神社・仏閣、墓地にひっそりと建つ石仏、石塔、その他
石造物について語りませんか?
たとえば、
○神社・仏閣を訪ねると、ついつい石鳥居や石灯篭の銘文を
読んでしまう。
○古石塔が好きで、よその墓地でも平気で入れ、なおかつ
写真も撮る。心霊写真?知るか、そんなもん。
○宝キョウ印塔を見つけたら、真っ先に笠の隅飾りを見る
など、このようなマニアはもちろん、なんとなく好きな人も
是非どうぞ。
2 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/21 00:17
パワーストーンが好きです。
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/21 00:38
路傍の道祖神や庚申塔が大好きです。
特に信州の松本や安曇野の双体道祖神がたまりません。
無論、見かけた時は建立年代のチェックは欠かしません。(笑)
庚申信仰なら関東地方。今でも東京都の中に庚申講をしているところ
があります。西日本の者にはなかなか縁がありませんが、興味があり
ます。石は人工物も自然物(婆石など)も興味深い。
ちなみに、私は中世の古石塔が好きですね。
鹿児島に居たころは中世墓地が多く残っていて、
その古石塔群をよく見に行きました。
竹やぶの中などに何十基と並ぶ石塔を見るとたまんないですね。
そこに鎌倉、室町の年号があると満足。
関東は庚申信仰ってのがあるのですね。知りませんでした。
今、私は関西にいますが、住んでるあたりは愛宕信仰が盛んらしく
江戸期の年号のある「愛宕講」の灯篭をよく見かけます。
6 :
古墳スレの26:02/05/21 01:15
おお、たちましたねー。おめでとうございます!
私は幼いころから墓地好きで、親からは気味悪がられてました(笑)
前世なんだったんでしょーかね、わたしって。
高校生のころは、ガッコが近かったこともあって
雑司が谷の墓地をうろうろしてました。
セーラー服着て(笑)!!
漱石の墓は、やっぱ立派だったなぁ…。
またちょくちょく遊び来ますねー!
>古墳スレ26さん・1さん
野中寺の礎石、よく残ってますね。独特の穴が面白いですね。
ちなみに、こういった古い礎石は、後の時代に庭園の飛び石とかに
よく使われたりしています。江戸とか明治頃のお屋敷の庭園を
訪ねると、立派な礎石が使われたりしてびっくりします。
雑司が谷ということは東京の方ですね。東京の方は有名人のお墓とか
多そうですね。興味ありますよ。
以前、春日大社に行った時、参道に並ぶ石灯籠の多くが室町後期〜末期
のものだったのには驚きました。(天文とか永禄とか)
室町期の年号が入った灯篭自体はじめて見たので。
ちなみに、興福寺の五重塔のまん前にぽつんと立つ石灯籠も
天文の年号が入ってます。ほとんどの人は気に留めないけど。
>5
私は中国地方の出身ですが、荒神講が多いです。田舎まで行くと竈の跡だけ
タタリを恐れて壊さずに残してあるのが目に入る事があります。
石塔・石灯籠は寺社が焼けてからも残るので貴重な資料になってくれますね。
路傍の石信仰といえば道祖神様とお地蔵様ですが、関東の方には大石の前に
柴を積んで(供えて)旅の安全と疲れが癒える事を祈る「柴神」信仰があっ
た筈です。
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/22 01:21
うちの近くにも荒神講がありました。
おかしくばるんですよね。
石といえば、飛鳥坐神社の境内に点在する石仏たちが好きです。
誰もいない境内にひっそりたたずむ様は、ひなびてて何かよいです。
11 :
古墳スレの26:02/05/22 01:31
>11
元興寺は逝った事ありますよ。奈良時代の瓦がいまだに使われている
寺ですね。
私も一発迫力のある石塔群の写真UPしようと思うのですが、
パソ厨なのでよく知りません。
方法おしえてくださいませ。
ちなみに、「荒神講」とは三方荒神でしょうか?
>13
三宝荒神です。「備後地方の信仰はおびただしい荒神信仰により特徴
付けられる」とものの本に書いてある位こちらでは多いですね。
地域により若干異なりますが、土地の神・祖霊と牛馬の守護神といっ
たところでしょうか。(この辺りでは)
アゲまくりすいません
>古墳スレの26さん
東大寺はもう行かれてますか?
皆大仏殿ばかり行きますが、ちょっと奥に入って講堂跡を見ましょう。
礎石が見事に並んでいます。
で、その裏手の溝には創建時か少なくても平安頃の布目瓦がたくさん・・・
30センチくらいの丸瓦(残存率は半分くらい)を2つ拾ったことあります。
別のところにも瓦片が山になってるとこがあって、そこにも布目瓦が
まぎれていることがあります。
あと、東寺にも・・・
>山野野衾さん
「三宝」でしたね。間違ってました。
こっち(関西)ではあまり見ないですねぇ。
17 :
古墳スレの26:02/05/23 01:55
>>野仏さん
私はTripodで画像アップ用のアカウントを取って、そこにリンクを張ってますが、
通常はアップローダを使われるのが、簡単なのではないでしょうか。
(一定期間後には見れなくなってしまいますが・・・)
例えば、ここあたり。
ttp://w_ch.hippy.jp/cgi-bin/imgboard/imgboard.cgi 画像を縮小→画像を選択して投稿→2chにリンクを張る、という手順でOKです。
東大寺講堂跡は私も好きな場所です。
あの辺りまで行ったら、大仏殿の喧噪も届きませんしね。
けど、古代瓦が落ちてるとは知りませんでした。
今度行ったときに注意してみてみたいと思います。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/23 04:07
はあああああああああああああああっん
>古墳スレの26さん
古代の布目瓦の見分け方は、
1・今の瓦のように黒光りしてなくて、素焼きになっている
2・色は煉瓦色か灰色。
3・片面には必ず布目が、もう片面にも何らかのタタキの跡がある
大体こんな感じです。
見たところ、平安までの布目瓦と中世と思われる黒光りの瓦が
混在しています。
まぁ、あまり好き好んで拾う人いないだろうし、
拾ってもあんな重いもの持って帰るの大変。
自分も3〜4個拝借してやめました。
一応表採だから個人的にはOKかなと勝手に思ってます。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/23 18:17
陰陽石は?
22 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/23 23:19
>21
放送できる範囲で。
23 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/24 21:51
石モノというと道標、常夜灯もありますね。
道しるべや常夜灯は、江戸期に多く作られたので
あちこちにたくさん残ってますね。
私の住んでいるすぐ側にもお堂があるので、寛政と天保の常夜灯
があります。
常夜灯は春日大社で室町のものを見ましたが、道標のもので
中世のものは見てません。
町石ならありますが、一度見てみたいです。
25 :
古墳スレの26:02/05/26 02:51
栃木県那須には「御前岩」があります。高さ15m以上の大岩の中央
にあるのは、広い所で幅1.5m程の割れ目。
普段から武茂川の水で湿っているそれは、月に一度赤い水を滴らせま
す。その周りに植えられた「腰巻竹」は徳川光圀が植えさせたものと
いう伝説があります。
亀形石造物が好き。精密模型買っちまった。
飛鳥の石造物はみんな好きだな。
埼玉県新座市にある平林寺は、
薄暗く鬱蒼とした雑木林の中、松平家のお墓がズラーリ。
小さいころ、お父さんに頼んでよく連れていってもらいました。
武田信玄の娘の墓もあったなぁ。
関西で有名な陰陽石を教えて下さい。無名でもいいっす。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/30 20:36
現在磨崖の梵字(種字)を探してます。
大きさは1m以上、時代は室町以前で、
出来れば曼陀羅でなく、単体もしくは二尊、三尊のものを
石塔なぞに書かれたものは除きます。
できれは九州以外の情報を・・・。
福岡県(宝満山)、大分県(日田市)と、
鹿児島県にあるのはわかったのですが。
そのほかご存じありませんか。
情報お待ちしています。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/30 20:49
奈良の飛鳥坐神社の境内にたくさんあるYO!
飛鳥坐神社はたしかにニョキニョキしてますよね。
まだまだ若くてお盛んだったころ、
飛鳥の観光MAPに「マラ石」なるものハケーン!
これは見ておかねば(笑)と、橿原駅前で借りた
レンタサイクルで山道のぼるのぼる!
たしか石舞台のあたりからあがってった気がするけど。
息きらして辿り着いた場所にあったのは、
土中から斜めにニョキっと顔だした長細い石ひとつ・・・。
そして、マラ石を前にしてハアハア言ってる女がひとり。
ばか?
35 :
古墳スレの26:02/05/31 00:55
わー、そうそう!こんなんです!
