我々は何処へ行くのか 3

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532凛家亜武
>>507

『葉隠』上中下
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0823.html

武士道と言う言葉はいつから定着したのか?侍道、士道とも言われるが、
そもそも武士自体のルーツは奈良時代の兵役ぐらいから辿らねばなりません。
衛士、防人は国民の義務であり、案外この頃から日本は近代国民国家の基本の
国民皆兵制に手をつけていたことがわかります。それはともかく、「武士」という言葉は
平安時代末期頃に、家子郎党として登場します。以降、鎌倉、室町、戦国、江戸、維新と
武士は時代を動かす存在としてたびたび活躍しますが、ズバッと書くと、私は
「御恩と奉公」これが武士道の基本だと思います。これをとことん追求すると、
「お上はきちんと善政をしかなければならない」「配下はその恩に報いなければいけない」
武芸も知識も、「恩に報いるため」であるはずです。その恩を売る人は現代ならば
民主的選挙で選ばれた国民の代表ですね。そして、国民は国民の義務を果たす、と。
葉隠の有名な言葉、「武士道とは死ぬ事と見つけたり」は究極を突き詰めた箴言であり、
これに私なりに言葉を加えますと、「武士道とは(国家、国民の幸福のために)死ぬ事と見つけたり」
となると思います。ただ、常朝は武士は金を儲けよ等とも言っており、個人の幸福追求も
否定はしていません。江戸時代の武士がいわゆるぶら下がりであったのも事実でしょう。
しかし、彼らは維新の志を忘れていなかった。そこに本居宣長以降の国学の影響が
あったのだと思いますが、「公」が「藩」に留まらず「国」に広がったのは僥倖でした。
前スレ辺りでこの辺り議論があったと思いますが、外圧を橋本左内や高野長英、
吉田松陰などが啓蒙したのが功を奏したと言えるでしょう。最後に、私の思う武士道は
近代思想とも組み合わせて考えると、「国民が抱くべき国家への気概」
「恥と誇りを大事に考える道徳の規範」こういう感じになると思います。
古代アテネの市民観から言っても、国民は近代国家の枠組みで暮らす限り
国家に対しての責任と義務があり、ただ働いて暮らしていればいいと言う
江戸時代までの価値観では済まなくなっています。政治にも想いを馳せねば
ならなくなりました。今回の選挙でもその意味がわかって頂けると思います。