71 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:
これから書き込む内容は、皆さんご自身で全て検証することが可能です。
南関東を網羅する地図を手元にお読みください。
また、皆さんが新たに発見された内容もアップされることを期待します。
72 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 03:33
私事で恐縮ですが、私の出生地は神奈川県川崎市川崎区です。
智山派に感心のある方はピンと来るかと思いますが、そうです川崎大師があるところです。
その川崎大師の門前町で出生し、小学校卒業までの幼少期を過ごしました。
ちなみに通った幼稚園も宗教法人川崎大師の経営する○○幼稚園でした。
私の家庭は、別に檀信徒ではありません。父母は高度経済成長時代に川崎に転居してきました。
そして、たまたま近所に川崎大師があっただけで、この寺の存在は空気の如く日常の風景でした。
73 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 03:41
私は中高時代は、父母の故郷である北海道に転居してしまいましたが、18歳で東京に
戻ってきました。やはり私は関東の人間でして、北海道ののんびりした風土では
刺激が足りない思いをしたからです。
東京に転居してから、幼少期を過ごした川崎にはたびたび足を運びました。
そして、川崎大師をお参りし、土産に葛餅を買っては昔を懐かしんでいたものでした。
74 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 03:57
さて、これからが本題です。
智山派の総本山は京都・智積院ですが、配下の大本山は何故か関東にありますね。
成田山新勝寺、川崎大師、高尾山です。
この三ヶ寺は、すべて参拝をしたことがありますが、なぜ関東ばかりなのか・・と
普段から薄々疑問に思っていました。
しかし、寺の縁起を見ても成田山は将門由来、川崎大師は本尊の漂流、
高尾山は修験道由来、と相互に関連する要素がなく、三ヶ寺の展開についてヒントに
なるものは得る事ができませんでした。
75 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 04:08
しかし、思わぬところでヒントを入手することになりました。
東京の奥多摩と言うところに、武蔵御岳神社というところがあります。
この神社は、ハイキングの山としても知られていますが、本来非常に格式の高い山で、
今でも宮司が30世帯あまりも山頂に居住しておりまして、輪番で奉仕をしているのです。
縁起を見ると、この山は中世〜近世中ごろまでは神仏混交の修験の山で、明治初期の
廃仏毀釈ではなく、江戸時代中ごろに自主的に仏教を廃止し、神道に純化した、とのことです。
しかし、奥之宮には蔵王権現が今でも祀られており、神仏混交時代の名残を秘めています。
76 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 04:16
しばらくして、武蔵御岳神社の神仏混交時代の宗派が気にかかり、図書館で武蔵御岳神社の
歴史についての専門書を調べてみました。
そうしたら、なんと、中世期における宗派は真言宗新義でした。
武蔵御岳神社の周囲の地形は、奈良吉野山に似ているそうで、どうやら修験者がこの界隈を
跋扈していたのを、新義が束ねるようになったようです。
77 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 04:37
私はハイキングが趣味で関東近郊の低山をよく訪れます。その関係で、ハイキングの
ガイドをよく見ますが、御岳神社の記述を読んでピンときた事から、普段は見ることのない
関東を網羅するデカイ白地図を広げました。
そして、発見したのです。智山派の深奥なる計らいを・・・・・・
地理的に川崎大師を頂点とし、北東へ成田山新勝寺、北西へ御岳神社と翼を広げる
形で、この三箇所は二等辺三角形を形成しており、かつ、御岳神社と成田山新勝寺は
真正に東西の位置関係にあったのです。
御岳神社 -----東西----- 成田山新勝寺
\ /
\ (二等辺三角形) /
\ /
川崎大師
この発見のヒントは、奈良の大和三山の布置にあります。あそこも、幾何学的に
人工的に配置されているという説があります。
しかし、関東にもこうした計らいがあったのです。しかも、もっと大掛かりな規模で・・・
注記しておきますが、布置の精度はものすごいです。
1/250,000の地図をみましたが、三角形の頂点の配置の誤差は1kmもありません
でした。
78 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 04:46
それでは、智山派の三大本山で、残る高尾山はどうでしょうか。
これは、もうここまでくれば、後は地図を見るだけです。
結論から言いましょう。
高尾山と成田山新勝寺を結ぶ線分は、御岳神社と川崎大師を結ぶ線分の中点を
通る・・・・です。
御岳神社 -----東西----- 成田山新勝寺
\ /
※(中点) /
/ \ /
高尾山 川崎大師
79 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 04:59
川崎大師、成田山新勝寺、御岳神社の三角形から高尾山の配置も割り出せましたが、
均整な三角形を見ると、どうも高尾山の反対にも何かあるのではと感じた私は、
地図をにらんで見ました。
幾何的に高尾山の反対のもの・・・・・
今度は、川崎大師と成田山新勝寺を結ぶ線分の中点と、御岳神社を結ぶ線分を
南東に延長してゆくと・・・・・・・
あった、あった!
