1 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
かつて、静岡県富士宮市の日蓮正宗大石寺に正本堂があったのですけれど、
なぜユネスコの世界遺産に登録されなかったのでしょうか。
20世紀を代表する宗教建築だったのですけれど、
残念なことに取り壊されました。
世界遺産に登録されていたら、このようなみじめなことにならなかっただろう。
2 :
加護チャンです☆:02/03/24 18:20
アホか〜。
あんな下衆で下品な建物、取り壊して正解☆
静謐な寺院建築の中に降り立った、悪の秘密基地みたいな感じだったじゃん。
・・・わたしは正宗関係者でも何でもないんだけど、アレはなぁ・・・と。
美意識として許せなかったよ、わたしは・・・。
3 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/24 18:24
正本堂の取り壊しには、建築関係の団体も反対しましたよ。
サンピエトロ大聖堂に勝る宗教建築を取り壊すなんて、
建築文化に反している愚かなことだと怒ってたよ。
4 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/24 18:30
草加は意地をみせて、信濃町にでも旧大石寺正本堂をはるかに凌ぐような、
どえらい宗教建築物を建てるべし。
どんどん金を使ってゼネコンを救え、景気回復の役にもたつだろう。
そうやって少しは社会の役にたつようなこともしてくれ!
5 :
加護チャンです☆:02/03/24 18:38
3はウソ。
施工業者は怒ってたけど、それは「サンピエトロ云々」じゃないもん☆
金にあかせて、核シェルター軍事基地なみの、建築家としては資金を気にせず立てられた夢のような建築だっただけ。
だから怒ってたのよ。
どっちみち景観をブチ壊す正本堂は叩き壊して正解☆
正本堂はそんなに悪い建築じゃなかったと思うよ。
異様な建物だったが景観破壊って言っても周囲は森だし、
大して迷惑もかけてなかったしね。
個人的には、取り壊されたことは少しは惜しい気もしたよ。
あれに匹敵する規模の仏教建築というと、あとは立正佼成会
の本山とか、鶴見総持寺の大本堂とか、いくつもないからね。
しかし、1=3は草加をおとしめることを目的としたキチ●イ学会員を
装ったアオラーでしょ?
世界遺産って発想がいいよね。
確かにユネスコって金さえ出せばいくらでも登録してくれるって感じだもん。
日本の世界遺産指定が、世界遺産の価値をおとしめてるよね。
日光が世界遺産? 笑ったよ。そのうちタイガーバームガーデンも登録するん
じゃない?
宇都御魂は壊れている。
8 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/25 07:08
日本は芸術としての建築を軽視していますね。
今までの伝統にとらわれない独創的な宗教建築を取り壊させて、
建築文化に質邸だと思います。
昭和の建築だから軽視してとか。
9 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/25 07:09
10 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/25 17:43
お寺というのは古い形式にとらわれなければならないのでしょうか?
11 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/26 18:42
しかし、あの建築様式は独創的なのに評価しないのでしょうか?
正本堂の写真集を持っているが、世界遺産のものと並べて評するほどの建物とは思えんのぅ。。。
>>7 創価板に(・∀・)カエレ!!
13 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/30 06:37
しかし、あのような宗教建築はもう二度とないよ。
14 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/30 19:45
戦後の建物では無理じゃない?
15 :
加護チャンです☆:02/03/30 22:39
世界遺産は無理だよ☆ 建物の気品に欠けてるし・・・☆
やっぱり、伝統墨守すべき部分は、したほうがいいと思う。
わたしは学会派ではないけど(亡国の真言です★)、客観的にそう思うよ☆
高野山の坊でも、近代的な建築は嫌だもん♪
大石寺正本堂は、世界遺産は無理だけど、建築史上の一モニュメントとして信濃町にでも移築する、という手もあったかな☆
でも、正宗に移築費用はないし、学会も山に行けないしね☆☆
でも、個人的には、あの建物は嫌い★
16 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/30 22:57
世界遺産・・・?
プ・・・アフォ勘違い集団が・・・。
カルト認定されてる集団の建物がそんなもんに認定されるか、ボケ。
それとも博士号とか名誉市民みたく、ユネスコに金積むか、台錯ちゃんよ!
17 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/30 23:01
今、一番参ってるのはクレムリンなんだなぁ。
レーニン廟まで世界遺産の一部分なんで壊せないんだよ。
ロシアが帝国に戻ってもクレムリンとその周辺の景観が世界遺産なんで、
レーニン廟もそのまま永久にあそこになきゃいけないってことだ。
めったに世界遺産なんか認定するもんじゃないな。
18 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/30 23:05
帝政ロシアは日本の敵である。
まあ、共和制ロシアもほとんど敵に近いけどな。
ソ連?
死んでください(もう死んでるか)。
権威付けが大好きな創価の事だから牧口記念会館とか申請しかねんな(藁
20 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/31 19:04
今までの宗教建築物は、王族や貴族などのためのものが多いが、
民衆のためのこのような宗教建築物はないと思います。
21 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/31 19:18
>>20 なんで大宮殿が民衆のため?
結局、特殊な信仰を持つ限られた人たちが儀式を行う建物だよ。
こんなことに金を使うのが“民衆のため”だなんて本気で言ってるの?
・・・実は学会員を偽装したアオリさんでしょ、
>>20。
そこらへんの寺は民衆のためのものではないとでも?
創価会館は創価員のためのものであって民衆のものではないよな。
24 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/31 22:56
創価=民衆。
これは、創価=人間・正義・被迫害者。
そして、創価 have 題目・御本尊。
然るに、創価→勝利・広宣流布・公明躍進。
ゆえに、日蓮正宗→日顕失脚・池田大先生国民栄誉賞。
つまり、国立戒壇建立・他宗教排撃→創価帝国樹立。
まんせー。
>24
で、これのドコが仏教なんだ?釈迦の教えなんだ?
揶揄だよん。
創価は仏教じゃないさ。日蓮聖人のおしえも、仏教の本流ではないよね。
あれはあれで味わい深い教説ではあるが。
>>24 ハゲシクワロタ。
m(_ _)ノ彡☆バンバンm(_ _)ノ彡☆バンバン
日蓮が生きていたらどう思うだろう。
29 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/07 00:24
親戚の家が近くにるんで、ひと月前くらいに遊びに行った時にあの辺り
通ったけど、もうなんだかひっそりしているというか、人の気配も無く
まるでゴーストタウンみたいな感じだったな。
昔がどうだったかは覚えてないけど。
新興宗教だからです。
31 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 05:00
建物的にもシェル構造で無理してつくっている感があったので、
30年を経て、傷んできたというのもあるんじゃない?
同様の代々木の体育館もボロボロだし。
32 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/07 08:41
>>30 日蓮正宗は新興宗教じゃないよ。
今年で立宗750年の伝統的な宗教だよ。
正宗は、日蓮系カルトを生み出してる。
元祖ではなかったですか?
今では、学会からカルト扱いされてるけど、
学会とつるんでたとき、後藤組ヤクザ使って
立ち退きやったて本当ですか。
35 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/07 14:05
日蓮正宗自体がカルトだ。
他宗派を無視して自ら孤立を招いている。
あぼーん
37 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/11 18:56
しかしでっかいのが建ったねー
38 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/11 21:21
人類の負の遺産シリーズの一つとしてならのこしてよかったかもしれん。
阿部日顕管長、池田大作SGI会長この2人が逝去すると、
建造物、精神、人の繋がりあらゆる関係する統べての禍々しいものが
瓦解し無になると考えられます。
神仏は人間自身の自浄作用を待っています。
40 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/16 14:57
age
41 :
名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/16 22:13
日蓮宗は初めからドキュソな宗教。
日蓮は狂信者、頑固者で折伏という強引な不況活動、排他的で不寛容な教義は
当時の多くの民衆から嫌われていた。ただその「カルト的」純粋さに惹かれた者が日蓮宗の
発展を支えていくことになるのだが。
そのころの権力と癒着して腐敗した他の宗派に対するカンフル剤となったのは確かだろう。
まあ、ある意味筋の通った宗教ではあるが「人の言ったことを鵜呑みにするな」
と言った釈迦の教えとは全くかけ離れていることは明らかであろう。
残念ながら今では権力に一番癒着し、甘い汁を吸っている宗派が日蓮系(創価学会)だが。
猛御雷雄は0号とハキリに破れて創価板から遁走した。
43 :
ガチョ〜〜〜〜ン:02/12/23 23:41
(^^)
ヽ(#・3・)ノエェー ヽ( ・3・)ノ ウッホーイ
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ヽ(#・3・)ノエェー ヽ( ・3・)ノ ウッホーイ
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ヽ(#・3・)ノエェー ヽ( ・3・)ノ ウッホーイ
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ヽ(#・3・)ノエェー ヽ( ・3・)ノ ウッホーイ
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52 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 00:00
やっぱり、学会員は、気違いばっかりか・・・。
あんなクソ建築なくなってよかったよ。
ついでに学会員全員が死んでくれるともっといいがな!
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
55 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/23 08:17
さて、正本堂の跡に建てられた奉安堂は、
他寺のパクリの建築様式ですね。
独創的ではないね。
58 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/23 16:41
59 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/17 06:55
日顕よ、金返せ!
日建よ、金貸して!
