1 :
名無しさん:
文春文庫 司馬遼太郎対談集「日本人を考える」
1978年6月25日初版 第11版で定価420円
梅棹忠夫との対談 P29〜30「日本は“無思想時代”の尖兵」 からの抜粋(原文)
↓
「戦争をしかけられたらどうするか。すぐに降伏すればいいんです。
戦争をやれば百万人は死ぬでしょう。レジスタンスをやれば十万人は死にますね。
それより無抵抗で、ハイ持てるだけ持っていってください、
といえるだけの生産力を持てばすむことでしょう。
向こうが占領して住みついたら、これに同化しちゃえばいい。
それくらい柔軟な社会をつくることが、われわれの社会の目的じゃないですか」
2 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/23(土) 12:19 ID:DO1jikzY
司馬らしいね。
これはかつて中国が北方騎馬民族に対してやったことに近い。
中国を占領しながら結局は同化してしまった元や清のようにね。
只、決して無抵抗ではなかったし、日本に大陸並みのキャパがある分けないと思うが。
あの人は大戦次ノモンハンで酷い目にあっているから戦争嫌いなんだ。
3 :
名無しさん:2001/06/23(土) 13:35 ID:jXmGjnlk
>あの人は大戦次ノモンハンで酷い目にあっているから
司馬氏はノモンハン事変に参加して無いってば!
4 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/23(土) 13:58 ID:IuW55gh.
司馬氏は日本の戦国時代をイメージしてるんじゃないの?
ホントに良く知らないので違ったらスマソ
5 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/23(土) 14:16 ID:lstiUUqA
>>3 スマソ。戦車将校で参加してたのはどこだったっけ?
ソ連の戦車に痛い目に合ったかと思ったが。
6 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/23(土) 14:23 ID:fAcHZkfo
全然関係ないが、司馬遼太郎の一番の作品は、
“明治という国家”だと思う。
7 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/23(土) 15:00 ID:P2EuwrPU
今止まってる(復旧作業中)けど、「政治思想板」の「司馬」スレで既出済み。
ちなみに決着は司馬ファンの圧倒的勝利に始終した模様。
8 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/27(水) 12:10 ID:k0MzYikA
ノモンハンの事を伝え聞いて恐怖したんだよ。実際に痛い目にあったら死んでいるって。
>>5
9 :
右翼学者:2001/06/27(水) 12:23 ID:9jJx5g2Q
>>7 始終×→終始○
ところで司馬は日露を評価して「〜スキーなんて名前にならなくてよかった」
って書いてなかったか?(すなわち同化の否定)
その文章とつながらないんだが…
10 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/28(木) 22:42 ID:ikUNfwHQ
司馬は近代以前の中国萌えなんでしかたないんです。
11 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/29(金) 03:04 ID:i/ka2B5k
中凶好きより遥かにマシ
12 :
名無しかましてよかですか?:2001/07/29(日) 19:17 ID:gedM3DRE
何で谷沢永一はこの司馬の妄言を糾弾しないんだ?
