小林と沖縄について語るスレ3

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235名無しかましてよかですか?
私は本土で生まれ育ちましたが、父が沖縄出身で戦争当時10歳だったので、
幾つか戦争時の話は聞いていました。その中に、日本兵による住民虐殺の話もありました。

私が父から聞いたのは、
「米軍の戦闘機が来たら、皆山に避難していたのだが、駐在さんは肺を患っており、
山に逃げる事も出来なかったので、いつも一人で残っていた。
それを日本兵が『お前はいつも残っているから、スパイに間違い無い。』と言って、
自分の目の前でサーベルで切り殺した。優しい駐在さんを殺した日本兵を、怖いと思った。」
という話と、
「日本兵は『食料を供出しないと非国民だ。』と言って、皆も食べる物が無いのに、少ない食べ物を取り上げた。
それでも皆、お国の為に戦っている兵隊さんのためにと、松の木に登ってフクロウの卵を取ったり、
米軍が攻めて来ていない時を見計らって、海に出て魚や貝を採って、日本兵に渡していた。
自分達はクモやトカゲや木の根を食べてでも、兵隊さんには少しでもいい物を食べて貰おうとした。
でもある日、海で魚を採っていたオジサンに、日本兵の偉い人が『お前はいつもこうやって海に出てるのか。
我々の目を盗んで米軍と通じているのだろう。』と言い掛かりを付けた。オジサンが否定すると、
松の木に縛り付けて殴り始めた。オジサンの顔は3倍位に赤黒く腫れあがり、足元には血溜まりが出来た。
オジサンは兵隊さんの為に、危険を冒して魚を採りに行ってたのに、なぜそんなオジサンを殴るのか、
自分には理解出来なかった。オジサンがぴくりとも動かなくなると、日本兵は殴るのを止めたが、
皆に『こいつはスパイだ。助けようとする者もスパイと見なす。』と言い放った。なので誰もオジサンを助ける事も出来ず、
生死を確認する事も出来なかった。翌朝、オジサンの体に蛆が湧いていた。」というもの。
236名無しかましてよかですか?:2005/06/13(月) 15:00:48 ID:7E7wLJZV
私は子供の頃からこういう話を聞いていたので、住民虐殺の話は沖縄でも広く知られているのだろうと思っていました。
でも80年代後半に、初めて沖縄の新聞で住民虐殺の話が取り上げられたのを知り、沖縄でも殆ど語られていなかった話なのだと知りました。
沖縄は復帰後、反戦・反日教育をしていたが、少なくとも住民虐殺の話は、反日プロパガンダとしては利用されていなかったのでしょう。
左翼の手垢にまみれていない、狭い範囲で語り継がれて来た話だけに、却って信憑性があるのでは無いでしょうか。

左翼に焚きつけられて、日本兵・日本人に対する怨嗟を抱く事にアイデンィティを見出している沖縄人もいるでしょうが、
大抵の沖縄人は、悪いのは人を狂気に駆り立てる戦争であり、日本兵が悪いでのは無い事は分かっていますよ。
戦争を経験した沖縄のお年寄りが訴えているのは「戦やならんどー」、これに尽きます。
日本兵に壕を追い出されたとか、日本兵が赤子を殺したとかいう話は、経験として語っているに過ぎません。
それなのに>>220のような事を言う人がいるのは、正直情けないです。
「沖縄人は戦争で酷い目に遭って可哀想。日本に利用されて捨石にされて可哀想。沖縄人は善。日本兵・日本人は悪。」
沖縄戦をこのようなイメージを作るためだけに利用している左翼の存在が、最も情けないですがね。