今、大笑いしてイスごとひっくり返りました。
ありがとう古墳スレ26さん。
ありがとう青春の日々・・・。
>古墳1さん
ハハハ・・・・
そういえば、考古学会である調査員さんが縄文の石棒の説明を
してたときかなり言いにくそうだったなぁ。
無理も無いけど。
路傍の道祖神もその類みたいだけど、実物を見たこと無いので
詳しいことはちょっと 知りません。
見たことある人詳細希望。
>31さん
鹿児島で見たことあります。凄く迫力あったのと
別のところでは「こんなところに・・・」というのもありました。
参考になるかどうか分かりませんが、こういうサイトを見つけました。
ttp://www.ryukoku.seikyou.ne.jp/home/69031/magai-1.htm
野仏さんありがとうございます。
大変役立ちました。
また気が付いたものがあったら
お願いします。
ふらふら散歩してて立ち寄った、
練馬区の石神井川沿いにある広徳寺ってお寺。
メジャーなお寺ではないけれど、
柳生家のお墓がありました。なかなか立派な五輪塔です。
剣道やる人かな?けっこう削られてました。墓石。
40 :
古墳スレの26:02/06/06 01:17
奈良県五條市大津町の平田寺跡には長禄4(1460)年の字が、同市の真土峠近
くの西福寺の板碑群の中には延徳2(1490)年9月15日の字が刻まれた石碑
があります。どちらも六斎念仏を記念して建てられたもの。
42 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/07 23:34
山形には中世板碑が結構ありますよ。そういえば、千葉も多いんじゃ
なかったかな。
そういえば、薩摩の隼人塚は発掘調査の結果五輪塔の基部と四天王
像が確認され、大隅正八幡(現 鹿児島神宮)の正国寺の元正国寺で
あったと結論づけられています。
そういえば沖縄のイメージが強い「石ガントウ」も秋田を始めとして日本の
各地に残されているそうです。微妙に名称は異なっておりますが。
>42
ハハ・・・
実は、その隼人塚の復元事業に関わってました。
名前わかっても晒さないでね。
依頼が来たとき、仏像の形態分かるの自分しかいなかったので。
ちなみに、隼人塚は7重(確か、うろ覚え)の層塔
3基あり、中央の塔が大きめ。
各重に仏像を彫り、屋根には垂木、層部には扉を表現。
朱色の彩色もありました。
復元事業としては、まず、現状の記録を行って、塔は、出土した
部材と復元品を補って、既存の部分や出土分は薬品を染み込ませ
風化しないようにしました。
四天王は、いずれも本体と基礎の餓鬼が分離していたり無かったり
していたので、薬品を浸透させたあと、鉄芯を入れてつなぎ合わせ
建てました。
作業時は、あの塔にはしごかけて仕事してましたよ。
で、あの隼人塚に関して自分の見解。
あくまで今の配置が当初からのものと仮定すると、
3つの塔は薬師三尊を表していると思います。
さらに、塔の各重には金剛界四仏(初重は特に)を
刻んでいるので、密教的なものも意識しているかと。
刻まれている像は、奈良時代や平安初期のような感じよりも
丸い顔をしており、丁度定朝様といった雰囲気。
層塔の感じからも(大隈国分寺とやや似ている)
平安後期頃のものではないかと。
四天王像は、中央の作品と比べて地方色が非常に強く、
かなりのアレンジがある。
層塔の仏像もやや地方色があるようです。
(専門家の方によると、耳が大きく方にぴったり付いているからとか)
西日本には立派な板碑があまり無いのでうらやましいです。
鎌倉、室町の年号が書かれているとそれだけでうれしいですから。
野仏さんは鹿児島で文化財の仕事してるんですか。
47 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/08 03:19
初めてこの板来ました…。
石の宝殿について知りたいんですがここでいいのかな?
加古川バイパスを姫路に抜けて五分ほどの場所にある
生石神社の御神体の巨大な人口石。
見に行って一人で興奮してもうたんですけど、あれって
結局何なんですか?
>46さん
昔してました。わかっても情報晒さないようにお願いしますね。
>47さん
古墳の未完成の石室という説が有力です。
終末期のものではないかと。
うわ、うれしいなぁ。最近鹿児島に現地調査に飛んだばかりだったので。
山形の寺なんですが、開山上人の伝記に大隅八幡宮が出てくるので、
その関係で調査にいったのでした。発掘調査報告書に寄れば、
元正国寺のあった場所のようですね。>隼人塚 移転後の正国寺は
阿弥陀三尊だったようですが。そういえば、うちの寺の元あった場所の
そばから、国内最古の墨礫石が出てきて、それにもキリクで阿弥陀
三尊があったり。さいきん、古い石碑のキリクが気になってしかたがない。
50 :
古墳スレの26:02/08/18 22:17
51 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/18 22:29
地蔵さんだーい好き!
最近、徳島の神社をよくめぐっていて気づいたのですが、
徳島のほとんどの神社には、「五角石」という五角柱の石があります。
五角面には、天照大神などの神様が書かれている。昔、蜂須賀の殿様が
ひろめたそうだ。
ところで、神社の鳥居から少し離れた参道に、石の台座のようなものが
あるのだが、いったいなんであろうか。よくわかりません。
ご存知の方は教えていただきたい。
53 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/16 22:27
近江三石寺はどうでしょう。
石山寺、石馬寺、石寺
54 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/16 22:27
4石寺だった。
石塔寺
55 :
古墳スレの26:02/09/17 02:20
56 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/10 21:45
57 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/15 14:08
age
しばらく離れてたけど、気づいたら上ってたw
週末実家帰るので、過去に撮った写真
持ってかえってUPします。
信州に多い道祖神も
野仏とか石仏と言いますよ。
62 :
川の石スレの46:03/01/17 13:44
26さん、いつもありがとうございます。
ときどき来て画像を見せていただいています。
こういう石モノは、良いですね。昔の人の祈りの気持ちが感じられて。
パワーストーンは嫌いです。現代人の金儲けの気持ちが感じられて。
test
コンガラ童子、セイタカ童子(漢字、難しすぎ)と名付けられた二つ石の画像
昔、ネット上で見たのに、さっき捜したらみつかんない。ウェーン。
65 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/07 14:04
飛鳥の亀石が異常に好きです。あの、のんびりした顔がいい。
この亀の顔が真西に向くと天変地異が怒るという伝承があります。
今月の連休に行くので、5年前に写した写真と見比べて位置が動いて
無いか確認します。今でも結構西寄りになっていますが。
67 :
名無しさん@京都板じゃないよ :03/03/09 01:46
>>65 たぶん、それと同じ石だと思いますが、写す方向などのせいか、もっとひょろ長く見えました。
自然にできたとは思えないような、異様な石でした。しかし、人間がつくるのは、もっと無理と思いました。
不動明王の脇侍の二童子の名が付いていたのはなぜなのか、どんな伝承があったのだろうか、と
気になります。
68 :
古墳スレの26:03/04/26 01:05
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
初めてこちらに来ました。よろしくお願いいたします。
かつて仕事で栃木に行ったときに観た佐貫観音の磨崖仏を観て以来、
地図を観たり道路の文化財案内などで磨崖仏を始めとした石造仏を
見に行くのを楽しみにしています。
ただ、学問的素養なんてないので「凄いっ」とか「うわっ」などと
呻きながら眺めています。
今まで観てきた中でも信州の修那羅峠の石仏群は一番のお気に入りかなぁ。
さまざまな石仏・石碑が見られてお得(不謹慎でした)です。
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/28 00:12
文化財にも深いつめ跡 瑞鳳殿で墓碑損壊
三陸南地震の影響で、仙台市内では27日、文化財関連の被害が相次いだことが分かった。
仙台藩祖・伊達政宗の霊びょう瑞鳳殿(青葉区霊屋下)では、本殿の両側に並ぶ政宗の家臣ら
20人の墓碑「宝きょう印塔」で、石材が落下したり一部が損壊したりする被害があった。
拝殿付近では地割れの跡が見つかったほか、歴代藩主の子女をまつった公子公女びょうで、
3基の石塔が完全に倒壊し、地震の揺れにより位置が大きくずれた。瑞鳳殿は27日午前、
安全上の理由から立ち入り禁止とし、校外学習で訪れた福島市の中学生や観光客らは残念そうにしていた。
http://www.kahoku.co.jp/news/2003/05/20030527t13041.htm
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
あぼーん
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/10 15:21
百萬篇の石塔ならちょくちょく見かけるぞ
あぼーん
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/25 00:11
折角の地味ながら面白い話が沈んで行くのが寂しい
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/25 22:58
>>76 そうですね。沈めるのは寂しく悲しいです。
あぼーん
79 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/27 07:03
修那羅峠参拝ツアー行かない?
マジです。
この間鎌倉の内藤家墓地を見てきました。
宝筺印塔がずらりと並んでいて凄かったです。夜は行きたくありませんけど。
81 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/08 00:31
春日大社へお参り行った時のこと。
参道に並ぶ石燈籠の銘文調べてたら
ほとんどが室町期の年号だったのに驚いたことがある。
中世の燈篭は各地にあるが、ああいう常夜灯のようなタイプの
しかも中世の年号がはっきり刻まれている奴は初見だったので
感動した。しかもずらっと並んでるし。
ちなみに、天文〜永禄(1532〜1569)が最も多く、
見たので一番古い奴は享禄三年(1530)のものでした。
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/08 00:54
徳島か高知のお寺か神社にお願いをしたら,叶う願いなら持ち上がる石があるのですが、何所にあるか知りませんか?
