39 :
名無しかましてよかですか?:
村田語録 「反米派の危うい外交認識」(諸君12月号)より
@
「ゼロット」(熱狂派)は自分たちの信じるものだけが、
「守るべきもの」、「日本的なもの」であると断定しがちではなかろうか。
(中略)
そして、自分たちの信じる「守るべきもの」、「日本的なもの」が
国民の多くに共有されているか否か、あるいは、どのように共有できるのか
といった問題は等閑に付される。
大意:頭に血が上った反米派は、自分たちの主張が国民に理解されるかどうか
考えてみたことがあるのかね?
A
そして、「程度」と「ニュアンス」こそは、外交の要諦なのである。
声高な「自主外交」論や「自主防衛」論は、この「ニュアンス」を損ねる
(「ニュアンス」の判らない者に「ニュアンス」を説いても仕方ないと
叱正されれば、それまでではあるが)。
大意:外交には「程度」と「ニュアンス」が大事なの。まあバカに理解しろと言っても
無理だろうけどね。
以上感想:晃嗣同じじゃん。
同じじゃん晃嗣。