浄土系のお坊様に質問です・・・   

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1@在家
@「南無阿弥陀仏」と十回称えて、御十念と言いますが、
 なぜ十回なのでしょうか?7回でも13回でもいいような気がしますが・・・。

A「四十九日」って何のためにやるのでしょう?
 亡くなってから一週間ごとに裁きを受けて、最後の七週目に最終的に
 天国行きか地獄行き決まる、って聞いたけど、ホントでしょうか?
2名無しさん@京都板じゃないよ:01/09/14 23:35
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、大手町行くために北千住から千代田線乗ったんですよ。千代田線。
そしたらなんか西日暮里から乗ってきた女子大生2人が大声で会話してたんです。
「アタシ東京三菱内定者でしょ、人生勝ち組って感じ。」とか、「都銀なら莫大な生涯賃金が 約束されているよね。」とか、
大手町に着くまでず〜とそんな話をしてたんですよ。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、糖蜜ごときで喜んでんじゃねーよ、ボケが。
糖蜜だよ、糖蜜。
総資産では、みずほや三井住友の足元にもおよばねーじゃねーか。
しかも、最近株価急落してるし、もう見てらんない。
お前らな、ソニーの内定やるから黙れと。
銀行業ってのはな、もっと戦々恐々としてるべきなんだよ。
融資を打ち切った中小企業の社長からいつ襲われてもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、ようやく女供の大声に慣れたと思ったら、今度は小声で「アタシは一般職採用だけど」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、一般職なんて総合職の従軍慰安婦なんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、糖蜜内定者、だ。
お前は本当に東京三菱で働きたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、糖蜜内定者って自慢したいだけちゃうんかと。
都銀通の俺から言わせてもらえば今、バンカーの間での最新流行はやっぱり、あさひ銀行、これだね。
糖蜜やSMBCを解約してあさひ銀行に預金。これが通の預金の仕方。
あさひ銀行ってのは埼玉の地銀化が進んでいる。そん代わり格付けが下がる傾向にある。これ。
で、さらに大和銀行を併用する。これ最強。
しかしこの預金の仕方をすると次から金融監督庁にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前、1は、糖蜜にでも定期預金して喜んでなさいってこった。
3@在家:01/09/16 00:08
>>2
死んでください
4名無しさん@京都板じゃないよ:01/09/16 14:25
@ 7回でも13回でもいいです。
A ウソです。
5名無しさん@京都板じゃないよ:01/09/22 02:08
>>A「四十九日」って何のためにやるのでしょう?
お寺の経営の為です
>> 亡くなってから一週間ごとに裁きを受けて、最後の七週目に最終的に
>> 天国行きか地獄行き決まる、って聞いたけど、ホントでしょうか?
そもそも霊魂などは存在しないので裁きを受ける対象が無い
天国などという物も存在しない
地獄はこの世に沢山存在する
6名無しさん@京都板じゃないよ:01/09/23 00:25
え〜と、>>1は小学生かな?
こども電話相談室に聞いてみたら?
ここよりは真面目に答えてくれるよ(多分)
7名無しさん@京都板じゃないよ:01/09/24 12:52
お彼岸でいくらくらい布施があるのが普通なのでしょうか?
坊さん1人当たりで。
8名無しさん@京都板じゃないよ:01/10/08 01:33
浄土真宗系はお寺に頻繁に訪れたり、寄付も沢山すると聞くけどどうよ!?
9追善供養ってのをしないからね:01/11/22 00:47
>>8板卒塔婆の供養もやらないんで、
信者さんには生前にお寺・み教えに親しんでもらってます。
生きている人のための仏教こそ、仏教本来の姿でしょう。
1 乃至十念。。という文句がお経にあるから。
2 中陰って言葉と意味知ってる?
 
お彼岸でお布施?
お経上げりゃお布施をだすのは至極自然な姿。
値段を聞くのはどうかと。一人あたりとか、特殊な話だ。
11:02/03/17 12:47
     ____    
    /∵∴∵∴\
   /∵∴∵∴∵∴\
  /∵∴∴,(・)(・)∴|
  |∵∵/   ○ \|
  |∵ /  三 | 三 |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |∵ |   __|__  | < うるせー馬鹿!
   \|   \_/ /  \_____
     \____/

12名無し象は鼻がウナギだ!:02/03/17 13:20
考えてみたら、浄土系って、死んだら極楽浄土へ行くことが
約束されてる訳だから法事をするっていうのは矛盾してんな。
13真の浄土宗:02/03/19 13:50
真宗では、阿弥陀如来以外拝んではいけない事になっています。
(般若心経も禁止)
同じ阿弥陀如来でも真宗のみが本物と教えています。
だから念仏を唱える時もたいていは『なむあみだぶつ(ぶ)』なのに『なもあみだぶつ』と唱えさせる。
(真宗の教化ビデオを見たら字幕付きで写っていた)
そのお蔭で真宗から他宗へ転宗する方は一人もいません。
まことのほとけのおしえから無限地獄へ転落するようなものとして
刷り込みに成功していますから(笑)

明治になって我こそは真(まこと)の浄土宗(浄土真宗)と名乗って
知恩院と激しく揉めた事は有名だよね。
法事ってさ、身内が集ってお経読んだりして死んだやつを地獄から救って
極楽へやるもんだ、と思いこんでる人にとっては、矛盾なんだろうね。
でも、今どきそんな風に思ってる人いるんだね。
15名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/19 16:40
>>13 親鸞会の事だろ
16名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/19 16:46
親鸞会って、西本願寺から派生したんだっけか。
確か、会長が本願寺派の末寺の生まれだったような……

西本願寺に教義問題やら何やら挑戦状を送りつけて、
「教義の解釈が全く別の宗教団体だ」と退けられたりしたんだよな。
17名無しさん:02/03/19 18:06
なんだか。
まず第一に天国に行ってどうする。
浄土系ならば往くのは浄土でしょう。

それと浄土真宗は「真の浄土宗」にあらず。
「浄土を真の宗とする」の意。
宗名を「浄土真宗」に改めようとして浄土宗から反対されたのは
江戸時代の話。
「宗名事件」で検索書けたらそれについて述べているページ見つかるよ。
18名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/19 18:07
>>1
まったく同様の質問を見たことがあるのだがひょっとして渡海さんでは?
19名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/19 22:09
>>14
>今どきそんな風に思ってる人いるんだね。

思ってるとか思っていない以前に、そういう建前(?)が
あるから法事をするわけじゃん。
20名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 10:47
>>19
ん?別に地獄にいる人を極楽に救うために法事やってるわけじゃありません。
仏果増進(極楽で修行してる人が悟りに近づく)のためです。
21名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 11:44
修行者の成果の度合いは我々が決めるってことですね。
極楽の修行者も可哀相な立場だなー。
22名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 13:47
>>20
そりゃ浄土系だけの見苦しい、いい訳じゃん。

23名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 16:28
>>20 似たようなもんじゃん。君、浄土系じゃないだろ?
24名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 17:00
浄土系の仏教は、

融通念仏宗:貴族・武家・庶民
浄土宗  :武家・庶民
浄土真宗 :庶民

という過程で、より庶民に浸透したといえる。
教義も、それに応じて分かりやすくなっている。
法然の兄弟子筋の良忍の融通念仏などは、念仏を唱え、
易行だが、教義は華厳教という超難解なもの。
その意味で、融通念仏は、天台と浄土の過渡期の念仏宗。
25名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 21:30
>>12
生まれた時点で浄土へ行けると約束されてるのは
浄土系全部じゃなくて、真宗だけだろ。
浄土宗は南無阿弥陀仏と声に出して唱えなきゃ
極楽浄土へは行けないはずだ。
26名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 21:50
真宗においての念仏は「報恩感謝」のものだからな。
27名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 22:17
真宗系では信心を重視するが、信心を得なかったらすくわれないのか?
28名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/20 23:12
>>25
俺はSEXしてイクときに南無阿弥陀仏ー!と絶叫します。
これで極楽浄土へまっしぐら。
29知恩院末寺信徒:02/03/20 23:58
法然上人は「往生は易しいが成仏は難しい」と言っておられます。
30森川:02/03/21 00:18
神なんて、そんなもんにすがったて救われへん。
苦しい時の神頼みも、いい方向に転がるかどうかは自分次第なんや。
信じるものは救われるっちゅうけど、自分を救うのは自分しかおらへんのや。
31名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/21 00:24
織田信長は浄土宗ですが、豊臣秀吉はどこの宗教でしたっけ?
32名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/21 01:37
>>森川=アフォ?
神の話は別スレでやれや。

>>31
宗教は佛教。確か方広寺がどうこうと・・・。
宗派はわからず。
33 :02/03/21 01:41
>>27
信がなくても阿弥陀仏が救うという宗派もあったはず。どこかは忘れた。
34知恩院末寺信徒:02/03/21 02:32
>>33
一遍上人の教えがそうでは
35時衆:02/03/21 10:02
>浄土系の仏教は、

>融通念仏宗:貴族・武家・庶民
>浄土宗  :武家・庶民
>浄土真宗 :庶民
時宗:浄不浄を問わず信不信を問わず、当時人として扱われる事の
   無かった穢多非人と呼ばれる人にも庶民にも武家にも貴族にも
   分け隔てなく広まった。
その事は、国宝『一遍聖絵』にも明らかである。
36踊り念仏:02/03/21 10:10
時宗は、形態としては融通念仏を、より庶民化したものともいえる。
もともと融通念仏は、踊り念仏だったから。
京都の壬生第念仏や、嵯峨の念仏狂言は、融通念仏系のものだしね。
37時衆:02/03/21 10:11
>>33
>>34
時宗は信じているか信じていないかを全く問わない。
つまり、阿弥陀如来は極楽浄土と言う仏国土を開かれる時、
全ての生きとし生けるもの達は間違い無く、極楽浄土に生まれ変わる事が
出来なければならない。
それが叶わなければ私は仏にならないと言う誓いを立てられてそれが
叶って極楽浄土が開かれたと言う経緯があるのだから信じているか
信じていないかなど人間が問う事では無く、既に阿弥陀如来によって
全ての人は極楽浄土に生まれ変わる事が決定している。(決定往生)
だから、時宗の“遊行”と言うのは全国各地に既に阿弥陀如来によって
極楽浄土に行ける事を知らないでいる人たちにお知らせしに歩き回ると言う事になるのだ。
38時衆:02/03/21 10:16
>時宗は、形態としては融通念仏を、より庶民化したものともいえる。
>もともと融通念仏は、踊り念仏だったから。
時宗の踊念仏は佐久で突発的に始まったもの。
この事は聖絵にも明らかである。
聖絵は、一遍の死後十年目にして完成された絵巻で他の祖師達のように
伝説になってから作られたものと違い、まだ一遍の事について
記憶のある者達の手で作られただけに史料的にもその価値は重大なものがある。
39壬生寺、嵯峨清涼寺・・・:02/03/21 10:19
融通念仏は、一時は隆盛を極めたけれど、中世に道統が何度か絶え、
そのため、融通念仏系の寺が他宗に取られたり、変更してしまい、
京都市内には融通念仏系の寺はなくなった。開祖良忍は、大原流声明の祖
であり、大原の来迎院も元は融通念仏の寺だったが、今は天台宗になっている。
もっとも融通念仏は、庶民仏教を志向したことから、宗派化の志向はなく、
あくまでも、融通念仏という念仏形態のままだったらしい。
40踊り念仏:02/03/21 10:22
>>38
融通念仏と時宗の関係は、宗派的関係を言ってるのではなくて、
踊り念仏の形態を言っているだけ。
つまり、踊り念仏は、融通念仏の方が先だが、時宗の方がより庶民化した
ということを言いたいだけ。
41名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/21 10:26
融通念仏の祖の良忍は、平安時代の僧だけれど、
空也と並ぶ聖僧としても有名だね。
42時衆:02/03/21 10:54
>>1
御十念の意味は、数の数え方にあります。今は使わない数え方ですが
かつてはこう言う数え方がありました。
ふつうなら九百の次は千ですが、十百と言う言い方がありました。
当然九千の次に一万とくるべき所を十千。
(西遊記の原典の中で十百なんて単位を述べる下りがあります)
つまり、十と言う数字は一つの行き詰まりとともに次の世界へその続きを開く数(単位)
であるとして永遠を示す数字として考えられています。ですから御十念と申し上げるのは
10回念仏すると言う意味ではありません。
私は時宗ですが、御十念はとても大切にされています。
遊行上人が称える御十念の際には皆、平伏し静かにしていなくてはいけませんし、
そうで無くても御十念の際にはきちんと手を合わせ一息で御十念
申し上げなくてはいけないと言う決まりがあります。
御十念は今はお経の中でしか使われなくなりましたが、昔は様々なシーンで使われました。
一種の御清めの意味も合ったようで、例えば東京神田の三社祭の際には、
浅草の日輪寺(時宗)の住職が輿に乗って現れて、神輿や参加者皆に御十念を捧げないと
祭りが始まらなかったと申します。

四十九日は、お亡くなりになった人が、極楽浄土に着くまでの日数とされています。
亡くなられた方は観音菩薩が手にした蓮の中に入り、蓮の種のように収まって極楽浄土まで
旅をすると言います。そして、極楽浄土に着くまで遺族は、歌舞音曲を控え、
ひたすら念仏申し上げて七日七日の節目ごとに法要を営まねばならないとされています。
(但しこれは浄土系の考え方になるでしょう。他はどうなんでしょうか?)
しかし、現代生活の中でそれを実践する事は難しくその結果告別式の後、
葬儀場や会食の為にホテルに行ったところでまだ一週間経っていないのにそこで初七日法要をやり
最後の四十九日法要を四十九日に当たる日に近い都合の良い日にやると言うようになっています。
地方によっては七日七日の節目ごとに塔婆を取り替える七本塔婆を用いる所も残っているようですね。
1のかたは、チベット仏教の死者の書を読まれるともっと参考になると思います。
死者の書でも人間は死して後七日七日の節目ごとに様々な体験をして生まれ変わると言う
考え方をしています。日本の仏教で行われる四十九日も同じような起源があるのでしょう。
43時衆:02/03/21 10:55
>>40
失礼申し上げました。<(_ _)>
44名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/21 16:22
>>1
昨日、浄土の坊さんに、何故10回かなのか?聞いてみた。

なんでも、「頭、両目,両鼻、両眉、両耳、口。に対して
南無阿弥陀仏と唱える。」らしい。
でもそれは檀家さん用の説明で、本当は別の意味があるんだって。
それは浄土の坊さん以外には言ってはいけないって言ってた。

45名無しさん@京都板じゃないよ:02/03/21 21:17
そうそう、うっかりしゃべると、無間地獄に落ちるんですYO!!
>>44
それは10回の数え方。
471:02/03/21 23:45
>>42
まことにご丁寧なご回答ありがとうございました。
四十九日の件ですが、偶然にもうちの旦那寺は
平日だろうと休日だろとキチンと「当たり」の日に
執り行います。
中陰の時は、毎週(七日毎)違う七本の塔婆も使います。
また、四十九日が三ヶ月にわたる「三月掛け」も
嫌い、その時は三十五日で満中陰を行ったりします。
結構厳しいこと言うカタい和尚だなぁ、と思ったりしましたが、
ヤルべき事はヤル、キチンとした坊さんなんですね。
4842:02/03/22 01:49
>>47
今どき珍しい方ですね。
ウチでそんな事したら檀家がボイコットしてしまうでしょう。
今でさえ、年回法要の経が20分以内に終わらないと施主自ら離席してしまいますのにね。(花(菩提を弔う)よりだんご(会食)と言う奴)
↑いっそ止めちゃえばいいと思うけどな
5042:02/03/22 13:31
>>49
お経を?
5149:02/03/22 17:41
というより年回法要をさ。
>47
しかし中陰が三月にまたがるのを嫌うのはどうかと。
たぶんどこの宗派においても迷信だと考えていると思うんですけど。
月末に死ぬのはいけない事になってしまうからね。
531:02/03/24 00:13
>>52
別に月末に旅立つのがいけないとは言ってないが・・・。
迷信もまた「しきたり」みたいなものかと・・・。
5452:02/03/24 06:02
うん、確かに君はいけないとは言ってないが。

そして迷信は迷信なんですよ。意味わかってます?
そこの宗派が「迷信じゃない」って考えてるんならそれでいいし、
また世間がしきたりを守ろうとしているのに対して
衝突しないようにしているのならそれでいいですがね。
551:02/03/24 12:47
>>54
御意
5642:02/04/02 01:07
>>51
それでもやらないのは気になるらしい。一応義務だと考えているようだ。
それなら経が長いからと言って勝手に中座して欲しく無いがまあ、
今まで自宅と畑の往復で人生過ごして来た人たちばかりでココ数十年、
土地の賃貸料でがっぽがっぽゼニが懐に転がり込む生活しているから
世間の普通の人たちと比べてとてもズレているのだが本人達は
全く気が付いていないから放っとこうと思っている。
57名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/11 14:33
49日の起源は結構あいまい。シャカがさとりを開いて、伝道の旅に出るまで7週間さとりを味わいなおしたすえ
つまり、さとりのあと49日目に仏教をひろめ始めた。とインドで聞いたけど。これが起源だろうか?
58名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/11 15:46
7×7ですわりがいいから(カモシレナイ
59名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/11 22:42
>>34
西山義もそうだよ、ていうか証空の孫弟子が一遍上人。
60名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/11 23:58
>>浄土系のお坊様
他スレ途中に役に立つレスがあったので中立の立場で抜粋します。

******************************************************
このページの一番下に各金融会社へのリンクがあるよ。
(神社仏閣を含む)宗教法人だとすぐに通るらしいけどどうよ?
http://21st.kakiko.com/mzsuzuki/
(鬱だ氏膿)
******************************************************
61名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/12 01:36
>>57
49日のもとは『十王経』だと思います。わすれてしまったので詳しくかけませ
んが、初七日で脱衣婆に衣が脱がされて、というようなことが書いてあります。
62名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/12 14:09
四十九日目は十王のうち、太山(泰山?)王(薬師如来)が死者の裁きにあたる日。
その日で裁きが終わると考えられているので、満中陰と呼び四十九日法要を営む――

ちなみに、閻魔大王は地蔵菩薩だったかなあ。三十五日目の裁きを行う。

そう教わった記憶がある。
63名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/12 17:33
『十王経』は日本での偽撰
とりあえず>>1のしつもんにたいする答えはむじゅかちいのですね
読んでもわけわかりません〜(@_@)〜
65名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/13 12:27
ハッキリ言うなら、浄土教で中陰をやる意味は教義的にはない。
浄土教が即得往生を掲げている以上、どう理屈をこねても
教義的には必要ない。
観無量寿経に下品上生(だったと思う)の人が極楽に往生して
蓮の花が開くのが49日後という部分があるが、それもこじつけっぽい。
だが、にもかかわらず先徳が行なってきて、いまもなお行なわれている
ことを考えるならば、それはやはり必要だから、としか言いようがない。
恐れながら法然上人のお言葉を流用するならば「世の習い」ということ。

日本仏教に限らず、世界の宗教を見ても、例えばネイティブインディアン
の神話にも死者が死の国にいくまで旅をする話もあり、
残された人のために必要だから、というのでは答えにならないだろうか。
個人的にはそれをちゃんと教義的に解釈できないのは問題だと思うが。
66旅衣:02/04/13 22:07
十念についてですが
時宗の十念は、かならずしも十回お念仏を称えるものという訳ではありません
一気十念といいまして、一息で念仏を連続して称えることです
ですから、人によっては7回だったり、15回だったりします
というのも時宗の念仏(南無阿弥陀仏)の考え方を簡単に説明すると
「一回念仏を口に出して称えてみて往生しなかったら、もう一回称えてみる。それでも往生できなかったら、また称えてみる・・・
そして、最後には念仏を称えて往生する」
そうした考え方に基づいて十念をしているのです
67名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/15 15:40
週刊新潮に載ってる浄土宗大本山スキャンダルってどうよ。
68名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/15 15:50
新潮じゃなあ・・・・
69名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/15 19:36
>>67
なになに?どこ?
70名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/16 12:44
>>69
鎌倉の宮林先生についての記事。
過去の論文の盗作疑惑だってさ。
でも本人も認めてるし、もとの論文書いた人に会ったとき
直接怒られたって言ってるし、いいんじゃない?
別に悪い噂もないし。
71名無しさん@京都板じゃないよ:02/04/28 02:11
>>68
新潮は当てにならんということか?
72時衆:02/05/13 02:03
>>66
君の考えは正しくない。
それは浄土宗の念仏の考え方であって時宗のものではない。
時宗は捨ててこそ得られるものである。
すなわち、諸宗の悟りの心得を捨てて、一遍上人の申す事も捨てて、
南無阿弥陀仏と唱えていると言う意識も捨ててこそ、真の南無阿弥陀仏の境地、
当体の念仏に至るのです。
貴殿の言うような念仏唱えて極楽往生するなどと言う考えは時宗に於いては
当体の念仏へのさまたげ以外の何ものでもなく、捨てるべきものなのです。
岩波文庫からは『一遍上人語録』『一遍聖絵』『南無阿弥陀仏』と言った時宗を知る上で
とても重要な書物が手軽に手に入ります。
買うのが嫌と言うなら立ち読みすればよろしい。(非推奨)
73名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/25 12:39
ガンガシンジョウニョウコウロ!
74おんどくさん:02/05/25 15:26
♪にょ〜らい〜だいし〜の〜お〜んどおく〜は〜
み〜を〜こ〜に〜し〜てえも〜
ほ〜おずうべ〜し〜
し〜しゅう〜ち〜しいき〜のおんど〜く〜も〜お〜
ほ〜おね〜を〜くだきても〜
しゃ〜す〜べ〜し〜♪
75さんぞんらい:02/05/25 18:14
な〜あむぅぅぅうし〜んきみょうら〜い♪
76わさん:02/05/25 22:42
ふたいのくらい〜すみやかに〜
えんとおもわんひとはみなぁ〜
77名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/25 22:54
ほ〜うぜ〜いし〜ほ〜お〜じょ〜お〜ら〜い
>>75
プッ
79名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 12:13
あみだ〜ぶなむあ!
80名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 15:51
とーおくみーそらーにがーくのねーすーみーてー
しゃーらーのはぁやぁしーははーなさーきーみーてーりー
あーわれとーおとーきおーおみすがた
81名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 15:57
おんどくさんってみんなどっちを唄う?
ふぁーふぁらみーシーシれみふぁーふぁふぁみふぁみー
にょーら いだーいーひぃのおー ん ど ォく はー

ふぁーどーふぁそーそーどーどーらーらーそーふぁドー
にょーらーいーだーいーひーのーおーんーどーくーはー
82名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 18:01
今だ!1000番ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄       (´´
     ∧∧   )      (´⌒(´
  ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
        ̄ ̄  (´⌒(´⌒;;
      ズザーーーーーッ

・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
     ∧∧        (´;;
  ⊂(゚Д゚⊂⌒`つ (´⌒(´

早すぎたか・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
     ∧∧
  ⊂(;゚Д゚⊂⌒`つ; (´⌒(´

ドッコイショと、・・・・・・・・・
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
     ∧∧
    (゚Д゚,)⌒ヽ
     U‐U^(,,⊃'〜... (´⌒;;

何見てんだゴルァ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄
  ポ  ∧∧  ポ
  ン  (゚Д゚,) . ン
  (´;) U,U )〜 (;;).
(´)〜(⌒;;UU (´ )...〜⌒(`
83名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 18:57
オンドクコウダイシャカソンナ
ガケンゼリトトキタマイ
8474:02/05/26 23:03
>>81
上の方。明るい曲の方ね。旦那寺で習ってるのはこっち。
85名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/26 23:19
>81

上は新譜。今はほとんどこっちを使う。
下は旧譜なのであんまり使われていない。
86名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/27 03:36
ずっと下で唄ってた 古いのか・・・・・
87名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/27 10:20
>>81
うちも新譜を使っている。
88名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/27 21:21
旧譜はBGMにしてる。荘厳なカンジがするから。
歌うのは新譜だよ、うちでは
89名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/28 06:47
恩徳讃?ってなに?浄土系だが知らないな。

90名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/28 07:42
>89

親鸞の和讃のひとつです。

それに曲をつけて歌うのです。
91名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/28 08:27
>>88
お、うちと同じだ。
92名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/28 12:24
歌詞は報恩講和讃の3番だよん>>89
93名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/28 21:32
学校の図書館の閉館時間に新譜が流れる。
いつの間にか覚えてしまった。
94名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/29 07:54
音痴なので和讃は辛い。どうしてもあの節にならん……
95名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/29 13:49
>>94
習練あるのみだ。
96真宗高田派:02/05/29 13:59
文類偈が苦手だ。
特に「善導独明佛正意」以降。
97名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/30 03:19
増上寺で「オン・アミリタ・テイゼイ・カラウン」と
真言を唱えてしまった私は邪道なんでしょうね・・・
だって「南無阿弥陀仏」って無力でブザマな印象しかないし・・・
98名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/30 11:43
>>97
問題ないと思います。
我が家は浄土宗ですが、お寺さんがきてお経をあげられるときは必ず阿弥陀如来根本陀羅尼を
唱えられまよ。
>>97,98
そーゆー問題か?
100名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/31 07:30
なんで無力でブザマナンダヨ
101名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/31 08:18
法然上人ご本人は真言の阿弥陀佛と浄土教の阿弥陀仏は違うと
明言されてますので、真言を称えるのは間違いでしょう。
阿弥陀如来根本陀羅尼を称える事もありますが、それだけということは
ありえない。必ずお念仏を唱えるはず。
102名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/31 11:38
>>97
チョットマッター!!
無力でブザマなのは我々だろ?
103名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/31 23:19
なぜ、阿弥陀如来根本陀羅尼を浄土宗で称えるのがおかしいのですか?
10497:02/05/31 23:55
無力・ブザマということで信者の方に不愉快な思いをさせたらすいません。
これはあくまで私の中の超個人的なイメージですので・・・。
私が「南無阿弥陀仏」という念仏に抱いているイメージはこんな感じ。
生活に困った農民が一揆or越訴をくわだてる。発覚して逮捕!
首謀者は斬首されることに。死刑囚は必死に念仏を唱える。
しかし刑吏の振り下ろす刀は義民の首を無惨に打ち落とす。
地面に叩き付けられ、口をパクパクさせる生首。
激しく痙攣しながら、切り口から血をほとばしらせる首無し死体。
奇跡は起こらなかった・・・。
これが題目や真言なら不動尊や観音が奇跡を起こして助かったりするけど・・・。
10597:02/05/31 23:57
ああ、無力なるかな、汝、阿弥陀如来・・・
私の念仏のイメージはこんなんです。
あくまで個人的なイメージです。

私は不動明王を本尊にしておきます・・・。
106名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/31 23:58
>>104
だってそもそも現世利益じゃないんだし。
107106:02/06/01 00:10
象徴的イメージを物理的に捉えるから誤解がはじまるンですよね〜
もっと言語化以前の痕跡的なものを捉えませんト・・・

デモそれ難しい・・・
>>103>>101を読んでいないのか?

>>104
例示された多々ある今際の念仏と、
平和な増上寺の前でお参りする時に称える念仏を
同列に並べるのかね?
また題目や真言と同じ利益を求めるのかね?
無い物ねだりはイカンよ。
>>106も言うが如く、現世利益は説かれていないのだし。

さらに言うなら、阿弥陀如来の真言を称えようが、念仏
しようが仏の功徳はかわらんよ。
だって同じ仏を礼してるのだからさ。

別に真言を否定する気はないがね。
109名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 00:47
ここで現世利益を否定してひたすら極楽往生を求める人に質問。
あなたはいま、なんのために生きているのですか?
極楽浄土に生まれ変わるため?それだけ?他はNothing?
2chって10代から、いってもせいぜい30代前半くらいでしょう?
70過ぎとかなら、わからないこともないけど、
そんな若い世代がひたすら死後の往生を信仰の礎にしているのが、
ちょっと想像できない。
何か辛い事や挫折があって人生に絶望してしまったのだろうか?
110名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 03:31
>>109
確約された往生の上に現世における価値(生き甲斐と言い換えましょうか?)
を見出していくのも念仏宗の考え方です。
安心起行作業とかいうです。
単に極楽往生だけを求めるのが浄土宗ではありません。
111なまぐさ:02/06/02 03:56
>>97
>これが題目や真言なら不動尊や観音が奇跡を起こして
>助かったりするけど・・・。
じゃあどうして、延暦寺は織田信長のなされるままに全山焼き尽くされて僧侶が殺されまくったの?
112なまぐさ:02/06/02 03:57
>>97
仏教の教えに奇跡を求めるのは愚か者の証拠。
オウムと同じやね。
>>111
天台だから…                       とか言ってみるテスト
114名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 06:22
>>111
比叡山の10年殺しって知ってる?
比叡山を害した者は、それ以後10年以内に死ぬということ
比叡山僧の呪力の恐ろしさを言ったものなんだけど
115名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 10:13
>>114
そんなの迷信だけど。
第一現世利益にもなりゃしない。
116名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 10:45
釈迦の説いた現世利益ってなに?
117名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/02 13:17
>>116
ない。全否定。
118名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/12 05:06
浄土宗でも阿弥陀如来根本陀羅尼とへんじき陀羅尼はよく使うね。
増上寺でそれらを習ったときに、やっぱり「浄土宗で陀羅尼を使うのは
おかしいんじゃないですか?」と質問してたやつがいたなぁ。
>>118
念仏を閣いて、陀羅尼を称える事に異を唱えているのであり、
陀羅尼自体は否定していないよ。
元来が天台派生の宗派だけに、法式上陀羅尼やら声明やらあ
りますがねぇ。
仏教学を宗門大学で学ぶなら大正と佛教の
どちらが上ですか?
偏差値云々より授業内容教授陣のレベルです。

学歴版では龍谷が日本における仏教学の最高峰とか・・・。
121名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/21 05:21
122名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 11:40
話が変わるんだけど・・・質問していいですか?
1.厄って他の人にまわせたり、みがわりにできたりするんですか?
  父が亡くなったのがちょうど夫が41才の厄年。姑が
  「○(夫)の厄を受けてお義父さんが死んだねえ」と。
  とってもいやなんですけど・・・夫婦仲も悪くなりました。
2.主人の実家の玄関の脇に白い紙に「疫病神」ってずっと前から貼ってあります。
  神社やお寺さんの名前も朱印もないし、、、なんでしょうか?
  主人の話だと、主人が学生時代にはあったそうです。
主人の実家は浄土宗です。
123名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 17:56
>>122

そもそも浄土宗に「厄」など言う発想はない。

素朴な疑問にやさしい人が答えてくれるスレ2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1022466961/
で訊くといいだろう。
124名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 18:29
>>123 そもそも浄土宗に「厄」など言う発想はない。
そうなんですか? 
レスありがとうございました。
125名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 21:57
落ち着いて考えてみなされ。
この高齢化社会になった今も厄年だけは変わらないってオカシイと思わんか?
今の44の厄年を高齢化社会に照らし合わせると大体60歳あたりだと
私は睨んでる。

大正・昭和一桁以前の高齢者は不思議と長生き。つーか化け者みたいに
かくしゃくとしてなさる。
昭和二桁。。。だいたい今の60歳〜65歳付近は大正・昭和と比べて
うちのまわりだと妙に短命傾向にあるな。

医療発達に伴って実施されだした予防接種での注射針汚染。
現在の60代にC型肝炎がやたら多いのはそれもある。
うちの親戚、それで亡くなった。知り合いのじいさんもそれだった。
日本中〇生省のお仲間イパーイ。
126名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 21:59
>>125
最初の4行に禿堂。

まったく根拠がないよな。厄年なんて。


・・・ってそもそも厄年って仏教じゃないじゃん。スレ違い。
127名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/25 22:06
戦争を挟んで、高度成長期社会の公害問題、化学汚染物質をどれだけ
若いうちから摂取しているのかがポイントなのかもしれないと疑ってみたり。
現在の子供の異常行動は汚染された両親から生まれてしまっているからなのか・・・・
特別学級が満員状態の所が多いのがそれを端的に物語ってると思う。
そう言った訳でー、我々の世代は偉く短命になりそうだ(w。

結局ね、厄なんて発想自体知識の乏しい時代の産物。
厄が何であるか目に見えない分だけ不安になって空気も険悪になるのさ。
そこにつけこんで一儲けしようとする新興宗教もあるから手に負えん。
佛教に厄はないが、厄=病気に気をつけろっつー意味なら分かるなぁ。
と勝手に想像して憂いてみたり。
128名無しさん@京都板じゃないよ :02/08/19 21:56
じゃ勝手にして
知恩院って何をするところですか?
130名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 14:07
>129
お経を上げてるから、皆さんがお参りするところ。
どうぞお参りして下さい。
131名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 15:20
俺の友達って浄土宗の坊さんも多いけど、みんなで厄除けに
行って、お札貰ってきたよ。
何のかんの言って気にしてるんじゃないの?
それとも若かりし頃の過ちか・・・?
132あぼーん:あぼーん
あぼーん
133名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 17:39
浄土宗といっても、もちろんしっかりしたお坊さんもいらっしゃるが、
ハァ?ホントに浄土宗?
と言いたくなるお坊さんやお寺もいらっしゃる。これホント。
134名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 19:07
まぁまもなく全国浄土宗青年会中央研修会のシーズンだけど、
そのバカバカしさといったら・・・。(w


135名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 19:45
>>111
そんなに大規模でもなかったらしいね。
近年の発掘だと。東塔の一部だけだったらしいし。
どうでもいいけど。
>>112
現世利益というのは、日本仏教のひとつの特徴では?
というか、往生を願い、生活を律し、くらしのなかに価値を
見出すというと、ひどく禁欲的で近代的な感じだが、
そもそもそんな精神性によって「御念仏」が庶民に広まったとは
おもえない。もっと、限界状況からの脱出を望む、厭世的な
ところから始まったのではなかろうか、と。
飢饉や戦乱から縁遠くなった、日々平穏な現代人にとって
あの世への「往生」とは何なんでしょうかね。
最近はまた厭世的な雰囲気が蔓延してますから、
また状況が変わってきたかもしれませんが・・・
136名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 21:01
>>133
坊さん同士で、スナック経営してるのって浄土宗だっけ?(真宗?)
前にテレビでやってたけど、あそこまで行くとね〜・・
137名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/22 21:35
>>136
そりゃまた、どういう趣旨で?
138名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/23 15:42
>>136
単に同好の士があつまった、とか、
純粋な経済行為として?
139名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/24 04:51
(回答待ちのage)
坊主バーは真宗でしょ
141名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/24 16:02
142名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/24 19:00
真宗だったら別に驚かないのが凄いね。
俺の中では、とことん生クサのイメージがあるんだろうな。
あくまでもイメージだけど。
143名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/24 22:06
>142
確かに。
144名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/24 22:15
ネラン神父のぱぺぽ?とかいうバーは有名。
145名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/25 05:13
>>140
>>141
なるほど・・・情報感謝。
それにしてもどういう会話が交わされるのか・・・
146名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 00:25
>>144
こっちは神父さんがオーナーですか?
どこにあるんです?
147名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 04:18
他スレにも書きましたが、現世利益を認めない
禁欲的なお宗旨の真宗、実際には一番戒律が厳しくないのか・・・
どういうことなんでしょうか。
148名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 16:44
>>146
検索しろよ。とは言わないけど、
ネラン神父のエポペはこれ。
http://www7.tok2.com/home/epopee/
149名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 18:43
>>147
禁欲的とは思わんが・・・
150名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/26 20:03
どこがどう禁欲的なのだろう
大谷坊主を見ていると・・・・・・

神父に見えて仕方ない・・・・・・・





意 図 的 な の か ?
神父?
牧師じゃなくて?
最高峰は東京大学の印度哲学科
154名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/01 22:24
>>153
それで?
>>153
>>154ただ言ってみただけ。
と言うよりじいさんがそこ出たから。
156名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/06 11:34
俺もそこ行きたかった。
東京住まいが嫌でやめたけど。
157名無しさん@京都板じゃないよ :02/09/16 22:58
アゲ
158名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/16 23:04
>>151
坊主じゃなくって僧侶だからでは?
159名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/20 10:16
ウチの近くの寺の坊主みたいに、「南無阿弥陀仏」を「なまんだぶ」と
言うような坊主に法力などない。
160名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/20 10:39
>159
「南無阿弥陀仏」は念仏、
「なまんだぶ」は短念仏と言います。
ですから、「なまんだぶ」と言ってもいいのです。
坊主に法力など、もともとありません。
>>160
説明不足だな。納得で禁。
何処の宗派か?と短念仏の意味をきぼ〜ん
162名無しさん@京都板じゃないよ :02/09/30 14:06
おなじくキボ〜ン。
163あげ厨:02/09/30 14:11
教えて厨!「なまんだぶ」...の他に「まんまんちゃん」は?
>>160
何枚だ?

......っというのはどうなのだ?
165名無しさん@京都板じゃないよ :02/10/15 14:07
( ´,_ゝ`) ハゲ
166名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/20 00:25
法然上人の有名な肖像画ってどこの寺が所蔵しているのでしょうか?
向かって右向きで数珠を片手に描かれている絵です。
よくお寺に飾ってあります
ご存知の方レス下さい。
法然上人 御影 所蔵 で探しても見つかりません。
167名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/20 00:46
169名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/20 00:53
>>161
短念仏は浄土真宗ではなかったでしょうか?、たしか。
阿弥陀経のあとに短念仏で「なまんだーぶー」って数回唱えたいたような。

浄土宗の十念や念仏一会は「なむあみだぶ」でしたっけ。
170166:02/10/21 01:27
>>167
ご丁寧にありがとうございます。
ttp://www4.ocn.ne.jp/~knagai/new_page_13.htm
検索していたら古い絵しか見つからなかったのですが
もしかしたら、こちらのように比較的新しい絵かもしれません。
実はポスター?
171167・169:02/10/21 03:01
もしかすると浄土宗の仏壇の御脇掛の法然上人の御影のことでしょうか?
寺院では木造ですが、掛軸をお祀りしているとこもありますし。
http://www.yamadabutsugu.co.jp/oroshi/gazou/0502000035.jpg
http://www.yamadabutsugu.co.jp/oroshi/gazou/3201600015.jpg
172166:02/10/21 10:25
>>168さん169さんもご丁寧にありがとうございます。
http://www4.ocn.ne.jp/~knagai/images/1_small5.gif
本堂の脇に良く見かけるこちらの絵です。
大きな額に入っており、割と易しく描かれており気に入っております。
173名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/22 16:52
そういや、お東が「死刑囚の絵の展示会」をするそうだな。
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1035268223/
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002oct/22/029.jpg
174名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/23 06:19
四十九日はインドが源流だったはず。
有名なチベットの「死者の書」も四十九日中にいかにいいところに行くかのガイドブックみたいなものだし。
中国にもあるし。
>>174
四十九日というけど四十九日になったのは中国じゃあないのかな?
チベットの死者の書は21日だと思ったが............
176名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/06 19:01
基本的に浄土宗でははっきりとした答えは出てないはず
自分なりの解釈を長い時間をかけて見つけ出したらいいんじゃないの
177名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/06 19:02
176は四十九日の話です
178名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/15 16:56
私は伊万里市(佐賀県)「常光寺」檀家ですがここには大きな閻魔様があるですハイ
小石川&新宿の「こんにゃく閻魔」も浄土宗のお寺ときいて「あら、浄土宗のお寺には
閻魔信仰があるのかな?」とか考えたのでつが、わかる方、おながいします
179時衆:02/12/26 00:18
>>178
関係ないと思いますが............
鎌倉の円覚寺にも閻魔堂がありますがここは臨済宗円覚寺派の本山ですし............
180名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/26 03:05
>>178
例えば、うちの菩提寺(浄土宗)には不動明王が祀ってありますし、
近所の曹洞宗の寺には大師堂があり弘法大師がおまつりしてあります。
まあ、閻魔さんの場合も同じで、歴史的な事情によるものでしょうな。
181時衆:02/12/27 02:29
ついでに言うとウチにはインドの仏像も祀られております。
(インドにはまって帰化してしまった坊さんがくれた)
そしてお釈迦様も祀られております。
時宗ですから本尊として弥陀三尊がきちんとあるのですが................
182名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/27 04:16
時衆さんはやはり定期的に熊野大社へ行かれたりするんですか?
今でも全国行脚してお札配ったり、念仏踊りしたりするんですか?
183時衆:02/12/27 22:29
>時衆さんはやはり定期的に熊野大社へ行かれたりするんですか?
今は神社とお寺は別と言う事になっていますからそんなに足繁く逝くのも熊野大社が
快く思わないので行けません。
しかし、時宗の総本山の遊行寺で修行した者たちが修学旅行のような形で必ず参ります。

>今でも全国行脚してお札配ったり、念仏踊りしたりするんですか?
全国行脚したりしてお札を配るのは遊行上人の特権ですので遊行上人が直接行って
お札配りしています。今年は、10月29日に浅草寺にて浅草寺貫主様の御好意で
お札配りが出来ました。このお札配りを賦算と言います。
賦算は遊行上人もしくはその名代以外には許されません。

念仏踊りは現在、幾つかのお寺の檀家さんの婦人達によって継承されております。
それとは別に僧侶によって行われる踊躍念仏(ゆやくねんぶつ)と言うものもあります。
本当は全ての僧侶が出来なければいけないのですが難しく、一部の者に留まっています。
あと、ススキ念仏と言うものもあり、これは修行中に大体やります。
8月の遊行寺境内で行われる薪能(三浦藤沢信金に要予約)の前座として必ず行います。
184時衆:02/12/27 22:37
>あと、ススキ念仏と言うものもあり、これは修行中に大体やります。
>8月の遊行寺境内で行われる薪能(三浦藤沢信金に要予約)の前座として必ず行います。
ちょっと日本語として変ですね。w
修行中に大体やるというのはススキ念仏会と言う法要と薪能の前座として2回行われますが、
その2回に出られる、もしくはどちらかに出られると言う事なのですが、
私は出られませんでした。
ちょっと嫌な想い出なのですが、
一回目の前座の人選に洩れ、二回目には必ず出てもらうと言われながら二回目も
はずされてしまいました。
理由は、私の足の形に少し異常がありまして、他の者達と足の形が揃わないと言う理由
だったことが二回目の人選の時に明かにされたのですが今でも納得の行かない、
はらわたの煮えくり返る悔しい想い出です。出させてもらえないのに練習だけは
しっかり引っぱりだされたのが屈辱でした。お蔭で今でも本山には行きたく無いです。
185あぼーん:あぼーん
あぼーん
186182:02/12/29 18:57
>>183-184
ありがとうございます。
熊野本宮大社の近くに一遍上人が経文を爪で刻んだと言われてる岩がありますが
一度見に行ったことがあるのですが、何かが書いてあるのは分かるのですが
何と書いてあるのか分かりませんでした。何と書いてあるんでしょう?
それから、本地垂迹説をどう考えていますか?
私は何となく反本地垂迹説の方が正しいんじゃないかと思うんですけど。
187時衆:02/12/29 23:38
>>186
>熊野本宮大社の近くに一遍上人が経文を爪で刻んだと言われてる岩がありますが
>一度見に行ったことがあるのですが、何かが書いてあるのは分かるのですが
>何と書いてあるのか分かりませんでした。何と書いてあるんでしょう?
さぁ........一遍聖絵には参籠しに行った事しか書いていませんが書いてあるとすれば
参籠して夢枕に立ったスサノオノミコトに叱責された事から得た偈が書いてあるのだろう
と思います。

>それから、本地垂迹説をどう考えていますか?
その当時の人が考えた事ですから、後世の人である我々が勝手に解釈してはまずいと考えます。
日本の神は仮の姿、本当は仏様だと言うのでいいのではありませんか?
ただどうしてスサノオノミコトの本当の姿が阿弥陀如来と考えたのか私は当時の人々に疑問を
呈してしまいますがね。古事記を読んでみてもどうも結びつかないので.........
188182:02/12/31 13:31
>>187
>ただどうしてスサノオノミコトの本当の姿が阿弥陀如来と考えたのか私は当時の人々に疑問を
呈してしまいますがね。古事記を読んでみてもどうも結びつかないので.........

なるほど。確かにそう言われてみるとそうですね。
また何か疑問がわいてきたら質問させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
今度は知恩院にスキャンダルか…。
190名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/12 00:19
>>189
どんな?
191@在家:03/01/13 00:13
浄土宗のお坊さんに質問です。
知り合いから聞きましたが、曹洞宗とか他宗は、お経の時に木魚叩くのは言葉と
同時に叩くそうですが(これが自然だと思うが)、浄土宗のお経は木魚叩く時、
言葉と言葉の間に叩く「間打ち」らしいですね。なぜそんな面倒なことをするの
ですか?
192名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/13 11:49
>>191
うちは頭打ちです。

たしか西山派が間打ちだったような気がしますが。
193名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/13 22:38
>>192
うちは知恩院の末寺ですが、四誓偈などはすべ間打ちですよ。
浄土宗は「間打ち」が特徴ではないのですか?
194名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/15 23:42
>>192
>西山派が間打ちだったような・・・
ということは、鎮西ですか?
鎮西で「頭」じゃマズイんじゃないですか?
195名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/16 00:06
「浄土系のお坊様に質問です・・・」というタイトル通りの疑問が。
「なぜ現世利益がないものにすがれるのでしょうか?」
個人的には、これが最大の謎です。
196時衆:03/01/17 20:02
>「なぜ現世利益がないものにすがれるのでしょうか?」
来世で救われる事が保証されているなら、今が保証されているのと同じだと思いますが?