61 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/05/23 11:37
建築学会も後悔していますね。
自分たちを批判する意見を弾圧する創価学会員の本質が良くわかる掲示板
【創価仏法研鑽掲示板】
http://jbbs.shitaraba.com/study/168/ 掲示板はいたるところ削除だらけで、戦時中の検閲だらけの新聞並み
少しでも創価学会を批判した書き込みをしたらIPを晒すと脅しているので
ヲチするだけにしたほうが賢明
公明党はこういう連中で構成されてるんだから、腐敗政治家保護法案に
大賛成だったんだろうな
これで日本から言論の自由がなくなってしまう悪寒・・・
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
日蓮は若い頃、虚空蔵求聞持法をやった。
で、最後は両脇が愛染明王と不動明王の曼荼羅つくった。
空海恐るべし!!!
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
∧_∧ ∧_∧
ピュ.ー ( ・3・) ( ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
= ◎――――――◎ 山崎渉&ぼるじょあ
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
69 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/17 10:05
奉安堂なんか安普請だ。
70 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/06 09:47
>>1 世界遺産には、詐欺行為の建築物は該当しません。
正宗とは ? 不正宗ですね。
71 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/21 05:18
バーミヤンの大仏とかわらない、宗教芸術が破壊されたね。
72 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/27 20:19
あんなもんと一緒にされたら、バーミヤンの大仏が泣いて怒るぞ。
74 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/11/16 09:31
さて、今までで世界中で最もよかった宗教建築はどんなものでしょうか?
75 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/10 23:08
奉安堂になっておまいりしやすくなったよ。
段数もすくなくなったし。子連れにはありがたい。
正本堂最後の御開扉に参詣しました。さびもだいぶめだってました。
コンクリートは日本の風土にあわないようですね。
76 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/14 15:06
正本堂の破壊は、
バルセロナにあるガウディ設計の聖家族教会を破壊するようなものだ。
77 :
名無しさん@京都板じゃないよ:03/12/18 01:43
願主が謗法だからしかたないね。
79 :
あげ屋さん ◆P1AWcg9OTs :04/02/06 22:17
(・∀・)age!
80 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/03 21:25
大石寺の正本堂って鉄筋造りなんですか?
日蓮宗は排他的である。というのは一理ありますね。。。。
しかし、他宗派にはない総合的な説得力があったのですかね。混合宗派天台宗とは違う法華経の理解で。
それが釈迦の教えと違うと今は研究で分かっても800年前はそれが釈迦の言葉であると信じてもしょうがないことです。
四十余年未顕真実とか、この経を誹謗すれは無間地獄におちるとか、
正直に方便を捨てこの真実経に帰依せよとか。
マルクス主義がそれが詭弁でも、歴史を科学的に観察して労働者革命の必然を主張し
それが歴史から与えられた使命であるというのとおなじだよね。
労働者は歴史から使命を必然的にあたえられた救世主であり、来る共産主義革命を経た共産主義社会は人間の天国である。と。
歴史の必然=法華経や無量義経に示された必然という形式ですかね。。。
82 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/09/06 22:34
次の機会があるさw
>>80 鉄筋コンクリートシェル吊屋根構造・・・と極めて特殊な構造。
精巧な模型作って強度試験したらしいよ。
まあ、外壁がコンクリート打ちっぱなしと同程度の耐久性しかない大理石
だったからね。毎年の維持修繕費が膨大だったとか。
建設された時から、取り壊しまで、人間革命に書かれていたので参考まで・・・
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
正本堂の建設で、最も困難であったのは正堂にあたる「妙壇」であった。
その安全性を追求するさまざまな計算のために国内有数のコンピューターをフル回転させた。
また、使用する鉄骨に対しても、加工や溶接後の引っ張り試験や衝撃試験などが厳密に行われたのである。
さらに、正本堂建立地の一角に大実験室が設けられ、そこに妙壇の十五分の一の大型模型がつくられた。模型といっても、幅九メートル、高さ四メートルである。
この模型で、起振機を使って、横揺れ、縦揺れで受ける影響や、風、雪に対する強度試験、妙壇屋根面の梁の強度試験などが繰り返された。
失敗の許されない仕事である。検証がなされずに、あいまいさや不明な部分がわずかでも残っていれば、それが大事故の原因となる。
大事業とは、どんな小さな事柄もおろそかにせずに、一つ一つ検証し、確認することによって初めてなされる、完璧な小事の集積である。油断、妥協を徹底して排することから、大事業は成る
着工大法要から一年を経た、一九六九年(昭和四十四年)十月十二日には定礎式が行われた。
後本尊を安置する須弥壇の基底部分に、世界百三十五ヵ国・地域の石を埋める儀式である。
山本伸一は、正本堂建立を発表した六十四年(同三十九年)五月三日の本部総会で、日本各県の石はもとより、世界各国の石も集め、正本堂の基礎に埋め、荘厳したいと語った。
正本堂は世界平和を祈願する大殿堂であり、人類の幸福を実現し行くための道場である。
それだけに、その礎は、なんとしても、世界の石を納めたかったのである。
伸一は、その先頭に立ち、海外を訪問するたびに、自ら石を採取して歩いた。
また、彼の提案に賛同した海外のメンバーも、来日の折りに石を持ってきてくれるなど、協力を惜しまなかった。
幾つもの言語や宗教、民族によって構成されるユーゴスラビア(当時)の石も届いた。
パリで画家として活躍する長谷部彰太郎が、ユーゴスラビアで行われた版画展を訪れ、会場の美術館の前で見つけた美しい石を、送ってきたのである。
仕事で海外に出張した会員や外国航路で働くメンバーも、各国の石を採取してきてくれた。これら同志の尊い尽力によって、分断された双方の国や、紛争が絶えない国の石も集まった。
サウジアラビアやイスラエル、イラク、イランなど、中東諸国の石もそろった。そ連をはじめ、社会主義国の石も、たくさん集まった。
アフリカの石もあった。なかでも、ガーナからは、独立の父エンクルマ初代大統領の別邸として使われた家の庭の石が届けられた。
その家に、日本から手工芸関係の技術指導員として派遣された壮年部員が住んでいたのだ。彼はこの庭の石を大西洋の海水で洗い、磨いて日本に送ったのである。
南極観測所の乗組員となった学会員がとどけてくれた、昭和基地周辺の石もあった。
平和建設の礎石とは何かーーそれは、この世から断じて不幸をなくそうという、人間の固い誓いである。強き意志力である。その心が正本堂に結集されたのである。
定礎式が始まった。
既に周囲には、建物の骨格となる鉄骨が立てられていた。
式典会場の中心となる須弥壇の基礎部分には穴がつくられ、そこに世界の石を入れた、直径一メートルの円板形のカプセルが納められていた。
このカプセルは特殊ステンレス製で、フタを開けると、中には蜂の巣状に穴があり、そこに、世界の石が一つ一つ入れられている。
日達法主は、この式典の「表白文」のなかで、「正本堂は、本門戒壇の大本尊安置の霊堂にして、梵天大釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり」と、「三大秘法抄」の御文に即して、正本堂の意義を再確認した。
そして、カプセルのフタに、山本伸一が願主として刻んだ銘文を読み上げていった。
「この正本堂は、一閻浮提総与の大御本尊を御安置し奉る法華本門事の大戒壇である。全人類の永遠の平和と繁栄を願望する民衆の建立による立正安国の根本道場たる大殿堂なのである。
(中略)世界全民衆の参画を象徴し世界百三十五か国から寄せられた石を大御本尊安置の真下の礎石のなかに納めここに定礎とする」
参列者は、その意味を深くかみしめていた。続いて定礎の儀式となり日達法主と伸一が、カプセルに納めきれなかった世界の石を、スコップでカプセルの上に注いだ。
伸一は戦火の絶えない世界を思いつつ、心で真剣に、平和を祈り念じていた。
この年、中ソ国境では三月に武士衝突が起こっている。核兵器を保有した両国の紛争は、第三次世界大戦に発展しかねない脅威を人々に与えていた。
