すると、成るんだよ・・・自分が世界で世界が自分だという感覚に。
机を見ても壁を見ても、ああ、これは俺なんだ。何を見ても俺。俺が遍在している(笑)。
しかも、無生物でもものすごく愛しい。全てが愛しくなる。じゅわ〜っと、愛しくなる。
>>176〜
>>180は茶化した物言いだが、あれは本当だ。穿ってみれば、
>>176は知っている
のかもしれない。まあ、買いかぶりかもしれないが。普段は自分に対して外在している
としか思えなかった物質が自分と同一だと感じる妙な感覚。それから、経典一般に
説かれているような無上の「寛喜」。その上、無条件に存在者から抱擁されているかの
ような安堵感。きっと、今はもう記憶をなくしてしまっている、英児の頃の、母に慈愛を
もって抱かれていた時のような感覚。仏恩とは本当だ。悟るとは英児に帰ること。
空間が粘っこく感じる。動作が弛緩する、というか浮遊するような感覚。何を見ても顔が緩む。
そんなことが、二日ほど続いた。さすがにこれでは仕事が出来なくなると思い、少々
焦った。そしたら、二日でこの感覚が消えた。(私は普通のリーマン)。
ちなみに、寺院での修行は全然行なっていない。水行とか、そういう類のことも無し。
ということは、出家しなくても一定の水準には到達するのだろう。(寺は要らないが、
邪魔でもない、そんなところが私の本音)
最近、弘法大師の「十住心論」を読んでちょっと、驚いた。第九巻は華厳なのだが、
弘法大師は当時、既に井筒俊彦のような華厳の哲理の解説を書いていたのだ。それも、
華厳の思惟の方法まで・・・。華厳を経た私には、うなづけることばかりだった。
しかし、弘法大師は言う・・・、極無自性住心(華厳の悟り)は真言の初門に過ぎない、と。