庚申塔と馬頭観音の組合せって普通に見られるもんですか?
85 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/30 20:18
京都の化野念仏寺の千灯供養に、いつか行ってみたいです。
行ったことある人いますか?
>>62 浄化したら妙な雰囲気がすっきり取れて好ましいもんですよ。
今日伏見稲荷のすぐ横の墓地にお参りしてきました。古いお墓が少しあって好きです。
珍しいもんはないけど。お線香上げました。
87 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/30 21:43
>>83 似たようなものならば、京都伏見稲荷に「おもかる石」ってのが
ありますよね。
私も持ち上げたのですが、果たして重いのか軽いのか
ピンとこなかった気がします・・・。
>>87 私も初めて持ち上げたときは重いとも軽いとも分かりませんでした。
今日は軽かったですよ。
職場に石オタがw
古石塔の写真を撮り歩いているとか。
話が盛り上がることこの上なしw
なんか、石塔めぐりしている者の
特有の苦労が分かち合えて嬉しかったなぁ。
91 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/30 22:32
安曇野の道祖神めぐりをした時に、
道祖神から直に写し取った石拓(?)が
売ってたので買ってきました。
お正月にはお酒を供えたりしてます。
一日では全部見れなかったので今度また
ゆっくりと見て回りたいです。
いいとこですよね、信州は。
92 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/30 22:35
鎌倉光明寺の内藤家の墓には感動した。
93 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/02 20:03
来年の石造物研究会は高野山だそうな。
あぼーん
あぼーん
こんばんわはじめまして。
私が好きな神社に六甲のこしき岩神社があります。
巨石がご神体です。
静かだし良い神社です。
最近墓石も調査の対象らしく、うちの寺の境内墓地の悉皆調査に某大学が
来てたよ。一番古いので1648年のものだそうだ。
98 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/24 00:38
京都の高山寺・開山堂の敷地内に建つ大きな宝篋印塔がお気に入り。
どっしりして重厚ないい感じの造りなり。
99 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/24 20:24
京都にある豊臣秀吉のお墓=石塔はすげぇよ。
一見の価値あり。
100 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 00:19
大津の長安寺牛塔
101 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 09:07
↑
牛乳瓶に傘を乗せたみたいな大きなやつだろ?
102 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 20:46
臼杵石仏って良いですか?
駐車場とか名物とかあります?
103 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 20:50
たしか駅前にでーんとかまえてたな・・。洩れはいいとおもったよ。
名物はわからん。
104 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 20:59
105 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 23:36
>102
だまされるな。駅からは結構距離があったぞ。駐車場はあるから心配するな。
106 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/25 23:58
>>102 103情報はガセ。
臼杵駅からバスで15分くらいはかかったはず。
石仏は山間にあって、各所に幾つかの「群」を形成しています。
で、臼杵の名物はフグ料理だったように記憶してる。
107 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/26 00:17
>>102 石仏群で満足せず、
最後に必ずすぐ近くの満月寺を訪れるべし。
腰から下が地中に埋まったままの仁王さんや五重石塔、
日吉塔と呼ばれる巨大な宝篋印塔にはさぞ驚かれることであろう。
108 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/26 09:57
>>105-107 感謝です!!
今日行こうと思ってたんだけど雪降りそうだし、阿蘇越えは危険なので少し延期です。
109 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/27 12:03
110 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/27 14:04
111 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/28 20:02
>>108 阿蘇越えするってことは熊本の人?
石仏じゃないけど矢部町の通潤橋は素晴らしい造りの石橋だとおもうぞ
むかし、放水の瞬間をみたが最高だった
自慢していい熊本の宝だよ
112 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/31 11:22
>>109 (その1)
29日に行ってきました。
最初に臼杵磨崖仏に行きましたが、家にあった写真ではまだクビが下においてある
状態だったので修復された石仏を見て何か違和感を感じてしまいました。(本来の姿なのにね)
むしろコース入り口付近からすぐ右に上がった不動明王に何故か感銘を受けてしまいました。
113 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/31 11:28
(その2)
その後、駐車場で熊野麻物崖物をナビで検索。(なんて無計画)
ウッ、65キロも離れてる・・・・まあ良いかと言う訳で出発。
熊野に到着、駐車場の看板に鬼の作った99段の石段の話をみる。
なんだ、登ると行ってもたった99段か、それ位なら運動不足の俺でも大丈夫だな。
等と甘い考えをもって山登り開始。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/31 11:36
(その3)
石段まで辿り着くまでに結構な距離があるなんて知らなかった・・・・
石段に辿り着いた時点で体力と気力を、かなり消耗しました。
本気でもう引き返そうかと考えましたが、気を取り直して登り始める。
石段は無造作に積み重ねられており非常に歩きにくい。
なるほど、鬼が一夜で作ったって伝説あながち嘘では無いかも・・等と思いました。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/31 11:46
(その4)
なんとか磨崖物に到着、その大きさに感銘を受けました。
臼杵で見た良く見る形の不動明王とは全く違った趣があり、キツイ思いを
して登った甲斐がありました。(それとも単に風化しただけなのか?)
しまった!普光寺磨崖仏なんてあったのか!見てくれば良かった!!
と、今HPを見直して後悔している私です。
どうも、紹介して下さってありがとうございました。
116 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/02 10:01
九州であっと驚くような石仏は無いでしょうか?
久留米にあるでっかい奴以外に。
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/02 23:00
佐賀だと相知町の鵜殿石仏群、
大分だと羅漢寺五百羅漢・普光寺磨崖仏・熊野磨崖仏あたりが有名。
トンデモ系では大分の上坂田磨崖仏(竹田市)が知られるが
小生は未見。
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/03 00:13
>>112-115 臼杵磨崖仏紀行おつかれさま。
次回どこか出掛けるときはお知らせくださいな。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/07 06:49
今度竹田市周辺を回ってきます、とりあえず上田坂と普光寺は行こうと思っています。
120 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/08 14:41
119さん、報告よろしく〜
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/09 01:59
春日奥山(奈良)の地獄谷石仏は神秘的だぁ〜
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/10 14:25
123 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/10 14:34
(その2)
現地到着、人気の無い田んぼの端っこに小さな鳥居だけがぽつんと立っている。
しかし磨崖仏らしきものは見当たらない、立て看板に小さく山を登った上にあると
書いてある、山登り開始。
運動不足の私には結構つらい(普通の人には大した事無いだろうけど)しかし細い
山道の先に本当に磨崖仏があるのか不安になる(その位人気が無い)
しばらく登るといきなり磨崖仏が現れる確かに不気味だ、人気の無さが一層不気味さを
ましている。
しかし地元の人も知らない所に行ったのはなんか得した気分です。
紹介してくれた人サンクス!!
続いて普光寺に行きました・・・続く。
124 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/11 02:35
期待age
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/11 09:06
(その3)
普光寺に到着・・・誰もいない。
まだ7日なのに、11日まで休み取ってる私が休み過ぎなのか?
とりあえず神社にお参り・・部屋の端っこになぜかダーツの的が置いてある、何故?
「ダーツおみくじ」と書いてある・・・ふざけてるのか?
磨崖仏の大きさに圧倒されました、でも観光案内ではあまり大きく扱われていないのは
何故なのか?
わざわざ普光寺の為に道路整備までしてあるのに。
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/12 00:22
127 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/13 01:05
>>121 彩色をほどこしてある線刻仏でしょ?
実際に行ったら暗くてよくわからなかったけど、写真で確かめると綺麗よね。
よくもまあ彩色が残ったものだわ。
128 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/13 19:31
>121
春日奥山といえば、首切地蔵。
荒木又衛門の試し斬りで首と胴体が分かれてるそうな。
だから正確には「首切られ地蔵」なんだけどね(藁
129 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/17 22:39
>>121 >>127 彩色は当時のものじゃないよ。
小川光三の『大和路散歩』(新潮社)によると
終戦当時、小川が地獄谷石窟仏に来てみると心ないドキュソが拓本でもとろうとしたのか、
石仏の表面が墨で真っ黒に汚されていたという。
その後、石仏のその無残な姿を見兼ねた誰かが彩色をほどこしたらしい。
そういうわけで地獄谷石窟仏の彩色は戦後のもの。
あしからず。
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/20 00:06
>>129 この話、はじめて知った!
「へーへーへー!」
熊本のトンカラリンに行って来ました。
ただの水路でした---終了
なんかハングルが目立つ菊水町でした。
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/21 23:30
トンカラリンとは?
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/22 00:12
134 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/24 01:04
石塔寺
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/27 01:51
石塔寺の三重石塔は珍しいね。
土門拳の写真で見たことあるけどどう行くの?滋賀だよね?