一方、ベトナムでは、段階的に米軍の撤兵が始まってはいたが、事態は泥沼化の様相を呈し、和平への確な展望は、いまだ見えなかった。
“だからこそ、世界平和祈願の大殿堂を建立するとともに、仏法という生命の尊厳と平和の大哲理を、一日も早く、世界に流布しなければならない“
それが、伸一をはじめ全学会員の決意であり、誓いであった。
平和の実現を離れて宗教はない。平和への貢献こそ、宗教者が果たすべき第一の使命である。
定礎式から、工事は第二期に入り、建設に拍車がかかった。
一九七〇年(昭和四銃五年)三月には、「妙壇」の最初の鉄柱が立てられた。
この年の十月十二日には、上棟式が営まれ、須弥壇の真上にかかる「棟梁」の取り付けが行われた。地上約五十五メートルでの作業であった。
その後工事の大きな山場は、「妙壇」大屋根の支えを解除する「ジャッキダウン」であった。
「妙壇」の屋根は東西百十メートル、南北八十二・五メートルもあり、完成時の屋根の重量は、約二万トンと想定されていた。
その屋根を吊り上げるのが、自転車の車輪のように、中央リングから楕円形の縁梁に、放射線状に延びた三十六本の鉄骨である。
この鉄骨の要となる中央リングを地上約三十メートルの高さで支えてきた仮設構台から「ジャッキダウン」である。
仮設構台を外せば、中央リングを降下し、それによって柱も動く。もし、これまでの構造計算に間違いがあれば、どんな事態が生じるかわからなかった。
七一年(同四十六年)六月十七日、遂にその日が来た。
建設現場は、早朝から、ピリピリした空気が流れていた。
“問題はない。コンピューターを駆使して計算を重ね、実験に実験を重ねてきたのだ……”
担当者には、完璧を尽してきた自負があった。それでも不安は拭えなかった。新しき挑戦に、「安心」という言葉はないのだ。
中央リングは、十メートル四方の台の上に設置された、十二基のジャッキで支えれていた。
午前十時五分、作業が開始された。
油圧ポンプを使い、約十分かけ、十二基のジャッキにかかる荷重を均等にしながら、少しずつ下げていった。
そのたびに、中央リングの降下量、梁の歪み、南北最高部の柱頭の内外への移動量などが計測された。
三十分後に第三回が行われた。
そして、午後四時五十二分、最後の十一回目のジャッキダウンが行われた。
一九七二年(昭和四十七年)の十月一日には、遂に正本堂の完工式が営まれるに至った。
式典には、学会をはじめ、宗門、法華講、設計・工事関係者の代表のほか、国内外の来賓千数百人、報道関係者五十五社九十人など、合わせて六千人が参列した。
山本伸一は、「法庭」から正本堂の中に入る中央ブリッジ入り口の紅白のテープにハサミを入れた。そして、日達法主を先導していった。
白亜に輝く、正本堂の荘厳さに、参加者の誰もが息をのんだ。
完工式は、読経に続いて、宗門の総監のあいさつとなった。
ーー正本堂の発願主であり、建設委員会の委員長として辛労を尽してきた山本伸一がいてこそ、今日の完成を迎えることができたと、彼は深く感謝の意を表した。
さらに、正本堂建立共同企業体の代表から、山本伸一に、「正本堂竣工引渡書」が提出され、伸一からは「受領書」が渡された。
そして、伸一から日達法主に御供養目録が差し出され、正本堂は、建設委員会から大石寺に正式に供養されたのである。
副会長の十条潔の経過報告のあと、海外各地から寄せられた祝賀のメッセージの一部が紹介された。メッセージは国連事務総長やアメリカの副大統領、カナダの首相、フランス・パリのオペラ座の総支配人など、全部で百通を超えていた。
この日、海外からも多くの来賓が出席していたが、席上、アメリカのサンタモニカ市長から、伸一に名誉市民の称号が授与された。
サンタモニカには、アメリカの中心会館がある。市長は、苦悩にあえいでいた人びとが、仏法によって蘇生していく姿を目にしてきた。
このほか、正本堂落慶に際して、伸一の社会と平和への功績を讃え世界の三十一の州・都市からも、名誉市民などの称号が贈られている。
また、式典では、ベネズエラの特命全権大使の祝辞もあった。
それらは、まさに「大梵天皇・大釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」(御書一○二二ページ)との御門を思い起こさせた。
日蓮仏法は、人間主義の世界宗教であるー山本伸一のあいさつには、その強い確信がみなぎっていた。
彼の話に、場内からは拍手が沸き起こった。
完工式では、最後に伸一から、設計、施工にあたった各社の代表に感謝状と記念品が贈られた。
彼は、できることならば、建設業に携わった方々を、一人ひとり抱きかかえ、心から御礼を言いたい思いであった。
正本堂の建設が始まってからというもの、作業に励む人達のことが、伸一の頭を離れることはなかった。日々、彼は、全員の無事を祈って題目を送り続けてきた。
厳寒の日や炎暑の日など、よく側近の幹部に、今日は何人の人が作業にあたっているかを調べてもらった。そして、靴下やシャツなどを手配し、贈ることもあった。
また、伸一自身、何度となく、建設現場に足を運んだ。応対してくれた人や、黙々と作業に励んでいるひとに、記念のメダルなどを贈呈したこともあった。
汗だらけになって、セメントを運ぶ人がいる。鉄骨を担ぐ人がいる。高い鉄柱の上でボトルを締める人がいる。作業場に水を撒く人がいる……。
その人たちこそが、世紀の大殿堂たる正本堂建設の大功労者なのた
。
ある時、建設現場を訪れた伸一は言った。
「作業に励む皆さんの姿から、永遠に残る不滅の正本堂を建設しようという心意気が、ひしひしと伝わってまいります。
工事の無事故、大成功を、毎日、御記念しております。本当にありがとうございます。」そして、深く、深く頭を下げた。
伸一は、各社の代表に連なる、多くの作業従事者の事を考え、合掌する思いで感謝状と記念品を手渡していった。
人は、建物の荘厳さには感嘆する。しかし、供養や労作業など、陰で精魂を尽くし、それをつくり出した人に、目を向けようとはしない。だが、その人こそが尊いのだ。
そして、その労苦に眼を凝らし、心を砕くことから、人間主義の行動が始まるのだ。
ー正本堂の建立寄進の発表から八年五ヵ月、ここに、本門の戒壇となる大殿堂が、晴れて完成したのである。
山本伸一は、総本山にあって、全力で正本堂落成慶祝行事の指揮をとっていた。
日達法主との打ち合わせや、次々と到着する海外メンバーへの激励など、日々、フル回転であった。
十月五日には、総本山の総合警備計画の一貫として建設が進められてきた、開闡会館、輸送センター、浣衣堂が完成。伸一がテープカットし、開館式が行われた。開闡会館は報道関係者のセンターとして、輸送センターは登山会の運営の拠点として使用される。
また、浣衣堂は登山会参加者の大浴場である。
七日には、海外メンバーら三千人が唱題し見守るなか、大御本尊を奉安殿から正本堂に遷座したのである。
十一日、大御本尊御遷座大法要が執り行われ、正本堂での初の御開扉となった。
本門の戒壇となる正本堂に、大御本尊が安置されたのだ。
参列者の唱題が響くなか、須弥壇の円形扉が開くと、さらに美しい朝焼けを思わせる、朱金の綴れ織をあしらった垂直扉がある。その扉が上がると、金色燦然たる厨子が現れる。
皆、厳粛な思いで、合掌した。
ーそして今、遂に慶祝式典の中心行事となる、十月十二日正本堂完成報告大法要を迎えたのである。
山本伸一には、建立寄進の発表から、今に至るまでの奮闘の日々が、一瞬の出来事のように思えるのであった。
真剣勝負がもたらす、日々の生命の燃焼は、歳月の長さを感じさせないものだ。
正本堂の完成を大御本尊に報告する伸一の「慶讃の辞」は続いていた。
「今幸いにも日中国交の正常化成ってアジアの断絶解消の曙光明らかなり。五濁の長闇破れて東洋の空、戦雲霧消せんとする瑞か。
……正本堂出現の契機として、弥東洋広布の時代幕は開くべき乎。
法自ら広まらず・人・法を広むるが故に人法共に尊き道理。乞う、諸天も我等が指向する真実の平和への道を照覧あれ」
平和への決意にあふれた「慶讃の辞」が終ると、再び読経となり、歓喜の唱題が響いた。
完成奉告大法要の最後に、日達法主から山本伸一に記念品と感謝状が贈られた。
感謝状には、彼が建設委員長となって、正本堂を建立寄進したことに対して、「宗門史上未曾有にして且つ永久不滅の大功績として宗門一同等しく稱歎するところであります」とあった。
万雷の拍手が正本堂の大天井にこだました。
伸一は、この感謝状は苦楽を共にしてきた全同志への賞讚であると思った。一方、参列した同志もまた、わがこととして心から祝福の拍手を送った。
この不二なる心の連帯にこそ、創価学会の不屈の強さがある。
完成奉告大法要のあとは、「法庭」で千人のメンバーによる、琴の演奏が行われることになっていた。
正本堂の「円融閣」には、幅百メートル、縦二十三・六メートルの、茜色の大緞張が張り渡されていた。前年の東京文化祭で衣装係を努めたメンバー二百十人が担当し、二十日間を費やして仕上げたものだ。
“本門の戒壇となる正本堂完成ね儀式に、どんなかたちでもよいから尽力し、共に荘厳したい”
その思いで、仕事の合間をぬい、夜を徹するようにして、縫い上げたのである。
その大緞帳が映える法庭に、一千人の琴の大演奏が響いた。
メンバーは、流派も、技術力も異なっていた。しかも、居住地は全国に及んでいるため、全員が一堂に会して練習する機会は、ほとんどもてなかったのである。
その条件のもと、ましてや屋外で、千人もの人が息の合った見事な演奏をすることは、至難のこの上なかった。だが、皆が燃えていた。
“大聖人の御遺命の実現となる正本堂落慶の大式典だ。絶対に大成功させてみせる!”