それとも>>195さんは、半年複利で10年後にはこれだけ儲かると言う話よりも
今すぐ抱えきれない現金を入手する話の方が良いのですか?
...........大抵は強盗の計画になってしまいますが....
197名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/17 21:11
こんな話がありました、

ある人は就職試験を祈った、
自分の希望する会社に入れず、ご利益なし。しかし、その会社で
実力をはっきして充実した夢のような生活を送る事が出来た。

また、ある人は宝くじが当たるよう祈った、
見事大金を手にした。ご利益はあった。しかし、その後の生活はギャンブル、
酒とで健康を害し、この世の地獄のような悲惨な生活を送った。

いったいご利益ってなんなんだ?
-本願寺出版物より引用-
198197:03/01/17 21:12
訂正

しかし、別の会社で

の間違い!
199名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/17 22:13
>>191
昔は木魚ではなく鉦をぶら下げてたたいてたんです
鉦は木魚より音がでかいのでたたくのと同時に発声したら
声が聞こえなくなる
だから間打ちになったのです
なんか日本語おかしいけどこんな感じ!


200あぼーん:あぼーん
あぼーん
他スレで見たんだけど大谷派は神祇不拝って言うのをしてるんですか?
なぜ神社を否定するの?私のイメージではカルトっぽくてなんか
恐いな。
202名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/18 20:55
age
203名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/18 23:15
>>201
大谷派の御門徒や僧侶は他派と比較すると過激な方がおられますから、神祇不拝や
主張される方が存在するのは事実ですが、真宗の教義(大谷派教団)としては不拝
ではなく阿弥陀仏以外の信仰は必要ないということであり、決して禁止していると
いうわけではないと思いますよ。
実際には、地域性もありますが御門徒の家には神棚があったり、神社を普通にお参
りする方の方が多いと思いますけど。
204名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/18 23:37
大谷派のご僧侶に質問します。
最近知人の葬儀がありましたが、
30年ほど前に頂いた法名で葬儀をしようとしたところ、
有効じゃないので新しいのでなければと言われ、
かなりの金額を要求されたとのことです。
法名・戒名に賞味期限みたいなものがあるのでしょうか。
川崎市の大谷派の寺院でのことです。
205名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 00:21
>>204
訴えてやれ!
206名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 03:28
>>204
それはトンでもない寺院ですね
真宗では生前に「おかみそり」を受け法名を受けますが、キリスト教の洗礼
と同じで生涯一度だけでしょう。
ちなみに大谷派では一万円だそうです

事実だとすればかなり悪質な寺院ですのでご本山に通報されたほうがようかと思います
http://www.tomo-net.or.jp/

207名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 17:19
>>201
全く誤解です。>>203のレスの通りです。

>>204
その寺を教えてください。抗議します。
ふざけんなぁ〜ゴルア〜!
208名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 17:59
204です。
川崎区のTS寺です。
209名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 18:42
川崎区では1件だけです。

さーどうしたものか、名前晒すか?

210名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 19:00
いや、漏れ、宗派違うけど(と言っても浄土系の本家だけど)

>>204の寺は

さらせばぁ〜?協力するし。
212名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/19 21:22
本家かぁ.....
>>212
おおお?そんなところに絡んでくる?

じゃあどう言えば良かったかな?「浄土思想を確立した人物を出した宗」?

スレの話題とずれてスマソ。
214時衆:03/01/20 00:33
>>201
神祇不拝については知りませんが独自性に強いこだわりがあるのは確かですね。
自分達の定めた阿弥陀様だけが本当の阿弥陀様で他の浄土宗や時宗の阿弥陀様は偽者だの
真宗から浄土宗や時宗はもとより、他宗へ移るのは無限地獄へ嵌るのと同じ事と公言して
はばからず、丸で創価学会の様で不快です。
215名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 00:57
>>214
やっぱりそうですか。大谷派はカルトですね。
他の宗教の作法や教義はすべて迷信と説き伏せ、破却し
通俗的な風習まで神社的習俗として、差別だの環境破壊だので
言いがかりつけてますからね。
一向一揆の時代より伝統的なカルトですな。学会よりも質が悪い。
216あぼーん:あぼーん
あぼーん
217名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 06:34
>>199
内の傍の浄土の人頭打ちだよ。
>>214>>215

大谷派の皆がそうではないはず、一握りの人間の思い上がりのはず。

219203:03/01/20 11:37
>>218
そうですよね。一部の方だと思います。
私は浄土宗の信徒ですが、親戚は多くは御門徒なので付き合いがありますが、御僧侶を含
め神祇不拝や他宗を否定する方はおられません。
不拝どころか家には立派な神棚や荒神さんもありますし、四国八十八箇所霊場の巡礼にも
行っているみたいですし。

確かに、そういう御僧侶や御門徒がいることは事実ですし、そういう方が一部自治体
に圧力をかけて活動していることも多々あります。
ttp://www.jinja.or.jp/jikyoku/kiyomesio/

しかし宗門全体としてはS学会のようなことはありませんし、一握りの方がそういう
ことをなさっているのであり「木を見て森を見ず」のような批判は的外れだと思いますよ。


220名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 13:46
神さまを肯定とか否定とかじゃなくて、うちには神棚ないし、神社へお参り
したりもしないけど、これは神祇不拝でしょうかね。
別に「思い上がり」だとは思わないんだけどな。
221名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 14:42
>>220さん
敢えて目の敵のように否定していなければいいんじゃないですか?
神社にいくのや神棚を奉るのは個々人の勝手。「思い上がり」じゃないですよ。
215さんの意見は218さんのリンク先にもあるような「活動」として
積極的に不拝を働きかけている人の是非を問うものでしょう。
大谷派が神社側に喧嘩を売った形ですから。

よく神社は「何でも受け入れる心の広い宗教だ」と解釈されている方も
いますが、あくまで日本文化の根底を成す習俗の上での他の宗教の存在が
それこそ古代より認められていたわけであって神道:日本固有の習俗や
文化の形を否定するものまで認めた例はないですね。
S学会さんは不拝を薦めるけれども、あえて日本の習俗としての神社を攻撃するような
愚をなす方はいないです。
もっとも神道はなんでも認めてくれるんだから「神社攻撃してもいいじゃないか!」
なんてレベルの低い子供みたいなへ理屈は言わないで下さいね。(念のため)
神社側は大谷派に喧嘩を売られている形ですから。
そして安易に一部であれそうした方向に乗じている人がいるのはまるで文化大革命の
紅衛兵みたいで稚拙ですらありますね。ま、左翼かぶれなんでしょうが。
一般の門徒さんでも勘違いされてる方は多いんじゃないんですか?
じゃあ本部の人はともすればカルトな一握りの集団を黙認しているのですか?
今の神社界で廃仏毀釈をしようなんて言う過激な人は一握りもいないし、いたとしても
そういう人の言葉が力を持つようなことはまずありません。
大谷派のカルト一派はすべての神祇的習俗を廃して純粋に親鸞の教えを鵜呑みに
しようというのでしょう。もはやそうした絶対的唯一主義はオウムに匹敵する
狂信的仏教原理主義で国家の安寧を破壊する極めて危険な思想だと思いますね。
222名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 15:59
>>221
>狂信的仏教原理主義で国家の安寧を破壊する極めて危険な思想
そこまで酷くは無いと思われ。
第一オウムと違い親鸞本来の教えはそこまで攻撃的じゃないし。
蔓延ったとして、せいぜいディープなお念仏門徒が居るぐらいなのでは?
223あぼーん:あぼーん
あぼーん
224220:03/01/20 16:40
221さん、どうも。わたしは仏教徒なので、自然と神祇不拝になりました。
でも神社などを粗末にする必要もないと思っています。廃仏毀釈などは愚か
なことだと思いますし、その逆もあってはならないと思います。
225211:03/01/20 17:52
私が言ってもあんまり説得力ないんだろうけど・・・・


何が欲しいの?何が目的なの?

「神様」「仏様」。根本的に違うのはなんなの?仲間が死んで遠吠えする犬たちは
「誰に」吠えているの?

何故、そんなことで争う必要があるの?
226名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 21:19
>>211
ちょっと抽象的すぎてデンパみたいなんだけど!

そんな事で争う必要ないのに犬みたいな一向宗が噛み付いてくるから
でしょ。
227名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 21:22
全国に後継者のいない寺はどのくらいあるのか知っている人?
228名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 21:44
漏れは、うちのばーちゃんの葬式を漏れがする為に門徒になって
得度を決めたけど。
門徒になって半年、トホホ後悔しまくり。

仏教の世界って、もっと清くて、迷っている人を諭してくれる、
そんな拠り所みたいに想像してたけど・・世間知らずのDQNでスマソ
やっぱり人間のする事、どこも同じだなって、かなりショック受けました。

くっそ!最後の希望を踏み躙られた。だれだー責任者出てこーーーーい。
っていないのよ。誰が一番悪いの? それ教えて。

2ちゃんだけど、ここの人はみんな好きです。
229名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 23:07
お寺ネットで昔話題になっていたけど
「霊魂はない」と浄土系の教えではなっているようですが
仏壇の中に位牌がある時点でその節には無理があるような・・・。

そもそも霊魂無記説なんだから「ない」と昭和になってから
勝手に断言している時点で錯乱坊
清め塩問題なんかポスターまで作るから
傍から見たら「はあ?」って思われるわな・・・。

230名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/20 23:29
ある子を見てて大谷派じゃ救いがないと確信してます。


          _,.  -─‐- 、_
         /         \
         /   _        _   ヽ
       | /  ヽ    /  \  |
     r‐ 、| /    ヽ  /     ヽ .|, ‐、
     | r‐、  /⌒\   /⌒\  ,‐、. |
     L  |  ___   ___  |  _|
      )  l ` ー゚‐ '   `‐゚-─'  l  (
     /  (ニ ___ `´ ___ ニ )  ',
     `ー''" X ,___`'ー'´__ , X'`ー"
              `ー‐'
なにか?
>>230
どうだったら救いがあると言いたいのですか?

その救いがない漏れを受け入れてくれる真宗はすばらしいと思いますが、何か?

>>230、お前は自惚れ! いったいお前に何が出来る
233名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/21 11:58
>>232
別に何もしませんよ。初めから。する義務も無い。
第一なんで俺があんたら見たいな同類を相手にせなあかんのよ。

ただはっきりといっておく。バランス感覚を失ったお前みたいなのは
かわいそうだ。それだけだ。「全ての学問は疑うことから始まる」
234名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/21 12:36
差別戒名が一番きつかった大谷派は宗教利権に目を付けた解○同○に
格好の餌食となった。
大谷派は結果媚を売り、過剰なまでの追従をすることで今の路線となっている。
いわば過去のアンチテーゼが、もともとの過激な体質と重なり
現在さまざまな軋轢を生み出している。お気の毒。
233 田舎者
236名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/21 19:54
>>234
これか?大谷派かどうかはわかんないけど。
ttp://www.bll.gr.jp/news2002/news20021216-3.html

外圧に弱いっていうか、偽善だったのね。
والمدرسة راح تحل. وهاي طاسة لبلبي
و بالمناسبة
هو أيضا سيد ابن رسول الله, دخيل جده.
يا سرة يا بطيخ, اكُله
المدرسة راح تحل, يكُلي الزم سرة
انت لا دين ولا صلاة, هاي عود يجي عاشور,
اهلك يسوون هريسة وتجيبلي
,اووه شلون احنه ويه الساده
المضيعين دين اجدادهم و لاحكين دين الغربة
والمدرسة راح تحل. وهاي طاسة لبلبي
و بالمناسبة
هو أيضا سيد ابن رسول الله, دخيل جده.
يا سرة يا بطيخ, اكُله
المدرسة راح تحل, يكُلي الزم سرة
انت لا دين ولا صلاة, هاي عود يجي عاشور,
اهلك يسوون هريسة وتجيبلي
,اووه شلون احنه ويه الساده
المضيعين دين اجدادهم و لاحكين دين الغربة

239名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/22 00:11
>>196
>来世で救われる事が保証されているなら、今が保証されているのと同じだと思いますが?
私は195氏ではありませんが、こんな風には全然思いませんね。
というか現代社会に生きていて、普通の社会生活を送って、普通の人と接していれば、
こんな無理矢理コジツケ的な考えは不可能だと思うのですが、いかがでしょうか?
以前宗教板で、浄土真宗萌えスレに「現世利益は?」という質問があって、
その時の浄土真宗関係者(?)の人たちの醜態と言ったら・・・バカバカしい限りでした。
「今が保証されている」というのは、「愛する人が死にそう」「失業して家族を不幸にしてしまう」
「お金がなくて苦しい」「愛する人に振り向いてもらえない」時に、「いま」(来世ではなく!)
現実に問題解決してくれる本尊に救われて、初めていえる言葉ではないでしょうか?
「現世は何もしないけど、来世で極楽往生させてあげる」という方には、私も縁遠い者です。
240名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/22 01:29
昨日からみてましたが、童話の話が出てきてから
関係者はおとなしくなられたような?
やはり痛いところなんですかね?
>>239
そりは、表面だけの教義理解だと思われ。

鎌倉当時は安心の最たるものが来世(いのち)の救済だったわけで。
この世では救われそうに無いくらいひどい時代だったから。

宗教観が薄れてて、命の心配もしなくて良い現代では別の方便を持って
するより他無いはず。
現代人は、快楽は求めても安心を求めることはしないかもしれないが。

個人的な感じでは今は当時と比べると極楽同然であり、その生き方に
浄土的にどういう価値を見出すかがポイントであり、来世救済なぞ
重視するべきポイントではない気がする。

とにもかくにも、どの宗派においても現代人の地平に降りた布教なり
説教なりで生きた教えを理解させてもらいたいなあ。

ちなみにわしは在家。
242名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/22 21:51
243あぼーん:あぼーん
あぼーん
244あぼーん:あぼーん
あぼーん
245半僧半俗:03/01/23 05:52
みんな、もっと勉強せー!
童話の話だが、被差別部落は浄土真宗の
門徒さんが圧倒的
親鸞さんは身分制ブッチしてたからな

しかし凶弾が封建的になってきたのを
被差別部落に伝わる
親鸞像が、問い直してくれた訳だ
おれら門徒内部の問題で政治なんか漏れには
関係ないな
247あぼーん:あぼーん
あぼーん
248時衆:03/01/24 11:51
>>218
>>219
そのように一部の方であれば良いのですが、
先日も、菩提寺が遠方で当寺の墓地に入りたいと言う方がいらしたのですがその菩提寺の御住職が真宗の方で
かなりの圧力を掛けたようで話自体が無くなりました。その方が明かしていたのですが、
真(まこと)の浄土宗を捨てて時宗などに移るのは地獄に自ら身を投げるようなものと罵られたそうにございます。

私どもは真宗を誹謗中傷する事はありませんが、誹謗中傷されない事はほとんどありません。
誹謗中傷しない真宗僧侶と言ったら島根県に住む従兄くらいのものです。
そうでなくても真宗の方は謂われ無き差別を被る人々に更に侮蔑する発言に枚挙が暇なく、
解放出版の事典でも真宗のある僧が布教所でこのような差別発言を為したと言う事例がゾロゾロ出て参ります。
同じ念仏僧として恥ずかしい限りです。
249時衆:03/01/24 12:02
>>229
>「霊魂はない」と浄土系の教えではなっているようですが
霊魂の存在を真っ向から否定してはばからないのは

           浄  土  真  宗  で  す  。

お間違えの無いように。その為に位牌を禁じています。しかし、関東では、その規制が緩やかで
黙認状態にあります。(位牌OK!!)
しかし、西と東で仏壇の様式がまるっきり異なっており、取り違えたり、全く異なる仏壇を
持つ事は堅く禁じられているようでして、どこの仏壇屋でも西はコレ、東はコレと融通を効かす事はありません。
(融通が効かないと言うより、住職に怒られるから)
250名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 12:13
>>249
すいません、浄土系の教えと言ってもいろいろあるんですよね?
いささか乱暴に言いますと、浄土系には、霊魂の存在を真っ向から肯定
している教えもある、ということになるのでしょうか?
251229ですが:03/01/24 12:22
>>249時宗さん
京都に住んでいる浄土真宗の檀家ですが実家の北陸では位牌があります。
ちなみに北陸出身の親によると「門徒物知らず」と地元の人自身が言っているらしいです。
まあ浄土真宗の坊さんの話は「話半分で聞いとけや」ってことでいいんでつか?
(京都に住んでいると浄土系宗派の坊さんのええはなしはあまり聞かないんです。
新聞に酒気帯び運転で警官に暴言はいたとか研修で本山に来て痴漢でタイーホとか
O谷気の財産争いの裁判沙汰とかばっか載っているもんで・・・。トホホのホ
これで信頼しろって言われても無理だわ)
252時衆:03/01/24 12:23
>>239さんは先日逮捕された神奈川県鎌倉市の祈祷師と同属の人?
今お祓いをして、悪霊を取り除かないと死ぬと称して莫大なカネを巻き上げるのが現世利益と信じているんですか?
今はそんな現世利益を主張する宗教者が多いですからね。
やれ水晶玉を買え、聖なる多宝塔を買え、教祖さまの念の籠った特製の数珠を買え、などと
弟子やら信者を称する輩をつかって買え買えの大合唱で催眠商法に走って自分達だけが救われて潤おう
現世利益をね。

釈迦の教えは対機説法と呼ばれるのが特徴で、説法する相手に合わせて様々な方便を使い分けて分かりやすく
教えを説くものであったそうです。
その説法に従えば、昔は、命が救われる事を主眼に説けば分かりやすかったでしょうが、今はそう言う時代では無い。
特に日本は大平の世ですから、いかにして生きるかを主眼に説くべきだと思います。

ただ浄土系でもその教えは様々な違いがあるので一概にこうせよ!!と言うものは無いでしょう。
253229ですが:03/01/24 12:26
あっ!時宗さんじゃなくって時衆さんですた。
間違えてすんません(汗)
254名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 12:31
>>248 とりあえず、その圧力をかけた住職は格好悪いと思ったりするんだけ
ど、、、 ただ表現の良し悪しはあると思うけど、ある意味、住職としての責務感
みたいなもんからの言動なんじゃない? 自分は、時宗のお寺の墓地に骨を納める
ことが地獄に身を投じることだとは思わないけど。。。罵りであろうが、説得であろ
うが、それで話がなくなったのなら、遠方の方からの申し出は、所詮その程度のもの
でしかなかった、と思われたらどうでしょうか。
255名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 13:00
>229
@.「門徒物知らず」とは、迷信俗信・くだらない慣習などにはとらわれない、
という門徒の生き方を、習慣や迷信俗信を重んじている人から見た場合、門徒と
いうのは何も物を知らん無知なやつらだな〜、と小バカにして言うこと。
A.本来は「門徒物(忌み)知らず」だそうで、くだらない迷信俗信にはとらわ
れないぞ、という強い生き方を言うこと。
B.門徒だ言ってるだけで、実は何もわかってない門徒を小バカにして言うこと。
新興宗教の方が勧誘し易いことから言ったりもする。
256229ですが:03/01/24 13:30
うちの親は
>小バカにして言うこと。
この意味で使っているヨ

北陸の一部地域では家を建てるときに地鎮祭をしない(のが普通らしい)
まともにきちんと家を完成させると住んでいる人に不幸が起こるので
わざと一部分だけ未完成のままにしてそのまま住んでいる(のが普通らしい)
さすが門徒???(いや、嘘の様だけどホンとにマジなんだわ・・・。)
257名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 13:58
きちんとした門徒なら地鎮などはしないのが普通なんだろうな、やっぱり。
>わざと一部分だけ未完成のままにしてそのまま住んでいる
私北陸ですけどそんなのはじめて聞きました。凄いですね〜(笑)
229さんの親だけじゃないと思いますけど、>>255でいうBみたいな人って
けっこういるんじゃないかって思う。
258名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 15:33
>>249
じゃあ極楽浄土は何が(誰が)行くの?霊魂が行くんじゃないの?
259229ですが:03/01/24 16:13
>>258
戦後のある時期になってから急に教団がそう言い出したので先祖供養に関して
つじつまが合わなくなって自分で自分の首をしめている。
ホントに言っていることが真実なら位牌と墓、卒塔婆は要らないはずだが・・・。

位牌とご本尊さまが一緒に入っている仏壇では理論的にオカシイ
ご本尊さまだけを祀ってある厨子でいいはずなのだがね・・・。
(先祖供養に関しては極楽浄土に生まれ変わったご先祖さんを子孫が
後ろから応援している形になるのでこれはつじつまが合う)

かの教団の教えによると世間一般で言われる霊魂はないが極楽浄土に生まれ変わった
御先祖さんは存在するらしい・・・なんだか判ったような判らないような説明で
丸め込もうとする(笑)
260258:03/01/24 18:09
>>229 >>259
>そもそも霊魂無記説なんだから「ない」と昭和になってから
>勝手に断言している時点で錯乱坊

読解力が無いもんで、この意味がよく分からない。
これは浄土宗の話し?浄土真宗?
浄土(真宗?)はもともとは、霊魂無記説なの?それとも昭和になってから
霊魂無記説になったという意味なの?

>戦後のある時期になってから急に教団がそう言い出したので。

どう言いだしたから、つじつまが合わなくなったの?

で、結局、極楽浄土には何が行くことになってるの?
馬鹿にも分かるようにお願いします。質問ばかりですみません。浄土系に
興味があるもので・・・。

261229ですが:03/01/24 19:28
>>258
の質問は坊さんに答えてもらおう(オラ在家だからな)

で、霊魂無記説つーのはですね仏教の開祖の釈迦如来が生きておられた時に
「生まれ変わり死に変わりする本体(魂・アートマン)はあるのかないのか?」
という当時から論議されていた質問には答えなかったので無記説と言います。
当時のバラモン教の考え方の輪廻転生は仏教教団では否定しないので
死後の存在(霊)について否定はしていない。
(根本経典の阿含部経典には神や夜叉、天界に生まれ変わった長者、果ては
悪所苦界(地獄の原型か?)に落ちた悪者などが登場する)

日本語では死後の存在を輪廻の本体「魂」と生前の人格を持った「霊」とをあわせて
一般に「霊魂」と言っているが魂は不可知なので無記説で答えないのは判るが
霊の存在を認めないとしたら人の死後に葬式で供養をしているのは、さもそこに故人が
いるかのようにお参りをしてお布施をもらうのは詐欺だと思わないかい?

それと「お寺ネット」の旧討論室の過去ログを見たらわかるが位牌は故人の霊が
子孫につかないように替わりに「取り付く島」として中国から入ってきたようですな。
本来の仏教では個人の人格完成&輪廻からの解脱を目標としていたのですが
日本での仏教は祖霊信仰と結びついて(または神仏習合の影響で)先祖供養を
やっとる訳だから(以下省略)
262219 :03/01/24 19:29
うちの親戚の御門徒(本願寺派)の御内仏には位牌がちゃんとおいてありますよ。
繰出位牌という屋根付きの位牌ですが、正面には「先祖代々之霊位」と書かれて
いますが菩提寺からクレームはないみたいですし、うちの地域では真宗も位牌は
当たり前のようです。
それに真宗各派では位牌OKだったり、居士大師号も付す派もあるそうですし
地域性というものもありますから、一概にこうだとはいえないでしょう。
ただ大谷派は「霊」に対して厳格ですし、位牌の使用を厳禁とする指導も強い
ですね。本願寺派はそうでもないみたいですが。

>>260
>これは浄土宗の話し?浄土真宗?

浄土宗は位牌を用いますし、霊魂を否定するということはないと思います。
例えば、お盆には施餓鬼法要もしますし、先祖の霊が帰ってくるというように子供
のころからそう聞いています。
一方真宗では、お浄土に救われることを喜び感謝するのが「お盆」の意義らしいで
すが浄土宗はそういう解釈ではないと思います。
263258:03/01/24 20:13
>>261
え〜と。229さんの書き込みを要約すると、日本の仏教は、輪廻転生説を
肯定しているから、霊魂の存在も否定しない。しかし浄土真宗は、最初から
輪廻転生説を否定してるから霊魂の存在も否定している(?)。しかし、
そうなると、葬儀や位牌問題の矛盾が生じてしまう。そこで、戦後のある時期に
なってから矛盾点を解決する為に、真宗が何かを言い出した。ということで
いいんでしょうか? なるほど。有難うございました。

>>260
ウチの菩提寺(って言うんでしたっけ?)は浄土宗なんですが、そこは施餓鬼を
しないんですよ。お十夜というのは秋にするようです。
なんでも「施餓鬼は浄土宗の教えに反する」とかなんとか言ってたような気が
したのですが・・。寺によっても解釈が違うものなんですね。
264229ですが:03/01/24 20:23
>>258
>輪廻転生説を否定してるから霊魂の存在も否定している(?)。
いや、そうではないです。極楽浄土への生まれ変わりは肯定しているつーか
生まれ変わることが前提です。でも「霊魂はない」といいます。
あとは坊さんによる説明キボンヌ
265262:03/01/24 21:28
>>263
>「施餓鬼は浄土宗の教えに反する」
うちも代々浄土宗の信徒ですが施餓鬼はお盆にやります。
本山のHPにも施餓鬼は行事としてのってますが。。。
http://www.jodo.or.jp/naruhodo/event/index16.html
何が浄土宗の教えに反するのでしょうか???
266名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/24 21:41
>極楽浄土への生まれ変わりは肯定しているつーか
>生まれ変わることが前提です。でも「霊魂はない」といいます。
読んでいて感じたのは

死んだら極楽浄土に生まれ変わってそれっきり、現世に戻ってくることは無い、
つまり、「現世と浄土を行き来する物=霊魂」というものはない
だから、死んだ人が現世に戻ってくるための儀式、道具は不要

って感じたんですがどうでしょう?

うちの母方の実家は浄土宗の檀家なのですが
普通にお盆に施餓鬼はやっていました
267229ですが:03/01/24 22:54
>>266
そう考えたいのは山々だが・・・浄土系の仏教徒は霊魂はなくて
他の仏教宗派や他宗教の人間も霊魂が存在しないのか?
同じ人間ですぞ!
(天台や真言だと霊魂を否定はしない、僧侶の個人的見解で無いと
言う人もいるがあくまで個人の意見で教団や宗派の見解ではない。
しかし浄土系の一部では教団の見解(?)として「ない」と言うが・・・。)
霊魂が無いのだとしたら以前にも書いたように位牌、墓、卒塔婆は要らないけど
過去のものもいまだに現存しているし亡くなった人がいると新たに作っているし・・・。謎は深まるばかり。

もとは法華も浄土系も天台からの教えの一部分だけを持って飛び出していったので
以下省略

そんなことより誰か早く258の質問に早く答えて〜!!!
>267
諸法無我を旗印にしている仏教が霊魂を
認めるのがそもそも×

しかし自己の同一性として
アーラヤ識が想定されるが、これは世間で、考えられる
自我とは違う
異熟識とも訳される

浄土へは我(アートマン)が行くのではない
無生の生

実は今も、あなたという実態はない
関係性の産物があなた
それを自分はあると倒錯するから苦悩が生まれる

以上、仏教の初歩の初歩
269229ですが:03/01/24 23:30
>>268
>無生の生
唯識論を使わず普通の一般人に判るように説明してやれヨ
270229ですが:03/01/24 23:32
ちなみに
>諸法無我を旗印にしている仏教が霊魂を
>認めるのがそもそも×
インドでは受け持っていない先祖供養を日本の仏教では
取り入れた時点でこの説は×
271266:03/01/25 00:39
>>267
>そう考えたいのは山々だが・・・浄土系の仏教徒は霊魂はなくて
>他の仏教宗派や他宗教の人間も霊魂が存在しないのか?
>同じ人間ですぞ!
????
「浄土系の仏教徒には霊魂が無く、他の生命体には霊魂がある」ではなくって
「浄土系の仏教徒は『全ての生命体に霊魂が無い』って考えている」
って事ではないのですか?

272229ですが:03/01/25 01:03
>>266
オラの書き方が悪かったでつね。言いたいことはそういうことです。
すんまそん。
273229ですが:03/01/25 01:23
ちなみによく勉強すれば判る事ですが仏教では永遠不滅の魂、主体としての自我(魂)を
認めない(認識できないので無記)のであって、
業報の影響を受ける死後の存在としての霊魂はこれを認めないと
おかしなことになります。(だから位牌ってなんだよーてことになる)

まあ268の説では
>実は今も、あなたという実態はない
だそうなのでいくら盗みをしようが人を殺そうがすべて頭の中の妄想・空想ってことだな
これで極悪人のあなたも明日からは安心だ






と言ってみるテスト
274半僧半俗:03/01/25 01:39
僧侶も色々居る、悪いやつも居れば、ちゃんと日々教学に生きている
僧侶も居る。馬鹿なヤツの理論は凄まじい。
勉強しなくて見よう見まねで知ったかぶりをする。
そんなやつが変な事を言うと、門信徒の方々は分からないから
素直に信じてしまう、お寺も選んだほうがいいよ。
ちなみに、お西は追善供養をいたしません。それで解るよね。
275229ですが:03/01/25 01:51
まじめな話に戻りますが仏教の修行方法はいろいろあるわけですが
悟りの階梯に「預流の聖者」と言いましてこの位になると7回生まれ変わるまでに成仏することが
確定するそうで地獄に落ちなくなるそうです。
(不退転の聖者とも言う政治家の言う不退転はここから来ているようですが
政治家の不退転は当てにならないけどね)

煩悩のうち身見・疑・戒禁取見の三つを断つか
如来に対して絶対確実の信を得る(浄土系では確信と言ったかな?)のと二つの方法があります。
(まあどっちの方にしてもその境遇になったら、まあ悪いことはしなくなりますわな)

浄土系の教えは後者の「如来に対する確信」の方法を極楽浄土の阿弥陀如来さんに
受け持っていただく方法だと思われます。その方法は在家の方には特に問題ないと思いますが
出家者の場合念仏を唱える以外は修行は禁止つーところもあるわけで
以下省略
276名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 05:22

賢善精進の相をほかにしめしている馬鹿がいるのは、このスレですか?
あなたという実体はないが
関係性を生きるという実体はあるということ

色即是空 の後に
空即是色 とあるでないか
27865:03/01/25 18:36
なんか・・・はぁ?あんたらバカ?バカなの?

霊魂がある、無いなんて討論している時点で、「はぁ?」

理屈で分かっていても感情で分からない部分というのがあることを経験していない人の
言う理論は、それを経験したことのある人から見ると、哀れとしか見えない。

誰も浄土教を信じろとは強制していない。おかしいなら他で貴方の魂の安楽をさがせや。
今は必要ないなら、それで良いじゃん。

お釈迦様がいわんとしたことの本質から離れすぎていやしないかい?

あんたが幸せであれば、霊魂がいる宗教を信じようが、そうでない宗教を信じようが、
通常の感覚の持ち主なら誰もあんたを攻めたりしない。

科学的見地から見たらとか、矛盾がどうとか、あんたの幸せと関係あるの?
ちなみに俺は、自然科学一般にはかなり自信あるけど、浄土を信じてる。
抑も「信じる」と言う言葉についてもう少し考えた方が良い。

この境地が理解できないあんたは、(現代人としての)最低限の勉強か、あるいは
(俺より)人生経験が足りない。しばらく時間を取ることをお勧めする。

俺以上の境地に立っている人の多くは、きっとこんな議論はしない。
279282:03/01/25 18:38
スマソ。入力ミス。俺は>>65ではない。>>65の方、スマン。
280名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 19:46
うーんここ読んでると大谷派の矛盾が浮き彫りにされてるな。
だからあいつはさまよい求めてたわけか・・・。
281278:03/01/25 20:03
なぜだ?また間違ってしまった。スマン。

>>280
大谷派も何も関係ないんだ。

あんたが科学の信仰者とする。科学的には死者は物体だ。蹴っても、唾かけても、
「何も起こるはずがない」。しかしあんたはそれが出来るか?例えば、親や、最愛の
人の遺体に向かって。

お釈迦様の根本理論(諸行無常、諸法無我)を言葉通り純粋に受け取るなら、霊魂は存在
し得ない、という結論に達するのは間違いない。輪廻を前提とし、来世での「極楽」を
教える浄土教は否定される。

しかし、貴方は焼かれた自分の親を見て「炭酸カルシウムの固まりが・・・」と思える
だろうか?

極簡単に言えばそう言うことだ。ある宗教が、他に危害を加えない限り、「信じる」のは
勝手だ。
人間、死んでしまえば、ただの酸素と水素と窒素と、あと幾ばくかの原子の固まりだと
貴方の死の瞬間でも思える内は、そう思っていれば良い。それも一つの安楽の形だ。
282278:03/01/25 20:08
うーん。追加。炭素。
>>281
だから何が言いたい?

間違いだらけ、ウザイから書き込みは慎重に・・・
ジュクジュクジュクジョソープ嬢、レイコよーん♪

      !                 ゙'、丿 
      i             ゙'‐.、   ゙'- 、
       !、               ゙-、    '‐ 、_
       ゙、       l.          ゙'、      ''-、
        ゙、     l      ..     ゙、      ゙::、 
         ゙、    l     ;;о;;    i       :::フ
          ゙、    l.      ''     .i        .i
           ゙、   `:、         .ノ        丿
            ゙、   ''-.       ノ        ノ   
             l     "' − ''"     iー--''"
              l              l
              |             丿
              l           .  /
              /          :  /
             /           ,; /
           ノ            「 |  

ジュクジョソープ嬢、レイコのオッパイいっぱい吸ってぇー♪
285278:03/01/25 21:36
へいへい。ごめんなさい。確かに俺のカキコは間違いだらけだ。
>>278禿同

魂がどうの、聖典からひっぱり出してきて、さも自分の言葉のように
ほざく戯けばかり・・・
何千年かけても解けない真実がお前らに解けようがあるまい。

287名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 23:13
>>278

貴方に「お釈迦様がいわんとしたことの本質」なんてものが分かるのかい?

>俺以上の境地に立っている人の多くは、きっとこんな議論はしない。

きっと貴方のような書き込みもしないだろう。
288名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 23:18
浄土門スレって教義の話になると必ず喧嘩になるね。
一般人からみたら、決していい宗教とはいえないね。
289名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 23:29
>>288 ほんとその通り、287がいい例です。

もう少しまともな人間はいないのでしょうか、浄土系には。
290名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/25 23:47
>>289
貴方の言うまともな人間とはどういう人間なんでしょうか?
278さんのような人ですか?
291名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 00:46
>>290さんはどう思われますか?
292名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 00:55
一向宗どもは昔から政治に口を挟みすぎ。今の真宗は最悪だな。
日教組とかと変わらん。
それだけな、好きなんじゃないのか?ネタでやってんのだったらしらんけど。
俺の家は浄土だけど別に宗教とはあまり意識してないのでようわからんのだが。
そもそも阿弥陀如来さんの教えを受けたのは誰?
浄土三部教を書いた僧侶は天耳通で阿弥陀さんから
教えてもらえたから経が書けたんじゃないの?

そうでなければ空想?(の存在?)そうは思えないのだが(漏れは存在すると思う)
今の浄土系の坊さんは修行禁止だから(三明六通も何もあったもんじゃないから)
聞くだけ無駄なのですかね?
295名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 12:52
金に汚くて世俗にまみれてる割には、世間知らず多いよな。

知ったかぶりでいっちょ噛みの政治運動に参加したりする。

だから意味のない理想や正義感に燃えとる。アホな学校の先生とさして変わらん。
296浄土宗信徒:03/01/26 15:01
>>294
>今の浄土系の坊さんは修行禁止だから

それはちと言いすぎなんじゃないですか?
「禁止」ではなく「必要ない」ってことだと思いますが。
確かに一部真宗教団には「修行禁止」で、あたかも修行することは仏教
の教えに反するという独善的な主張をするもありますが。

浄土系においては他力信仰を基本としながらも、天台の常行三昧や観想
念仏を取り入れた証空上人のような方もいらっしゃいますし、浄土宗系
でも止観(座禅)をとりいれる僧侶の方もおられますから一概にそう断
定的に言われるのはどうかと。。。

>>289
真宗(大谷派)に対しての批判に感じられますが、「坊主憎けりゃ袈裟
まで憎し」みたい浄土系を十派一からげに批判するのはどうかと思いま
すが。。。阿弥陀如来の他力信仰でおいては本尊経典を同じにしながら
歴史的な過程や各宗派の教義により相違がありますからね。
それに、その批判は浄土系だけではなく、日蓮系でもその他の宗派にも
あてはまりますよ。いずれも独善的な方が目立つだけですよ。素晴らし
い方はおられます。

297  :03/01/26 15:05
>>294
 求めてる答えと異なるかもしれないけど、
まず阿弥陀如来の教えを聞いたのはお釈迦様です。
で、それを弟子に伝え、経典と言う形で残された、と。

 あと、真宗ではどうか知らないけど、浄土宗では修行を禁じているわけではない
と思うよ。「念仏を唱える」ということは「易行」であり、あくまで「行」であるという立場
なので。
298名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 15:08
そういえば、友達が浄土宗の坊さんだ。
なんか、「般若心経を浄土宗で読むのは、浄土宗の教えと矛盾して
るんだよね」とか昔に言ってたような・・。
「本山も、その辺の所は認めている」とも。

なんで般若心経を読むのは矛盾しているの?
299294:03/01/26 15:12
>>294
過激でスマソ。浄土系でも真宗以外なら聞いてもいいのですね?
しかし229の意見に論理的に反論してるのが少ないな。

いまだに258の質問に霊魂否定派の僧侶の明確な答えは無いし
意味不明の混乱した感情論だけだし〜。
300294:03/01/26 15:15
299は296への返信でつ。間違えスマソ
301名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 17:33
ゴロン   _   (⌒Y´ ̄ヽ∋oノ/(∋oノハヽo∈
    γ´  `ヽ_`と.__   )( ∩( 《 ( ^▽^) 
     )) ,、 , )∋o _,.ノ  ヽ、.__,ノ l  つ つ
    ((∋oノハヽo∈          ヽ.__ノ!__)) ゴロン
∋oノハヽo∈              ∋oノハヽo∈  
  (    )                  (^▽^ )  あたまの中もゴロンゴロン♪
 (    つ                 (⌒)∪∪(⌒)
 ヽ___ノj                   
  ∋oノハヽo∈              /´ ̄ヽ ̄)
   (^    )           __   ( __  )   ゴロン
    と   ヽ ( ̄))ハヽo∈/´ `Y⌒)ノハヽo∪
    (__ト、__丿 〉 》∩ _) (   .__つ´   
          ヽ、.__,ノ   ヽ、__,o∈  
        ゴロン
302278だよーん:03/01/26 18:00
>>294
今日も酔っぱらってる、浄土門の坊主でなく、さらに仏教学を学んでない俺が答えようか?
ただし、個人的見解と受け取っていただきたい。


>>258
貴方が信じるなら「貴方」が行く。貴方が信じないなら誰も行かない。

>>229
何故に宗派の教義にこだわる必要がある?貴方が拝む対称を必要とするならお位牌を
用意し、お墓を立てればよい。葬式なんて抑も宗派より地域性を重要視する方がよほど
大切なことだ。弔うのは生前も霊魂も知らない坊主ではない。その人の生前を知っている
家族や地域の人だ。
坊主は、その「未練のある人たち」の未練をいかに取り除くか、が仕事だ。
よって、坊主は葬式で決して泣いてはイケナイ。

これだけははっきり言っておく。
宗教は「生きている人たちを幸せにする」為にあるのであって、科学的根拠のない仏教学を
知っている一部の人の思考を披露し、その人の知的好奇心や自己満足を充足させるために
あるのではない。

理論を優先し、理論からはずれるモノを否定する姿勢は、貴方以外の誰にも利益をもたらさない。
抑もそんなことを言ったら俺は現代科学的に佛教を否定するまでは行かないでも
一部の人に「?」を付けさせるくらいの知識はある。

それでも佛教を「信じる」、と言っているのだが、分からないか?
303294:03/01/26 19:00
>>278さん
>貴方が信じるなら「貴方」が行く。貴方が信じないなら誰も行かない。
あのう酔っているせいかもしれませんけど回答になっていないんですけど〜〜〜!

行くか行かないかを258さんは聞いてませんけど〜〜〜!
浄土に死んで肉体が無いのに故人の霊魂じゃない「何」が行くのか答えてあげないとねえ。
(シラフの時に答えてあげてくださいね(笑))
304278だよーん:03/01/26 19:14
>>303

あ、そう。悪かった。
でも君も、もう少し俺の文章読んで。。。。。

ぢゃあもう少しはっきり書こうか?

『貴方が信じるなら「貴方」が行く。貴方が信じないなら誰も行かない。』

以上。
305名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 19:48
ゴロン   _   (⌒Y´ ̄ヽ∋oノ/(∋oノハヽo∈
    γ´  `ヽ_`と.__   )( ∩( 《 ( ^▽^) 
     )) ,、 , )∋o _,.ノ  ヽ、.__,ノ l  つ つ
    ((∋oノハヽo∈          ヽ.__ノ!__)) ゴロン
∋oノハヽo∈              ∋oノハヽo∈  
  (    )                  (^▽^ )  303のあたまの中もゴロンゴロン♪
 (    つ                 (⌒)∪∪(⌒)
 ヽ___ノj                   
  ∋oノハヽo∈              /´ ̄ヽ ̄)
   (^    )           __   ( __  )   ゴロン
    と   ヽ ( ̄))ハヽo∈/´ `Y⌒)ノハヽo∪
    (__ト、__丿 〉 》∩ _) (   .__つ´   
          ヽ、.__,ノ   ヽ、__,o∈  
        ゴロン
過激なお坊さんハケーン! 

306名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 23:22
門徒の悪なるは部落開放同盟との結託だろが。
だれが坊主、これに関してこたえろよ。
307名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/26 23:40
ゴロン   _   (⌒Y´ ̄ヽ∋oノ/(∋oノハヽo∈
    γ´  `ヽ_`と.__   )( ∩( 《 ( ^▽^) 
     )) ,、 , )∋o _,.ノ  ヽ、.__,ノ l  つ つ
    ((∋oノハヽo∈          ヽ.__ノ!__)) ゴロン
∋oノハヽo∈              ∋oノハヽo∈  
  (    )                  (^▽^ )  こわーいからまわろっ♪
 (    つ                 (⌒)∪∪(⌒)
 ヽ___ノj                   
  ∋oノハヽo∈              /´ ̄ヽ ̄)
   (^    )           __   ( __  )   ゴロン
    と   ヽ ( ̄))ハヽo∈/´ `Y⌒)ノハヽo∪
    (__ト、__丿 〉 》∩ _) (   .__つ´   
          ヽ、.__,ノ   ヽ、__,o∈  
        ゴロン
308名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/27 00:09

お願い、目が回るから、ゴロンゴロンしないでネ。
309名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/27 00:29
>>304
『貴方が信じるなら「貴方」が行く。貴方が信じないなら誰も行かない。』

意味分からん。「貴方が行く」の貴方は何?霊魂?違うの?
パンピーにも分かるように説明して。
310229ですが:03/01/27 01:11
霊魂が無いなら故人の遺体が目の前の棺おけの中にあるのに
故人の「何」が極楽浄土に行くのかとみんなが聞いているのに
わざと外した回答をしてごまかしているのか?

肉体はそこに冷たくなって横たわっているのに「貴方」は霊魂が無かったら
極楽浄土にどうやっていくんだ?
(極楽浄土も阿弥陀如来も存在は否定していないぞ。あるという前提での話だからな)

在家で仏教の歴史を少し勉強したオラでもその回答はさっぱりわからん。
素人さんならなおさらじゃろな。
311しらふの278:03/01/27 07:48
ちょっと困った。もう、くどくど書く気は無かったんだが。。。。。
一応、答えとく。でないと、あんまり無責任なので。

>>309
うー。なんと言えば良いかな?「霊魂」とかにこだわる必要がない、
といえば良いのか。。。そういう次元の問題でない、といえば良いのか。
感覚的に「俺」が行くんだ、と俺は感じる、と言えば良いのか。。。。

もちろんこれは俺が拝みながら感じることで、何か決定的根拠がある訳で
はない。最初っからそう感じていた訳でもない。
もっと言えば、俺は仏教について、坊主でない人と同じくらいの知識しか
ない。

逆説的な言い方をするが、そんなことを言うなら「浄土がある」と
言うことを何故前提にできるのか、と言うところまで議論がいってしまう。
そしてそれを疑問とするなら、その人にとって浄土思想はあまり意味がない。

最初に書いたように、貴方が今、浄土思想にしっくりこない部分があるなら、
何も今、浄土思想にこだわることはない、と思う。そういった人たちの
ための宗教や学問は他に山ほどある。仏教内だけでも。
それでも、否応無しに浄土思想に関わらなくてはならないなら、浄土系の
経典(あるいは解説無しの訳本)を繰り返し読んでみたりすることを
お薦めする。

てか、本題。
自分の状況/仕事のプレッシャーに耐え切れず、酒を飲んで浅い考えを
自慢げに振り回してなんとか自分を保とうとしてる俺自身の弱さに
ほとほと嫌気が差したので当分撤退させて頂きます。
逃げるようだけど。いや、逃げてんだろうけど。
312しらふの278:03/01/27 07:59
追伸。
言葉使い悪くて、気分を害された方、ごめんなさい。
>>298
漏れは矛盾してないと思うぞ。
314229ですが:03/01/28 00:22
結局のところ浄土真宗だけが戦後のある時期からいきなり「霊魂は無い」
と言い出して混乱を招き、他の浄土系宗派の足をひっぱていると考えてOK?
(暴露本騒動があるのもそういえば真宗だけか?)

