1 :
右翼学者:
(A)
1)昭和帝に15年戦争の責任はあるか?
YES
2)昭和帝が最初から最後まで独裁的に戦争を指導遂行したと言えるか?
NO
3)昭和帝が政治上軍事上の最高責任者であるという責任
YES
4)昭和帝が満州事変を計画し実行した責任
NO(責任者:石原莞爾)
5)昭和帝が日華事変を計画し実行した責任
NO
5)昭和帝が太平洋戦争を計画し実行した責任
NO
(B)
1)国民に15年戦争の責任はあるか?
YES
2)国民が最初から最後まで独裁的に戦争を指導遂行したと言えるか?
NO
3)軍部に15年戦争の責任はあるか?
YES
4)軍部が最初から最後まで独裁的に戦争を指導遂行したと言えるか?
YES
2 :
関連スレ:2001/06/11(月) 02:38 ID:NUTa/JCY
3 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 02:40 ID:3ZYYeKWk
俺も安易に新規スレを立てることに賛成したものの、
これに反論するのは、不可能に近いな。(笑
このスレは、ループ阻止という意味以外ないかも。
Bの2)はいらないな。
「国民が最初から最後まで戦争に賛成していたといえるか?」
の方がいいかも。
4 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 02:44 ID:RRSgZ02g
>>1 >3)軍部に15年戦争の責任はあるか?
>YES
>4)軍部が最初から最後まで独裁的に戦争を指導遂行したと言えるか?
>YES
俺的には異論ないのですが
小林よしのりの基準では右翼学者さんは典型的な「サヨク」学者ですね
5 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 04:19 ID:3ZYYeKWk
このスレも、寿命が近いかな?
最近思ったんだが、右翼学者さんは、なぜ
わざわざこの板にきてるのか?
彼の歴史認識はほぼ固まっており、
彼の認識を改めるほどの知識と知性を
持ち合わせているのもこの板ではまれだろう。
そこで、暇つぶし。
彼がこの板にわざわざくる理由について。
私が考える妄想気味な推理。
1.コヴァまたはその他を論破して楽しんでいる。
2.コヴァまたはその他に啓蒙して歴史意識を正常に戻す。
3.コヴァまたはその他の思考の純粋さが実は好き。
4.2を踏まえて、正しい右翼を育てる。
以上、暇つぶしでした。終わり。(笑
6 :
某二回:2001/06/11(月) 12:33 ID:pTwMx.kE
「右翼」であり、「サヨク」であるというのは別に矛盾しないだろう。
「右翼」=自由主義リベラリズム小さな政府
「サヨク」=反コヴァ
であるのだから。
ちなみに私は「保守」=「右翼」だという認識だったが、
この間新聞でロシアの「右派革新勢力」という表現を見て翻意した(笑)
7 :
某二回:2001/06/11(月) 12:36 ID:pTwMx.kE
>>5 5.他の板では論破されるから馬鹿しかいないところで遊んでる
に一票(笑)
8 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 13:42 ID:Y3ikA/cc
>>6 「右翼」=自由主義リベラリズム???
戦前の右翼は、軍部官僚独裁社会主義体制
を目指していたのではないのか?
