇仏を旨とした。何故だ?
人間同士でも言えるけど、自分にとっていい人物は
出会って幸福感があるよな。その延長線上に、仏との出会いがあるのではないか?
997 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:11:06
見仏などの修行を雑行と否定したから、
専修念仏があるんじゃないの?
深層意識の反映にすぎないわけだけれど、
上にもあったように、神秘体験が絶対視され、目的になってしまう。
で、法然の神秘体験は、文献的に見て史実?
浄土宗の話じゃなくて、法然のが知りたい。
998 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 00:26:01
法然上人の体験談が史実かどうかなんて
証明する手立てがあるなら教えて貰いたいですな。
極楽に往生して、法然上人に直接聞きますか?
どうあれ、一点の史実にこだわる事は無意味だと思います。
当時の風俗、文化、修行の在り方や比叡山の実態など
様々な視点から考察をしなければ、本当の意味での
”史実”には辿り着けないのでは?
>>997 その専修念仏中に仏を見たりする人がいるから、どうしたらいいのかということですよ。
せっかく悟りを求めて修行を始めたのに、気が狂ってしまっては大変危険で残念ですね。
上の別時念仏のような例もあるから、仏道修行中に魔境に入るのをどう防ぐかという問題が注意されるべきですね。
結局、自分の見たいもの、都合の良いものを、心が勝手に作り上げて自分に見せるということがある。
「仏に逢っては仏を殺し、祖に逢っては祖を殺す」という覚悟を心に保っておくべきでは。
1000 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/07(日) 01:01:23
なむみょうほうれんげきょう
1001 :
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