1 :
なんてったって名無しさん:
日本を本当の民主主義国家にするには民主主義の確立
成熟が必要です。しかし、それには時間がかかります。
そこで芸能人や有名人の方には、既存の政党ではなく、
芸能人、有名人によって新しい政党を作りポピュリズム
で議席を獲り他の野党と組んで政権交代を実現させ自民
公明、官僚、財界その他癒着のインチキ民主主義政治を終わら
せてほしいのです。もちろん売れてる人がいいですが、なかなか
難しいので、過去に有名で今収入が少ない人、特にスポーツ
選手などを加えるなどを考えてみてはどうでしょうか。個人的に
は民主主義の大切さ、そして自分達がこの国の主権者であり
この国を良くしたいと思うには最低限の行動は選挙での投票
で、それは歴史の中で多くの人の努力と犠牲の上で得た権利
である事などを訴えてほしいと思います。
日本は法制度上は民主主義国家ですが現実には機能していません。
民主主義国家の憲法は主権者である国民が国家の権力を縛るもので
憲法は国民ではなく政府に対する命令です。
http://www.magazine9.jp/interv/kobayashi/index.html 馬鹿げた案だと思うでしょうが、そのまんま東が知事になれる国
では、少しはありだと思いませんか。
誰を党首にするか、誰を立候補させるか、政策はどうするか
本気でも遊びでもいいので考えてみましょう。
2 :
なんてったって名無しさん:2007/08/15(水) 15:29:09 ID:2RsrzyE+
法律と憲法の違い。法律は「国家権力による強制力を持った社会規範」、平たく言うと国民を縛るものである。
それが「正しい」と考えられるのは、その時代の「多数意見」の反映だから。でも人間は間違うものである。
つまり多数意見が常に正しいわけではない。多数意見でも奪えない価値を守るためには、多数意見に歯止めを
かけるものが必要と考えられた。これが憲法である。
つまり、憲法は国民を縛るものではなく、国家権力に歯止めをかけるものである。国民ではなく国家を縛る。
だから公務員には、総理大臣を含め、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)がある。多数意見でも奪えない価値、
それが基本的人権である。
憲法の中心価値は「個人の尊重」である(憲法第13条)。そして、この「個人の尊重」には「人みな同じ」
ということと、「人みな違う」ということが含まれている。違うのが当たり前であり、違いこそが価値、
素晴らしいことなのだと考える。みんな違うからこそ、一人一人の価値は「平等」に扱われなければならない
と説いているのだ。それぞれの違いを前提に、それぞれの幸福を追い求める権利を、すべての人が持っている。
これが幸福追求権。何が幸福であるかは、一人一人が判断する、自己決定権にゆだねられている。だから幸福権
ではなく、幸福追求権だ。
個人の尊重、違いの尊重、一人一人の基本的人権を大切にするためには、多数意見がそれを奪い去るようなこと
には歯止めをかけねばならない。他人の不幸の上に成り立つ幸福は本当の幸福ではない。無実の人の不幸の上に、
他の人たちの幸福が成り立つ社会ではダメで、疑わしき人は社会に戻す、そのことによるリスクは社会全体で
引き受けるという考え方である。憲法の三大原理、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義は、いずれも
「個人の尊重」から導かれる。
3 :
なんてったって名無しさん:2007/08/17(金) 15:20:44 ID:Ekh32kWc
人間は国家以前の自然の状態において、自由、平等、所有権、安全など生ま
れながら権利(自然権)があると考え、でも自然状態では、これらの人権を
守る事ができないので人々は契約によって国家や政府を作る。国家や政府は
人権を守る為の「必要な害悪」として設けられ、その任務は専ら「人権の保護防衛」
にある。したがって、国家や政府がその任務を果たさず、反対に国民の人権に
干渉する時は国民はそういう国家権力を倒す権利 「抵抗権」、「革命権」を有する
と考えられています。民主主義は法の支配による制度化された抵抗権、革命権
と言えます。
ジョン・ロックの社会契約説と立憲主義
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/vision/es001/john_locke.html
4 :
なんてったって名無しさん: