同じ頃、欧州では大ローマ帝国が繁栄し、その版図をブリテン島まで及ぼす事になるが、何故かアイルランドに食指を延ばす事はなかった。
大陸→ブリテン島→アイルランドと二重の渡洋作戦をおっくうに思ったのか。
大陸北方で猛威を振るうガリア人の親戚(ケルト人)がイパーイいる島に上陸戦をする事のリスクを勘案しての事か。
あんな小島、いつでも占領できるとタカをくくったのか。
その理由は良く分からない。
とにかくアイルランド人はローマが滅びる日まで一度もローマの旗を見る事が無かった.
(故に、ヴァチカン宣教師達は苦労する事になるのだが)。
この時代にローマ・ファランクスの打撃を経験しなかった幸運が、アイルランドの軍事的進化を停滞させ、かえって後年アイルランドに災厄をもたらす事になる。