伸一の妻の峯子も、この大演奏の一員として、琴の練習を重ねてきた。式典当日は、来賓の応対などのために出演できなかったが、同じ心で大成功を真剣に祈っていた。
演奏は、「さくら変奏曲」「桜花爛漫の歌」「正本堂讃歌」と続いた。
歓喜が表現され、優雅であり、壮重であった。
演奏が終わった時には、大拍手が晴れ渡った天空に轟いた。一念が不可能を可能にしたのだ。
十三日は、正本堂法庭涌出泉水大法要が行われた。法庭に設置された八葉の大噴水を始動する儀式である。
正本堂での法要に続いて、法庭で噴水の噴き上げ式が始まった。
ファンファーレが高らかになり響き、日達法主や山本伸一らが桶の水を池に注ぎ、伸一がポンプのスイッチを押した。
池の中央から、高さ三十メートルの噴水が勢いよく噴き上げた。
その水柱に向かい、池の周囲からも水が八本の曲線を描いた。
さらに中央の噴水を囲むように設けられた、幾つもの水の噴き出し口からも水が噴き上げた。
音楽隊、鼓笛隊が、軽快な調べを奏で始めた。
太陽の光を浴びて、噴水に虹がかかった。
噴水は、音楽に合わせて、歓喜の舞を踊っているかのようでもあった。
水柱の向こうには正本堂が、彼方には富士がそびえていた。妙なる名画であった。
噴水を見上げ、目をうるませる一人の女子部員がいた。彼女は、語りかけるようにつぶやいた。
「お母さん、あれが正本堂、噴水にはきれいな虹……。見えるでしょ」
彼女の胸には亡き母の写真が収められていた。母親は、正本堂の外観図が発表された時、瞳を輝かせて言った。
「本門の戒壇となる正本堂の供養に参加できるなんて、これ
翌十四日は正本堂落慶大法要が営まれた。
席上、完成した正本堂を総本山に供養し、使命を果たし終えた正本堂建設委員会を代表して、副委員長の十条潔から会計報告が行われた。
これは、建設委員会で正式に承認された、収支決算の報告であった。
十条は、正本堂の建設にともなう収支と、総本山側に設置された、正本堂運営委員会に引き継いだ資産ならびに、残存事業について報告した。
彼は、御供養金の最終額、それに対する受け取り利息、その他、雑収入を合わせ、正本堂総合事業の収入総額は、四百八十七億五千八百二十万五千十一円となったことを報告した。
次いで支出を項目別に述べていった。
正本堂の建物本体に二百二十八億七千八十万六千八百九十八円、正本堂の土地代金及び整備費に三十二億二千七百五十六万百二十円等々、正本堂建設事業費の合計は三百十六億二千五十九万九千六百一円であった。
また、正本堂の維持基金として、六億円を確保したことを語った。
さらに、この事業計画の残存工事とその予算について説明し、最終的に残余金が出た場合は、正本堂の維持基金に繰り入れることを発表した。
一円たりともゆるがせにしない。極めて詳細な報告であった。
最後に、法華講の総講頭である山本伸一が、あいさつに立った。
彼は、全参加者に祝福と感謝を述べたあと、新しき出発の決意を促していった。
「とにかく人の気持ちというものは、何か大事な事業を完遂すれば、これで一段落したとホッとして安易な気持ちになりがちなものであります。
しかし、ここに正本堂が見事に完成したということは『終わり』ではなく、それは『始まり』なのであります」
大きな課題を成就し、その喜びの余韻にひたっているうちに、人は油断し、闘争心も警戒心も忘れ、安逸と惰性に流されていくものだ。
実は、それこそが「魔」なのである。
「すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書一一九○ページ)と仰せの通りである。
ゆえに、常勝の道を行く者は、「勝って兜の緒を締めよ」との言葉を、生命に刻むことだ。
山本伸一は、自らに新しき挑戦への闘志を燃え上がらせながら訴えた。
「正本堂の完成は、この大仏法が世界宗教として、地球上のあらゆる人々を迎え入れ、救済できる準備が出来上がったということであります。
正本堂ができあがったことで、基盤づくりは終わり、大聖人が目的とされた肝心要の広宣流布の『本番』が、この十月から、いよいよ始まったわけでございます。
遂に広宣流布の総仕上げの、幕開けを迎えたのであります。
日蓮大聖人の仏法は、永遠に本因妙です。したがって、広宣流布の旗を掲げ、未来へ、未来へと永遠に前進していくことこそ、私たちの使命であります。
これから、ますます信心堅固に、川を渡り、山を越え、嵐も、怒濤も越えて、法のため、世のため、人類のために、長期的展望に立って、本格的な活動を進めていただきたいのであります」
皆の心のなかには、正本堂の建立をもって、大闘争は終了するかのような思いがあった。
伸一は、その気持ちを打ち破り、新しい旅立ちの銅鑼を、高らかに打ち鳴らしたのである。
皆の目が光った。大拍手が鳴り渡った。
翌十五日には、正本堂世界平和祈願大法要が行われた。
この日午前、大石寺のある富士宮市では、日米の音楽隊、鼓笛隊によるパレードが行われた。
日本語と英語で「みんなで、築こう世界の平和」と書かれた横断幕を先頭に、勇壮なトランペット、ドラム、さわやかなファイフの音を響かせ、華麗な行進が始まった。
市民の多くは、アメリカの音楽隊や鼓笛隊も参加した、これほど大規模なパレードを見るのは初めてであった。
日米のメンバーが仲良く、はつらつと曲を奏でる姿を見て、ある住民は感嘆の声をあげた。
「これは、世界の平和のモデルです。正本堂には世界中の人が参詣すると聞いていましたが、いよいよ“世界平和”がこの町にやって来るんですね。私たちの町が“世界の富士宮”になることは、本当に嬉しい」
市民も、共に正本堂の建立を喜んでくれていたのである。
世界平和祈願大法要に先だって、山本伸一は、正本堂の工事に携わってきたメンバーの代表や、妙壇の基底に埋めた“世界の石”の提供者たちと、法庭の階段で記念撮影を行った。
伸一は、建設関係者に、深い感謝の思いを込めて語った。
「大変にお世話になりました。この席をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。
皆さんが、命がけで努力してくださったことはよく存じております。真心に胸が詰まります。
皆さん方の功績を讃え、お名前を刻んだ顕彰の碑を、永遠に妙壇の基底に納めさせていただくことにいたしました」
銅板に名前を刻んだ顕彰の碑は既に用意され、皆の前に置かれていた。
そこには、「人類悠久の平和を祈願する大殿堂たる正本堂を幾多の難工事を克服して完遂した妙法のたくみの姓名を銅板にきざみ永遠にその功績をたたえるものである」との一文が刻まれていた。
メンバーは、伸一の心に触れた思いがした。
皆、感無量で、記念のカメラに納まった。
また、“世界の石”の提供者は、日本をはじめ、東南アジア諸国、アメリカ、イギリス、フランス、ギリシャ、ベルギーなどから、百ニ十余人が集っていた。
伸一の提案で、この日の式典に招待されたのである。
皆、大喜びであった。
メンバーは、年齢も大きな開きがあり、職業も、貿易会社の経営者や商社マン、船員や芸術家など、多彩であった。伸一は言った。
「ありがとう。皆さんの献身によって、“世界の石”が正本堂に定礎されました。この事実を孫の代まで語り伝えて、誇りにしていってください」
「民衆立」である正本堂は、民主の時代の象徴であり、民衆讃歌の大殿堂であらねばならない。
伸一は、正本堂の建立に尽力してくれた方々を、いかに讃え、励ますか、いつも心を砕いていたのだ。
皆が「仏」の生命を具え、皆が「仏子」、皆が「宝塔」であると仏法は教える。したがって、一人ひとりを大切にするなかにこそ、仏法はある。
ゆえに仏法のリーダーとは、配慮と気配りの人でなければならない。
正本堂での平和祈願大法要に続いて、午後には円融閣前に特設されたステージで、「世界平和文化祭」が晴れやかに繰り広げられた。
文化祭は、正本堂の完成を慶祝する、優美な日本舞踊で幕を開けた。
第ニ景では、女子部のリズムダンスや婦人部の民謡踊り、音楽隊の演奏と、日本のメンバーによる歓迎の演技が続いた。
舞台は第三景「世界は一つ」に移った。
香港の友による獅子舞、ブラジルの友による陽気なサンバ、アメリカの友によるハワイアンダンスなど、さまざまな民族衣装に身を包んでの熱演であった。
声援と大喝采が空に舞った。
また、ヨーロッパのメンバーは、山本伸一の詩「栄光への門出」をもとにした創作バレエを披露。世界平和への新しき旅立ちの決意が全身で表現されていた。
「まい(舞)をも・まいぬべし」「立ってをど(踊)りてこそい(出)で給いしか」(御書一三○○ページ)との御聖訓を彷彿とさせる歓喜踊躍の舞であった。
伸一は、一つの演目が終るたびに、“さあ、共に出発をしよう!”との思いを込めて、賞賛の拍手を送った。
第四景「前進の誓」では、鼓笛隊が演奏するドボルザーク作曲の「新世界より」の調べをバックに、王朝風の衣装をまとった日本男女青年による舞踊が展開された。
新世界ーーまさに、その幕が開かれたのだ。
ここで、各国の代表に伸一から花束が贈られ、フィナーレとなった。
「フォエバー・センセイ」の調べがながれた。これは日本の同志の愛唱歌「今日も元気で」に、アメリカの友が英語の歌詞をつけたものだ。
メンバーは、あの地、この地で、苦しいときも、悲しい時も、人生の師である山本伸一との「共戦」の誓いを込めて歌ってきたのである。
皆、曲に合わせて大きく手を振り、熱唱した。
国籍も、民族も異なる人たちである。しかし、その心は、今、一つに結ばれていた。
“世界の人びとの幸福と平和を、断じて築くのだ。それが私たちの使命なのだ!”
国家、民族を超えた人間と人間の結合ーーその縮図が、ここにあった。
「フォーエバー・センセイ」を歌い終えると、大歓声があがった。
「センセーイ!」
皆が、そう叫んで、ちぎれんばかりに手を振っていた。肩車に乗って手を振る人もいた。
どの目にも、涙があふれていた。抑えていた胸の思いが一気に爆発したのだ。
海外メンバーは皆、正本堂落慶の式典への参加をめざし、懸命に仕事に励み、生活費を切りつめて、旅費を捻出した。そして、苦心に苦心を重ねて休暇を取り、世界中から日本にきたのだ。
“山本先生と共に正本堂の完成を祝おう!”