136 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/28 21:17
近江鉄道の桜川駅より東へ徒歩30分。
電車の本数が少ないので車で行くのが便利。名神高速八日市インターより10分程度。
小高い丘の上にある。
サンクス!
今度いってみます。
138 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/01 01:49
滋賀県といえば、
鵜川の四十八体石仏などは如何でしょう?
そのうちの三分の一程は坂本の慈眼堂内に移されていますが、
なかなかいい石仏だと思われます。
139 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/03 00:18
慈眼堂には参りました。鵜川四十八体仏は未だ訪れていませんが…
天海大僧正の廟ですね。
裏山?の鵜川石仏以外にも大きな五輪塔・宝塔が立ちならび雰囲気のいいお寺ですね。
140 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/03 19:58
坂本の慈眼堂にはわたしもよく立ち寄ります。
境内散策自由というのがいいですね。
本当は駅前の鶴喜蕎麦が目当てで坂本に足を運ぶのですが(ww
141 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/05 01:06
大分県の石仏が好きでよく行きます。
特にお気に入りなのは、大分市の高瀬石仏。
左から
・深沙大将
・大威徳明王
・大日如来
・如意輪観音
・馬頭観音
という、ちょっと変わった並び。保存状態も比較的良いです。
142 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/05 01:10
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/05 23:14
福岡県にはお勧めの石仏・石塔etcありますか?
>>135-137 石塔寺逝ってきた。車で逝ったけれど視界がきかないくらいの大雪だったよ。
駐車場からの石段は疲れた〜。大雪だったためか山頂には誰もいなかった。
三重石塔は不思議な形してるね。小さい石仏や五輪塔がビッシリ詰まってるのも幻想的。
傘の石も自然石ぽくて厚みもあった。どっしりしてた。
道順教えてくれた人、サンクス!
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/09 23:34
石塔寺はあの石塔も見事だが、
その横に立っている2基の宝篋印塔も実に立派。良い形をしている。
重文指定を受けていたと思う。
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/11 20:30
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/18 23:48
初めてここに来ました…石塔について語れる場所があるなんて!
私の知人(20代前半)が数年前から宝篋印塔にハマっており、その魅力を私に擦り込もうとします。
彼女はその笠の具合に鳥肌を立て、頂上の宝珠(?)の見事さにホレボレし、
いつ時代のどういう様式の塔かまじまじと語ってくれます。
その甲斐あってか、お寺に行くと石塔を見回す癖がついた自分に気付く今日この頃…
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/19 00:43
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/19 11:06
危険ですか?
http://hobby4.2ch.net/test/occult/1076944976/ 一日目
不燃草は、ばあちゃんの家の蔵の掃除中に巻物のような物を見つける。
その巻物「三代木縁起」には、高僧が鬼を宝珠で塚に封印した事が書かれていた。
それを見た不燃草は裏山に塚がある事を思い出す。
そしてその塚を探索し宝を手に入れ鬼の正体を暴くために再び週末にばあちゃんの家に行く事を計画するのだった。
二日目
電話で巻物の内容をばあちゃんに聞くとそれは大正13年に書かれたものであることがわかった。
死体を食べる鬼が出現し村が荒れたが高僧が現れて宝珠で鬼を塚に封印したらしい。
封印した時に鬼は焼かれたが高僧も亡くなってしまったということだった。
巻物は門外不出であるため、ばあちゃんに書き写してもらいそれを郵便で送ってもらうことになった。
また不燃草は、裏山の塚の状況をばあちゃんに見にいってもらう計画をたてたがスレ上で叩かれ自信を失ってしまう。
しかし思いやりのなかった自分を反省し週末に探索に行く事を再び心に誓うのであった。
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/20 17:47
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/28 15:34
岡本太郎絶賛! 万治の石仏
名古屋に人石仏・石塔は理解できない、書きこむな
156 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/07 10:51
国東半島の熊野磨崖仏
157 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/13 00:56
石峰寺の五百羅漢はガイシュツ?
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/14 10:36
石峰寺って京都伏見の?
159 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/20 20:11
>>157-158 石峰寺の石仏群の多くは顔が摩滅しちゃってて残念。
境内から見下ろす京都の眺めはいいけどね。
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/31 22:57
秀吉のお墓の五輪塔は?
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/10 00:15
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/23 01:27
南北朝時代の線刻が見つかる−金閣寺・不動堂の石室壁面
京都市北区の金閣寺(鹿苑寺)は21日、境内にある不動堂の石室壁面から、南北
朝時代(14世紀)の年号や人名などの線刻が見つかった、と発表した。不動堂の
建設時期はこれまで不明だったが、足利義満の北山殿の前身にあたる西園寺家の邸
宅があった南北朝時代までさかのぼることがわかった。
石室は、東側の山の斜面を掘り込んで造られ、中央奥に不動明王の石像を安置して
いる。市埋蔵文化財研究所が金閣寺の依頼で2003年秋に調査。北、南側の壁面
の計45カ所で文字や図の線刻を確認した。
年号は、室町期(14−15世紀)の康永、貞和、文和、応永で計6カ所に刻まれ
ていた。南北朝時代の「庚永元暮秋下旬」(康永元=1342=年9月下旬)が最
も古く、有力貴族の西園寺家の邸宅・北山第があった時期に重なっていた。
ほかに、「南無不動明王」「南無妙法蓮華経」などの名号や題目、人名とみられる
文字、高さ9・5センチの五輪塔が線刻されていた。
文字を解読した西山良平京都大人間・環境学研究科教授(日本古代中世史)は「不
動堂の建設年代を知る貴重な手がかりになる。まだ解読できていない文字も多いが、
今後の研究で、線刻された文字の意味や目的などが明らかになるのではないか」と
話している。
▽村井康彦・京都市美術館長(日本文化史)の話
中世の公家の信仰の在り方や精神生活の一端を知るうえで貴重な発見だ。西園寺家
が何を祈り、どのように石室を使っていたか興味深い。(京都新聞2004年4月21日)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2004apr/21/W20040421MWD2K1A0000073.html
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/11 00:28
ゴールデンウィーク休暇に湖南アルプス散策を兼ねて
金勝寺と狛坂の磨崖仏を拝観してまいりました。
狛坂の磨崖仏は大きくて造型にも優れていますね。
感動しました。
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/13 23:18
↑
栗東のへんだよね。車で近くまで行けるの?
165 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/13 23:24
>>164 金勝山上に駐車場があります。
そこから山の中を徒歩小一時間程度で着きます。
奇妙な巨石がゴロゴロしていてなかなか面白い山ですよ。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/15 13:31
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/24 23:39
立川市にある普済寺の国宝・六面石憧の拝観は可能ですか?
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 11:03
>>154 万治の石仏って本当に不思議な石仏だね。
すっげーシュールな感じがするけど造形的にはどうなんだろうって思ってしまう。
170 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 13:25
なんといっても丸石・玉石ですな。誰がどこから見つけてきたのか?
道の脇にあるのもあれば神社や密教寺院の境内の片隅に
祠のようにしてお祀りされている。
あの素朴さがたまりません。
171 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 18:52
172 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 22:58
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/30 23:10
174 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/03 10:30
>>170 あれは磨いて磨いて丸くなるの?それとも最初から丸い石を探してくるの?
不自然なくらい丸いのだが。
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/06 23:02
やっぱ石舞台古墳でしょう。
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/10 00:30
石舞台はともかく、
飛鳥には用途不明の石造物が多いよな。
まだまだ地下に眠ってる気がする。
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/10 01:12
明日香村のマラ石
178 :
古墳スレの26:04/06/10 01:22
179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/06/29 09:05
二面石とか猿石とか。
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/07/26 11:06
大分県竹田市の会会磨崖仏は?
181 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/08/17 17:33
飛鳥の須弥山石って・・・ちんちん?
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/08/19 09:25
河伯塔の河伯って河童ととらえていいのでしょうか?
183 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/08/25 00:30
石峰寺の石仏は?
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/08/25 09:13
石仏に優しい明かり-元興寺で地蔵会
奈良町の一角、奈良市中院町の元興寺(辻村泰善住職)で23日夕、過ぎ行く夏の風物
詩・地蔵会万灯供養が始まり、キキョウの花が咲く本堂わきの浮図田(ふとでん)に
ある仏塔や約2500体の石仏が無数の明かりに浮かびあがり、家内安全や無病息災など
を祈った(写真)(クロスフィルター使用)。
午後5時30分から法要が始まり、相前後し次々と灯明が点灯された。あいにくの空模
様だったが、辺りが暗くなるにつれ炎が明々と揺らめき幻想的な雰囲気になり参拝者
が静かに手を合わせた。24日までで、昼過ぎから「元気な料理人がもてなす屋台料理
」をテーマに「夢まつり」(蛍の会主催)が開かれる。
(「奈良新聞」2004年8月24日)
http://www.nara-shimbun.com/n_all/040824/all040824a.shtml
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/08/26 23:28
元興寺で思い出したが、頭塔って知ってる?