自由な市場経済の結果生じる貧富の格差を
やたら攻撃していたが。
9 :
政治・経済版より参上:2001/06/11(月) 14:30 ID:RW.Dc08Q
>>1にプラス
(C)
欧米の植民地主義と奴隷貿易に対する責任
YES
>>8 軍部官僚独裁社会主義体制 + 天皇教原理主義
あとは「レボたん大先生」の評価をまつだけだ。
天皇が公式に責任を認めるまでは不合格かもしれないが(w
10 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 14:42 ID:aN7N0TFQ
昭和天皇に先の戦争に関する責任があるってのは世の常識。
問題なのはどの程度の責任かということでしょう。
一般国民と同じと言うことはありえない。
11 :
政治・経済版より参上:2001/06/11(月) 14:59 ID:N3KRRSls
>>10 次は程度の問題か・・・
>>7
政治版は「ムネヲ」スレと「真紀子」スレが乱立して
みんな同じようなことをいってるし
経済版は「アダム・スミスってどんなひと?」と聞かれても
たいした答えがかえってこないし
軍事版ですね。軍事おたくと論戦したら右翼学者さんも
かなわないでしょう。(W
12 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 15:46 ID:QXuVCdYQ
昭和天皇個人の戦争責任について
考えるのも重要だが、近代天皇制そのものの
問題についても考えたhougaよいのでは
13 :
右翼学者:2001/06/11(月) 16:33 ID:29pdE5UU
>>4 別に小林はアホな作戦を取った軍部への非難まで否定しまい。
>>5 コヴァを啓蒙して正しい右翼保守にするのが目的だ。
14 :
右翼学者:2001/06/11(月) 16:35 ID:DRQOVd3c
>>8 戦前の軍部の青年将校や革新官僚は
「独裁社会主義体制」を目指していたことでも分かるように左翼です。
革新官僚なんかは農地改革にすら手を付けていました。
「自由な市場経済の結果生じる貧富の格差を
やたら攻撃していたが。 」
だから左翼です(笑)
15 :
右翼学者:2001/06/11(月) 16:37 ID:pTwMx.kE
>欧米の植民地主義と奴隷貿易に対する責任
>YES
天皇が、欧米の行為に責任を持つの?(笑)
それとも主語は欧米?
あ、なんだ。それならわからんでもないが、
わかりにくいので対処せよ。
16 :
右翼学者:2001/06/11(月) 16:38 ID:29pdE5UU
17 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 16:43 ID:3ZYYeKWk
前スレに論争的な議論になりそうなやつがあったので
コピペした。
(A)
(6)1945年1月に近衛前首相にご聖断を仰がれた際に戦争続行を選択
YES
(7)ポツダム宣言受諾で天皇家の保身を案じて原爆を落とされる羽目に。
YES
(8)帝王教育を受けたのにも関わらず生涯通じて言語不明瞭、優柔不断であり
結果的に広大な災厄をもたらしたこと。
YES
18 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 16:44 ID:4jky7aNM
>>15 欧米に植民地主義と奴隷貿易の責任はあるか。
YES
19 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 17:43 ID:NVOCjFDk
[天皇の戦争責任」加藤・橋爪・竹田 径書房より
P337
橋爪「私に言わせれば,戦後の日本人が天皇に責任があるとしか言えないのは、
自分に責任があると言えないからなのです。日本国民に,大日本帝国の戦争責任
がありますと,そう言う度胸もなければ,そう考えるロジックもない。
だから,被侵略国から追及されると,左翼は天皇に責任があると言い
右翼はいつまでも同じことを追及するのかと怒りだし、結局,自分が悪いと
思ってもいないのに謝ってすませようとする。日本国民の戦争責任のあり方を
ありありと見つめてみれば,この問題は終わると思いますよ。」
20 :
右翼学者:2001/06/11(月) 18:29 ID:pTwMx.kE
>(6)1945年1月に近衛前首相にご聖断を仰がれた際に戦争続行を選択
そもそも当時はまだ内閣が機能していたし、
陸軍も戦意旺盛だっただろ。
だから立憲君主としては独断で戦争を止めさせるわけにはいかない。
まぁもし天皇が独裁権限を行使すべきだった、
というのであればYESだが。
>(7)ポツダム宣言受諾で天皇家の保身を案じて原爆を落とされる羽目に。
国体を守るってのは当時の国是だったから、
それを口実に陸軍が頑張っていたわけでも有るけど、
別に陸軍はその口実がなくなってても頑張るぞ。
連中は「中国では勝っている」という認識持ってたんだから。
そもそも戦争終結の決断はまだ天皇に仰がれてなかったんだから、
それを天皇のせいにするのは酷だろう。
まぁもし天皇が独裁権限を行使すべきだった、
というのであればYESだが。
>(8)
そもそも昭和帝は立憲君主であり、しかも英式の立憲君主たらんと(ループしているので中断)
まぁもし天皇が独裁権限を行使すべきだった、
というのであればYESだが。
21 :
右翼学者:2001/06/11(月) 18:32 ID:29pdE5UU
>>19 ちなみに中共もそれに荷担している。
人民は悪くないという大前提の上で、
悪いのは日本の軍国主義者であるという旨の発言を繰り返している。
今も「少数の軍国主義者」という表現で批判を行っている。
22 :
右翼学者:2001/06/11(月) 18:35 ID:DRQOVd3c
>(8)
そもそもその「帝王教育」というものが英国式を見本にした
立憲君主としての教育だぞ。
お前根本的なところを誤認してないか?