そのいえば何かと言うと浄土真宗は「地獄」と言う言葉も好きだな(笑)
霊魂が無くて地獄に「何処」の「誰」の「何」が落ちるのか小一時間問い詰めたい
真宗の暴走ぶりが他の浄土派に及んで困るのだが、霊魂が無いと言うのは真宗のみだ。
真宗僧によれば霊魂と言う存在は無いから、般若心経を唱えてはイケナイ。
と言うのだ。ちなみに真宗以外の浄土派である時宗と浄土宗は般若心経は唱えるし、
霊魂と言う存在をハッキリと認めている。
(人間に魂が無ければどうして阿弥陀三尊の来迎なんてものがあるのやら?)

真宗の非道さがついにこんなとこにまで来たかと言う感じではあるけどね。
【親鸞会を倒せ】
http://www.jade.dti.ne.jp/~shukyo/shinrankai/bbs.html
316名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/29 02:46
一向宗の思い上がり。左翼どもと結託し、神祇不拝を唱え、訴訟などおこす
亡国の徒は必ずや殲滅されるであろう。
大体日教組と門徒を兼ねてる奴がいると言う自体終わってるよな。
これからそういう奴をとことん追い込む活動を展開するつもりです。
>298
ttp://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_12_01.html
矛盾というよりは、般若心経を唱える時間があったら
他に唱えるべき経があるだろって意味じゃないんですか?

318名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/29 22:22
真宗ってそんなにも酷く醜い宗派なの? もう、立ち直れない・・・宗派変えあり?

               -― ̄ ̄ ` ―--  _     
          , ´         ,    ~  ̄" ー  _
        _/          / ,r          ` 、
       , ´           / /    ,ヘ         ヽ
    ,/   ,|           / /     l| i        ,/
   と,-‐ ´ ̄          / /  r(  j'        く
  (´__   、        / /  `( u ,ヘ         ヽ
       ̄ ̄`ヾ_      し    u l| i         _>
          ,_  \           ノ(`'  __   -‐ ´
        (__  ̄~" __ , --‐一~⊂  ⊃_
           ̄ ̄ ̄      ⊂ ̄    __⊃
                   ⊂_____⊃
319229ですが:03/02/01 12:12
>>318
まあ宗派変えはしなくてもいいんでないかな?
ただしオラは神社にも行くし、清め塩も撒くしね。
(傲慢不遜な真宗の坊さんの言うことを真に受けなければ良いんではないかな。)

お仏壇にお供えしてると「念仏を唱える以外のお供物は要りません」と
坊さんに言われるから坊さんが来る時だけお水、お茶、供物は下げておけばよし。
坊さんが帰ったら元どうり。
320名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 21:22
真宗の若い坊主(特に大谷派とその家族)はおかしいのが多い。
デンパだらけ。そのくせ他宗教に関しては否定的。
唯我独尊なんだよな。だから友達できなくてヒッキーなんだよ。
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322名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 21:40
般若心経って悟りを開く為のお経でしょ?
人間が悟りを開くのは無理とされてる浄土宗で
般若心経を読むのは何故?ってことなんじゃないの?
もう他界した、どこかの弁護士が書いた般若心経の解説本の中でも
批判されていたけど・・・。
323229ですが:03/02/01 22:07
>>322
>般若心経って悟りを開く為のお経でしょ?
何処からそんな情報仕入れました?(笑)
般若心経読んだだけでは悟れないと思いますが・・・。
三十七菩提分法のいずれかが必要です。

仏教教団が上座部と大衆部に分かれた時に、大衆部が元々あった阿含部経典を元に
加筆、編纂したのが大乗経典つーのが世間一般の見解ですが・・・。
(ただし当時の大衆部はちゃんと修行していたみたいだから阿羅漢になった人が
神霊としての諸天諸仏から教えを受けて経にしたとすれば、まあ理屈としては可也
だから生身の人間として存在したのは釈迦如来だけだが神霊としての神仏が
存在していてもおかしくないつーこと)
324名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 22:09
>>322
そういう、他の人の書いた文章でお経を判断する姿勢はキライだな。
と言ってみる。
>三十七菩提分法のいずれかが必要です。

いずれかがあれば悟りが開けるんですか?

326名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 22:18
>>323
そういう、本来衆生の為のであるはずのお経を、衆生に理解できない
屁理屈で説得しようとする坊さんの傲慢は、哀れだな。
と言ってみる。
327229ですが:03/02/01 22:51
>>324,326
突っ込んでくれるのはありがたいのですが内容が寒すぎです。

>衆生に理解できない
文字が読める人間の方が少なかった明治以前じゃあるまいし
現代人の癖して漢文が読めないのですか?高校位卒業してないの?
それとも中卒ですか?

と煽ってみるテスト

>>325
まじめに答えます。三十七菩提分法の
四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道いずれでも良いようです。
それぞれの菩提分法の修行内容はオラ本職さんじゃないので
浄土系じゃない坊さんか東洋哲学に詳しい人に聞いて味噌。
328名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 23:02
>>327
ふふふ。。。。自分の知識を認めて貰いたいんだね。
試しに君の周りにいる
文字が読める人間の方が少なかった明治以前じゃない人間で
現代人だが漢文が読める人間に聞いてみたらぁ?おほほほほ。

もれはちょーこうそくでお経拝んでも法華経くらいなら(真の意味はともかく
言葉としての意味は)
理解できるよ。おほほほほ。

煽るならもう少し相手を見たらぁ?
329名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 23:06
真宗のクソ坊主どもへ。
靖国でじゃまするな。失礼だぞ。同じ目に遭いたいのか?
理想から偽善にも気づかずに、妄想ついでにアカになってる愚かさに気づけ。
330名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/01 23:10
おおっと。
中卒じゃない一般人ね。おほほ。(って、中卒って一般人じゃなかったのね、
知らなかったわ)

それが坊さんの傲慢だってなんで坊さんは気づかないのかしら、、、

三十七菩提?一般人には意味ねーんだよ。
331229ですが:03/02/01 23:19
>>328
は本職じゃないよな?
というか〜もしプロならば在家のオラぐらいの知識も無いの?つーことになる。
(オラは仏教系高校卒だから授業に宗教と言うのがあったぞ(笑))


>そういう、他の人の書いた文章でお経を判断する姿勢はキライだな。
324はこう書いているが別に誰のまねをしているわけでもぱくりでもない。
仏教史の中では常識なんだけどね。
いや、まあ別に自慢でも博識でもなくってさ、322の様にDQN本の著者に騙される人が
かわいそうなんでチョコッと説明したわけだがスレタイと著しくずれたと思うのであればスマン。
332330:03/02/01 23:23
あのなあ・・・324って漏れなんだよ・・・いい加減はじさらすの
辞めたらぁ?

知識をあえて出してないのが分からない?
333229ですが:03/02/01 23:25
高校で勉強しなかったことを自慢げに誇る奴がいるスレはここですか?(笑)

>三十七菩提?一般人には意味ねーんだよ。
そう。だから如来に対して絶対の信をもって「預流の聖者」になる方法として
浄土系の考え方がある。(つーか、おまえさん過去ログ読んでねえのバレバレだぞ。ぷぷぷ)
334229ですが:03/02/01 23:27
>>知識をあえて出してないのが分からない?
へー。そうですか?なんでケチって教えてあげないの?
335330:03/02/01 23:33
じゃあ、あんた、知識をかたって、誰か幸せにして見ろよ・・・・
例えば、漏れとか。

・・・だめだ、こりゃ。どうすんべ。浅すぎて・・・・
>>323
>般若心経読んだだけでは悟れないと思いますが・・・

でも、悟る為の中の一つのお経ではあるわけでしょ?
とっても言い訳じみたように感じてしまうのですが・・
337330:03/02/01 23:48
もういいや。どうでも。こんな時間だし。君と漏れしか居ないよな。
ちょっと冷たすぎたと反省。

火葬場、行ったことある?いや、その前に棺桶に蓋する前の遺族に
会ったことある?死を宣告された人と話したことある?

今の君ではそういう人と話するときっと殴られるよ。意味が無いと漏れが
いうのは、そういう場面を何度も経験して言ってるんだよ。
338229ですが:03/02/01 23:57
>>336
スレタイとかなりずれるけど書いてもいい?スマソ

般若心経は大乗経典のええとこ取りしたダイジェスト版みたいなものだから
和訳を勉強するんだったら般若心経より阿含部経典の和訳(中村元氏をはじめ
原始仏典の類の和訳の良い本がたくさんあります)の方が良いと思います。

だからといって神仏に般若心経や祝詞を唱えるのが無駄かというとそうではありません。
唱えることによって加護が得られたり徳をもらったり神仏が元気になられたりします。
(若い時に編纂経典だから唱えても無駄だと思った時期があってそれまで毎日
お参りのとき唱えていた般若心経辞めたら神仏にこってり怒られますた・・・。
まあ信じろといっても無理だろうけど・・・詳細については言えませんあしからず。)
339初学のト:03/02/02 00:00
>>336
空について語る経典に悟りがあるのですか?
しかも文末のわけの分からない音写といい...
私には理解できません。

あと超高速で法華経読まれたら漢字すら分からず撃沈なんですが
とりあえずの意味が聞くだけでわかるのですか?
でしたら他の適当な経典を聞くだけである程度意味が取れる
かなりレアな存在だと思うのですが?
340229ですが:03/02/02 00:18
>>330
かなりの熱血漢ですか?

ちなみにオラの家は浄土真宗だがオラ個人は霊感体質なので
人霊に憑かれたこともあるし訳あって一時的に神仏に体に入られたこともあるよ。
(この時は感が強くなって昼間でも人のオーラの色が見えた)
日常的に見えたり聞こえたりはしないけど体に影響は受けるんでね。
人霊も神仏も当然信じている訳よ。

(だから浄土系や日蓮系の一部の坊さんが「霊魂が無い」つーのを聞くと口で
言っている事と実際にやっている事のあまりの矛盾に「はあ?」ってわざと聞いてるわけ
日蓮系にいたっては「空想の産物としてなら心の中に霊魂は存在する」とか訳ワカメ?
「おまえにお布施をもらう資格は無いわー」と言ってやりたい所だがそこは我慢して
聞いているのだが都合が悪くなると急にダンマリだもんな。)
341330:03/02/02 00:21
>>339
いや、もちろん、自分で読まないと分からないよ。誤解のある表現だったかな?

>>338
坊さんと勘違いしたのはゴメン。もう、絡まないつもりだったんだが。

>唱えることによって加護が得られたり徳をもらったり神仏が元気になられたりします。
それが、、、、そう言うことをマジで言っちゃう感覚がおかしいのよ。
一般現代人はその話を聞いてはくれないよ。
坊主も坊主でない人も
>>337の言ってる事をよくよく考えましょう。
343229ですが:03/02/02 00:29
>>330
>それが、、、、そう言うことをマジで言っちゃう感覚がおかしいのよ。
現実世界でだれかれかまわずに対してそういうことを言うのは
「頭がおかしい」と当然言われます。

本当の信心のある人にしか言わないヨ、それに無神論者は自分自身が体験しないと
絶対に信じないから当然こんな事は一般人には言わないに決まってるや〜ん。
なぜ人に言う? 知識の安売りでつか?
345名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/02 00:47
ふと、聖書を読むことはよくて、経典はだめなのかなぁ。
やっぱださいのかぁ..........

思考回路までかっこつけててもなぁ
346330:03/02/02 00:57
>>343
頑張るねえ・・・ちなみに漏れは>>342でもないし、>>344でもないよ。
自分で自分を弁護するようなカキコをする奴とまでは思われては無いと
思うけど。

漏れは「般若心経」を一年に三千回は拝むよ。出来るだけ意味を考えながら
拝もうと努力はしてるけど、そういかない場合もある。
ただ呪文のように唱えている時のことはここでは触れないとして、
「般若心経」は自分の心理状態によって引っかかる部分が違う、非常に
良くできたお経だ、と思う。 けど、これを言っても一般の人はほとんど
理解してくれない。

君の言う「自分自身が体験しないと」は同意するが、君のように霊感が
ある人は極めて少ない(と言うか?と言う目で見られるだろう)し、
一年間に般若心経を三千回拝む人も少ないだろう。
そう言う意味では君と漏れは同類なのかも知れないが、
君の文章を読んでいて、君の目は一般の人に向いていると漏れには
どうしても思えない。

漏れの文章がどうなのか?については君以外の人に判断して貰うのは
不公平だから、君が判断してくれ。

ではお休み。良い夢を。
347229ですが:03/02/02 19:28
>>330
>君の目は一般の人に向いていると漏れには
>どうしても思えない。
そうですよ。だって考えてもみてください。
死を目前にした気弱な人に向かって坊さんが
「念仏を唱えれば極楽浄土に生まれ変わりますから心配ありません。
でも死後の霊魂と言う存在はありません」
て言われたら一般人は混乱するじゃろ?

それに寺院の仏像の前に賽銭箱が置いてありますが「霊魂は無い」訳だから
阿弥陀如来は極楽浄土と言う異次元ににいらっしゃるわけで目の前の仏像は
ミタマも何も入っていないただのイミテーション木偶(デク)じゃろ?
霊魂が無いという理屈の上ではあの賽銭箱は仏像を見世物にして拝観料を集める
商品じゃわな。仏様も姿を真似た仏像を金儲けのだしに使われてはたまらんですな
(オラは霊魂があると思うから開眼された仏像はミタマが宿るヨリシロとしてみているヨ)

まあ日蓮系の「霊魂は無い」という僧侶が加持祈祷をしているのも浄土系の一部の坊さんと同じく
さっぱり訳がわからんが(笑)

>ではお休み。良い夢を。
余計なことを言うから夢にお名前は判らないけど仏様が出てきたじゃないか・・・。
348名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 01:17
霊魂あるかないか
そないなこと、どうでもよろしがな
もっと仏教勉強しなはれ
349名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 08:55
テレビの報道局の友人に言わせると、最近「他力本願」という
言葉を使うと真宗から即クレームがくるらしい。
報道局では「アホらし」という意見で一致してる模様。でも
使わないらしいけど。
けつの青い坊主がいるスレはここでつか?
南無阿弥陀仏
351DQ僧:03/02/15 12:23
私のけついっぺん拝んでみるか?
352名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 12:27
他者依存、自分で努力しないで他人を当てにすること、
の意味で使用(誤用)した場合でしょ?
所詮使わなくても済むんだから、使わないほうがかしこい罠。
353名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 13:16
>>348
>霊魂あるかないか
>そないなこと、どうでもよろしがな
>もっと仏教勉強しなはれ
はあ?明治の神仏分離令のときに死者の供養を神道側に渡さずに
そのまま仏教で先祖供養を続けているのになにいうとんねん。あほか?
(祖霊信仰を取り入れて現代でもそのまま受けついドルやんけ)
354名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 14:25
何をごちゃごちゃ言うてますねん。
神道はん渡して欲しかったもんあるの?
先祖供養て仏教でなくてもよろしやんか。
祖霊信仰とかそんな古くさいことどーでもよろしわ。
355名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 15:20
はぁ?

先祖供養しといて死後の存在を認めないのは
小学生でも「屁理屈」だと思うちゅうねん。

>もっと仏教勉強しなはれ
と言いながらそのくせ矛盾をしっていて
在家の人をだますとは腐れ外道だな。
356名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 23:26
腐れ外道でっか?よう分からはりましたな。せやけどわて出家してまへんで。
355はん思い込みきつおますわ。せやから矛盾や言わはる。
だいたい先祖供養てどんなこと思うてますの?ちいともだましてまへんで。
もっと仏教勉強しなはれ。
357名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/15 23:35
この前、法事でお坊さんが「阿弥陀如来根本陀羅尼」とか言う呪文のような
お経を読んでました。この呪文のようなお経の意味が知りたいのですが、
どなたかご存知の方お見えになりますか・・・。
呪文のようなお経の割には、ちゃんと漢字で書けるなんて
凄いね。
359355:03/02/16 01:10
>もっと仏教勉強しなはれ。
本来の仏教は先祖供養はしてませんが何か?
(インドではバラモン教(今のヒンズー教)が受け持っていましたが何か?)
日本に入ってきて祖霊供養と結びついて現代でも坊さんが檀家の先祖供養をしていますが何か?

阿弥陀さんの極楽浄土に生まれ変わってそこ(浄土)で成仏するはずですが
霊魂じゃなければ死後何がうまれかわるのですかね?ヒヒヒ
(278の回答も意味不明で答えになってなかったよな(笑))
つまんねー論争だな。

レベル低すぎ。
361名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 14:44
いじわる。
じゃーおもしろくしてよう。(←他力本願(←とかいうと怒られる))
362名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 15:08
>>352
一般には、その意味でしか使われていないと思うが>他力本願
363名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 16:41
「立ち往生」とかはいいわけ?
364名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 18:09
>>355
>本来の仏教は先祖供養はしてませんが何か?
何や、ちいとはわかったはるやん。
>阿弥陀さんの極楽浄土に生まれ変わってそこ(浄土)で成仏するはずですが
へえ、そらまたどうしてやろか?
>霊魂じゃなければ死後何がうまれかわるのですかね?ヒヒヒ
霊魂はんが生まれかわるんでっか?
そしたら死ぬ前て霊魂はんどこにあるんやろ?この世界ゆうことやろか?
あと、生れる前やったら霊魂さんどこにあるて言わはりますか?

おシャカはんは、おシャカはんの霊魂が成仏しはったんやろか?
やっぱりきつおますな。
365355:03/02/16 18:29
>へえ、そらまたどうしてやろか?
浄土三部教を知っていていまさら何いうてるんでっか?

>霊魂はんが生まれかわるんでっか?
こっちが聞いているのですが結局答えられないのね。ぷぷぷ

>おシャカはんは、おシャカはんの霊魂が成仏しはったんやろか?
はあ?また誤魔化している(笑)お釈迦様は生きたまま成仏(輪廻からの解脱)
しているのに「霊魂が成仏」ってなに???意味不明
そもそも浄土に行くことを「生まれ変わり」っていうんだろうか?
>>366
じゃあ何ていうの?
368357:03/02/16 22:03
どなたか、陀羅尼について詳しい方はいないのでしょうか?
369名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:06
↑スレ選んでね。
370名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:37
>>366
往生っしょ。

>>368
陀羅尼自体は台密からの流れなんじゃない。
ググってみそ。本文とあらかたの意味ぐらいはあるだろ。
ダラニの内容自体は<阿弥陀仏べた褒め>みたいなものだが。
371名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:40
三部教て何ですの?
>こっちが聞いているのですが

へえ、あんさんわてに何か聞いてたん?
だいたい先祖供養て、あんさんはどないなもん思うてますのん?
霊魂てどない思うてますのん?

わてがあんさんに聞いてるつもりやったんやけど。
372355:03/02/16 22:45
>>371
おたくさんが
>霊魂あるかないか
>そないなこと、どうでもよろしがな
と言っているからあんたのスタンスがよーわからんのですがな。
あんさんの立場がわからんからこっちは聞いてますのや。
それを自分の意見は答えんと聞き返されても答えようがありまへんで。
373名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:50
呪文というのは意味なんか知らなくて良いんじゃない?分かりっこないもん。
とりあえずとなえることに意味があると思うんだけど。
374mm:03/02/16 22:51
★遂に発見★遂に発見★
http://jsweb.muvc.net/index.html
375名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:51
どうでもいいけど浄土真宗は霊魂は無いって言ってるんだろ?

だけど本願寺のHPみたら盂蘭盆行事があるんだけど
これって「お盆の時にご先祖さんが帰ってくる」って聞いた記憶があるんだけど
浄土真宗の言うように霊魂が無かったらご先祖さんの何が帰ってくるのですか?
>>375
マジ? もしかして決定的矛盾?
377名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:57
ぶっちゃけ無関心なんでしょう。
教義と現実の間の矛盾なんか。
378名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 22:59
>あんさんの立場がわからんからこっちは聞いてますのや。
いやあ、わてのセリフやわあ。

わてのすたんす?
>>霊魂あるかないか
>>そないなこと、どうでもよろしがな

そうゆうことですわ。
355はん、あるかないかのどっちか言わんと、すたんすわかりまへんか?
379名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:03
で、355はん。
先祖供養て何ですのん?
霊魂て何ですのん?
380370:03/02/16 23:06
>>371
三部「教」----細かっ!!
変換できてないということは、余り使わないんでしょうか?

>>373
ま、そうなんだけど。
訊きたいのを敢えて否定しなくても良いでしょう。

>>375
半分民俗行事だからなぁ>お盆
お浄土で神通を得てるから飛来してくるんじゃない?(w
381名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:06
>>376
本当だ!西本願寺も東(大谷)も盂蘭盆会がある。
決定的矛盾の予感!
>>375
>>376
盂蘭盆の解釈はそれ一つじゃない。
真宗では先祖が帰ってくるとは考えないよ。
>>382
判りやすく解説キボンヌ
そもそもお盆に先祖が帰ってくるなんて教えは仏教にはない。
386373:03/02/16 23:15
>>368
>>380
すいません、質問自体を否定したわけじゃないです。以前自分も似たような疑問
もったことあるんです。ただわかったようなわからないようなというのがその時
の印象だったもんですから、>>373みたいに思ってるんです。自分勝手ですが(笑)
387229ですが:03/02/16 23:15
>>384
盂蘭盆経は編纂創作経典と言うのが定説?らしいけど
オラ京都に住んでいるがお盆の時期になると坊さんがスクーターに乗って
走り回っていますが・・・お盆は、かきいれ時の様ですが・・・。
坊主が盂蘭盆否定しちゃまずいだろ(笑)
388229ですが:03/02/16 23:24
>>385
1個目のリンク
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub9237urabonne.htm
これが本当なら浄土真宗ではそもそも盂蘭盆する必要が無いぞ。
何でカレンダーに書いてあるんだ?

2個目は一般論で浄土の教えと関係ない

3個目見れません・・・。
389名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:29
>>388
URLコピペしてもだめですか?
390名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:30
>>388
なんで「必要がない」の?
391名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:36
ごく簡単に言うと
「亡くなった人を通じて仏縁に触れる機会」なんだよね。

お盆がもしもなかったら
きっとそういうことは
思い出すことがほとんどないだろうからね。
392229ですが:03/02/16 23:43
>>389
ありがトン。コピペしたら見れました。

388で書いた盂蘭盆が必要が無いというのは1個目のリンクのこの人の説が本当なら
極楽浄土に生まれ変わって成仏することが確定しているのだから
子孫が先祖に対して行う供養はそもそも不要ってことだわさ。
浄土真宗の教えが正しいのなら会期供養も当然要らん
(オラ個人の意見としては故人が生きていた時の社会的慣習で会期供養を
知っていたのならやってあげるべきだと思う)

で、3個目のリンク
>私たち真宗門徒としては、雑多な迷信的なものをすべてぬぐい去り、
と書いておきながら引用している文が
>盂蘭盆経
>竺法護の訳とされているが、疑問視されている。
おいおい、思いっきり矛盾しとるやんけ。迷信を排斥すると言っておきながら
偽経の可能性の高い盂蘭盆経を引き合いに出すとはDQNもはなはだしいな・・・。
393名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:48
>>392
もちろん、先祖に対しての供養はいりません。

そもそも盆も年会法要も
先祖に対して行う供養ではなく
仏に対しての供養なんですよ。

あと、ここでいう「迷信」とは
亡霊だの祟りだのというオカルト的なものをさしてると思われます。
394名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:52
ここの解説が面白いね。
http://www.jiin.or.jp/turezure/obon.htm
395名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/16 23:58
396229ですが:03/02/16 23:59
>>393
>もちろん、先祖に対しての供養はいりません。
浄土真宗の教えが正しいのならそうなんだろうね。でも前にも書いたけど
オラ京都に住んでいるんだけどね、浄土真宗の檀家の人の墓が当然あるんだけど
お盆やお彼岸になるとみんなお墓にお参りに行くんだよね。

真宗の坊さんはなぜ体を張って檀家の人に「お盆、お彼岸の先祖供養は必要ありません」
って言わないのかいつも不思議なんだよね。
ローカルニュースでお盆やお彼岸の時期になると東山五条の大谷本廟の自分のご先祖さんの墓に
お参りしている人が毎年映されるんだけどなんで他力本願のつかいまわしの時みたいに
ガンガンクレーム付けないんですかね?
397名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:04
>>396
墓参りも先祖供養ではないからですよ。

あと、ニュースなんかで真宗の墓を映してるときには
「先祖の霊を・・・」とは言ってないはず。
もし言ったらクレームものだろうね。
398229ですが:03/02/17 00:06
>>397
>「先祖の霊を・・・」とは言ってないはず。
TVではそういっていますが何か?
399名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:10
>>397
言ってる?
じゃあアナウンサーが不勉強なんだね。

まあ、個人的には
そういう揚げ足取り的なクレームはあまり感心しないけどね。
例の他力本願の時だってもっと穏やかな解決法を取るべきだったと思ってる。
400229ですが:03/02/17 00:21
>>399
>じゃあアナウンサーが不勉強なんだね。
霊魂が無いと断言している宗派のほうが少ないから仕方ないですよ。
たとえば幽霊やUFOが存在しているかどうかの真偽は別として
概念と名詞は信じる人も信じない人も知っていますからね。
社会的概念としてアナウンサーはそう言うでしょう。

京都のお盆の風物詩と言えば五山の送り火ですが
京都以外の出身のアナウンサーは「だいもんじやき」とよく言ってるが
そんなものは無い(笑)「だいもんじのおくりび」とかなら正解。
401秘事訪問+カヤガヤ凶:03/02/17 00:25
400げっと!
浄土教のスレで我らが400をゲットしました、しんたく様!
402名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:26
>社会的概念としてアナウンサーはそう言うでしょう。

まあ、そういうことですね。

ニュースになる場合、特に真宗ということではなく
一般的な墓参りの光景として映すわけですからね。

>「だいもんじやき」

いいますねえ(w
銀閣寺近くにそういう名前の今川焼きの店ならあったけど(w
403名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:27
>>401
残念でございました。
またの機会にがんばってください。
404401:03/02/17 00:30
すいませんとれませんでした、まけました
またかくれよう、ショボン…

てゆうか同時カキコミで重い!なんでもりあがってるの!
くやしい!
405名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:33
>>395にある

>では、お盆は何のための儀式なのか。それは「報恩」です。

これにつきるね。
406229ですが:03/02/17 00:45
前にも書いたけどオラは阿弥陀如来さんの存在や浄土の存在は否定しない

しかし霊魂は無いとか(本来は無記説です、念仏唱える以外修行しないんだから
三明六通が付く訳無いんだから有るとも無いとも答えなければよいのに
ある時期から霊魂否定しだしたからおかしいとオラは言っているのだ)

阿弥陀さん以外の神仏を祀るのは不要と言うのも傲慢で嫌いだ。
商売で金策に苦しい時の神頼みや身内の病気回復を祈るのが
ごく普通の人情だと思うがこういう気持ちを認めないのは人として冷たい証拠

(真宗の坊さんの言うことがすべて本当なら風邪や病気・怪我になったら絶対に治療せず
悪化させて寿命を全うして早く極楽往生しないとね。坊さんは手本を見せないとね。)
407オーム:03/02/17 00:51
はじゃけんしょう だよ あなたたちは

ま、せいぜい商売のためまげてくれ
408名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 00:53
>>406
まあ、上の二つについては言いたいことはわかります。

だけど最後の二行については、明らかに誤解がありますねえ。
歎異抄9条をお読みになることをお勧めします。

治療がだめってのはどういうことでしょう?
医者に行くことを否定する坊主はいないはずですが・・・?
409229ですが:03/02/17 00:58
>>408
>治療がだめってのはどういうことでしょう?
>医者に行くことを否定する坊主はいないはずですが・・・?
過去に蓮華往生やっていたのは何宗ですか?浄土系じゃなかったでしょうか?
(ダークサイド事項なので答えにくかったら答えなくてもいいですよ)
410名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 01:08
>>409
蓮華往生を「やっていた」とは?

すみませんが、よく知らないので解説してください。
私が不勉強なだけですが・・・

検索もしてみましたが、真宗に関してそれらしい記述は見つかりませんでした・・・
411名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 01:17
破邪顕正!

412名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 01:17
いろいろ読んでみて、意味が分かりました。

http://www.google.co.jp/search?q=cache:M9cCeE_IUDIC:bonn.cool.ne.jp/tyuunen/senryu/senryu2.html+%E8%93%AE%E8%8F%AF%E5%BE%80%E7%94%9F&hl=ja&ie=UTF-8

によると、どうやら日蓮宗にはあったようですね。
413ちょっと仏教に興味があり〜の:03/02/17 02:24
>>393
>そもそも盆も年会法要も
>先祖に対して行う供養ではなく
>仏に対しての供養なんですよ。

これ、意味が良く分からないんですけど、
仏の、何のために盆や年会法要をするんですか?
仏って仏陀とか阿弥陀様のこと・・ですよね。
414通りすが〜り〜の:03/02/17 12:48
仏さまへの報恩報謝の思いから、仏さまのお徳を讃嘆すること。
自らが教えを聞き、機縁を偲びながら、教えに出遇ったことを慶んでいくこと。

413さん、目的といったら、こんなもんじゃないでしょうかねえ。
蓮華往生ワラタ
416名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 19:10
アメリカファイザー社製100mgバイアグラが1錠1000円以下!
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417善鸞:03/02/17 19:12
秘事法門 御内法の地下からの再興、復興を。
既成教団こそ異安心!!!
418名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 19:22
国籍なき脱北者に在留資格(NHKニュース)
http://www.nhk.or.jp/news/2003/02/14/k20030214000149.html

政府は14日の閣議で、北朝鮮を脱出して日本に戻っている人たちの中に、
日本国籍を持たない人もいるとしたうえで、こうした人たちが、日本で暮ら
せるよう事情に応じて適切な在留資格を与えているとする答弁書を決定し
ました。


【政治】国籍なき脱北者に在留資格−政府
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1045221402/

674 :名無しさん@3周年 :03/02/15 12:19 ID:u/yKFIsD
まあ、ここで文句いう前に 国に文句言え。以下直に御意見板に行く。
年令、メアド等書きたく無いのは書かなくても大丈夫。

首相官邸「ご意見募集」
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html


65 :名無しさん@3周年 :03/02/14 20:42 ID:iHggbG5E
http://www.e-pon.net/project/2ch/asia/

俺、もうメール送った。
みんなもやってくれ。
419229ですが:03/02/17 20:28
>>412
誤解してませんか?日蓮系では念仏唱えないはずですが・・・。(唱えるならお題目)
グーグルのリンク先はどうも話の途中を思いっきりカットしてあるので内容が正しく
無いようです。
420ちょっと仏教に興味があり〜の:03/02/17 20:52
>>414
なるほど。ちょっと質問なんですけど、年法要って四九日忌とか
1周忌ってやつのことですよね(違ってたらすみません)。僕が
読んだ本では、その周忌ごとに裁判?みたいなものがあって、
49日目に次の世界が決まる。それでも決まらない人の為に1周忌
とか3周忌が中国で出来た。と書いてあるのですが、年法要が先祖の
為ではなくて、「仏様のお徳を讃嘆すること」であるなら、忌日を
決める必要ないと思うのですが・・。っていうか、忌日は何のために
あるのですか?

年法要の意味が、年法要=回忌(?)でないのでしたら、僕の単なる
間違いです。
421名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/17 21:17
>>419
念仏と唱題の区別が付かない人はけっこういたりする。
422229ですが:03/02/17 21:25
>>421
いや、だから「極楽往生」というぐらいだから念仏とお題目の間違いなどと言う以前に
法華・日蓮宗な訳が無いんですけど・・・。
まあダークサイドネタだからこれはもう触れないことにするわ。
往生と死ぬことを同義にする人もけっこういたりする。
蓮華往生ていうか、蓮華内殺人だわな。ネタとしては面白い。
424時衆:03/02/18 03:05
>>409
検索結果です。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=%98@%89%D8%89%9D%90%B6%81@%8E%80%81@-%95%B6%8Aw%81@-%8F%AC%90%E0%81@-%83%7E%83X%83e%83%8A&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&lr=lang_ja
綺談 愛鷹山の蓮華往生

 「蓮華往生」は全国的に散在している話だそうですが、この話は枕に
「昔、愛鷹山のある寺で・・・・」と始める所から「愛鷹山の蓮華往生」として山麓の村々や
各地に伝わって来た話です。
 昔、愛鷹山のある寺で、極楽往生を願う老人たちを集め、美しい蓮華座(壺)の中に入れ、
多くの僧侶がその周りで声高らかにお経をあげた。すると、中にいる人は、いつの間にか眠るが
如く往生し、極楽にいった。これを聞いた多くの人たちが、次から次ぎへと蓮華往生を申し出て、寺はたいそう繁盛した。
 しかしこの話を聞いた賢い人が、そのごまかしに気がついて、自ら蓮華往生を申し出て鐃鉢
(にょうばち)を持って蓮華座に入り、これで底の槍で突き殺す穴をふさぎ、からくりを
あばいて人々の迷いを覚ました。

 この「蓮華往生」の話は、日蓮宗がその布教に際し、邪宗を戒めるために使った話と伝え
られており、「愛鷹山のある寺」という具体的な表現が、人々の心に一層の恐怖心を植え付ける
のに一役買ったには違い有りません。しかし、愛鷹山中には寺と称するものは無く、
ただ「鷹根村誌」にはこの寺を「山居院」(山居院跡地 参照)と関連させてある記述が残っています。

>>412
正しい。
>>419>>422
どうしても浄土系を誹謗中傷したくて仕方が無いようですね。
これは日蓮宗の僧どもが、念仏は無限地獄と言うのを体現した行為だと私は思いますよ。
425名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 07:44
426229ですが:03/02/18 08:42
>>424
いえ違います。霊魂はないという浄土真宗のボケアホカスだけです。
他の浄土系宗派は悪く思っていません。
427名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 10:01
それが言いたかったのかw
428名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 10:21
霊魂て何やろ。それはっきりさせんといて、ある言わはったり、ない言わはったり、
ない言わはるのはあほうかすや言わはったり、みにくおますわ。
429名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 10:46
霊魂が在ろうと無かろうと人それぞれの考え方で別にいいじゃねーか。
430  :03/02/18 11:57
龍樹の偽造にみんな惑わされてるわけですね。
時の政権にいいよって御墨付きをもらって
教団を維持してきただけの連中には是非もなしです。
大乗非仏とは思いませんが、自分の宗派のみに
固執せず、原点から仏教というのを学んで欲しいです。
西洋の仏教学でもほんの少しでもいいから学んで下さい。
後期密教が神髄とか、本当に釈迦がやった仏教が神髄とか
いってるわけではありません。孤立し閉ざされ別のもの
になったものには民俗学的伝統しかみいだせないのです。
サンスクリット語の学術研究は続けば、続くほど
日本仏教は土着した異端と認定されていくでしょう。
431名無しさん@京都板じゃないよ :03/02/18 12:06
だれか>>420の質問に答えてやれよ
432名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 12:13
>430
まあ、わかる話ではあるんですがね。民俗学的要素だけでは、仏教を好奇心
の延長でしか見ないような気もしますしね。
でも、西洋(から見た)仏教学や学術研究のみに固執するのもどうかと思い
ますね。多くの人にとって仏教は宗教であり信仰でありますからね。
433NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/18 12:46
仏教学の発展において真宗僧侶の果たした役割って、かなり大きいと思うけどねえ。

ところで、
>サンスクリット語の学術研究は続けば、続くほど

仏教文献学が一体どうしたって?
良識ぶってるけど、言ってることは結構DQN入ってない?
434名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 13:49
>>420
回忌法要を先祖のための供養ということにしといたままだと教学と矛盾する。
回忌を報恩の機会、仏法にふれるための縁として説くことでこの矛盾を回避する。
民俗行事の教学的再解釈というわけなんだろか。知らぴょーん。
ま、法事でのお布施は寺にとって大事な財源でしょうし。
民俗的な要素払拭するってのもたいへんなんでしょ、多分。
私は坊さんがのほほんとプージャーの日々につかってても、
和み系でいいんじゃない?と思ってしまうけどよーわからん。

435229ですが:03/02/18 14:42
>>429
さも目の前の仏壇や仏像に向かってそこに亡くなったご先祖さんや
神霊としての神仏がそこにいるような振りをしてお参りをして
お布施を騙し取っているのがDQNじゃなくって何?
436名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 15:04
真宗には真宗の理屈があるんだよ。
それは霊魂実在説を寄せ付けないものなんだよきっと。
だから仏壇拝んでもそれは三宝を敬い帰依することの表現ということになろうし、
法話で真宗における仏事の意味を説いたりしていちおう一般からの理解は得ているつもりなんだよ。

ガイシュツな気もするけど、講談社ブルーバックスの『霊はあるか』読んだ?
各宗派の霊に対する考え方がのってて面白かったよ。
437:03/02/18 15:13
438名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 15:30
あのさ、
>そこに亡くなったご先祖さんや神霊としての神仏がそこにいるような
>振りをしてお参りをして
ていうのが勝手な思い込みなんですよね。お坊さんもそんな思いでお参りし
ていないと思いますよ。
439名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 15:44
霊魂実在説てなんだろ。霊魂なんてさ、所詮てめえ一人の証明さえできない
ようなバカがさ、雲を掴むような話ばかりしたところで、だからそれが何な
のよ、もっと大事なことあるやろ、としかならん罠。霊魂無いぜと頑張って
る香具師も同様よん。
440名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 15:53
うん。
でもね、宗学には宗学のプライドってのがあるのさ。
素朴な霊感体質者もやっぱり自分の経験を大事に思っているわけさ。
もっと大事なことがあるだろと主張する人も、そういう主張を大事にしているわけさ。
だからね、金子ねえさんも言ってたじゃない、
”みんなちがって、みんないい。”(←お約束)
441229ですが:03/02/18 16:33
>>439
>霊魂無いぜと頑張って
>る香具師も同様よん。
無神論者や断見論者はべつに宗教関係にこなければいいだけのこと。
無信仰なら神社仏閣版にくる必要ないのに変なの〜。

別に個人的心情で霊魂のあるないの判断は各人の自由だと思っているし
論争なんかしないヨ。
しかし浄土真宗の坊主は自称「宗教家」だから、おらの鼻息も荒くなるんだわさ。
これが単なる個人の意見でお布施ももらわないなら何もけちはつけないヨ
442:03/02/18 16:38
◆遂に発見◆◆遂に発見◆
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
443名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 17:47
>>441
うーん。
別に真宗の信仰を強制されたわけじゃないでしょ?
わたしも真宗の主張にはじゃっかん違和感持ってるけど、
どこの宗派も教学に不備あるように感じるし、真宗にのみ粘着する気はしない。
まあ、享楽と真宗坊主いじりを目的にこうした議論されてるなら、
それはそれでかまいませんけど。
444443:03/02/18 17:57
補足。
わたしの住んでる某県某市では、真宗寺院は1,2件しかない。
存在感なし。いちばん多いのは真言宗のお寺かな。

445名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 18:31
>>441
霊魂の有無にとらわれないというのと、無神論者、無信仰者とは別ものだ
と思いますけど。
446通りすがり:03/02/18 18:38
>229
民俗的情緒は理解するけど、信仰や教義という面の宗教意識に乏しい感が致します。
447229ですが:03/02/18 20:20
>別に真宗の信仰を強制されたわけじゃないでしょ?
ゴルア!!!
過去ログ読んどらんのか〜浄土真宗の檀家だと言ってるじゃろが!プンプン!
くそ坊主の言いつけは守っておらん。神社や天台真言系仏閣にもお参りに行くよん。
(霊感体質だから墓場での念仏は神仏から禁止されております。マジで)
448443:03/02/18 20:52
>447
檀家個人の宗教的関心にまでいちいちケチつけたりする坊さんだったら、
そんなのわたしもイヤ。温かく受けとめてもらいたいもんです。
ま、坊さんのいいつけは宗団のタテマエとして参考までに聞いとけばいいんでない?

しかし、霊感体質ですか。。。世の中いろんな人がいるもんです。


449名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 22:41
念仏は神仏から禁止・・・神仏っているんだ〜!どの神さん?

でっ「お前は霊感体質だから念仏はだめぇ〜!」って言うの?

いろんな神仏がいるもんだ。

あなかしこ あなかしこ
450よたか:03/02/18 23:17
霊能力者の先生に言われたから〜とかいうより、
神仏に怒られたから〜という話のほうが、フォークロア的に面白い。
と思う。

↑ 大丈夫?
452よたか:03/02/18 23:25
わたし? 病んでます?
453名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/18 23:30
墓場で念仏したらどうなるんですか
454よたか:03/02/18 23:56
さあ、本人じゃないのでよくわかりませんが、
頼られるとか憑かれるんじゃないのでしょうか。
455名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 00:33
>>229
>(霊感体質だから墓場での念仏は神仏から禁止されております。
>マジで)

これって、幽霊の存在を肯定してるということですか?
そうなると霊魂云々以前の話になってきませんか?
456229ですが:03/02/19 08:59
へえ、察しのいい人がいますね。天台系のとある方がちゃんと修行して
三明六通のうち天耳通が備わった方が居られたのですが、もう高齢でお亡くなりに
なったのですが生前教えてもらったのですわ・・・。
(だから凡人と変らぬくそ坊主が「霊魂がない」というのを聞いてはあ?
神仏から聞いたのならいざ知らず勝手な事言うとるわ。と思うんですわ
前にも書いたように個人の意見として霊魂のあるなしは別にかまわないと思っているが
言っているのが僧侶なので鼻息が荒くなる)

>これって、幽霊の存在を肯定してるということですか?
「墓場に幽霊」って短絡的に考えすぎですよ。昔と違って現代は子孫が
供養してくれなくなった(お墓参りにこなくなったのでさみしい)無縁仏が
いっぱいいるんですわ。そこでお経や念仏唱えたら供養して欲しい無縁仏が
当然よってきますわな(以下省略)
457名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 09:40
↑ 大丈夫?
458名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 10:52
わたし的には霊感体質者の生活世界がどういう構造になっているのか
ちょっと興味ある。
でもスレ違いというか板違い。とほほ。
459名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 16:53
>>456
>そこでお経や念仏唱えたら供養して欲しい無縁仏が
>当然よってきますわな

寄ってきますか?仏教ってそういう教えなの?
僕的には真宗の霊魂は無いという考えには、確かに疑問を持つけど、
霊感体質とか、無縁仏が寄ってくる。なんていう話しになると、
それはそれで、疑問を持ってまいます・・・
461名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 17:33
それは「霊魂」とは何かがあいまいすぎて、そのことに疑問をもっている
からでしょう。
あいまいなやりとりになってまいりました。
463229ですが:03/02/19 20:28
>>459/460
いや、仏教は本来そういう教えではありません。生きている間に成仏(輪廻からの解脱)
するのが元々の出家者の修行目的です。
ただし日本の仏教は明治の神仏分離令のときにも祖霊供養を神道側に返さないで
そのまま続けて死者の供養をしているから釈迦如来の教えがオリジナルとするなら
日本の仏教はアレンジバージョンてところでしょう。

浄土系に至っては来世での成仏を目的にしています。
(別にそれはそれでかまわないと思われ>シュダオン以上の階梯になれば
7回生まれ変わるまでに成仏することが確定するから)
464素朴な疑問:03/02/19 20:45
無縁仏を供養するとどうなるの?
成仏するの? 安心してどっかいっちゃうの?
229さん的に死霊を供養するとその霊はどうなると考えてるの?
465名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 20:55
門徒のクソ坊主。左翼とつるむな。
466229ですが:03/02/19 21:12
>>464
たとえ話として聞いてください。
海外旅行で非常に貧しい国に行ってストリートチルドレンに小銭をせがまれたとします。
善意で一人にお金をあげると続いてわれもわれもと他の子供や大人までよって来て有り金
全部とられます。場合によってはお金をもらい損ねた子供が追っ払っても追っ払っても
何処までも何時までもついてきます。
一般人には手におえないと言うか関わってはいけません。
ユニセフとか赤十字とかその道のプロに任せるべきです。

たとえるとこういう感じです。少なくとも在家の一般人は故人の供養はご自分の
身内だけで精一杯でしょう。無縁仏には冷たいと思われますが関わってはいけません。
そういうのはプロの宗教家に任せましょう。(といってもプロもピンきりですが)

>229さん的に死霊を供養するとその霊はどうなると考えてるの?
成仏して本来居るべき霊界(?)へ行くと考えます。善人は天界へ、悪人は地獄へと
一般的な宗教観と変わりません。
(ただしここでいう成仏は輪廻からの解脱ではなく「迷わず死後の世界に行く」と
考えてもらったほうがいいです)

坊主か「霊魂が無い」と言うと、それを鵜呑みにして自分が死んだのが判らない
不成仏霊とか無縁仏とか増えちゃうからね。会期供養も報恩だったら省略しても
差し支えないと子孫が考えても当の本人(故人)は死後の世界で期待して待っているのに
やってくれなかったら子孫に訴えてこないかな?とも個人的には考えちゃいます
467素朴な疑問:03/02/19 21:33
>>466
レスありがとうございます。
坊さんを霊界のユニセフ&赤十字とする意見は初めて聞いたんで、
面白かったです。
ところでまた疑問なんですが、
229さん的には、霊感のないお坊さんでも死者供養できると考えますか?
まー、お経自体にお経読めば功徳になるよーって書いてあるんで、
読む人が霊感体質かどうか関係なく功徳を回向できるという理屈もある感じですが。



468229ですが:03/02/19 23:19
>読む人が霊感体質かどうか関係なく功徳を回向できるという理屈もある感じですが。
ピンポーン!当たりです。
そうでなきゃ真言とか祝詞とかも意味がわからないと唱えても無意味ということに
なってしまいますがそんなわきゃあない。(「三密そろってない」と噛みつく
密教僧もいるけどそこの信者さんも意味がわからないけど唱えてるからね(笑))
程度の差は個人によって非常にあるけど無駄じゃないと思います。
469名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 23:52
そもそも真宗の教義=霊魂否定なのか?
そういうことを言う坊主がたまにいるってだけだろ?

