天皇論 10

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775名無しかましてよかですか?
>>687-688>>690で論証したように、皇統は男系継承ではなく双系継承。

[継嗣令第一条]は「皇位継承資格」として「双系継承」と「4世王まで(一時期5世王まで)の世数制限」を規定し、
[第四条]では氏姓制度(男系原理)が齎した「血族的制約」として、皇親女子と氏族男子の結婚を制限している。
これらの法律は、奈良時代まで厳格に実系で運用されていた。

延暦12年(793年)9月の詔[桓武天皇]により、内親王以外の皇親女子と氏族の結婚が認められた。
実際に即位した女帝は皇極天皇以外全て内親王だったし、「女系王位の選択的適用」も女系の身位
そのものが高い皇族に限られていた(>>687の二例とも母親は内親王)ので、内親王以外の皇親女子に
ついては実情に合わせて規制緩和が行われた。

平安時代以降、仏教や儒教など外来の男尊女卑思想の影響もあって女帝が登場しなくなり、また猶子・養子
を犠牲的に「天皇の子」と見なすようになったので「女系王位の選択的適用(実系)」も行われなくなった。
ただし女子・女系の皇位継承資格が停止されたわけではなく、法律上は双系継承のまま。

 ※「皇親女子と氏族男子の婚姻禁止規定」は女帝の子(親王)に「姓」が生じないようにするための措置
 なので、子供に皇位継承資格を適用しないケースについては違法でも結婚が認められることもあった。
 つまり規制の本旨を理解した上で、弾力的運用がなされていたと言うこと。
  奈良時代・・・藤原久須麻呂の妻・山縵女王(3世女王)―身位が低く、即位の可能性がほとんどない。
  平安時代・・・藤原師輔の妻・雅子内親王―時代的に女性が皇位継承候補にならなくなっていた。

改めて>>687の「男系皇族」「女系皇族」の定義について考察すると、[継嗣令第一条]は皇位継承資格の
「親王位」「王位(4世王まで、一時期5世王まで)」を、「皇位継承資格を獲得した系譜」として規定しており、
皇親が「男系血族」に限られていたのは皇位継承資格ではなく氏姓制度が齎した制約に過ぎない。
従って「男系(継承)皇族」「女系(継承)皇族」の定義としては〔定義A〕が妥当。
〔定義B〕は「男系血族皇族」「女系血族皇族」、〔定義C〕は「男系血族皇族」「非男系血族皇族」とすべき。