23 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 19:23 ID:3ZYYeKWk
天皇の責任に関して
昭和天皇はいついかなる時でも、本当の意味で自分の判断を
することができなかった可能性が高い。(終戦の「御聖断含む」)
よって、戦前の体制上、責任はあるといえるが、
それ以上の追及は不毛。
国民の責任に関して
国民がいかなる時も政府を支持していたかは、疑問。
天皇は、一部の反対者(マルクス主義者、共産党系)以外
は、一応形の上で支持していたとはいえる。
しかし、体制上、天皇を一応支持するが戦争には反対
し、なんらかのアクションを起すというのは、当時の国民に
可能であったのか?
これについては、引き続き議論求む。
24 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 19:23 ID:3ZYYeKWk
政府の責任
広田内閣時=軍部大臣現役制復活、日独防共協定など
林内閣=軍財抱合
第一次近衛内閣=日中戦争には不拡大方針
トラウトマン和平工作の失敗、東亜新秩序、
みせかけの近衛三原則、国家総動員法
平沼内閣=「欧州情勢は複雑怪奇」の内閣
ナチに踊らされたことがわからない、ただのヘタレ内閣
第2次近衛内閣
新体制運動、体制翼賛会、国民学校、など、
(予断だが日本がファシズムに似ているといわれる原因になった
政策をおこなったのは、ほとんど彼の内閣のもとである。)
第3時近衛内閣
日米交渉失敗
東条内閣
戦争遂行責任者だが、彼は軍部を統率できていなかった。
しかし彼は、責任を取らされたので、ここでは不問。
小磯内閣
ただのやけくそ内閣。同じく責任を取らされたので不問。
鈴木内閣
彼は何をした?
ポツダム宣言受諾。このとき国体護持を条件に受諾を天皇に
すすめたのは東条、陸相阿南は、本土決戦を主張したとされている。
私は、政府の責任としては、やはり近衛が一番責任があると思うが
彼は自殺したしな。
25 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 19:29 ID:3ZYYeKWk
>>25訂正
誤
天皇は、一部の反対者(マルクス主義者、共産党系)以外
は、一応形の上で支持していたとはいえる。
正
>国民は、一部の反対者(マルクス主義者、共産党系)以外
は、天皇を一応形の上で支持していたとはいえる。
26 :
にーちぇ:2001/06/11(月) 19:30 ID:3ZYYeKWk
27 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 20:58 ID:WYTB43gM
>19
そんなことは橋爪ごときに言われるまでもないことなんだが。
28 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 23:16 ID:WYTB43gM
>24
笹川と近衛のやりとりおもしろいぞ。
必見。
29 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/11(月) 23:27 ID:fLfTlazM
>>23 >なんらかのアクションを起こすのは,当時の国民に可能であったか。
厳しい 現在のように情報インフラが整っていれば別だが。
30 :
右翼学者:2001/06/12(火) 00:36 ID:3A9Qdsfg
>>29 たしかに。
国民側としては言論。つまり新聞などや
政治、つまり議会等で間接的にアクションを起こさざるを得なかっただろう。
しかし朝日に見られるように新聞は軍国主義を煽っていたし、
議会は議会で多数派野党が美濃部学説を排撃するなど、
全体的にアレだったからな。
国民の大多数の思想もそうだと類推してあながち間違っては居まい、
31 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 02:27 ID:i6CFAUDI
ところで、
ループ防止したら、とたんに人が閑散とし始めたな。(笑
もっと、上の議論に対する反論がほしいんだが・・。
また結果がでたら、文句をいうのだろうか。
32 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 03:16 ID:i6CFAUDI
今気付いたんだけど、
>>24で安部内閣,
米内内閣ぬかしてるな俺。(笑
なんで、だれもつっこまないんだ?