霊魂があろうがなかろうが真宗の教えは成立すると思うんだが・・・
470tantei:03/02/19 23:52
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471名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/19 23:55
>>456

突っ込んでもいいか?

>昔と違って現代は子孫が
>供養してくれなくなった(お墓参りにこなくなったのでさみしい)無縁仏が
>いっぱいいるんですわ。そこでお経や念仏唱えたら供養して欲しい無縁仏が
>当然よってきますわな(以下省略)



それ、仏じゃねーじゃん。
それは突っ込みじゃなくて、揚げ足取りってやつじゃねー?
473名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 00:08
霊感体質?
念仏は神仏から禁止?
無縁仏が寄ってくる?

まじめなスレかと思ったらすいぶん電波入ったスレになってきたなあ。
474229ですが:03/02/20 00:28
>>469
お寺ネットでも過去の書き込みで堂々と言っていますが何か?
過去に真宗の坊さんが書いた論説にもそう書いてありますが何か?
(この説に天台・真言の坊さんは眉をひそめているらしいヨ)

>それ、仏じゃねーじゃん。
うん。そうだよ。厳密に言うとホトケ(如来)じゃない。
が過去の日本の坊さんが変な言葉の使い方をしたせいで
「死んだら皆ホトケになる」と言う建前になっている。

って一般人の反論・突っ込みは単なる個人の意見の違いだからご自由にどうぞ。
霊魂はないという僧侶はクソ坊主(だから何が生まれ変わるのか説明しろクソ坊主)
475名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 00:38
往生成仏は生まれ変わるのとは違うだろ。

「何が生まれ変わる」っていう質問自体がおかしいよ。
476229ですが:03/02/20 00:43
>>475
んじゃ、阿弥陀如来を信奉していない他の仏教宗派の信者が死んだらどうなるんだ?
消えて消滅するのか?往生しない人間の死後は?
霊魂が無いとこれに対する答えはどうなる?答えてよ。
477475:03/02/20 00:45
>>476
知ってどうするの?

というか「霊魂がない」かどうか自体どうでもいいことなんじゃないの?

478475:03/02/20 00:58
「霊魂がある」に固執すると、織田ナントカみたいなのに騙される。
「霊魂がない」に固執すると、>>476みたいな迷いが生まれる。

だから釈迦は「無記」を説いたんだろ。

霊魂の否定とはつまり、前者の「固執すること」を否定することなんじゃないのかな?
特に悪徳新興宗教は必ずこの霊魂信仰を利用するからね、そういう意味でも大事なこと。

だからといって後者に固執するのもよくないけどね。そういう坊主が多いとしたら困ったこと。
しかし霊魂の不滅があると考えると「諸行無常」が根本から否定されちゃうんだよね。困ったね。

いずれにせよ、悟りを開いてもいない人を問い詰めてもしょうがないことだ。
過去レス読んでみたけど
その「霊感体質」云々て言った人って、
正真正銘の天台宗の僧なんですかねえ?

自称「比叡山での修行者」って沢山いますからね。

この板でもよく話題になる某カルトの教祖とか・・・
>>478
でも釈迦は一般の人の問い掛けには輪廻転生説を説いて死の恐怖を救って
るんだよね。俺としては、修行僧には「悟りを開く為には、そんなことを
考える必要はない」という意味での無記で、一般の人には病んでる心を
混乱させないように当時の常識であった輪廻転生説を説いたと思ってるん
だけどね。やっぱ一般人からしたらちゃんとした回答はほしいいと思うよ。
死の恐怖は誰でも持ってるだろうし。

輪廻転生って、仏教以前からあった思想なんだよね?
482名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 05:10
>>481
そうだよ。
483名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 05:14
浄土的に言うと往生する「もの」って何なんでしょうね。

霊じゃない。(100%否定)
肉体じゃない。(同上)

・・・・・「業」ですかね?


無記のことは無記なんですかねぇ (ハァ
>>474とか>>476の答えをその辺の坊主にもとめようったって無駄じゃないかなあ。
そんなの悟りをひらいた人じゃないとほんとのことは分からんよ、多分。
宗教板の真宗スレが生きていればなあ。
あそこにいた人たちならいろいろ知ってそうなんだけど・・・

いずれにせよ、こういう教義面の話は宗教板でやるべきなんだが。
>>483
浄土に往生する「もの」がどうこうというより、
浄土というのは存在するのかと。

487名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 10:46
>479
>正真正銘の天台宗の僧なんですかねえ?

いやいや、
>天台「系」の「とある方」が「ちゃんと」修行して...
と言うところがいいんでしょう。だぶん。
488名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 10:48
>486 それも同類の問いですよ
>>487
「○○の方からきました」みたいなもんかな。
490名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 11:10
正真正銘の天台宗の僧なら安心できるというわけでも無かろう。
これまでのレスを読む限りでは、
229さんは自称霊感体質者にしてはそこそこバランスのある人格というか、
自分がマイノリティーであることと、非日常的知覚の危うさをよく承知している
ような印象。
師匠の方もまあ、ややトンデモ系入ってても悪人ではなかった人かと思われ。
以上、勝手な推測。
宗教人類学的には興味深い事例かも。スレ違いだが。
491名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/20 12:20
同意。ダラダラ言えば↑。短く言えばDQN。
492229ですが:03/02/20 21:15
>宗教人類学的には興味深い事例かも。スレ違いだが。
うん。スレ違いだから天台宗のことは興味があるかもしれないけどほどほどにね。
師匠の事は一応そこそこ年配の比叡山の僧侶の方だったら知っているはずですけどね。
(まあたとえ今聞いても教えてもらえないでしょうけどね、宣伝は全くしていなかったし
人づてに紹介してもらわないといきなり一見さんで行っても追い返される所
だったからね。それにもうお亡くなりになっているし・・・。)

そんなことより論理的に都合が悪くなると
>「霊魂がない」かどうか自体どうでもいいことなんじゃないの?
って、おいおい!話がすりかわっとるじゃないか。
そこら辺の田舎坊主に聞いても無駄。
そんなことが分かるくらいなら単なる一末寺におさまってるはずないもの。

229が真宗のどこの派か知らないけど、
本山にそういう質問受けて立つとこあるんじゃないの?
>そんなことが分かるくらいなら単なる一末寺におさまってるはずないもの。
まじっすか。それでいいんすか真宗のお坊さん。

真宗の坊主って言ってもピンキリだ。

人格者もいれば、DQNもいる。
賢い人もバカもいる。

普通の人とおなじだよ。
496   :03/02/20 23:46
>>456
>そこでお経や念仏唱えたら供養して欲しい無縁仏が当然よってきますわな(以下省略)
お墓でって言うとこに論理の破綻がありますな。お墓で無くても江戸時代以前の死体が
埋まっているかも知れないのです。特に京都奈良鎌倉大津東京日本各地で戦いがあり、
埋められた死体があるはずです。>>456さんの言う理屈では日本各地どこでも念仏をうっかり
口にした途端にそう言う忘れられた一度も供養された事のない古の人々の霊魂が寄って集って
来るはずです。

>>463
浄土宗と真宗は成仏するのが目的だが時宗は成仏は既に決まっているのであるから、
生きている今の一瞬、一瞬を大切にしましょう。明日死ぬ覚悟で一日一日を精一杯生き切って
過ごしましょう。と言った感じ。

>>469
真宗が霊魂否定な事は常識で、浅草の仏壇問屋街では真宗信徒の方が仏壇買う時は東西を
しっかり確認して位牌に付いても聞かれない限り話さない事にしています。
(関東の真宗では他宗に倣って位牌を認める場合がある)
以前も似たようなことありましたが、2chでまともな答えを得るのは難しいかと。。。
>>496の一番上、確かにそのとおりだな。

考えてみれば、誰も死んだことがない場所なんてほとんどないわけだし。
>>479
比叡山で飯炊きしてただけの僧侶でもその経歴を生かして一大宗派を成し遂げていますからね。

に ち れ ん し ゅ う

この宗派から派生した様々な派閥の中には拝み屋みたいなのもいます。
御先祖の霊がこう言うんですといってお墓に無理矢理躑躅を植えたり、数年すると再び
霊のお告げと称して根元からのこぎりで切り取ってしまったり........
(勿体無いから掘り起こそうとしたのに)
親族が死んだら棺に日蓮宗の数珠やら経を入れさせろとごねたり焼香の際には
数珠をじゃらじゃらいわせて遠慮無く『なむみょうほうれんげきょう』と唱えるのです。
(ウチは『なむあみだぶ』だ)
そんなに固執するのなら身延山に移ればいいのだが決してそんな事はしない。
変な連中です。
500229ですが:03/02/21 00:07
>>456
あんた、上岡竜太郎とおんなじこと考えてるのね(笑)
そうですよ、基本的には墓場じゃなくっても霊感体質だったら
何処から嗅ぎ付けて来るのか、こっちからはわからないけど向こうは
見分けがつくらしく寄ってきますよ。
(俺の親父はノーマル体質だから念仏もお経もいくら唱えても全く影響なし)

ただし墓場は新しい死体の補充があるから古いのが成仏しても新しいのが
どんどん補充されとるやん。古戦場は古いのが成仏していって減ることはあっても
増えないから確率的には墓場のほうがある意味「毎日水揚げ大漁新鮮」だわな。
もうちょっと合理的に考えないと揚げ足取れないぞ。
501229ですが:03/02/21 00:09
スマソ、500番のカキコは>>456じゃなくって>>496だわ、
謹んで訂正しまつ
ここ、オカルト板?
503名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 00:16
>>500、電波が強過ぎて何言ってるのかわからないです。語句の使用上の
定義からはじめないとダメかもしれません(笑)
504名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 00:19
>229ですが
質問て結局は何?何をすりかえられたの?
>>504
霊魂否定なんだったら、極楽に往くのは何?誰?ってことだろ
506229ですが:03/02/21 00:22
>>503
だから〜!面白がっていじらないでくださいってば(笑)
(こっちは性格的に乗り易いんだから)
・・・今日はもう寝まつ。
極楽=死後の世界って考えてない?

そう思うから分からなくなる。
508名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 00:38
>>507
そういうからますますわからなくなるw
509名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 00:57
もっとわからなくなる「還浄資料」ありマス。
www3.justnet.ne.jp/~tanahara/index.html
>浄土真宗本願寺派の僧侶が自分用に集めたデータを公開しているページです
ということデス。
510名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 07:38
>>496
時宗さんかい?
もう少し他宗も学んだほうがいいよ。
西山の末流が真宗と浄土(単称か?)宗を一緒にまとめて
語っちゃいけないよ。
511名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 09:03
京都の知恩院と東西本願寺、いずれも阿弥陀堂より御影堂の方が
大きくて立派だし、信仰の中心になっているように見えます。
何か本末転倒のように思いますし、法然さん、親鸞さんも
これは本意ではないと思うのですが。
>>511

お堂=信徒が集まる場所
だからねえ・・・
>>511
考えようによっちゃ、大作を祭ってる創価と変わらないというわけだ。
514名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 19:20
ご影堂は別に「法然さんや親鸞さんの心意にそいますように」と思って造られたたも
のじゃないでしょうね。>>511さんは、本末転倒と言いますけど、もし、ご影堂の方が
小さかったら、「法然さんや親鸞さんの本意だ」とも思わないでしょう?
法然さんや親鸞さんのために建てたのではなく、彼らを慕う後世の者が、教えをまも
る場所として建てたのでしょうから、法然さん親鸞さんの存在はあまりにも大きい訳で
ご影は置かずにはいられなかったんだろうと思います。で、これらが法然さん親鸞さん
の望んだことかと言いますと、実際は分かりませんが、多分そんなことを望んだりはし
ないでしょう。ということで、あまりお堂の大小にはこだわらないほうがいいんじゃな
いでしょうか。

訂正 こだわらないほうがいい → こだわらなくていい
理屈(=煩悩)で分かろうとするから分からなくなる。
517名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 21:19
一般人にはこだわるなと言っておいて、自分達が一番こだわってる
わけだからな〜。だからデカーク・デカーク作る訳でしょ?
ぜーんぜん説得力なし。
でかくしないと人が入りきらないわけだが。
519名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/21 21:34
>>1
四十九日について
それは7進法の勘定だから。
つまり7×7=49が満数ということ。
520229ですが:03/02/22 14:29
>>509
リンク見たけど環浄ってむちゃくちゃ故人への冒涜やん。
しかもこの人が質問したら本山たらいまわしにされているし
回答もどう見てもまともじゃないし・・・。(例によって屁理屈ではぐらかし)

清め塩問題といいよくもまあ勝手に理屈のこじつけで(以下自粛)
>>517 にほんごりかいできますか?
どこの宗派でも、いろんな考えを持った坊主がいるし、意見の対立もある。
決して一枚岩じゃない。(むしろそうだったら怖い)

特定の宗派をひとくくりにして、糞だの何だのと断罪しても無意味ってこった。
523   :03/02/23 00:57
末流は口出すなと.......
だから真宗はしょっちゅう差別発言で解同に叩かれるのだな
●●●南無阿弥陀仏 第二部●●●
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029109274/
より


921 名前:法蔵 投稿日:03/02/22 23:53
916>>
霊魂(アートマン)を否定しても、アラヤシキは輪廻しえます。(水野弘元博士)
如来像という考え方もあります。(高崎直道博士)
でもそんなことを気にするよりも修行が大切といわれております。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏



922 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/02/22 23:58
南無阿弥陀仏を唱えることこそが修行なのです。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏


923 名前:法蔵 投稿日:03/02/23 00:05
追加
ちなみに中村元先生は釈尊はアートマンの存在を否定も肯定もされない
という「非我論」を唱えられたはずです。これが原始仏典の解釈としては
妥当なのではないでしょうか。
と考えることができるのも如来のはからいでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
525名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/23 01:38
>>514
御影堂は「ご影堂」じゃなくて、「みえいどう」ネ。
526229ですが:03/02/23 01:40
>>524
オラの意見も転載元の法蔵さんの意見とほぼ同じなんだな。

それをなぜにどういう理由で戦後のある時期から「ない」と浄土真宗が
言い出したのか知りたいわけなのだが、まともな答えはまだ返って来ないんだな。
「どうでもいいじゃないか」とかっておまいらクソ坊主が「ない」
と在家の檀家に言ってるから聞いてるんだが・・・
プロの宗教家としてお布施貰っているんだったら匿名で良いから
さっさと答えろよ(笑)
(ちなみに258の質問投稿者はオラじゃねえ。また278の回答は支離滅裂で理解不能)

それと極楽の対比として浄土系は「地獄」というのも非常に好きなようだが
地獄へ行った奴は霊魂じゃない「誰が」「何が」行ったのかこれも回答キボンヌ




と言ってみるテスト!
>なぜにどういう理由で戦後のある時期から「ない」と浄土真宗が 言い出したのか

勝手に言ってる坊主がいるだけだが。
どこかの本山が公式見解でも出したの?
528229ですが:03/02/23 02:02
>勝手に言ってる坊主がいるだけだが。
ある坊さんが「無い」と論説を発表してから他の真宗の僧侶も
右へならへで「無い」と言い出したようですが何か?

当家は浄土真宗の檀家ですが知り合いの真言宗の坊さんも
浄土真宗の坊さんが「無い」と言ってはばからないと言っていますが何か?

ちなみに本願寺のHPには
>真宗門徒は、不必要な情報なら知らなくてかまわないと、自ら「もの知らず」
>であることを誇りとしてきました。きちんと宗教リテラシーが出来ていたのです。
と書いてありますが何か?
>>528
当たり前だが、真宗の坊主でも、みんな同じ意見ってわけじゃない。
あなたの知ってる範囲がすべてだと思わないでください。

そういう質問はそういってはばからない張本人に聞いたほうがいいんじゃないの?
>>529
「意見」の違いはあるかもしれないけど、宗派内での「教え」の違い
があってはマズイんじゃない?
531229ですが:03/02/23 02:31
>>529
>そういう質問はそういってはばからない張本人に聞いたほうがいいんじゃないの?
死後の存在は(往生するから)あるけど霊魂(中有・中陰の存在)は無いようなことを
言ってましたが都合が悪くなると逆切れして怒って話しになりませんがなにか(笑)

でも清め塩のポスターってあれって教団として神社界にケンカ売ってるんでしょ?
(ちなみにオラは清め塩や地鎮祭は必要派だよ。過去ログにも書いたけどやっぱ
地鎮祭しないのは他者(阿弥陀如来以外の神仏に対して)敬愛の情が無いというか
キリスト教徒同じで独善的な同じ匂いを感じますね。)

ちなみにクソ坊主の「無い」の論説今度暇な時探しておきます。
532名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/23 08:48
これは真宗大谷派のお寺のHPですが、
死後の世界が浄土だ、とはっきり言っておられますよ。
第4話と第5話を読んでくださいね。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/
533名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/23 09:28
>>510
口を出すな、ではなく考え方の違う宗派を一括りにするのは
どうかといいたかった。
時宗さんなら西山系の考えがあるだろうし、そういったところは
真宗にも通じるところもある。時宗独特の考えもある。
だが、浄土宗全体に敷衍して適用は出来ない、といいたかったの。

534532:03/02/23 10:09
法話の第4話には、臨死体験でかいま見た世界は死後の世界であり、
それは光の世界であり、それが浄土だと言われています。
そして第5話には、人は生まれ変わりをくり返しながら成長していくんだ、
と説かれています。
大体、大谷派の坊さんは死後の世界を否定する人が多いですが、
本願寺派の坊さんは浄土は死んでから行くところと考えている人が多いようです。
一つの宗派にもいろんな考え方があるんだなあ。

まあ、無理に一つにさせようとするのもよくないわけだが。
536名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/23 22:58
念仏を「唱える」という香具師は素人。

●●●南無阿弥陀仏 第二部●●●
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029109274/

928 名前:渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. 投稿日:03/02/23 09:30
>>925
>浄土系のお坊様に質問です・・・

 坊様に限定するんかい(苦笑)?。

 霊魂があるかないか。そんなことが大事なことか?。そんなこたぁ、誰にも
分からんだろうに。誰かが分からんといかんのかね?。
 まあ、今後心霊物理学が進めば、科学が解明してくれるかもしれんが、今
の段階じゃや分からんだろう。今の段階じゃ分からんのだから、まして、千年
昔、二千年昔などに分かってたいとはとても思えない。
 千年、二千年昔のひとに霊魂の有無を聞きたいんかい?。彼らが知る分
けないだろう。彼らは、土星の月も、月のクレータも知らないんだ。もしかし
たら、心臓の存在も知らなかったかも知れない。心臓というものが、万人に
あって、それが誕生してから死ぬまで、一刻も休まず動いているということも
知らなかったかも知れん。心臓の存在認識も怪しい連中に、霊魂があるか
ないか聞いてどうするの?。あると言えばそれを信じるのか?。無いと言え
ば、それを信じるのか?。「霊魂はある。心臓はない」と彼らが、言えば、そ
れも信じるのか?。
 霊魂なんか、あっても無くてもいいんだよ。霊魂があっても迷惑じゃない。
無くても困らない。僕らは、そんな人生の歩み方を親鸞に学ぶんだ。不都合
があるか?。僕らが聞く道は、彼らにとって、心臓があっても迷惑じゃない。
無くても困らないという道でもあったろう。

929 名前:渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. 投稿日:03/02/23 09:30
>地獄へ行った奴は霊魂じゃない「誰が」「何が」行ったのか

 地獄へ行くというのは、「亡くなった方」、「鬼籍に入られた方」と観念される
ようになった人に対する、評価なんだ。
 「地獄へ行ったと評価されるような人生を歩んだ人だった」と、鬼籍に入った
方を評価するということ。評価するということさ。そういう評価に入ったというこ
とさ。評価にはいるというのは、霊魂が入ったんかね?。霊魂じゃないんだよ。
鬼籍には入った人のそれまでの生き様に対する評価が入ったんだ。
 そんなことすると地獄に堕ちるぞ、とはどいうことか。今のあなたの生き方は、
このままで行くと大きな不幸をもたらしかねない非常に危ういものだ、と、今、
評価できるということだ。
 実体的に地獄というものはあるかも知れない。無いかも知れない。しかし、仏
教の地獄論は、そんな実体的な存否とは関係がない。僕らは、鬼籍に入った人
からも生き方を学ぶ。学ぶ相手には様々生き様がある。その中には、反面教師
にした方がいい人もいる。そういう人は、地獄へ行ったと評価されるような人生を
歩んだ人に多い。だから、地獄論は大事なのさ。
539229ですが:03/02/23 23:41
>>538
この人の理論を突き詰めていくと、生きている間は悪さの限りを尽くして
捕まらないように逃げまくって罰を受けなければ地獄は無いのか?
それとも散々悪さをして死ぬ直前に念仏三回唱えれば悪事はリセットされるのか?




と、ひねくれてみるテスト(笑)
もう向こうのスレでやったほうがいいかも。
バカをたくさん釣るなよ、バカ
542229ですが:03/02/23 23:57
>>540
オラに言ってるのかな?
前にも言ったように別に在家の人は霊魂や死後の存在の有無について
どう考えようとそれこそ個人の自由だと思う。

ただし袈裟着た僧侶が故人の神仏分離令以降も供養を行いお布施を貰って
生計を立てているのに宗教家として「霊魂は無い」というのは
衆生に迷いを生じさせる重い罪ではないのかな〜?
「無い」というクソ坊主の納得いく説明を期待しているわけなんだが・・・。
(まあそもそも2CHで真摯な論議もあったもんじゃないが
還浄のリンクをみても判るように本山に聞いたところでたらいまわしだろ(笑))
>「無い」というクソ坊主

ここにはいないようだが・・・
544229ですが:03/02/24 00:06
>>ここにはいないようだが・・・
名乗っていないけど突っかかってきて問い詰められると
「どうでもいいじゃないか」と話をそらすヤシは2,3人いたようですが・・・。
あろうがなかろうがどうでもいい。
念仏の妨げにはならない。
霊魂の有無などどうでもよい在家と、霊魂の有無などどうでもよい真宗のお坊さん
別に問題ないと思いますけど、、、
229さんは、供養とかお布施とかが霊魂の存在が有るとしなければ成り立たないとし
ているからそう思うのではないでしょうか。言ってることはわかるつもりですけど。
何か同じようなレスが続きますから、堂々めぐりですかね〜(笑)
547NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 03:58
いま、やっと過去ログぜんぶ読んでみたら、おもしろいっすね。このスレ。

「229ですが」さんに対する答えも、一通りでてるみたいだし。「生即無生」
も押さえてらっしゃる方もいるみたいだし。

269 名前:229ですが[] 投稿日:03/01/24 23:30
>>268
>無生の生
唯識論を使わず普通の一般人に判るように説明してやれヨ

こういう態度が自ら答えを遠ざけてるんじゃないかなあ。少なくとも真宗に
おいては要といってもいいくらいなのに…。

ちなみに、真宗の往生即成仏の義にしたがって往生の本義をたどれば、
往生とは、釈尊がチュンダの供養によって有漏の穢身を捨て離れ、
無住処涅槃に住されたこととまったく同じこと。
本願召喚の勅命に従って仏果を得ることを「往生」といいますね。
「不体失往生」なんて義もありますしね。

あるいは、わたしの中の「我」が極楽浄土へ往くことじゃなくって、
「わたし」がそのまま、極楽浄土で「自然虚無之身無極之体@大経」を受けること。
往生の主体は常に「わたし」であって、わたしの「霊魂(のようなもの)」じゃない。
548NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 04:00
何を以ってこの「わたし」の義を成ずとならば、曇鸞大師の『浄土論註』にのたまわく。

(天親菩薩造『浄土論』の「世尊我一心 帰命尽十方 無礙光如来 願生安楽国」
の句を釋されて)
 問ひていはく、仏法のなかには我なし。このなかになにをもつてか我と称す
る。答へていはく、「我」といふに三の根本あり。一にはこれ邪見語、二には
これ自大語、三にはこれ流布語なり。いま「我」といふは、天親菩薩の自指の
言にして、流布語を用ゐる。邪見と自大とにはあらず。
 ※邪見語→我を実体視し、それにとらわれるよこしまな見解を表す言葉
 ※自大語→自分が他よりすぐれていると思う慢心を表す言葉
 ※流布語→世間一般に使われる言葉。日常語

またのたまわく、

 問ひていはく、大乗経論のなかに、処々に「衆生は畢竟無生にして虚空の
ごとし」と説けり。いかんが天親菩薩「願生」といふや。答へていはく、「衆
生は無生にして虚空のごとし」と説くに二種あり。一には、凡夫の謂ふところ
のごとき実の衆生、凡夫の見るところのごとき実の生死は、この所見の事、畢
竟じて所有なきこと、亀毛のごとく、虚空のごとし。二には、いはく、諸法は
因縁生のゆゑにすなはちこれ不生なり。所有なきこと虚空のごとし。天親菩薩
の願ずるところの生は、これ因縁の義なり。因縁の義のゆゑに仮に生と名づく。
凡夫の、実の衆生、実の生死ありと謂ふがごときにはあらず。
  (と、ここまでは「おまけ」。以下の義を以って知るべし)
 問ひていはく、なんの義によりてか往生と説く。答へていはく、この間の仮
名人のなかにおいて五念門を修するに、前念は後念のために因となる。穢土の
仮名人と浄土の仮名人と、決定して一なるを得ず、決定して異なるを得ず。前
心後心またかくのごとし。なにをもつてのゆゑに。もし一ならばすなはち因果
なく、もし異ならばすなはち相続にあらざればなり。

この文で注意深く「仮名人」とされているのは、すなわち、流布語の「我」の義を成ずるため
といっていいでしょうね。
549NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 04:01
まあ、そのほか、法然聖人の叡山時代の悩み。「戒定智の三学のほかに我が身に相応するの
法門ありや。我が身に堪えるの修行ありや。万人の智者に訪ね一切の学者に問えども…」
(だっけ?うろおぼえ)
の「我」をはじめ、法然聖人およびその門下のすべて著述において往生の主体とされるのは
流布語の「我=わたし」でしょうね。(いや、全部なんてとても読んでないけど。へへ。)

つまり、「霊魂」の有無は往生浄土の法門においては問題とされないし、する必要がない
ということで。
まあ、答えになってないとおっしゃられることだとは思うけど、とりあえず。
550NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 04:04
>>549
あああ、「戒定智」だって。いくらなんでもそりゃあんまりだ。

うろおぼえながらも、、、さすがに間違いました。「戒定慧」です。
>>525
>御影堂は「ご影堂」じゃなくて、「みえいどう」ネ。

 「ごえいどう」とも言うんですネ。(笑)
「ごえいどう」とよむ所と、「みえいどう」と読む所がある。
>>NB ◆YIoCB90ZbI
パンピーにも分かるように書いてくれ。
真宗はそういう宗派なんでしょ?

>往生の主体は常に「わたし」であって、わたしの「霊魂(のようなもの)」
じゃない。

なんてことを書かれたって分からないって。

ソノ マンマノ オタスケ デスヨ
555名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/24 17:41
>>552
どこがどっち?
556名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/24 19:15
「ごえいどう」は東本願寺、「みえいどう」は西本願寺。
557名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/24 19:18
還相回向ということもはっきりしない。
信楽センセの「真宗の大意」には、浄土は死後の世界ではない、とはっきり書いてある。
けど、還相とは死んでから衆生済度するんだという風にしか読めない書き方である。
親鸞も還相については、私が還相回向のはたらきを受けるという意味と、
私が往生してから還相回向するという意味について、はっきりしてないと思う。
>>556
西本願寺も「ごえいどう」だよ。
高田派は「みえいどう」だけど。

知恩院では「みえいどう」だね。
559229ですが:03/02/24 21:19
>「わたし」がそのまま、極楽浄土で「自然虚無之身無極之体@大経」を受けること。
だから〜目の前に冷たくなった故人の遺体があるのに「わたし」が
どうやって極楽浄土に行くんだ?異次元にワープすんのか?
それとも火葬されたあとの骨が骨壷からある日突然消えるのか?

そのままだったら交通事故で轢死した人とか爆発事故でばらばらになった人は
困るじゃん。全然救いになってねえぞ!!!
>>539

 僕は、居住地を「心と宗教」板に決めています。他の板まで気を配る余裕がない。
 御質問があれば、「心と宗教」板に書いてください。貴方が御納得いく回答はき
っとできると思います。
 「神社・仏閣板」では、ROMはすると思いますが、カキコは控えます。
229の言ってることがどんどん意味不明になってる・・・
562229ですが:03/02/24 22:28
>>561
いや、わざとなんだけど(笑)
隙だらけの説明に突っ込みを入れて、返球が帰ってくるのを待っているんだけど
どうもラリーが続かないんですよね〜!

(俺的には霊魂でも何でも呼び名は良いんですけど)霊魂がない死後の存在について判りやすい
説明してくれりゃあそれでお終いなんだが・・・。
「どうでもいいじゃないか」ってのは答えになってないよ。
>229ですが
>どうやって極楽浄土に行くんだ?異次元にワープすんのか?

ためしに宗教板へ行ってみてはどうでしょう
西方極楽世界よりは行きやすいかと。。。
564229ですが:03/02/24 23:03
とりあえず
>>NB ◆YIoCB90ZbI
は553の質問に答えてやれヨ。
オラへの回答は後で良いから。
565NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 23:09
>>553
おおお、そりゃ、すまんこってす。(あはは。某髑髏さんみたいだ。

「往生の主体」とは>>483さんのレスでいえば

>浄土的に言うと往生する「もの」って何なんでしょうね。

の「もの」にあたりますね。
私が往生する。ということはつまり、私が成仏する。
ということであって、わたしの「何が」往生するのか?
を問うことは、すなわち、わたしの「何が」成仏するのか?
を問うことと、等しい。

つまり、浄土的に言おうが言うまいが、無我説をとる仏教において、
(成仏する)「もの」を問うことは無意味なことであって、
少なくとも、真宗の他力念仏は「霊魂」の実在の有無にかかわらず
成立するものです。

で、まあ、ここからは個人的見解としておきますが、

このことはつまり、「霊魂の実在など考えるな」と、
人に強制することを意味してはいません。
ある人が、霊魂の存在を信じていようが信じていまいが、
無関係である。ということを意味しています。
霊魂の存在や影響を信じる人も信じぬ人も、皆等しく
他力の聞信に励みなさい。ということを意味しています。

というわけで、以下、NB的見解の根拠となる文をコピペ。
…と思ったけど、やめときます。『論註』の「生即無生」と
「氷上燃火」のところです。
566NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 23:09
で、
>真宗はそういう宗派なんでしょ?

とのことですが、お念仏はすべての人にひとしく開かれた
法門ですし、別に知識をつけたからって往生がかなうわけじゃ
ないですけど、仏の深智の世界を計り知ろうとする営みは、別に
どこの宗派であっても同じく骨の折れる営みだと思いますよ。
567NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 23:11
>>564
べつに、ここに張り付いてるわけじゃないんで。
あなたに指示されるいわれはないっすね。

というわけで、ちょっと待っててね(はぁと
おお、NBさんがいらっしゃった。
569NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/24 23:16
>>559

すでに>547で、

往生とは、釈尊がチュンダの供養によって有漏の穢身を捨て離れ、
無住処涅槃に住されたこととまったく同じこと。

と、一応の説明は加えてあります。
あなたの興味の持ち方からするならば、ここから先はご自分で
勉強なさったほうがいいと思いますね(w

まあ、>>542に対するレスを、と用意してたんですが、めんどくさいんで
やめときます。ははは。
570229ですが:03/02/24 23:38
あれ〜???
釈迦如来は生きている間に涅槃の境地に達していたけど(有余涅槃)
極楽浄土に赴く人はその世界で成仏するのであってまだ涅槃の境地に
達していませんけど???????????????????????
(もっともシュダオン以上の階梯にはなっているはずだが
浄土という来世があるということはシダゴンか?それともアナゴン?)
571229ですが:03/02/24 23:40
570のカキコはこのことに対する疑問でつ
>無住処涅槃に住されたこととまったく同じこと。
「まったく」とは思えないのでつが・・・。
>>570
「無住処涅槃」の意味分かってる?
573229ですが:03/02/24 23:46
無住処涅槃=>
生死を厭わず涅槃をねがわず、生死にも涅槃にも執着することの無い
無碍自在の慈悲行の境地

浄土信仰は来世での成仏が思いっきり前提ですが何か?
574NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/25 00:20
>>565をすこし手直ししときますね。

>霊魂の存在や影響を信じる人も信じぬ人も、皆等しく
>他力の聞信に励みなさい。ということを意味しています。

を霊魂の存在や影響を信じる人も信じぬ人も、あるいは
霊魂そのものも、皆等しく 他力の聞信に励みなさい。
ということを意味しています。

に、訂正。
575229ですが:03/02/25 00:20
一応まじめにレスすると
悟っていないのに悟ったとか、解脱した、涅槃を得た、輪廻から解脱したとか
嘘を僧侶が言った場合は本来仏教では破門&教団からの追放です。

だから浄土系宗派では現世成仏は絶対に無いので無碍自在なわけがない。
>往生とは、釈尊がチュンダの供養によって有漏の穢身を捨て離れ、
>無住処涅槃に住されたこととまったく同じこと。
つーことは絶〜〜〜対ありえない。
もしこういうことがあると僧侶が言うなら許されない嘘をついたと言うことで
破門&追放だな。









といってみるテスト!
576NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/25 00:30
信心よろこぶそのひとを
 如来とひとしとときたまふ
 大信心は仏性なり
 仏性すなはち如来なり

@親鸞聖人『浄土和讃』

まあ、奥が深いご和讃ですがね。

あんまりやると「浄土真宗質問箱」
みたいになっちゃうので、この方向は
やめときます。

違う方向で「229ですが」さんへのレス
を考えてみましょうか。
577時衆:03/02/25 01:01
真宗の知り合いの坊主の結婚式に行ったら他の真宗僧が真面目な顔して、
時宗はどうして同じ南無阿弥陀仏なのに浄土宗から別れたんですか?
などと聞いてくる。自分達だって浄土宗から別れている癖に.........
578時衆:03/02/25 01:01
真宗の知り合いの坊主の結婚式に行ったら他の真宗僧が真面目な顔して、
時宗はどうして同じ南無阿弥陀仏なのに浄土宗から別れたんですか?
などと聞いてくる。自分達だって浄土宗から別れている癖に.........
それは言葉の使い方が不適切な香具師か、勉強不足な香具師かのどっちか。
か、つまらない冗談か。
581名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 05:14
仏教の事よく分からないんですけど、
「南無阿弥陀仏」ってお釈迦様自身が唱えていたんですか?
582名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 08:26
NBよりも229の方が説得力がある。
NBはすぐ引用するが、それは経典は真実が書いてあるから、引用することで
自分の意見が証明されたと思っているんだろう。
けど部外者はいくら経典から引用されても、どうしてそれが真実なのか説明してもらわないと
わからないし、第一意味がわからない。
まず聞きたい。往生と成仏は同じか、違うか。往生はいつなのか。
どうなることが往生したことか。
引用せずに答えてほしい。
583名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 12:01
>>582
話題がズレてますが、何か?
真宗の坊さんの結婚式に行ったら、衣?は着ているものの
ロン毛が多くてビックリした。50歳代くらいの人でさえ
ポニーテールにした坊さんがいた。

仕事の関係で坊さんの結婚式に行く機会が時々あるんだけど
さすがに、真宗の坊さん達は奇異に見えた。
そのあとの2次会でも、「こんな人たちに仏教を語ってほしくない」
と思ってしまうくらいの醜態。俺、真宗の檀家じゃなくて本当に
良かったと心から思ったね。

585名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 18:30
>>581
いいえ。
586229ですが:03/02/25 21:13
>>583
日本語の使い方が変だよ(笑)
誰も突っ込みいれてないし、聞いてもいないのに「何か?」
て言うのはおかしいわな。
587名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 22:36
>>229
2ちゃん用語に文句をつけるのはどうかと。
確信犯なら知りませんが。
588毒素僧正@ホノボノ仲間 ◆nii25iN9ag :03/02/25 22:48
おお、神仏板で濃いスレだ。
NBさん、ご苦労さまです。
589あぼーん:あぼーん
あぼーん
どうでもいいけど

>>531
>でも清め塩のポスターってあれって教団として神社界にケンカ売ってるんでしょ?

なんでそうなる?
真宗の葬式には清め塩は使わないってだけの話でしょ?
どこに神社が関係あるの。
葬儀屋には関係ありますけど。
591229ですが:03/02/25 23:21
>>590
少なくともあのポスターみたら少なくとも一般人は浄土真宗は(理由づけはともかく)
清め塩の習慣儀礼を否定していると思うけどねえ・・・。

ちなみに神社側は
「自らが主宰する葬儀に限り、清め塩の廃止を訴えるというのであればそれなりに
理解もできますが、他宗教の葬儀にまで干渉したり、行政がその運動に協力
している例さえあるのは大きな問題です。」
って言う意見らしいけど、まあわざわざ手間隙かけてフルカラーのポスター
作っていると言う時点で神社側の懸念は当然だと思うけど。
神話の世界で黄泉国より戻られた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が自らの体についた
穢れを祓うため、海水にて禊祓(みそぎはらい)をされた記事があるんだけど
これにケチつけているとしか思えんけどな。
592名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 23:24
NBって宗教板で、現世利益について聞かれて、
はぐらかし&逆ギレやって、
醜態さらした人ですよね。あの時は笑えたw

>神話の世界で黄泉国より戻られた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が自らの体についた
>穢れを祓うため、海水にて禊祓(みそぎはらい)をされた記事があるんだけど
>これにケチつけているとしか思えんけどな。

で、それが真宗の葬儀と何の関係があるの?
594名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/25 23:30
ねえねえ!どういう内容のポスターなの?
なんか興味が出てきた。
595229ですが:03/02/25 23:35
>真宗の葬式には清め塩は使わないってだけの話でしょ?
それだけのためにあんなポスター作るんですか?
(真宗の身内以外にアピールするために決まってるやん
よその宗教宗派にしたら因縁つけられているのとなんら変わらんわな。
それとも590.593は学生さんでまだ社会人じゃないのかな?)
>>595
真宗の門徒なのに知らない人がかなり多いんだよ。
だからそれに向けてアピールしてるんだよ。

>よその宗教宗派にしたら因縁つけられているのとなんら変わらんわな。

そんなこといってたら社会生活送れないよ。
597229ですが:03/02/25 23:45
>>596
ぷぷぷ、1980年ごろから急に言い出したくせに〜。
阿弥陀様も上人さまもそんなことを言った記録は
見たことも聞いたこともありませんけどね。
おへそで茶が沸くよ〜!
598229ですが:03/02/25 23:47
>真宗の門徒なのに知らない人がかなり多いんだよ。
近年になって勝手に現代の坊主が言い出したことだから
檀家は知らなくて当然だわな。ぷぷぷ。
毒素僧正さん。ありがとうございます。
立春、雨水を過ぎるといえどもまだまだ寒い今日この頃、あああなぜだかとっても
ホノボノと。心があったかいっす。

ちと、最近めちゃくちゃな生活リズムのマルチタスクだったもので、今日はもうだめぽ。
激しくねむいっす。
レスをつけてくださった皆様、また明日にでもよろしくお付き合いおながい申し上げます。

といいつつも、煩悩にもよおされてなぜだか
>>592
ああ、おなつかしや。そういや、何を書いても都合のいいとこしか読まずに
つか、完全無視で、はぐらかしだの逆ギレだのって…。
勉強になりましたね。2ちゃんねらー僧侶として。ははは。

まあ、いいや、つまんねえ。もうすぐわたしは完全なる寝槃界に入りますんで。
またよろしゅう。ごきげんよう。
>>597
じゃあ具体的にいつからいつまで清め塩を公認してたのか答えてください。
601名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 00:00
>>591
>他宗教の葬儀にまで干渉したり

そんなことホントとにしてんの?
602名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 00:09
>何を書いても

なんにもあんた書いてなかったよ
ひたすら逃げてた
それが一ギャラリーの率直な感想
(誤解しているようだが、わしは論争相手じゃないよ)
603名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 00:11
どうなってんだ、このスレは?
604名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 01:09
229とNBさん煽りが席巻しているスレです(w

清め塩なんてどうでもいいと思いますがね。
第一神社葬なんてあんまりナイから無くてもいいんじゃない?

穢れ思想自体現代に則さないでしょう。

あんな塩もらうだけ迷惑だし。
なんとなく食べれないし、捨てるのも気がひけていやだ。
>>604
それが「清め塩は必要ない」という真宗側の理論?
606あぼーん:あぼーん
あぼーん
607あぼーん:あぼーん
あぼーん
608229ですが:03/02/26 08:44
>>600
>じゃあ具体的にいつからいつまで清め塩を公認してたのか答えてください
はぁ?自宗の教義と異なるところがあっても社会悪でもない限り黙認するのが普通でしょ?
公認ってなんだ?(笑)
そもそも他宗教他宗派のことはほっとけば良いのに(つーかそれが普通だろ)
ちょっかい出してきたのは浄土真宗ですが何か?
609名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 11:28
>清め塩
葬式を主催する教団がうちの教義に合わないから廃止するというのは、特に間違ったことではないとは思う。
世間にそれをアピールすることも悪いことではないとは思う。
ただ世間がそれを、肯定的に捉えるか否定的に判断するかはわからない。
自分的には、そんな枝葉のところに拘らんでもいいのにと思う。葬式をやること自体、真宗的にはアウトだと思うので。

>霊魂
仏教では霊魂の有無に関しては、判断せず、というのが正しいあり方だったと思う。浄土系の各宗派でもそれは同じだったと思う。
では何が浄土に往生するのかという疑問があるわけだけれども、その何かについてはわからない。
わからないけれども、浄土に往生することだけはわかる。
そうすると、その何かについては関心の外になってしまう。
ということではないかと思う。

以上、感想でした。
610604:03/02/26 13:02
>>605
漏れは坊さんだけど真宗ではないよ。
素朴な感想。
死を穢れと考える思想には同意しかねる、という意味では
真宗的かも知れませんがね。
611名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 13:16
私が持っている数珠は2重になっているものなのですが、それは
結婚後の女性が持つべきじゃないとある人に指摘されました・・
娘だけが持てるものなのでしょうか・・・?
教えてください。
>>611

どこの派か書いてくださらないと・・・
613名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 15:19
>>611
浄土宗系なら問題はないかと。
真宗なら一連でしょうが。

といいますか、「結婚後の女性が…」のくだりには興味が
ありますねぇ。なんでなんでしょうか?
614名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 15:24
もう大人なんだから、(その宗派にふさわしい?)きちんとしたものを持ち
なさい、との意ではないでしょうか。
結婚前後で、モノが変わるということではないように思います。
田舎だと結婚して一人前ってのはよくあるからねえ。
616名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 15:35
>>608-609
おいおい、いつから清め塩が浄土真宗の教義になったんだ?(笑)
このスレある意味面白いですね。
このスレ、もう滅茶苦茶。
618名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 16:18
>>614 >>615
なんでもかんでも自分がスタンダードみたいな香具師が、自分とこの宗派の
数珠持ってないかん、みたいな展開をキボーン
619フルヴォリュームで名無しさん:03/02/26 20:26
>>613
大きな輪を二重にして持つ念珠なら真宗も持ちます。
つーか、2重だと二通りあるね。どっちかわかんねーな。
620229ですが:03/02/26 20:42
>>616
>おいおい、いつから清め塩が浄土真宗の教義になったんだ?(笑)
なってませんが何か?
つーか過去ログ読まないで書いているのみえみえなんですけど・・・。
フルカラーポスターに「清め塩は迷信です」とでっかく書いてあるだけですが何か?
>>620
それはどこの宗派?
東?西?
622NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/26 20:59
>>621
どこの派って、ことじゃなく、真宗教団連合で決めたこと。

いわば、真宗十派の総意ですね。
11時ごろにはこのスレに張り付くことができるようにします。
623NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/26 21:03
ううううううむ。フルヴォリュームさんも加わって。盛り上がってまいりましたあ!!

なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。
624名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 21:51
神道側が、阿弥陀信仰は迷信です。っていうのと一緒か。
なんか、真宗も創価と変わらなくなってきちゃったって感じだな。
625名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 22:09
>神道側が、阿弥陀信仰は迷信です。っていうのと一緒か。
あはは、それはちがうんじゃない(笑)?
なんか味噌も糞も一緒になってきた感じだな(笑)
でも、なんか面白いスレですな。
626あぼーん:あぼーん
あぼーん
627名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/26 23:00
>>625
そう?だって、清め塩って穢れの思想からきてるわけだろ?
他宗教の思想は迷信ですって言ってるわけじゃん。
だったら真宗の思想である阿弥陀信仰も迷信だって言うのと
同じじゃない?ぜんぜん味噌クソ一緒じゃないと思うんだけどな〜
阿弥陀信仰って「思想」か?
オイオイッ
630NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 01:33
>>581
仏教学的にいえば、もちろん、お釈迦様が「南無阿弥陀仏」とお唱えなされた
(あるいは、お称えなされた)たことなどないでしょうね。

しかし、教える人なくして自ら求道したまいて、自ら「法(ダルマ)」悟ることを
得た釈尊もまた、やはり「法」に対して、自ら敬い、帰依されたお方でもあります。

仏教とは、釈尊の教えにしたがって、自ら「法」に帰依し、自ら「法」を求道し、
自ら「法」を悟ることを目的とする教えですが、ここにおいて浄土門とはすなわち、
その「法」そのものが全ての時代の全ての機根の衆生に対して働きかけてくださって
ある有様をあきらかにしようとした法門です。

「法」そのものが「わたし」に対して、「必ず仏となれ」と命じてくださっている有様。
「法」そのものが「わたし」に対して、「私が必ず仏となる」道程を間違いなく導いて
くださっている有様。
真宗においては我の求道のはからいを捨てて、このような「法」そのものの勅命・活動に
信順することが生活の要です。それはまた、成道後の釈尊が、変わらず法を敬い法に帰依
され、法に従われたお姿と、まったく同じ人生の道のりを歩ませていただくことに等しい。
往生即成仏とは、こうした文脈の上で語られます。(まあ、ちと、NB臭さ満開の説明では
ありますが、真宗教義の骨格からは決して外れてないと思います。)

というわけで、以下参考となると思われるご文を引用少々(w
631NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 01:34
法性すなはち法身なり。法身はいろもなし、かたちもましまさず。しか
れば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらは
して、方便法身と申す御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまひて、不可
思議の大誓願をおこしてあらはれたまふ御かたちをば、世親菩薩(天親)は「尽
十方無碍光如来」となづけたてまつりたまへり。この如来を報身と申す、誓願
の業因に報ひたまへるゆゑに報身如来と申すなり。報と申すはたねにむくひた
るなり。この報身より応・化等の無量無数の身をあらはして、微塵世界に無碍
の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちも
ましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、この
ゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明
なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。@親鸞聖人『唯信鈔文意』

またのたまわく。

念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業に
てやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされま
ゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、
自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候
はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびが
たき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
@『歎異抄』より、親鸞聖人のお言葉。

詮ずるところ、NBの信心におきても、またまたかくのごとし。このうへは、念仏をとりて
信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりっすね。へへ。
>>nb
キミ、宗教版に帰った方がいいと思うよ。
誰からも相手にされないからといって、この板に移って
オナニー書き込みするのは止めてくれ
633NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 01:54
>>582
>それは経典は真実が書いてあるから、引用することで
>自分の意見が証明されたと思っているんだろう。

とのことですが、ぼくのこれまでの引用のほとんどは「釋」に
あたる部分です。ですから経典の聖句を解釈するにあたって
特定の宗派に関する教学的素養を必要とするような部分じゃない
ですので、普通に合理的な解釈(仏教学的解釈、まあ、
もっと簡単にいうなら仏教用語辞典の通例的な解釈)
で十分ご理解ご判断いただけると考えます。

まあ、「何」が浄土へゆくのか?という、いってみれば
理論的な問いかけに対して、できるだけ論理立てて
説明を加えようと試みたまでで、それが成功しているか
どうかはともかく、優劣・勝敗を競っているわけじゃない
んで、「説得力」が云々といわれたって、なんのことやら?
つうことで。

また、
>往生と成仏は同じか、違うか。往生はいつなのか。
>どうなることが往生したことか。

とのことですが、>>630がある程度の答えにはなって
いるかと考えます。一応引用もしてないし(w
これ以上は、心と宗教板でおながいです。
634NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 02:01
>>602
おおお、一ギャラリーさんでしたか。わたしゃてっきり>>239さんかと思ったもので。
違うんならゴメソ。
635NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 02:18
まあ、連続カキコのラッシュで我ながら、ウザイですね。

皆様すいません。スレの流れからもずれちゃったし。
以後控えます。
と、これまた連カキにて失礼。おやすみなさい。

援護レスをくださるお方には深く感謝いたしております。
636名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 06:28
「数珠は迷信です」「袈裟は迷信です」といったらどうでしょうね。
637名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 10:15
どうでしょうね、と言ったってね(笑)
とりあえず、ハア?というところでしょうか。
そのハア?ということを真宗はポスターにしてるわけだ。
639名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 12:30
私も宗教板のNB氏の現世利益論議を拝見した者です。
あのやり取りをみて真宗を嫌いになった人はいても(私もその一人)
好きになった人・関心を持った人は、まずいないでしょう。
つまり念仏しても、何も助からない、ことがハッキリしたし、
なによりも真宗の人の人間的なレベルの低さが証明できたから。
宗教者は菩提心と菩薩行を忘れたら、終わりだと思います。
つまり自らよい人間であろうとし、人のためになろうとする姿勢。
真宗の人には、この両方がなく、NB氏はその典型例ですよね。
640名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 12:51
まあ、「坊主丸儲け」の典型だよな、ここは。
>>639
親鸞自身が、「自分で善行を積む人は、阿弥陀慮来の本願からは
遠い」って言っちゃってるからね〜。そういう考え方が一般的になる
と、他人が俺の為に善行を積むのがあたりまえ。っていう風にも
なりかねないね。まあ「仰げば尊し」が立身出世の歌だ、なんて
批判している人たちは、ある意味、真宗の思想を受け継いでるのか
もね。
>宗教者は菩提心と菩薩行を忘れたら、終わりだと思います。
スマソ、漏れ終わってるわw
643名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 14:50
>つまり自らよい人間であろうとし、人のためになろうとする姿勢。
これが時に諸悪の根源だったりするわけで。。。
難しいでつね。
644名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 16:52
>>638 そのハア?ということを真宗はポスターにしてるわけだ。
いや違うと思う。
例えば仏式(この場合浄土真宗のしきたりや作法)で葬儀などをしているに
も関わらず、その中で穢れだ清めだと塩を撒いたり掛けたりすることはしな
い(するな)、ということをいっているのでは?
神道儀式に対してまで、けしからんと押しかけるものではない、と受け取れ
ると思うのですがどうでしょう。
645あぼーん:あぼーん
あぼーん
646名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 20:04
>584
>真宗の坊さんの結婚式に行ったら、衣?は着ているものの
>ロン毛が多くてビックリした。50歳代くらいの人でさえ
>ポニーテールにした坊さんがいた。
>仕事の関係で坊さんの結婚式に行く機会が時々あるんだけど
>さすがに、真宗の坊さん達は奇異に見えた。
>そのあとの2次会でも、「こんな人たちに仏教を語ってほしくない」
>と思ってしまうくらいの醜態。俺、真宗の檀家じゃなくて本当に
>良かったと心から思ったね。
584の言うことはよくわかる。
葬式や法事に坊主に来てもらってお経をあげてもらい、高いお布施を出すのはなぜか?
それは坊主に一般人にはない霊力があると思っているからだ。
坊主が一般人と変わらなかったら、お経をあげてもらう意味がない!
しかし、それは錯覚であり、妄想なのだが。
だからといって、死後の世界はない、霊魂はない、死者供養や追善供養をする必要はない、
と言いながら、お経を読んで高い布施をもらうのはどういうものか。
創価学会のように友人葬で十分じゃないか、と思うわな。
>それは坊主に一般人にはない霊力があると思っているからだ。

本気でそう思っている人いるんかいな。
648名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 21:24
浄土真宗大谷派は様々なサヨク運動に参加しているようですが、何故でしょうか?
649名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 21:37
>>647
葬式なんかは、客観的には「習慣」として受け止められているんだろ
うけど、とりあえず自分の親族の葬式の時に限っては、なんとなくだ
けど、あの世へ送ってもらえるんじゃなか、という漠然とした思いは
あるよ。それには髪の毛を伸ばして、お経を学問として覚えた坊さん
よりも、修行を積んだ坊さんに読んで貰って、あの世に連れて行って
もらいたい・・というのが俺を含めた極一般的な考えだと思うんだけ
ど。
650名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 22:01
浄土真宗って何でもOKの宗派でしょ?
極論を言えば、身内が死んで葬式やってもらう時に、
風俗言ってチンポに風俗嬢の唾液と自分の精液の残りがついたまま、
ニンニクチャーシューラーメンを食って歯も磨かないまま、
来る坊主に読経&念仏されてしまう危険性もゼロではない。
・・・やはりそんなのに葬式やって欲しくない。
俺が自分で阿弥陀経や念仏やった方が、ずっと回向になると思うよ。
651229ですが:03/02/27 22:12
>>644
>神道儀式に対してまで、けしからんと押しかけるものではない、と受け取れ
>ると思うのですがどうでしょう。
そう考えるなら「清め塩は迷信です」と言う文面にはならないでしょう。
「(浄土真宗では)清め塩は不要です」と言うならごもっともというところですが
「迷信です」つーのはケチつけているようにしか思えないんだけどね。

逆に神社側に限らず他宗教他宗派が「念仏はただの気休めです」つーと
真宗の坊主はマジ切れすると思うけど、現実問題として真宗側が「迷信」
呼ばわりしているのは神社神道にしてみれば因縁吹っかけていると
思っても当然なんじゃない?

少なくともあのポスターの文面考えた人間の中に差別問題をなくそうと言う
美辞麗句の裏で根性ババ色(驕慢・不遜)な人間が何人もいたんだろう。
そうでなけりゃ他宗教の習慣儀礼に「迷信」呼ばわりは失礼だわさ。
>>650
回向の意味分かってます?
653あぼーん:あぼーん
あぼーん
>229ですが
>神社神道にしてみれば因縁吹っかけていると思っても当然なんじゃない?
うーん、なるほど、そうかも知れませんね。
でも、そんなもんでしょう?
>>648
それはサヨク(的)な坊主が頑張っているのと、サヨク的な人たちが利用し
ようとしているからでしょう。w
656毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 22:50
>>639
>宗教者は菩提心と菩薩行を忘れたら、終わりだと思います。

おれは菩提心と菩薩行を忘れずにいたいと思っている愚鈍な
「他宗」坊主だが、そんな自分の傲慢さに気づかせてくれるから
親鸞聖人の教えが大好きだよ。

NBさんに
>自らよい人間であろうとし、人のためになろうとする姿勢
が感じられないという言葉に、人間の傲慢さに無自覚な
オメデタい人間を想像してしまう。
657毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 22:50
>>649
>それには髪の毛を伸ばして、お経を学問として覚えた坊さん
>よりも、修行を積んだ坊さんに読んで貰って、あの世に連れて行って
>もらいたい

っていう「修行」ってなんだ?
水かぶったら喜んでくれるのかい?
密教系のおれは、水行ぐらいやったけど、
はたで思っているほどたいしたもんでもないぞ。
おれは剃ってはいないけど、かなり短めの坊主頭だから
一般うけはするんだろうが、そんなんで評価されてもな・・・。

ああ、真宗の擁護してるわけじゃないぞ。
教団としてみたら、真宗は大嫌いだな。
他宗教の機嫌を損ねるのがこわくて
布教なんてできるのかと。
あ〜真言系ね。確かに、たいした修行はしてないな(w
660毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 23:10
>659
おまえはしたのかチンカス野郎。

sageでしか言えないのかい?
あれ〜?「修行はたで思っているほどたいしたもんでもないぞ」
なんて書いておいて、それに同調したら怒っちゃうわけ?アホらし。
お前の矛盾したレスごときに、いちいちageてなんてられないって(w
>>659
>>661
あんたは何宗なんだ?
663毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 23:21
いいなおまえ。ちゃんとレスくれる律儀もんだな。
ただ、あげてくれないと見にくいんだな。
どっちみちヒマな板だけどな。

「修行」をありがたがっている坊やちゃんは、何してみたんだ?
664644:03/02/27 23:22
なんかお坊さんがイパーイか?
ところで、「229ですが」さん、仮にですけど、
>例えば仏式(この場合浄土真宗のしきたりや作法)で葬儀などをしている
>にも関わらず、その中で穢れだ清めだと塩を撒いたり掛けたりする
だとして、それは迷信だからやめようと言うのは、「229ですが」さん的
には因縁をつける(?)ことになりますか?
665名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 23:30
漏れが思ふに

毒素僧正 ◆nii25iN9ag  = NB

ではないか?
自作自演・・・文体と人格が似すぎ・・・
全然違うと思うが・・・
667名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 23:32
毒素僧正さんの行じた行は、毒素僧正さんの感得されるものが全てのであって、
傍から見ていた印象がどうだとか、同調するだとか、言う香具師はドアホ。
行は、見世物でも、批評するものでも、むやみにありがたがるもんでもない。
668毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 23:34
おーい。NBさん。
人格と文体似てるって・・・。

ハア? だけど・・・。
669名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/27 23:37
NBさんほど散文的ではないと思う
670NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 23:49
>>668

もう、大爆笑です。
宗教板の住人なら同一人物じゃないことは明らかだと思いますがねえ。

毒素僧正さんと人格が似ているならこんなに名誉なことはない。
もう、ひっさびさの大ヒットで、めっちゃめちゃうれしい。
ホノボノ仲間冥利につきるってもんです(w
671毒素僧正 ◆nii25iN9ag :03/02/27 23:55
NBさん来たところで寝るわ。
入れ替わったら、またジサクジエンって言われるんだろうか。

とにかく寝ます。お休みなさい。

あ、わたしもホノボノ仲間冥利につきます。 >NBさん
672NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/27 23:59
なんまんだぶつ。なんまんだぶつ。

毒素僧正さんが

>教団としてみたら、真宗は大嫌いだな。

とおっしゃられるのは、個人的には弁明の余地なく、誠に耳の痛いところです。

229ですがさんの真宗批判も同じ観点を含むものだろうと思いますし、
時衆さんのそれも同じでしょう。

まあ、実はぼくも蓮如上人がだぁあい好きなもので、リアル世界では、
いわゆる「サヨ」系の真宗僧侶の方々からは権威主義者だのなんだのと、
さんざんな言われようをされたりもしますが…。

個人的には「サヨ」系真宗僧侶のキーワードは「親鸞思想」だと思います。
ぼくは、たとえ殺されたって「親鸞思想」なんて言葉を真宗のみ教えに対して
決して使いませんが、
しかし、ここでは「サヨ」系真宗教団の擁護に回ってみたいと思います。
だって、そのほうが面白いじゃあん。

と、いうわけで、またまた連続カキコになっちゃって、スマソなんだけど。以下。
673NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 00:01
>>651
正論かつ傾聴に値する批判だと思います。

ただ、まあ、「不浄」の考え方が人に痛みをあたえる「差別」
につながる場面は多々ありますがねえ。
葬儀が差別意識生産装置になる危険性をはらむなら、
そこに対して批判・検討を加えるのは仏教徒の責務と言っていいと思う。

その方法については慎重に慎重を重ねて検討されないとだめだという点で、
229ですがさんに同意。

なんて書くとまた、ややこしくなるんだけど、

とりあえず、たとえば釈尊のカースト否定と現代社会の仏教徒との接点を
見出す。といった文脈で。それ以上でも以下でもない。
そういや、バラモン教の生贄による供儀も、仏教は否定しますよね。

229ですがさんは、それらについてはどういうお考えで?
また来たか
>>646
>層化学会のように友人葬で十分じゃないか、と思うわな。
思うのは勝手ですが、学会は聖教新聞を通して毎日、唱題の功力で
医者が見放した病気が克服されただの今夜が峠と言われて今まで真面目に唱えた事がなかった
唱題を一晩一心不乱に唱えたら治っちゃったわ..............

なんて言ってるカルト教でっせ?
一面は必ず『逝け堕堕夷砂苦』がどこそこの名誉哲学博士号を授与されたなんて記事ばっかで
3〜4面に必ず唱題の功力で〜〜子供もナンミョーしなくちゃって言ってる........
そんなとこの葬式が一瞬でも良いと思ったあなたは層化?
真宗も刻々と近づいてる予感・・・
677名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/28 06:50
親鸞聖人が魚を食う時、袈裟を脱がないで食された。
他宗の僧侶は袈裟を脱いで食された。
そのことを問われた時、
袈裟自体の功徳によって魚をすくうためだ、
というようなことを親鸞聖人は言われたそうですが。

これは迷信ですか?
678名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/28 08:18
>>677
迷信 を辞書でひいてから質問するべし。
679NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 08:26
>>677
迷信じゃないです。そのほか経巻にも同様のはたらきを認められた
伝承もありますよね。
現代の真宗僧侶が忘れがち、つか無視しがちなとこで、大いに反省
してみる必要のある大切な側面だと、個人的には考えます。

幕末・明治の廃仏論や科学的世界観の流入、大乗非仏説などに対して、
組織上・教学上ともに、それらの問題に真剣に答えようと取りくんだ
のは、はっきり言って真宗が一番熱心で真摯だったと思います。

その過程で、お念仏のみ教えが「親鸞思想」として近代世界に位置づけ
られていったりもしたわけで、それはある意味、必然的な帰結であったり
もしますが、そこにおいて切り捨てられてしまった色々な側面を、
もういいかげん、きちんと見直して再考する必要があると思います。
非常に重要なものが切り捨てられてしまったんじゃないかと、個人的には
思います。
680名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/28 08:39
>>677
覚如の創作じゃないかと思う。
そもそも親鸞はそういう場所に出るほど有名な坊さんではないはず。
この話のどこが
>現代の真宗僧侶が忘れがち、つか無視しがちなとこ
なのかわからんぞ。
681NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 09:20
>>680
ううむ。明治に入って提唱された「人間釈迦」の思想の探求。
って方向の考え方は、同じく明治に入って「人間親鸞」の
思想の探求という方向としても適用されたと思う。

>覚如の創作じゃないかと思う。

と言い切っちゃえる意識は、また同時に大乗仏典に対しても
あてはまる意識だと考えるので、

つまりは、そういうところに関する感受性の欠如?みたいな
ところが忘れがちで無視しがちなところだと思ふ。
682NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 09:23
>と言い切っちゃえる意識は

を、「と言い切って問題を解決済みにできてしまう意識は」
と、補足して訂正。
大乗仏典と親鸞の言葉を同列に考えてる所がスゴイ・・
684NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 13:57
>>683
まあ、別に大乗経典と親鸞聖人が同列であっても、まったく驚きもしませんが…。

この場合は、
「覚如の創作じゃないかと思う」という言い方と、大乗非仏説論者
による「大乗経典は後代の創作じゃないかと思う」という言い方は、

前者はまぎれもなく大乗を標榜する立場であるにもかかわらず、
問題の捉え方として、大乗非仏説論者と根っこが同じだろうという
点についてどれほどの反省が加えられているだろうか?
ということを言いたかっただけ。わかりにくくってスマソ。

近代的な認識による「人間親鸞」の再構築の成果をふりかざして
啓蒙的・進歩的な顔つきで、他宗に対するようなところは、
確かにあると思う。謙虚に反省してみるべきところだと思う。

あ、だからといって清め塩を必要とする理屈を認めるわけじゃ
ないんで、念のため。
685名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/28 17:08
なに言っているかよくわからんが、まず第一に、
「最明寺の禅門の父修理亮時氏、政徳をもつぱらにせしころ、一切経を書写せられき。
これを校合のために智者・学生たらん僧を屈請あるべしとて」
とあるが、親鸞がそういう著名な僧侶が集まる場によばれるものだろうか。
そして、
「とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむるやうにこそありたく候へ。」
などと言い、
「袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しながらかれを食せば、
袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、これを着しながらかれを食するものなり。」
袈裟を着て魚を食べたら、魚が解脱するなんて、親鸞がそんなことを言うものだろうか。
そんなことを言ったら、どうして人間親鸞になるのか。
このエピソードは創作じゃないかと言うことが、大乗非仏説とどう関係するのか。
なに言っているのかホントわからん。
686名無しさん@京都板じゃないよ:03/02/28 18:00
ついでに書いておくと、お釈迦さんが何を説いたかはわからんわけだ。
なにせ阿含経だって非仏説なんだから。
で、問題となるのはお釈迦さんの真意は何かということだ。
仏は何を覚ったのか、何を説こうとされたのか、だ。
口伝鈔の話だが、親鸞が本当に袈裟を着て魚を食ったかどうかはわからん。
それはどうでもいい。
その話で何を覚如は伝えたかったのか、そしてその伝えたかったことは親鸞の
気持にかなっているのか、それが問題なわけだ。
で、私としてはそんなアホなことを親鸞が言うとは思われん、ということ。
歴史的事実かどうか、そういうことを言ってるんじゃないよ。
687NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 23:54
>>686
ううむ。わかりにくかったのは申し訳ないんだけど、
もう一度あなたを例にさせてもらって(スマソ)説明するなら、、
>親鸞の 気持にかなっているのか、それが問題なわけだ。
で、
>歴史的事実かどうか、そういうことを言ってるんじゃないよ。

ということならば、なぜその伝承に、無前提ともとれる言い方で
「アホなこと」とマイナスの評価をくっつけてしまうのか?
だったらせめて、「私としてはそんなことを親鸞が言うとは思われん」
ぐらいにしておく配慮をすべきじゃないだろうか?
少なくともぼくは、親鸞聖人の伝えたかったことをうかがうにあたって、
袈裟を着て魚を食うことが「アホなこと」だとは全然思わないし、
それについての言い分だってもってる。
あなたはぼくに対して直接に「アホ」とののしったわけでは決してないけど、
(というか、それゆえに)とりあえずは反論するのも鬱陶しいような複雑な気持ち。

自宗の内部でなら、まだお互いに理解を深める機会もくるかもしれないけど、
他宗他教に対してまでこういう接し方をしていないか、反省する必要あり。
で、真宗は特に、「近代人」が「未開社会」でも見るような目つきで接しちゃう
場面が確かにあると思う。

というようなことが言いたいわけ。229ですがさんと同意見だと思う。
長文ばっかでスマソ。
688229ですが:03/03/01 00:29
>>664
>その中で穢れだ清めだと塩を撒いたり掛けたりする
こんな奴が実際にいたら因縁をつける以前に「真性のアフォ」です(笑)

少なくとも葬式の清め塩は葬式のあと自宅に入る前に振り掛けるところからして
家の中に「死の意識」を持ち込まないけじめの表れだと思う。

関東はどうか知らんがオラの住んでいる関西では祝儀袋は買いだめする人は多いが
香典袋は縁起を担いで誰かが実際に死んで必要になったとき必要なだけ買う人が
多いですな。実際に以前仕事で(8年間)金封を売っていたのだが、お客さんに
祝儀袋のように香典袋も買いだめしといたらどうかと何人にも
聞いたことがあるのだが殆ど同じ答えが返ってくる。
「買うと実際に(葬式に行く羽目になり)使うことになる」「縁起が悪い」この二つが殆どだ。
(少なくとも一般人の意識としては死=穢れつーのは殆どないようだ。
死ぬこと=葬式=不祝儀=めでたくない=縁起が悪いと言う意識つながりはあるようだね
ただし清め塩が「穢れを払う」=「差別」という意識に繋がるのはよっぽど脳みそが
サヨク的構造になっているんだろう(笑))

ちなみにオラの個人的見解では清め塩は穢れを払うつーよりも
葬式やっているといっしょに供養して欲しい無縁仏(供養してもらえない故人
巷では浮遊霊とか言うのかな?)が寄ってくるんだわ。
で、お参りに着た人について帰ってしまうことがあるので家に入る前に追っ払うために
塩を体に振りかけて「あっちいけしっし!」つーのが有効なんだわ。
(ちなみに江戸末期の推定人口が3000万人位というのが一般的ですが
現代ではその約四倍なので同率と考えて無縁仏も当時の四倍か?
実際は生前まったくの無神論・無信仰の人は現代のほうが多いから比率も
現代のほうが高いかも・・・。)
>>687
漏れが読む分には別にマイナス的には感じないし、>>686 は、
そんなことを言いたい訳じゃないでしょ。最後の一言だけをpiupして
終始そのことだけに付いてしか書いてないのも、微妙に論理のすり
替えにも思えてしまうのだが。
690689:03/03/01 00:48
修正pick up
691フルヴォリュームで名無しさん:03/03/01 01:09
ゴーダマがルンビニーで生まれたときに
七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」といったのは
あほな話か否か。
「そんなあほな話しあるかいな。赤ん坊が歩いて物言うわけないやろ」
という人に「お前はわかってない!」と怒るべきかどうか。

どうでしょう?
顔あわせて話してれば普通のやり取りになるはずなんだが(w
692名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 01:41
>>691
それがアホかどうかはさて置いても、普通は伝説と思うわな。
ま、大乗自体、人間釈迦は「仏法を伝える為の仮の姿」となってるら
しいから、それをアホと言ってしまったら大乗仏教自体がアホ教って
ことになってしまうけどな。でもそんなこと言ったら一神教もアホ教
ってことになるし、アホがアホでアホちゃいまんねんパーでんねん。
なんのこっちゃ
693NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/01 01:54
なんのこっちゃ。力抜けたよ(w
694名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 06:38
めい‐しん【迷信】
迷妄と考えられる信仰。また、道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。その判定の標準は常に相対的で、通常、現代人の理性的判断から見て不合理と考えられるものについていう。
[広辞苑第五版]


ということで、真宗としては、
>清め塩 →迷信
>袈裟  →迷信でない
ということですね?
自分のところは迷信ではないが、他所さまは迷信だと。
袈裟の功徳の話って、本でしか読んだことないなあ。法話とかで聞いたことはない。
696名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 08:42
袈裟を着て魚を食うことがアホだとは言っとらん。
袈裟を着て魚を食ったら、袈裟の功徳で魚が解脱する、
という説明がアホだと言っておる。
実際にそんなことがあったかどうかは別にして、
親鸞がそんなことを言うとは私には思えない。
NBは魚が袈裟の功徳で悟りを開くと思っているのかい。
こんなことをいちいち説明するこっちの方が鬱陶しいわい。

お釈迦さんが生まれてすぐ七歩あるいたということだが、
そんなことはありっこない。伝説に決まっている。
問題はそのことで何を言おうとしたかだ。
七歩歩くとは六道を超えるという意味だし、
唯我独尊とは、我独りにして尊し、という人間の尊厳性をあらわす、
という説明が一般的だが、まことにもっともだと思う。
ついでにいうと、お釈迦さんは母親の左の脇の下から生まれたと言われてるが、
そんなこと嘘に決まっている。
これはカースト制度の差別概念から生じた伝説であり、ありがたがることはない。
697渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/01 09:10
 ROMだけしているつもりでいたが血が騒ぐ(苦笑)。少し書きます。

>>685
>親鸞がそういう著名な僧侶が集まる場によばれるものだろうか。

 不思議はない。関東政権は京都政権から独立した独自の権力を持ち、京都に対向
しうる独自の文化圏の創設を指向していた。親鸞の親友には、栃木県熊谷市を所領
とする熊谷直実という源家の武将がいた。流罪は解けたが都払いの処分が続く親鸞
を、直実が新興の地関東に招いたとしても不思議はない。熊谷直実ほどの人間の推
薦があれば、関東で大名に呼ばれても不思議はない。
 関東で一切経と出会えなければ、親鸞は教行信証を書けなかったろう。関東での
この話は、教行信証が盗作でなく、紛れもなく親鸞自身が書いたものであることの
重要な歴史的証言だ。


>袈裟を着て魚を食べたら、魚が解脱するなんて、親鸞がそんなことを言うものだ
ろうか。

 法は相手を見て説くものだ。このときの相手は幼童だ。仏法の神髄をいきなり話
してもなかなか分からんだろう。相手を直ちに納得させるには、頓知が必要だ。

>人間親鸞になるのか。  <六角堂の馬鹿話伝説とは違うユーモラスな頓知だ。>

>大乗非仏説とどう関係するのか。    <大乗非仏説とは関係ないよね。>
698渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/01 09:11
>>686
>お釈迦さんが何を説いたかはわからんわけだ。   <僕は分かってるよ。>

>阿含経だって非仏説なんだから。     <阿含経非仏説説とは関係がない。>

>お釈迦さんの真意は何かということだ。    <座禅して念仏申すべし(行の巻)>

>仏は何を覚ったのか、何を説こうとされたのか、だ。    <念仏申せ>

>口伝鈔の話だが、親鸞が本当に袈裟を着て魚を食ったかどうかはわからん。

 こう言えば実も蓋もない。袈裟を着て魚を食うことぐらいはしただろう。
 自分が食べるために殺したあるいは殺された生き物のの肉は食べてはいかんが、
既に死んでしまっていた魚肉は食べてもいいんだ。

>その話で何を覚如は伝えたかったのか、   <生きた実像を伝えたかったんだろう。>

>かなっているのか、それが問題なわけだ。  <こんな一シーンは、笑い飛ばすだろう>

>そんなアホなことを親鸞が言うとは思われん
   見解の相違だな。幼童を相手に必死に頓知を働かせたんだろう。大した知恵者だよ>

>歴史的事実かどうか、そういうことを言ってるんじゃないよ。
        <口伝抄は二級の資料と思うが、間違ってないことも多いと思う。
699渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/01 09:12
>>690
>七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」といったのはあほな話か否か。
           <生まれると概念の象徴的な意味が分かってないんだろう。>

>「そんなあほな話しあるかいな。赤ん坊が歩いて物言うわけない
         <貴方は創造力が乏しいだけだ>

>「お前はわかってない!」と怒るべきかどうか。
         <創造力の意味を明らかにすればいい>

>>691
>大乗仏教自体がアホ教ってことになってしまうけどな。
           <現代仏教教団・学者・坊主がアホなんだろうよ>

>>694
>袈裟の功徳の話って、本でしか読んだことないなあ。法話とかで聞いたことはない。
          <どんな功徳があると書いてありましたか?>
700渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/01 09:15
>>698
 誤  「生まれると概念の」   →  正  「生まれるという言葉が持つ概念の」
701渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/01 09:56
>>697
誤  栃木県熊谷市   →  正  埼玉県熊谷市
      失礼しました。m(_ _)m




さいたまさいたま
703名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 10:17
>694
>ということで、真宗としては、
>>清め塩 →迷信
>ということですね?

そういうことです。
「穢れ」の思想からすると大切なものでしょうし、「死」を嫌って払拭しよ
うとする人にとっては必要と思うものかも知れませんが、私には必要ないと
いうことです。
704名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 12:45
>どんな功徳があると書いてありましたか?
「袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたす」
こういう功徳があると書いてある。
ほとんど真宗スレになってるな。
浄土宗は陰が薄いのか?
2chなどやってる暇がないのです
707229ですが:03/03/01 14:39
>>704
>「袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたす」
>こういう功徳があると書いてある。
これってどこの宗派の教えですか?

袈裟って本来は糞雑衣(道端に打ち捨てられたぼろ布)でしょ?
糞雑衣(ぼろ布)の徳用ってあんさんすごい画期的な迷信ですな(笑)
よくもまあそんな勝手な解釈があったもんだ。ぷぷぷ。

ぼろ布に徳用があるならの浮浪者やダンボールハウスの皆さんの身につけておられる
衣類にいたっては3倍くらい袈裟よりも功徳がありそうですな(笑)
>>707
はその通りです。ただ3倍もありません。同じくらいです。
709名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 16:41
法事のおときの時にですね、お坊さんが刺身を食べながら、
私は袈裟を着ていますから、この魚は救われるんですよ、
それは袈裟の功徳があるからです、なんてことを話したら、
信じる人が結構いるんじゃないでしょうか。
ああ、親鸞さんの教えはそういうものなのかと思うかもしれませんね。
それでもお坊さんとしてはかまわないのでしょうか。
頓知でもかまいませんが、それならそうときちんと言うべきではないでしょうか。
真宗の「神祇不拝」について質問させてください。

私も真宗の僧侶です(新米ですが)。
しかし神道にも興味がありよく各地の神社へも足を運びます。
その際、境内にはいるとちゃんと神道式の拝礼方法(手水での清め、
二礼二拍手一礼など)を行います。
ただし祭神に祈るときには願い事などは言わず
「(多くの人の願いを聞いて、またこの地を鎮護して)お疲れさまです」
と念じるようにしています。

現世を祈るモノでは無いので自分ではこれでいいと思っているのですが、
友人の僧侶からはなるべく神社へ行くべきでない、いっても参る必要はない、
仮に参っても神道形式を守るべきでない、それは自力の現れだからと言われます。

確かに「御伝鈔」の平太郎の話もありますし、身を清めると言うことは自力の現れかも
しれませんが、他人に会うときに清潔な格好をし相手を不快にさせないように、
神に逢うときもその神に対し非礼でない姿をする必要があると思うのです。
そもそも神社に行って祭神に参らんという事は人の家にいって、その家の人に
挨拶しないのと同じですから一番失礼に当たるような気がします。
これは信仰云々よりもマナーの問題でしょう。

私のやり方はやはり「神祇不拝」に抵触してしまうと思われますか?
それとも念仏者としては神道に興味を持ってはイケナイのでしょうか?
711名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 19:09
人々後世の事申しけるついでに、往生は魚、食せぬものこそすれという人あり。
あるいは魚、食するものこそすれという人あり。とかく論じけるを、上人ききたまいて、
魚くうもの往生せんには、鵜ぞせんずる。魚くわぬものせんには猿ぞせんずる。
くうにもよらず。くわずにもよらず。ただ念仏申すもの往生はするとぞ、源空は
しりたるとぞ仰せられける。【魚食と往生について示される御詞・昭法全四八八】


712名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/01 20:03
>710さん
神とは何だと思いますか?
神と仏とは同じだと思いますか、それとも違うと思いますか?
>>712
私は神道の「神」というのは「人間を越えた力を持つモノ」あるいは
「人間には理解できないモノ」の総称だと思っています。それは人間
の感じる自然そのものかもしれませんし、過去の偉大な存在(人間も含めて)
であるのかもしれません。
そういった「モノ」が最初は畏れられたにしろ、あるいははじめから
敬われたにしろ今現在、社に鎮座し、祭られている。
そしてその土地や人々に益を与え、あるいはむやみに不益を振りまかない
(厄神を祭ることによってその災厄を防ぐことも消極的ながら益をもたらしている)。
そういうことをしてくれる存在に対して素朴な尊敬の念を持つことは人間として
当然のことでしょう。

私にとって神道の「神」というのは節度を守って接すれば、頼りになる(あるいは
悪いことをしない)隣人のような感覚なのです。

それに対し、「仏」という存在はこの世の真実というものを体現し、且つ我々に
それを教えてくれる教師にして、人間の目指すべき目標だと思います。

私は真宗ですから念仏をするわけですが、阿弥陀如来と言う「仏」が
「念仏して他力によって救われる」と言うこの世の真実の一つを表した存在であり、
そのことを教えてくれる教師であり、また自分が目指すべき目標(往生して成仏し、
還相回向によって救いを此土の人々にもたらす)であるわけです。

このように神道の「神」と「仏」は全く違った存在であると思っております。
これはどちらの方が優れている、あるいは劣っているということではありません。

少々不遜な言い方をしますと、我々人間が生きていくとき、双方が人間に対して
どのような役割を担っているか(もちろん人間から見てですよ)の違いだと思います。

「神」は生きること自体を助け、「仏」は生の中身を助けるものだと思います。
テリトリーが違うので単に優劣を比べることなどできないでしょう。
以上が私の「神」と「仏」に関する考え方です。

「神祇不拝」というのは生きること自体を目的にする事への戒め
でないかとも思うのです。だから私は積極的には「神」の恩恵に
あずかろうとはしません。しかし、そういう存在であると私が考える
以上、「神」には敬意を持って接したいのです。

長文ゴメンナサイ。
716NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/01 23:05
またあとくるけど、袈裟の話をなんかゆがめて書いてるね。

なぜ、親鸞聖人が袈裟を着て食べようと思われたのか、
前後の文脈についても説明してね。

つか、ずれてきてるなあ。まあ、とりあえず。
現世利益についてはここが詳しいみたいね。
http://www2.big.or.jp/~yba/QandA/01_10_15.html
718NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/01 23:26
ずれてきてるというのは、袈裟の話に関してのみです。
ほとんど読まずにカキコだったんで、すいません。
またのちほど。
>>715
「神というモノが存在する」という前提の元の意見に感じます。

「神が人間を作ったのではなく、人間が神を作ったのである。」
という感じの言葉があったように思います。

「人間を超越した何か」、まあ日本では自然ですか?
これを祭るということは何か。
実際には、祭ろうが祭らまいが、自然現象自体には何も変化は無いと思うんです。
ただし、豊作を喜ぶとか、旅の無事を祈るとか、これはこれで人間がごく普通に感じる事だとも思います。
俺的には、全く問題無いかと思います。

問題はここから先です。
自然に対する畏敬の念を、形あるモノを作って、それに向かって祈るのは解りますが、
だんだん神が一人歩きしてませんか?
「○○様を拝んでいかなければ・・・」とか、「○○神に感謝の・・・を・・・」とか、
言葉は悪いかもしれませんが、自己満足ですね。
自分が作ったモノに命を吹き込んで、それを畏れ、敬うだなんて・・・

自分の心が満足しないから、祈りを捧げる。感謝の何かをする。
そういうレベルのモノになってませんか?

マナーというのは人間が作ったものです。
これを神に対してのマナーというのも、神にとってはありがた迷惑じゃないかな?って思うんですけど

えーっと、うまい文章を書けなくてゴメンナサイ。
719の続きね。

>>715
んで、阿弥陀如来というのも、私とあなたの考えが微妙に違うのです。
俺の中では、阿弥陀如来は「救うはたらきそのもの」。
それ自体はよーわからんから、救われているモノそのものを見て
「自分も本当は救われていたんだな」という事を感じ取る。
それが、自分も南無阿弥陀仏である。という名乗りなのではないでしょうか。

何が言いたかったかというと、阿弥陀仏と諸仏を、区別しちゃっているのが俺。
721名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 06:14
>>697
おい渡海よ。でたらめ書いてんじゃねぇぞ。
熊谷次郎直実は1208年には死んでるぞ。流罪が許されたのは1211年だ。
脳内で生きとったんか?第一本当に親友だったのか?
それ以前に「大名」なんて言葉が鎌倉初期からあったのか?
でっち上げてんじゃねぇ。

>重要な歴史的証言だ。
あんたがそれの信憑性を怪しくしてる。

心と宗教へ帰れ、ヴォケが。ウザいわ。
722名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 06:58
袈裟にはそれを着て食べた魚を解脱せしむるほどの功徳がある。
ということなのだが。

充分迷信だと思うがなあ。
だいたいその魚はもう死んでいる筈。活け作りじゃない限りは。
723名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 08:05
やっぱり現勢役がないものにすがれる人の思考って、
異常思考としかいえないもののようですね。
そもそもフガフガじいさんでもないのに、
来世の往生に思いを馳せることができる時点でDQN決定
724名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 08:25
宗教には二種類ある。
手段としての宗教と、目的としての宗教である。
手段というのは、どうにもならないことをどうにかしてもらうということ。
神は手段と思うし、阿弥陀信仰は目的だと思う。
715よりも719の意見が真宗にとってはもっともだと思う。
725名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 09:22
NBさん
袈裟を着て魚を食べる話のことですが、
これは迷信ではないか、という質問に対して、
あなたは迷信ではないと書かれました。
そして私は、この話は史実ではないのではないかと思うと書きました。
それに対してあなたは大乗非仏説云々ということを言われました。
つまり、史実かどうかということよりも、その話の中に親鸞の真意が
こめられているかどうか、ということを問題にされたわけでしょう。
ですから私としては、袈裟の功徳で魚が救われるというようなことを
親鸞は説かないだろう思うと答えたわけです。
親鸞の教えからいうと、やはりアホな話だと思います。
NBさんは迷信ではないと思っているわけですから、
門徒さんに対して、私がつけている袈裟には功徳があって、
それで魚を救うことができるんですよ、と説かれるわけですか。

>なぜ、親鸞聖人が袈裟を着て食べようと思われたのか、
それは口伝鈔の言葉に従うと、
「袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しながらかれを食せば、
袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、これを着しながらかれを食するものなり。」
だと、すでに引用しています。
726あぼーん:あぼーん
あぼーん
727229ですが:03/03/02 10:15
おいおい、霊魂は無いという坊主が沢山居る浄土真宗が
>「袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり
って霊服の霊ってなんじゃい?訳のわからんこと言うな!
728名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 12:02
人に知覚できることだけが現実というわけでないのは近代人にも常識。
まだはっきり計測しかねている領域での,知覚の個人差が問題になる。
いずれにしろ,知覚できる事象の不確定さを支える核こそが宗教感覚。
あると思う我は,どこにいつまでありうるのか。一瞬先さえも今ではない。
今ある我ではない。死後も連続すると仮定する意識が霊魂と呼ばれる。
変わらない意識にとっては,変わるのは周り。はた目には本人が変化。
成仏していない霊魂に惑わされるは本人の知覚の次元,重心の問題。
人にお払いをたのむとは,そのレベルでのごっこ遊びにすぎなかろう。
仏のみたのむべし,落ちるは怖れず,先の光へと常に変わりゆくべし。
>>685 >>697
横曽根門徒は、日蓮さんにとっては大悪役で、史的にも悪イメージが
強い平頼綱に取り入って保護受けてたみたいね。そのあたりから、親鸞
さんが鎌倉幕府の重役と連なっていたとか、熊谷直実と親友だったといった
与太話が創作されていったんでしょうね。
730名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 16:14
>>729
どうも親鸞は宇都宮氏とは関係があったらしいが。

漏れは宇都宮というと実信房蓮生(直実と僧名同じ。こちらは「れんしょう」か?)
のイメージから、西山系かと思っていたよ。

渡海はこの同名の2人を混同したのか?
731715:03/03/02 19:47
>>719-720
ご意見ありがとうございます

私は神道的「神」が存在するという確かなことは証明できません。
しかしそういった「人間を越えたモノ」(≠絶対者)に対して素朴な畏敬の念を
持ち続けることは人間として当たり前だし、重要なことだと思っています。
その理由の一つには、畏敬の念を持つことによってよりいっそう自分自信の
無力さ、弱さを実感できる事があります。念仏にはこの自覚が大切でしょう。

人間には、ある種の「カタチ」を守ることによってうつろいがちな人間の精神を
理想的な方向に向けるという働きがあると思います。儀式と呼ばれるものがそれです。
例え人間の作ったマナーであっても、神道の参拝形式はそれを行うことによって
人間の心の中に敬虔感情を呼び覚ますものであると思います。
つまり参ることは神に対する挨拶であると共に、自分の中の畏敬の念を
再確認するための作業でもあると思うのです。

でも、絶対者でもないような存在「神」に畏敬の念を持つこと自体が
真宗においては「迷い」だということになるならば、私は何も反論できなくなって
しまうのですが・・・。
731の続きです

>俺の中では、阿弥陀如来は「救うはたらきそのもの」
これは私もその通りだと思います。見方が違うだけです。
私が存在を見ているとすれば、あなたは現象を見ているのです。

>阿弥陀仏と諸仏を、区別しちゃっているのが俺。
うーん、真宗の徒ならそうならなくちゃいけないんでしょうね。
弥陀一仏を通して多仏の世界に参入するのが真宗ですから。
ただ、どうしても区別というか、阿弥を仏の中で特別にできない(したくない)
感情が私の中にはあるんですよ。
一神教が大嫌いなせいもあるのかもしれません・・・。
733フルヴォリュームで名無しさん:03/03/02 21:38
>>725
では覚如は何を伝えたかったのでしょう。

「袈裟の功徳で魚が救われる」というのは親鸞の教えからいうと
確かにあほな話です。ありえません。
また>>707がいうとおり、袈裟は本来ぼろ布です。
ぼろじゃなくても布を縫い合わせたものに違いありません。
覚如が『口伝鈔』のこの条で「袈裟とはどういうものなのか?」ということを
説きたかったのでしょうか。

私が釈尊の誕生譚を引き合いに出したのは、
そこがこのやり取りのズレだと思うからなんですが。
734名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/02 21:58
>>733
覚如上人が何を伝えたかったか、それ以前に、
「袈裟の功徳で魚が救われる」という、
そのアホな話を迷信じゃないと断言しているお人がいらっしゃるわけですが。
735渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/02 22:31
>>721
>おい渡海よ。でたらめ書いてんじゃねぇぞ。 <大変なお品のお方だね(笑)。>

>熊谷次郎直実は1208年には死んでるぞ。流罪が許されたのは1211年だ。

 そうでしたかね。ま、僕は歴史学者じゃないから、資料を示されても、それを吟味す
る力はない(苦笑)。
 頼朝は平泉を滅ぼしたが、平将門以来、東国には京都に対抗する文化圏・権力権を築
こうという地盤はあったんじゃないか。
 法然の名は関東でも知られ、吉水教団は京都政権によって弾圧されれば、吉水教団に
同情的な雰囲気が関東にあっても不思議じゃない。親鸞赦免時、熊谷直実は死んでいた
というなら、それでもなお個人的に吉水・熊谷関係のつながりが残っていたとしても不
思議じゃないだろう。親鸞が熊谷直実と犬猿の仲だったとは始めて聞いた話だよ(爆)。
 親鸞は僧籍を剥脱されたと流刑囚と言っても、それは京都・奈良文化圏での話だ。関
東は、私度僧であったも、婚姻僧でも、教養があれば僧として遇する戒律ルーズな雰囲
気はあったろう。関東は京都奈良からは遠い。叡山や東大寺で正式に受戒しないと僧に
なれないということでは、遠方の地で僧が育たない。この辺は、関東の寺院事情を研究
している歴史家にお聞きしたい。親鸞は叡山で修行歴もあり、吉水では法然にかわいが
れていれば、ことの縁あって尋ね出されて、経典確認の検査僧として迎える大名がいて
も不思議ではない。熊谷直実と親鸞は犬猿の仲であり、親鸞は関東でも相手にされる筈
ないと信じている坊さんがいるとは、今回初めて知った話だよ(笑)。
736渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/02 22:32
>脳内で生きとったんか?第一本当に親友だったのか?

