我々は何処へ行くのか 5

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232鳥坂 ◆nSC8E.bvp6
とびきりいい加減なアイルランド独立史

第2回 アイルランド駆け足史 そにょ2

 さて、アイルランド統一戦争、である。
 前日も書いたように、その機運が生まれのは11世紀頃。
 その原因はヴァイキングとの交易で芽生えた「貨幣経済」が底流にある、と書いた。
 後付になるが、コレは自分の推論である。
 それまで「オラが村(王国)」で満足していた100余の王様が領土拡大に乗り出す理由が他に思い当たらないからである。
 
 で、アイルランド史上初めて「アイルランド統一」を口にした王様がこの時代のアイルランド最高の戦術家でもあった、ブライアン・ボルーである。
 ブライアン・ボルーはアイルランド南部の小王国ドール・カイスの出身である。
 彼の兄、マガメインが強国の基礎を築き、兄の死後、王位を継ぎ、アイルランド南部「マンスター地方」を制したブライアン・ボルーは、1002年に「上王」を名乗り、事実上のアイルランド統一を果たす(日本戦国で言えば、本能寺前の織田信長みたいな覇権)。
 ブライアンが兄の後を継いだのが976年、タラの丘で「上王宣言」をしたのが1002年、足かけ26年の覇業だ。