千葉県成東町に波切不動があった・・・・・
この寺は、このように幾何的操作で発見しましたが、実はこれも真言宗智山派の
有力な寺院でした。(川崎大師のHPに智山派の有力寺院の紹介があり、そこに
載っている)
この発見は、私を興奮させました。智山派のものすごい計らいを見たからです。
御岳神社 -----東西----- 成田山新勝寺
\ /
※ (それぞれ中点) ※
/ \ / \
高尾山 川崎大師 波切不動
80 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 05:19
この布置は、大和三山のように、目測で確認できる距離ではありません。
もっと大掛かりなものです。何と言っても東京都、神奈川県、千葉県の一都二県に
またがるものですから・・・・
そして、真言宗智山派は、この布置をもって、今も日々、勤行を行なっているのです・・・
この、呪術的な配置を見て、私は興奮と言いようのない恐怖を覚えました。
そして、もしかしたらこの位置関係は、すでに周知のものなのかと思い、三角形の
頂点の三箇所に電話で確認をとることにしました。
まずは、成田山新勝寺。勤番の若い坊さんが出てきました。
私、「・・・・二等辺三角形になっているのですが・・・・」
坊さん「壇信徒の方ですか・・・・違うの・・・・あっそう・・・・・御岳神社は関係ないから・・」
坊さんは、関心もないし知らないようです。
次に川崎大師。奉仕の信者の方のようです。
私、「・・・・二等辺三角形の頂点に川崎大師が・・・・・」
信者「・・・・そうですか、知りませんでした・・・・」
関心はあまりなさそうで、全く知らないようです。
次に御岳神社。宮司の方です。
私、「・・・・御岳神社の真東に成田山新勝寺が・・・・」
宮司、「えっ、そうなの・・・大学の教授がきてこの神社を調べているけど、そんなことは
知らなかった・・・・何か分かったら連絡を下さい・・・・」
やはり、知らないようでしたが、関心を示してくれました。
どうやら、この布置は皆さん、知らないようでした。
81 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 05:38
この、二等辺三角形は現在では、寺院と神社の組合わせですが、往時は密教の要素で
深く結びついていたものと推測できます。
それにしても、なぜ・・・・・
神社と寺院という違いも、山岳信仰・密教と言う観点から、これらを相互に結び付け
られると確信した私は、さらに、地図を見てみました。
あった、あった!!
川崎大師--成田山新勝寺の線分を延長してゆくと、ごろごろ神社が線上に浮かび
上がってくるではないですか・・・
結論から言うと・・・
上総一ノ宮香取神宮
/
成田山新勝寺
/
川崎大師
/
相模一ノ宮寒川神社
/
関東総鎮守箱根神社奥之宮
/
駿河国東照宮
以上が、寸分違わず、線上に載ってきたのです・・・
82 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 05:42
香取神宮は、常陸一之宮鹿島神宮と並び称される、有力な神社です。また、細かい
話ですが、鎌倉時代、親鸞上人は関東に下向したおり、仏典が大量に収蔵されている
鹿島、香取に足げく詣でたそうです。
箱根神社は、往時は修験の山で、社殿も権現造りとなっています。また、宝物を収蔵
している宝物館には、弘法大師の木造も安置されています。
東照宮は、時代的には一番最後に造営されたはずです。もしかしたら、造営者は
南関東の修験、真言宗の寺社の配置を知っていたのかもしれません・・・
83 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 05:55
更に地図を見ると、成田山新勝寺---高尾山の線分には、なんと天台宗浅草寺、
府中大国魂神社が載ってくるではありませんか・・・・
成田山新勝寺
/
浅草寺
/
府中大国魂神社
/
高尾山
そして、高尾山の外延に線分を延長してゆくと・・・・
ええっ!
上九一色村!!・・・・
なんじゃこれっ・・・・知っていたのか? それとも偶然か???
ということに、なってしまいました。
成田山新勝寺
/
浅草寺
/
府中大国魂神社
/
高尾山
/
(ずっ〜と延長)
/
山梨県上九一色村 !!
とにかく、地図で確認してみてください。
84 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 06:08
本当は、まだまだ、いろいろな発見があったのですが、今日はこれぐらいにしておきます。
それにしても、これらの寺社は往古の創建で、特に神社は正確な伝承も途絶えて
いるほどです。
それにも、かかわらず、なぜ、このような正確な布置が取られたのでしょうか・・・
この南関東の寺社の配置は、何らかの結界線を張っているようにも見えます。
少なくとも、私はそうみます。
神社だけの配置であれば、たとえば古代の太陽信仰や、季節の祭事を司る方位と
いった(方位と季節の関係は陰陽五行をベースにする)考え方が取れるでしょうが、
何と言っても、真言宗が関わっているのです。
空海の真言宗は国家鎮護、現世利益の要請が多分に強かったはずです。
この要請の元に、有力な真言宗が南関東に布陣したと考えるのが妥当と考えられます。
85 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 06:18
関東に、始めて政権が樹立されたのは、鎌倉時代です。
鎌倉時代には鎌倉仏教が隆盛しましたが、専門書によりますと、幕府がとった宗教政策は
禅密主義といい、禅宗とくに臨済宗と密教を重んじる、というものでした。
臨済宗の栄西は密教も広く学んでおり、当時の臨済宗は現在と異なって加持祈祷も
重要な要素となっていたようで、幕府の意向に沿うべく努力した跡が認められます。
それにしても、東京都と千葉県西北部を囲む二等辺三角形の布置です。
これは、その後の徳川時代、近現代の東京遷都を見据えたような格好をしています。
発想をかえれば、関東の強力な布置を利用して、江戸、東京が開発された・・・、とも
見えます。
86 :
大変だ!智山派、謎のトライアングル!:02/10/28 06:25
南関東のこの布置の中心は、川崎大師のように私には感じられます。
地図に線分を引いていると、そのことが強く感じられます。
本尊は弘法大師です。
川崎大師にお参りした折、「川崎大師だより」というパンフレットをもらってきました。
たまたま、その号で皇族の海外渡航のお守りの件が載っていました。
○○宮の渡航で、安全祈願の祈祷が川崎大師でなされ、その護摩で焚いたお守りを
皇族が肌身につけて持っていく・・・・といったような内容でした。
やはり真言宗は生きているようです・・・・ 了