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/12 09:29:00
今は整備されてずいぶん綺麗になりましたね。
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/12 10:08:47
どなたか教えてください。
奈良・興福寺の五重塔前に奈良時代くらいまで遡る
石燈籠の基礎があるそうなんですが、何度行っても
どこにあるかわかりません。
真ん前に立つ天正年間の石灯籠の基礎とは違うのです。
どうぞ見たことがあるという方は詳しい所在地を教えてください。
188 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/12 12:05:59
というか、まずそのソースを教えて下さい
189 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/12 16:15:00
>>188 『日本の石灯籠』 福地謙四郎・著 理工学社
『石仏と石塔』 文化財探訪クラブ8 石井進、水藤真・監修 山川出版社
ですが、知ってどうされるのでしょうか?教えてくれるのですか?
190 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/13 09:05:14
そんなもん、ないなあ
191 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/13 11:44:59
>>190 やっぱり、ないですか。
>>189の『日本の石灯籠』には写真まで
載っているのですが、見たことないんですよねー。
中金堂前のものと同じで、保存のために埋めちゃったのかな?
192 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/13 23:18:04
興福寺の人に訪ねるのが一番かな?
193 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/22 06:31:50
庭に石仏(お地蔵さんで我慢?)と五輪塔を置きたいよなぁ・・・
194 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/23 21:00:18
和庭に石仏。いいですねぇ。
でも、そのものは仏さんやお墓な訳だから、少しは祀る気持ちを持って
設置してほしいよね。
よく他人の庭にある物を見て思うことだが。
195 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/23 22:44:13
庭に層塔とか入れてる家を時々見かけるが。
自宅の庭で何を供養しているのかと小一時間・・・?
198 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/29 05:31:44
>323 のことです。
201 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/10/28 23:33:14
重文の石仏“間一髪”-収蔵庫の鍵壊される【桜井】
27日午前8時ごろ、桜井市金屋、重要文化財「金屋の石仏」の収蔵庫鉄製扉にかけて
あった鎖錠がなくなり、扉の上下2カ所にある施錠部分が壊されているのを、同地区
役員が見つけた。扉は開いておらず、中にある石仏2体は無事。桜井署は器物損壊事
件として調べている。
調べでは、石仏は地区で管理していて、今月1日午前8時ごろ、収蔵庫内のさい銭を回
収した際には異常はなかった。27日は、拝観希望者のために開けようとして気付い
た。
扉は観音開きで格子状になり中央部分に鎖錠をかけていた。上下の施錠部分は鍵穴が
壊れ、鍵を差し込んでも開けることができなくなっていた。
石仏は、平安-鎌倉時代作とみられる伝弥勒如来像と伝釈迦如来像の2体で、いずれも
高さ約215センチ、厚さ約20センチの凝灰岩板に彫られている。収蔵庫は鉄筋コンク
リート造りの約24平方メートル。石仏前の床には、拝観者が投げ入れたさい銭が散ら
ばっている。
市立埋蔵文化センターによると、2体とも収蔵庫内に固定されていて、重さも1体1トン
ほどあり「持ち出すことはまず無理」と話している。(2004.10.28 奈良新聞)
http://www.nara-shimbun.com/n_soc/041028/soc041028c.shtml
202 :
野仏 ◆KoFun.M6Z. :04/11/13 19:27:55
>>193 桃山時代とか、それ以降の茶人の間では、
茶室に至るまでの庭に、石塔や石仏、古寺の礎石等を
置くのが流行ったようです。
ちなみに、ヤフ○クでもたまに室町期とおぼしき石仏が・・・
ここのスレ久しいな・・・
203 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/14 09:40:33
>>201 金屋の石仏、見た事あるよ。
ついでに近くの長岳寺の石棺仏も彫りが深くて大きかった。
204 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/16 21:10:47
鎌倉は石塔、石造文化財の宝庫ですね。
206 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/11/21 08:36:28
その資料、名品ばかりだね。
千葉県立中央博物館の「語る・観る,房総の石仏」って展示面白かったよ。
209 :
野仏 ◆KoFun.M6Z. :04/12/05 18:37:16
京都の某寺院に調査にいったのだけど、
はっきりいってマイナーな寺にもかかわらず、
墓地には江戸初期のかなり大型で立派な
五輪塔が並んでいて壮観でした。
その奥には江戸時代だけどそこまで大きくない
普通のお墓が並んでいましたが、墓碑には
「宮内権少輔正四位・・・」とか官位がかかれていたり。
そんなに大きくない寺でも中々油断できないものですな。
210 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/06 00:21:55
どこですか?
寺院名は、都合により今はちょっと明かせません。
申し訳ない。
でも、よっぽど詳しい人でないと分からないと思う。
ヒントは、戦国武将好きならわかる・・・かも?
街中だけど、繁華街ではない。
212 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/06 16:12:04
213 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/06 16:14:09
つーか管理人自ら宣伝、乙w
「世界最古のこま犬専門Webサイト」がんばってくださいよww
214 :
野仏 ◆KoFun.M6Z. :04/12/11 00:04:39
今日、ある寺跡(平安〜室町」に実地調査に行ったのだが、
台風23号の影響で倒木多数。
で、ある倒木の根元をみると、埋まっていたと思われる
中世の石仏が出現していました。
215 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/11 01:32:50
おお!
悪徳坊主の頭を石仏に叩きつけて惨殺したい
知多半島で関東系の板碑型石塔(慶長)を見つけたときは嬉しかったな。
218 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 23:04:27
219 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/16 23:20:20
そうそう。
岩清水の石塔はビックリするよな。豊臣秀吉の墓の五輪塔もバカでかいけどさ。
220 :
野仏 ◆KoFun.M6Z. :04/12/18 08:49:46
>>218 す、すごい。
今度是非見学に行きます。
221 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/24 20:21:36
北野天満宮の参道の脇にある寺の境内の石塔もスゲー大きいよ。
岩清水の石塔の2/3くらいの大きさ?
222 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 02:09:45
臼杵石仏
223 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 18:04:27
石モノといへば、高野山奥の院も一見の価値あり。
224 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/30 21:09:21
あそこは大杉
225 :
野仏 ◆KoFun.M6Z. :05/01/03 12:14:06
今日、岩清水八幡宮に初詣に行ったついでに
航海記念塔他石造物を見てきました。
先に参拝のために本殿へ。
途中の参道に石燈籠がずらっと並んでいたので
銘文を確認しましたが、古くても慶長年間のものでした。
春日大社のように享禄とか、天文とか室町期のものを期待してましたが
残念。
参拝後、神社の関係者の方に聞いて、ふもとの航海記念塔に行ってきました。
想像以上に大きく、迫力ありましたね。
226 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 22:31:52
陰陽石はいかがでしょう?
227 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/17 21:14:43
道供養塔はどうでしょう
228 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/26 03:07:31
はじめまして。
栃木の佐貫石仏の下に屈んで入れる程度の洞窟みたいな空間があって
そこに無数の小さな石仏が並んでいました。
10年以上前でうろ覚えですが,皆赤いおべべを着ていたように記憶しています。
将門の妾・桔梗の前が祭られているといわれる,茨城の国道294沿いにある桔梗塚には,
狭い一角にかなり古そうな小さな石塔が乱立しているのですが,
同時になんだかよくわからない光が映った写真が額縁に入れられて
供えられてありました。
これらについて詳しいこと知っておられる方いませんか?
229 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/19 13:13:37
昔の墓地は村を見下ろすいい場所にあって、
梅や桜の木なんかも植わっている、今で言う公園みたいな場所がいっぱいあった。
春にはご先祖さんの隣で、花見がてらお参りしている家族の姿をよく見た。
もう、30年以上前の話。
231 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/03/11 18:36:46
今も昔も代々有る墓地の場所は早々移動しないと思うが。
232 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/21(木) 22:10:51
あげ
233 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 17:17:42
庚申塔や道標が特に好きで
今までは何も考えずに目に付いた神社や
墓所などを覗いてきたのですが
みなさんはかつての被差別部落にあたるような地域でも
気にせずに探索されていますか?
「ここがかつての部落」と分かって訪ねているわけではないので
知らずに住民に不快感を与えていたりするのかな、と
最近ちょっと不安になってきました。
というか、部落がどこにあるのか知らないし調べる気もなかったのですが
少しは気に留めて下調べを行ったほうがいいのでしょうか?