 一切経校合の話は、信憑性を疑うような話じゃないんじゃないかと言っているだけです。
僕は歴史学者じゃないから、立証なんかはできないよ。要するに、疑念を懐くほどのこと
はないと思っています。熊谷直実とは犬猿の仲でそんな紹介はあり得ないという話は、今
回初めて聞いた話だ(笑)。
 「脳内で生きとったんか?」とはどういう意味だい。見ず知らずの人から、詰(なじ)
られる必要はないんだよ。

>それ以前に「大名」なんて言葉が鎌倉初期からあったのか?

 「武藤左衛門入道、並びに、屋戸やの入道 両大名に仰せ付けて、尋ねあなぐられける
とき、ことの縁ありて聖人を尋ね出し奉りき」。
 おーい。口伝抄くらい読んだらどうよ。あんたも坊主だろう。少し恥ずかしいと思いな
さいよ。

>でっち上げてんじゃねぇ。   <自分のチノーを鏡に映してからものを言え。>

>あんたがそれの信憑性を怪しくしてる。

  僕の力を買い被るんじゃないよ。信憑性を怪しくするような力はないよ。

>心と宗教へ帰れ、ヴォケが。ウザいわ。
           <口伝抄も読まずに大きな顔しなさんな。おとといおいで。>
737渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/02 22:33
>>722
>それを着て食べた魚を解脱せしむるほどの功徳がある。ということなのだが。
   <子供相手の頓知をまともに聞くのはお馬鹿じゃないのか?。>

>>725
>それは口伝鈔の言葉に従うと
   <子供相手の頓知をまともに聞くのはお馬鹿じゃないのか?。>

>>727
>霊服の霊ってなんじゃい?

 霊とは、お釈迦様の念力だよ。(遺弟の念力より成ず。  報恩講私記)
念力と言っても分からんだろうな(苦笑)。

 もし後の末世に、我が法の中において、剃除鬚髪し、身に袈裟を着たらん名字の比
丘、もし檀越ありて捨施供養せば、無量の福を得んと。また賢愚経に言わく、 〜 
もし破戒を打罵し、身に袈裟を着たるを知ることなからん罪は、万億の仏身より血を
出だすに同じからんと。 〜 我が法のために、剃除鬚髪し、袈裟を被服せんは、た
とい戒を持たずとも、彼等はことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり。 
〜 ただ性はこれ沙門の行にして、自ら沙門と称せん、形は沙門に似てひさしく袈裟
を被着することあらしめんは、賢劫において弥勒を首として乃至盧至如来まで、かの
もろもろの沙門、かくのごときの仏の所にして、無余涅槃において次第に涅槃に入る
ことを得ん。遺余あることなけん。  (化身土巻)
宗教板の真宗スレが
こっちに引っ越してきた感じだな。
739渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/02 22:36
>>730
>渡海はこの同名の2人を混同したのか?

 僕には混同するほどの知識もないよ。親鸞は、熊谷直実と犬猿の仲にあったとは、僕
は真宗坊主から始めて聞いた話だ(苦笑)。
 宇都宮氏と関係があったというのは、何時の時期の話だい?。赦免時に、吉水と越後
以外に人脈があったとは思えないけどね。

>>733
>覚如が『口伝鈔』のこの条で「袈裟とはどういうものなのか?」ということを説きた
かったのでしょうか。

 覚如には、親鸞おじいちゃんを神格化したいという思いがある。不思議な法力を持った
神格化のネタにしようというスケベ心があったのかも知れないね。そんな覚如のスケベ心
に踊らされるのは、馬鹿な話だ。
 子供相手の頓知話は、一笑すればそれで終わりだ。
740229ですが:03/03/02 22:38
>剃除鬚髪し
本願寺の坊主は剃髪してませんがなにか?

オラは京都に住んでいるが浄土真宗の坊主はちっともツルピカハゲマル君じゃありませんが・・・。
袈裟を着ていてもお釈迦様の念力は働かないと思われますが何か?
741渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/02 22:40
>>740
> 本願寺の坊主は剃髪してませんがなにか?

 うんうん。この辺は、真宗坊主に言い分を聞こうじゃないか(笑)

>ツルピカハゲマル君

懐かしい漫画だな(w
743NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/02 23:13
>>725
まれに人身をうけて生命をほろぼし肉味を貪すること、はなはだしかるべからざるこ
となり。されば如来の制戒にもこのことことにさかんなり。しかれども末法
濁世の今の時の衆生、無戒のときなれば、たもつものもなく破するものもな
し。これによりて剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきが
ゆゑに、これらを食す。
とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむるやうにこそありたく候へ。
しかるにわれ名字を釈氏にかるといへども、こころ俗塵に染みて智もなく徳もなし。
なにによりてかかの有情をすくふべきや。(※この段落に注目!)
これによりて袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり…。
---------------------------------------------------
以上、『口伝鈔』より。たぶんおんなじモノからのコピペだと思うんだけど(w
ぼくが註をつけた段落は、たとえば『歎異抄』の、
---------------------------------------------------
慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれ
み、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、
きはめてありがたし。(中略)今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、
存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。
(あるいは)
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候は
ず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。
---------------------------------------------------
と、「思想的に」密接な連絡を有するものであり、「浄土の慈悲」に信をおきつつも、
現実に目の前に供された死んだ魚とそれを食うことによって我が命を保つ自分、
両方に対する「祈り」にも似たふるまいであるとも解釈しうる。(ははは。)
つまり、聖人の思想に対して深みや奥行きをもった理解を可能とする部分
であるとも考えられるのであって、歴史的考証を抜きにするなら、
とりたてて「アホな」創作として切り捨ててしまう根拠は薄いと思う。
744NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/02 23:14
というのはさておき、
上述のように、「袈裟の徳用によって魚料理の解脱を願う」というふるまいは
「済生利物(救済衆生利益衆生)の願念」という仏法にかなった願いよりなされた
ものであり、聖人のこの心を戴して自分が目前に出された肉料理を見てこの伝承を
思うとき、導き出されるのは目の前に料理として供された生命の生と死に対する
慈しみと悲しみ、我が身の「機」のつたなさ。といったように仏道に眼を開かし
める仏法にかなったはたらきだと考えます。
まあ、少なくともぼくは、本願寺派の「食前の言葉」よりもなおなお深い「いただきます」
を発せずにはおれない聖人のご化導を感じますね。法霖師だっけ?僧僕師だっけ?かの
頓知(wによる食前の言葉もこの伝承なしには生まれなかっただろう。ってぐらい。

フルボリュームさんもご指摘のとおり「極楽浄土」もまた仏法にかなった願いより成就され、
一切善悪衆生をして仏道に眼を開かしめるはたらきを持つ、我らの真実の宗(むね)となる
ものですが、大乗非仏説論者においては「創作・迷信」として切り捨てられますよね。
あなたが「アホなこと」とおっしゃるのもこれと同じじゃないでしょうか?

つまり、親鸞聖人の袈裟の故事は仏法にかなった願いより起こされ、我らをして仏道に眼を
開かしめるはたらきをもつ故に「迷信」とは認められない。
対して、清め塩は仏法にかなわぬ願いより起こされ、我らをして仏道の歩みを曇らせ遠ざける
はたらきを持つと考えるので、仏法中においてはこれを「迷信」とせねばならない。

ということで。まあ、とりあえず。
745フルヴォリュームで名無しさん:03/03/02 23:40
>>734
言葉足らずでした。

>「袈裟の功徳で魚が救われる」というのは親鸞の教えからいうと
>確かにあほな話です。ありえません。

これはこのように訂正。
 「袈裟の功徳で魚が救われる」というのは文字通りに受け取ると、
 親鸞の教えからいえば確かにあほな話です。

もっとも、
 魚が弥陀の救いを信じ念仏するのか、
 念仏しない(と思われる)魚を弥陀は救うのか、
という問題も考える必要があるわけなんですけれども。
それに、私はNB氏ではないから彼の真意は本人に尋ねるしかない。

ここでの発端になった「清め塩は迷信か」ということも含めますと
「浄土真宗においては」という文言をはずしてはいけないと思います。
浄土真宗においては清め塩は迷信です。
迷信ではない、信じる、という人にとっては迷信ではない。
これが私の意見。
ありゃ、本人が書かれたか(w
747NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/02 23:47
ううううむ。すいません。
馴れ合うつもりでいったんじゃないんですが。

744の
>フルボリュームさんもご指摘のとおり
を、
フルボリュームさんも「ズレ」という言葉でご指摘のとおり

ぐらいにしときます。
748NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/02 23:48
ありゃ!ズレがありましたか(w
連レスついでに。

>>739
私は疎いんですけど知人の国文学者によれば
当時の文学表現からすると覚如の表現は今に通ずるといってよいほど
荒唐無稽ではないそうだ。
今でいう超常現象的、つーか非科学的な表現は少ないそう。
他のこうした先師伝はすごいことになってると聞いたことがある(w
そう考えると頓知話というのは乱暴ですが「幼童に対して」っていうのは
巧妙な場面設定だと思う。
覚如が親鸞を「特別な存在」にしたいっていうのは確かですね。
『御伝鈔』の初段にて明らか。
「わしはその曾孫やぞ!」の声が聞こえてくるくらい(w
750229ですが:03/03/03 00:10
いや,だから論説はそれで結構なんですけど・・・。

とどのつまり浄土真宗の坊主は剃髪してないから袈裟の功徳は
浄土真宗の坊主に関しては発生しないということでよろしい訳ですね?
暖簾に腕押しとはこのことか。
752NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 00:37
つうか。他板だったら「厨房逝ってヨシ」で片付くんだけど。
やっぱお坊さんって、捨てたもんじゃないよね。やさしすぎ。

ああもちろん。ぼくも含めて。エッヘン!(w
                _,.. ---- .._
              ,. '"       `丶、
              /            ` 、
            ,..-‐/    ...:  ,ィ  ,.i .∧ ,   ヽ.
.         ,:'  .l .::;',. :::;/..://:: /,':/  ', l、 .i  ヽ
.          ,'  ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/   ',.ト',_|, , ',.',
       ,'   .::::::!'''l/!:;'/ /'゙  /     '! ゙;:|:、.|、| 'l
.         ,'.  .:::::::{ l'.l/  、_  _,.      'l/',|.';|
       l  :::::::::::';、ヾ      ̄     `‐-‐'/! ';. '
.         ! :::::::::::/ `‐、        ゝ   |'゙ |
       | ::::::::/   \    、_, _.,.,_ ノ::: !   >>なもあみだぶつ
       |::::/.     _rl`': 、_     ///;ト,゙;:::::./
..      `´      /\\  `i;┬:////゙l゙l ヾ/   
                ,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l  / !.|
NBさん酔うてはるでしょ(w
そんなん言うてると煽られますえ。
755NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 01:26
あっははは。まあ、現在、日4ビ3ではありますが(謎
昨日でようやく一仕事終えたので、やる気マンマンです(謎

フルヴォリュームさんをフルボリュームさんと表記し続けて、
まああ、とりあえずスマソです。(これ言いたかった。

まだ宵の口。ああ、明日のお朝事はきっちりお勤めしますけど。
756NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 01:52
ああ、いや、ご忠告ありがとうございます。
まあ、>752に対する責任は楽しんで引き受ける
つもりでいます。

つか、ぼくも厨房なもので…。いや、開き直るんじゃないですが、
後で自分のレスを読み返すとそう思わずにはおれないことが多いんで。。
757名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 06:01
きもちわるい・・・>真宗の坊主
758吉水流:03/03/03 06:30
>>735
また曲解かよ(w
年号とあわせて生きてるかどうかぐらい小学生でもわかる。
脳内で生きていたことにしたいんか?という皮肉にマジレスありがとう。
漏れは口伝抄読んでない。そんな大名の使い方知らなかったよ。
ありがとう。これは素直に詫びよう(w
そんでいつもの脳内真宗坊主あつかい(プ漏れは真宗じゃねぇ
挙句は、犬猿の仲か(wそんなこといってね〜

って、いつもの渡海流のパターンにはまってるだけか>俺

あと宇都宮といってる香具師は笠間氏の間違いだろ。
笠間氏自体は宇都宮一門だから強ちまちがっているわけでもないか・・・
笠間氏はだいぶ援助したんじゃないの?これは俺の推測だけど。
親鸞一族+門徒だけで生活できるほど甘い時代じゃないでしょう。
パトロンがいなきゃ無理だ罠。

>赦免時に、吉水と越後以外に人脈があったとは思えないけどね。
..............「思う」だけかい。まぁれきしがくしゃじゃないから致し方ないね。
759名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 07:37
>>685
>袈裟を着て魚を食べたら、魚が解脱する

>>696
>袈裟を着て魚を食ったら、袈裟の功徳で魚が解脱する
>魚が袈裟の功徳で悟りを開く

>>709
>私は袈裟を着ていますから、この魚は救われるんですよ、
>それは袈裟の功徳があるからです

>>722
>袈裟にはそれを着て食べた魚を解脱せしむるほどの功徳がある。

>>725
>袈裟の功徳で魚が救われる
>私がつけている袈裟には功徳があって、それで魚を救うことができるんですよ
>袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたす

エピソードのことではなくて袈裟のことですよ。
そんな功徳が、袈裟にほんとにあるんですか?と訊いているんです。
迷信でしょ?と。
760名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 07:59
>>745
>浄土真宗においては清め塩は迷信です。
>迷信ではない、信じる、という人にとっては迷信ではない。

つまり傍から見ると、同じように袈裟も迷信なわけで、
五十歩百歩、目くそ鼻くそを笑う、ということになる。
実に滑稽ですな。
761719:03/03/03 10:44
>>731
以下,「私」をワタクシと読んでくださいね.
絶対的な神と私との対話.対話というか何というか・・・
自然と自分が遠い存在ですよね.

最も近い自然が私だと思うのですが,どうでしょうか?
あと,>>732を見ると,なんとなくなんですけれども,
神と阿弥陀を同じ土俵の上で評価しているように見受けられます.
傍から見ててのことなんで、スマソのですが、袈裟の功徳の話しと、清め塩とは同類の
ようには思えんのだが、
763731:03/03/03 15:49
>>761
>最も近い自然が私だと思うのですが,どうでしょうか?
そうかもしれませんが、人間は自分ではそう感じることが難しいと思うのです。
うまくいえませんが、近すぎて逆に見えにくいように思えます。
たとえ、その事を知識として知っていても実感はできないでしょう。
離れた対象があってこそ、見いだすことができ、翻って自分を見たときこそ
本当にそう感じられるのだと思います。

>神と阿弥陀を同じ土俵の上で評価しているように見受けられます.
これは全く逆ですね。同じ土俵に乗せられないからこそ、
神道的「神」に敬意を払うことと阿弥陀仏への信仰が自分の中で
矛盾することがないのです。
764名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 17:16
袈裟の功徳について。
この話が本当だとすると、他の僧が袈裟を脱いだのに親鸞はそのまま
だったということは、親鸞なりの意図があってそうしたはずだ。

渡海は頓知説だが、どういう意味で頓知という言葉を渡海が
使っているかわからない。冗談、もしくは軽く受け流したということか。
つまり本気で言ったんじゃないということか。

>このときの相手は幼童だ。仏法の神髄をいきなり話してもなかなか
 分からんだろう。相手を直ちに納得させるには、頓知が必要だ。

何を納得させるのか。親鸞だったら阿弥陀仏の本願だろう。
袈裟の功徳ということではないはずだ。
この会話のあとに、親鸞は仏法の真髄を時頼に伝えたのかどうか。
このことはNBが言うように、聖道の慈悲と浄土の慈悲との
かわりめであり、重要なポイントだから、親鸞がその場限りの
冗談ですますとは思えない。

この話が史実だとするなら、親鸞はなぜ袈裟をつけて魚を食べたのか、
その意図は何なのか。

そもそも、こういう席に9才の子どもがしゃしゃり出て、
しかも、客にあれこれと質問するものだろうか。
ボクは歴史学者じゃないから、鎌倉時代における子どものしつけに
ついてはわからないが。
765名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 17:24
次に、NBさん、あんたはまず、
>迷信じゃないです。そのほか経巻にも同様のはたらきを認められた
 伝承もありますよね。

と答えてますな。袈裟やお経には畜生を済度するはたらきがある、
と言っているわけだ。
畜生を救うぐらいだから、人間だったら間違いなし。
レクター博士も袈裟をつけて人間を食べたらよかったのに。
それはともかく、南無阿弥陀仏じゃなくて、南無袈裟霊服とか
南無妙法蓮華経と称えてもいいわけですね。みんな功徳があるんだから。
766名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 17:27
渡海説とは違って、親鸞は本気でこういうことを言った、
とNBさんは主張されているわけだ。それでね、
「とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむるやうにこそありたく候へ。」
この言葉は、おっしゃるとおり歎異抄の第4章によるならば、
聖道の慈悲ですよね。
「聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり」
そして、
「こころ俗塵に染みて智もなく徳もなし。なにによりてかかの有情をすくふべきや。」
この自己洞察、悲哀の口伝鈔の言葉は、歎異抄第4章の
「しかれども、おもふがごとくたすけとぐることきはめてありがたし」
と重なる。
そのあと歎異抄では
「今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。」
として聖道の否定するわけだが、口伝鈔では
「これによりて袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり」
と、浄土の慈悲ではなくて、袈裟の功徳という雑行雑修を説くわけよ。
おかしくはないか。

>目の前に料理として供された生命の生と死に対する慈しみと悲しみ、
 我が身の「機」のつたなさ。といったように仏道に眼を開かしめる

ま、もっともなご意見ですが、口伝鈔では袈裟の功徳で終わっている
わけでね。これじゃ仏道とは袈裟の功徳に極まってしまう。
阿弥陀仏の慈悲はどうなるんでしょうかねえ。
767名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 17:29
長々となって申し訳ないのですが、ついでに歎異抄第4章の
「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。」
という文章についてお聞きしたい。
念仏して、そして死んでから極楽に往生して仏になり、
そして衆生を助けるというように読めます。
つまり死後の世界を説いているように思うんですが、どうでしょうか。

それともう一つ、
>「祈り」にも似たふるまいであるとも
とNBさんは言われてます。
西本願寺では「祈り」を認めたと、新聞報道で読みました。
この場合、「祈り」をどういう意味で使われているのでしょうか。

三連発でごめんなさい。
731さんの神と仏論争の方が面白そうなのに、邪魔してごめんなさい。
768NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 17:44
ははは。楽しいっすねえ。

袈裟そのものの徳用を認めたのか?
と、問われればもちろん認めちゃいますよ(w

まあ、あとできます。
769真乱:03/03/03 17:48
袈裟が偉いんじゃない。
自力はよそ行きだけ。他力は地の力。
儀式も生活も,意識を使い分けて切り貼りしたりせずに
一貫してこだわりのない境地にいたれば髪型とかが問題
ではなくなる。
770719:03/03/03 21:37
>>763

>>最も近い自然が私だと思うのですが,どうでしょうか?
>そうかもしれませんが、人間は自分ではそう感じることが難しいと思うのです。
これは「南無阿弥陀仏」を称える事にも絡んでくると思うのですが・・・

まあ,とりあえず,膝は前側には曲げようとしても曲がりませんよね.
これは自然と,関節はある方向にしか曲がらないように,進化してきたからです・・・
771名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/03 23:30
まあまあ、NBさん
また阿弥陀仏の現世利益のお話でもしてくらはいよ
772NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 23:50
>>759
>エピソードのことではなくて袈裟のことですよ。
>そんな功徳が、袈裟にほんとにあるんですか?と訊いているんです。
>迷信でしょ?と。
とのことですが、ぼくが「袈裟の話は迷信ではない」とする見解を述べた>744は
>>686
>そしてその伝えたかったことは親鸞の気持にかなっているのか、それが問題なわけだ。
  と、
>歴史的事実かどうか、そういうことを言ってるんじゃないよ。

に従って答えてみたのであって、そうじゃなかったとおっしゃるならば>>696
お釈迦様のご誕生についての「神話」解釈もまた、もう一度考え直してみてほしいですね。
というか。ぼくとしては最初から一貫して、>>680

>この話のどこが
>>現代の真宗僧侶が忘れがち、つか無視しがちなとこ
>なのかわからんぞ。

に対して説明を加えていくことがレスの目的であったので、(それはもう一度読み返し
てくだされば分かると思いますが)>>689さんが「微妙に論理のすり替えにも思えてしま
うのだが」とおっしゃるのもまあ、確かに揚げ足とりっぽくも読めただろうとは思います。
(しかし、それについては「あなたを例として…」等と断りはいれてあると思うんですが)

ま、上のアンカータグのうち、689さん以外はすべてあなただと思うんですが、継続して
話を続けられるのであるなら、捨てハンでもいいですから使ってほしいんですけど。
それとも、ぼくからの問いかけには答えずに、ぼくを説き伏せたいだけならば、どうぞ
ご自由に。ぼくはおりますんで。「逃げた」とみなして勝利宣言でもだしてくださいな。
773NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 23:51
>>765
世間に五つの不思議を説くなかで、仏法最も不思議なりっすから。
仏智広大の宝海の中には袈裟の徳用が解脱を得せしめることも
きっと、あるんでしょうよ。
親鸞聖人も、袈裟の徳用を信ずればこそのお振る舞いであった
と思いますが、
      ※ぼくがごとき無智愚鈍の身にしてごくごく密かに案ずるに、
しかしさすがに、聖人も二双四重のどれに配当すべきかまでは
ご確信がなかったんじゃないでしょうかね。
我らが得がたくも横超の弘願の一法に遇うことを得たのは、
教主釈尊および七高僧のお導きによって、ようやくのことですし。
所依の経も論も釋も相承も明らかではない救済法であってみれば、
重ねて問われてようやくごく私的に所存を述べられたのであって、

>南無阿弥陀仏じゃなくて、南無袈裟霊服とか
>南無妙法蓮華経と称えてもいいわけですね。みんな功徳があるんだから。

ということにはならんと思いますね。
ですからここでは、やっぱり、袈裟の徳用がほんとかどうかよりも、
「聖道の慈悲と浄土の慈悲のかわりめ」を戴くべきが我らの分かと思います。

で、その「かわりめ」についてもご質問をいただいてますけど、
同じく『口伝鈔』の「凡夫として毎事勇猛のふるまひ、みな虚仮たる事」
をご参考になさってみられてはいかがでしょうか。と言うにとどめておきます。
(ただでさえ長文カキコばっかなもんで、たはは。)
まあ、あと、還相回向についてもお尋ねのようですが、正直、分かりませんねえ。
もしなんだったら、ちょうど今、宗教板に真宗スレがありませんので、立ててくださったら
一緒にお話しあえる時もくるかもしれませんね。どうでしょ?

まあああ、凡夫が仏になることの不思議さにくらべれば、袈裟が福徳蔵たることに
なにほどの不思議がありましょうかねえ(w
774NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/03 23:53
あああ、それから、「祈り」についても突っ込みありがとうございます。
時々そうやってネタをしこんだりするんですが、突っ込まれたのは
初めてでうれしいです。へへへ。

まあ、これも考えてみたいところですよねえ。今は自分でもよく
整理がついてません。
775NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/04 01:49
つうかやっぱり、真宗僧の反省すべき点こそもっとよく見るべきじゃないでしょうか。
229ですがさんだってご門徒さんだというのに。お念仏にご縁をいただきながらも
「真宗」に反発し、それでも尚、シュダオンだアナゴンだと道を求めていらっしゃる。
失礼なことをいうようでアレなんですけど、
涙ぐましいものを感じます。まあ、そんな同情はいらんといわれることでしょうけど。

「人間親鸞」をかさに着て、時と場合によって合理的な立場の迷信と仏教上の迷信を
ほとんど無意識的に、恣意的に使い分けるのは真宗僧の悪い癖だと思います。
それがどれほど他宗の方、および真宗の一般的檀家さんの宗教感情を逆なでしているか。
にもかかわらず、「袈裟の話」を排除しようとすることによって自己の立場をのみ守ろう
とする。ぼくの理解が正しいとか間違ってるとかいうレベルの問題じゃないです。
そんな独特の傲慢さに反省の目を向けないならば、229ですがさんの大乗誹謗の罪とが
は我ら真宗僧にも等しく及ぼされると思います。

じゃあ、面白くもない邪魔な「論争」のようなので(@>767)皆様さようなら。まあたねえ。
776763:03/03/04 02:59
>>770
>まあ,とりあえず,膝は前側には曲げようとしても曲がりませんよね.
>これは自然と,関節はある方向にしか曲がらないように,進化してきたからです・・・
失礼ながら私の理解力がないせいで、この文で何をおっしゃろうとしているかが
うまくつかめません。

話がだんだん最初の質問とズレてきたように思いますので、私の知りたい事を
簡潔に書きます。神道の「神」のみならず道教の神、ヒンドゥーの神、アイヌのカムイ、
ネイティブアメリカンの祖霊等々の「人間を越えたモノ」(≠絶対者)に対して
敬意を払うことすらも「神祇不拝」という立場からは禁止されてしまうのか、
ということをお聞きしたいわけです。

念仏の十種の益の一つに冥衆護持の益というのがあったと思います。
念仏者には善鬼神の護りがある、それは念仏者に対しては天神地祇も敬服
するからである、ということですね。

このような護りに対して「念仏者だから当然だ。」と考えて終わってしまうのか、
あるいは鬼神にも感謝しながら生きていくのか、どちらの態度が真宗として
正しいのでしょうか?この感謝も雑行なのでしょうか?
777名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 08:37
NBさんが
>>772
>ぼくが「袈裟の話は迷信ではない」とする見解を述べた>744は
 >>686
 >そしてその伝えたかったことは親鸞の気持にかなっているのか、それが問題なわけだ。
  と、
 >歴史的事実かどうか、そういうことを言ってるんじゃないよ。

>に従って答えてみたのであって、

と言っているのは間違い。長くなるが引用すると、

677 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/02/28 06:50
親鸞聖人が魚を食う時、袈裟を脱がないで食された。
他宗の僧侶は袈裟を脱いで食された。
そのことを問われた時、
袈裟自体の功徳によって魚をすくうためだ、
というようなことを親鸞聖人は言われたそうですが。

これは迷信ですか?

679 :NB ◆YIoCB90ZbI :03/02/28 08:26
>>677
迷信じゃないです。そのほか経巻にも同様のはたらきを認められた
伝承もありますよね。
現代の真宗僧侶が忘れがち、つか無視しがちなとこで、大いに反省
してみる必要のある大切な側面だと、個人的には考えます。

いささかいい加減では?
778名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 08:46
もう一つ、袈裟や経典の功徳を認めるならば、
お守りやお札の功徳もあろうというものじゃないか。

さらにもう一つ、
>聖人も二双四重のどれに配当すべきかまではご確信がなかったんじゃない
 でしょうかね。
 我らが得がたくも横超の弘願の一法に遇うことを得たのは、
 教主釈尊および七高僧のお導きによって、ようやくのことですし。
 所依の経も論も釋も相承も明らかではない救済法であってみれば、
 重ねて問われてようやくごく私的に所存を述べられたのであって、

こういうわけのわからないことを書き散らして、ごまかすのが得意技のようですね。

ついでに言うと、
>「人間親鸞」をかさに着て、時と場合によって合理的な立場の迷信と仏教上の迷信を
 ほとんど無意識的に、恣意的に使い分けるのは真宗僧の悪い癖だと思います。
 それがどれほど他宗の方、および真宗の一般的檀家さんの宗教感情を逆なでしているか。

これもよくわからない文章だが、迷信というのは合理的ではないと思うが。
合理的な立場の迷信とは何か、仏教上の迷信とは何か、わからない。
たぶんNBさんの言いたいのは、習俗や人情を単純に切り捨てるべきではない
ということではないかと思うが。

>にもかかわらず、「袈裟の話」を排除しようとすることによって自己の立場をのみ
 守ろうとする。ぼくの理解が正しいとか間違ってるとかいうレベルの問題じゃないです。

これはおかしい。袈裟の話は教学上の問題である。
どういうレベルの問題なのか。
779229ですが:03/03/04 09:36
>「真宗」に反発し、それでも尚、シュダオンだアナゴンだと道を求めていらっしゃる。
>失礼なことをいうようでアレなんですけど、
>涙ぐましいものを感じます。まあ、そんな同情はいらんといわれることでしょうけど。
つーか坊さんが訳のわからんつじつまの合わないことを言ってるから
まったく持って信用ならんのですが・・・。
納得いく説明を期待しているのですが話のすり替えは答えになってないよ。

>229ですがさんの大乗誹謗の罪とがは
何度も書いているように阿弥陀如来と浄土信仰は否定してませんからね。
勝手に拡大解釈しないでおくれ。
780229ですが:03/03/04 09:41
ちなみに袈裟の徳用は真宗の坊主は剃髪してないんだから
功徳が発生しないことにはなんの不合理的思考の入る余地はありませんが、何か?
「大乗誹謗の罪とが」なんかになる訳ない
781名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 10:18
>合理的な立場の迷信

ラリっているのかね?この人は。

>大乗誹謗の罪とが

これは非常に重い罪だとされている。
他人に対して軽々しく言うべきことじゃない。
ラリっているのなら仕方がないが。
782名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 11:07
我らの分ねぇ、いや、NBさんがかように言うのもわかる希ガスるな
783名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 12:10
たぶんNBさんは、民間伝承や伝説を史実ではないとか、迷信じみているとして、
否定、切り捨てることはすべきではないということを言いたいのだろうと思う。
それはその通りで間違いない。
しかし、そのことが袈裟に魚を救う功徳があるということや
そういうことを親鸞が言ったという証明にはならない。
二つのことをごっちゃにして論じているから、
なに言ってるのかよくわからなくなるんだと思う。
784719:03/03/04 15:17
>>776
>失礼ながら私の理解力がないせいで、この文で何をおっしゃろうとしているかが
>うまくつかめません。

別に理解しなくていいですよ.
単に,「自分というものが自然である」ということを感じることが難しいって
書いてあったから,その例えを書いただけだし.

そして,俺が書き続けた事も,ズレたつもりは無いですよ.

人間を超えたモノに畏敬の念を持つ事自体は別に問題無いのではないか.
ただし,自分自身も自然の中の一つであることを深く認識するべきであり,
深く認識できたならば,鬼神をまつる事について,もう一度考え直したら
良いのではないでしょうか.

そして,
>どちらの態度が真宗として正しいのでしょうか
この態度は尊敬できません.
真宗としての自分と,自分の思いとしての自分を2つ持ち合わせるつもりならば,
真宗人の立場は捨てた方がましです.
785名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 16:01
このスレのどのカキコが大乗誹謗の罪に当たるのか、教えてください。
このレス以外はすべて罪になります。785の問いも罪です。
787名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 17:22
>>786
何故ですか?
788名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/04 22:23
>>694
>めい‐しん【迷信】
>道理にあわない言い伝えなどを頑固に信ずること。

>>773
>所依の経も論も釋も相承も明らかではない救済法


いやはや、これを迷信と呼ばずして何というかな。
789あぼーん:あぼーん
あぼーん
790あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>788
>>所依の経も論も釋も相承も明らかではない救済法
>いやはや、これを迷信と呼ばずして何というかな。
細かいことを言うようですが、それは迷信というのは違うでしょう。
あえて言うなら外教、邪教などと言うべきですね。
ですね。
792名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/05 13:29
親鸞が佐貫で、衆生済度のために三部経を千部読誦しようとした。
苦しむ人々を目の前にしながら、何もできない。
自分ができることは経典を読誦することしかない親鸞が、
三部経を千部読誦しようとした気持はよくわかる。
しかし、親鸞は三部経の読誦をやめた。
このエピソードは袈裟と魚の話に似ているでしょ。オチが違うけど。
なぜ親鸞は衆生済度のために読誦することをやめたのかというと、
親鸞は専修念仏の道を選んだからでしょう。

で、このことは神と仏とについてもいえると思います。
神社の拝殿に上がる時には私も靴を脱ぐでしょう。
土足で上がろうとは思いません。それは礼儀です。
しかし、柏手を打とうとは思いません。

>境内にはいるとちゃんと神道式の拝礼方法(手水での清め、
 二礼二拍手一礼など)を行います。
とのことですが、これは神道の宗教儀礼を行っているということです。
あなたが真宗の僧侶であり、真宗の教えを選んでいるのならば、
こういう儀礼、清めとかを行う必要はないというか、すべきではないと思います。
せいぜい神前で頭を軽く下げればいいように思いますが。
そもそも、真宗の僧侶が観光以外の目的で神社に参ることがあるのでしょうか。
793真乱:03/03/05 13:53
そりゃーあたしは,師に勉強用にといただいた古袈裟の功徳を
あてにする身でありますが,宗祖からして袈裟の霊験なんかに
おもねっていたなんてね。
「五眼讃」で,晩年に宗祖の至った境地を想う人なので。

>>710>>719はどちらも共感したけど。鎮守の杜とか好きだし,
教書の「歴史と伝統をもつ他のすぐれた宗教との対話」の中に,
神道も入れてみたい。挨拶程度の感謝はまっとうな態度では?
粗暴な私は神殿でも,合掌して南無阿弥陀仏ですが。
794名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/05 20:02
>>791
>あえて言うなら外教、邪教などと言うべきですね。

なんと?
それではまるで、
 外儀は仏教のすがたにて
 内心外道を帰敬せり
というそのまんまではないですか。
とても清め塩とか神祇不拝とか、あぼーんとかゆっとる場合ではないと思いますぞ。
795776:03/03/05 21:05
>>792
これは程度の問題ですね。頭を下げたら敬意を表したことになるのか?
はたまた神道形式を守らないと表したことにはならないのか?
これは個人的な考えによって差違が出ることでしょう。

私は「神祇不拝」とはそのような形式を云々いうものではなく、「神に現世を祈るな」
「神を信仰の対象にするな」(≠神に感謝するな)ということだと思っていますので、
敬意を表すのに最上級の形式をとらせていただいておるわけです。

>そもそも、真宗の僧侶が観光以外の目的で神社に参ることがあるのでしょうか。
まあ私のもほとんど観光と言っていいでしょう(w 
信仰目的でいっているわけではないですから。
敬意を表すことと、信仰することとは区別して考えていますので。

それとも、「神」に神道形式で賽銭を出して参るという行為そのものが
もはや「信仰」というものになってしまっているとお考えですか?
796名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/06 08:22
>敬意を表すのに最上級の形式をとらせていただいておるわけです。
真宗門徒にとって、敬意を表す最上級の形式が神道式の拝礼方法というのは
おかしいと思います。

>「神」に神道形式で賽銭を出して参るという行為そのものが
 もはや「信仰」というものになってしまっているとお考えですか?
もちろんです。
津の地鎮祭訴訟では、地鎮祭は習俗であり、宗教ではないと判断されましたが、
これはキリスト教のようなものだけが宗教だと勘違いして、そんな判決が出たわけです。
おなじく、神社仏閣で賽銭を出すもんだというのは、日本人の宗教感覚です。
賽銭なんて、習慣にすぎないとか、敬意を表しているだけだというのは、
間違いだと思います。
797ほっとけ:03/03/06 11:56
賽銭ぐらい,乞食にでも神社にでも投げればいい。
むやみに敵視するのはそのほうが過大視で問題だ。
798719:03/03/06 12:06
神に敬意を表すということが,自然的なモノへの畏敬の念の再確認であるとすれば,
それは自力だと言われても仕方が無いと思いますし,私もそう思います.
そして同時に宗教的な行為であると思います.
宗教的な儀式のもとで,自分を高めていくようにしか感じられないし・・・

>私は「神祇不拝」とはそのような形式を云々いうものではなく、「神に現世を祈るな」
>「神を信仰の対象にするな」(≠神に感謝するな)ということだと思っていますので、
>敬意を表すのに最上級の形式をとらせていただいておるわけです。

それは神祇を拝む必要性が無いって事でしょ.

>念仏の十種の益の一つに冥衆護持の益というのがあったと思います。
>念仏者には善鬼神の護りがある、それは念仏者に対しては天神地祇も敬服
>するからである、ということですね。

って自分でも書いてるのに
799あぼーん:あぼーん
あぼーん
800名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/06 16:15
800GET
801名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/06 17:18
門徒が神祇不拝を言い出したのは外圧だろ。
はじめから理屈もない。ヘタレ一向宗。
>>794
> 外儀は仏教のすがたにて
> 内心外道を帰敬せり

考えてみたら、外儀がすでに仏教ではないみたいなので、
内外相応して問題ないのかも。
失礼しました。
803名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/06 19:53
>>794
自然的なモノへの畏敬は自然感情であり、自力ではない。
自力だと自分でも思うということは、単に神への敬意とかそんなんじゃない、
ということじゃないですか。
804名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/07 09:14
渡海こないね・・・
805名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/07 17:28
渡海はね、自分の言ったことが間違ってたと思ったら、素直に黙るんですよ。
>>803
あのう・・・、番号違いだと思うのですが。。。
807803:03/03/07 21:11
あれあれ、おはずかしい。
>>798でした
808NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/08 22:52
>>781
ほほう。ケンカ売ってんのなら買うよ。退屈だし(w
809719:03/03/10 15:42
>>803さん
 レスは嬉しいのですが,私の書き込みはすべて>>776さんへのレスです.
 なので,自然感情を起こすための儀式をする,ってことでは,それは自力だと
 言っているわけで・・・
810795:03/03/10 20:57
>>809
起こすための儀式というよりは、自分の中の敬虔感情を確認するための
儀式と言った方がいいかと思います。それは儀式を行う行わないにかかわらず
元からあるものなのですから。

さらにいえばこういった敬虔感情も、「自分が一番、人間が世界の頂点である」
と思い上がってしまう凡夫という存在を弥陀が哀れみ、知恵の光でその心を
照らすことによって初めて我々の中に生ずるものであり、如来からのありがたい
賜り物である、と私は思うわけです。
だからこそ、この感情を大事にしたいのです。
811719:03/03/10 21:08
>>810
いや,別に流してもらっていいんだけど・・・
それならば,「儀式をする」という行動を起こそうと思った瞬間に,
すでに敬虔感情が確認されているわけで,

・・・もう,どうでもいいです.がんばってください.
812810:03/03/10 22:28
・・・はあ、がんばります(w

最後に一つ聞きたいのですが、文章にわざわざ「,」と「.」を使うのはなぜですか?
煽りじゃないですよ。ただ何となく気になったもので。
813719:03/03/10 22:41
>>812
 句読点ね.
 意味はありそうで無いです.
 某理系学会の論文投稿規定の中に,

 「句読点などを適当に付ける。文末にはピリオドを付ける。
 意味をはっきりさせるために,語句の切れめには,コンマをおく。
 同格の単語を並べるときや,判読しやすくするときには「なかてん」(・)を用いる。」

 ってあるんですよ.
 だから,俺個人のパソコンはピリオドとコンマにしてるんです.
814名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/11 08:15
719みたいに、レスをもらって文句をつける、
答えをもらっても、どうでもいいと言う、
そんなのが真宗の坊主なのか。
815あぼーん:あぼーん
あぼーん
816719:03/03/11 15:49
814は放置?
817名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/11 21:03
広島の校長が自殺した原因の大元は真宗の坊主らしいね。
人を自殺に追い込んでおいて、人の葬式をあげてんだから話にならねーな。


>>817
ソースは?
819名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/12 03:47
大先生を見習いましょう
820名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/12 21:10
一向宗のクソ坊主、いい加減にしとけよ。神祇不拝というのなら一人残らず
焼いてやる。
死んでから焼いてね
822山崎渉:03/03/13 13:31
(^^)
823名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/13 16:49
焼いてどうする気?
824ほっとけ:03/03/13 18:33
オハライか,信長か。
825たまには謙虚な719:03/03/14 08:28
795さん,まだここを見ていたらレスをお願いします.
私の勘違いかなぁって思ったもので・・・

私は795さんが真宗のお坊さんだと思って書き込みしてきたのですが,
本当は違っていたりするのでしょうか.
だとすれば,だいぶ失礼な書き込みをしたかと思うのです.

「がんばってね」っていうのを,あの時点では真宗の坊さんに,
ものすごく毒を込めて書いたつもりだったのです.
が,思惑がはずれてしまって,
いま,冷静に考えると,「もしや」と思ったもので・・・

だと>>814さんの書き込みも納得いくし.
私,坊さんちゃうけど.
真宗門徒は仏教徒なんだから最終目的を自身の解脱・悟りに置く。
それを可能にしてくれるのは南無阿弥陀仏以外にはないと考えるのが
真宗門徒なのだから、南無阿弥陀仏以外の諸仏諸神を帰依対象とはしない。

その間にも南無阿弥陀仏のお育てによって「おかげさま」の日暮らしが
身に付く。身近にある神社仏閣の諸仏諸神にも「おかげさま」を感じるようになる。
町内会長さんや地域の交番のお巡りさんに「お世話様です。ご苦労様です」と
挨拶する程度に、諸仏諸神にも敬意を払う。

こういった感覚じゃないでしょうか?門徒って。

とくに神様については、ウチの院家は面白い説明をしてくれる。
「神様っちゃうのは、政治家やヤクザの親分みたいなものと思てたらエエ。
頼りになるときもあるやろが、タダでは動いてくれん。それどころか、下手に
恩義を絡ませて、無理な強要を求めてくることも多い。ほどほどに付き合え」



827795:03/03/14 18:46
>>826
いや、私は>>710でも書いたとおり真宗の僧侶です。
あの「がんばってください」という文をみて「ああ、あきれられてるんだな」
と思いながらレスしましたよ。皮肉だとわかっていたから「(w」をつけて返したんです。
(苦笑)とでも書いておけば良かったですね。こっちの思惑もはずれましたよ(w

ただ>>814さんはそんな投げやりっぽいあなたの態度を見てああいうカキコを
したんだと思います。

>>826
まさに私もそういった感覚なんですよ。敬愛するけど信仰対象ではあり得ないんです。
その住職さんの例えは面白いですね。今度お説教で使わせていただきます(w
828827:03/03/14 18:51
すいません。文章の上二段は>>825さんへのレスです・・・。
829名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/15 12:44
一向宗の坊主どもが犯罪の温床朝鮮学校卒業者を国立大学へ入学させろ!
とほざいてるのはいい加減ウザイ。
最近、大谷派のバカどもちょっと調子乗りすぎだな。
830ほっとけ:03/03/15 13:46
そうか,国立大学で勉強すると犯罪傾向が加速するのか
831719:03/03/15 17:53
>>827さん
あれ?
神に感謝するのが能動的か受動的かで,
827さんの書き込みが能動的だと感じたもので・・・
「祈る・祈るべきではない」が,「好き・嫌い」の違いでしか無いような気がしていてね,
だからこそ,議論の対象外に感じたんです.
「あきれ」ではなく,「間違えた所に頭突っ込んじゃった」っていう方ですね.


