自らの信念の弱さを棚に上げ、論敵に迎合し、いや、そもそも議論に来ているのではない、
馴れ合いに来ているだけだ、ここでの議論はまぁ、立場が違えど尊重し、自分の本来言いたいこと、
積み上げてきたもの、信じるもの、誇りに思うもの、伝えたい事、怒るという事、嘆くと言うこと、
去勢された宦官で上等、その内味方も増えて日本は良くなるだろう、と、自分に言い聞かせ、
口調を罵倒する、石原や小林がさんざん食らいまくったものを自分も体感できる事はむしろ
疑似体験ではあるが喜びであり、悲しみでも何でもない、芸術家は理解されない大衆に迎合などしない、
ひたすらわが道を行けばよろしい、一回こっきりの人生何をすべきか何がしたいのか、
されど我らが道、されど私の道、絶対矛盾的自己同一、数に屈し結果途方も無い事が起こっても、
ホレーショの虚しさ、エラスムスの嘆き、アンネの慟哭、フランクリンの達成、いや、そもそも
話せばわかる、問答無用であり、世界が全体幸福になりえないうちは個人の幸福はありえない、
ラッセル-アインシュタイン宣言、ガンジーの祈り、アウンサンスーチーを救うのは誰か、
本当に悲しい事は誰にも気にかけてもらえないことです、おお、歓喜よ、兄弟よ、力強くその道を進め、
一切合切が肯定できず納得行かなくとも、今日も世界は震えおののいており、鎌倉の生女房よりも
無常ということがわからなくとも、全ては大したこともなく、天は自ら助くる者を助く、
何をそれ嘆き苦しむ事があろうか、仰ぎて天に恥じず伏して地に恥じなければ三顧の礼を尽くして
我が為の宿命を甘んじて受け入れる事をせねばならぬだろう。初めに言葉があろうが行動があろうが
知った事ではない。肝心なことは、老子とヴィトゲンシュタインが言っているではないか。