“先生と世界平和への出発をしよう!”と、歯をくいしばって、頑張り抜いての来日であった。
それだけに今、夢に見た出会いが実現し、喜びが弾け、涙が込み上げてきてならないのだ。
熱き求道の心には、歓喜の炎が燃え上がる。その時、辛かった日々は、黄金の歴史となる。
メンバーは、感涙を流しながら、新たなる世界広布への出発を誓うのであった。
伸一は、皆の熱い心が切々と伝わってきた。その求道の一念が嬉しかった。彼は諸手をあげ、皆に答えた。
「ありがとう!おめでとう!今日は大いに楽しみましょう。
海外の皆さんのために、向こうに茶席も用意しました。日本情緒を満喫してください。私もまいります。」
大講堂横の庭園には茶席が儲けられ、琴の音が響いていた。
これは海外メンバーをもてなそうと、伸一が提案したものだ。
彼は庭園にいくと、メンバーと握手をし、ねぎらいの言葉をかけていった。また、代表に茶の作法をおしえるなどして、遠来の友を歓待した。
それから伸一は、バスの発着場所に向かった。帰国第一陣のメンバーを見送るためである。
“今が発心のための光を送るチャンスだ。時を逃してはならない!”
人波のなかに飛び込んだ伸一は、まず香港のメンバーと固い握手を交した。
「長い間の滞在、本当にご苦労さま!
香港は、私がアジア訪問の第一歩を印した先駆けの天地です。どうか、皆さんは、東洋に幸の光を送る、太陽の存在となってください」
山本伸一は、帰国するメンバー次々に握手を交し、声をかけた。
「正本堂が完成したということは、いよいよ本格的な世界広布の幕が開いたということです。
日蓮大聖人の仏法が、世界を照らす時代を迎えたんです
その希望の太陽こそ皆さんです。新しい広宣流布の歴史をつくってください。
私も妻も、皆様方の幸福を願って、一生懸命にお題目を送り続けます。
また、お会いしましょう。ありがとう!」
真剣な励ましに、皆が伸一の真心を感じた。感動と新たな決意で、皆の目が潤んだ。
メンバーがバスに乗り込むと、伸一は妻の峯子と共に移動し、バスが通る道路沿いの石垣の上に立った。
そして、約一時間にわたり、帰国する第一陣のメンバーのバスを見送ったのである。
同志は皆、その国の広宣流布を担う、大切な仏子である。
それぞれの国へ帰れば、頼みとなる先輩や同志もほとんどいない。自らが一人立って、新たな広宣流布の道を開くしかないのだ。
“大河の流れも、一滴の水から始まる。この一人を、世界広布の源流にするのだ!”
そう思うと、伸一の腕に力がこもった。
伸一と峯子は、“頑張れ!頑張れ!”と心で叫びながら、バスが見えなくなるまで、大きく手を振り続けた。
翌十月十六日は、「久遠の灯」の点火大法要が行われた。
正本堂の中央ブリッジ前に設置された「久遠の灯」の灯火台に灯をともす儀式である。
この灯には、無明の闇を破り、人類の未来を照らす、かがり火の意義がこめられていた。
正本堂での御開扉に続いて、ブルーのブレザーに身を包んだ七人の青年たちが、白煙を上げるトーチを掲げて、法庭の階段に並んだ。
アジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、南アメリカの世界六大州と、日本の代表の青年である。
ファンファーレが秋空に高らかに鳴り響いた。
青年たちは、一斉に灯火台に向かって走り出した。灯火台の前には、スーツ姿の、山本伸一が立っていた。
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「久遠の灯」の灯火台は、高さ一・四八メートル、直径ニ・三一メートルで、上広がりに五層の円盤を積み上げた形をしていた。
走ってきた日本の青年が、山本伸一に、金色のトーチを手渡した。
「ありがとう」
伸一は、灯火台の横に立ち、受け取ったトーチを掲げた。第六州の青年も灯火台を取り囲んだ。
伸一がトーチを傾けた。青年たちも続いた。
灯火台の中央から、赤々と火が燃え上がった。
号砲が轟き、拍手が響き、噴水が高々と飛末をあげた。
それは、世界広布への誓いの灯であり、人類の闇を照らす希望の明かりであった。また、平和を願う全人類の連帯と情熱の炎であった。
伸一は、この日も、帰国する欧州、北・南米のメンバー約千三百人を、バスが通る道路の側に立って見送った。バスが走り去って行くたびに、メンバーの健闘を祈って、両手を高く掲げ、大きく振り続けた。
彼は、わが同志の胸中に、広宣流布を誓う「久遠の灯」をともそうと必死であった。
伸一の姿を見つけた海外のメンバーは、バスの中で歓声をあげた。そして、窓を開け、盛んに手を振り、叫んだ。
「サヨナラ!」
「ガンバリマス!」
火は燃え広がる。魂もまた燃え広がる。リーダーの胸に、天を焦がす闘魂と情熱が燃え盛っているならば、それは、必ずや、友から友へと伝播していくのだ。
翌十七日は、慶祝法要最後の日であり、正本堂記念品埋納大法要が営まれた。須弥壇下の埋納室に、さまざまな記念品を納める儀式である。
勤行に続いて、山本伸一のあいさつとなった。
彼は、今日までのすべての行事が晴天に恵まれ、無事故、大成功で終了したことに対して、皆に感謝の言葉を述べたあと、御宝前に供えられた、五つの楠の箱について説明していった。
それぞれの箱には、正本堂建立発願式の際の日達法主の「願文」や伸一の「発誓願文」などのほか、法主が着用した法衣一式、正本堂御供養者名簿、今回の大法要参列署名簿などが納められていた。
埋納する正本堂の記念品を入れた楠の箱は、さらに銅製の箱に納め、大御本尊の真下にあたる妙壇の基底部の部屋に格納されるのである。
山本伸一は、その説明をしたあと、彼方を仰ぐように顔を上げると、力強い声で語った。
「この部屋は、正本堂建設委員会で決議されたうえで、猊下の御認可を得まして、第一回は三千年後、そして第三回は一万年後に開かれることになっております」
感嘆の声と拍手がわき起こった。
気の遠くなるような、想像もつかない未来である。しかし、皆、壮大なロマンに胸が躍った。
後世の人たちが、供養者名簿を見て、大偉業に参加した自分たちのことを想像する姿を思うと、誇り高かった。
有名な報恩抄の「日蓮が慈悲曠大ならば南妙法蓮華経は万年の外・未来までもながる(流布)べし」(御書三ニ九ページ)との一節が、皆の心に轟いた。
また、この正本堂が幾世紀を越えて、平和の殿堂として存在し続けることを、誰もが確信していたのである。
ところで、正本堂の耐久性について、構造設計担当者の恩師である東大の坪井善勝名誉教授は、こんなエピソードを紹介している。
──一九七一年(昭和四十六年)十月、日本で行われたIASS国際シェル会議に出席した折りのことである。
鉄骨構造の権威である、イギリスのマコースキー教授と、正本堂の技術的な問題について話し合った際、ある新聞記者が「この建物は何年ぐらいもつと考えられるか」と尋ねた。
すると、マコースキー教授は、「一万年」と答えたというのだ。坪井教は記している。
「この建物がマコースキーの言う耐用年数を期待することは我々構造設計者の能力の限界を超えたことである。
すなわちいつまでも我々の次の時代、その次の時代……の人々が大石寺正本堂を大切に守るかどうかによって耐用年数は決定するのである」(注)
法要終了後、御宝前に供えられた、五箱の埋納品は、十人の青年の手で運ばれ、所定の部屋に納められたのである。
参列者は、妙壇から出ると、法庭にあつまった。円融閣いっぱいに掲げられている大緞帳の「開幕式」である。
山本伸一が紅白の紐を引くと、十一日の大御本尊御遷座大法要以来七日間にわたって、正本堂落成慶讃の儀式を荘厳してきた茜色の大緞帳が、スルスルと巻き上がっていった。
正本堂は、ここに、その全容を現したのだ。
くす玉が割れ、紙吹雪が舞い飛び、色鮮やかなテープが風に泳いだ。
これで、落成の式典はすべて終了した。
伸一は「開幕式」を終えると、その足で戸田成聖の墓に向かった。一刻も早く、一切が無事に終わったことを、報告したかったのである。
恩師の遺命を果たした弟子の心は、晴れ晴れとしていた。
“先生!伸一は、ご遺言を成就しました。あとは、まっしぐらに世界広宣流布に突き進んでまいります。
先生の弟子の戦いをご覧ください”
合掌する弟子の目に、恩師の会心の笑顔か浮かんだ。
正本堂建立の喜びは日本列島の津々浦々に広がっていた。
落慶の式典が終了したこの十月十七日から、六日間にわたって、全国各地で正本堂落慶記念ブロック座談会が、盛大に開催されたのである。
大聖人御遺命の壊壇となる正本堂を建立できたことが、皆、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
どの会場にも、大きく描かれた正本堂の絵や、写真などが飾られ、参加者の満開の笑みが光っていた。
有志が撮影した正本堂の八ミリ映画を観賞したところもあれば、記念式典を報じた聖教新聞を展示した会場もあった。
地域の友人がニ十余人も参加し、共に喜びを分かち合ったブロックもあった。
ある人は、地域の来賓に胸を張って訴えた。
「人類の平和を実現することが、創価学会の目的です。その平和を記念する大殿堂が、私たちの力で、民衆の力で完成したんです。
世界の、どの宗教建築にも負けない、日本が誇るニ十世紀を代表する最高の建物です」
皆の顔には、歓喜と誇りがあふれ、晴れやかに輝いていた。
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正本堂は建立された。あとは、広宣流布を実現することである。
日蓮大聖人が「三大秘法抄」に「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて……」(御書一○二二ページ)と仰せの社会を創り上げることだ。
つまり、仏法に説かれた生命尊厳の哲理を根底とした、人間文化の建設である。社会のあらゆる人々が、仏法の人間主義に目覚めた時代を創出することである。
今、その広宣流布への、確なる道標がうち立てられたのだ。
学会は勇躍、「広布第二章」に向かって、羽ばたいたのである。
それは、線から面への、新しき展開の本格的な開幕であった。
正本堂落成慶讃大法要の一連の儀式を終えた総本山では、記念登山会が始まり、連日、登山会参加者で賑わっていた。
山本伸一は、しばらくは総本山にあって、各地から来るメンバーの激励に、日々、全力を傾けていた。
儀式がいかに荘厳であっても、人間の一念が変わり、皆が立ち上がらなければ、単なる形式であり、一夜の夢に終わってしまう。
日興上人は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致すべきこと」(同一六一八ページ)と、弟子の道を示されている。
その確固不動の決意に立った広布の戦士を育むことだ。一人ひとりの胸に、闘魂を燃え上がらせることだ。