私自身では,
どうしようも無くて神に祈るしか無かった頃と,
今,余裕のある中で神に祈るのと,
同じ「祈る」でも根本的に違うモノを感じるんですよね.

あえていえば,地震とかで家が壊れちゃったりしたら,
俺なら「畏敬」ではなく,「コンチクショウ」って思うだろうと・・・
そっちの方が,俺の中では自然な感情だろうなぁってね.


んで,実はそんな難しい話じゃなかったんでしょ.
俺だって,合唱で「もろびとこぞりて」とか歌っちゃったりするけど,
門徒だから歌わない!って事は無いもんね.
その程度の話なんでしょ.
832827:03/03/15 22:00
>>831
どちらかといえば、自分では受動的だと思っています。
私は何も神を信仰するために神社へ行くわけではなく、歴史、建築、宝物、巫女さん(w
などを見に行ったとき、その場でわき上がる敬虔感情にしたがって「参拝」という形を
取った挨拶をしているだけなんです。何が何でも神社に参って感謝しなければいけない
ということではないんですよ。それならうちの寺に神棚を置かなけりゃならない(w

ただ、「神祇不拝」という言葉を字ずらだけ見て、人間の自然にわき上がる敬虔感情
すらも排除してしまおうとする知り合いの僧侶の姿勢を疑問に感じたので、
>>710の様な質問を書いてみたんです。

>あえていえば,地震とかで家が壊れちゃったりしたら,
>俺なら「畏敬」ではなく,「コンチクショウ」って思うだろうと・・・
>そっちの方が,俺の中では自然な感情だろうなぁってね.

まあこれで「家が壊れて不幸だ」と思うか「命が助かってよかった」と思うかは
人それぞれだと思いますが・・・。
833827:03/03/15 22:09
あと、>>796さんの様な方に対して私の考えを。

私は「信仰」というものはその「形式」と「心」が、真宗で言うならば「念仏」と「信心」が
両方備わってなければいけないと思います。たとえ神に向かって参拝したとしても、
そこにその神に帰依する心(≠感謝の心)が無ければ「信仰」とはならないと思うんです。
要するに、私のような挨拶気分の参拝などで「信仰」を名乗るなどと言うことは、
「信仰」という言葉に対する冒涜だということです。だから私にとっては

神社に参ること≠その祭神を信仰すること

なんです。
834229ですが:03/03/16 11:45
「神祇不拝」って坊さん同士で言う分にはかまわないけど
信者・檀家には言わないで欲しい。
坊主が熱心に言えば言うほど不幸になる一般人が増えるからな。

過去ログにも書いたけど北陸のオラの親の地域は地鎮祭しないで
家を建てるから(完成すると高い確率で家人が死ぬから)わざと
見えないところを一部分完成させないまま家に住んでいるんだわ。
これは取りも直さず地主の神に非礼がある証拠だわな。

それと井戸や小川を祭式なく埋めたり大木を切ると水神さんからお叱りを
受けたり木霊の祟りがあるわけだが、うちのお爺さんは生前そんなことが
あるとは知らずに小川を埋めてしまってすごいことになったぞ
(あまりにすごい内容なので詳細はかけないが・・・。)

宗教家を名乗るなら少なくとも他人を間接的にせよ不幸に導くようなことは
言うなつー事でよろしく。
835ほっとけ:03/03/16 17:00
北陸の自然崇拝は立派なものらしい。それはいいが,地鎮祭さえしたら原発も安全なの?

神は,軽く見るとたたられるという不幸を作るものってことで。
836229ですが:03/03/16 17:57
>北陸の自然崇拝は立派なものらしい
推測で物言わんといてくれる?

>地鎮祭さえしたら原発も安全なの?
あんたアホちゃう?小学生でもそんなこと言わんで!
>(完成すると高い確率で家人が死ぬから)

人が死なない家なんてこの世にあるんだろうか・・・・?
「229ですが」さん、ちょっと電波ですぎ、きをつけて
839229ですが:03/03/16 22:21
>>837
早死にと病死は普通じゃないと思うけど?

寿命が来て死ぬのは極あたりまえだけど(一刻も早く往生したい坊主ならいざ知らず)
一般人は寿命まで健康で生きたいと考えるのが極普通だと考えませんかね?

ほっとけなる投稿者は
>神は,軽く見るとたたられるという不幸を作るものってことで。
と言っているが単純に(余りのデタラメぶりに)神仏に嫌われてるだけだわな(笑)
好かれているなら阿弥陀様でも他の神仏でも加護があると思うけど
早死に病死は往生が近づいておめでたいとでも言うのかね?
(それとも本心は信者・檀家さんが死んでお布施がもらえて嬉しいって事かい?)
>早死にと病死は普通じゃないと思うけど?

よくある死に方の一つです。別に異常じゃありません。

寿命まで生きられるのが当然だという前提の方がおかしいのでは?
841229ですが:03/03/16 22:43
>>840
>よくある死に方の一つです。別に異常じゃありません。
ふ〜ん。冷血漢なんだね。

身内の悲しみに追い討ちをかけるような世間の人情も知らないような
冷血漢が浄土真宗には多いようですね。
要するに自分の死後の往生しか考えてないってことだ。
(これまたおめでたいったらありゃしない)
>>841

話がすり替わってるね。
843229ですが:03/03/16 23:30
いや、話の本筋は浄土真宗の坊主が阿弥陀如来から聞いたわけでもないのに
勝手な作り話のデタラメを言うから問題があるという事なんだがね・・・。

まあ昔から坊主が好んで言うには「嘘も方便」と言うのがあるから
それをそのまま地でいっているんだろうけどね(笑)

そういえばうやむやにされたままだけど剃髪していない浄土真宗の
僧侶の袈裟の徳用は結局誰もまともに答えられてないやん。
とどのつまりこれもその場限りの適当な「嘘も方便」だろ?
単なる229の発言に対する指摘が
なんで身内云々の話になるんだ?
840は229に対しての発言であって、
死者の身内に対する発言じゃないだろ?

それとも「早死にや病死は異常ではない」に
反論できないから感情論を持ち出したのかい?

死に方に良い悪いって勝手に価値をつけるのは死人に失礼ではないのかい?
845719:03/03/16 23:42
>身内の悲しみに追い討ちをかけるような世間の人情も知らないような
追い打ちをかけてるのはどっちだろう

「あの家の人,地鎮祭をしないから早死にしたのよ.」
そんなこと言われたら,あなたどうする?
846719:03/03/16 23:59
忘れてた.
>>832(=827)さん,レスさんくすです.
229さんにお聞きしたいのですが、あなたは地鎮祭をやらなかったことと
その家の人が亡くなったこととの因果関係がはっきりとわかるのですか?

このスレを読むとあなたは俗に言う「霊媒体質」のように見受けられますが、
この因果関係が感覚的に理解できると言うことでしょうか?
それとも単に「祟り」というものの存在を信じているからですか?
なんかもう、真宗がどうのとか関係なくなってきたな。
>>845
地鎮祭をやり直すだけだけど。

それはそうと、>>843でも言われているが、
何で袈裟の話には乗ってこないで、地鎮祭とか、
浄土真宗的にはどうでもいいような話には乗ってくるんかな?
開祖が念仏の他に袈裟の功徳を信じてた、
つー方が、よほど大問題だと思うのだが。
850229ですが:03/03/17 00:31
>>719
>「あの家の人,地鎮祭をしないから早死にしたのよ.」
>そんなこと言われたら,あなたどうする?
あほかいな!現実に何人も過去に変死しているから未完成のまま残すと言う事を
当地では地鎮祭をやらない代わりの習慣儀礼としてやっているんだわ。
本当に何もなければなんでわざわざ新築の家を未完成で残す必要がある?
ほんまに門徒物知らずでおめでてえな!

>>847
>このスレを読むとあなたは俗に言う「霊媒体質」のように見受けられますが、
>この因果関係が感覚的に理解できると言うことでしょうか?
この質問に対する答えは「YES」
霊媒体質と言うより霊感体質だと思います。(霊能者ではないヨ)

だからこそ
「坊主が熱心に言えば言うほど不幸になる一般人が増えるからな。」
と言ってるわけ。(この場合の坊主は近年の浄土真宗僧のこと)
まあオラの扱いは電波君でいいけど嘘も方便の大嘘つきが
(一般人なら単なる個人の意見の相違でいいが)世間では袈裟を着ていれば
プロの宗教家だから一般人は嘘に騙されるわな。
>>850
感覚的にわかるということでしたら、それがわからない(感じることのできない)
他の人達といくら議論してもお話は平行線のままだと思います。
もし議論(説得)をお望みでしたらもう少し客観的な証拠を持って
因果関係を説かれる必要があると思います。

>霊媒体質と言うより霊感体質だと思います。
この二つの違いがよくわかりませんので説明して下さるとうれしいです。
852229ですが:03/03/17 01:18
>>851
>もし議論(説得)をお望みでしたらもう少し客観的な証拠を持って
>因果関係を説かれる必要があると思います。
あのう・・・袈裟の徳用はいったい何時になったらまともな回答がもらえるのでしょう?
剃髪していないのになぜ徳用が発生するのか感覚的に判る判らないとかそれ以前の問題ですよ。
論理的・客観的に説明できないのはお得意の「嘘も方便」だからですか?

説いているのは僧侶の方で在家の私は聞いている方ですから
袈裟の徳用については因果関係を説くのは僧侶側だと思いませんか?

>>霊媒体質と言うより霊感体質だと思います。
>この二つの違いがよくわかりませんので説明して下さるとうれしいです。
霊媒体質は霊に憑かれた場合、憑いた霊の性格の影響を受けますが(巷で言う憑依)
霊感体質も影響を受けますが自分の意識はなくなりません。(体調の変化はあります)
神霊に帰神されても人霊の憑依でも自分の意識や意思はなくなりません。
厳密には中間の人もいるので霊媒体質と霊感体質の境目がハッキリしないのですが・・・。
(神懸、神憑、帰神と状態があるのですが説明するとすごく長くなるので割愛します)

なお霊媒・霊感体質の多くの人は手相で言う所の仏眼というしわがあります。
親指の第一間接の内側のしわが横から見た凸レンズの形になっています。
ただし繰り返して言いますが霊感体質≠霊能者なので誤解なきようお願いします。
霊的な影響を受けやすいと言うことで必ずしも霊能力があるということではありません。
853719:03/03/17 01:23
まあ,どうせ句読点で俺が719だってわかってしまうだろうから,しばらくこれを名乗ろう.

>>849さん
きっと,あなたと私では「非僧非俗」や「往想還想」や「大乗における仏」の解釈も違うだろうし,
以下の意見は俺独自の考えだと思うし,ソースも無いし,
納得してもらうことはできないかなぁ〜って思うけど,
私自身の考えをまとめるつもりで,一応書いてみます.

聞いた話だけれど,「頭を剃るという事」,「袈裟を着るという事」,「法名を名乗るという事」は,
僧となるという事の自覚を表しているそうだ.
袈裟を着るというのは,自分は僧であるという自覚の象徴だと思う.

魚に限らず,何かを食べる事自体が,生きていく上では仕方が無い.
命をいただいて生きなくてはならない自分の存在を,今目の前の魚を通して自覚する.
それはまさしく,魚というものを仏として認識していることになるだろう.

袈裟を脱いで,仏教徒とは違う何かにならないと魚を食えないのならば,
それは仏としては認識できない.
ならば,それは親鸞にとって,袈裟の功徳があったといえるのではないでしょうか.
854719:03/03/17 01:33
って書くと,剃髪の話になりそうだから,一応そのことも書くべきかな?
落飾という意味があるそうです.
飾りを落とすってことね.

これは実際に見栄えを良くしようという形の他に,
身分とか,そういった自分を飾るものを捨てて,
自分自身を見つめ直すという意味があるみたいです.

しかし,剃髪していると,みんなから坊さんだって思われる.
坊さんという身分を手に入れる,っても考えられるわけで,
形が重要なのではなく,意味をいただけば良いと考えています.
855229ですが:03/03/17 01:33
849はオラとは別人だが
>>853・719
>袈裟を着るというのは,自分は僧であるという自覚の象徴だと思う.
袈裟の功徳はその説明で良いとして
剃髪していないのに徳用が発生するという理由は
いったいどこに書いてあるのかにゃ〜??????
856719:03/03/17 01:37
>>855(=229)さん
夜遅くまで,お疲れ様です.
同じ時間での書き込みだったみたいですが,上の説明ではどうでしょう?

とりあえず,寝ないと明日辛いので,これで失礼します.
857ほっとけ:03/03/17 13:35
229さんは,誰かが何か犠牲を払ってくれないと自分は救われないと思ってない?
甘えを捨てられたら,超能力者になれるのかも。
「地鎮祭をしないので、未完成にしました。」
「え?どこが未完成なんですか?」
「神棚を作りませんでした。」
っていうオチじゃあないだろうな(w
859229ですが:03/03/17 20:30
>>719
>形が重要なのではなく,意味をいただけば良いと考えています.
天台真言禅宗等の他宗派のツルピカハゲマル君には袈裟の徳用があると言うなら判りますが
実際には浄土真宗の僧侶は剃髪していないから
「剃髪していないけど徳用があるような気がする」
という単なる希望的観測ですかい?

で、849さんは719氏の解答で納得できるのかな?

>>857
>誰かが何か犠牲を払ってくれないと自分は救われないと思ってない?
思っていませんが
860名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/17 20:32
門徒はカルト。
861719:03/03/17 21:06
どうしても剃髪と袈裟がコンビを組んでないと、徳用が無いと言いたいみたいですね。

>単なる希望的観測ですかい?
とありますが、>>853,854を読んで、袈裟の功徳が希望的観測だと思うのであれば、
私の表現不足か、あなたの日本語の理解不足です。

それと、>>677あたりから親鸞と袈裟の話が始まったと思うのですが、
剃髪と絡み始めたのはどのレスからか、教えてください。
どうも、剃髪していると有り難いという、先入観だとしか思えないのです。
だとすると、それは坊さんが言い始めたとは思えないし。
862719:03/03/17 21:20
すまん。自分で見つけた。剃髪との絡みは>>737からだね。
>>854の続きになると思うけれど、自分自身を見つめ直す為の落飾なんだから、
スキンヘッドが坊主としての飾りになってしまったら元も子もない。

親鸞は愚禿と名乗ったわけだけれど、禿というのは元々は髪の毛の全く無い状態ではないらしい。
これも聞いた話なので、間違えていたら教えて欲しい。
髪の毛を全て剃ってしまった状態と、普通に伸びている状態の間の、中途半端な状態だそうだ。
そういえば、坊主頭というのは、完全につるつるでなくても言うよね。
>そういえば、坊主頭というのは、完全につるつるでなくても言うよね。

そうそう、高校球児とかね(w
864229ですが:03/03/17 22:04
>> 862(719)
そう。737からです。
>剃除鬚髪し、袈裟を被服せんは、たとい戒を持たずとも、彼等はことごとく
>すでに涅槃の印のために印せらるるなり。
こう書いてありますが剃髪が飾りかどうかではなく現実に剃髪してない髪の毛フッサールでどうして
徳用なのか納得できる理由は737以降のどこに書いてありますか?
この文を見れば戒を持たなくても袈裟を着て剃髪していれば徳用があると思えますが
剃髪してないんだから徳用があるはずないのになぜ「ある」と言うのかと聞いているのです。

(剃髪後に髪が自然にが伸びた状態なら別に良いけど浄土真宗の坊さんって
整髪料つけたりオールバックだったりして短髪じゃないよどう見ても。
オラ京都に住んでいるから西と東の両本願寺の坊さん見るが
一般人と何ら髪形変わらんけどねえ〜!)
865719:03/03/17 23:06
>>864
先にも書いたように,剃髪と袈裟は仏弟子となる自覚の象徴です.
本願寺でも得度の時には男性ならば必ず剃髪しますが,それは仏弟子の名乗りです.

そして,恐らく229さんは,袈裟と剃髪が揃うと,
不思議な力で他のモノを成仏させるとか,涅槃に入らしめる,という認識だと思います.

しかし,あくまで私は,仏教は内(観)道だと考えています.
>>737にある言葉も,仏教書内にあったのだから,仏教の視点から読むべきです.

他に対して不思議な効果を発揮するアイテムとして考えるのではなく,
自分というものは何であるのか,ということを覚ろうとすべきである,
という自覚が重要なのではないでしょうか.
その視点に立たない限り,あなたと私は常に平行線です.
866719:03/03/17 23:15
ついでに,「剃髪」と「袈裟」が揃うと,どういう徳用があると考えているのか,その答えをいただきたい.

>天台真言禅宗等の他宗派のツルピカハゲマル君には袈裟の徳用があると言うなら判ります

判ってるみたいだし.
867229ですが:03/03/17 23:17
>不思議な力で他のモノを成仏させるとか,涅槃に入らしめる,という認識だと思います.
なんや737の(化身土巻)は結局内観で本人がそう思うだけで他人から見たら嘘も方便かいな

>もし議論(説得)をお望みでしたらもう少し客観的な証拠を持って
>因果関係を説かれる必要があると思います。
つー意見があるけど
>しかし,あくまで私は,仏教は内(観)道だと考えています.
浄土真宗的には内観が客観的な証拠かい?
(誰か一連の解答を在家の人で納得できた人いるかい?)
868719:03/03/17 23:20
嘘も方便も言っていないと思いますが?
ちなみに,「成仏」の意味知ってる?
869719:03/03/17 23:20
訂正
「大乗仏教でいう成仏」の意味知ってる?
870229ですが:03/03/17 23:34
>ちなみに,「成仏」の意味知ってる?
日本では二つの意味がありますね。
一つは本来の字のまま「仏(如来)になる」(六道輪廻からの解脱)
二つ目は「死後迷わずあの世に行くこと」

ちなみに浄土系宗派では死後に転生した浄土で悟りが開かれると言うことに
なっているので現世での成仏は絶対にありえません。
547でNB氏が
>ちなみに、真宗の往生即成仏の義にしたがって往生の本義をたどれば、
>往生とは、釈尊がチュンダの供養によって有漏の穢身を捨て離れ、
>無住処涅槃に住されたこととまったく同じこと。
と書いているがこれは明らかに矛盾している。現世で成仏はありえないのに
往生はまったく同じ事と言うのはつじつまが合わない。迷妄。
本気で言っているんなら破門&追放。
871719:03/03/17 23:38
>ちなみに浄土系宗派では死後に転生した浄土で悟りが開かれると言うことに
>なっているので現世での成仏は絶対にありえません。

面白い.
浄土真宗の人で,死後の成仏を言っている人がいたら見てみたいものだ.

「嘘も方便」なんじゃなくて,単なる間違いじゃん.
872229ですが:03/03/17 23:39
明日も仕事なので今日はもう寝るわよ

一般人の方の意見、感想も聞いてみたいところですね。
ではまた。
873719:03/03/17 23:44
うーん,ついつい「書き込む」ボタンを押してしまう.
もっと推敲してから押すべきですね.ごめん.そして,連続書き込みもごめん.

>>871の訂正.
「嘘も方便」とあなたがた(229さん)は言っていますが,
それはあなたが間違えて読んでいるから嘘だと思うわけで,
もう少し,親鸞思想や浄土思想を学んだ上で読んでください.


んで,俺も明日の仕事のために寝ます.
俺も229さん意外の意見を聞きたいです.
874229ですが:03/03/17 23:47
ふ〜ん、浄土真宗ってそうなんだ。
>面白い.
>浄土真宗の人で,死後の成仏を言っている人がいたら見てみたいものだ.
浄土信仰で生きている間の自力での成仏はありえないのに
他力の成仏で生身で成仏出来た人はどこにいるの?
ねえねえ教えてよ会いに行くから。
875849:03/03/18 00:20
>>853
>袈裟を着るというのは,自分は僧であるという自覚の象徴だと思う.
これはわかりますが、

>命をいただいて生きなくてはならない自分の存在を,今目の前の魚を通して自覚する.
これが、袈裟となんの関係があるのかわかりません。

>袈裟を脱いで,仏教徒とは違う何かにならないと魚を食えないのならば,
>それは仏としては認識できない.

袈裟を着ていなければ、仏教徒ではないのですか?
袈裟を脱ごうが脱ぐまいが、魚を「仏として認識」することはできると思うのですが。

>それは親鸞にとって,袈裟の功徳があったといえるのではないでしょうか.

袈裟の功徳があった、つまり、魚を解脱せしめ得たと、言われるわけですね?
876NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/18 00:27
放置、と、答えられない、を混同しないこと。
袈裟そのものの功徳、と、袈裟をつけた坊さんの功徳、を混同しないこと。

とはいえ。

法然聖人ある時のたまわく。「こうべを剃るとも、こころを剃らぬということあり」と。
これをもって案ずるに、剃除鬚髪は外相のみを言うにあらず。内相の剃髪ということ
あるべし。内相の剃髪とは即ち、勝他・利養・名聞を剃除するとなり。
外に剃髪の相を現ずるといえども、内に鬚髪を蓄えたれば、その甲斐なし。
今、浄土真宗の僧侶は名号を我が心とす。名号は多善根福徳の因縁なれば、
外相のみを剃除鬚髪したる相に比べるに、その功徳は無量無尽恒河沙阿僧祇兆載永劫だの
ナンダノを百億万倍すると言えども、まったく比べるべきにあらず。鬚髪を自然に剃除して
無尽の福徳功徳を蓄えること無量なり。知るべし。
また、南無阿弥陀仏の名号は、如来清浄の本願功徳成就の無智の智、無相の相なれば、
これを戒律と受けたる僧において、その外相に万の別あり。またまったく驚くべきにあらず。
或いは剃髪あり。或いは短髪あり。或いは長髪あり。乃至、茶髪あり。パーマあり。
バーコードあり。
しかりといえども、これらの外相、皆悉く末法濁世の衆生のために仏事をなし、福田と
なりて仏道に引誘せしむること無尽なりと知るべし。以上。

まあ、719さんと同じことが言いたいだけなんだけど。あはは。遊んでみました。

袈裟そのものの功徳については、『金襴袈裟福徳功徳経』にあきらかなり。
しかりといえどもかの経、仏の般涅槃の後、竜宮に没して娑婆に流布せず。
もし観んと欲さば、速やかに浄土往生して仏智を覚るべし。なあんちゃって。
877NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/18 00:29
あ、ちなみに>>870-871は放置としておきましょうか。とりあえず。ははは。
878名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 08:41
>>871
現世での成仏を真宗では説かないと言う229ですがの説は正しい。
現世での成仏とは即身成仏である。となると成仏は死後。
で、往生はいつかということだが、現世というのが主流だと思うが、
本派では死後往生という説も根強い。
879名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 08:47
経典や袈裟の功徳ということはたしかに言われていることだが、
しかし親鸞においてはそういう功徳をどう考えているか。
>>792
ここに書いてあるように、佐貫で三部経を読誦しようとしたことと、
袈裟をつけたまま魚を食べるということは、同じ行為である。
しかし、三部経読誦をやめた親鸞が、袈裟をつけて魚を食べることが功徳だと
言うとは思われない。

>>876
だからどうした。大蔵経をひっくり返せば何でも書いてあるぞ。
880名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 08:49
非僧非俗ということだが、親鸞は髪を剃り、僧服を着て一生をすごした。
公には僧とは認められない(非僧)が、俗ではないんだ(非俗)という
矜持があったんだと思う。
今の坊主どもは、非僧なんだから髪は伸ばしてもいい、女とやってもいい、何してもいい、
だけど非俗だから、一般人よりもえらいんだと思っているアホばかり。
881あぼーん:あぼーん
あぼーん
882名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 10:44
>>878の補足
往生が死後だとしたら、往生=成仏ということが成り立つ。
法然の考えはこれだったと思う。
それまでの浄土教は、浄土に往生して、そして修行して、そして成仏する、という教えだったが、
法然は往生することが救いなんだとした。
そして親鸞は現生において正定聚に住することが救いとしたわけです。
以前、岩波の仏教辞典の「往生」の記述でもめたことがあったけど、
往生=成仏を言うNBが本派の僧侶だということは、なるほど、とうなずけます。
883名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 11:25
少なくとも本派では死後即座に極楽往生して、往生すれば即座に成仏、
つまり死即往生成仏、つまりつまり死後成仏以外に教えていない。

このようなスケジュールが人に発生するには、本願力による他力信心を
生前に獲得することが唯一の「条件」とされているので、その「条件」が
生前に整った段階で「救われた」という表現が行われる。

この場合の「救われた」は未来にある死後成仏が、いま決定した、という
意味なので、言葉の使い方として、生前に現世で往生したとか成仏した、
とかとは言わない。

大ざっぱに真宗教義を整理したらこんなとこでしょう。
884名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 11:35
ちなみに、愚禿の禿はカムロの意。オカッパ頭みたいな髪型。
髪が目や襟足に触れるほど不愉快にのびた段階で
乱暴に毛先だけをジョキジョキをカットしていたらカムロになる。

885719:03/03/18 12:39
南無阿弥陀仏は諸仏だと思っていましたが・・・
そもそも非僧非俗と言った時点で袈裟を脱ぎ捨てなかったのは重大な間違い。
袈裟を着れば民衆はその外見から聖なるものとして崇拝する。
浄土真宗の坊主が袈裟を着続けたのは、どこか自分たちは一般人よりは偉いんだ
という意識があったからだろう。崇められたいという欲望があったんだろう。
非僧なら袈裟を脱ぐ。そして非俗と言うなら、それは意識の上において実現すべき
であって、外見においてではなかろう。
887719:03/03/18 13:16
>>886
非僧非俗の「僧」とは,国から認められた僧,という見解は無視なわけね.
888ゲッッッッット!!!
889名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 13:48
非僧非俗を仮に袈裟の有無で語るのなら、理屈としては、
聖人が袈裟を着ない場合か、凡人が袈裟を着る場合か、
のどちらかになるだろう。真宗じゃぁ後者になる罠、当然。
890名有りさん@奈良板でもないよ:03/03/18 14:15
>>889
>凡人が袈裟を着る場合か、 のどちらかになるだろう。
        非凡なウソつきが袈裟を着てる場合もある罠
>非僧非俗を仮に袈裟の有無で語るのなら
という時点でズレてるような気がする
>880
>非僧なんだから髪は伸ばしてもいい、女とやってもいい、何してもいい、
それは基本的に履き違えてますよ。
893名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 17:03
>>892
どうはきちがえているのでしょうか。
もっとも非僧だから何をしてもいいと、言い訳するほど真面目な坊さんは少ないけどね。
たいていは当然のことと考えているから。
894名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/18 17:04
>>884
親鸞の肖像画を見ると、おかっぱ頭には見えませんよ。
まあ
>非僧なんだから・・・何してもいい、
ちゅうのは違う罠
896NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/18 20:02
>>879

なぜにそんなにケンカ腰?
ま、別にいいけど。ただ、大蔵経をひっくりかえしたって、
そんなに何でも書いてあるわけじゃないと思うんだけどなあ。

ま、いいや。ひっくりかえしてなんでも言ってみてくださいな。
話しはそれからだね。NBとしては『大宝積経』の「摩訶迦葉会」
あたりをお勧めしときましょうか。
897229ですが:03/03/18 21:22
チョコッと整理します。

J宗では「清め塩は迷信です」と神社神道の習慣儀礼を否定しています。
しかし「袈裟の徳用」は迷信ではないと言います。しかも袈裟を着て食べられた
魚が解脱するとまで言います。魚は念仏を唱えられないのに解脱するんですね。

当然ながら魚が解脱するぐらいですから生きている時に往生が確定しなかった人でも
袈裟を着たJ宗の僧侶に食べてもらうと(マンイーター)確実に解脱するわけですね。
死人の生肉を食べると死体損壊の罪に問われるので火葬後の焼け残ったお骨を
ポリポリと骨壷から取り出してJ宗の僧侶が食べれば解脱間違いなし。
他宗派のように追善供養も当然いりませんし教義としては完璧ですね。

J宗の教えが本当ならこういう理屈が成り立つと思うけど
オラの考えどっか間違ってる?絶対に袈裟の徳用は迷信じゃないですよね?
「清め塩は迷信です」って真宗が言うのは、何も塩によって身が清められること
自体を否定しているのではないと思う。
問題はその行為自体が持つ意味、すなわち「死」を「穢れ」とし、それを不浄な
ものとして見てしまっている、ということだろう。

「死」というものからなるべく遠ざかろう、触れないでおこう、そうすれば自分は
「死」というものを考えて不快にならずにすむ、あるいは「死」が自分に
降りかからない、というようなあさはかな考えに対しての問題提起だと思う。

他人の「死」というものを契機として、自分自身の「死」を、またそこから振り返って
自分の「生」というものを深く考える、もう一度見つめ直す、というのが「死」に
触れたときの我々の理想的なあり方ではないだろうかと私は思います。

たしかに「迷信です」っていうのは大変攻撃的な言い方ですので、もっと
言葉を選んだ方が良かったとは思いますが・・・。
899名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 00:52
>>894
キミみたいな純粋なヒトを育てるために宗教団体は日夜苦労して(w
肖像画はスナップ写真ではない。
ある筋のからの情報によると、剃髪して法衣をまとった池○○作会長の
肖像画さえこの世に存在するらしい。
キミの言うところの肖像画、は信者にとっては「本尊」に匹敵する
信仰のシンボルなわけさ。実物に似てる似ていないは関係ない。
そもそもが恣意的なものさ。
900849:03/03/19 01:04
>>873
>もう少し,親鸞思想や浄土思想を学んだ上で読んでください.

親鸞思想や浄土思想のどこを学ぶと、
袈裟の功徳を信じられるようになるのですか?
私も今までずいぶんと魚や肉を食べてきましたが、
あの魚や牛や馬や豚や鶏も、私が袈裟を着けてさえいれば、
今ごろは解脱していたわけですか?
901名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 01:54
NBさん、阿弥陀如来の現世利益力について語ってください!
苦境にある時、南無阿弥陀仏で苦境を脱せますか?
902あぼーん:あぼーん
あぼーん
903名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 08:13
>>895
非僧だから戒律を守らなくてもいい、だから何してもいいということですよ。
僧だったら、酒、女、肉はダメが常識でしょう。
904名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 08:15
>>897
>J宗では「清め塩は迷信です」と神社神道の習慣儀礼を否定しています。
>しかし「袈裟の徳用」は迷信ではないと言います。
迷信ではないと言っているのは、NBという人だけですよ。
905名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 08:18
>>899
>肖像画はスナップ写真ではない。
親鸞の肖像画には鏡の御影というのがあってね、
まるで鏡を見ているようだと親鸞が言ったから、そう名付けられてる。
ほかにも安城の御影とか、I先生のような立派なお姿の肖像画ではないですよ。
ええっ、親鸞て、こんな変な顔のジイサンだったの!
と思いましたもん。
906名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 08:47
思い上がりの浄土真宗。親鸞のようなカルトの教祖が開き、蓮如や顕如の
ような政治僧が作り上げた人心煽動の教え。
今では平和だ人権だ!で伝統文化の破却と解同への迎合。
プロ市民みたいで気持ち悪いなおめーら。

907名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 12:28
>>904
他の人たちは、反論している人を除いて、暗黙のうちに
 迷信ではない
ということを肯定しておられるようですが。
908あぼーん:あぼーん
あぼーん
>>903 まあとりあえず、
非僧 ≠ 戒律を守らなくてもいい ≠ 何してもいい
ですねw
910NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/19 17:49
しっかしまあ、真宗って人気あるね(w
よかったよかった。

まあ、個人的には浄土系他宗の方からも、浄土へは「何が」往くのか?
についての見解を伺いたいところなんだけど。

まあ、それはおいとくとして。

「祈り」について考えずにはおれない昨今の世界情勢ですがねえ。
袈裟の功徳についても迷信かどうかよりは「祈り」の側面に眼を向けた
ほうが実り豊かかと…。
911名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 19:48
>>910
お待ちしてました。
前にも質問したことですが、「祈り」についてどうお考えかお示しください。
912名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/19 22:10
NBさん、阿弥陀如来の現世利益力について語ってください!
苦境にある時、南無阿弥陀仏で苦境を脱せますか?
913229ですが:03/03/20 00:35
とりあえず719氏は873のカキコで間違って仏教知識を今まで覚えていたことが
判明しましたのでもう一度おさらいしてから再度討論への参加をよろしくね
(ただし生身の体で往生したと言う人がいたら教えてください。
もしそんな人がいたならその人に会いに行って素直にオラの間違いは認めます。)

それと無碍に否定しないところを見ると907の言うように袈裟の徳用は
暗黙の了解で認めているように思えますね。
で、今日はJ宗のお坊さん方は何人の遺骨を食べて解脱させてあげました?
914名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/20 04:01
現世利益の話でもそうだったけど、真宗の人達は質問に正面から答えず、
はぐらかしてばかりいるから、「なんなんだおまいらは?」となる。

NB氏などその典型例。
915あぼーん:あぼーん
あぼーん
916あぼーん:あぼーん
あぼーん
917名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/20 14:05
>>910
>しっかしまあ、真宗って人気あるね(w

創価版が人気なのと同じだ(w つーか、この板を読むだび、
真宗に対する認識が変わってきたよ。ずーっと普通の宗派だと
思っていた。でもウチに来る坊さんを見てると、「なんか変」と
いう印象があったから、けっこう納得。つーことは、
ウチは真宗かよっ〜〜〜〜!!そういえば戒名も変だったような・・
俺の代になったら転派も考えなきゃいかんな。
2chをみて判断するようになったら終わりですよ。
919天照大神:03/03/20 21:51
>>910
>しっかしまあ、真宗って人気あるね(w

 2CHで呆れ返られて注目されている内が花。
 ろうそくは、消える直前に燃えさかる。
 坊主の大量失業時代到来は目と鼻の先。
 鎌倉、戦国期以来積み残してきた日本歴史の積年の垢は、間もなく
清算される。
このスレの坊主どもは、お人よしにもほどがある。

こんなスレに二ヶ月も張り付いて
わけの分からない詭弁を繰りかえすような粘着電波は
他のスレなら徹底的に叩かれて終りだぞ。
921名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/20 23:22
門徒はデンパ多いからデンパ同士引き合うんだろ(W  
922229ですが:03/03/20 23:28
>>920
>わけの分からない詭弁を繰りかえすような
オラの事かい(笑)?
それとも質問に答えられないJ宗かい?

>徹底的に叩かれて終りだぞ。
それなら替わりに答えてくれれば良いじゃん。
オラやオラ以外の人たちの質問への解答待ってるよ(笑)
923229ですが:03/03/20 23:33
ちなみに繰り返して書いておきますが
「阿弥陀如来や浄土の存在は否定する気は全然ない(多分あるだろうと思う)」
個人的には霊感体質なので死後の存在(霊魂)や神霊の存在は当然信じているからね。
924時衆:03/03/21 00:02
>>922
>それとも質問に答えられないJ宗かい?
このすれのつながりからすると時衆のようだがいつ質問なんかした?
お前じゃ無い!!真宗だ!!と言う返事は良く貰ったが........
ああ、それから時衆と真宗の教えは違うから真宗の代りの答えなんか出せないよ。
925229ですが:03/03/21 00:19
ん?時衆さんじゃないですよ。920は時衆さんとは別人でしょ?
時衆さんの説明はオラ的には別に問題ないです。
「清め塩は迷信です」と言うポスターを作っているところです。
真宗の話ばっかりだな。
浄土宗はどうした。
マニアックそうな
話題で盛り上がって
おりますねェ〜。
928浄土宗:03/03/21 12:38
>>法然聖人ある時のたまわく。「こうべを剃るとも、こころを剃らぬということあり」と。
これNBさんの創作ですか?真宗伝承の法然上人のことばってのも興味があります。
法然上人が親鸞上人の妻帯を許したというのは有名ですが、他信行両座とかね。
ただ悪人正機説法然上人提唱説はだいぶ浄土宗内ではもめてますが、真宗の
研究所も認めたって新聞記事も眼にしましたが、そこらへんどうなんですかねぇ。
929時衆:03/03/21 23:04
>>925
229さん失礼しました。<(_ _)>
930229ですが:03/03/22 01:12
>>929
いえいえ時衆さん。こちらは全然気にしていませんので・・・。
それより897でカキコした理論をまだ誰も否定しないのが不思議なんですが???

このまま否定しないと死人にシャクテイーパッドを続けるとミイラが生き返ると言っていた
ライフスペースと類似のDQN宗教認定と言うことでOK?
931NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/22 02:04
>>928
おおおお、さっきざっとあたってみたんですけど、ちょっとどこにあったか見つけられませんでした。
おっかしいなああ。

いえ、ご存知かとは思うんですけど『口伝鈔』には剃髪のお弟子さん(たはは…。)
に対して「あたら修学者が髻をきらでゆくはとよ」とおっしゃったとされているんですけど、
その「故事」の別伝承に「こうべを剃るとも…」があったと記憶をしていたのですが…。
(まあ、浄土宗(鎮西)の方々には愉快な部分じゃないのでスマソなんですが。。汗)
もっとも、年代的にあやしいところのある伝承ですけどねえ。

あああ、もしかしたら説教用の談義本かあ!?と、今思いついてちょっと、焦ってます…。
どこにせよ見つけたらこのスレでご報告いたします。ありがとうございました。

で、悪人正機については梯先生(本願寺派教学研究所前所長)も法然聖人
のお言葉として捉えていらっしゃいますよね。まあ、ややこしい問題とかも
あるみたいですが、ぼく自身も法然聖人からのご口伝としていただいてます。
「子の罪を、親こそ憎め、憎めども、捨てぬは親の情けなりけり」っすね。
というわけで、『西方指南抄』の例のご文ともそんなに矛盾があるわけじゃないと
思うんですけど。
ちなみに『口伝鈔』だと、もっと直接に法然聖人のお言葉であると記されてきますよね。

本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(源空)より御相承とて、如信上人、仰せ
られていはく、「世のひとつねにおもへらく、悪人なほもつて往生す、いはん
や善人をやと。この事とほくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金
言に違せり。(中略)しかれば善人なほもつて往生す、いかにいはんや悪人
をやといふべし」@口伝鈔

ううむ。鎮西系(源智さま)の書物から悪人正機の伝承がでてくるとやっぱ
問題あるんでしょうか。
そのへん、無頓着なもので…。全然問題ないと思うんですけど。。
つうか、親鸞聖人のお聖教に対する読み替えをどう見るかのカギとなる
ような部分はあるかもなあ。とは思います。はは。ちょっと飛躍してますが。
932NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/22 02:19
>>911
お待ちくださっていたのに放置で申し訳ありませんでした。

なんか、>910が今の「現実」をダシにするみたいなカキコで、ちょっと自分でも
いやな感じ。だったもので。

もう一度考えてみてから、どうにかレスさせていただきます。
933名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/22 05:44
>>928
浄土宗でも、やっぱり、
袈裟を着て魚を食べたら、その魚が解脱する
と、言われるのでしょうか?
934名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/22 07:33
もとどりのことは口伝鈔の9ですよ。袈裟のところの次。

悪人正機のことですが、歎異抄は法然の教えをそのまま伝えている部分がかなりあります。
門弟には法然の言葉をそのまま伝えていたのではないでしょうか。
春秋社の法然全集、現代語訳もついているし、浄土真宗の人も読むべきです。
ただ、法然の言葉と親鸞の言葉は微妙に違っていることはたしかで、
そこをどう考えるか、ですね。
935名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/22 15:18
ようするにアレですか?
浄土真宗というのは浄土宗からの分派ではなくて、
法然さんからパラレルに分かれた法流のひとつ、なの?
936あぼーん:あぼーん
あぼーん
937あぼーん:あぼーん
あぼーん
938時衆:03/03/22 23:36
寺社仏閣板では珍しいあぼーんだ。何が書かれていたんだべ?
>>938
単なる宣伝リンクでした。
940NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/22 23:46
>>935
そうゆうことですね。鎮西義、西山義、真宗義。みたいな。
941名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 01:01
NBさん、阿弥陀如来の現世利益力について語ってください!
苦境にある時、南無阿弥陀仏で苦境を脱せますか?
942名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 02:58
>>941
横入り御免。NBさんご指定ならば真宗の話題だと思いまして。
俺が親鸞聖人のおっしゃる現世利益の中でで驚いたのは、
「仏恩報謝の気持ちを持てるようになる」という一文でした。
なんらかの現世利益があって、それに対して感謝する、
というのではなくて、いきなり仏恩報謝という気持ち自体が、
与えられ、しかもそれが現世での利益だという。
ここらへんの言い回しというか、浄土教理解のありようというのは、
かなり真宗独特のものだと思います。
943名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 03:35
>>942
そういう考え方になるっていうことは、仏(阿弥陀)を絶対的な
存在と考えているということになるんですかね?一神教の考え方も
そんな感じですよね・・
944名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 03:56
>>943
一神教ってのは、他神を否定する、あるいは、拒絶する
言い回しとして、神様どうしのランキング競争を想定してる
ように思うんですよ。ウチの神様が一番だ、いやいや、
オラの神様こそ一番だ、みたいな。
でも仏教の場合は、信者自身の問題解決が何よりも大切
なわけですから、仏さん選びにしても、俺にとってはどの仏さんが
一番フィットするのか、っていうことになるのだと思います。

ですから、絶対的=絶体的な存在、というときにも、仏に向かう俺自身、
そのものを何らかの形で忍ばせるわけですよ、仏さんとの関係に。
そして、俺はこの仏が絶対的だと思う、という俺自身の考え方も、
結局は俺自身のものの考え方のひとつに過ぎない、という方向へ
戻すわけですよね。自分の外に仏を置かない、という表現でも外れてはいない。

そこを西方極楽浄土の阿弥陀如来、という、自分とは最大に隔離した空間的位置の
仏に基づいて語ってきたのが浄土教のユニークなところだと、私は思います。
自分の外に置かないはずの仏を、自分の外の個別特定の場所に居る個別の仏で
語るのですから、それは対象として唯一ということになってきます。

その意味での専修念仏なのであって、唯一絶対神、というニュアンスとは
違ったものだと私は思いますですよ。
945名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 07:43
まあご高説はおいといてですね。袈裟の話はそんなに避けたい話題なのですかな?