234 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 20:59:59
>>233 同和地区以外でも、特に田舎の農村なら
よそ者がウロウロしてたら警戒されますので、
同和地区は特に気をつけたほうがいいですね。
というより、関わらない方がいいです。
絡まれるとかなり厄介です。
235 :
233:2005/05/26(木) 17:10:13
>>234 やっぱり避けたほうがよさそうなんですね。
かと言って、どこが同和地区なのか
知る術もないので難しいのですが…
周囲の雰囲気を察知して気をつけるようにしてみます。
どうもありがとうございました。
>>234 確かに厄介ですね。
変な因縁つけられたり、暴行ふるわれても誰も介入できないエリアですから。
仰る通りだと思います。
237 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/08/31(水) 13:23:00
秀吉の墓を見に行った人から、やたらでかい日本の墓っぽくないやつがまばらに
あったと言ってました。
どんなのか分からないけど、なんなんですかね?そんなに古くないそうですが。
238 :
名無し愚問:2005/10/02(日) 17:05:10
ですが、石仏
道祖神など神でも→石仏ですか。あるいは石神? 総称して石仏
磨崖仏は、神でも→磨崖仏ですか。それとも磨崖神ですか? 総称して磨崖仏でしょうか
文献では、石仏・磨崖仏と書かれているのが多いようです
磨崖神=ほとんど無いから、言葉自体が間違いでしょうか。
239 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/02(日) 17:29:24
大魔神は?
240 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/10/11(火) 17:55:37
・特別展「覚園寺」の列品解説と見学会のお知らせ
このたび、特別展「覚園寺」への理解を深めるため、
鎌倉国宝館内での列品解説と覚園寺開山塔・大燈塔(ともに重文)の
拝観を組み合わせた見学会を行います。ふるってご参加くださいませ。
・日時 平成17年10月30日(日)
午前11時から鎌倉国宝館で列品解説
午後1時30分から覚園寺拝観
※どちらか一方のみの参加はできません
・講師 覚園寺副住職、鎌倉国宝館学芸員
・定員 40人(申し込み多数の場合は抽選)
※申し込み・・・往復はがき(1人1枚)に住所、氏名、年齢、職業、電話番号
(返信面には住所、氏名を書いて、10月15日(必着)までに鎌倉国宝館(〒248−0005 鎌倉市雪ノ下2-1-1)へ
241 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/28(月) 03:14:00
↑覚園寺の普段のコースには入っていません
243 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/11/30(水) 19:41:06
244 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 10:04:12
年末九州まわろうかな〜。
ちょっと変わった石仏でだれかお勧めないですか?
245 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/12/24(土) 10:04:28
246 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 00:00:34
九州もよかけど東京もよかとよ。東京大学隣に浩妙寺さんがあると。
ドラエモンの石仏を祀っておられるとです。よくできた石仏です。
以前の住職さんのときは無かでしたが、このたびの新住職さんが継がれてから
出現したとです。東京山の手の名物です。
247 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/02/18(土) 00:32:21
こんなスレッドがあったのか!
マジでっか?
ちゃんと承認取ってはるんでしょうか?
どのくらいの大きさですの?
ああ、逝きたい
249 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/04/03(月) 16:03:57
ググッタけど映像は無いな。
鬼平犯科帳に出てくる古い寺みたいだけど。
もう撤去されたとかなんとか。
250 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/06/25(日) 00:22:09
まだまだ落ちんよ!
亀扶が好き。
全国の亀さんを友達同士にしてあげたい。
252 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/16(土) 16:38:34
石は人間の営みに深く関わってきた。
人の頭を殴ったり、拷問の重しにしたり、身投げの必需品だったり・・・
今、石スレが落ちていくのを見過ごしにはできない。
あげっ!
253 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 12:50:04
こんど広島のヤマトミュージアムにでも行こうかと思ってるけど、石仏はないですかね?
>>253 自分が一つ阿弥陀様の石仏でも持っていって
「亡くなられた方々の供養におかせてください」
とお願いしたらどうです。
255 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/30(木) 23:33:18
256 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/22(月) 13:15:17
257 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/26(金) 22:25:21
田舎道を車を走らせてたら、石材店に大きな石仏の観音菩薩とか不動明王が居たんだけど
我が家の庭に欲しいな思った。
258 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/27(土) 16:19:11
かえばぁ
10尺でも50尺でも買えるよ
259 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/28(日) 00:15:12
いくらくらいするんですか?
260 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/28(日) 00:28:40
石塔寺サイコー
261 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/28(日) 19:58:54
>259
数千円から千万単位までだが、設置する台(基礎等も)掛かるからな。
億でも大丈夫だぞ。
262 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/02/23(金) 21:28:18
ドラえもん復活しよる。あーたまげた。
造立年月日の日にちにあたる部分に
「光」の三画目がないような感じで字が刻んである
元文五年の庚申塔を見たんですが
この字はなんて読むのでしょうか。
264 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/03/31(土) 09:34:39
石田純一
石田壱成
266 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/03/31(土) 21:31:46
石焼ビビンバ
267 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/03/31(土) 21:53:58
石立鉄男
DIYで自分チの墓を立てたい・・・・
269 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/05/21(月) 17:57:08
二十三夜塔ってどんな意味ですか?
それと石碑とBはセット物なの?
馬頭は何となく想像できるんだけど・・・
おせぇてエロイ人
270 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/05/31(木) 22:00:48
今月から東京国立博物館で板碑を集中展示してあるらしいんですが、
誰か見に行った人いません?
272 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/22(水) 22:22:46
浮上!
石材スレ発見あげ〜
俺、石材店勤務だからスレ発見して嬉しかった!
273 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/28(火) 21:05:39
由来が不明になった古い石碑が「石神」と呼ばれ更に「咳神」と転じて咳の病の平癒を祈願されるようになることがよくあります。
この世とあの世の関を守ることから奪衣婆が咳の神となり本来は無関係に造られた「石神」が奪衣婆と習合している例もしばしば見られるようです。
奪衣婆は偽経に由来する俗信の神様のようで実は仏教寺院ではかなり重要な役割を果たしているとも言えそうです。
女犯を犯しそうな修行僧が年老いて醜悪な姿を晒す奪衣婆像を観想し
今は若い美女も諸行無常の成れの果てはあの姿と悟って修行を続ける為の装置だそうです。
閻魔とセットで浄土系の寺に多い奪衣婆ですが本当は禅寺などにこそ相応しい像なのかも知れません。
「散歩の達人」での奪衣婆特集はよくやってくれました。
274 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/29(水) 12:54:21
>>273 石神(咳神)にはおしゃもじを供えて祈願する習俗がかなり見られます。
石神は呉音で“しゃくじん”なので杓子(しゃくし)を供えて祈ったのが古い形でしょう。
水道が普及すると杓子を普通に使うことも減り
飯柄杓(めしびしゃく)であるしゃもじ(杓文字)がお供えされるようになったんだと思われます。
275 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/08/29(水) 21:27:19
>>273 >修行を続ける為の装置
亡者の衣をはぐという話から
(客の衣をはぐ)娼家が商売繁盛の信仰を寄せたそうですが
皮肉なことですね。
276 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 15:54:50
三途の河原で奪衣婆が死人から奪った衣を
木に干す役目の相方はなんて名前だっけ?
277 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/09/01(土) 19:54:01
懸衣翁
278 :
276:2007/09/10(月) 19:03:54
保守。
280 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2007/12/01(土) 02:15:09
大分のある石塔を見に行ったら、しょぼくれた狭い公園のなかにポツントあった。
ナビにのってる文化財だから結構有名なんだろうけど。
知らない人がみたら、普通のオブジェにしか見えんぞ。
281 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/03/14(金) 22:31:39
良スレ
282 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/04/08(火) 12:05:51
283 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/06(火) 11:52:37
都内で五百羅漢のオススメスポットを教えてください。
目黒は行ったことあるので、それ以外でお願いします
>>283 杉並の上高井戸にある長泉寺
京王線の芦花公園駅から徒歩一分ほど
>>284 いわゆる「芦花公園(蘆花恒春園とその周辺)」は
芦花公園駅よりも隣りの駅の八幡山駅からのほうが近い。
芦花公園駅の駅名は「武蔵羅漢駅」に換えたほうがいいと思う。
「武蔵〜」と冠するのは、かつて徳島県板野町に羅漢駅があり、今でも石碑が建っていて駅跡地が記念されており、リスペクトの意味で単称を遠慮するのと、
「五百羅漢駅」にしないのは小田原市に伊豆箱根鉄道大雄山線に「五百羅漢駅」が今もあるから。
(芦花公園駅を武蔵羅漢駅に改名したらきっと
電車がホームに接触する事故が多い駅という汚名も改善される。)
>>285 芦花公園駅の辺りには石造羅漢で知られている古刹が二箇寺あります。
一つは既出の長泉寺(曹洞宗)で、もう一つは医王寺(真言宗智山派)。
医王寺は寺号から察せられる通りお薬師さまが本尊ですが、西暦834年に弘法大師が箱根で造立した霊像です。
箱根との縁も浅くないようですし、伊豆箱根鉄道の駅「五百羅漢駅」と同じ駅名になってもいいのではないでしょうか?
