天皇論 10

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「皇統男系説」「皇統双系説」を検証する。

■1―実例検証
              男系皇族:                          女系皇族:
〔定義A〕 皇位継承資格を男系の血筋で受け継いだ皇族  皇位継承資格を女系の血筋で受け継いだ皇族
〔定義B〕 男系血族に属している皇族                女系血族に属している皇族
〔定義C〕 男系血族に属している皇族                男系血族に属さず且つ女系血族に属している皇族

「双系皇族」は「男系皇族」を包含しているので、「男系皇族」の条件を満たしている皇族は必ず「双系皇族」
の条件も満たしている。
従って「男系皇族」の条件を満たしていて「双系皇族」の条件を満たしていない皇族は論理的に存在せず、
実例から「皇統は双系継承ではなく男系継承である」と証明することは不可能。
一方「双系皇族」の条件を満たしていて「男系皇族」の条件を満たしていない皇族が存在すれば、「皇統は男系
継承ではなく双系継承である」と実証することになる。

〔定義A〕―「皇統は男系継承ではなく双系継承である」と実証。
《女系皇族の実例》
@和銅8年(715年)2月の詔[元明天皇]―吉備内親王の子の膳夫王、葛木王、鉤取王(父は長屋王)を
2世王とする(発布前は3世王)
A天応元年(781年)2月の詔[光仁天皇]―能登内親王の子の五百井女王、五百枝王(のち春原朝臣
五百枝)(父は市原王)を2世王とする(発布前は5世王)
 ※@Aは選択的に男系の皇位継承資格を破棄し、女系の皇位継承資格を適用。
上記以外で女系天皇・女系皇族の可能性があるのは、
B孝徳天皇(=軽皇子、皇極天皇の弟、茅渟王の子)
C漢皇子(皇極天皇・高向王の子)
D有馬皇子(孝徳天皇の子)
「天皇」「皇子」「親王」と言った身位は律令制のものだけど、軽皇子や漢皇子が皇極天皇の即位時に「王」
から「皇子」になったと認識されていたのなら、皇位継承資格はB姉から弟へC母から子へ女系で受け継がれた
ことになる。

〔定義B〕―実例がなく、「皇統は男系継承ではなく双系継承である」と断定することはできない。
〔定義C〕―実例がなく、「皇統は男系継承ではなく双系継承である」と断定することはできない。