袈裟を着て魚や肉を食べたらその魚や動物が解脱するという。

>>696でも触れてあるが、これを肯定する人は、
生まれたての赤ん坊が七歩歩いたという釈尊の伝説は歴史的事実である、
と主張するのと変らないと思うのですが。

別にイワシの頭を信心するのを非難するわけではないが、真宗はもっと理性的な宗教だと思っていたので、ちょっと呆れている次第。

まさかひょっとして、大地を支えているのは巨大な象さんだと信じていらっしゃいますか?
946浄土宗ですが:03/03/23 07:50
>>941
いわゆる現世利益とは違うかもしれませんが、
法然上人は
「生けらば念仏の功積もり 死なば浄土に参りなん とてもかくてもこの世には
思い煩うことぞなきと思いぬれば 死生ともにわずらいなし」とおっしゃっています。
恥ずかしながら、とてもこの境地には達していないので、俺は何があっても
大丈夫! とは言い切れませんが・・・
947浄土宗ですが:03/03/23 07:52
>袈裟を着て魚や肉を食べたらその魚や動物が解脱するという。
真宗でもこんなことを言ってる人は少ないと思いますよ。
初めて聞きました。
             ∩
        ∧_∧   | |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       (  ´Д`)//  < 先生!こんなのを発見シマスタ!
      /       /    |
     / /|    /      \  http://saitama.gasuki.com/tochigi/
  __| | .|    |         \
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\     \_____________
  ||\             \
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
     .||              ||
949名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 11:36
>>947

すくなくとも、教えとしては説かれていないね。
肉付きの面同様の伝説のようなものでは?
950NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 14:09
>>928
「こうべを剃るとも…」ありました。>931の「別伝承」じゃなかったっすね…。たはは。
勉強させていただきました。

「十方無量の諸仏の 証誠護念のみことにて 自力の大菩提心の かな
はぬほどはしりぬべし」(正像末和讃・四四)。御讃のこころを聴聞申したきと順
誓申しあげられけり。仰せに、諸仏の弥陀に帰せらるるを能としたまへり。
「世のなかにあまのこころをすてよかし 妻うしのつのはさもあらばあれ※」と。
これは御開山(親鸞)の御歌なり。さればかたちはいらぬこと、一心を本とす
べしとなり。世にも「かうべをそるといへども心をそらず」といふことがある
と仰せられ候ふ。@『蓮如上人御一代記聞書』「本-25」

※:この濁った世において、出家して尼になりたいなどという心は捨てるがよい。
牝牛の角は曲がっているいるけれども、それはそれでよいのである。
(『蓮如上人御一代記聞書(現代語訳)』本願寺出版社 より抜粋)
951NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 14:15
あああ、↑最後2行目「曲がっているいるけれども」って何?って突っ込まないこと(AA略。

>>945
袈裟に関するぼくの意見を整理して提示しときます。

ぼくが、袈裟の話をただちに迷信とすることはできない。と考える「迷信」に関する定義
のようなものは既に>>744で示してあります。

袈裟の故事は親鸞聖人の衆生救済への願い、祈り、から発せられたものであって、
袈裟の徳用は、死んだ魚にとって解脱の因となるのやら縁となるのやら直に成仏が
得られるのやら、それとも永い時が必要なのやら、経釋の明文もない定かではない
ことである。しかし、仏法の大海のなかには、そのようなことがあるのかもしれないし、
ないのかもしれない。
いずれにせよ、凡夫の身において仏智の世界を計り知ることはできない以上、むやみに現代人の
価値観でもって「そんなバカなことがあるはずがない」と決め付けるべきではない。

「衆生救済への願い、祈り」において袈裟は、呪術的な力をもった物理的な存在としてではなく、
仏教の無量の法門を示す象徴的な存在として意識されているのであって、
聖人が袈裟にこめた心は、死んだ魚を成仏させようという「祈祷」ではなく仏法中において、
料理として供された魚にも、なんとか成仏道を得せしめたい。との「祈り」であると考える。

しかし、親鸞聖人は、我らの成仏のためには他力念仏の一法をのみお勧めくださったのであって
袈裟の徳用による成仏を「勧める」あるいは「祈る(祈祷する)」仏法が本当にあるのかどうか
は知らないが、「袈裟フェチ」はいかなる意味においても浄土真宗ではなく、凡夫の帰依すべき
宗でもない。

というのがぼくの基本的な立場。
まあ、一応、「決め付けるべきではない」のところを強調しときますね。
952名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 16:00
>>945
> 袈裟を着て魚や肉を食べたらその魚や動物が解脱するという。
> >>696でも触れてあるが、これを肯定する人は、
> 生まれたての赤ん坊が七歩歩いたという釈尊の伝説は歴史的事実である、
> と主張するのと変らないと思うのですが。
天上天下唯我独尊のお話は、釈尊を超人化するためのお話としたら、
問題があるでしょ。そのお話によって何を伝えようとしたかが問題となります。

で、袈裟を着て云々というお話は、親鸞を権威づけようとしたものではないですか。
北条時氏が一切経校合のために集めた高僧の中に親鸞がいた。
そして子ども時代の北条時頼が親鸞に質問をした。
こーんなに親鸞聖人はえらい人なんですよ、
と、覚如は自慢したかったんじゃないかと思います。
953名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 16:02
>>951
> むやみに現代人の価値観でもって「そんなバカなことがあるはずがない」と
> 決め付けるべきではない。
そんなことを言ってるんじゃないですよ。そのお話の真意は何か、です。

> 袈裟の故事は親鸞聖人の衆生救済への願い、祈り、から発せられたものであって、
これは前にも書きましたが、佐貫で衆生済度のために三部経を千部読誦しようとして
途中でやめた、というお話(これは実話ですが)と同じ構造です。
しかし、こちらの方は親鸞が途中でやめています。
ところが、袈裟の話では食事の途中で袈裟を脱いだとはなってません。
結局はやめた、ということが重要だと思います。

「そんなバカなことがあるはずがないと決め付け」ているのではなくて、
そういうことを親鸞が言うとは思えないし、お話としてもそういう解釈は
親鸞の真意を汲んだものにはならない、ということを言っているわけです。
「名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず経をよまんとする」
と親鸞は言ってるんですよ。
袈裟よりも経典読誦の方が功徳があるに決まってるでしょ。五正行の一つなんだから。
それを捨てているんですからね、袈裟の功徳云々なんて言うわけないじゃないですか。

「祈り」という言葉を連発されていますが、この文脈では人間の思いという意味です。
人間の思いの限界を教えられたのが『歎異抄』4章でしょう。
現代人よ、あなたはどう思うか?
池の中に石を投げ込んで、石よ浮かべ石よ浮かべと祈れば、石は浮かぶであろうか?

いいえ、世尊よ。石が浮かぶことはありません。

また現代人よ、あなたはどう思うか?
水の上に油を垂らし、油よ沈め油よ沈めと祈れば、油は沈むであろうか?

いいえ、世尊よ。油は水に沈みません。

また現代人よ、あなたはどう思うか?
袈裟を着て魚を食べ、魚よ成仏せよ魚よ成仏せよ、と祈れば、魚は成仏するであろうか?

その時、浄土真宗が答えた。
世尊よ。袈裟は三世諸仏の解脱幢相の霊服であり、仏智不思議であり、われわれの価値観でもって「そんなバカなことがあるはずがない」と決め付けるべきではないので、もしかすると成仏するかも知れません。

浄土真宗よ。私は念仏を説いたであろうか?

はい、世尊よ。お念仏を聴聞いたしました。(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)

浄土真宗よ。私は、食べられた魚が袈裟によって解脱する、と説いたであろうか?

いいえ、世尊よ。そのようなことは説かれませんでした。(>>773 所依の経も論も釋も相承も明らかではない救済法)

では、浄土真宗よ。私が説いたものは説いたものとして受け取るがよい。私が説かなかったものは説かなかったものとして受け取るがよい。

現代人は仏の説きたまうところを聞いて歓喜し、礼をなして去って行った。
955名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/23 20:00
>>951
>「衆生救済への願い、祈り」において袈裟は、呪術的な力をもった物理的な存在としてではなく、
>仏教の無量の法門を示す象徴的な存在として意識されているのであって、
>聖人が袈裟にこめた心は、死んだ魚を成仏させようという「祈祷」ではなく仏法中において、
>料理として供された魚にも、なんとか成仏道を得せしめたい。との「祈り」であると考える。

しかしその「祈り」が成り立つには袈裟の功徳が信じられていなければならないと思う。象徴に過ぎないのならなぜ南無阿弥陀仏でなく袈裟なのかということはすでに指摘されている通り。
結局、親鸞聖人がおかしな話を信じていたということには変らないと思いますが。

あとこれ↓だけど。
>いずれにせよ、凡夫の身において仏智の世界を計り知ることはできない以上、むやみに現代人の
>価値観でもって「そんなバカなことがあるはずがない」と決め付けるべきではない。

「清め塩」にも同じことが言えるような。
956NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 21:41
ははははははははははh。もう笑うしかないっつーか。
とりあえず、NBの文章能力ではほとんどお手上げ。つーか(w
(いえ、別にぼくが正しいのに。って意味じゃないですよ。読解力の方面の話)

また後できますが、ここまできたならとりあえず、全文うpしときますね。
各自、今一度ご判断のほど。

一 一切経御校合の事。
 最明寺の禅門の父修理亮時氏、政徳をもつぱらにせしころ、一切経を書写せ
られき。これを校合のために智者・学生たらん僧を屈請あるべしとて、武藤左
衛門入道[実名を知らず]ならびに屋戸やの入道[実名を知らず]両大名に仰せ
つけてたづねあなぐられけるとき、ことの縁ありて聖人(親鸞)をたづねいだ
したてまつりき。[もし常陸の国笠間郡稲田郷に御経回のころか]聖人その請に応じ
ましまして一切経御校合ありき。その最中、副将軍、連々昵近したてまつる
に、あるとき盃酌のみぎりにして種々の珍物をととのへて、諸大名面々〔と〕数
献の沙汰におよぶ。聖人別して勇猛精進の僧の威儀をただしくしましますこ
となければ、ただ世俗の入道・俗人等におなじき御振舞なり。よつて魚鳥の肉
味等をもきこしめさるること、御はばかりなし。ときに鱠を御前に進ず、これ
をきこしめさるること、つねのごとし。袈裟を御着用ありながらまゐるとき、
最明寺の禅門、ときに開寿殿とて九歳、さしよりて聖人の御耳に密談せられて
いはく、「あの入道ども面々魚食のときは袈裟を脱ぎてこれを食す。善信の御
房(親鸞)、いかなれば袈裟を御着用ありながら食しましますぞや、これ不審」
と[云々]。聖人仰せられていはく、「あの入道達はつねにこれをもちゐるについ
て、これを食するときは袈裟を脱ぐべきことと覚悟のあひだ、脱ぎてこれを食
するか。善信はかくのごときの食物邂逅なれば、おほけていそぎ食べんとす
るにつきて忘却してこれを脱がず」と[云々]。開寿殿、また申されていはく、
「この御答、御偽言なり、さだめてふかき御所存あるか。開寿、幼稚なればと
て御蔑如にこそ」とて退きぬ。
957NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 21:41
 またあるとき、さきのごとくに袈裟を御着服ありながら御魚食あり。また開
寿殿、さきのごとくにたづねまうさる。聖人また御忘却と答へまします。その
とき開寿殿、「さのみ御廃忘あるべからず。これしかしながら幼少の愚意、深
義をわきまへしるべからざるによりて、御所存をのべられざるものなり。まげ
てただ実義を述成あるべし」と、再三こざかしくのぞみまうされけり。その
とき聖人のがれがたくして、幼童に対して示しましましていはく、「まれに人
身をうけて生命をほろぼし肉味を貪すること、はなはだしかるべからざるこ
となり。されば如来の制戒にもこのことことにさかんなり。しかれども末法
濁世の今の時の衆生、無戒のときなれば、たもつものもなく破するものもな
し。これによりて剃髪染衣のそのすがた、ただ世俗の群類にこころおなじきが
ゆゑに、これらを食す。とても食するほどならば、かの生類をして解脱せしむ
るやうにこそありたく候へ。しかるにわれ名字を釈氏にかるといへども、ここ
ろ俗塵に染みて智もなく徳もなし。なにによりてかかの有情をすくふべきや。
これによりて袈裟はこれ三世の諸仏〔の〕解脱幢相の霊服なり、これを着用しな
がらかれを食せば、袈裟の徳用をもつて済生利物の願念をやはたすと存じて、
これを着しながらかれを食するものなり。冥衆の照覧を仰ぎて人倫の所見をは
ばからざること、かつは無慚無愧のはなはだしきに似たり。しかれども所存か
くのごとし」と[云々]。このとき開寿殿、幼少の身として感気おもてにあらは
れ、随喜もつともふかし。「一天四海を治むべき棟梁、その器用はをさなきよ
り、やうあるものなり」と仰せごとありき。
958NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/23 21:56
あ、以上です。

別に「高僧」が呼ばれた訳じゃないですね。今で言えば仏教学専攻の学部3・4回生
あたりでも十分勤められるような仕事だったと思いますよ。正倉院の梵本を云々
とかじゃないんだし。御前でご講義でご褒美とかでもないわけだし。この「故事」を
のせる「意図」については覚如上人の「思惑」が感じられないわけでもないですが、
別にそれは「権威付け」とは違うように思います。まあ、とりあえずひとつだけ。

その他の、お尋ねに関する一々のことについては後でまた。
959NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/24 00:00
せっかくの浄土系スレが、真宗スレと化しつつあるので、宗教板にスレ立てました。
どちらさんもどちらさんも、よろしくおながいです。

【マターリ】  浄土真宗《萌え》スレ  【雑談可】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1048431175/150
960名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 00:13
961名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 06:50
NBさん、阿弥陀如来の現世利益力について語ってください!
苦境にある時、南無阿弥陀仏で苦境を脱せますか?
962名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 08:35
>>951
> 聖人が袈裟にこめた心は、死んだ魚を成仏させようという「祈祷」ではなく
> 仏法中において、料理として供された魚にも、なんとか成仏道を得せしめたい。
> との「祈り」であると考える。
昭和天皇が死ぬ数ヶ月前、台風が上陸したんですね。
病床にある天皇は台風の被害で国民が困らないかと心配したわけです。
ああ、天皇陛下はご自分が病気であるにもかかわらず、いつも国民のことをご心配に
なっておられる、ありがたいことだ、という新聞の論調でした。
NBさんの言うのも同じですね。
親鸞聖人は魚を食べる時すら、魚を救おうと心を痛めて、祈っておられる、
というわけです。
でも、そんなに魚のことが心配なら食べなければいいわけですよ。
そういう自分勝手な「祈り」というのが聖道の慈悲じゃないんですか。
それと、私の「祈り」というのは私の思いだから、どうしても濁ってきます。
魚を食べながら、魚の救いを祈るというふうにね。
そもそも「祈り」は人間の感情ですから、認めるとか認めないとかではないですよ。
本願寺派の教学はおかしいと常々思ってますが、やはりおかしいですね。

>>958
> 別に「高僧」が呼ばれた訳じゃないですね。今で言えば仏教学専攻の学部3・4回生
> あたりでも十分勤められるような仕事だったと思いますよ。
口伝鈔の文章から一切経校合というのがどういう仕事だったかはわからないけど、
重要なのは北条氏から招かれたということ。
「副将軍、連々昵近したてまつる」ですよ。
龍谷大学の学生がそういう場によばれると思いますか。
963719:03/03/24 15:39
>>913
なんか,出張してしばらくネットつなげないうちに,えらく勝手に解釈されてるなぁ.

もともと成仏の定義が,普通の仏教とは違うかもしれないけれど,
俺はそういう風に,「成仏」を理解してきたんだけど・・・

まあ,真宗の坊さんにも「違う」って言われてるみたいだし,俺の仏教と他の人の仏教は違うらしい.

でも,よーっく考えてね.
釈迦如来はどの瞬間に仏になったのかを.
964名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 15:49
>>963
> 釈迦如来はどの瞬間に仏になったのかを.
おっしゃるとおり、釈尊は生きている時に仏陀となりました。
しかし浄土教では即身成仏は説かないんですよ。
空海さんは即身成仏を説いていますから、719さんの理解は真言宗では正解ですが、
浄土教では×
965浄土宗侶:03/03/24 16:08
>>933
魚については、「魚を食べると往生するかしないか」と談義しているところに
法然上人が「魚を食べると往生するというなら鵜は往生するであろう。肉を
食べると往生するというなら猿は往生するであろう。念仏を称えることが
往生するために必要なことなのだ。」(大意)という法然上人の御法語が
あったと思います。『悪人正機説』を書かれて法然上人悪人正機説提唱説
を提唱された亜細亜大学の梶村昇先生の本によくこの御法語が引用されて
ますが、今ちょっと確認できないので間違ってるかもしれません。
あと、法然上人四国配流のおりに漁師に説かれたという話も有名ですね。
これは『四十八巻伝』です。
>>934
春秋社の法然全集現代語訳が間違っている部分があるので、そこは注意ですね。
あと同じ大橋先生で岩波文庫に『選択集』『四十八巻伝』が最近入りました。
岩波文庫に『歎異抄』とか『一遍上人語録』は入っているのに浄土宗は出版界
ではマイナーなので真宗陰謀論まで囁かれていました。
>>935
そうですよ。ちなみに言えば西山浄土宗もです。・
本願寺出版社発行の本で浅井成海先生の『法然上人門下の念仏』(だったかな)
はもちろん真宗部分が多いですが、浄土宗側から読んでも偏ってなくて良いです。
966719:03/03/24 16:12
いや,「どの瞬間に」ってヤツね.主体の問題とでもいうのだろうか.
「仏」になって,何か別なモノになるのであればその解釈でいいと思うし,俺の意見も間違いだと思う.

先にも書きましたが,私は「南無阿弥陀仏」は諸仏だと思っております.

>>714さんの書き込みを参考にさせてもらいますが,
>それに対し、「仏」という存在はこの世の真実というものを体現し、且つ我々に
>それを教えてくれる教師にして、人間の目指すべき目標だと思います。

という定義をとれば,まさに仏以外の何なのでしょうか.
私は仏を仏であると認識する事が重要のように思います.
967渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:19
>>749
> そう考えると頓知話というのは乱暴です

 どこが乱暴ですか?。子供は自分の理解力の程を知らずに好奇心をぶつけてくる。
相手の心を傷つけず、軟らかく接してやることは、大人の義務だ。
 「忘却してこれを脱がず」と言ったら、御蔑如(子供と思って馬鹿にした)といって
開寿君は腹を立てているんです。相手をなだめながら相手に矛を納めさせないといけな
い。
 現代の真宗の坊さんは、頓知なんかは不要だろう。社会が真宗坊主に期待するもの
は何もないからね。親鸞の時代はそうじゃなかった。坊さんは答えられないような質問
を受けた。お前に言っても、今のお前には分からんよ、などとは言えなかったのさ。
 開き直り、寝言、呪文、愚痴、気休め、陰口を言ってれば、自動的にお布施が入って
くる現代のお坊様とは、大違いだ。期待の度合いが違う。

>>750
> 浄土真宗の坊主に関しては発生しないということでよろしい訳ですね?

 結論はさておき、袈裟というのは坊さんのユニホームだ。ユニホームに込めた学園創
立者(釈迦)の願いの心に耳を傾けるとことが必要だ。
 ユニホームとは何か。それは単なる飾りじゃない。その辺を釈迦の心に即して考える必
要があるだろう。
968渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:20
>>758
> 脳内で生きていたことにしたいんか?という皮肉にマジレスありがとう。

 礼には及ばないよ。あんたの皮肉が皮肉として伝わらなかっただけだよ。
 相手に通じない皮肉を言っている独り相撲のおばかさんというところかな。

> ありがとう。これは素直に詫びよう
                <詫びはいらんから、坊主なら少しは勉強しろ。>

> そんでいつもの脳内真宗坊主あつかい(プ漏れは真宗じゃねぇ

 いつ、追放になったんだい。そのうち、2茶だけじゃなく、実生活で追放されないように
注意しろよ。

> 笠間氏はだいぶ援助したんじゃないの?これは俺の推測だけど。
       <推測だけか?(笑。>

>「思う」だけかい。まぁれきしがくしゃじゃないから致し方ないね。
       <パソコンに向かう前に、顔でも一度洗っておけ。>
>>763
> >これは全く逆ですね。同じ土俵に乗せられないからこそ、
 <何が言いたいんだね?。神と阿弥陀はフンドシして高天原で相撲でも取るんか?>

> 神道的「神」に敬意を払うことと阿弥陀仏への信仰が自分の中で矛盾することがな
いのです。

  宇宙人の怪電波発信訓練か?
969渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:21
>>764
>つまり本気で言ったんじゃないということか。

 本気で接しているんだよ。ただ、子供に向かったときの本気と、大人に向かったとき
の本気は当然、内容が違ってくる。

 その徴(しるし)なからん人々に、悪苦るしからずといいうこと努々(ゆめゆめ)あ
るべからず候(御消息集)。
 向上心がかけらもない現代の馬鹿坊主には、悪人正機など、口が裂けても教えちゃい
かん。法は相手を見て説くもんだ。ものごとの軽重をこれから学んでいかなければなら
ん子供には、学問を積んだ人を敬うということを知ってもらわないといかん。一人の大
人として親鸞はそう考え、開寿君に今必要な教訓を与えたんでしょう。

>この話が史実だとするなら、親鸞はなぜ袈裟をつけて魚を食べたのか、その意図は何な
のか。

 袈裟を脱ぐ必要はないと思えば脱がないでしょう。寒かったのかもしれないね。北関
東の冬は雪が降る。

>しかも、客にあれこれと質問するものだろうか。

 子供は何にでも好奇心があるもんだ。利発な子は、764が思いもよらない発想をす
るだろう。

>>773-775 名前:NB
    何が言いたいだか?。お馬鹿だね(苦笑)

>>871
>浄土真宗の人で,死後の成仏を言っている人がいたら見てみたいものだ.
      <僕でよければいつでもお相手しますよ。>
970渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:22
>>909
>非僧 ≠ 戒律を守らなくてもいい ≠ 何してもいいですねw

 909は真宗坊主か?。真宗坊主なら、豆腐の角に頭ぶつけて死んでくれ。
 死なんでもいいから、いったん坊主を辞めて、仏教を勉強し直せ!!。
 坊さんでなければ御免なさい。m(_ _)m

>>928
>悪人正機説法然上人提唱説はだいぶ浄土宗内ではもめてますが、

 悪人正機説は、歎異抄仏教説。まあ、清沢仏教説というのが妥当なところ、
親鸞仏教と言うにはやや無理があるというのが僕の考え。
 親鸞の本音(琴線)には違いないだろう。親鸞が正面切って語ったものじゃ
ないだろう。元流刑囚で僧籍を剥脱された者の悲しい陰を感じるんだ。法然に
はそんなものはない。

>>934
> ただ、法然の言葉と親鸞の言葉は微妙に違っていることはたしかで、
> そこをどう考えるか、ですね。

 ここが大事だ。法然は幅のある人で、いろんなことを言っている。その一部
を前後の脈絡を無視して切り抜いてきて編集すれば、全く違った思想が生まれ
るんだ。
971渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:24
>>951名前:NB

>仏法の大海のなかには、そのようなことがあるのかもしれないし、ないのかも
>しれない。いずれにせよ、凡夫の身において仏智の世界を計り知ることはできな
>い以上、むやみに現代人の
> 価値観でもって「そんなバカなことがあるはずがない」と決め付けるべきでは
ない。

 NBさんよ。こんな話で済むんなら専門家はいらんよ。「あるのかもしれないし、
ないのかもしれない」なんてことは、餓鬼で言えるんじゃ。そのようなことがある
のかないのか、メリハリをつけるのが専門家だろう。
 解脱した魚と、解脱してない魚はどこが違うんだい?。魚に解脱があるんかい?。
真宗坊主だからこそどんな馬鹿なことを言っても通るんだろうよ。返答に窮して恥
の上塗りで馬鹿なこと言うより、答えられないときは「答えられない」と言いなさ
いよ。
 馬鹿なことを言ってごまかすのはよしなさいよ。

>>952
> 天上天下唯我独尊のお話は、釈尊を超人化するためのお話としたら、
> 問題があるでしょ。そのお話によって何を伝えようとしたかが問題となります。

 釈迦は、七歩あるいて「天上天下唯我独尊」と仰った。迷いの六道を越えて悟り
への七道に入られたとき、真の自己実現の道を発見されたということでしょう。
972渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 18:25
>>958
> 別に「高僧」が呼ばれた訳じゃないですね。今で言えば仏教学専攻の学部3・4回生
> あたりでも十分勤められるような仕事だったと思いますよ。正倉院の梵本を云々
> とかじゃないんだし。

 このころはまだ印刷文化はない。書籍は書写で拡布する。関東に一大文化圏を作ろ
うとして一切経を揃えても、揃えた経典が嘘偽りばかりじゃ困る。
 親鸞は、教行信証で「弁正論」を引用しているが、親鸞が参照していた弁正論自体に、
かなり間違いがあるようだ。親鸞が教行信証執筆で参照していた一切経は、おそらくこ
の時のものだろう。
 集めた一切経に間違いがあるのかないのか。調査には慎重さが必要だ。京都・奈良は
いざ知らず、関東で一切経の鑑定をするには、鑑定者の頭の中で暗誦されている経典だ
けが頼りとなる。親鸞がこの席に呼ばれたというのは、相当重い責任を背負ってその実
力を相当買われた結果だろう。
>えらく勝手に解釈されてるなぁ.
229ですがや964の言うように719はなんか勘違いして理解しているようですね。
どこで勉強したのでしょうか?

中村元先生の日本語訳では仏=人格完成者という訳を当てています。
浄土信仰では生きている間の成仏は×。
浄土信仰では生きている間に「往生が確定した」人間はあっても当然なのでこれは○
浄土信仰では生きている間に「往生した(極楽浄土に転生した)」人間は居たら見てみたい
(居ないはず)

そもそも開祖は比叡山で天台宗の修行をして現世成仏が無理だと思ったから
幾つもある顕教・密教の教えの中から浄土信仰を選んだはずだったと思ったが・・・。
974719:03/03/24 18:52
>>973
この意見の食い違いは,仏となる主体の問題だって言ってるのに.
975719:03/03/24 19:03
正直な所,「往生が確定した」っていうのはありがたいものなのだろうか.
まだ「往生が確定していた」ならばありがたいと思うが.

まあ,勘違いだと思われているのならば,そうかもしれません.
おじゃましました.
976名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 20:20
>>966
>>それに対し、「仏」という存在はこの世の真実というものを体現し、且つ我々に
>>それを教えてくれる教師にして、人間の目指すべき目標だと思います。
>という定義をとれば,まさに仏以外の何なのでしょうか.
「人間の目指すべき目標」が仏だとして、
生きているうちにそんな仏になったというのなら、
もはや目指すべき目標がなくなった、ということになります。
これはちょっと変ですね。
この目標とはいつか到達できる目標ではないと思います。
それに、煩悩まみれの人間が「真実を体現」できるものでしょうか。

たしかに、仏とは何か、という定義の問題があります。
定義次第によっては即身成仏ということもあり得ましょう。
しかし、浄土教では即身成仏を否定するという立場です。
977名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 20:32
渡海、NB両氏を相手に何を言っても無駄だと思いますが、一応書きます。

>>967
>> そう考えると頓知話というのは乱暴です
> どこが乱暴ですか?。子供は自分の理解力の程を知らずに好奇心を
> ぶつけてくる。
> 相手の心を傷つけず、軟らかく接してやることは、大人の義務だ。
だからといって、袈裟をつけて魚を食べたら、魚が解脱するというような
与太話を親鸞がするもんだろうか。
子ども相手だからといって、子ども相手だからこそ、念仏の教えを
きちんと伝えようとするんじゃなかろうか。

>>969
>>この話が史実だとするなら、親鸞はなぜ袈裟をつけて魚を食べたのか、
>>その意図は何なのか。
> 袈裟を脱ぐ必要はないと思えば脱がないでしょう。寒かったのかも
> しれないね。北関東の冬は雪が降る。
これも答えになってないですね。
袈裟を脱がないという目立つ行為を意味もなくするわけないでしょう。

978名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 20:33
>>972
> 集めた一切経に間違いがあるのかないのか。調査には慎重さが必要だ。
> 京都・奈良はいざ知らず、関東で一切経の鑑定をするには、鑑定者の頭
> の中で暗誦されている経典だけが頼りとなる。
> 親鸞がこの席に呼ばれたというのは、相当重い責任を背負ってその実
> 力を相当買われた結果だろう。
親鸞という人は僧籍を剥奪されて流罪になった人ですよ。
もはや僧侶としては認められていない。おまけに妻帯している。
それなのに他の高僧たちと一緒に僧侶として招かれるものだろうか。
かりに招かれたにしても、正式には僧侶でない者が袈裟をつけることを
許されるものだろうか。
他の僧侶たちはそれを認めるものだろうか。
おかしいですよね。
979229ですが:03/03/24 20:39
>>954
秀作ですね。

>>719
>先にも書きましたが,私は「南無阿弥陀仏」は諸仏だと思っております.
>この意見の食い違いは,仏となる主体の問題だって言ってるのに.
あなたの仰る内容では「仏」ではなくて「菩薩」または「諸天諸仏」
とするならば問題ありませんが、仏と阿羅漢には漏尽通(漏尽明)がありますが、
これが無い場合は仏(阿羅漢)ではありません。

諸氏が指摘されているとおりあなたの言っていることは明らかに
用法と定義が間違っております。
ちなみに檀家さんに念仏で生きている間に成仏するって言ったら
むちゃくちゃ混乱すると思うけどねえ・・・

まあ生きている人間で例外があるとすれば大木こだまひびきぐらいでしょう。
「そんなやつおらへんやろ」「往生しまっせ〜」
980渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 22:02
>>977
>渡海、NB両氏を相手に何を言っても無駄だと思いますが、一応書きます。

 随分と失敬なカキコだな。おぬしを相手に何を言っても無駄かも知れんが、見ず知
らずの人からこんなことを言われる覚えは僕にはないよ。

>与太話を親鸞がするもんだろうか。

 与太話なじゃないだろう。親鸞は親鸞なりに筋を通してる。
 宴席に並んだ魚が川魚か海魚か知らないが、魚は水の中にいるときは水の中で思いっ
きり泳いでいることが幸せだろう。まあ、魚の気持ちは分からんが、泳がないことが魚の幸
福とも思えない。
 しかし、漁師に釣られ、切り刻まれて宴席に上げられたらどうだろう。お前達は今から海
川に帰れと放生されても、水の中には帰れまい。そのまま腐らせてごみために捨てられて
はもったいない。
 切り刻まれて宴席に上がってしまった魚の本来のあり方は何だ?。潔くその場の人間様
に食われて人間様の糞になることがもっとも意義あるあり方だ。
 目前の魚は、潔く酒席で食われ、食った人の糞になってくださるところに、本来の意義を
懐いて、今、宴席に並んでくださっておる。漁師に釣り上げられたことは不幸だったかも知
れんが、身を捨てて糞になってくださるところに今、自らの身を置いてくださっている。そ
ういうものに対し、命を尊ぶべき僧であれば、正装をもって臨むというのは、自然なことだ。
 理屈はいくらでも言える。ここでは、魚がどうこうということより、ユーモアを交えなが
ら、心底では開寿君に真剣に向き合ってる親鸞さんの姿勢に僕は脱帽する。
 身を捨てて糞になってくださるところに今、自らの身を置いてくださっているものは、身を
捨てて糞になるところに意義がある。解脱とは、意義ある道を歩むということだ。ここでは
それが糞になるということだ。糞になるべきものは、糞になっていくところに道がある。それ
が宴席のに置かれた魚のあり方だ。親鸞は僧としてそれを、正装をもって迎えるということ
だろう。親鸞の知恵は深い。
981渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 22:03
>子ども相手だからこそ、念仏の教えをきちんと伝えようとするんじゃなかろうか。

 親鸞は教条主義者じゃないんだ。念仏がどうこうなどという一点の話じゃなく、今その子に
最も必要なことを説いているんだ。
 相手構わず、向上心もない坊主にまで悪人正機説を垂れ流すようなどこぞの宗派のアホ
どもには想像もつかない世界があるということだろう。

>これも答えになってないですね。

 ぼくは書きたいことを書いているだけだ。答えようとしている訳ではないから、答えになってな
いと思えば無視しなさいよ。

>袈裟を脱がないという目立つ行為を意味もなくするわけないでしょう。

 袈裟を脱げば目立つかも知れないが、脱がないことが目立つ行為とは思えない
982渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 22:06
>>978
>親鸞という人は僧籍を剥奪されて流罪になった人ですよ。

 これは京都政権下、京都文化圏の話だ。吉水には熊谷直実が入門していくような場所だった。
弾圧を受けた吉水には、京都文化に対抗しようとしていた関東に、同情の声があったろう。

>もはや僧侶としては認められていない。おまけに妻帯している。

 叡山あるいは東大寺で受戒し、朝廷から認可を受けないと僧と認められないという価値観が、
関東でどれだけ支持されたか不明だ。
 鑑真以前の行基のように勝手に僧宣言しても僧と認められるという土壌は、鎌倉期の関東に
はあったろう。関東仏教界は、京都奈良より戒律ルーズな面があったと思う。
 熊谷直実と一緒に法然門下にあり、吉水では法然に可愛がられていた聞けば、京都文化圏
では半端者でも、関東には僧として大事にする大名がいても不思議じゃない。
 妻帯僧などはたくさんいたろう。時代は下がるが、一遍上人は妻子を連れて日本中遊行して
いる。それでも彼は僧として尊敬されていた。

> それなのに他の高僧たちと一緒に僧侶として招かれるものだろうか。
       <ちっとも不思議じゃない。>

>かりに招かれたにしても、正式には僧侶でない者が袈裟をつけることを
       <京都奈良と違って、戒律はルーズだったろう。>

>他の僧侶たちはそれを認めるものだろうか。

 比叡山で三十年近く勉学を積んだと聞けば、関東では尊敬されたろう。僕が大学を出たとき、
ある友人が言っていた。「自分は、村では学士第1号だ。村に帰れば大いばりできるんだ」と。
 大卒などは掃いて捨てるほどいる時代になっても、これまで学士が一人もいなかったという
村があった。数十年前の話だ。そういうところでは、大学を出たというだけで、尊敬されたと
いう。
 頼朝の挙兵を除けば、ほとんどが箱根の関所を越えたことのない地方では、叡山で学んだ親
鸞などは大学者として尊敬されただろう。
983NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/24 22:39
>>980
> 随分と失敬なカキコだな。おぬしを相手に何を言っても無駄かも知れんが

には同意。人が一生懸命レスしようと覗いてみたらいきなり「渡海、NB両氏を
相手に何を言っても無駄だと思いますが」ですか。
つくづくエチケットのない人だよなあ。つか傲慢な。つか。まあどうでもいいや。
あなたの結論はつまり>>962
>本願寺派の教学はおかしいと常々思ってますが、やはりおかしいですね。
これなんだね。ちなみにまったくの的外れ。

どうやら以前に、捨てハンでもいいから名前を入れてくれとお願いした人と同じ人
のようだけど、名無しの人との議論で「以前も書きましたが云々」とか言われると
めっちゃ疲れるってわかんないだろうね。こっちも結構な気の使いようで書いてる
んだがなあ。やる気なくすよ。ったく。

わりいんだけど、あなたのご質問にはほとんど(千部経のことについても)既に「回答」済み
ですよ。もっぺんよく読んで理解してね。たぶん「なにがいいたいのかよくわからんのだが」
を連発してた人とも同一だと推測するんだけど、「よくわからん」のは必ずしもぼくの責任
とは限らないからね。
まあ、覚如上人の「思惑」に関しては、「袈裟」の章の結論の作り方からも伺えるように
関東教団と在地領主の軋轢(いわゆる本願ぼこり)に対する牽制と見ることもできると
思いますが、まあ、いいや。

で、>>971にも上記の引用レスと同じことを言っときましょうか。いきなり唐突にやってきて
恥の上塗りだの馬鹿なことだの。あんた何様?あ、渡海様か。
なんか、釈尊の「無記」にもおんなじこと言いそうな勢いだね。

>>965
浅井先生の本は『浄土教入門-法然上人とその門下の教学-』ですね。
984名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 22:45
>>980
> 随分と失敬なカキコだな。おぬしを相手に何を言っても無駄かも知れんが、
> 見ず知らずの人からこんなことを言われる覚えは僕にはないよ。
冗談でしょう。あんたにそんなことを言う□はないよ。
見ず知らずの人に「あなた坊主でしょう」と決めつけ、
そして坊主の悪口タラタラ言ったり、宇宙人のたわごと、電波、その他言いたい放題。
自分が今までどれだけ失敬なことを書いてきたか本当にわからないの。

> 身を捨てて糞になってくださるところに今、自らの身を置いてくださっている。
> そういうものに対し、命を尊ぶべき僧であれば、正装をもって臨む
親鸞はいつも正装で食事していたわけですか。
そもそも、魚さんが身を捨てて糞になってくださることと、
袈裟をつけて食べれば魚が解脱することと、どう関係があるんですか。
「いただきます」と合掌すればいいんじゃないですか。

> 解脱とは、意義ある道を歩むということだ。
> 糞になるべきものは、糞になっていくところに道がある。
> それが宴席のに置かれた魚のあり方だ。
食われて糞になることが魚のあるべき道だなんて、
魚がそういうことを意識していたんですかねえ。
それは人間の勝手な思いでしょう。
985名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/24 22:46
>>981
> 親鸞は教条主義者じゃないんだ。念仏がどうこうなどという一点の話じゃなく、
> 今その子に最も必要なことを説いているんだ。
その子にもっとも必要なことが、袈裟のたわごとですか。

> 相手構わず、向上心もない坊主にまで悪人正機説を垂れ流すようなどこぞの宗派のアホどもに
この文章が失敬ではないかということは言いませんが、
この文脈では坊主とアホとは別人となりますが、それでもいいんですか。。

> 袈裟を脱げば目立つかも知れないが、脱がないことが目立つ行為とは思えない
みんなは袈裟を脱いでいるんですよ。目立つから時頼が質問したんでしょ。

>>982
「同情の声があったろう。」「戒律ルーズな面があったと思う」「関東では尊敬されただろう」
あんたの推測ばかり。

> 頼朝の挙兵を除けば、ほとんどが箱根の関所を越えたことのない地方
最澄は会津の徳一と論争しているんですよ。
東日本の知的レベルをバカにするのは失敬では。
それと、北条泰時はあの明恵と親しかったんですよ。

>>969
>>しかも、客にあれこれと質問するものだろうか。
> 子供は何にでも好奇心があるもんだ。
> 利発な子は、764が思いもよらない発想をするだろう。
そりゃ好奇心があることは認めますが、大事な客を迎えた宴席の場に、
9才の子どもがしゃしゃり出ることができるもんでしょうか、と言ってるんですよ。

そもそもね、この話を誰が伝えたんでしょうか。
親鸞が自慢そうに、袈裟をつけて魚を食べたら魚が解脱するという話を子どもに
したんだと、人に話すとは思えないんですが。
986:03/03/24 22:58
>>983
ご希望にお答えしましてHNをつけました。よろしく。

> あなたのご質問にはほとんど既に「回答」済みですよ。もっぺんよく読んで理解してね。
> 「よくわからん」のは必ずしもぼくの責任とは限らないからね。
よくわからないのは私だけじゃないと思うし、
回答が回答になっていないと感じるのは渡海さんをはじめとして他にもいますよ。
じゃあ、>>954にはどう答えますか。

987NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/24 23:02
なにを言っても無駄な人間に、いまさらなにを「よろしく」なのか?
知ったこっちゃないね。
988229ですが:03/03/24 23:05
>結論はさておき、袈裟というのは坊さんのユニホームだ。ユニホームに込めた学園創
>立者(釈迦)の願いの心に耳を傾けるとことが必要だ。
で、たとえ袈裟の徳用があるにしても浄土真宗の僧侶は剃髪してないのに
なぜ功徳が発生するんですか?もうすぐ1000になりますけどまだ
はっきりと解答が出ていませんがいつまで出し惜しみするんでしょうか?

釈迦如来いわく「私の教えに握りこぶし(隠した教え)はない」という記述が
何度も出てきますが浄土系宗派では顕教なのに秘密の教えがあるのですか?
989NB ◆YIoCB90ZbI :03/03/24 23:41
>>986
Qさん。あなたは、親鸞聖人が『憲法十七条』をどのような感動でもって
お味わいなさったかについて、謙虚に思いを馳せたことがありますか。

 十にいはく、忿を絶ち瞋を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人みな
心あり、心おのおの執ることあり。かれ是んずればすなはちわれは非んず、わ
れ是みすればすなはちかれは非んず、われかならず聖なるにあらず、かれかな
らず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫ならくのみ。是く非しきの理、たれ
かよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶の端なきがごとし。ここ
をもつてかれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たり
といへども、衆に従ひて同じく挙へ。
はいはい、もう宗教板でやってね。

このスレは元々>>1の単発質問スレだったのに、
なんだかおかしなことになってしまったね。
991渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 23:50
>>984
>冗談でしょう。あんたにそんなことを言う□はないよ。
         <ほほう。これは失礼申し上げた。>

> 見ず知らずの人に「あなた坊主でしょう」と決めつけ、

でしょ‐うデセウ(広辞苑)
 (助動詞デスの未然形に助動詞ウの付いた語) 体言または用言の終止
形に付き、推量の意を表す。「だろう」の丁寧な言い方。「明日は雨が降
る―」

 でしょう」は決めつけじゃないよ。推量だよ。日本語も知らん御仁がカ
キコなさっているとは知らなんだ。(苦笑)

>そして坊主の悪口タラタラ 〜 言いたい放題。

 お気に召さない点もあったようですね。こちらも感情の動物。ご不快な点
があればご容赦。ご容赦。

>今までどれだけ失敬なことを書いてきたか本当にわからないの。
     <ほほう。例えば?。>

>袈裟をつけて食べれば魚が解脱することと、どう関係があるんですか。

 いま現在のその場における存在の意義を、その存在物が全うなさるというこ
とだ。

>親鸞はいつも正装で食事していたわけですか。
     学問僧として手厚く招かれる場にはいつでも正装で臨んだろう。
992渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 23:51
>解脱することと、どう関係があるんですか。

 存在の意義を全うするということだ。命ある者で考えれば全力で生きると言う
ことにも通じる。
 そのままゴミとして捨てられれば、誰が考えてももったいない。釣って料理さ
れた魚は、誰も食わずにゴミとして捨てるべきなんかい?。食われて糞になる
のが本望だろう

> 「いただきます」と合掌すればいいんじゃないですか。

 それはあんたがすればいいことじゃないか?。八百年も昔の親鸞さんに押し
付ける価値観じゃないだろう。「いただきます」という挨拶は、日本でいつごろで
きた習慣なんだい?。

>食われて糞になることが魚のあるべき道だなんて、

 料理されてしまった魚はそうだろう。それともあんたは海に帰すべきとでも思う
のか?

>魚がそういうことを意識していたんですかねえ。

 魚の意識の問題じゃない。魚は死んでるんだからね。ものの価値の問題だ。

>それは人間の勝手な思いでしょう。
        <どう思ってもいい。あんたとは主観が違うんだろう>
993渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/24 23:52
>>985
>その子にもっとも必要なことが、袈裟のたわごとですか。
    <親鸞を弁護するつもりはないが、あんたとの主観の相違だろうよ。>

>この文脈では坊主とアホとは別人となりますが、それでもいいんですか。。

 どうぞ御随意にお考えください。
 アホな坊主はおるが、坊主がアホと言った覚えはない。

>みんなは袈裟を脱いでいるんですよ。目立つから時頼が質問したんでしょ。
        <大騒ぎする問題じゃないだろう。>

>あんたの推測ばかり。    <アハハ。>

>東日本の知的レベルをバカにするのは失敬では。
          <馬鹿にしているとは思わないけどね。>

>それと、北条泰時はあの明恵と親しかったんですよ。   <だからどうしたの?>

>9才の子どもがしゃしゃり出ることができるもんでしょうか、と言ってるんですよ。
           <不思議じゃないわな>

>そもそもね、この話を誰が伝えたんでしょうか。   <昔の人が伝えたんだろう>

>親鸞が自慢そうに、袈裟をつけて魚を食べたら魚が解脱するという話を子どもに
>したんだと、人に話すとは思えないんですが。

 尾鰭は覚如が勝手に付けたものだろう。何処までが史実で、どこからがフィクシ
ョンか分からんな。口伝抄はその意味で、資料的には二級品だろう。歴史学者の見解
を聞きたいところだ。
994渡海 難  ◆wd0AE5SZ4. :03/03/25 00:10
>>988
> なぜ功徳が発生するんですか?

  これは僕に向けた質問ですか?。
 僕への質問なら答えさせていただきます。袈裟に徳用はありません。剃髪して
いても、いかなる徳用もありません。
 ただし、徳用があると真剣に仰る方の中の一部の方の心には、実に深い味わ
いがある。これは決して無視できない。
 徳用はない。しかし、深い味わいをもった方の心には、袈裟に徳用が備わる。剃
髪していなくても、そういう方には袈裟に徳用が備わる。
995名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/25 06:52
>>987
>知ったこっちゃないね。

>>989
>かれの人瞋るといへども、還りてわが失ちを恐れよ。われ独り得たり
>といへども、衆に従ひて同じく挙へ。

あなたや渡海氏に捧げたいですな。

ところで次スレを用意した方がいいですか?>みなさん
私としては、>>965さんとかにも応えてみたいと思いますが。
また板違いだとは思いますが、宗教板では、おそらくこれほど有意義なレスは付かないだろうと思われるので、ここに立てた方がよいと思います。
996719:03/03/25 09:45
>>976さん
レスありがとうございます.
孤立すると思いました.っていうか,既に孤立しているのかな?

>生きているうちにそんな仏になったというのなら、
   (中略すみません)
>それに、煩悩まみれの人間が「真実を体現」できるものでしょうか。

私の考え?なのかもしれません.だとしたら申し訳ありません.

「煩悩まみれの人間が真実を体現する」事は,「自らの意志で」真実を体現するんですよね.
私はそういう意味で仏だと申したつもりはありません.
それは釈迦如来が菩提樹の下で悟りをひらいた瞬間に,仏となったと考える場合と一緒だと思います.

私は仏とは阿弥陀如来,一仏である.
でも阿弥陀如来は見えるわけでは無い.
では何によって真実を見る事ができるのかというと,南無阿弥陀仏によると思うのです.
だから,南無阿弥陀仏は諸仏だと考えています.
あくまで,「ああ,南無阿弥陀仏だったんだ」という覚りです.
たぶん,初転法輪の瞬間に「仏である」と認識された,と考える場合と一緒と思います.

なぜ,こう考えるようになったのかというと,
「南無阿弥陀仏を称えると,死後に往生が確定する.」
と考える場合には,南無阿弥陀仏を称えることは,手段になってしまう.
だとすると,南無阿弥陀仏という言葉でなくても良さそうな気もする.
様々な方法があるけれど,「南無阿弥陀仏という方法を選ぶ」という雰囲気があるように感じるのです.

「ああ,南無阿弥陀仏だったんだ」という覚りの上での南無阿弥陀仏ならば,
それは南無阿弥陀仏を称えることは目的であると思います.

あくまで,私の考えなのかもしれません.
長文申し訳ありませんでした.
wareme


998名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/25 14:45
998
999名無しさん@京都板じゃないよ:03/03/25 14:46
999
10001000:03/03/25 14:47
ナム阿弥陀むつ
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