こばやしよりのりみて水木しげるはどう思うんだろう

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45名無しかましてよかですか?
>>2
全文

五十年前、あの戦争の頃の話である。
その頃はなんでも勇ましいのが人気があり、
日本が戦争に勝つニュースばっかりだったから気持ちはよかった。
とにかく「大和魂」だとかなんとかいってやたらと勇ましい時代だった。
私はフト「戦争論」をみて長い間忘れていたあの時代を思いだした。
とにかく「大和民族」というのは勇ましい遺伝子を持っているので
「戦争論」とか「NOといえる日本」といった本が、よく売れるようだ。
なんとなくキモチがいいんだ。
「戦争論」で戦争が終わって長い時間を経て
戦前の勇ましいフンイキを味あわせてもらってとてもたのしかった。
その頃日本軍は強いといわれていた。
私はその秘密は「ビンタ」にあると長年思っていた。
毎日初年兵をなんの理由もなくなぐるのだ。
毎日なぐられる生活をしていれば、なんとなくザンコクなことをしたくなる。
私は特別よけいになぐられたせいかもう軍隊がいやになり、
日本陸軍ひいては日本までいやになってしまった。
戦後日本は対外的にも「ペコペコ国」になってしまったが
ビンタぎらいの私は…それでいいのだ!!といいたい。
勇ましさのためのどんな目に遭うのかと思うと
年のせいかそれでいいのだ。と思ってしまう。
私は「戦争論」でふとあの戦前の勇ましさを思いだし、非常になつかしがったが
なんだか輸送船に乗せられるような気持ちになったのは
「ビンタ恐怖症」のせいだろう。『戦争論』の売れゆきが気になる。
「戦争恐怖症」のせいかなんとなく胸さわぎがするのだ。きっと年のせいだろう。

46名無しかましてよかですか?:2010/03/21(日) 13:10:15 ID:XdPZRmvj
水木しげるのインタヴュー

●いちばん困るのは士官学校を出て間もない若い将校だと言う。

水木 「大隊長でしたけどね。27歳の少佐です。
兵隊にとっては危なくてしょうがないからみんな敬遠してましたけど。
ああいう士官学校を出たばかりのが上に来るとたまらない。
ただやたら死ね死ねばかりだから。
ほかの隊にもそういう上官がいましたけどね。
そういう隊はかわいそうです。勇敢だったけど全滅です。
その士官学校出の将校は自分の部隊が全滅しても嬉しそうな顔をしてるんですよ。
怖いですよ。兵隊が死ぬってのが平気なんです。
まだ若くて子供が戦争ごっこをしているような気持ちなんです」

●水木さんは爆撃で左腕を失った。爆撃のときは、敵機は見えない。
中隊200名のうち生き残ったのは水木さんを含めてわずか7人か8人である。
治療中の野戦病院で終戦を迎えた。
半年後に日本に帰り水木しげるの軍人生活は終った。

水木 「日本に帰れると思っていたというより、
帰ると思っていたということです。
馬鹿馬鹿しくて死ぬなんて考えられない」