伸一は学会員の姿を見れば駆け寄り、全精魂を込めて激励した。
「皆様方の血と汗と涙の御供養で誕生した正本堂です。本当にありがとうございました。
人生の幸福を満喫するために、広宣流布のために、ますます元気に生き抜いてください。
地元に戻られたら、皆さんにくれぐれもよろしくお伝えください
輸送班の皆さんには、ご苦労をおかけしますが、私と共に、世界と日本の友を迎えてください。
私も、日々、絶対無事故を祈ってまいります」
総本山では、一九九一年(平成三年)の一月六日に全国教師指導会、十日に教師指導会が行われた。
その席で日顕は、正本堂着工大法要の折、山本伸一があいさつのなかで「三大秘法抄」の御文を引き、「この法華本門の戒壇たる正本堂」と語ったことを取り上げ、こう発言したのだ。
――日達上人は「明らかに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇が正本堂であるということは、そのものズバリの形ではおっしゃっていない」。正本堂が「本門の戒壇」という意義づけは、伸一が、勝手に行ったものである。
そして、宗門として正本堂を位置づけた公式発表は、一九七二年(昭和四十七年)四月二十八日の、日達上人の「訓諭」であり、それ以前に、一信徒が正本堂の意義を確定するなど、言い過ぎである。反省し、訂正しなければならない。――と非難したのだ。
事実経過を無視した、支離滅裂な妄言である。
着工大法要での伸一の言葉は、六五年(同四十年)二月に開かれた第一回正本堂建設委員会での、日達法主の説法を受けたものだ。
その席で日達法主は、正本堂が広布の暁に本門寺の戒壇の意義をもつ建物であることを明らかにしたではないか。
この説法が、正本堂がいかなる意義をもつかを示す原点となっていった。
さらに何よりも、その後、日達法主が、「事実上の本門の戒壇堂である正本堂の建立が進行中であります」(『大日蓮』昭和四十四年六月号)と述べているのだ。
第一回建設委員会での日達法主の説法以来、宗内の僧俗をあげて、本門の戒壇としての正本堂の意義を強調していったのである。
それは宗門関係者の発言を見れば明白である。
まず、当時、宗務院教学部長であった日顕自身が、こう記しているのである。
「宗祖大聖人の御遺命である正法広布事戒壇建立は、御本壊成就より六百八十数年を経て……始めてその実現の大光明を顕さんとしている。その事実こそこの度正本堂建立発願式であろう」(『大日蓮』昭和四十二年十一月号)
正本堂を日蓮大聖人の御遺命の戒壇とする、宗門関係者の言葉は、『大日蓮』の昭和四十二年十一月号だけを見ても、枚挙にいとまがない。
「この正本堂建立こそは、三大秘法抄や一期弘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり」(佐藤慈英宗会議長)
「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ』との、宗祖日蓮大聖人の御遺命がいま正に実現されるのである」(椎名法英宗会議員)
「この大御本尊御安置の本門戒壇堂の建立をば『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり時を待つべきのみ』云々と、滅期の末弟に遺命せられたのであります。その御遺命通りに、末法の今、機熟して、本門寺の戒壇たる正本堂が……」(大村寿顕宗会議員)
ところが日顕は、着工大法要で山本伸一が正本堂を「本門の戒壇」と言ったのは独断であり、以来、そのような空気が宗門を巻き込んでいったというのだ。
これらの宗門関係者の発言は、着工大法要で伸一があいさつをする一年も前のものである。
大聖人は「ひが事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」(御書一三五五ページ)と喝破されている。
ひが事とは道理に合わず、事実と違うということである。日顕宗は、自ら邪教であることを証明したことになる。
また、仮に伸一の発言が間違っているならば、そんな大問題を、なぜ、二十年以上も放置しておいたのか。ましてや日顕は、当時、宗務院教学部長である。甚だしい責任放棄ではないか。
さらに、日顕は、この一九九一年(平成三年)の全国教師指導会で、正本堂の意義について述べた七二年(昭和四十七年)四月の日達法主の訓諭と伸一の発言は、意味が「非常に違っておるのであります」と強弁したのだ。
訓諭には「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」とある。この「意義を含む……」について日顕は、次の主旨の、珍妙な解釈をしてみせた。
――意義を含んでいても、まだ、その意義全体が現れたことではないから、正本堂は「一期弘法抄」「三大秘法抄」に仰せの戒壇そのものではない。
日達法主の訓諭は、さらに、「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と明記しているが、日顕はそれに対しても、こう言って憚らなかった。
――「たるべき」とは「予想」「あらかじめ思う」ことであり、「予想はすなわち予定」である。「ですから一応、そうは思っても、将来において変わる場合もある」
建立した正本堂が「本門の戒壇」となるといいのは予定にすぎず、将来のことは不確定であるというのだ。
これは正当な文法の解釈のうえからも、明らかに間違いである。
日本を代表する最高権威の国語学者たちが、この「たるべき」は「確定している将来形の表現」(中田祝夫・筑波大学名誉教授)等と、日顕の解釈を否定しているのだ。
つまり、訓諭の意味するところは、「まさに正本堂は、広宣流布の暁には本門寺の戒壇となる大殿堂である」ということなのである。
ともあれ、この全国教師指導会、教師指導会での日顕の発言は、自語相違のきわみであった。また一切を注いで供養に参加した八百万信徒の心を足蹴にする、悪逆非道な暴言であった。
日顕の発言を知った学会員は、愕然とした。
「こんなおかしな話があるものか!」
「日達上人は正本堂は“本門の戒壇”になると、おっしゃっていたではないか!」
「そうだ。何度も言われていた。私も明確に心に刻みつけている」
たとえば、一九七○年(昭和四十五年)五月の本部総会に参加した学会員は、「この正本堂が完成すれば、今、奉安殿に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、正本堂にご遷座申すのでありますから、その時は正本堂は本門寺の戒壇であります」との話が、胸に焼きついていた。
皆、そうした言葉に、決意を新たにしてきたのである。
それだけに、怒りはおさまらなかった。
「変な理屈をつけて、日達上人の言葉を覆すなんて、まるで詐欺のような所業ではないか」
学会としても、絶対に看過するわけにはいかぬ重大な問題であった。
早速、この説法の矛盾点や疑問点について、文書をもって日顕に質したのである。
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日顕宗が創価学会に「破門通告書」を出してから四年後の、一九九五年(平成七年)秋のことである。
日顕は、日達法主の時代に、山本伸一の発願により、創価学会が建立寄進した、大客殿の解体に着手した。
地震対策を理由にしての解体であった。
耐震診断を担当した設計者と構造設計者は、診断結果を歪曲されたと厳重抗議したが、日顕は、多くの人びとの反対を押し切り、解体を強行したのである。
伸一と学会への怨嫉のゆえか、先師の日達法主への嫉妬のゆえか、異常極まる行動であった。
さらに彼らは、九八年(同十年)に入ると、“正本堂の大理石に赤サビが出た”“コンクリートに含まれる海砂が鉄筋を腐食した可能性が高い”などと騒だした。
そして四月五日、日顕は、突如、正本堂の閉鎖を発表。その日のうちに、大御本尊を遷座したのだ。
それは、夕暮れ迫るなか、小人数で人目を避けるように強行された。二六年前、奉安殿から正本堂を遷座した、あの晴れやかな式典とは、全く異なる隠々滅々とした光景であった。
正本堂の解体工事が始まったのは、この年の六月のことである。
日顕は正本堂を絶賛していたにもかかわらず、自後相違も甚だしく、「仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底して駆逐」すると、臆面もなく言いはなっての決行であった。
取り壊しに、強い反対の声が起こった。保存を推進する建築家の集いも結成され、富士宮市や静岡県に保存の陳情書や要望書も提出された。
しかし、頭破作七分のためか、もはや日顕には、いかなる良識の諌言も通じなかった。
機械を使って、鶴の羽の形をした屋根がはがされ、壁が崩されていった。辺りには、連日、「ガガガガーッ」「ゴゴゴーッ」という不気味な音が響き渡った。
富士宮の学会員は、怒りに打ち震えながら、日々、その解体の光景を目に焼き付けた。
皆が「本門戒壇の建立」と信じ、命を削るようにして供養に参加したのだ。
日々、破壊されていく正本堂を見ると、わが身が切り刻まれていく思いがするのであった。
正本堂が破壊されていると聞いて、耳を疑い、直接、確かめようと、全国各地から正本堂を見に来た人も少なくなかった。
夫を失い、女手一つで三人の子供を育てながら供養に参加した北九州の老婦人は、長男夫婦と孫と一緒に東京に向かう途次、富士宮に立ち寄った。
長男は、大学生の子供を持つ、壮年になっていた。
大石寺がよく見える畑の傍らで車を降りた。
皆、変わり果てた正本堂の姿に息をのんだ。
屋根もなく、壁も削られ、剥き出しの鉄骨が見えた。時折、「ゴゴーン」という音が響き、もうもうと土埃が上がっていた。
残ったコンクリートの梁と柱が、天に向かって悲痛な叫びをあげる巨大な口のように思えた。
皆、しばらく言葉を失い、その光景を黙って見ていた。
白髪の老婦人の背中がぶるぶると震えた。
――昼は魚の行商、夜は清掃の仕事をして働き、毎日、爪に火をともすように節約を重ね、供養に参加した日のことが彼女の頭をよぎった。
辛いといえば辛い日々であった。しかし、彼女は、正本堂は、やがて「本門の戒壇」となり、世界中の指導者が、民衆がここに集い、平和への祈りを捧げるのだと思うと、どんな苦労も喜びに変わるのであった。
だが、その正本堂が、今、無惨この上ない姿をさらしているのだ。
彼女の目には、涙があふれていた。
それは、自分の人生の誇りを、信心の赤誠の証を、踏みにじられたことへの悔し涙であり、煮えたぎるような怒りの熱い血涙であった。
しかし、老婦人は、決然と涙を拭うと、叫ぶように言った。
「日顕はうちらを騙して、大聖人の御遺命の戒壇を、ぶち壊しよる。信心の真心を、土足で踏んづけて、粉ごなにしてから!