>>285 芦花公園駅の駅名は変えたほうがいいに一票だが
変更後の駅名は五百羅漢駅でいい。
遠い場所の違う会社の同名駅なら混同はありえないから不便はまったくないし。
だいたい「芦花公園駅」は徳冨蘆花・蘆花恒春園の蘆花とも字が違うし
読み方が分からず「あしばなこうえん」と読まれたりで良い事が殆ど無い。
京王はすみやかに「五百羅漢駅」に名を変えてもらいたい。
289 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/13(火) 09:35:02
沖縄でよく見られる石敢當ですが
本州でもいくつか古くから立てられている石敢當もあるそうですね。
都内でも古い石敢當が見られる場所はありませんか?
290 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/13(火) 22:58:56
最近は首都圏の新興住宅地の門柱の上にシーサーをよく見るようになった。
表札を見ても沖縄っぽいわけでもなく、どうも生粋のないちゃーの間でも、
飾りを兼ねて、シーサーを自宅の魔除けに置く事が流行っているようだ。
そのうち関東でも、T寺路の突き当たりにある家など、
石敢當を置く事が普通になってくるかも知れない。
291 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 00:46:15
沖縄圏にある石敢當の数は確かに多い。
だが、表札のように壁にただ貼られていたり、三字が書かれた小さな石が地面にじかに置かれていたり、
根本を埋めて建てられていたりで、オマジナイの石という感じであり、
石敢當に香華や供物を捧げて礼拝したりはしないようだ。
内地の石敢當は、数は少ないが、石仏や道祖神のように、台座があったり、香華や供物が見られたりで、
拝む対象として存在している石敢當もある。
292 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 17:49:02
今日の日本経済新聞の文化欄に魔除けの五芒星や九字格子について
研究してる人のエッセイが書かれていた。
かなり面白く読めてとてもためになった。
石敢當にも九字が一緒に書かれていた物があったような記憶もある。
293 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 18:01:41
>>292 「徳之島の石眼冨」で検索したりすると
九字の刻まれた石敢當(石眼冨)の画像が見られます。
294 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 19:27:01
奄美にも石敢當がたくさんあり特に喜界島がもっとも多い。
それも、喜界島の石敢當は九字紋付きが少なくない。
今日の日経に五芒星や九字の魔除けの話を書いていた学者さんの
石敢當についての調査の話なども聞いてみたい。
295 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/14(水) 22:24:05
チベットで多く見られるナムチュワンデンは九字の対抗だと思います。
我が国の家紋の一種「遠山九字直違」と見比べてみるとそんな気がしてなりません。
ナムチュワンデンと九字を絡めて考証した研究に出会ったことはまだありませんが
双方の研究者の乖離が縮まることを願っています。
297 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/30(金) 05:09:39
沖縄の石信仰に「ビジュル」と呼ばれる御神体がある。
丸みをおびた縦長ぎみの自然石だが、陽石信仰の風景を思わせる。
「ビジュル」という名の語源は「賓頭盧」らしいが、賓頭盧尊者としてあがめられている所はないようだ。
神社として、子宝の御利益で信仰を集めているビジュルもある。
本来は石敢当のように魔除けの意味で置かれたものか。
298 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/31(土) 07:38:37
沖縄で、三つの尖りぎみの石が、三角の位置に並べて立ててあってビジュルと呼ばれて崇められていたのを見た事がある。
それは、ビジュルと言うよりは「ヒヌカン」(火の神)で、本来は竈神だったと思う。
沖縄でも現代の民家ではもう竈は見られなくなって来ているが、台所のコンロのそばなどに、御神体もお札も像もなく、ただ香炉とお供えを置き、不可視の神を大切にしている家はまだまだ多い。
古い家に残る三つ石のヒヌカンも、本来、三つ石自体が実際に上に鍋などが置かれて下から火が焚かれ煮炊きが行われていた竈で、
やはり、竈神はお札や像で表されはしなかった。
台風に強いコンクリートの家に建て替えるときに、ヒヌカンとして祀ってきた三つ石を、家から離れた別の場所に移して、御嶽やビジュルと呼ばれて拝まれるようになった物も少なくないと聞いている。
299 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/31(土) 09:11:34
>>257 庭の中に置くよりも、塀の一角を外の道に向けて曲げて場所をあけ、通行する人が気軽に礼拝できるように石仏を安置してほしいと思います。
京都などは住宅街でも小さな石地蔵を祀る地蔵堂がたくさんありますが、
東京など大都市では都市計画でどんどん石仏が街の風景から消えていっています。
道路や新興住宅地が開発されていくと、どこかの寺院や霊園の無縁墓所に片付けられてしまうことも多いようです。
石仏に死者を思わせる暗いイメージがあるのでしょうか?
確かに、交通事故で死亡者が出た場合、その事故の起った場所に小さな石地蔵が立てられて、
都市の街中に新しい石仏が見られると思うと、そのような石地蔵ばかりのようです。
街の石仏は、その街の活気を招く、生き生きとした存在であってほしいと願っています。
庭に石仏を安置したいと願うかたは、家のそばを通る人々が信仰を寄せて、香華を供えて大切にして頂けるように、
石仏は通り道に面して安置してください。銅版葺きの小さなお堂や、尊号の書かれた赤地の提灯などもお願い申し上げます。
300 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/05/31(土) 09:22:06
弘法大師の石像がかなり好きです。
社寺の境内の一角に小祠があると、大師堂ではないかと思い、石造大師像が安置してあるのを発見できると嬉しくなります。
台座に水瓶や靴が掘られていたりするのもしばしば見られますが可愛く感じます。
水瓶と靴は、弘法大師像とはやはりセットとして欠かせませんね。
301 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 20:46:55
>>297 >丸みをおびた縦長ぎみの自然石
新宿の永福寺の福禄寿はビジュルのような御神体です。
302 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 21:07:27
303 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 21:24:53
関西に多いようなのですが、一見すると地蔵盆の地蔵でよく見ると如来形で「天道大日如来」として小祠に祀られているのによくであうのですが、
この「天道」大日如来ってどういうことなのでしょうか? お教え下さい。
304 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 22:06:49
天道大日は天道念仏の踊り仲間が祀った大日如来ですね。
天道念仏は踊り念仏の一種で
浄土教よりも密教(特に両部神道)系の踊り念仏と見られています。
ある時代に熱狂的に全国に流行し
今も伝承しているところがたくさんあります。
踊り念仏というと一遍の時宗を思う人も多いでしょうが
天道念仏はむしろ
「ええじゃないか」や「おかげ参り」などに近いかも知れません。
「ええじゃないか」「おかげ参り」などは
伊勢神宮と結びついた極めて神道的な現象でしたが
天道念仏は太陽信仰が念仏と結びついた「仏教版ええじゃないか」と
いったところでしょうか・・・
305 :
304:2008/06/03(火) 22:20:09
ありがとうございます!
その「天道念仏」ではどんなことばが唱えられたのでしょうか? それから、いつの時代ぐらいに流行したものなのでしょうか?
京都などを歩いていると、真新しい札を掲げて「天道大日如来」と書いてある祠もよく見かけるんですが、今もその信仰・念仏は生きているのでしょうか?
306 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 22:50:16
307 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/03(火) 22:59:46
308 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/04(水) 23:04:29
天道念仏は山形の天童を中心に、東北でまずさかんになりました。
動画でご覧になっておわかりのように芸能色が濃いものになっています。
これは、東北が飢饉の時に、村人がこぞって天道念仏を踊りながら喜捨を求めて遊行したからなのです。
それで、喜捨をできるだけ多く集めるために、見て楽しめる舞踊へと発展していったのでした。
飢饉の時のチャリティー興行の意味が込められていたのでした。
そして、天道念仏は、喜捨を集めながら、各地に同じような念仏を根付かせて行きました。
こうやって、諸国に天道念仏が広まったのです。
309 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/09(月) 07:07:44
>>301 福禄寿は南極星の精とされています。
りゅうこつ座α星を南極老人星としてこの星神が福禄寿。
永福寺の福禄寿御神体はもしや隕石では?
北極星や北斗七星の信仰である妙見社には隕石が祀られていることが多いようです。
永福寺の福禄寿石も一度アカデミックな方面に依頼し非破壊検査で精密に石質を分析してもらったほうが絶対にいいです。
隕石であったなら、星神である福禄寿の御神体石として大いに神徳を世に知らしむることにもなりましょう。
310 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/09(月) 12:58:14
星神社や妙見神社と呼ばれているお宮は隕石が落ちた場所にその隕石を祀ったのが起源であることが多い。
東京新宿の永福寺の福禄寿は、植木職人某が善光寺参りをした折り、旅先で不思議な形の石に出会い、持ち帰って祀ったのが始まり。
もし、本当に隕石だったら、星の神の御神体としてふさわしい石をはからずも南極星として祀ったわけで、
不思議な因縁を感じさせずにはいられないな。
311 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/13(金) 05:35:46
福岡県直方市下境にある須賀神社に安置する隕石が
落下時に多くの目撃者の記録がはっきりと遺っている世界最古の隕石。
すでに神社(祇園社)があって、その神域に落下したので、記録も遺り恭しく崇め守られてもきたもよう。
312 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/14(土) 05:00:37
>>309 NASA駐日代表部に依頼してみてはいかがでしょうか?