さらしあげか?(笑
まあ、いいか。
平沼内閣のあと
安部内閣=日中戦争解決に失敗
米内内閣=親英米派、だが軍部の親独につぶされる
第2次近衛内閣
33 :
名無しさん23:2001/06/12(火) 09:32 ID:6YobRwKQ
阿部も米内も陸軍が作って潰したようなもんだからそう厳密に責を問わずとも。
俺は田中義一の青年訓練所と宇垣一成の配属将校制度が迅速な戦時動員を可能にしたという点で
陸軍の突発的な行動に対して物理的掣肘をなし得なかったと見るが、どうだろう。
34 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/12(火) 16:37 ID:JYnHP34Q
35 :
右翼学者:2001/06/12(火) 17:24 ID:k.cfP9Uo
>俺は田中義一の青年訓練所と宇垣一成の配属将校制度が迅速な戦時動員を可能にしたという点で
>陸軍の突発的な行動に対して物理的掣肘をなし得なかったと見るが、どうだろう。
分かりやすく書いてやれ(笑)
田中と宇垣が兵隊を動かしやすくしたから、出先の独断専行で軍事行動がとりやすくなったってことだろ?
36 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 22:30 ID:i6CFAUDI
>>33 それは、軍部の技術的な問題ではないか?
むしろ石原の満州事変での行為の位置付けをどう捉える?
37 :
先取防衛:2001/06/12(火) 22:59 ID:5RQYN6HE
>23
226事件の際の天皇の行動はいかかがですか?
予備費は別にして、予算をつけ、その予算をつけたおっさん達を選挙で信任し続けた、
当時の日本人の有権者の責任は?
38 :
先取防衛:2001/06/12(火) 23:10 ID:5RQYN6HE
しつこいようですが、予算なしで動ける組織は無い。
39 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 23:58 ID:i6CFAUDI
>>37 2.26事件に関しては、昭和天皇は、鈴木貫太郎か
誰かかが、殺されたと勘違いして激怒したんじゃなかったけ?(忘れた。スマソ)
自分が任命した閣僚が殺された以上、あの反応は思慮に欠けたかも
しれんが、それほど間違っているとは思えない。
また、もしクーデターが成功しても閣僚を殺すようなものを
天皇は信用できないだろう。
ここではよく言われているように、石原の行動が奇妙だ。
その後の軍部大臣現役復活制とどうからんでくるのか。
それはともかく、もし天皇に関してこれを問題にするならば
ついでに事件終結後の軍部への締め付けをしっかりとおこなわ
なかったことぐらいか。
40 :
にーちぇ:2001/06/12(火) 23:59 ID:i6CFAUDI
予算に関しては、2.26事件以後は、かなり脅されていたのではないか?
あの当時の閣僚にそれに対抗する気概があったのか?実際、
満州事変以降は、常に情勢が不安定だったのだし。
有権者の責任は、財閥などは利益はからんでくるから、
一定部分は認められるとして、のこりは
>>23の
国民の責任にかんしてを参考にしてほしい。
41 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/13(水) 01:02 ID:WYBFgGlE
>40
あの〜〜、軍艦は開発から浸水までものすげぇ期間がかかるんだが。
開戦可能な軍備を整えたということは、総力戦体制以前に国民が
軍拡政策を長年支持したという実績が必ずあるということを意味している。
開戦後は国民が政府にたてつくことが出来ないのは、現在のアメリカでさえ、
そうなっている。なにも特別なことではない。
42 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/13(水) 01:03 ID:WYBFgGlE
おっとぉ、進水な。浸水してどうする(w
43 :
右翼学者:2001/06/13(水) 01:05 ID:ClyiH592
>>41 開戦可能な軍備を持つということは当時の当然の国是です。
その軍備を保持した上で、開戦するか融和するかを選択するのは政治です。
その軍備を持たないということは、
融和しか選択肢をもてないということです。
第一当時は海軍の建艦はワシントン条約で強力に制限されていたし、
陸軍の軍備も大軍縮のオンパレードだった。
お陰で陸軍役立たず論、国のお荷物論などが幅を利かせていたのが、
大正デモクラシー。
そう言う風潮をぶち破ったのが満州事変です。
44 :
にーちぇ:2001/06/13(水) 01:56 ID:6qf8mU7c
>>41 というか、当時の情勢からいっても軍艦開発だけで、すべてを
判断できんだろ。第一その当時の国民が、今みたいに国防費なんて
気にしてた?