人間のやるこっちゃない。天魔や。第六天の魔王や!
こんな悪坊主がのさばっちょると、仏法が滅んでしまう。みんなが不幸になる!
うちは許さん。絶対に許さんけんね!」
怒りは破邪顕正の炎となって、激しく燃え上がっていった。
114 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 20:21:45
昭和四十年十月、創価学会ではわずか四日間? で三百五十九億円の寄金を集めて、世
論をあっといわせたものだ。そのうちわけは国内三百五十五億円、海外四億円ということ
になっている。当時のマスコミは、これを創価学会ならではの快挙と讃え、学会員の鉄の
団結を実証したものと、手ばなしの褒めようだった。
わずか四日間の、この金集めが学会員の自発的な意思の結集ならば、たしかに驚嘆に価
しよう。だが、詐意と欺瞞が渦潮のように学会員を押し流し、強制と恐喝が学会員の心理
を分不相応な無理な献金に追い込んだのが真相だとしたら、それでも快挙と讃え、鉄の団
結というのだろうか。
事実は小説よりも奇なりという。正本堂建立に名を借りた、創価学会の寄金募集の裏に
は、暗黒街顔まけの陰謀と権力が跳梁していた。
115 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/28 21:44:07
石原さとみ
生年月日/1986年12月24日
出身地/東京都
サイズ/H:157 B:82 W:58 H:82 S:24
血液型/A型
趣味・特技/クラシックバレエ、ヒップホップダンス、バスケットボール、テニス、お琴、ピアノ
117 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 14:08:38
正本堂というのは、本門の戒壇だと創価学会ではいっている。オールマイティな力を持
つ板本尊が、未来永劫までも安置される場所だという。
118 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 19:51:07
池田会長は昭和三十九年五月三日の第27回本部総会の席上、この正本堂建立計画を公
表して、そのための資金集めを提案、満場一致で可決している。池田会長はいう。
「広宣流布の時きたって大御本尊さまは御宝蔵から奉安殿へ、奉安殿から正本堂へとお出
ましになるのであります。
119 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 21:37:38
正本堂は日本の仏教文化の汚点。
>>116 そこを見てる限り、日蓮系の宗派の攻撃性は他宗派の比ではないな。
日本的じゃない。
121 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 23:22:20
そこで私は、皆さま方に、さらにこのことをご理解いただいて、正本堂を建立しと日達
上人猊下にご寄進申し上げたい。私ひとりではできえぬことでございます。日本の国の各
県はもちろんのこと、世界の一国ももらさず、ぜんぶの石を、じゃりを、一閻浮提総与の
大御本尊さまを荘厳申し上げる基礎をつくるためにふさわしく、集めて埋めたい。私ども
同志の手によって、石を集めて埋めたい。また、五大州の代表的銘材を集め、総大理石で
五千人収容できる正本堂にしたい。御本尊さまを荘厳にしたいと思うのです。
122 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/29 23:23:36
その正本堂の費用について、恩師(戸田前会長)が申されたことは、
『三十億円の資金をもってしなさい』
このようにも、まわりの人にたびたび申されました。
したがって、三十億円の御供養をば、もう一回
(今回の御供養は衆院選の前に行なわれたが、過去三回、
参院選の前に、御供養という名の資金集め?が行なわれた)
皆さん方のご協力を得て行ないたいのです。
すなわち、来年の十月十二日、本門戒壇の大御本尊さまのご建立の日を中
心として、前後四日ないし五日を御供養の期間といたしたいと思うのです。
また、たいへんであると思いますが、一世帯七百円の御供養を基準といたしたい。困っ
ている同志に対しては、そのかぎりではございません。五十円でも百円でもけっこうでご
ざいます。また反対に信心のない人、無認識の人からは、絶対に供養は受けない。この決
意でまいりたいと思います。……」
125 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 06:40:18
正本堂かぁ…。
懐かしいな。あの頃は活気があったなぁ…。
126 :
名無しさん@京都板じゃないよ:04/12/31 06:57:59
日頃の行いが悪いから。
128 :
レンマ:04/12/31 08:52:18
正本堂のご供養と称して、実際に集められた金額は、いまも不明ですね。
ソーカは2重帳簿をつけていて、たとえば、沖縄のお金は、
全部ふところにいれたとか、聞いてますけど。
金庫にいれて捨てられた、1億7千万だかのお金もそうらしい。
>128もっと詳しい内容が知りたい。出どころなど。
130 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/12 08:46:02
?
131 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/13 07:50:16
?
132 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/22 22:58:40
中に入ったなら誰もがやる
天井の照明の数かぞえ
そのうち眠気に誘われて…
確かにあのエコーも眠気を誘う一因
にしても
雨の日は下から入ってくのでレアだった
サイドにあったトイレは芸術的な内装
噴水も芸術的でした
夏はあの大理石で涼しかった
そういえば一度
黄色い絨毯に入っちゃったっけな
ちゃんと座席前の通風孔には物を置きませんでした
どうしても大魔神の顔に見えた…
デカ過ぎるマイクに
大砲の筒のようなモノ
遠くガラス越しに見える非常階段
そんな思い出の正本堂
今、振り返りみる
まさに
世界遺産級の違和感を抱かせる建築物
で、あったなと。
133 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/01/23 09:12:29
なーむ みょーほーれんげーーきょう
152 :通行人さん@無名タレント:05/01/15 04:23:31 ID:EkUGdnrD
深田の後継者がなかなか生まれない木リプロと、新しい広告塔を必要としていた層化学界の
共同プロジェクトによって生まれたゴリ押しアイドル石原さとみ(本名:石神国子)。
母親はその昔、性教新聞の庶務局に所属し、そこで「層化の金庫番」と言われた
幹部の秘書を務めていて、父親は20代から本部の専従職員。この二人の職場結婚の仲人は
性教新聞の専務理事、国子の名づけ親は層化のドンともいわれている。
国子自身も層化高校に通う果汁100%の香ばしい層化アイドルなのだ。
153 :通行人さん@無名タレント:05/01/15 04:24:10 ID:EkUGdnrD
木リプロのタレント養成スクール「木リプロインプルーブメントアカデミー」の出身にも
かかわらず、一般公募の木リプロのタレントスカウトキャラバンで優勝。見事な自作自演である。
「層化の広告塔」「深田の後継者」という2つの使命を背負い、デキレースオーディションで
華々しいデビューを飾り、芸名を石原さとみとし、映画「わたしのグランパ」で銀幕デビュー。
「初めての映画の撮影で緊張した」などと言いいつつ、
このとき既に石神国子名義で数本の映画に出演していた。
映画はコケてもシナリオ通り各映画賞の新人賞をGETし、写真集やDVDの発売、
J-PHONEやグリコのCM、甲子園ポスターなど人気など関係なく大きな仕事が続々舞い込んでくる。
だが、こんなデタラメがいつまでも続くはずが無い。
NHKドラマ「てるてる家族」は視聴率が朝ドラで歴代最低となった。
135 :
名無しさん@京都板じゃないよ:05/02/01 16:17:48
確かに創価タレントは「人気あるはず」なのに数字は取れない・・・
でも、スポンサーがいるから切るに切れない(w
>>135 TV局的には金さえ入ればOKですから。
137 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/03/23(水) 23:34:01
みうらじゅん、じゃないけど
ばかけんちくだから、じゃない?