313 :
石屋:2008/06/16(月) 20:42:06
仕事が安くて死にそうです・・・どなたか、1000万円くらいのお墓建ててくれませんか?
314 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/06/28(土) 20:43:21
スレチだけど教えて下さい
東京石仏写真連盟が毎年7月に浅草で写真展をやっているが
今年の日程わ分からない
案内葉書もっらっていたんだが引っ越して葉書がこない
古い葉書もないから連絡先もわからん
教えていただけたらありがたいです
315 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/04(金) 21:45:57
>>314 確か7月10日から7月13日まで
浅草公会堂IFのギャラリーで開催されています
東京石仏写真連盟は20年以上続いている団体です
興味があれば行って損は無いですよ
316 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/07/05(土) 20:01:56
317 :
314:2008/07/05(土) 21:00:57
>>315 ありがとうございます
今度の土曜日に行きます
前回いったときは結構いろんな場所の石仏写真がありました
確かに興味があれば行って損はないですね
確か18時ごろまでですよね?
318 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/08/19(火) 12:43:37
名古屋駅近いオータケパーキング付近に地蔵尊があって
その隣に並んで三宝荒神像があったような
青面金剛(庚申塚)だったかもしれない
319 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/05(日) 06:08:35
面白いスレですね。
ドライブの際に、岩に彫られた仏さんや、路傍に置かれた石塔などに興味を持ち始めたところ、
大阪府豊能町立郷土資料館で、いくつかの石仏(古いもので14世紀はじめ)などの写真を見、さらに興味を深めたところです。
このスレのより一層の隆盛を祈ります。
途中で送信してしまった…。
昨日、大阪府豊能町立郷土資料館に行って、いくつかの石仏などの写真を見たんだけど、
古いものでは14世紀の初頭に彫られたものとか。
そんなのが野ざらしで残るんだから……。
石の記録保存の媒体としての偉大さに感動したところ。
よくみると、旧道沿いに石の道しるべなんかもけっこうあるし、
好太王碑文なんかは石だからこそ残った記録だろうし。
321 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/10/05(日) 13:40:34
323 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/09(日) 14:55:09
案外後世になってから増築された物だったりしてちょっとがっかり
324 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2008/11/28(金) 13:28:58
誰もいないようなのでageときます
家の近所に「海王回起」と彫られた古い塚があるのですが
意味がわかる方いらっしゃいますか?
豊胸淫蕩
三宝荒神の石仏は少数派でしょうか。
関西には多そうな気がするのですが。
327 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/02/07(土) 08:17:40
あげまする
328 :
石塔薬師:2009/04/14(火) 03:45:54
当尾(とうの)でしょ。浄瑠璃寺とかの周辺。
室生寺行く時に通る大野磨崖仏も。
有清園のわらべ地蔵というのを最近知りました。
とてもかわいいお地蔵さんたちですが、時代はいつ頃のものなんでしょうか?
あまり古くない気はしますが
330 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/30(木) 21:47:26
東京都葛飾区には「立石」という地名があります。
この地名の由来にもなっている「立石様」と呼ばれて崇められてきた霊石がのこっています。
京成線に立石駅という駅もありますが、立石駅の隣りの青砥駅からも歩いていける距離に鎮座しています。
一度、地名の由来にまでなっている立石様にお目見えしてみたいと訪ねたことがありました。
しかし、とても分かりづらい場所にあって探し出すのに苦労しました。
331 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/30(木) 21:53:39
葛飾区の立石様の参道と接する街路樹の並ぶ道を川のほうへ進むと、
土手沿いをはしる道と交わる一角に
「帝釈天」の石塔を見つけました。
柴又の題経寺の講によって立てられた庚申塔と見てまず間違ないでしょう。
しかし、傾き気味で、お供えなどを置く台も見られず、信仰が絶えてしまっているかのようです。
332 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/30(木) 21:58:28
>>331 この土手に沿ってのびる道には石仏が所々に安置されていて
しっかりお堂で覆われて、幟旗や提灯など、信仰が生きている景色がみられるのですが、
そんな中で、この庚申塔が朽ち果てたままでいるのは残念に思いました。
333 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/04/30(木) 22:03:09
>>332 信心深いかたがたが古くから多くお住まいのお土地柄のようですし、
この帝釈天の庚申塔にも、石塔を覆うお堂が造られて、
神聖な石を崇める風土の一員となれますように祈っております。
334 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/01(金) 20:03:28
葛飾の立石様は昔は立って見える石だったようですが
今では地面に埋没したような形になってしまっています。
風化もあるでしょうが、
出征兵士の御守りとして削られたりもしたらしいそうで・・・
335 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/03(日) 00:04:37
葛飾の立石様は仏足石のようなものです。
仏足石は、仏陀の足跡を前に、そこに仏陀が立っておられることを観想し、
ご供養をお捧げして礼拝します。
立石様は、稲荷大明神さまがそこに立っておられると観想して礼拝するのです。
336 :
↑:2009/05/03(日) 21:08:23
つまり
「立石」は「(上に載って)立つための石」であって
たとえば「お立ち台」みたいな名称なわけか
337 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/04(月) 11:59:26
わらい仏
あれ、斜めになってるけど、そんでいいのかな
338 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/07(木) 21:04:12
笑い転げてるからいいんでは?
339 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/11(月) 09:11:10
旧古河庭園の十五層の石塔の
傍らにある説明板に「ストゥーパ」にまでさかのぼっていろいろ書いてましたが
なんかの供養塔ですか?
足尾鉱毒事件の被害を受けた死者と死産児の全ての御霊を弔う塔として
お香やお華などのお供えをお捧げする台を設置してはいかがでしょうか?
古河男爵家の大庭園が伝える歴史を学ぶ重要な一角となるはずです。
340 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/05/11(月) 09:47:57
>>339 石造の層塔は十三層塔ならよく見掛ける。
十五層もあると、さすがに高過ぎて、安全性も著しく劣るのか、
旧古河庭園の十五層塔は最上層が相輪塔部分とともにはずされて
傍らの地面に置かれている。
群馬県太田市毛里田地区に1977年に建立された
「祈念鉱毒根絶碑」は
“記念碑”としない理由として、まだ、
鉱毒問題が解消されていないからという考えからだという。
旧古河庭園の最上層を塔上に載せない十五層塔も
世界から鉱毒問題が根絶したときに完成された塔の姿を見せるとして
「祈念塔」としてはいかがだろうか。
341 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/23(日) 16:35:10
age
奥多摩の石仏巡りをして来ました
テスト
344 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/02/11(木) 17:17:33
345 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/02/11(木) 17:28:15
>>263 三年も経ってスレしてみるが
その字は「元」の異体字。
元日って彫ってあるわけ。
346 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/02/19(金) 09:42:13
石位寺の石仏は、凄かったYo!
>
http://uproda11.2ch-library.com/11231702.jpg.shtml 本尊が足を組まずに投げだす形で、他では見られない形式のモノです。
この近くを流れる栗原川上流にあった白鳳時代の渡来人により創建された栗原寺の
層塔の四隅に配置されていたモノの一つ、と地元では云われています。
また、洪水の時、栗原から流れてきた、と云う話もありますが、現物には傷もなく、
それは誤伝のようで、桃山末かた江戸時代初期にかけて、忍坂近辺が交通の要所と
なり栄えた時に、石位寺の住職が買い求めてきた、と云う話もあります。 この石仏の
彫り方を 「栗原流」 と地元では呼んでいるようで、それが 「栗原川から流れてきた」
と云う誤伝の元になったようです。
天蓋の一部や、石仏の唇、脇侍の一部に彩色がありますが、これは後補のようです。
348 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/05/25(火) 23:38:12
しかし石仏って人気ねーなw
ホトケになっちまったからな...
350 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/07(月) 01:43:24
こないだ東京荒川区の小塚原の大地蔵を参拝したが、
寺域に隣接するビルが老朽化を極めていて
地蔵尊そばの題目塔の真ん前に、解体工事のためのプレハブ事務所などが建っていたりした。
いっそのこと、解体を待つ老朽化したビルや、
延命寺のビル型堂舎は無くしてしまって広場にできないものだろうか。
延命寺は回向院に吸収合併して、小塚原大地蔵の霊場は回向院の飛境内として位置付ければいいと思われる。
もともとは回向院の一部だったのが鉄道や道路新設などで分断されて延命寺という別の寺を建てたらしいが
別寺院を建てなければならないほど離れているわけでもないし。
351 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/06/13(日) 03:52:07
長野の上田市内の寺にいいことが書いてあった。
石仏は朽ちるまでが寿命だから、うちの寺ではそうなるまで大切にしてます。
という意味のこと。
寺の改修工事の際に墓石も石仏もボロいのは産廃に出すことが多いから
ありがたい寺だと思って、1円賽銭しといたw
男性器を金精様と呼んで祀った石仏ってあるけど
女性器の石仏?石像?に洒落た別名ってあるのかな。