45 :
名無しさん23:2001/06/13(水) 09:28 ID:NAie144I
>>33 なんか形而上的な部分ばかり取り上げられるから、ちょっと違った角度でもの見てみたかったの。
出先が軍事行動起こすとして、予算が充てられたとして、人的資源がなきゃはりぼての軍隊でしょ。
日清日露のころと違って、歩兵にもある程度の知識が要求されたあの時代において
総ての男子を入営前教導させてたってのはこれすごいことですぜ?
兵営国家の誕生は大正デモクラシーの喧騒にまぎれて密やかに完成していたのだ!なんてね。煽り過ぎか。
46 :
名無しさん23:2001/06/13(水) 09:35 ID:NAie144I
あと満洲事変の石原についてまた穿った見方するけど、思想を持ったエリートちゃんが
やりたいことやってお咎めなしだったから、傍流の支那通が出世したさに思想もなしに
後に続いたという心理的な問題を問うてみたいです。
47 :
名無しさん23:2001/06/13(水) 10:07 ID:1F8QKk8w
ごめんなさい。質問に質問で答えるのは失礼なのでいちおうまじめに考えたこと。
世間知らずが策に溺れた、というか石原は独立国家なんて望んでなかった。
独立が決まってからは王道とかなんとか民国に対して道義的優位性を確立しようと
(本心かポーズか知らんが)図ったけども、結局浮いた。自分のまいた種で陸軍が大陸の泥沼に
嵌っていくのを止められなかった。自分の理想(文明間戦争)と満洲をとりまく思惑を
すり合わせようとして、失敗した。
あえていえば、奴は小賢しい。
その小賢しさの根幹に、石原が政治家にはならなくて、軍人になったことがあると思われる。
俺はそこに大日本帝国の限界を感じるのだ。うーん飛びすぎ。
48 :
右翼学者:2001/06/13(水) 12:10 ID:QWZFrrIU
>>46 満州以後の蒙古解放や汪兆銘の南京政府のこと?
49 :
名無しさん23:2001/06/13(水) 12:50 ID:uydP4nx.
はい。
端的に言えば分断して地方政権をつくるやり方が一般化したことの是非みたいなもの。
軍閥の存在については議論の余地あるけど、満洲建国以降に成立した種々の自治政権は
すべからく新支那からの離脱という形式を取るので無視してよいと思う。
でだ、親日とまではいかずとも日本との和平を目指す勢力が支那通の場当たり的な、しばしば
軍事と政治を混同した和平策に乗っかって結果政治的に無力化したのは大失敗だったなあと思うわけ。
汪兆銘で国民政府の純化が完了したと、まあこれは私見ですが。
土肥原、田中、根本、和知、影佐あたりがなぜに日本を代表して対支外交の事務方を務めたのか、
務められたのかというのは単に彼等が日本における支那情勢研究の第一人者であったからだという
一見合理的な説明だけでは職掌的に問題残る。そこで満洲建国という既成事実が彼等の活躍を陰に陽に
支える正統性を与えたのだろうと考えるのであるよ。
50 :
名無しかましてよかですか?:2001/06/13(水) 13:24 ID:b7oL3ja6
>>46 そういうこともあったらしいですね。
石原がやったんだから,俺たちもやっていいだろうみたいな。
出世欲か゛暴走を生んだんでしょうね。
51 :
右翼学者:2001/06/14(木) 00:19 ID:VQmMHBYg
>>50 そうそう。
「あんたのやり方をやってるんですよ」って言われて石原は何もいえなかったらしいからな。
52 :
バカボンパパ:
ひととうり 読ませてもらったなかなかおもしろいね。
私の考えと根本的に少し違うところがある、 ようなので書かせてもらう。
@右翼と左翼はともに社会主義のことである、右翼と保守を混同している人がいるけどそれは間違い
右翼と左翼は考え方が一箇所違うだけで後はみな同じなのだ。
A右翼学者さんは右翼社会主義者でサヨクではない
B
もっと書きたいがじかんがないごめんなさい。