解体工事で判明した「名建築・正本堂」の惨状
[インタビュー/池田株式会社営業部長・吉田裕史氏]
平成十四年十月に日蓮正宗の総本山・大石寺に完成した奉安堂について、創価学会は機関紙上などで「安普請」だの「カラスがとまっている」などと、相変わらずの誹謗を繰り広げている。
解体工事で判明した「名建築・正本堂」の惨状
[インタビュー/池田株式会社営業部長・吉田裕史氏]
平成十四年十月に日蓮正宗の総本山・大石寺に完成した奉安堂について、創価学会は機関紙上などで「安普請」だの「カラスがとまっている」などと、相変わらずの誹謗を繰り広げている。
昭和四十七年の正本堂完成時に池田氏は、「ローマの廃墟、アンコールワットの遺跡等は、いかに壮麗を誇るとも、二千年にしてくずれた姿なのである。世界平和の根本道場たる正本堂は、末法万年、いな、尽未来際まで不滅」と、正本堂は万年にわたって不滅であると豪語していた。
だが、それからわずか十四年後の昭和六十一年四月七日に開催された大石寺開創七百年慶祝総合会議の席上、池田氏は正本堂には「本格的な補修整備」が必要である事を発表。以後、数年にわたって正本堂には大々的な補修工事が加えられた。
要するに正本堂は、「末法万年」あるいは創価学会が主張するような「千年」どころか、わずか十四年で「本格的な補修整備」が必要な建築物だったのである。
そうであるにもかかわらず、創価学会はいまだに正本堂を堅牢な建物であったかのような宣伝を続けており、全国各地の学会員に阿部日顕日蓮正宗法主や大石寺を相手取り、解体の責任を間う損害賠償請求訴訟を提起させるなどの動きを続けている。
「本格的な補修整備」の必要性を発表した池田発言によって、すでに創価学会の主張の虚偽性は明らかだが、では、実際の正本堂の状態は客観的に見てどのようなものであったのだろうか。
その事実をはっきりさせるため、本誌は、正本堂の解体工事を請け負った大阪の大手解体業者・池田株式会社の営業部長で、現場の解体工事を指揮した吉田裕史氏に、その目で見た正本堂の実態について話を聞いた。
【吉田】正本堂を見ての第一印象は大きいもんだなというものでした。しかし、子細に柱や壁等を見ると、赤茶色に変色している部分がかなりある。これは、相当内部では鉄骨の錆びが進んでおり、コンクリートも酸化しているなと思いました。
144 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/03/26(土) 16:05:18
それで?
>>143 たぶん砂に塩が混じってたんだろうな。
俺も数回行ったことがあったが、外壁が剥がれて地面に落ちていたことがあったな。
しかし、昔と変わってないのが事を急ぎすぎるのが
創価学会にとっては、最大の欠点だな。
146 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/26(火) 13:09:13
147 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/28(木) 08:32:09
千年持つコンクリートのお堂なんて、聖教で読まされて(贈呈)
笑いましたよ。そんなもの、無い事くらい一般常識で判ります。
信じる人がおかしい。そういうおかしい人の出すお金で膨れ上がってる
のがあの団体です。私は富士門流に無関係ですが、仕事の都合で
解体される直前のあのお堂間近で見ましたよ。8年前だったかな。
いかにも新興宗教臭かった。
148 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/04/28(木) 10:54:18
だから「バカけんちく」だから、だってさ。
149 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 15:27:47
日顕宗のテロ
150 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 17:15:55
テロワロス
151 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 17:22:46
またまるちかいな
152 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/25(水) 17:24:09
鶴丸近いな
153 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/26(木) 08:10:13
まだあったの。こんなスレ。
ぶっ壊したら、ハイ。それで、終わり。
154 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/26(木) 10:17:22
>>153 朝から必死だなフランス国家公認指定の
カルト教団創価学会員
お前等が日蓮宗の本尊使用権を得る為に
傷害恐喝事件を犯した事は周知の真実だ
まぁお前のようなカルト教団広報機関誌韓国人池田大作公開オナニー聖教新聞には真実は一切書かれていないから
理解できないだろうがな
シャクフクに焦ってるか?
155 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 08:56:14
>>153 残念でした。創価学会なんて大嫌い。
先入観念でものを見るうちはダメダメ。
ただ、カルトは正解だね。
あんな変なお堂は無いほうがいいよ。
156 :
菅ちゃん ◆bu.JfPj2vI :2005/05/27(金) 09:58:12
158 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 16:48:31
>>156 セメント???
ジョーク??
鉄筋コンクリートだろ。
159 :
菅ちゃん ◆bu.JfPj2vI :2005/05/27(金) 17:54:44
>>157はい、ありがとうm(_ _)m
そのうちいってみます^^
オカ板面白いよ 笑
>>158じょーだん 笑
高野山みたいに建物古くないし、仏像もないもんね。
あと、伝統的な祭りもないし、日蓮正宗はちゃんと折伏してるのかなぁ?
160 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 20:16:27
正本堂はオブジェ以外の何物でもない。
無用の長物。
161 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 20:38:16
御供養覚えてねーだろ猿wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
.
162 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 20:42:05
○ まだわからんのか!!
く|)へ
〉 ガッ
_,,..-―'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ ヾ○シ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ ヘ/
>>161 T | l,_,,/\ ,,/l | ノ
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
裁判は8割方、日蓮正宗側の勝訴だ。
創価学会の教学部長は法論で負けている。
http://toyoda.tv/video/g_mono.wmv 君達は負けているのだよ。
163 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 21:34:37
l | li | l|| l
. ,,∧η∧,,
. ミ,,・∀・ミ
. 〜(,,uu,,) ドガッ
⊂⌒ ~っ`Д´)っ←
>>162 富士学林(私塾)卒業生
164 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 22:12:46
>>163○
.∵ ○ ノ
':. | ̄ 成敗じゃ!!
_| ̄| / >
御供養の裁判は日蓮正宗の全面勝訴だ。
愚か者!!!!!!!!
∧∧
(,メД゚)L三イニニニl= ヽ(´Д`;)ノ ヒィ
(| |つ i,/ l _ l
>>164 | | .|| `| |´
し´J ' l ̄ ̄ ̄l
ダダダダダダ , , , 、
∧∧ 从 ;,, ,;.'',, ,゛* / ヽ 、 ノ
(,メД゚)L三イニニニl=そ *,;,;゛,;' / \ _/ ユ
(| |つ i,/ W; ,∵,;,l ,:
| | .|| ;| |´,;
し´J ' l ̄ ̄ ̄l
166 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 22:33:27
>>165 ふふふ、創価は所詮この程度なのだな。
正本堂の御供養裁判は
日蓮正宗側の全面勝訴なのである。
創価学会は負けまくりなのである。
167 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 22:38:46
∧∧
∴(。Д゚ )∴
: ;; :''''''';; ::
と'''''''つ∵ ○ ノ
/ /〜 | ̄ 愚か者め!!!!
(/(/ / >
>>165
168 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 22:43:08
正宗禿が韓国で土下座wwwwwwwwwwwwww
(*゚д゚) 、ペッ
169 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 22:44:08
('⌒ ( ` ̄ヽ
(((`ヘ从ゝi^i
_ _. i ゚ヮ ゚(Cノゝ)
どーーーん!! _ __┷」|_/_>====<
从从从 _ _ //_|─/ノ'7/~゙/ ̄| ̄ ̄| ̄~~|\
↓ (0 ロロ,)ニニニニニニ)ニニ) ) /"/_// | | | ヘ
从人 从从从  ̄~ ___<-ノ-|∠^ ー-ー}_l=__ | .| ̄ ̄| ̄ ̄| |
从 、;;.从 ~7<〃____∠_/| ,| | | |y
J ⌒^,,: し /=〔| =冊冊冊= 〔{== ,{(()\__,|__|__|__| 》 キュラキュラ
); ^、;;⌒∧^.、( ヘ =ヘ_____ヘ==ヘ_0_ノ/ l l l l l l ソ/
):: 从<゚Д゚;:;:( \=\――――‐\=\_ ゝノゝノゝノゝノゝノゝノ,,/ )))))
>>167
>>167がまともな仏教者だとは誰も思わないだろう
.
171 :
要忌避:2005/05/27(金) 23:02:29
プププッ
172 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/27(金) 23:16:47
173 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 00:14:43
なんだ?その程度か?
○y一~~
(|,へ
」 ○| ̄|_
>>172 俺は糖尿デブ層化学会じゃねーけど。
日蓮系が馬鹿晒してるスレはここですか?
175 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 00:21:01
反日公明党ってウゼーよな
176 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 00:26:50
神社を否定する馬鹿は半島に(・∀・)カエレ!!
177 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 00:30:46
あ い つ の 不 幸 は ‘ア タ シ’ を 誹 謗 し た 罰 よ・・・
(ニヤニヤ)
↑これが日蓮カルト信者の頭の中↑
∧_∧
(( ・∀・) \| / ∧_∧
ニ三ヽ, Oγヽ ∩<l!i`Д´>')ゲキョゲキョ
ニ三 > ,,_l,__,ノ ヽ ノ
\ヾ_ニ三 (,ノ ̄ //.: 丿 ノ
_,,..--'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョ ∴:. (,ノ⌒(,ノ
゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ
T | l,_,,/\ ,,/l |
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179 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 04:58:56
ナンマイダ〜 ∧∧
∴(。Д゚ )∴
: ;; :''''''';; ::
と'''''''つ∵ ○ ノ
/ /〜 | ̄ 愚か者め!!!!
(/(/ / >
180 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 13:19:09
ご供養か。でも、宗教で喜捨した金にいつまでも未練
持たない方が。帰って来ないよ。
>>180 原則はそうですけど、
>>179みたいな愚劣なAAを貼る馬鹿坊主にくれてやってたとするなら
そりゃ誰だって腹に据えかねるだろうさ。
法主は勤行すらまともに行わないというし。
創価だって似たようなもんだが。。。
182 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/28(土) 16:01:25
正宗創価その他日蓮カルト
「他宗の不幸は蜜の味」
(*゚д゚) 、ペッ
184 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/29(日) 03:05:51
朝鮮宗教ウゼ
185 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/29(日) 06:53:57
なんだ?おいらが坊主?
○y一~~
(|,へ
」 ○| ̄|_
>>180 >>181 んなわけねえだろ、
一般人だっつうの!!
186 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2005/05/29(日) 21:20:33
○y一~~
(|,へ
」 ○| ̄|_
>>185 日蓮宗(身延)よりずっと嫌われてるぜ大石寺猿ww
187 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
大石寺、仕事の帰りに寄ってみた。
まだ、正本堂とやらがあったとき。
日本庭園なんかがあって、雰囲気的には悪くない寺。
但し、気持ち悪いくらい人影がない。
まるで、はやらないテーマパークみたいだった。