13 :
名無しかましてよかですか?:2001/07/30(月) 12:54 ID:Uydg1MLU
>12
理由は簡単。谷沢はちゃんと前後の文脈かつ司馬への総合的な理解の基にあるからだ。
ところが頭の悪いコバァは言葉尻のみをとらえて即判断していきり立つから盲目なのだ。
14 :
Tomo:2001/07/30(月) 13:17 ID:TrG.bzZU
うーん残念。
すぐ降伏したらつけあがってきます。
奴隷になっても生きたい人にはおすすめ。
15 :
名無しかましてよかですか?:2001/08/09(木) 16:45 ID:ixL7gR4E
【雑誌「正論」1998年1月号 中村粲 NHKウォッチング】
司馬遼太郎の自虐史観
NHKスペシャル「街道をゆく」が十月から始つた。昨年二月に物故した作家・
司馬遼太郎の“思索紀行文学のTV化ださうだ。昭和四十年代の初めに
「坂の上の雲」という作品を知つてから、独断を合理化することの巧みな人
だとの印象を拭ひきれないでゐるが、今やその独断と思ひつきが“司馬史観”
と云われるまでに神格化してしまった。
「土を踏む、風に聴く、声に出会う」といふ重々しいナレーションで番組は始る。
十月十二日第一回は「湖西のみち・韓くに紀行」。古代日韓関係は司馬氏なら
ずとも関心を惹くテーマである。それなのに、予想した通り「創氏改名を押し付
けた」等の不正確な歴史認識が何気なく挿入されるから見てゐる方も鼻白んで
しまふ。司馬遼太郎によれば「朝鮮民族は恐ろしいばかりの深みを底に堪へ」
「しみ透るやうな笑顔」をしてをり「五百数十回の外敵の侵入を受けても堂々と
存在してきた」偉大な民族であるさうだ。白村江の戦いの後、我国が百済の
亡命者を受入れ、優遇したことは「日本史誇るべき第一等のこと」であると云う。
だつたら、韓国の教科書が日本の百済救援について教へないことは「堂々」たる
偉大な民族にしては心が小量すぎると何故ひと言、先方に文句を云わないのか。
司馬ファンには叱られるかも知れないが、アジア民族、特に中国・朝鮮と
日本を比較して語る時の司馬遼太郎の口振りには、どうも自虐の調子が感じら
れてならない。同胞の日本人をちよつぴり腐してみることで中国人や朝鮮人の
関心や信頼を得ようとする所が、その著書のあちこちで目につくのだある。
16 :
名無しかましてよかですか?:2001/08/09(木) 16:45 ID:ixL7gR4E
十一月九日の第二回「モンゴル紀行」も同じ。日本のことを悪く云ひ、
ソ連の肩を持つ不思議な作家だ。例えば、1924年、外蒙はソ連の衛星国第一号
になり、恐るべき運命にさらされることになるのだが、司馬先生によれば「1924年、
モンゴルはソ連のあと押しで世界で二番目の社会主義国になった。」と美化
されてしまふ。二十四年前、司馬が訪れた首都ウランバートルの科学アカデミー
(現国立中央図書館)の前に立つスターリン像について司馬はかく云う。
「ここにスターリン像があるのは軍国主義時代の日本と関係がある。
ソ連は国防上の必要からモンゴルの国家建設に必要な援助を与へる
やうになった。その軍事的経済的援助の象徴がスターリンなのである」と。
泉下の司馬先生、冗段を言つてはいけません。1924年といへば我国は
一万の関東軍以外満洲に一兵も置いてをらず、それどころか国内では
四個師団(日本陸軍全体の二割)もの兵力を削減してゐたのですよ。何が
軍国主義ですか。ソ連がモンゴルを衛星国にしたからアジアの共産化が進み、
その結果満洲事変になつたのであって、日本が満洲を侵略したからソ連が
モンゴルに軍事援助したのではありません。これも“司馬史観”なんですか?
そして予期した通りノモンハン事件が出てきた。これも現代史の定説さへ
無視した目茶苦茶な日本悪玉史観。多分ソ連の学者も吃驚するのでは
あるまいか。事の真偽や実否の立証できない古代に向つて詩的直感と想像を
逞しうなさる分にはいいのだが、こと近現代史になると忽ちボロの出る司馬史観。
とまれ、壮大な歴史紀行の中でも反日が顔を覗かせる、NHKお決りの政治色
芬々たる番組。製作統括は大井徳三(NHK・大阪)。
17 :
名無し:2001/08/09(木) 23:06 ID:xZhVW7tY
過去ログさがせよ。
18 :
名無しかましてよかですか?:01/09/21 14:25 ID:xPIsugy2
age
19 :
名無しかましてよかですか?:01/09/21 19:47 ID:Kh183niI
20 :
名無しかましてよかですか?:01/09/21 19:54 ID:O0iCnGX2
いろいろさらしあげだ
21 :
名無しかましてよかですか?: